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  3. 中乃造さんのレビュー一覧

中乃造さんのレビュー一覧

投稿者:中乃造

27 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本〈新釈〉走れメロス 他四篇

2007/04/27 22:21

森見作品リミックス風味

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

近代文学作品をベースに書かれた短編集で、リミックスと紹介されています。選ばれている原典は『山月記』『藪の中』『走れメロス』『桜の森の満開の下』『百物語』。

私の場合、『走れメロス』は、脳内で照らし合わせることがある程度可能でした。原典をずらしたり逆さにしたりという仕掛けが面白かったし、文章の細かい部分でもアレを引いているなとほくそ笑んだり、ならではの楽しみ方ができたと思います。
『走れメロス』では特に文章に気を配ったと、あとがきにあります。私は太宰の『走れメロス』をこよなく愛していて、それもあの文章による部分が大きいので、なるほどなあと納得しました。『山月記』の力強い独白も、言われてみればになりますが確かにそうだと感じられます。
悔しいことに『百物語』は未読、他の二作も記憶が薄れていていて、リミックスとしては堪能し尽くすことができませんでした。しかしそれによって興がそがれるということは決してありません。原典を読み返したくなってソワソワしたり、森鴎外の『百物語』はどんな小説なのかもひどく気になります。そして、『【新釈】走れメロス』に収録された各作品が、それ自体で大変魅力的であることは、言うまでもありません。

一番気に入ったのは『山月記』でした。
『走れメロス』がユーモア全開の『夜は短し歩けよ乙女』系で、『百物語』が静謐な『きつねのはなし』系と、便宜上無理矢理に囲ってしまうとすれば、『山月記』はその中間に位置すると感じられました。
主人公である斎藤秀太郎は奇想天外で、訳の解らない言動には紛れもないユーモアが散りばめられています。しかし印象に残ったのはそれらの乱反射ではなくて、底にひっそり横たわっているものでした。
斎藤秀太郎は、十一年経ってもまだ在学しているダメ大学生です。七輪で焼く秋刀魚に拘り火事を起こし掛け、小火を尻目に猫を追い回す姿は珍妙です。しかし、自分を想う女性に対しての「癒してどうする、この俺を」「今までの苦労が水の泡だ!」という、一見ちょっと笑いを誘うような台詞の中に何かが見え隠れしています。
著者が意識したという要素である独白の力強さ以上に、軽妙な筆こそが掬い得ると思えます。そうであるなら、リミックスという形を取って為し得る表現の、最上かもしれません。

作風は様々でも収録作全てに、小説の醍醐味が溢れていました。抽象的ですが、森見登美彦の作品は「小説を」「味わう」という、両方の要素をとても強く実感できるのです。読了した今、幸せに満足です。

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紙の本鉄塔武蔵野線

2008/04/14 16:52

子供の世界と、ファンタジーの底力が魅力でした

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

鉄塔小説だという。
ページを捲ってみれば鉄塔の写真、いずれ似通って見えるものが大量に収録されている。あやしげなキャプションが添えられており、鉄塔に振られた番号から、どうやら順々に訪ねていくのだろうと察せられた。
鉄塔に取り立てた思い入れのない人間に(読者の大方がそうではないだろうか)そんな小説が面白いのか……? 読む前はそんな風に感じたが、この先入観は間違っていた。ここまで小説らしい小説も珍しいというくらいだったから。

主人公は小学五年生の見晴。比較的大人しい男の子のようだ。幼い頃から鉄塔が好きだった。だが、周囲の人間は鉄塔の魅力など全く気付いていないと知っており、幼心に憚ってあまり口にすることはなかった。
転校を控えた夏休みのある日、見晴は家の近くにあった鉄塔に意識を向ける。そして、鉄塔に番号が振られていることに気付く。これを遡った始点には何があるのだろう。もしかして原子力発電所? 
ここで過ごす最後の夏休みだということも影響したかもしれない。見晴は決意し、ふたつ年下で仲の良いアキラを誘って、鉄塔を辿っていく冒険に出る。

まず素敵なのは、子供の世界が、どこまでも瑞々しく描かれていることだ。主人公の感情と思考は、子供らしく素直でありながら、思いがけず鮮やかなひらめきや深い洞察を見せる。それが小さな発見や事件に絡んで数々の魅力的なエピソードになっている。
謎の建物がラブホテルだと気付くと、なにやらの危険を感じてダッシュで逃げ出したり。「ひがしでん」という未知の言葉に触れると、早速なおかつ無意味に会話に採用したり。「みっちゃん、ひがしでんだぜ!」「ひがしでん言ってんなよ」……そして主人公はあっという間にそれに飽き、しつこく用いるアキラを馬鹿にするのだ。
可愛いの~と微笑んで読みながら、ノスタルジーを感じる。後年の回想という形で文章は落ち着いた三人称なのだが、だからこそ特異な世界が浮き彫りになっているのだろう。

