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  3. まざあぐうすさんのレビュー一覧

まざあぐうすさんのレビュー一覧

投稿者:まざあぐうす

345 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本青い城

2009/04/08 15:30

モンゴメリの幻の名作の文庫化 愛を描いた心温まるハッピー・エンディングストーリー

16人中、16人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 主人公のヴァランシー・スターリングは29歳になる独身女性。
 母親と従姉のスティックルズと3人で貧しくひっそりと暮らしている。住んでいる家も与えられた部屋も醜い。平均を下回る身長、美しくも醜くもない容姿に加え、子どもの頃から病弱だった。性格も内気で陰気と見なされ、母親や従姉をはじめとする親族に虐げられるように生きている。自分の服装や髪型を決めることから、図書館で本を借りること、医師の診療を受けることに至るまで生活の一切がままならい。世間からはオールド・ミスと見なされみじめな存在だ。
 ヴァランシーにとって、唯一の救いは、空想の中の“青い城”。
 それは、誰も知らない美しい国に聳え立つ城だ。松の茂った高い山にそびえ、小さな塔がいくつもあり、旗がひるがえり、青霞の中に美しく浮かんでいる。そこには、ありとあらゆる美しいもの、すばらしいものがあり、ヴァランシーは幸せに暮らしていた。“青い城”は、ヴァランシーが夜になったらとびこんでいける夢の世界であり、現実の窮屈な生活を乗り切っていくために幼い頃から築き上げてきた夢の住処だった。
 そんなヴァランシーが、ある日心臓病で余命一年と診断され、悔いのない人生を送ろうと決意したところから新たな物語が展開してゆく。 さて、ヴァランシーの決意とは、そして、ヴァランシーのとった行動とは…。

 本書は、『赤毛のアン』で一躍有名となったカナダの小説家ルーシー・モード・モンゴメリの1926年の作品である。何の取り柄もない主人公が自分の余命を知り、勇気ある決断と行動によって夢の世界だった“青い城”を現実の世界へと導く痛快なラブ・ストーリー、辛口のユーモアとともに展開される心温まるハッピー・エンディングストーリーだ。
 物語の展開上、周到な伏線が準備されているため、予定調和的な単純なハッピー・エンディングストーリーと見なされる可能性は否定できないが、愛のない人生の空しさを訴えるヴァランシーの言葉に着目したい。
 「生きてゆく上での激しい、美しい感情は、あたしをよけていってしまったのだわ。深い悲しみさえ感じたことはない。あたしは、心から誰かを愛したことがあるかしら?おかあさんを本当に愛しているかしら? いいえ、愛してはいない。それが恥ずべきことであっても、それは真実だわ、あたしはおかあさんを愛してはいないー愛したことなどなかった。もっとひどいことには、好きでもない。つまり、あたしは、愛というものを全然知らないということなのよ。あたしの生涯は空しかったーからっぽだわ。空虚というほど、恐ろしいことはないわ、恐ろしい!」と余命を知らされたヴァランシーが独り言で苦しそうにうめいている。
 愛のない人生の空しさを嘆いていたヴァランシーは、自らの勇気と決断によって愛を得ていく。ヴァランシーに託したモンゴメリの強い思いが感じられる。それは、愛することと自分を信じることと夢を持ち続けることの大切さではないだろうか。また、ヴァランシーが幼いころから築き上げてきた夢の世界の“青い城”は、モンゴメリの豊かな想像(創造)の世界とも重なるのではないだろうか。
 モンゴメリの自叙伝『険しい道』を読むと、2歳になる前に実母を病気で亡くし、母方の祖父母に引き取られて育った幼少時代にはじまり、若き日々の苦悩や作家としてデビューするまでの数えきれない挫折、そして、牧師夫人としての結婚生活も決して順風満帆ではなかったことを知らされる。モンゴメリ作品のユーモアは実人生の険しさの賜だろう。
 『険しい道』の日本語訳の「はしがき」に「わたしと同じように、うんざりするような人生という道程を、苦しみながらいまもなお歩き続けている人々を励ますために」自叙伝を書いたとモンゴメリが述べていることが紹介されているが、モンゴメリは『青い城』も同様の思いで書いたのではないかと思った。
 『モンゴメリ日記 愛、その光と影』の中で、モンゴメリの実人生における愛の光と影が浮き彫りにされているが、モンゴメリはアンシリーズに始まり、一貫して愛を書き続けた作家ではなかっただろうか。モンゴメリの愛への希求が読者を慰藉する。小説が読者を慰藉する文芸であることを『青い城』は100年近くの歳月を経て教えてくれているように思う。『青い城』をモンゴメリ作品の中の名作として評価するとともに幻の名作であった本書を見出し、このたびの文庫化まで漕ぎ着けた谷口由美子氏の翻訳の功績を称えたい。

