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  3. RinMusicさんのレビュー一覧

レビューアーランキング
先月(2017年4月)

RinMusicさんのレビュー一覧

投稿者:RinMusic

55 件中 1 件~ 15 件を表示

イタリア・都市の歩き方

2005/09/22 23:01

映画評論家の見つめたイタリア、ますますイタリアの魅力が溶け出る一冊

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

<空はいつも青く澄みわたり、太陽は明るく、日々は何の迷いもない。そんなイタリアがかき消えて、欺瞞と暴力と空虚が支配する国へと変貌する。たとえばファシズム。たとえばローマ。たとえばキリスト教>(p.214)—イタリアは本当に不思議な国だ。何度となく来ては嫌な思いも味わったが、帰る時はいつも後悔などまったくない。一体何に魅了されてしまうのか、あるいは騙されてしまうのか? イタリアはやはり何度も訪れてみるべき国なのだ。何度も訪れたからといって、イタリアを、もしくはそれぞれの都市を理解できる訳ではないが、少なくても共感することへの近道にはなるだろう。フランスには魅力ある街が点在するが、やっぱりパリが圧倒的存在である。その点でイタリアは難しい。ローマ贔屓の私でも、トスカーナを廻ればフィレンツェの香り高い華やぎにうっとりし、ミラノに出れば活き活きした躍動感が心地よくなる。ナポリでは怖い思いをしながらも、山上からの眺望ですべてを投げ出したくなるし、プーリアの海岸都市はいずれも白と青のコントラストが心身を麻痺させる。しかし、異邦人が感じるイタリアの楽天主義的な魅力は決してイタリアの現実を照らしているとは言い切れない。イタリアが持つ魅力は計り知れないが、同時にその歴史は深い暗闇の連続でもある。
この筆者は映画評論家で、イタリア映画に関してまさにスペシャリストのようである。イタリアに限らず、映画というのは登場人物の表情(台詞を含めて)と舞台のセッティングが強く印象づける。光と闇の空間で揺らめく波長だけに依存する音楽とは異なる点である。これは人生の失態だと読後に思ったことだが、私は残念ながら本書で取り上げられる映画のほとんどを観たことがない。しかし、もしこれらの映画を観ていたとしても、ヒーローやヒロインが大都市を舞台にロマンスを演じている、そのことへの興味にとどまったかもしれない。本書のインパクトは、イタリア映画への深い造詣と愛情から、現代を含めたイタリアの歴史を鋭く洞見している点ではないだろうか? ここで扱われているイタリア映画の背景は、リソルジメント(イタリア統一運動)であり、ファシズムであり、貧困である。つまり魅力というのはいつも光の中からのみ生まれるものではない、そのことを雄弁にフィルムをもって語らしめている。時には映画監督の生い立ちを検証することで、作品の真髄を解こうとすらしている。ここで筆者は実際の目と耳と足でイタリアを追って(いつも映画を介しながら)、その過程で、狙うことなく、イタリアの各都市の性格が融解してきている。ますますイタリアの奥深さに魅了されてしまう一冊である。