そうやって綴られた物語は、鉄塔を順に訪ねるといういわば地味な筋立てにも関わらず、ドラマチックに展開する。障害は次々に立ちふさがる。主人公の心理が丁寧に描写されているから、その葛藤や喜怒哀楽に触れることが出来る。だから読んでいて飽きない。小説らしい小説と言ったのは、技巧的なことも含むが、なによりも「読んでいて楽しい」という意味が大きい。
私が一番どきどきしたのは、13号鉄塔の件である。ここで主人公が立ち向かわなければならない敵は内からのものだ。最難関と言っていいだろう。疲労や外部の障害に挫けそうになる弱さとは一線を画している。弱さには強さで抗うことが出来るが、13号鉄塔を目前に主人公がまみえる敵は、ちょっと違うのだ。私は、手に汗握りじっと見守っていた。

第六回日本ファンタジーノベル大賞受賞作である。この賞は一筋縄でないかもしれないが、それにしても、途中首をかしげてしまった。素敵な作品だとは言え、どのあたりにファンタジー性を見出せるのか全く解らなかったからだ。
この疑問は、終盤に差し掛かって一気に晴れる。別に鉄塔の精が賑やかに登場するわけではないが、この小説の最後は、ファンタジーの底力を教えてくれた。ファンタジーにしか出来ないことがあるのだ。しかも『鉄塔武蔵野線』のそれは、現実を否定したり、現実の過度な延長上にあるものではない。主人公と冒険を共にした後ならば、リアルもファンタジーも同じように輝かしい、新しい世界を見ることが出来るだろう。

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紙の本神様ゲーム

2007/11/08 01:41

世界は醜く真実は冷酷である

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

連続猫殺しが物語の発端。主人公の芳雄と、友人達の浜田探偵団は、この事件に挑戦した。が、とりたててなにをすることもなく、簡単に犯人に辿り着いてしまう。何故か。クラスメイトの鈴木が、犯人の名前を芳雄に教えるからだ。

鈴木太郎、キーパーソンである。半年前に転校してきたのだが、誰とも親しくしていない。掃除の時間に、芳雄は鈴木と話す機会を得るのだが、鈴木は自分が神様であると言う。神様だから当然なんでも知っている。
猫殺しの犯人が誰なのか。
続いて起きた殺人事件の真相も。
もちろん芳雄は推理をするが、既に与えられた答えまでの道筋を探るという形だ。

事件は非常に重い。遭遇して芳雄はどれだけ傷ついただろう。そしてまた、知ってしまう真実によって、これは既に傷ついたなどというレベルではない。しばしば見られた、人気テレビ番組への熱中ぶりやぎこちない片思いといった朗らかな子供らしささえ、結論的にはこの暗黒に加担しているのだ。

終盤、芳雄は心で問う。
「何のためにこれから先も生き続けなければならないのだろう?」
「生きるってそんなに楽しいことなのだろうか?」
なんて真摯な言葉だろうと打たれた。世界は人生はこんなに輝かしいのですヨと言われ、嘘くさいと感じる、嘘だと信じる子供はきっとたくさんいるはずだ。あるいはまた、この芳雄の言葉によって、そう気付いてしまうのかもしれない。

ではこの作品は、ただ悲惨なだけの救いのない話だろうか。きっとそうではない。
芳雄は鈴木から、自分の寿命を知らされている。三十六歳で死ぬのだそうだ。これは短命だと思ったし、芳雄自身聞かされた時はそう感じている。だが、事件を経て、生きることが苦痛と知った芳雄にとってはあまりにも長い。
それでも神様は言う。三十六歳までは決して死なない。それまでは何があっても生きてしまう、生き続けなければならないのだと。
逆に読めば、それが生きるということだ。芳雄にこそ寄り添える心にとっては、どんな甘言よりも、真実味を帯びて響く。

そしてまた、読者を大混乱に落とし込むラストがある。
芳雄が初めて本当の誕生日を祝い、新しい人生が始まった夜に起こる、天誅という名の惨劇。正直、筋としてどう読み取ったものか判断つきかねている。いったい何がどうなっているのかさっぱり解らない。
幾通りか考えられるが、私は、神様鈴木は案外優しいのだと信じることで落ち着いた。これは多分、静かに目を閉ざした芳雄とは違う見方に違いない。他の読者はどう読むのだろうか。

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紙の本きつねのはなし

2007/03/16 00:31

笑いもいいが、シンとしたこちらのほうが好きです

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

『夜は短し歩けよ乙女』『四畳半神話大系』に続き、私が森見登美彦の作品を読むのはこれが三冊めになる。先の二作品は、馬鹿馬鹿しいまでに軽妙でとにかく愉快だったが、これははずいぶん違っていた。そして私は『きつねのはなし』が一番好きである。

収められた短編は各々ほぼ独立しつつ、共通点はある。ケモノや法蓮堂という項はもちろんだが、やはり一冊をまとめ上げているのは貫かれた雰囲気だ。すべて怪奇幻想小説と呼べるだろう短編である。