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紙の本はせがわくんきらいや

2011/10/12 17:33

障がいをテーマとした児童文学作品の新たな可能性

13人中、13人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 主人公の「はせがわくん」は、絵本の作者である長谷川集平氏のこと。
 「ぼくは、はせがわくんが、きらいです。はせがわくんといたら、おもしろくないです。なにしてもへたやし、かっこわるいです。はなたらすし、はあ、がたがたやし、てえとあしひょろひょろやし、めえどこむいとんかわからん。」
 作者は、病弱でひ弱だった幼い頃の自分のことを、友達の目線で切り離して語っています。
 「あの子は、赤ちゃんの時、ヒ素という毒のはいったミルクのんだの。それから、体こわしてしもたのよ。」と真実をありのままに語る母親、「はせがわくん泣かんときいな。わろうてみいな。もっと太りいな。」と心底願う友達、作者の故郷のことばが、リズミカルにあたたかい。中でも、「はせがわくん、きらいや」は独特の響き。そう言われるたびに、「はせがわくん」が生き生きと立ち上がって来る。「はせがわくん、きらいや」ということばが写し出す作者の人間としての尊厳と、その思いを反転するかのような友情、「あの子と仲ようしてやってね。」という母親の願いと負けず劣らず真に迫ることば。森永ヒ素ミルクの被害の真実やその家族、とくに母親の心情、被害児童を取り巻く子ども達、悲惨な真実が独特の手法と語りであっけらかんと明かされる。
 墨で書きなぐったような手書きの素朴な文字、デフォルメされた子ども達…。
 美しく整った絵本という概念を破って描かれた(書かれた)画期的な絵本として、1976年に出版された当時、「創作絵本新人賞・優秀賞」を受賞しています。しばらく絶版の時を経て、多くの人々の要望で復刊されました。1976年すばる書房初版の復刊です。その独特の手法と語りは、今もなお、斬新さを保ち、読者の心に迫る。
 森永ヒ素ミルクの被害という社会的関心の薄いテーマの児童文学作品が多くの読者の関心と強い要望を得て復刊されたことに作者の並々ならぬ力量を感じると同時に、障がいをテーマとした児童文学作品にも様々な可能性があるのではないかという思いを強くしました。障がいをテーマとした良書が次から次へと絶版となってしまう現実に打ちひしがれることなく、新たな可能性を追求した作品の誕生を待ち望みたい、そんな希望を抱かせてくれた一冊です。

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紙の本としょかんライオン

2007/04/19 18:59

図書館のイメージを一掃する絵本

13人中、13人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「図書館って、どんな場所?」と子どもたちに尋ねたら何と答えるでしょうか。
 本がいっぱいあるところ、本を読んだり、借りたりするところ、そして、何よりも静かにしないといけないところという答えが返ってくるのではないでしょうか。幼い子どもたちの視点に立つと、図書館は書棚が林立する中で、静かにしなくてはならない窮屈な場所のように思えるかもしれません。
 そんな図書館のイメージを一掃する絵本が、『としょかんライオン』です。もし、図書館にライオンがやって来たら・・・と想像の翼をはためかせてみましょう。
 怖いかしら、それとも、楽しいかしら。この絵本の図書館長のメリーウェザーさんは、心の広い温かい人です。突然訪れたライオンをごく自然に受け入れてくれました。行儀が良く、心優しいライオンでした。やがて彼女のもとでいろいろなお手伝いをするようになり、図書館に来ている大人や子どもたちと仲良しになりました。そして、ある日、大変なことが・・・。
 そんな図書館があったら行ってみたいと思いませんか。
 図書館という場所を通して、ライオンと大人たちや子どもたちとの心の交流を描いたファンタジー絵本、決まりを守ることも大切だけど、時には、それよりももっと大切なことがあるということを教えてくれる絵本です。
 ケイト・グリーナウェイ賞受賞画家の描くふさふさした大きくてあたたかそうなライオンの絵が魅力的です。あたたかい絵の中に図書館の魅力が満ちています。

 図書館を楽しい場にしてゆくのも、利用者である私たちの意識次第です。『としょかんライオン』を読んで、子どもたちと町の図書館に出かけてみましょう。子どもたちはきっと町の図書館を違った目で見つめるようになるのではないでしょうか。

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紙の本発達障害 母たちの奮闘記

2011/07/27 20:19

無理解の壁に挑み、発達障害への本質的な理解を促す良書

12人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 もし、電車の中で、唐突に中年の女性の髪の毛に触れる少年がいたら、あなたはどのように感じますか? また、もし、学校の近くの畑で芋をぜんぶ掘り返している少年を見かけたら…? 
 少年の奇異で突飛な行動に驚き、どう対処してよいのか分からないというのが世間一般の反応ではないだろうか。この少年のように、外見的には「普通」であっても、社会生活、特に他者とのコミュニケーションに支障を来す障害、それが発達障害だ。

 近年、学問的な研究が進み、2005年の発達障害者支援法の施行をきっかけに、社会的な認知が始まったが、軽度精神発達遅滞、広汎性発達障害(PDD)、学習障害(LD)、注意欠陥・多動性障害(ADHD)等の各種別の特性、また、それぞれの置かれている環境や個性など複雑に絡み合っているため、一般社会には本質的な理解が及ばない。
 発達障害は、その判断が難しく、障害の認知が遅れがちだ。家族も本人もその障害に困惑し、支援のあり方が想起しにくいため、周囲からの適切な支援を受けることも叶わない。そのため、本人に自己否定感や自尊心の低下という二次障害が生じ、家族にも、自分の子育てのせいで子どもがこうなったのでは?という自責の念が生じる。本人や家族が精神的に追い詰められる前に、早期の認知や周囲の理解が切実に求められている障害だ。

 本書の著者である山下成司氏は、フリーランスのイラストレーターの仕事のかたわら、私設学校で18年間、発達障害児教育の現場に立ち続け、前著『発達障害 境界に立つ若者たち』で、「周囲にはなかなか理解されず、要領もよくないけれど、懸命に生きている若者たち」のありのままの声を紹介し、続いて、本書で、その親御さん達の生の声に耳を傾けている。

 発達障害を抱えたわが子の生まれたときのこと、学校、就職のこと…。また、親として、どんなことに悩み、どう乗り越えてきたのか?

