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パティロさんのレビュー一覧

投稿者:パティロ

15 件中 1 件~ 15 件を表示

真の自由を求めて生きた男の話

6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。


新刊案内で田川建三著『イエスという男』を見つけたとき、胸がどきっとしてしまった。自分の今までの未熟な人生を振り返っても、その節目節目に大切な役割を果たしてくれた本たちがいる。そして今、とても大切に思っている本がこの本なのだ。増補改訂版ということなので、私が読んだ初版本とは違うけれど、ずうずうしくもこの文を書きたくて書いている。

これは、イエスの生き方に込められた著者自身の生き方、思想の本だ。

著者が求めるものは、人間の真の解放・自由なのだろう。
著者はイエスを、同じく真の自由を求めたゆえに、しかも過激に求めたゆえに、殺された男だと、共感している。

何にも属さない、もしどうしても属さなければならないとしたら、強い者たちの側ではなく弱いものの側を選びたいというイエスの生き方が、「虐げられているものが救われるのだ」という虐げる側に都合のいい言葉にすりかえられる。そういうやり方で、死後のイエスが強者にたくみに呑み込まれていることを、著者は繰り返し批判している。

>人は自分が理論的に理解しえないことも、実践的にはなしうる。

なるほど、理論というものは、私たちの“生”という実践のあとを、ひいひい言いながらようやくくっついていっているだけなのだろう。

>人間の解放というようなことが言い得るとするならば、誰に強制されるのでもなく、それぞれがおのれのうちにあるある種の残酷さを克服していかなければならぬ。

そしてこの言葉は、私を戒める。

今の私には、こういう読み方が精一杯だけど、本書のこのふたつの文章を、絶対忘れることはないと思う。

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私たちの存在そのものを通して現れてくる瞬間

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 日本を離れて20年近く経つ。今はインターネットがあるから、それが私の図書館だけど、ネットをつなぐ前は、本当に活字に飢えていた。機会があって新聞などが手に入ると、それこそ必死で読み、気になるところは切り抜いたりしていた。今も大切にしているその頃の切抜きの中で一番登場するのが、この本の著者、森岡正博さんだ。その生き方に何か自分と共通するものを感じて嬉しかったから。

 ネットをつないで、森岡氏の生命学ホームページにたどり着いた時、やはり思ったとおりだと共感を新たにした。そして、縁あって『生命学に何ができるか』を手にすることができ読み終えたときには、氏の提唱する“生命学”のおかげで、目の前に大きく何かが開けた気持ちになった。
 本書、読みはじめからおもしろくてぐんぐん引き込まれるけれど、私が一番感動したのは、第四章田中美津論“とりみだしと出会いの生命思想”だ。
 「たてまえ」と「本音」の間の矛盾に気づき、おろおろする。このみっともない“とりみだし”のただ中に、その人間の真の姿が立ち現れる。とりみだす自分の存在そのものが語るものに直面する時に、人は自身の深いところを見つめることができるし、また、他者ともつながっていける…。
 これを読んだとき私は、以前何かの本で読んだ、アフリカのどこかの人々の神について書かれていた一節を思い出した。昇る太陽を見て一人のアフリカ人が、
「ああ、神だ。」と言う。それを聞いた外国人が、「太陽が君たちの神なのか。」
とたずねると、彼はしばらく考えて答える。「太陽が神なのではない。そうではなくて、太陽の昇るその瞬間が神なのだ。」

 思想にしろ、信仰にしろ、私たちをがんじがらめに縛るものではなく、私たちを導くものでなくてはならない。でも何処へ? “本物”の思想、あるいは信仰というものは、私たちの存在そのものを通して現れてくる瞬間、現在、行為、すなわち私たち自身へと導いてくれるものなのだろう。私たちが探し求めているものは、探し求める先にあるものではないのだ。

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紙の本神様

2004/09/03 17:28

私も妖怪や幽霊に会いたい

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ふわっと気持ちのいい読後感を味わった。川上弘美という作家は、霊媒体質なのかもしれない。素晴らしい想像力で異界を描いたというんじゃなくて、体験したことをさらっと語っている感じが、自然で、とても心地いい。