表題作の『きつねのはなし』が、彫りの深さで最も心に残った。骨董屋でアルバイトをする主人公が、天城という人物に関わって得体の知れない体験をする物語である。
得体は知れないが、読者として煙に巻かれる印象は薄い。なにかしらの思い入れを、そうと解らぬように書き手が変奏している趣ではない。不可思議が不可思議のまま描き出されていて、輪郭ははっきりしているのだが、自分が何を見ているのか理解できないという感触だ。
この作品には細い一条の恐怖がある。無慈悲なものに、供する犠牲が必要ならば、自身もまた無慈悲にならざるを得ない。憐憫を孕んだ甘いものでは決してなく、意志に貫かれた冷徹さ故、厳かにさえ映る。

『果実の中の龍』は、大学生の主人公と先輩、その彼女を巡る短編。ストーリーよりも人物に焦点を当てたような作品で、読後はしんみりとした。登場人物に対し、いちおう名の付いた手持ちの感情——哀しみ、とか——が起こされるので、収録作の中では解りやすい部類に入ると思う。『魔』も読み方によっては同じタイプかもしれない。

『水神』は、祖父の通夜が舞台である。和製ホラーの王道たる水を中心に据えたせいか、恐怖譚的な色が濃い。ぬめぬめとした手触りが独特だ。それでいてどこかノスタルジックなのは、エピソードが時代を遡った由来から語られているという理由だけではない。ラストは印象的で、廃工場の前で佇んでいるような心持ちになった。

私は未読だがデビュー作『太陽の塔』はコミカルな作風だと聞く。大々的にブレイクした感のある『夜は短し〜』などを読んだ限りでも、森見登美彦の笑いが一流であることは疑いない。しかし、『きつねのはなし』のように「得体の知れないもの」を衒いなく見つめ描いた筆の強さのほうが、私は好きだ。

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真面目に料理を覚えたい、でも超初心者、に最適。

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

のんきな実家住まいですが、わけあって長期間家事を任されることに。掃除や洗濯はともかく、料理ができません。未体験ゾーンです。とにかく基本を覚えたいと思い書店の料理本コーナーに出向きました。お洒落なレシピ本などたくさんありましたが、数ある中から選んだのがこの本。実際本当に役に立つので気に入っています。

何がよいって、とにかく初心者向けであること。「乱切り」と聞いてなにかクレイジーな調理風景を思い浮かべてしまう私にとって、レシピは暗号と言って過言ではありませんでした。食材の切り方はもちろん、「ひたひたの水」だの「油がまわる」だの、ただそれが解らないだけで料理ってムズカシイと感じてしまう用語の数々。そういった基本中の基本をざっくりまとめたページがあり、超がつく初心者の私でも安心してとりかかることが出来ました。

載っているメニューも良かったです。肉じゃがとかかじきの照り焼きとか、食卓で見慣れたものばかり。お洒落で斬新なレシピ本も多い中でこの定番ぶりは「さあこれから料理を覚えるぞ」という身には嬉しかったです。

加えて、初心者向きではあるのだけどお手軽ではない(少なくとも私にとっては)という点も、実は気に入っています。もちろんレンジなどを多用した簡単料理も便利で良いと思います。が、手加減は自ずと出来るようになるだろうし、一度きちんとした手順を踏んでおいたほうがバリエーションが効くようになるのでは、と思いまして。
それでもレシピ内の解説はとても丁寧で、調理過程の写真も豊富なので、今自分がやってることが正しいのか不安になることもありませんでした。

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紙の本アヒルと鴨のコインロッカー

2006/12/25 00:54

祈りのファンタジー

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

現在と過去の話が同時進行する。
現在の語り手は椎名。いたって「普通」である彼は、奇妙な魅力を持つ河崎から本屋強盗を持ちかけられる、というよりも強制される。
過去の語り手はペットショップに勤める琴美。今はブータン人であるドルジと一緒に暮らしているが、少し以前に女たらしの権化たる河崎とつきあって面白くない思いをしている。この頃付近ではペット殺しが頻発し、琴美は犯人と思しき若者達と接触してしまう。
現在と過去は絡み合っている。掻き立てられる不安とともに深まる謎、そして全貌が明らかになった時に心の奥から滲みだしてくる感情。見事な綾である。

これまでに文庫化された伊坂作品を読んできたが、ファンかと問われると素直に肯けないと思っていた。どれも面白い作品ではあった。しかし同時に腑に落ちきらない部分があった。その理由が、今回ある程度明らかになったように感じている。

私は『アヒルと鴨のコインロッカー』の甘さに引っ掛かっりを覚えた。ペット殺し達が琴美を攫うのに失敗を重ねたこと。そして、厳密に言えば彼らがペット殺しであることは推測の域を出ていない。もちろんこれはほとんど事実として書かれており、私が言うのはペット殺しの現場が書かれていない、ということだ。本編を読んでいる時にははっきりとそう意識していなかったが、最後に添えられた英文に触れて自覚した。
No animal was harmed in the making of this novel.
言うまでもないことを言うからには、相当強い意識があったのだろう。私はこれを甘さと捉えていたらしい。きれいごとのベールが掛かっている、と。