 「広汎性発達障害(PDD)」を抱えるツトム君のお母さん、LD傾向を抱えるタケシ君のお母さん、「軽度知的発達障害」を抱えるアミちゃんのお母さん、「高機能自閉症」を抱えるヨシカズ君のお母さん、「学習遅進」を抱えるマリコさんのご両親、発達障害についての情報や理解が乏しかった時代に体当たりで子育てをしてきた四人の母親と一組の夫婦へのインタビューを通して、発達障害についての具体的で分かりやすい事例やエピソードが紹介され、当事者だけでなく、一般の人達にも発達障害の適切な理解を促す内容として編集されている。長年発達障害を抱える子ども達と向き合ってきた著者ならではの的を射た質問にあたたかく、鋭いまなざしが感じられた。
 わが子の発達障害という理解が困難な障害を受け入れ、共に生きてきたお母さん達が乗り越えて来たであろう困難は計りしれない。経験に裏打ちされたエピソードや情報は、専門書にはない力を持って心に響く。「子どもに寄り添いながら、子どもが嬉しいこと、楽しいこと、自信を与えるようなことを考えるようにしてきた」というお母さんがいる。周囲の無理解を超えてわが子に愛を注ぎ続ける姿に胸を打たれた。本書には「母たちの奮闘記」という副題が添えられているが、社会での理解が進み、母たちが奮闘しなくても、発達障害の子ども達が生きていける社会の実現を願いたい。

 著者は、発達障害の無理解の壁に挑み、障害の理解こそが支援への第一歩であることを強く訴えている。「発達障害が固定された障害ではなく、年齢や経験を重ねることで改善されていく可能性がある」という一文に希望を見出す読者も少なくないだろう。本書を読むと、発達障害のお子さんを抱える家族は励まされ、また、当事者でない読者は発達障害を身近な問題として考える機会が与えられる。発達障害への本質的な理解を促す良書だ。

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紙の本ずっとそばに…

2008/12/23 10:12

動物の命、人間の命・・・命の大切さを問い、人間と動物の共存を問う美しく切ない絵本

11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 幼い頃、両親を人間につかまえられて失ったくまさんは、森のうさぎやりす、きつねの孤児たちを大切に育てていました。自分の子どものように世話をして、寝るときも抱っこして、決して、ひとりぼっちにはさせませんでした。ひとりぼっちがどんなにさびしいかを誰よりもよく知っていたからです。
 
 ある年の冬、山の木の実が全く実らず、食べ物が手に入らず、森の子どもたちがどんどん弱っていきました。子どもたちのために決心して人間の住む里に下りていったくまさんは、農家の庭先の柿の実をとりました。そのとき・・・

 森の動物の子どもたちを守ろうとするくまさんのやさしさ。
 そして、息絶えたくまさんを見放さない森の動物の子ども達のやさしさ。
 人間が山里に住むようになって、山奥へと追いやられた動物達。
 くまさんの両親を殺したのも、くまさんを殺したのも人間。

 「くまが出没、人間をおそった・・・」というニュースをきくたび、私は胸が痛みます。くまが住む山へ人間が侵入し、木は切られ、別荘がどんどん建てられています。山の動物性たちは、どこに住めばよいのでしょうか・・・?人間も動物も同じ生き物です。人間の命、動物の命、どちらの命も同じ命です。人間と動物が共存できるよう・・・私たちは考えねばなりません。」という作者のあとがきに深く共感しました。

 ほのぼのとした絵の世界の中に、動物たちのやさしさと動物たちが置かれている過酷な環境が描き出され、人間の残酷さが浮き彫りにされます。また、どんな過酷な環境であっても「ずっとそばに」居てくれる存在があれば幸せです。それは、森の動物たちも私たち人間も同じでしょう。幼い子どもたちの心にも作者のメッセージが確かに届くことでしょう。

 「ねこの絵本」「そばのはなさいたひ」でボローニャ国際児童図書展エルバ賞2年連続受賞、「いもとようこうたの絵本 1」で同展グラフィック賞受賞した作者ならではの力量が感じられる美しく切ない絵本です。幼い子どもたちに向けて書かれた絵本ですが、読み終えたとき、一人の大人として、かけがえのない命、かけがえのない存在について問うことを促されました。

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紙の本宇宙への秘密の鍵

2008/03/04 22:26

大人も子どもも楽しめる宇宙冒険物語 ホーキング博士の宇宙への秘密の鍵とは?

11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 本書は、量子力学と相対性理論というふたつの大きな発見を踏まえて、その両方から導かれる宇宙の姿を初めて描いた天才物理学者スティーヴン・ホーキング博士とその娘で小説家のルーシーが世界中の子ども達のために書いた宇宙冒険物語。いまや世界約40ヶ国で出版され、世界のベストセラーとなっています。

 主人公の少年ジョージは、ペットのブタを追って隣の家に飛び込み、科学者のエリックと娘アニーに出会ったことから、スーパーコンピュータ<コスモス>によって、宇宙の旅へと導かれます。ジョージは、<コスモス>を通して、星の誕生と死や彗星を知り、宇宙に引き込まれていきますが、そこに不可解な行動を取るリーパー先生や暴力的で陰湿ないじめを繰り返す同級生の影が・・・。
 
 19のコラムと32ページの美しいカラー写真が本書の特徴と言えるでしょう。太陽系やブラックホール、物質や質量など、ストーリーを読み進める上で必要な宇宙や物理学の知識が別コラムにて挿入されていて、小学生でも理解できるような配慮が施されています。さらに、イラストの他、探査機によって撮影された天体写真やコンピューター処理画像が掲載されているため、宇宙を舞台に展開される冒険物語がよりリアルにイメージできます。

 著者であるホーキング博士は、ケンブリッジ在学中に難病のALS(筋萎縮症性側索硬化症)であることが判明し、1985年に肺炎を患った後は完全介護が必要となりましたが、テクノロジーの助けを借りて研究活動中の「車椅子の物理学者」。

  博士の研究テーマである「どのようにして宇宙がゼロから自然発生的に作り出されたのか」ということや「どのように情報がブラックホールから出て行くのか」ということが本書の物語を通して展開され、興味をそそられます。また、主人公の少年ジョージの科学発表コンクールの原稿の中に盛り込まれている地球環境問題から宇宙を捉える視点も見逃せません。

 大人も子どもも憧れる宇宙への旅。ホーキング博士の宇宙の秘密への鍵とは・・・。宇宙の起源、太陽系、ブラックホールなどの最先端の知識を得て、宇宙を冒険できる物語。大人も子どもも楽しめます。全3巻の刊行が予定されていますので、2巻目が楽しみなシリーズです。

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紙の本にほんご

2005/10/18 15:12

ことばって何?