「わたし」は一人暮らしの女性、その彼女が妖怪や幽霊と出くわすのだけど、「わたし」は大騒ぎなどしない、だからといって、まったくの平ちゃらというわけでもなく、ちょっととまどったり、少しこわがったりするので、親しみを感じる。それに、たとえば、「離さない」で「わたし」がエノモトさんと人魚について話すところ、

人魚と言いかけたがやめにして、このひと、とわたしは言いなおした。人魚が人語を解するかどうかはわからなかったが、自分が人間以外のものに「人間」と呼び捨てにされたら気分が悪かろうと思ったからである。「このひと」という指示が適切であるかどうかは難しいところだが。

「わたし」はこうやって、でくわした妖怪や幽霊の気分をいつも思いやるのだった。何もきめつけようとしないソフトさと、ぴぴっと感じたものを大切にする素直さ、川上弘美さんの描く「わたし」は、かわいらしくてやさしくて、とてもいい。こういう風だから、不思議な生き物たちに慕われるのだろう、と、ものすごく納得がいく。そして、いいなあ…と、そんな「わたし」に、私はちょっとヤキモチを抱いたりしてしまう。

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懐かしい村の郵便やさん

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

作者のガブリエル・ヴァンサンは、1928年にブリュッセルで生まれ、ブリュッセル王立美術アカデミーで学んだ画家だ。2000年に惜しまれつつ亡くなるまで、24冊にものぼるクマのエルネストとネズミのセレスティーヌを主人公にしたシリーズの他にも、多くの絵本が出版されている。彼女の人柄を想像させられる、繊細でやさしいタッチの絵本は、世界中で高い評価をうけているそうだ。

彼女は、自分の制作する絵本は、自らの思い出にもとづいているのだと語っていたそうだ。自分が生きた思い出はひとつのスペクタクルで、自分自身がそれをながめる観客として描いているのだと。子供たちのために絵本を描くのはもちろん大好きだけど、自分は本来画家なのだとも語っていたらしい。

その彼女の『おてがみです』を読むと、以前6年間ほど暮らした村の、お隣に住んでいたジョゼフと、郵便やさんのダニエルを思い出す。

ほとんど起伏のない平べったい土地、ネーデルランドの村はまさしくこの絵本そのままの風景。ただ道路がアスファルトに舗装され、自動車がいっぱい走っている今、雰囲気はずいぶんと違っている。でも、一番変わってしまったのが、人びとの生活のリズムなのだろう。

ところがダニエルの仕事ぶりはこの絵本のままだった。
朝の7時に郵便局から自転車で出発しても、ほんの2キロメートルくらいしか離れていない我が家までたどり着く時は、もう正午。途中で振舞われるビールのせいで、いつも酔っ払って真っ赤な顔をしていた。
とくにお気に入りが当時80歳くらいのジョゼフの家で、一杯やりながら世間話をするのだった。

一昔前、郵便やさんはこうやって村人の生活の一部で、お年寄りのために薬局で薬を買ってきてあげたり、年金を配達したり、ちょっとしたソーシャル・ワーカーとしての役割も果たしていたのだった。

ダニエルが定年で仕事を終え、若い郵便やさんに交替してからは、郵便物の届く時間がうんと早くなった。でもジョゼフは、「まったく、若いもんは郵便をポンと郵便受けに投げ入れるだけなんだから…」と、ぶつぶつ文句を言っていた。

義父が亡くなり、この絵本作家とほとんど同じ年の義母と暮らすために今の家に引っ越したが、義父の持ち物の整理をしていて見たセピア色の写真は、この絵本そのもの。そしてつい最近、風のたよりに、ジョゼフが自分のうちの庭で、心臓発作で亡くなったことを知ったのだった…。

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紙の本わたし

2004/05/14 19:27

わたしって誰?哲学する絵本

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谷川俊太郎さんの文に長新太さんの絵、すっきりかわいい絵本『わたし』は、奥の深い哲学書だ。

5歳の女の子、みちこちゃんが、“わたし”って誰かという自分自身の問いに答えていく。そうやって、他者によって浮かび上がってくる“わたし”。

そこで私もみちこちゃんのまねをして、ちょっと自問自答してみたりする。

うちの子供たちからみると、ママ。
子供たちのパパからみると、口うるさい古女房。
おばあちゃんからみたら、義理のむすめ。
お隣のRさんからみると、Dさんちのお嫁さん。