伊坂の作風に対してファンタジックということが言われるようであるし、読めば実際にそれを感じる。現実に舞台を置いている物語でもそうだ。ベールの仕業だとも考えられる。生々しさは消え概念だけが透けて見える。ペット殺しは存在しても、ナイフで切り刻まれる猫は見えない。
このことの表層だけを拾うなら、私は肯定的に受け取れない。だからこそ、甘い、きれいごとだと表現もする。人気の理由はこれなのかと邪推さえする。
しかしそうならば、琴美が感じていた恐怖はなぜここまで真に迫っているのか。本屋を襲った河崎が為したことの醜さはなにか。このアンバランスは何かを意味しているのか、意味しているのなら何を。
答えはそれ自体である。定まるところを知らない迷いだ。コインロッカーに神様を閉じこめる時、河崎はきっと迷っていた。何を迷っているのかもはっきりと解らずに、だから神様を閉じこめた。小さな鉄の四角の中でそれが歌い続けているのを知りながら。

希望を抱ききれず絶望しきれない、一本の細いラインの上。転べば楽になると知っているのに迷うのは、きっと転んでしまうと思いながら迷うのは、祈りに似ている。ファンタジックの原因はきっとそこにある。
私は『アヒルと鴨のコインロッカー』でようやく初めて、伊坂幸太郎の小説を読んだという気持ちになれた。今度伊坂ファンかと訊かれたら、ハイと答えるだろう。

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紙の本不思議じゃない国のアリス

2006/05/28 23:08

出逢うのが運命だったとか、出逢うまで生きてて良かったとか、そうまで思える本がある。

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

短編集ですが一貫したテーマが感じられます。ニセモノとホンモノの間に生きる少年少女達の物語。帯には「新感覚ホラー・ミステリ」とありますが、それだけでは言い尽くせない。一番強く感じられるのは、リアルへの突き詰めた想い。それは時に残酷であり、破滅的であり、切なさを伴ったりもします。
以下、収録作のいくつかについてに感想を。

『銃器のアマリリ』は、傑作としかいいようがない。
基本的に筋という筋を持たない作品です。主人公は友人の少ないおとなしい少女。小さい頃に母親が自殺しており、そのことで心に深い傷を負っています。そんな少女の元に、ある日不思議な女の子が現れる。少女はその子をアマリリと名付けます。アマリリは、拳銃やショットガンで、周りの人間を撃ってあげると言う。
独特な構成は短絡的な感情移入をあからさまに拒み、理解しよう感動しようという下心を許しません。この作品は完璧に閉じられており、読むためには、一緒に閉じこもらなければならない。読者は少女の世界を生き、クラスメイトや行きずりの人々を次から次へと撃ち続け、同じ銃口を自分に向けなければならない。ドアが現れて(或いは発見し)そこから抜け出した後に初めて物語を知ることが出来るのであって、しかしその時にはもう世界は消滅している。
撃つことと撃たれた人間の叙述に多くを費やしながら、徹底的に詩的で美しい作品です。ほんともう、傑作としかいいようがない。

『飛行熱』の少年は、ニセモノに囲まれた世界から逃げるために家出をし、ある男=ブラザーに出会って彼をホンモノだと信じます。ホンモノの仲間に入れてもらうために、そしてニセモノを憎むが故に、少年はブラザーを手伝っていきます。馬鹿がつくほど素直な少年とブラザーとのやりとりはユーモアさえ帯びており、それだけに、不条理な世界の輪郭が浮かび上がってくる。
やがて迎えるカタストロフの中で、少年は今度こそ彼なりにニセモノとホンモノとを分かつのです。それは単純な物語の終焉ではなく、崩壊というべき圧倒的な結末でした。少年は瓦礫の中で温かく眠りますが、それを許されず生き存えてしまった大人の読者達は、廃墟の中を生きていくしかありません。

『空中庭園』は比較的ミステリ要素の強い作品。オンラインゲーム上での交流をベースに、参加者の一人である少女の現実を挟みながら話は進んでいきます。参加者達はやがてゲームの枠を超えて、悩みを打ち明けたり励まし合ったりする。
生身ではないコミュニケーションが本物か否かなどは詰まらない主題と思いますが、しかしこの作品はそんな次元を超えたところにあります。
ラストで明かされる真実は、なんだ〜騙された〜というお気楽さは皆無。失望によりとんでもない虚脱感に襲われました(作品に対してではなく、書かれていることに対して)。逆説的にその最後の一行を噛みしめ噛みしめ、なんとか持ち堪えました。そうしながら、こういう行為はまやかしなのかなあと不安にもなる。