10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「ことばには いつも きもちが かくれている。」
 ことばって何?と問われた時、どう答えるだろうか。
 今の自分にぴったりの答えが、見つかった。
『にほんご』という本の中の一節だ。
「けれど きもちが あんまり はげしくなると
 ひとは それを ことばに できなくなることもある。
 わらったり ないたり、
 ひとりぼっちで だまりこんだり、
ぼうりょくを ふるったり・・・・
そんなとき、ことばは こころのおくふかく かくれてい る。」と続く。
 ことばの中に気持ち(心)が隠れていて、心の奥深くにことばが隠れているという哲学的な言葉観にはっとさせられた。
 『にほんご』は、1979年の初版から読み継がれていることばの本のベストセラー。安野光雅、大岡信、谷川俊太郎、松居直によって、自由に、独創的に構想された、文部科学省の学習指導要領にとらわれない小学校1年生の国語教科書である。

 「ことばは からだの なかから わいてくる。」と言う一節も心に響く。
 小学1年生と言えば、ことばを体系的に学び始める時期だ。初めて論理的にことばに触れる子ども達に向かって、ことばは頭ではなくて、体の中からわいてくるという。
 ことばの豊かさを求めるならば、豊かな体験を求めよというメッセージだろう。
 「にほんご」という題名でありながら、世界各地のことばを紹介している。
ことばが意味伝達、感情表出の一つの手段であることを告げながら、ナンセンスやリズム、そして、ことばあそびの大切さを伝えている。
ことばを通して人間のあり方を考えることや人間関係を築くことの大切さをさり気なく伝えている。
 また、点字の紹介も丁寧だ。
私たちが生きているのと同じようにことばも生きている。
 だから、ことばには体と心と全てをかけて向かわなくてはならない。ことばは人間が生きていく上で、とても大切なものなのだ。
 そんなことを楽しく、分かりやすく教えてくれる一冊。谷川俊太郎氏による文章も安野光雅氏による挿絵も美しい。
 小学校1年生の教科書として用いるならば、先生と生徒の関係性が大きく問われるだろう。教える側の人間性が深く問われるだろう。その問いが教える側の大人に成熟を促すのではないだろうか。
 言語教育関係者のみならず、「母語」について、「ことば」について考える時にお勧めの一冊。

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弟の戦争

2005/06/24 21:55

戦争を語ることなく、湾岸戦争の悲惨さを浮き彫りにしたユニークな物語

10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

1990年のイラク軍のクウェート侵攻に始まり、1991年初頭多国籍軍の空爆により本格化した湾岸戦争を私たちはどのように記憶しているだろうか。生々しい殺戮の現場や戦争に苦しむ人々の肉声ではなく、多国籍軍の空爆に破壊されてゆくイラク軍の戦闘機や建造物の映像、油にまみれた海鳥の映像など、テレビ放送による映像の記憶がほとんどではないだろうか。
物語はイギリスのロンドンのごく平凡な家庭に始まる。父は強くてたくましいラグビーの名選手、母は面倒見のいい州議会議員、そして、主人公のトム15歳、弟のアンディ12歳。トムは弟を「フィギス」(たよれるやつ)と呼んでいた。
フィギスは、リスの子や飢えに苦しむエチオピアの親子の写真などを見ると、とりつかれたみたいになって「助けてやってよ」と言う。遠く離れた人の心を読み取る不思議な力も持っている。兄のトムだけが、フィギスが物にとりつかれた状態を知っていた。
湾岸戦争勃発とともに、イラクの少年兵ラティーフが、フィギスの体に入りこんでしまった。いつもの夢が始まったと思い、ゲームのつもりでいたトムであったが、事態は深刻な方向に展開する。イラクの少年兵ラティーフが入り込んだフィギスは、その奇妙な行動から精神病院に入院させられることに・・・。
精神病院の病室に作った防空壕で、排泄物をもらして空襲に怯えるフィギス。火だるまの仲間を救おうとするラティーフ、焼けただれた両手を振り上げ、声を限りにアメリカ人をののしるラティーフ。フィギスの苦しみは、ラティーフの死まで続くが、精神科医のラシード先生とトムだけが、フィギスとラティーフの真相を知っており、両親は何も知らない。
兄であるトムの目を通して、弟のフィギスを襲った事件が語られてゆく。
フィギスの変わり果てた姿をどのように受け止めるかは、読者次第であるが、物語を読み終えた後、フィギスを襲った苦しみが不思議な感触をもって心に残る。
また、フィギスの担当医であったアラブ人のラシード先生の存在も忘れがたい。インテリ層に属しながら、アラブ人としての人種差別を受け、戦争の悪を知りながら、イラク人がフセインを支持することへの理解を示すラシード先生は人間の抱える矛盾を体現しているように思えた。
直接に戦争を語ることなく、フィギスがもがき苦しむ姿を通して、戦争の悲惨さを浮き彫りにしたユニークな物語。湾岸戦争という対岸の戦争を全身で受け止めたフィギスの存在を深く記憶にとどめたいと思う。

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障害の重い子ども達のことばを育むために~表情や発声、からだの動きや身振り、体調(発熱)、そして、パニックやいたずらに至るまですべてが子どもたちの全身をかけたことばなのです