ふむふむ…。

宇宙人からみたら、地球人。
これはみちこちゃんと同じ“わたし”。
でも、いろんな人たちが集まっている私の住む国では、日本人の“わたし”は外国人じゃない。

ふたたび、ふむふむ…。

日本の外に住んでいる日本人で、日本語教師をしている人は多いと思うが、私はこの本を授業に使っているという方を知っている。なるほど、他の言語の中で、“わたし”という日本語にあたる一言を探すのも難しいだろうな。

もう一回、ふむふむ…。

ところで、長新太さんの描くみちこちゃんのまわりの人々、何にも言わなくとも、その表情でキャラクターがよくわかって楽しい。とくにおかあさんとおとうさん、なかなかいいと思う。

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紙の本安楽死のできる国

2004/04/26 20:37

生と死を考えること

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生命倫理を専門とする方から、新潮新書『安楽死のできる国』を薦められた。とても良い本だからといろんな人に薦めているとのことだったが、同時に、この本のテーマである安楽死のできる国オランダの隣国、ベルギーに暮らす私が、近くにいる者としてどう感じるか、そのことにも関心があってのことだった。

本書の第10章には、ベルギーの事例も報告されている。このロランさんの事例が毎日メディアをにぎわせていた頃、たまたま私は、彼のいる施設から徒歩10分ほどのところにある農家の片隅で暮らしていた。でも、法律が定められた今、身近に安楽死をテーマとする話題は、ほとんどなくなってしまった。

この本を読むと、安楽死に関する基本的知識が得ることができる。さらに感心するのは、ネーデルランドと呼ばれるヨーロッパのこの地域について、歴史的背景とそこに住む人々の気質が、とてもよく把握されているということだ。また、オランダ人の生き方・考え方に深い尊敬を表明しつつも、それを絶対視しない書き方に、深い共感をおぼえる。

第9章の最後に、
「人は一人で神に向き合わなければならない。家族や友人から離れて、たった一人で死までの道のりを歩いて行かなければならない。こんな孤独な死生観が、安楽死容認の社会の根底に流れている。」
と述べられている。

死とは何か、意味のある人生とは何か、命とはなにか…、死も人生も命も、「ほら、これだよ」と、取り出して見ることができないものである以上、安楽死も、行き着くところは哲学のテーマなのだ。

安楽死、こういうテーマについて話し合うためには、まず私たちひとりひとりが、生と死を自分自身の問題として自分の手に取り戻さなければいけないと、そう考えさせられる一冊だと思う。

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紙の本ロメオとジュリエット

2004/09/16 18:26

ユーモアとは…

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山のように大きな象ロメオ、彼の唯一の悩みは、たいへんな恥ずかしがりやということ、頭のてっぺんから足の先まで、すぐ真っ赤になってしまうので、みんなから“トマト”と呼ばれ、川を泳ぐ魚からまでからかわれてしまう。

我が家の3人娘の真ん中も、ロメオと同じくたいへんな照れ屋さんで、ちょっとのことですぐ真っ赤になる。しかも色が白いので目立つし、ますます赤くなる。そういうわけで、彼女もうちで“トマト”と呼ばれている。

人はたいてい、名前が同じだったり、誕生日が同じだったり、自分と共通点のある他人に対して親しみを感じるそうだが、象のロメオと彼の一番の友達になるネズミのジュリエットの絵本を手に取ったのも、“トマト”という共通点からくる親しみから。

そうやって、この絵本の作者マリオ・ラモを知り、他の作品も読んだ。10まで数える絵本“ママ!”や、黄色の色調がすてきな“小さな王様、ヌノ”など。かわいくて明るい絵と、思わず笑ってしまうユーモアが魅力だ。彼のオフィシャル・サイト
http://www.marioramos.be
を開くと、彼自身が自らの生い立ちを少し語っている。名前から、もとはスペイン人かしら…と思っていたが、どうやらポルトガルの人らしい。子供のときの思い出として、バカンスのたびに、おばあちゃんの住む太陽いっぱいのポルトガルを訪ねていたことを挙げている。小さい頃から、他の子供たち同様、お絵かきが大好きで、大人になった今もそれを続けているのだと語っている。テレビのない子供時代、チャップリンの映画などを映画館で観ては、うちに戻ってから、その話をシンプルな絵に描いて再現するのが喜びだったそうだ。絵本作家としては、トミ・ウンゲラーなどの影響を強く受けたらしい。