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紙の本「選ぶ!」技術

2007/02/10 00:27

日々是選択

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

幻のスカートが二着ある。
ひとつは、深いグリーンのAラインスカート。全面を覆う柄は、ベロア素材を活かして浮き彫られたような薔薇で、とても綺麗だった。セールにかかってはいたが少し高かった。手の届かない値段ではなく、買える範囲だけど私にはちょっと贅沢という価格だったから、迷った。
もうひとつは、少し長めの丈とふんわりギャザーがクラシカルで美しく、パターン化された鮮やかな薔薇が黒地に描かれていた。どうにも薔薇が好きらしいということはさておき、仕事場で着ると浮くかもしれないという気がした。
どちらも足繁く売り場に通い、ためつすがめつして迷っていたのだが、何度目かに行くと売れてしまったらしくもう無かった。
たとえば、廉価でそれなりのものが多く出回る今だから、もうちょっと安くていいものがあるかもと、考える。着回しの出来る服がエライと雑誌に書かれているから、仕事に着られない服はもったいないかも、と考える。
辰巳渚の『「捨てる!」技術』の影響を大いに受けた結果、かつてほど奔放な買い物をしなくなった。本当に必要なのか本当に欲しいのか、十分に検討するようにしている。それ自体に疑問はなく、『「捨てる!」〜』によって過剰な消費とサヨナラ出来て良かったと感じている。
本書の第二章「「選ぶ!」を楽しくする考え方」の中に、「「一週間考えてみよう」と思うものはその場で手に入れる」という項目がある。一週間考えようと思った時点で既に選んでいるのだと言う。それは選択の勇気やエネルギーに欠けているのであって、あきらめる理由を得るために先延ばししているに過ぎない。
確かにそうだ。なんとなく可愛いけど高いやという服や、いい感じだけど着ている場面がイメージ出来ず却下した服は、今までに山ほどある。しかし忘れられないほどのものは滅多になく、一瞬目に留まった以上ではなかった。
二着のスカートは後悔している。かなり時間が経っても細部まで覚えているのだから、よほど気に入っていたことは間違いない。あのグリーンのスカートというささやかな贅沢を、自分に許せば良かった。仕事には派手なスカートなら、休日に穿いたら良い気分で一日過ごせただろうに。結局買えなかったのは縁がなかったからなんて呟いてみても、本当はあった縁を千切り捨てたことは、こっそり自覚している。
本書の中では、買い物の「賢さ」を賞賛しない。それは「上手な」買い物に取って代わられる。だから、衝動買いという選択も肯定する。もっと「賢い」買い物はありえるだろうが、それが一番「上手な」買い物とは限らない。しつこくスカートにこだわるなら、例の二着を買うということは、私にとってこのうえなく「上手な」買い物だったはずなのだ。
『「選ぶ!」技術』は、自己啓発的な表現をすれば「主体の在処」や「価値観」について書かれていると言うことも出来る。身の回りのものを買う際の選択だけでなく、人間関係や人生全体に関わる選択にも関わっている。スカートならいざ知らず、結婚相手や職業を選びかねたのでは後悔どころの問題ではない。
しかし読んでいる時は、自ら経験した細かなエピソードを次々と思い出す。それだけ生活に根ざした内容であって、だからこそ説得力がある。きらびやかでも深淵でもないように見えるが、嘘のない実直な哲学だ。
選択という問題について易しくかつ本質的に説いた上で、第三章では具体的な技術が紹介されている。値段を見ないで選ぶ、ひとりで選ぶ等々、素直に簡単に実践できるものばかりなので、早速取り入れてみようと思った。

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紙の本文章読本 改版

2007/02/01 16:12

リズール入門書

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

決して美文麗文にこだわるのではなく、文芸的文章の価値をただ実用的文章と分けることによって認めています。例えば「職業的洗練」という言葉も使って、一見実用に与するようで本当は観賞用文章について、説明したりします。するとなにやら懐が広そうなのですが、それは間違い。そのような文章とずさんなだけの文章は、全く別物です。

「(略)いわゆる素人文学は、模倣的鑑賞部分と、ごく無意識的な実用文章的部分とが奇妙な混淆をして、それが一種の素人っぽい文学的面白さになっている場合もありますが、私はここでこの「文章読本」の目的を、読む側からの「文章読本」という点だけに限定した方が、目的も明確になり、素人文学に対する迷いを覚ますことになると思うのです。」

そんなのは面倒くさくていやだという読者のために(?)、三島はチボーデの説を紹介しています。ここでは小説の読者を「レクトゥール」(=普通読者)と「リズール」(=精読者)の二種類に分けます。各々の定義をそのまま引くと、以下。

「「小説のレクトゥールとは、小説といえばなんでも手当たり次第に読み、『趣味』という言葉のなかに包含される内的、外的のいかなる要素によっても導かれていない人」
一方リズールとは、「その人のために小説世界が実在するその人」であり、また「文学というものが仮の娯楽としてでなく本質的な目的として実在する世界の住人」」

そして三島は、この『文章読本』を、いままでレクトゥールで満足していた人をリズールに導くためのものだ、というのです。それでワクワクする人なら静かに導かれればいいし、映画も漫画も文学も自分にとって等価値だという人は、レクトゥールのままでいいのではないでしょうか。それ自体悪いことではないはずです。私がつい、○○や××の本など燃えてしまえばいいなどと口走るのは、リズールになれたら素敵だなぁと願望を抱くゆえの偏った所感ですから。

ちなみに、書く側とレクトゥールorリズールとの関わりは、複雑であるとのこと。基本的にこの本は読者としての立場からのみ読むのが妥当のようです。

以上は、第一章に挙げられたこの本の目的についてで、続く大部分では文章について詳細に書かれます。三島の美学読本という趣も強く、華々しい修飾語への羨望を交えた支持などはまさにそんな感じです。この辺りは三島自身の趣味を大いに反映しているところでもあって、それも面白かったです。

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紙の本夜は短し歩けよ乙女

2007/01/10 16:02

これは恋愛小説なのか?