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 心身に重い障害を抱えて生まれてきた子ども達は、様々な痛みや不快感に耐え、自らの生命維持のために多くのエネルギーを費やさなくてはならず、言葉を発することや書くことに多大な困難を生じます。また、ことばを発することや書くことができても、ことばをコミュニケーションの手段として用いることができないことが多いのです。
 本書は、「障害児のためのことばあそび」の実践を通して、どんなに障害が重い子でも、大人のかかわり方次第で自分の中のことばに気付いていくことができるという確信を得た小川原芳江氏や佐藤真理子氏を中心とする「あ」の会のメンバー(養護学校・小学校教師、保育士、看護師、施設職員、保護者)が、「子どもの心に添う」「子どもの表現力を育てる」というテーマで、発語が困難な状態の子どもたちのことばを生み出すための研究を重ねていた時期の実践記録です。
 特筆すべき点は、監修の谷俊治医師をはじめ執筆者全員が、文字言語や音声言語にとどまらず、表情や発声、からだの動きや身振り、そして、体調(発熱)に至るまで微細なサインを子ども達のことばとして受け止めていること、そして、五感の全てで「ことば」を発している子ども達の思いを自らの五感を総動員して受け取り、受け取った「ことば」を私たちが普通に使う「ことば」へと導いていく研究を重ねている点にあります。また、ことばは強制的に教えて言わせたとしても決してその子のものにはならず、ことばとしての意味も機能ももたず、拡がっていかない。自分から使おうという気持ちが育ってはじめて、自分のものとしてとりこみ、使えるようになるという教育観が基本にあります。
 子ども達が起こすパニックやいたずらに関しても、ことばの宝庫と見なし、より良い形のコミュニケーションへと導いていきます。子どもの心の微細なサインを見逃さないためにはどのようにしたらよいのか、また、子ども達が自分の中のことばに気付くためにはどのように子ども達を導いたらよいのか…、思い込みで子ども達の思いがわかったつもりにならないように常に問題意識を新たにしています。
 私の娘も、点頭てんかんという重い病を抱えて生まれてきました。歩くことも話すこともままならない乳幼児期の娘から声にならない思いをたくさん受け止めてきました。障害を抱えた子どもの母親として、ことばを教え込むことや障害を治すことではなく、子ども達に安心して話せる場を提供し、子ども達の思いを真剣に聞き取ろうとしてくれる指導者の存在は頼もしいものです。また、どんなに重い障害を抱えていても、子どもたちは生きていくことを楽しみたいと思っているのです。ことばの育つ土台は楽しい経験にあるという「ことばあそび」から得られた確信に深く共感を覚えます。監修の谷俊治医師のコメントにより研究への示唆と学問的意味づけがなされ、研究書としての価値が本書に付加されています。障害の重い子ども達の人間存在をかけたことばを育むために本書を執筆者の一人として推薦させていただきます。「障害児のためのことばあそび」の実践に関しては『あたしのあ あなたのア』を、家庭指導に関しては、『救いを求める子どもたち―病気・問題行動が訴えるもの―』を合わせてお薦めします。

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子どもの人生にとって、いかに本が大切な存在であるかを実証する記念碑的一冊

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 『クシュラの奇跡−140冊の絵本との日々』は、染色体の異常により複雑で重い障害を抱えたニュージーランドの女の子クシュラが生まれてから3歳9ヶ月になるまでの成長の記録とその間にクシュラが出会った140冊の絵本の物語です。腎臓や心臓、視力、身体的な発育の遅れと、生後間もなく次々と異常が発見され、絶望的な日々を送っていたクシュラとクシュラの両親に一条の光を与えたのが絵本の読み聞かせでした。昼夜分かたず眠れないクシュラを膝に抱きながら、母親が始めた絵本の読み聞かせに、クシュラは強い関心を示し、その後、医学的な診断を超えた成長を遂げることになります。
 この本の著者のドロシー・バトラーは、孫娘クシュラを通して多くのことを学び、その学んだことの意味を裏付ける勉強をするために、オークランド大学の教育心理学科に再入学し、「クシュラ、ある障害児のケース・スタディー生後三年間の日々を豊かにしたもの」と題する研究論文を書きました。書店を経営して一家の生活を支え、クシュラと本の交流を絶やさないように努めていた日々のことです。その論文が書籍化されました。
 日本で翻訳出版されたのは1984年。当時、名作絵本の手引書として、また、子どもの成長における読み聞かせの意義を伝える本として高い評価を得ました。
 私が同著と出会ったのは、生後10ヶ月の長女が点頭てんかんと診断された1986年のことでした。悲嘆にくれる日々に、同著と出会い、深い感銘を受けました。そして、何よりも、巻末のクシュラの言葉がじんと胸に沁みました。
 3歳8ヶ月になったクシュラが人形を抱きしめながら「さあこれで、ルービー・ルーにほんをよんであげれるわ。だって、このこ、つかれていて、かなしいんだから、だっこして、ミルクをのませて、ほんをよんでやらなくてはね。」と言います。
 クシュラの言葉に、「そうだ。私も疲れていて、悲しいんだから、絵本を読もう。」と思いました。自分のために読み始めた絵本でしたが、娘も興味を示すようになり、その後、絵本の読み聞かせが娘と私の生活の核となりました。娘が泣き止まない時、パニックを起こしてどうしようもない時、事あるごとに、「このこ、つかれていて、かなしいんだから、ほんをよんであげなくてはね。」というクシュラの言葉を思い出し、絵本を読んであげました。
 22年の歳月を経て普及版が出版され、当時の自分と娘の姿と重ね合わせながら、再読しました。同著の特徴は、クシュラの発達の過程や、その過程において出会った絵本の発達段階における意義が、具体的に、かつ、実証的に、著者の抑制のきいた文体によって語られている点にあると思います。
 クシュラの母親のパトリシアによる膨大な量の緻密な成長記録(メモ)と著者の学問的な学び、そして、書店経営や読書教育の実践によって生み出された同著は、子どもの人生にとって、いかに本が大切な存在であるかを、また、幼少期における絵本の読み聞かせの果たす役割がいかに大きいかを力強い言葉で実証しています。
 <普及版>の巻末には「その後のクシュラ」が収録されています。その後のクシュラやクシュラの家族の人生を知り、知的な発達を促すためや障害の克服のためという目的に限らず、よい本は、障害の有無、国籍や宗教、人種や年代の違いを超えて、その人の人生の質を高めるということを再認識させられました。