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紙の本河童が覗いたヨーロッパ

2005/08/31 16:51

河童的異文化コミュニケーションを見る

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

悔しいが完全降伏…。兵庫高校の大先輩にあたる妹尾河童さん、多くの憧憬とそれなりのライバル心から本書を開く。ヨーロッパ旅行に持っているそれなりの自負心が、彼の「いいわけのまえがき」を読んで一気に崩れ落ちた。文化庁による芸術家派遣研修での一年間をまとめた「河童的メモ」、それは宿泊した部屋の詳細なスケッチと味のある丸字で書かれた添え書き。旅の経過は記されていない。だからメモなのだが、瞬間瞬間で見てきたものが写真ではなくスケッチを通すと、これほどに動きがあるものかと驚かされる。そして、どうでもいいところまでこだわりを見せるのが河童的でもある。ヨーロッパ各国の車掌の服装や動作のスケッチなど、彼が言う<ガラクタのコレクション>の域を超えている。
しかし、彼がこのメモで記しているものは単なる「地球の歩き方」シリーズではない。<日本人同士のように“相手もこっちのことを察してくれるはず”とか“ふくみ”などといった、微妙なものの考えかたや、甘えの構造などはないわけだから>(p.19)と、価値観の根本的な違いをまず甘受することを促している。そこが彼の異文化コミュニケーションの出発点である。そして彼がヨーロッパ各国言語がすべて操れた訳ではないのだろうが、彼のバイノマルチ・リンガリズムぶりがコミュニケーションを成立させている。すべての言語的技能が集結する言語学的レパートリーを作り上げる一つの手段が、彼の旅行スタイルの内にあって、このメモ集に収められているものなのかもしれない。地球人は互いに異なる文化背景を持ち、彼らとは共生のうちにある。習慣や価値観の違いに萎縮しながら旅行するのではなく、郷に入って旅の恥はかき捨てることで見えてくる異文化コミュニケーションのあり方、その一例がガラクタのように詰まっている一冊。

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耳が喜ぶために、そのペダリング要覧

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

著書はカール・ウルリッヒ・シュナーベル、20世紀音楽史に燦然と輝いたピアニスト、アルトゥール・シュナーベルの息子である。本書はダンパー・ペダルの技法について、体系立てられた解説がなされている。ペダリングについては多くのピアニストが言葉を残しているが、ショパンは「ペダルは音楽の魂である」と呼び、ダンパー・ペダルを通常とは異なる使い方で操り、多くの創作的な音楽上の効果を生み出した最初のピアニストだった。ショパンが作品の中でペダリングに神経質だったことは、彼のオリジナル譜に書き込まれている多くの印や、弟子たちの証言(『弟子から見たショパン そのピアノ教育法と演奏美学』)で詳細を読むことができる)からも明らかである。著者は<大ピアニストの中にさえ、そのペダル・テクニックを聴覚のみに頼って発達させている例がある。たしかに耳は最終的な審判者でなければならない>(p.9)という序文に引き続いて、多彩なペダリングとその効果、実例を添えて平明にまとめており、ピアニストたちに有益なものであろう。ペダリングの難しさは、各々のピアノによってアクションが異なる点で、筆者もそれ故に「耳」を以って修得することを述べている。私の師であるフラ塔XEクリダ女史の「ピアニストは四本の手を持っている」という言葉は、ペダリングの奥義の深さを象徴しており、それを探求するために「耳が喜ぶように」と添えるのが常である。本書でのペダリングはその種類に限定されており、ソステヌート・ペダルについての言及は避けられている。またペダルの踏み方についての基礎については、ファニー・ウォーターマンの『若きピアニストへ ピアノ指導と演奏について』(p.36-39)が参照箇所として相応しい。

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紙の本神々の指紋 下

2004/11/09 22:15

私たちの文明への緊急メッセージ

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ふと「レミングの集団自殺」を想った。その長い生涯を終える時に超新星がその輝きを急速に増すように、私たちの地球も文明が高度に発達するほど、地球は滅亡への加速度を増していると言えそうだ。中南米の神話解読に始まった上巻から、エジプトの謎に迫る下巻。世界各地に残される神話の共時性(シンクロニシティ)より、<紀元前一万五〇〇〇年から前八〇〇〇年に起こった、最後の氷河時代の劇的で破壊的な解氷だ。さらに、テオティワカンの建築遺跡やエジプトのピラミッドと同じように、これらの神話の多くは、暗号化された科学的情報の伝達手段となるように設計されたようだ。これもまた「神々の指紋」を示すものだ>(p.332)という筆者の確信は、本書で真実味を帯びている。ではギザの大ピラミッドのような巨大で野心的な建築を、私たちの文明は有しているのだろうか? 文明の構成員が生き残れなくても未来に知識が残るような「神話」を私たちの文明は生み出したのだろうか? 私たちは早く「封印された遠い記憶」を解いて、「記憶喪失」から脱せなければならない!—筆者からの緊急メッセージである。