彼の語りにはユーモアたっぷりだが、どこかの哲学者か詩人の言葉だろう、 L’humour est la politesse du desespoir(desespoirの最初のeにはアクサンテギュがついている) という文が引用されている。なんだかいろんな解釈ができそうな言葉だ。絶望がもたらす、狂気や残酷さとは異なる、エレガントな側面がユーモアということか…。

もしかしたら、この作家のご両親、ポルトガルからベルギーへ出てきて、たいへんな苦労をされたのかもしれない。

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ヴェネツィアの宿

2004/07/19 15:37

潔き人、須賀敦子さんと出会う

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旅をするとき、地理に心惹かれる人と、人に心惹かれる人と、ふたつに分かれると、どこかで読んだ気がする。須賀さんは後者だろう。私もそうだ。もしかしたら、大変な方向音痴だからかもしれないけれど、自分が地図上のどこにいるということより、自分が今見て、触れて、立っているところに、長い歴史の中で、いろんな人が、やはり見て、触れて、立っていたことがあるのだと実感したときに、とても不思議な感動をおぼえる。

まったく、いろんなところに、人は生きている。

須賀さんは、越境しつつ出会った人々の人生を描く。ご自身の家族、友人、通りすがりの人々を、記憶の中から探り出し、彼らの人生を、深い共感をもって、とても美しい文章で確認していく。登場人物の人生が、リアリティをもって迫ってくるから、読んでいる私は感動する。

そうやって記憶の中から人々を掘り起こしていけるのは、須賀さんが、たとえばヴェネツィアの石の橋を渡るときの、自らの靴のかかとの感触や音すら、ないがしろすることがない人だからだ。出会った人々の、表情や歩き方や言葉を、しっかりと意識し受けとめている。須賀さん自身の人生の密度に、感嘆しないでいられない。

「ミラノなんて、おまえは遠いところにばかり、ひとりで行ってしまう」

『ヴェネツィアの宿』に収められている『旅のむこう』は、須賀さんのお母さんのこの一言でしめくくられている。私の母も、ある日まったく同じことを私に言ったのだった。遠いところにばかり、ひとりで行ってしまう、と。旅立つ者は、旅立つ先を見つめている。これからが見えない不安はあっても、好奇心いっぱいで、期待の方がそれに勝ってしまう。残る者にとっては、なんとも残酷なことだ。

そういう部分で、不遜にも、私自身を須賀さんに重ねたりするのだけど、須賀さんの力強さを感じる部分には、須賀さんと同じ世代の私の母を重ねてしまう。戦争を体験し、長崎で原爆を体験した母は、いつも私たち子供に、「体制の言うなりになってはいけない」「結婚しなくとも、ひとりで生きていける女性になりなさい」と言い続けていたし、私たちが親になってからは、「政治にでもなんでも、いつも疑問をもちながら、自分の子供を守りなさい」とも言っていた。

関川夏央さんによる解説「彼女の、意思的なあの靴音」に、朝日新聞の書評委員会で同席していた須賀さんが、帰りにひとりひとりに出されるハイヤーに乗るのを嫌がり、「ああいうものに平気で乗るセンスとずっと戦ってきたのよね」と、気負いなくさらっと言った思い出を語っている。

須賀敦子という人は、やさしく繊細で、そして強い人なのだ。精神の奥底にある「自分のカード」を、最後までけっしてごまかさないで、潔く生きた人だ。

須賀さんの著作に出会えて、私はとても嬉しい。

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カルヴィン&ホッブス

2004/07/01 14:46

たまらないかわいらしさ、そしてリアルなおかしさ

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カルヴィンは6歳。学校が大嫌い、お風呂が大嫌い、茄子が大嫌い。
おとなりのスージーにいたずらばかりするのは、きっとスージーが好きだからね。
恐竜が大好きで自分自身が恐竜になっちゃうし、雪だるま作りの天才だったりもする。元気いっぱいの男の子。