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

読んでいる最中、顔面緩みっぱなしだった。愉快な愉快な小説だ。肩書きは恋愛小説とされているが、ファンタジーノベル大賞出身の森見である。ここはもはや異形の者&物達の世界。

異形その一:主人公。クラブの後輩に恋をする大学生。
やっていることがまずおかしい。「なるべく彼女の目にとまる」という作戦にもならない作戦を敢行し、あらゆる街角で偶然の出会いを頻発させる。頭の中の妄想だけはぶんぶん唸っている。しかしこれならまあ、極度に恋愛に慣れていない男子学生としてありえない範囲ではない。実際「主人公だけは辛うじてまともな人だな」と思いつつ読み進めていた。ところがどっこい、終盤になって彼の異形ぶりは明らかになるのだった。

異形その二:彼女。主人公の想い人。
ホレタハレタには疎い。酒豪で、オモチロイことが大好きな女の子。擁護するなら、天然なだけと言える。しかし天然も突き詰めれば、妖怪呼ばわりされるに至るのだ。

異形その三:樋口と羽貫
樋口は変である。とにかく変なのだ。浴衣姿の青年で神出鬼没、なぜかいつも腹を空かせている。怪事あるところに樋口あり。てっきり本当の妖怪なんだと思っていたがそれすら曖昧だ。よく解らない。ひどく魅力的な人物(人?)であることは間違いない。
羽貫は樋口と行動を共にすることが多い女性で、大酒飲みである。

異形その他:得体が知れないがそんなに悪者じゃないような気がする李白翁。李白のバス(これは装画のモチーフになっている)。詭弁論部と伝統の詭弁踊り。幻の酒は偽電気ブラン。閨房調査団。象の尻。偏屈王とプリンセス・ダルマ。
読みたくならないわけがない。

私が特に気に入ったのは、第二章『深海魚たち』と第三章『御都合主義者かく語りき』である。

『深海魚たち』では、古本市に彼女が赴く。だから当然出張った主人公は「同じ本に手を伸ばしてアッ……」みたいな場面を目論んでがんばる所存だ。しかしチャンスはなかなか訪れない。諸事情により、李白が開く売り立て会に参加することになったが、参加者には地獄の試練が待ち受けている。
ちなみに売り立て会には樋口も参加しており、この男がどんなリアクションをするかと期待していたら、期待を遙かに上回ったものだった。
モチーフ故に本好きには必ず楽しめるだろうが、もちろんそれだけに限らない。李白の売り立て会は異常かつファンタジックで、『夜は短し〜』の面白さ凝縮した感がある。

『御都合主義者かく語りき』では、学園祭に彼女が赴く。やはり当然出張った主人公。彼女の姿を求めて徘徊するがなかなか見つからない。出会うのは、コタツで温まる樋口達とかそんなんばかりである。その頃学園祭では、ゲリラ的に上演される謎の劇が話題かつ問題になっている。そして彼女はそれに巻き込まれてしまう。
主人公の友人である学園祭事務局長や、パンツ総番長など、クセのある人物が飛び回る。ドタバタ劇の印象があって、賑やかな作品だ。主人公の恋愛にとっても転換期にあたる。

このように一章につきひとつのエピソードを消化しているので、連作短編的な印象が強い。しかし四章からなるこの作品は、各章が起・承・転・結を担うという堅実な作りの長編小説でもある。改めて俯瞰的に眺めてみると、主人公の気持ちやままならぬ恋路にワクワクするという楽しみも捨てがたい。第四章における主人公の自問自答は、懸想経験があれば身につまされるに違いない。

やはり紛いない恋愛小説であるのだろう。私にしても、樋口に恋するわ女装趣味の事務局長に浮気するわで、ぞんぶんにときめいたのだし(←なんか違う)。

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紙の本月光とアムネジア

2006/08/25 15:17

境界は存在しない

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

読了した時、ひとつの小説を思い出していた。『浦島さん』という短編で、作者は太宰治。十代の頃に読んで受けた衝撃は今でも忘れられないほどのものだった。『浦島さん』の中に太宰はこう書いている。
「年月は、人間の救いである。
 忘却は、人間の救いである。」

さて、牧野修の『月光とアムネジア』はSF、幻想小説である。
<レーテ>という特殊空間に入ると、三時間ごとに記憶がリセットされてしまう。リセットを繰り返せば負担が大きくなり後に障害が残る。
この<レーテ>に、伝説的殺人者である町田月光夜が入り込んだ。彼を追うのは県警の特務部隊と、月光夜に裏切られた犯罪結社<ホッファ窯変の会>である。
警察官の漆他山はかつて<レーテ>に入ったことがあり、記憶障害で入院していた。他山は月光夜を追う特務部隊に選ばれる。<レーテ>経験者は空間から受ける影響が軽度になるからだ。