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名作における新訳の必要性 原作を超える力 ― 曽野綾子訳『幸福の王子』(バジリコ)の最後の一文に寄せて

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 小説『ドリアン・グレイの肖像』や戯曲『サロメ』で世界的に有名なイギリスの小説家、劇作家、そして、詩人でもあるオスカー・ワイルド(Oscar Wild 1854ー1900)の童話『幸福の王子』に出会ったのは、30代の初めに勤務していた女子高の速読の授業でテキストとして用いた"The Happy Prince and Other Stories"(PUFFIN CLASSICS)を通してでした。
 ワイルドは"The Happy Prince and Other Tales"と"A House of Pomegrantes"という二つの童話集を30代で出版しています。中でも『幸福の王子』は、文学史上の名作の一つとして、年齢層を問わず全世界で愛読されている作品です。2006年に"The Happy Prince"を翻訳した曽野綾子氏が『幸福の王子』(バジリコ)の「あとがき」で「近頃の人々は読書をしなくなった。もし一人の人間が生涯でたった一冊しか本を読まなくなり、それも聖書のような或いはドストエフスキーのような重く長い作品は読めないということになったら、その時、そのたった一冊に選ぶのは、私なら『幸福の王子』だ。もっともほかにも数編そうした未練を残す作品はあるが、さし当りこの作品から選ぶだろう。」(47p)とまで絶賛しています。
 曽野訳『幸福の王子』(バジリコ)に出会って以来、9編のワイルドの童話を本書(西村孝次訳)で再読し、改めてワイルドの童話がグリムやアンデルセンの影響を受けた文学性が高い作品であることを感じ、『幸福の王子』だけでなく、どの作品も物語展開や場面設定が巧みで、また、繊細で美しい表現の下に、貧しい人びとや虐げられた人びとへの同情が込められている味わいが深い作品であることを感じましたが、曽野氏ほどの価値を『幸福の王子』に見い出すことはできませんでした。

 貧しい人や苦しんでいる人のために涙を流す幸福の王子の像。
 王子の悲しみに触れて、自分の命を犠牲にしてまで、貧しい人や苦しんでいる人を助けたいという王子の思いを届ける一匹のつばめ。

 「幸福の王子」は、王子とつばめの自己犠牲的な愛と同情(コンパッション)が詩情豊かに描かれている作品ですが、宝石や花々や衣服や什器、刺繍などの美を語る言葉が際立ち、肝心な愛の本質を語る言葉の力が乏しいように感じました。ワイルドの童話との出会いが30代初めであったことや英文であったこと、ワイルドの戯曲『サロメ』や小説『ドリアン・グレイの肖像』を読んだ後の出会いであったことが影響しているのかもしれません。
 とは言え、クリスチャンである私にとっては、物語全編を通して、イエス・キリストの姿が透かし絵のように立ち上がってくることを感じ、キリスト教の思想を背景とした「幸福観」「愛」「同情」…、人間の愛を超えたキリスト教的慈愛の精神が一編の詩のように物語に“美的”に埋め込まれていることを感じます。
 ワイルドは、シリルとヴィヴィアンという二人の息子たちに語った話として童話集を発表していますが、キリスト教という宗教的背景を持たない日本の子ども達には、作品の理解が難しいのではないかと感じながら、子どもの心で読んでいたら、一体どんな感想を抱いたのだろうかと自問しています。

 曽野訳をはじめとする『幸福の王子』の新訳を数冊読み、個人的には、本書(西村訳)を名訳として好みますが、曽野訳の極めて優れている点を最後の一文に感じました。
 「ただ一行だけ私が意識的に変えたところがある。それは最終の文章で、神は天に上げられた「幸福の王子」が「ずっと私を賛美するであろう」というのが原文である。しかし聖書の世界では、天国において神を賛美するということは、必ず神とともに永遠に生きることが前提となっている。そこをはっきりさせないと、神は自分を褒めたたえてくれる人だけを天国に集めるのか、と問われてしまう。それゆえ、そこだけ本来の意味に重きをおくことにした。理解していただきたい。」(『幸福の王子』:pp. 52-53より引用)と「あとがき」にも書かれている通り、意訳がなされている点です。

 原文 "You have rightly chosen,' said God, 'for in my garden of Paradise this little bird shall sing for evermore, and in my city of gold the Happy Prince shall praise me."(p.15 "The Happy Prince and Other Stories"(PUFFIN CLASSICS))
本書(西村訳):「おまえの選択は正しかった」と神様は言われました、「天国のわたしの庭で、この小鳥が永遠に歌いつづけるようにし、わたしの黄金の町で幸福な王子がわたしを賞めたたえるようにするつもりだから」(本書 p.25)
 曽野訳:「お前はいいものを選んだ。私の天国の庭では、このつばめは永遠に歌い続けるだろうし、私の黄金の町で『幸福の王子』は、ずっと私と共にいるだろう」(『幸福の王子』p.44)

 「私の黄金の町で『幸福の王子』は、ずっと私と共にいるだろう」という最後の一文は、クリスチャンである曽野綾子氏ならではの意訳ではないでしょうか。曽野氏のキリスト教の理解が、ワイルドのそれを超えて本作品に普遍性をもたらしているように感じました。キリスト教の本質を深く理解している曽野氏とキリスト教の思想を唯美的に捉えているワイルドとの違いではないかと思います。
 曽野訳『幸福の王子』(バジリコ)は、最後の一文において原作を超える力を持つのではないかと感じます。本書(西村訳)を名訳であると認めながらも、名作には新訳が必要であることを教えてくれる貴重な一冊として曽野訳『幸福の王子』(バジリコ)を記憶に留めておきたいと思いました。