カルヴィンといつも行動をともにするホッブスは、他に誰かがいるときは、いわゆるセイフティ・ブランケットの役割をになったトラのぬいぐるみで、カルヴィンといるときだけ、気をつけないとカルヴィンすら襲っちゃう本物のトラになるのだった。
ツナ缶が大好物。ホッブスの動きをみてると、このマンガの作者がネコ族が大好きなのがわかってしまう。そうそう、うちのネコにそっくりだわと、ネコ好きにはたまらないかわいらしさだ。

カルヴィンの考えること・すること、どれもリアルで共感してしまうし、笑ってしまう。なかなかの哲学者でもある。
そして、彼の表情、たまらなくおかしい。


仏語版はもう24巻出てます。我が家の人気者。
読後感はればれ、なんとなく気持ちが明るくなります。
おすすめです。

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ミリー、永遠の生としての死を描く物語

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子供たちが成長した今でも、大切にしている絵本がある。中でも、グレゴワール・ソロタレフ、クロード・ポンティ、モーリス・センダックたちの絵本は、本棚からとり出しては、ついつい眺めてしまうとても美しい本だ。

モーリス・センダックの『ミリー』は、1816年に、グリム兄弟の弟の方、ヴィルヘルムが、母親を亡くしたミリーという少女にあてた手紙にそえられていた物語で、1983年、それが出版社の手にわたり、初めて世の中に知られることになったのだという。センダックは、この絵本を5年がかりで仕上げたそうだが、その間完全にヴィルヘルムになりきったと断言できる、と語ったそうだ。

私は、2年前に母を亡くして以来、この美しい本を開くことができなくなってしまった。前書きにあたるヴィルヘルムがミリーに宛てて書いた手紙を読んだだけで、泣きそうになって、とてもページをめくることなどできなくなったのだ。

でも、数日前、久しぶりに最後まで読み通した。

夫を亡くした女性が、ひとり娘と貧しくとも静かで幸せな生活をしている。ところが、戦争が起こり、彼女たちのところにも戦火が迫ってくる。女性は、少女をいくさから守るため、天使と神の守護を信じて、深い森へと少女を送り込む。
たったひとり、暗く深い森へと入っていく少女は、心細い思いをしながらも神に祈り、幼子イエスを守った聖人ヨハネに出会い、少女にそっくりな天使にも出会う。こうして3日間森で過ごした少女は、母の元に戻るが、この3日はじつは30年、いくさはずっと昔に終わり、少女との再会を待ち望んでいた母親は年老いてしまっている。
ふたりは喜びに満ちた1日をともに過ごした後、一緒に眠るように死んでしまう。

少女にそっくりな天使は、少女自身の魂か、母親の魂か、母親の少女への愛か…。私にとっては、私の母であり、私の子供たちであり、私自身でもある。きっと、私の知らないどこかの「あなた」でもあるにちがいない。だから、読んでいて、哀しみに胸がつぶれそうになる。

牛たちがのどかに草を食む広大な牧草地や小麦畑、パッチワークのようなヨーロッパの風景。でもずっと昔、こうやって人間が大地を開く前は、暗くて深い森ばかりが続いていたのだ。そこには、私たちおなじみのグリム童話に登場する子供たちのように、妖精や魔女たちに出会える場所があって、永遠の生としての死者たちが存在していたのだろう。


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紙の本月と少年 日本語版

2004/04/30 21:16

深い深い夜の青空で、白く輝くお月さまのお話

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私には三人の娘がいて、それぞれにマヤ文明の神様の名前をつけました。長女が太陽神、次女が月の神、三女が金星の神。それで、天体の話や絵本などに、どうしても心惹かれますが、子供のための絵本には、圧倒的にお月さまのお話が多いような気がします。まだ若い絵本作家、エリック・ピュイバレの『月と少年』も、お月さまのお話。原題は『カッシュ・リュンヌ』、“月かくし”という意味です。

深い深い群青色の空に白く光り輝く月、その月に毎日布をかぶせて、月の満ち欠けを調節する仕事が“月かくし”です。これは、毎日の夜空を美しくするのみでなく、私たちの生活のリズムに係わる、難しくてとても大切な仕事です。たくさんのエネルギー、器用さ、そしてノウハウを要求されますから、宇宙学校で勉強して、卒業証書をもらった人にしかできないのでした。