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闇夜に生きなければならない心のために

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

もし人間の運命が生前から定められたものだとしたら、スティーブン・メティカフがイギリス人で、1927年に雲南省で生まれ、リス族の村で宣教する父を持たなかっただろう。生の与えられ方からすでに壮絶な人生の始まりを予感させるが、<戦争中に捕らえられていた収容所で出会った心の師が私に教えてくれたあることのために、そのときから私は日本人のために祈るようになったのである。そして日本を憎むことができなくなり、日本を愛するようになり、終戦から七年後、ついに私はひとりの宣教師として来日した。その後、三十八年という長い歳月を過ごすことになる>(p.9)に至る。まさに「迫害する者のために生きなさい」という聖書の教えに生きた人生である。
今年は第二次世界大戦が終結して60年が経つ。つまり対日戦勝60周年にあたり、韓国や中国の反日感情は日ごとにエスカレートしている。中国で終戦を迎え、日本に渡り、そして日本を去った氏は、<イエスは、「平和主義者は幸いである」とは言っていない。「平和をつくる者は幸いである」と言っているのだ。平和をつくる者とは、神との平和を保ち自分の心の中に平和をつくり、周囲の人との平和をつくっていく人のことなのだ>(p.114)と記している。私たちが今日の韓国や中国を批難することは理にかなっているし、一方で日本の歴史観を糾弾するキャンペーンを展開する相手国の思惑も正当である。氏は<心の中の罪と世界の罪は結びつき、心の中の平和と世界の平和は結びついている>(同頁)という行は、私たちの考え方が根本から間違っていることを指摘している。まず人を心から許さなければならない、そして理解しようと努めなければならない。これは世界平和というマクロな問題だけでなく、個人にも同様のことがそのまま当てはまるだろう。「闇」を作ってはいけないし、「闇」を重ねてはいけない。人間の心には「闇」が覆っているが、今日メティカフ氏が生きているということは、その黒い霧から光を取り戻す勇気を与えてくれる。なぜ人間が生きなければならないか、強く考えさせてくれる自伝である。

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紙の本世界悪女物語

2004/11/19 23:00

美に生き、美に翻弄された女たちの物語

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この作品は昭和39年に刊行されたもので、それから18年経って筆者が書いたあとがきが巻末に綴られている—<悪女とはなにか。さしあたって、ここでは、美貌と権力によって悪虐のかぎりをつくした女性、あるいはまた、愛欲と罪悪によって身をほろぼした女性と考えておけばよいだろう。なかには、この定義にはずれる女性もいることだろうし、むしろ可憐と呼びたいような、生一本なところを示した女性もいるかもしれない。定義にこだわる必要はないだろう>(p.251)。
美への強い自意識と執着は、概して、悪魔の餌食となる。超絶技巧と引き換えに魂を悪魔に売り渡したパガニーニはミューズとなり得たが、美を得るために良心を売り渡した女たちはヴィーナスにはなれ得ない。悪行を以て自らの美を形象化する以外に、彼女たちは存在意義を確認できない。そこに悪女たちの「哀れ」が感じ取られる。「鉄の処女」を作り出すに至り、生き血の桶に身を浸して永遠の若さを欲したエリザベエト・バートリなど、その最期はまったく惨いもの。悪行を重ねていけばその悪徳も奇蹟になるという悪魔の論理によって、<魂の道徳的不感症>となった女たちを描いた12の物語…。