作品はエンタテイメントの王道を行く。謎めいた月光夜はもちろん、特殊部隊の面々も強烈な個性を持っている。予期せぬアクシデント、記憶の定かならぬせいで生まれる不信。狽や水牛など<レーテ>内の生物は、読んでいて嬉しくなる気味悪さだ。
これらの要素は、作品が純然たるエンタテイメントであることを主張しているようにさえ思える。

では単なるサバイバルゲームか。そうであればラストがあんなに物哀しいはずがない。
これは記憶と忘却の物語であり、そして他山の物語だ。
他山はかつて<レーテ>に入り、記憶に障害を負っていた。隠された他山の過去、あるいは過去を失っていた他山こそが、核だ。もうひとつの核である月光夜と融合する時、『月光とアムネジア』は顕になる。
そして私は、はじめに挙げた純文学作品を思い起こさなければならなかった。忘却は救いか否か。『月光とアムネジア』は太宰ほど親切ではなく、明確な答えを示してはくれないのだが。

そしてまた、この虚構世界は現実を引き寄せる。記憶と忘却が積み重なる平凡な日常に波紋を投げかける。<レーテ>を取り巻く帯状の霧<愚者の王冠(クラウン・オブ・クラウン)>は電磁波を遮断するかもしれないが、読者にとって境界の役目を果たしていないようだ。
そういえば、キテレツな造語が飛び交う中に<オモイデ造り>というものがあった。<レーテ>経験者が身に着けてしまうことのある能力のひとつで、他人の記憶に新しい記憶を付け加える能力である。行事の際など何気なく使われる言葉と同じ響きを持つことは、ちょっとしたジョーク以上の意味があるようにも感じる。

とか言いながら、この作品はやはりドキドキワクワク読むのが一番楽しいに違いない。心の底からそう思う。本当に。

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紙の本ナイフ投げ師

2008/07/02 12:37

読み方注意

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ミルハウザーは幻想小説という括りで自分は理解していて、この短編集もそうでありつつ、怪奇により近い怖さが際だっていたように思います。けっこう毒になる。
収録作品の中では「パラダイス・パーク」がとても印象に残っていますが、しくじったなという反省もあり。長めのこの作品、途中パラダイス・パークがどう発展していったかという件が比較的単調に感じられ、読むペースを上げてしまったんですよねえ。でも最後まで行き着いて、がびーんとショックを受けました。じっくり噛み締めながら読んでいたら、このラストをもっともっと楽しめたはずだと。これがオイオイってくらい私好みのラストだったので、非常に悔しかったです。なのでこれから読もうという方には、是非是非じっくり腰を据えて取り組んでねとオススメしたいです。
「新自動人形劇場」は、もう異常に愛します。自動人形ネタであることからして当然だし、どのへんが「新」なのかって部分が本当になんというかなんともいえない。同じく自動人形師を描いた「アウグスト・エッシュンブルク」(『イン・ザ・ペニー・アーケード」収録)と同時期の作品だということですが、「新自動人形劇場」のほうが凄味があって、私は好きだな。

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紙の本ワイルド・サイドを歩け

2007/01/10 18:37

5512はゴーゴーイジーと読む

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

とにもかくにも面白い。初っ端からフルスピードで飛ばし、失速しないどころかクライマックスできっちり頂点に達するストーリーが気持ちいいです。そしてそれだけではなく、読後に残るものがある。
改めて、この作家の一番の魅力は人物達が生きていることなんだなと思いました。
本のあらすじでは三つ巴とありますが、実際は2サイドから語られる印象です。
ひとつはIZZY率いる暴力団井島組。とは言っても弱小暴力団で、仲間はとまぶー(戸松)と、台湾からクスリを仕入れてくれる唐さん以外見当たらない。そもそもイジーはマザコンだし。
もう一方が、男娼高校生の理一とその仲間達。お友達の学校友達の馬素や塔、ボノちゃんやベティさんなど夜の友達も加わってこちらはなかなか賑やかです。
この両者が、ラプターズというギャングを接点に、「百歩蛇」をキーアイテムに、そして事件を核にしてニアミスを繰り返す。一体どうなるんだろう……とワクワク出来る先が読めない展開がとても楽しい。
特に終盤が最高で、イジーに肩入れしていた私は彼の陥った状況にハラハラし、そして「やっぱり雑魚とは違う!」というワイルドな格好良さにしびれました。
それから、特に理一サイドは、心に響きます。クスリをたしなみ身体を売る、どこか自堕落的な理一。喧嘩と女にうつつを抜かして享楽的に生きる馬素。ハンディキャップとタイムリミットを持つ塔。彼らの、理一が言うところの「物語」は感慨深いです。でもまったく押しつけがましくないところが好き。

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紙の本皇帝のかぎ煙草入れ

2006/11/23 23:43

ミステリ初心者からおすすめします

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

細かな神経を払っての読書に不慣れでも大丈夫、なおかつ本格の醍醐味も味わえる、美味しい作品だろう。二〇〇六年十一月現在は生誕百年にあたるので、カー未体験という人にはよいきっかけかもしれない。
ミステリに関して不案内者である私にしてもそうだ。しかしカーを読むと意気込んでも作品が多いので選ぶのが難しく、通じた友人にかねてより薦められていたこの作品を手にした。解説には「カーの作風を好むと好まざるとにかかわらず、異色作として好評をもって迎えられた」とあり、カー初体験である私個人においても大好評だった。