ザモレオンは、もうずっと昔から、月かくしの仕事をこなしていて、もうくたくた、なにせ満月の夜しか休めないのですから。役目を代わってくれる人が必要です。

そしてその頃、地上の宇宙学校では、少年ティモレオンが、難しい月かくしの試験にパスして喜んでいました。先生たちも、優秀な彼に鼻高々です。

さあ、もう疲れきっているザモレオンと、すぐに代わってあげなければいけません。先生は、少年が月まで飛んでいけるように、身体が軽くなる錠剤をあげます。でも、その錠剤、ひとつしかないので失くしたらおしまい…。

さあ、ここまで読むと、ああ…失くしちゃうんだ…と心配になりますね。

そうなんです。でもどうしても月へ行かないといけない。

通りがかりのみんなが、それぞれ手伝います。新聞配達の少年は新聞を使って、おもちゃやさんはおもちゃを使って、鳥つかいは鳥を使って…、でもどれもうまくいかない。みんな一緒にどうしようかと思案します。満月の夜だけになったらたいへんですから。

そして、小さな女の子の提案で、みんなで力を合わせて、ティモレオンを月に送り届けることに成功するのでした。

でも、みんなで力をあわせれば…なんて、教訓のお話にしないでください。
そうじゃなくて、毎日、深い夜の空で月の輝きを調節している月かくしに思いを馳せてください。ピュイバレの描く夜空の青は、とてもきれいな青です。

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さびしがりやのソロタレフ

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 グレゴワール・ソロタレフは私の大・大・大好きな絵本作家、レバノン人の医師を父親に、ロシア人のイラストレーターを母に、エジプトで生まれフランスで育った人だ。彼自身はまず医者になり、のちに自分の息子のために絵本を書き上げたことをきっかけに、絵本作家になってしまった。

 彼の絵本に登場するものたちは、みんなさびしがりやで愛をさがしている。そして、ひとりぼっちが辛いくせに、ひとりぼっちにむきあっている。
 その孤独とのむきあい方が、なんとも懐かしくて、いとおしい。自分にもおぼえがあるから…。
 ソルタレフは、子供のときに抱いたいろんな疑問に、適当に折り合いをつけたりしないで生きてきた人なのだろう。
 彼の描くウサギやオオカミやクマや怪物たちは、かわいらしくてユーモラスというだけじゃなく、彼の持つ繊細さをもしっかり伝えてくれる。

 パパとママをなくした小象が、百獣の王ライオンの後についていき、ライオンの王宮にやってくるところから、『きみはおおきくてぼくはちいさい』のお話は始まる。
 根は意地悪じゃないライオンは、のこのこくっついてきた小象を最初は冷たくあしらったものの、結局王宮に入れてあげる。そして、お母さん象が歌ってくれていた子守歌を上手に歌える以外は読み書きも何もできない小象に、いろんなことを教えてあげるのだった。王宮の他のものたちがいないところでは、小象のために“お馬さん”になってあげたりさえする。お互いなくてはならない存在になるものの、いつか小象はライオンよりずっと大きく成長して…。

 これは、ひとりぼっちのライオンとひとりぼっちの小象の、愛のお話。

 ソロタレフの絵本は、けっして子供たちだけのものではありません。

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紙の本ワニのアリステール 日本語版

2004/04/14 03:37

思わず笑っちゃうヴィヴィッドな絵本

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 なんでもかんでもみどり色の国で生まれたアリステールは、ウラもオモテも全部みどり色のみどりワニ。だけど、まんまるな目だけはヴァーミリオン。どうしてヴァーミリオンかというと、まるい(ロン)まぶた(ロルニョン)の下にあるから。
 こうやって韻をふむフローランス・グラジアのリズミカルな語りに、イザベル・シャルリーのユーモラスでヴィヴィッドなイラストがピリリときいて、思わず笑ってしまう絵本なのです。

 誤って古い鉄製のベンチにくいついてしまったアリステール、自慢の歯がボロボロになってしまい、みどりの国のワニたちの笑いものになってしまいます。
 その危機を救ってくれるのが、ねずみのルーシー。ヨーロッパの私たちが暮らすあたりでは、子供たちは乳歯が抜けると、その歯を枕の下に入れて寝ます。というのも、夜のうちにねずみがその歯を集めにやってきて、かわりにコインを置いていってくれるからです。うちの子供たちの乳歯が抜けたときも、今でいうなら50ユーロセントにあたるコインを置いていってくれていました。
 そのときのねずみがルーシーだったかはわからないけど、そういうわけで、ねずみのルーシーは山ほど乳歯を持っていて、アリステールに新しい歯を作ってあげるのです。
 そして、乳歯のはえた世にもめずらしいアリステールは、世界の大スターになっちゃいます。
 