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紙の本丸山真男音楽の対話

2005/03/18 03:09

丸山眞男の音楽半生から見る「音楽の方法」

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<「『音楽自分史』を書きたい」と告白した>丸山に代わって、門弟の一人・中野氏が丸山眞男の音楽半生を描いている本書。日本政治思想史の開拓者は、実は碩学な音楽研究家でもあった。丸山の関心はバッハからワーグナーに至る、いわゆるドイツ語圏の音楽で、厖大な知識とアナリーゼの実践から派生する洞察の深さは、古くから知られているところである。
フルトヴェングラーやケンプの音楽を無常に愛していた丸山が、<結果的にナチに追随した>と断罪する姿勢を崩さなかったあたりに、思想家としての苦渋が覗かれるが、いわゆる「フルトヴェングラー事件」を軸とする時代の芸術行為に対する丸山の文章ほど、歴史認識のバランス感覚の良さを感じさせるものは稀有である。そしてカラヤンへの理解を示しながらも、フルトヴェングラー亡きベルリン・フィルに歯痒い思いで耳を傾けていたのであろう、フルトヴェングラーとカラヤンの音楽観(丸山なら「方法」と言うであろう…)をそれぞれ体系化してみせる文章に巡り合う。<「心情的には、この人はフルトヴェングラーやケンプに共感している」、私はそのとき確信をもったが、そのことを口には出さなかった>(p.222-223)という挿入文は、丸山眞男という人間をよく描写しており、40数年にわたる「駄弁り」を丸山と続けてきた中野雄氏の、丸山への深い理解と敬愛が同時に伝わってくる。フルトヴェングラーが「響き」で音楽を<追創造nachschopfen>したように、丸山は言葉を以て音楽を生かしている。丸山の言葉には調性感がある。その言葉に触れる時、軽い目眩を覚えるような錯覚に陥る。美化や誇張の見られない中野氏の手記であるからこそ、丸山の音楽観の核を覗き見ることが可能なのだろう。

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ピアノ・デュオ作品事典

2005/03/13 21:05

ピアノ・デュオ愛好家、待望の一冊!

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『ピアノ・レパートリー事典』の姉妹本。「ピアノ・デュオ」と一口に言うが、この作品事典を完成させることほど困難な作業はないだろう。四手のための連弾と二台ピアノによる作品が、一体どれだけ出版されているのか、つまり、編著者もはしがきで<外国版の出版・輸入事情により、楽譜資料が一部しかそろわなかったために、掲載を断念した作品もあります>(p.ii)と記している通りである。パリに住んでピアノ・デュオを組んで活動している一人として、松永氏のこうした執念がなければ、ピアノ・デュオの「価値」というものを今日ほど知ることはなかっただろう。<ピアノを「習う」あるいは「練習する」目的は、ピアノで音楽を楽しむことにあるはずです>(p.ii)という音楽愛好の本来の姿勢を取り戻すきっかけを、本書は最大限に提供してくれるだろう。2004年に増補改訂版が出版されたと聞く。まさに松永氏の執念の表れであろう。ますますの充実ぶりが期待されるので、こちらを購入されることを強く勧める。

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ピアノを弾くすべての人のために

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この438ページに収められたデータが、どれほど大変な編著によるものか、まずこの点で大きな敬意を払うべきである。本書ではカタカナ順で、各作曲家の略歴とそのピアノ作品が記されている。ここには作曲年、出版社、短いコメントが添えられているが、ほぼすべての作品について網羅されているから、大変な労作である。演奏の難易度が1〜15で附けられているのも、愛好家には目安となるだろう。ピアノの傍らに置いておくべき一冊である。

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紙の本オペラへの招待

2004/11/21 09:18

本格的なオペラ入門書

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オペラのあらすじをまとめた解説書なら幾多とあるが、本書では「なぜオペラか?」という問いかけに始まり、オペラの魅力の本質が章ごとに語られている。声について、演劇性について、指揮者の役割、歌手たちの系譜、そしてスタンダード・レパートリーについての深い洞察…。ディガエターニのこのオペラ入門書ほどすべてが凝縮して含まれた魅力的な一冊が他にあるだろうか?

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ホンネで語る中欧

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ベルリンの壁崩壊後、「東欧」は「中欧」へと変わっていった。そして今やEUの一国として「西欧」への仲間入りに躍起である。私は2000年より毎年のようにウィーンから東に入り、特にブダペストの変化には毎回驚かされてきた。「資本主義の明るい未来」は確かに外見上は存在する。Made in U.S.A.が繁華街を乗っ取り、若者にナイキやGAPを押し付けてくる<犬も歩けばアメリカにぶつかる>状態は決して過言ではない。パリの高級レストラン「マキシム」と「マルキシズム」を掛け合わせた「M☆RXIM(マルキシム)」というピザレストランがブダペストのモスクワ広場付近にあるらしいし、旧ソ連製の勲章らしきものが骨董品屋で売られているのも見たことがある。社会主義がネタとなり、性風俗産業の最前線としても賑わい、新旧入り乱れる混沌とした街を形成している。
一方で、ツラニズムやハプスブルク的な価値観を見直す声もある。本書ではサブカルチャーの部分に強い光を当てて、現在の「中欧」を活き活きとリポートしている。中欧の抱える問題や後遺症は深いが、その分希望も大きい…それを含めて中欧をホンネでぶつけてくる一冊である。