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おやすみなさいの前に・・・。

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 ペネロペは、フランス生まれのかわいい水色のコアラの女の子。
 2匹の架空の動物を主人公にした「リサとガスパール」シリーズで有名なゲオルグ・ハレンスレーベン&アン・グットマン夫妻の絵本の主人公の幼稚園児です。『うっかりペネロペ』の題名で2006年11月20日から12月29日にかけて一話5分のミニ番組としてNHK教育テレビで放送されましたので、幼い子ども達には有名なキャラクターかもしれません。
 ペネロペの絵本を一緒に読むには、わが家の子ども達はすっかり大きくなりましたので、ペネロペのことが知りたくて、一人でペネロペできるかなえほんシリーズ(8冊)やペネロペのたのしいしかけえほんシリーズ(7冊)、そして、ペネロペのおはなしえほん10巻セットを読みました。絵本の中で、明るくて、あどけなくて、うっかり屋さんのペネロペに出会って、心の中に友達が一人増えたような気分です。

 そんな明るくて、あどけないペネロペですが、ある晩、何度もこわい夢を見て目を覚ましました。ママが、やさしい声で「わるいゆめ! もう ペネロペを こわがらせないで。にどと ペネロペの まくらもとに あらわれないで。さあ これで ぐっすり ねむれるわ」と言ってくれましたが、それでも眠れません。
 そこで、パパが表紙に金の粉がついた古い本を持ってきました。パパが、その魔法の粉をほんの少し指にとって、ペネロペの鼻とおでことまぶたの上につけると、眠りについたペネロペに次から次へとすてきな夢が訪れました。さて、ペネロペが見た夢とは…。
 
 ペネロペのお友達が登場する夢もあり、花の世界や氷の世界の夢もあり…。ゲオルグ・ハレンスレーベンの力強いタッチとあたたかい色彩で夢の世界が美しく描かれています。アン・グッドマンの子どもの心を捉えた語りがやさしい日本語に翻訳されていて、読み終えたときにほんわかとあたたかな気持ちになり、何度もくり返し読みたくなる絵本です。私も小さな頃、ひどくこわい夢を見て眠れなかったことがありましたが、そんなとき、この絵本に出会っていたらなぁと思いました。
 表紙はキラキラ輝く金の粉がついた特別加工が施してあり、お話に出てくるパパの古い本の表紙と同じ。子ども達は、きっとパパが持っている本を見て、「表紙とおんなじだ!」と思い親しみを感じることでしょう。キラキラ光るパウダーの特殊印刷を保護するかのようにビニールのカバーが付けられています。絵本を創った人たちの絵本を大切に思う気持ちが伝わってきます。贈り物にも最適。おやすみなさいの前に読む絵本としてお薦めします。

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紙の本赤毛のアン

2009/03/06 15:34

マリラ世代のあなたにお薦め!西田佳子訳『赤毛のアン』

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 モンゴメリによって『赤毛のアン』の物語が誕生したのは1908年、今年でちょうど100年目を迎える。
 物語の舞台は、美しい自然に囲まれたカナダのプリンスエドワード島。赤毛でそばかすの女の子アンがマシューとマリラ兄妹に孤児院から手違いで引き取られることに始まり、さまざまなハプニングをとおして少女から大人の女性に成長していく物語だ。

 日本で初めてアンの物語を翻訳した村岡花子氏の『赤毛のアン誕生100
年BOX 10巻セット』も発売され、アンは今も読者を魅了してやまない。私もアンに魅了された一人だ。村岡訳のアンのシリーズを30数年前、中学生だった頃、夢中になって読んだ。物語誕生100年という記念の年に再びアンに会いたくなった。そして、本書(西田佳子訳)を紐解いてみた。

 西田訳は、2000年11月にカナダのTundra Booksより出版された"Anne of Green Gables"を原書とし、1908年にボストンとロンドンの出版社より発行された初版原稿をそのまま用いたテキストに、著者モンゴメリの孫にあたるケイト・マクドナルド・バトラーによるエッセイとカナダ在住のローラ・フェルナンデスとリック・ジェイコプソン夫妻による美しいカラーのイラストが添えられている。

 主人公のアンをはじめ、寡黙で誠実なマシュー、完璧に家事をこなしぶっきらぼうだけど愛情深いマリラ、真面目でやさしいアンの親友ダイアナ、優秀だけどやんちゃなギルバート・・・なつかしい登場人物に次々と再会することができ、そして、プリンスエドワード島の美しい風景、アンの家のキッチンや部屋・・・少女の頃の記憶がまざまざと蘇ってくるようだった。

 かつての記憶を辿っているようであり、何かが違うと感じ始め、ふと気づいたことがある。かつての私は、勝気で、おてんば、正直者でおっちょこちょい、そして、何よりも想像力豊かなアンの気持ちにそって物語を読み進めていたが、今の私はマリラの気持ちに深く共感しながら物語を読んでいる。
 記憶の中のマリラはもっと気難しく、アンに手厳しかったような気がするが、西田訳を読み、マリラのことが愛おしく感じられた。そして、時おり、想像の翼を大きくはばたかせるアンにマリラと同様の疲れを感じることもあった。
 今の私はアンよりマリラに親近感を感じているのだ。少女から大人の女性へと成長していくアンの姿がかつては輝かしく思えたが、今は、アンと出会って、本当の自分の気持ちに気づき、建前ではなく本音を大切にするようになっていくマリラの姿に人間の成熟のすばらしさを感じている。