 得意顔のアリステールがなんともおかしくて…。
 
 この絵本を読むと、子供たち、ガンガン元気になりそうです。

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違っているところが同じなふたり

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色ちがいのそっくりさん、リサとガスパー。

白くて赤いマフラーをしているのがリサ、黒くて青いマフラーをしているのがガスパーなのだけど、本当は、青いマフラーがリサの、赤いマフラーがガスパーのものだったのを交換して、“秘密のマフラーきょうだい”になったのだった。
これは、『リサとガスパーのであい』を読むとわかる。

とてもかわいらしいので、なんだかんだと解釈したくはないけれど、とにかくこのふたり、みんなと違うところが同じなのだ。

さて、このふたりの“たいくつないちにち”。

ふたりは、リサのパパとママと一緒に、リサのおばあちゃんのところでバカンスを過ごしている。風景や家の雰囲気からみて、どうやらそこはプロヴァンス。

その日は雨が降りつづき、ちっとも外で遊べないふたりはたいくつでしょうがない。
そこでケーキづくりを始めたのだけど、おばあちゃんが「オー・ラ・ラ・ラ・ラ!!」と大あわて。
仕方がないので部屋でお化け屋敷を作り始めるのだけど、今度はママがびっくり大さわぎ。
それならば、と家の中でテニスを始めようとして、今度はパパに叱られてしまう。
「パズルでもして遊べばいいのに・・・。」というパパの提案でパズルを始めたのはいいけれど・・・。

子供たち、おりこうさんで一緒に静かに遊んでいるときが一番くせものなんですよね。

そして、そうこうしているうちに雨が上がったのでした。
よかったね、おばあちゃん。

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やさしくて哀しい童話

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私の14歳になる長女はたいへんな読書家だ。その彼女がとてもいいと褒めていたので、エリック=エマニュエル・シュミットの “Oscar et la dame rose” を読んだ。フランス語圏では演劇の分野でもとてもよく知られているこの作家、日本でもう紹介されているのかしらと興味をおぼえ、ネットで調べてみた。なにせ、日本を離れてずいぶんと年月が経ち、わからないことも多い。そして、この本が『神様とお話しした12通の手紙』という題名で、すでに出版されていることを知って嬉しくなった。

 オスカルは10歳の男の子。白血病で入院している。骨髄移植も受け、化学療法も受けたけれど、回復の見込みはない。この男の子の最後の12日間の物語。オスカルがこの12日間に、神様あてに書いた手紙という形式をとっている。
 同じ小児科病棟に入院している他の子供たちの描写もとてもユニークで、ユーモアに満ちている。大やけどで皮膚移植の手術を受けたベーコン、水頭症のアインシュタイン、9歳なのに体重が90キロもあるポップコーン、オスカルと相思相愛の女の子、肺の病気のせいで蒼白いペギー・ブルー・・・。
  彼が最後の日々を、とても素晴らしいものにすることができるのは、とてもユニークなマミー・ローズのおかげだ。小児科病棟の子供たちの話し相手をする婦人たちは、ピンク色の服をきているらしい(ここでroseはピンク色のこと)。オスカルの入院する病院で働くそういった女性たちの中で、一番高齢なのがマミー・ローズ。神様への手紙を書いてみてはどうかとすすめるのが彼女だ。オスカルの両親も、医者も、看護士たちも、回復の見込みのないオスカルの病気に押し潰され暗い顔をしている中で、マミー・ローズだけが、オスカル自身の一部であるオスカルの病気を怖がらず、100%のオスカルと 、素晴らしい友情を築きあげる。そして彼女自身、オスカルから生きる勇気を学ぶ。

 やさしくて、おかしくて、かわいらしくて、そしてかなしい。

 わずか12日間の手紙なので、少しの時間で読めてしまう。何回も読み返し、味わいたくなる、とてもいい本だ。大人の人にも、子供たちにも、ぜひ手にとってもらいたい本だと思う。

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