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紙の本神々の指紋 上

2004/11/06 02:58

失われた文明からの時空を越えたメッセージが今よみがえる

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<突然歴史の陽の光に照らされて目覚めながらも、いまだにおぼろげな夢の余韻にひたっているかのようだった>—有史以前の神話を解き明かしていく筆者ハンコックの明晰な文章と柔軟な思考、そして神話の文脈が語る「地球の歴史」の足跡を紐解いていくプロセス。ジャーナリスティックに淡々と綴られる文章は単なる考古学の範疇に留まらず、歴史学も文化人類学も天文学も、あらゆる諸学をも包含して提唱されている「神話解読」の試みであると言いたい。私たちが教科書で学んだ「有史以前」に、今日を上回る偉大な文明が汎世界的に存在していたと証明するに足る一冊である。
しかしそうなれば大変な事だ! 筆者は「有史以前」を<すでにわれわれの記憶から消えた霧に包まれた時代に違いない。この輪郭のぼやけた時代に数学的に暗号化された天文学や測地学の謎が...>と記しているが、暗号化された諸学問の謎が、つまり地球規模の大変動をありありと記憶している不滅の「神話」であり、文中に引用される故サンティラーナ教授の言葉を借りると、<遠い昔に真剣で知的な人々が、高度な天文学の技術用語を神話の言葉の裏に隠す手法を編み出していた>ことになる。中・南米から始まるハンコックの冒険譚は溢れんばかりの情熱が感じられる。しかし、私たちは本書で彼の推理が実に注意深く、幾重にも重ねられた検証に基づくものであることを読み取る。そしてまず驚くだろう。

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紙の本墨を読む 一字ひとこと

2005/09/01 14:01

抽象を超えた抽象画としての水墨

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

水墨による抽象画、それが篠田桃紅さんの芸術。旅先の金沢でふと見た新聞記事に桃紅さんの近況が載っていたのだが、彼女が92歳になる今日なお精力的な創作活動をしていることにまず驚かされる。1960-70年代に抽象表現主義の代表的な画家としてアメリカで高い評価を確立した彼女だが、創作の抽象化への展開は戦争体験が背景になっていると言う。
本書は、彼女の傍らにある一字と、それに寄せる想いが添えられてある。ゆえに「一字ひとこと」なのだが、彼女の長い人生の中で培われてきた日本語への愛情と温もりを、墨が滲ませている。限りなく変化する濃淡が、嫋やかに、そして愁いながら走っている。<文字の造型と意味との間を、かけめぐらされる思いはいつものことながら、そして、そのいつものことの無意味さの意味を考えてしまう>(p.42)—芸術家としての自問自答の繰り返しの果ての「無用の用を為す」という芸術家としての達観、そして彼女の水墨からは自己自身への到達としての「生」の希望が感じられる。彼女が生きる過去・現在・未来の三界、そして国家や貧富を超えた「精神」としての<誰にも通じる言葉としての抽象画>(北國新聞朝刊19面、2005年8月14日)。この一冊を携えて早朝の紅富士を見た時、彼女の芸術がもはや抽象ではないことを確信した。