 西田訳の他では、松本侑子訳、掛川恭子訳が読者の人気を得ているが、モンゴメリの孫のケイト・マクドナルド・バトラーが「あとがきにかえて」に「『赤毛のアン』の魅力、その秘密を解き明かすための最後のヒントは、物語の終盤にある。文学史上屈指の愛の告白ともいうべき、マリラのセリフだ。」と書いているように、西田訳の特徴は、マリラの言葉を原文に忠実に訳したことにあるのではないだろうか。

 持ち前の豊かな想像力で、どんなときも明るく前向きで、常に人を信じ愛する心を失わないアンの魅力はどの訳を読んでも変わらない。しかし、マリラ世代のあなたへは西田佳子訳がお薦め。
 『赤毛のアン』の物語を、少女期の自分と壮年期の自分、過去と現在の記憶を重ねつつ、アンの成長とマリラの成熟を重層的に味わうことができるカラー完訳愛蔵版である。

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紙の本愛の試み 改版

2009/02/21 19:30

愛と孤独に対する深い洞察に満ちた恋愛論の名著

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『愛の試み』は福永武彦氏(小説家・詩人)が説く恋愛論。
「夜われ床にありて我心の愛する者をたづねしが尋ねたれども得ず。」
 冒頭に雅歌の第三章を引用して、人間の持つ根源的な孤独の状態を簡潔に表現していると説き、この孤独はしかし、単なる消極的な、非活動的な、内に鎖された孤独ではない。「我心の愛する者をたづねしが」―そこに自己の孤独を豊かにするための試み、愛の試みがあると説く。
 
 スタンダールの恋愛論の結晶作用と融晶作用、愛につきもののエゴ、嫉妬、憐憫、自己犠牲、愛と理解の違い、愛することと愛されることの隔たりや人間の愛の限界について語りつつ、恋愛と孤独を対立させることなく相補的に説きつつ、その論が観念的に終始しないように「釣のあと」「花火」「細い肩」「女優」「盲点」「音楽会」「雪の浅間」「歳月」「砂浜にて」と題する9つの掌編を関連する章の後に挿入している。
 著者の恋愛論の実践編とも思える9つの掌編は文学性も高く、著者の論の理解を促す作品であった。いずれも一筋縄ではいかない男女の心の機微が巧みに描き出されている。現実の恋愛も孤独も不完全であることを認めた上で展開される著者の恋愛論には説得力が感じられた。本書は薄っぺらな恋愛の指南書ではない。
 
 「自己の孤独を恐れるあまり、愛がこの孤独をなだめ、酔わせ、遂にはそれを殺してしまうように錯覚する。しかし、どんなに燃え上がろうとも、彼が死ぬ以外に、自己の孤独を殺す方法はない。」と説く著者の言葉に愛することをひるむ読者もいるであろう。しかし、人間が根源的に孤独な存在であるとすれば、愛することを試みた以上、苦しみから逃れることは出来ないのではないだろうか。著者の言葉に愛することへの覚悟を促された。脆弱な孤独からは豊かな愛は育たないのだ。

 「愛は持続すべきものである。それは火花のように燃え上がり冷たい燠となって死んだ愛に較べれば、詩的な美しさに於て劣るかもしれぬ。しかし節度のある持続は、実は急速な燃焼よりも遥かに美しいのだ。それが人生の智慧といったものなのだ。しかも時間、この恐るべき悪魔は、最も清純な、最も熱烈な愛をも、いつしか次第に蝕んで行くだろう。従って熱狂と理智とを、愛と孤独とを、少しも衰えさせずに長い間保って行くことには、非常な努力が要るだろう。常に酔いながら尚醒めていること、夢中でありながら理性を喪わないこと、イデアの世界に飛翔しながら地上を見詰めていること、―愛における試みとはそうしたものである。その試みは決してた易くはないが、愛はそれを要求する。」
 新約聖書のコリント人への第一の手紙十三章(愛の章)を彷彿させる著者の言葉にその恋愛観が凝縮されているように思えた。愛と孤独に対する深い洞察に満ちた恋愛論の名著として蔵書にしたい一冊。

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憲法読本 第3版

2005/05/20 14:45

日本の新時代へ向けて、今ある憲法を正しく知るためにお勧めの一冊

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本書は、1981年9月に初版が出されて以来、憲法の入門書として、中高生や多くの大人の間で読み継がれて来た『憲法読本』の第三版です。
本書では、世界史における立憲政治の歩みに始まり、日本における立憲政治の始まり、明治憲法のしくみや運用、日本国憲法の制定、しくみや運用が筋道を立てて、分かりやすく語られています。
本書の特徴として、単なる憲法のしくみや運用の説明にとどまらず、国民生活における意義が随所に語られていますので、身近な視点から憲法を感じることができます。
「国民が平和主義、基本的人権の尊重、国民主権の憲法の歴史的意味を理解したうえで身につけること、それこそが日本の市民革命です。そして、国民が憲法の完全実施を求めるとき、はじめて、日本の新時代が始まることになるはずです。」と本書末尾の著者の提言を真摯に受け止めました。
平和主義、基本的人権の尊重、国民主権は、人間の歴史の中で、多くの血が流されて勝ち得たものですが、わが国では、戦後の短い期間、外圧的な力によって半ば強制的に与えられました。自ら勝ち得たものではないだけに、その恩恵にあずかりながらも、その有り難さを十分に感じているとは思えません。
解釈憲法の政治のなすがままに、平和主義が形骸化し、不況による財政破綻で「人間らしい生活の保障」が危うくなっている現実があります。また、改憲が声高に叫ばれる今、国の最高法規である憲法が激動の時期を迎えています。
国の政治の直接の責任者である政治家や公務員だけでなく、主権者である私たち国民の一人一人が憲法の原理や原則、そして、その意義を理解すべき時が差し迫っているのではないでしょうか。今ある憲法を正しく知るためにお勧めの一冊です。

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