住ノ江さんのレビュー一覧
投稿者:住ノ江
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紙の本シルエット
2004/03/14 21:28
普遍の青春小説
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「こんなのってない」と涙をこらえて、電車を見送る姿でこの小説は終わる。あとから知らされた元・恋人の気持ちの変化。引越しという高校生にはどうにも動かせない、別れの運命。非力だった幼い初恋時代を描いている。よくある青春小説の設定だが、その若さとはなんなのだろうか。
主人公「わたし」は、心を開いてくれない恋人「冠くん」と別れたあとに、「せっちゃん」というかけがえのない存在を得る。せっちゃんと幸せに過ごしていると、冠くんの母親が入院したという知らせを得て、物語は動いていく。冠くんが心を開かなかった原因は、冠くんの父に刺されて寝たきりになった母親だった。別れて以来絶っていた冠くんとの接触を再び持ったことで、「わたし」は自分の心がわからなくなる。そしてせっちゃんといったん距離を置くことになる。
3作目『生まれる森』の主人公と同じく、「わたし」も冠くんと別れた失恋の傷から、適当な男と関係を持った。せっちゃんはその男とは別格の、特別な存在だった。せっちゃんと連絡を取れない間は「栄養失調」になったくらいだから。再会したときに、「わたし」とせっちゃんはより強いお互いの気持ちを確認しあうことができた。
冠くんの後悔を知ったのは、そんな矢先だった。それまで心配して何度声をかけても、冠くんはやはり心を開いてくれなかった。「わたし」は傷つき、やっぱりだめだったと思い、せっちゃんに戻ったのだともいえる。冠くんの母親が退院し、引っ越すことになったけれども、「わたし」は会いに行かなかった。お見舞いに行った際に繰り返された、拒絶を知っていたからである。そして徐々に冠くんのいない生活に慣れ、思いを忘れていく。
しかし引っ越す前、冠くんの心に変化があった。人づてに知らされた「わたし」は「こんなのってない」と思う。後悔という言葉よりも、やるせなさという感情ではないかと思う。
会えない間に大切さを知った、せっちゃんという存在がいる。冠くんのことを忘れる環境を自分で作り、いつしかいないことが当たり前になった。しかしそれは「自分を拒絶する冠くん」にしたことで、「変化のあった冠くん」ならばそうはしなかった。自分のことを話さず、クラスメイトとも距離をおいていた「わたし」は、誰より人とわかりあいたかったのだと思う。「わたし」がせっちゃんを選んだのも、そこである。わかりたいと思ってぶつかったけれど、無理だったから、冠くんをあきらめたのだ。
恋がわかりあうということなら、失恋を癒すために適当な男と関係をもっても、やはりそれはその場しのぎだ。それでも求めるのは、わかりあおうと歩み寄るのを拒絶されることが、本当に辛いからである。冠くんは母親が原因で心を開かなくなった。「わたし」はその原因を知っていたが、恋する気持ちが先行して、どうしても交渉を欲していた。そして失敗して傷ついていた。青春小説というなら、その走ってしまった恋心が若さであるといえるかもしれない。そしてそれは、恋をするたびに誰もが繰り返す若さだと思う。
島本理生は確かに、20代前半の世代が経験する場を設定して書いている。しかしそこに、恋の普遍的なものがあるのでなはいかと思う。
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