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戦国幻想曲

2005/12/19 13:24

勘兵衛という幻想曲

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 ここに戦国という時代を生き抜いた一人の男の生涯が記されている。主人公は「槍の勘兵衛」こと、渡辺勘兵衛である。勘兵衛は英雄でなければ、名を残した大名でもなかった。むしろ禄を育むために奉公先を転々とした駒である。客観的事実はそうである。
 しかし池波が描いた勘兵衛は実に有為転生の人生で、己の槍を唯一の頼みとした勘兵衛の愚直さが、全篇を貫いている。戦場で織田信忠をふと助けたことから、信忠の言葉を信じて身を用いられることを待ち続けるが、本能寺の変でそれは永遠の「面影」となってしまう。勘兵衛が求める生き方は英雄になることではなかった。池波は「一人の英雄の死は、その英雄の所有していたもののすべてが死ぬことなのである」(p.332)という決め台詞を用意しているが、まさにそのような英雄に仕えてみたかった男である。勘兵衛が仕えたのは中村一氏、増田長益、藤堂高虎、いずれも大大名である。にも関わらず、男の本懐を通すために、勘兵衛は子を省みず、女を捨て、放浪の人生を選んだ。不器用な勘兵衛に私たちが想いを寄せるのは、その不器用さに眠る熱い男気である。
 この物語では、豊臣秀吉も徳川家康もあまり重要ではない。600頁に及ぶ大作はテンポが早く、疾風のようである。だから勘兵衛はあっという間に歳を取る。勘兵衛は確かにこの物語の主要な旋律だったが、楽曲を方向づけ支配するのは伴奏である。主人であり、妻女・於すめであり、子たちであろう。音楽においてテンポを決定し楽曲の雰囲気を形成するのが伴奏であり、メロディはその上で漂流する凧のようなものである。そうしたファンタジー(幻想曲)の中で一つの凧のように生きたのが、まさに勘兵衛だった。その凧はよく飛んだ。勘兵衛の見た幻想(人生)はぼかされたものではなく、一つ一つのシーンが実にヴィヴィッドだった。あまりに多くの出来事が起こったが、最後には静謐だけが残された。ちょうど勘兵衛が人生を終える頃、戦国の時代が終焉していたということもあるが、糸が切れた凧を想えばなるほどと思う結びである。いつでも「幻想」とは静寂(しじま)の人生物語なのである。

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正義を描く漫画家が伝えるメッセージ

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福知山線で三田方面から宝塚へ、中山寺を過ぎると武庫川が断崖を削って流れている。崖からこぼれ落ちそうなほど住宅ができ、道路に車が溢れている姿は、治虫少年の知るところのものではなかったが、大きな変貌を遂げる現代日本に生きた一少年はやがて、幼少期の至高の経験を漫画の主人公に代弁させていった。(大人になるとそれを幻想として片付けてしまいがちだが)子供は夢を見るが、その夢の厳しさを時々知っている。『アドルフに告ぐ』で、ドイツ大使館の追っ手から逃れる少年アドルフは神戸から宝塚を越えて有馬温泉まで行く。必死の大逃行も有馬温泉で待ち伏せされて捕まるはめになるが、そこで少年アドルフはその追っ手と揉み合い橋の上から突き落とす。ここには子供なりの精一杯の“正義”がある—それは体制や社会が振りかざす“正義”とは異質の、人間としての謙虚な“正義”ではないだろうか? そう、手塚治虫という漫画家は小さな正義を描く漫画家だった。破れない壁をアトムに、治せない病をブラック・ジャックに、超自然的対象の謎に負ける写楽に、冒険させては人間的限界を教え込んでいる(そしてやがて人間的正義へと方向づける)。
私たちは万物の霊長として、その科学力を過信して奢っている損存在である。<自然や人間性を置き忘れて、ひたすら進歩のみをめざして突っ走る科学技術が、どんなに深い亀裂や歪みを社会にもたらし、差別を生み、人間や生命あるものを無残に傷つけていくかをも描いたつもりです>(p.26)と言って、手塚治虫はアトムに鉄腕という責め苦を与えた。誰もが持ちたがるアトムの力強さ、それが諸刃であることを諭している。未完の『ルートヴィヒ・B』で楽聖ベートーヴェンが大自然の奏でを彷徨として聞いているように、耳を澄ませて大自然に生きる術を聞き取ることを、手塚漫画はライフワークにしていたように思われる。—<ガキ大将といっしょに日暮れまで走りまわって遊べる幻想の王国でした>(p.13)

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