話は善良な夫人イヴ・ニールを中心にして廻る。彼女は窓から、向かいの家で婚約者の父親が殺されるのを目撃した。ところがその時イヴの部屋には別れた前夫が押しかけてきていた。数々の証拠からイヴは犯人と目されてしまうが、証を立てられない。そして心理学の第一人者であるキンロス博士が事件の真相を明らかにする。

探偵役の肩書きから、心理戦が展開されるものだと思い込みながら読み進めた。これはあながち間違いではない。核は人間心理の面白いところに纏わっているし、真犯人はじめ人物各々の胸中には、知ればホーと溜息が出てしまう複雑さがある。しかしそこに留まらず、解きほぐすための鍵がばっちり用意されている。申し分ないロジックもある。なるほどと腑に落ちる読後感には、これが本格かと嬉しい高揚があった。
乱歩の文章が解説に引かれており、作品を受け容れながらも「不自然のきらいな読者には、この手品趣味がばかばかしく感じられるかもしれない」と評しているから、私の感想が対ミステリとしてどこまで妥当か解らない。しかし確かに、心理的な大枠と解く鍵の兼ね合いがどこか手品っぽい印象を与えるな、とも納得する。

登場人物達が興味深い。私は海外小説に対しても少しの苦手意識がある。言動が不可解で人物像が見えてこないということがしばしばあるからだ。しかしこの作品はそうではなく、各人に対し好感やら嫌悪感やらいろいろ抱くことが出来て、ったくこの男はよぅ! と悪態をつきつつ楽しめる。少年のような男性は魅力的だがただのガキは願い下げである、表面に騙されてはいけない……などと妙に感じ入ってしまった。いや、これが本筋から離れているかと言うとそうでもなく、このあたりイヴの性質引いては人間心理をよく表していて、大変面白いのだ。

謎解きが主眼ではあるが、イヴはどうなるか? という面でサスペンス調をも味わえる。ドンパチや渦巻く陰謀といった派手さはないものの、展開は間違いなくスリリングだ。「カーの作風を好むと好まざるとにかかわらず」というよりも「本格ミステリを好むと好まざるとにかかわらず」楽しめる小説に違いないと思った。

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紙の本サウンドトラック 上

2006/10/28 20:33

大いなる虚構

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この東京は滅茶苦茶だ。作品が文庫化された二〇〇六年から見て、辛うじて近未来と呼べる時間距離に、舞台はある。ガイコクジン排斥運動と占い信仰が激化するニシオギ、異国とほとんど化した新小川町俗称レバノン、共同租界としてある神楽坂の角、地下には傾斜人が蠢いている。東京は熱帯化して生態系は変わりつつある。この都市は侵されている。

フィクション性に対するまっとうな、壁越しの見識は無用だ。得られるのはリアルでしかない。それは例えば、鴉が人語を操ることに可能性が裏付けられている、といった小手先のレベルでは全然ない。ここにある“現実”を魚眼レンズで覗いた世界だから、とも違う。“現実”の否定、変容、再構築、どの言葉も当て嵌まりそうで当て嵌まらない。
クロイが映像に魅せられて、その内側へ融けていったのと似ているかもしれない。だから、この作品を読みリアルを得ることは、神秘の領域に属している。八咫烏と見做されたクロイがそうであったように、そうして読者は覚醒するのだろう。

映像を創るのは、レニだ。鷹匠の後継であり鴉匠、場所によりジェンダーを選択し一人称を統一しない。クロイのために傾斜人をミナゴロそうと決意して取った戦略が、撮影し、闇に投影することだった。shoot。ここに創造および愛の本質があり、それはつまり銃撃である。

レニを守ると言ったのはトウタで、そもそもは十歌、しかし同時に持つ意味に従い淘汰する。一挺のリボルバーを片手に本能のまま生きる。旋律を持たない男。極めてイリーガルだが、生活は牧歌的でもある。幼少期の無人島生活、小笠原から本州の東京に上陸し、ピアスと出会い、そしてレニと出会う。いくつものイニシエーションを経る。レニを守るとういう約束を守ろうとする時、トウタは彼らしく気ままでありながら、ひとまわりかふたまわり大きくなるほどのフル装備で登場する。生きる重火器となり驀進する。向かったユートピア、西方で、どうしてトウタは妹のヒツジコを思い出したのか? 神託にほど近いピアスからの連絡だけが、理由ではないだろう。

ヒツジコは、踊る。地震を引き起こす、世界を揺らすために。踊りは見た者は呪われるという伝説は、伝説ではない。ダンスはシェアされて席巻し、その様は侵略に良く似て、事実私立女子校テレジアは陥落した。ヒツジコのように踊る、ガールズ。中でも特に力を持った三人がいる。それぞれ強い個性を持っていて、烈しい戦闘性ゆえカナにも惹かれるが、私が一番興味を覚えたのはフユリンだった。幼い印象があるまでにポジティブな、小柄な少女。子供の頃脱毛現象でかつらガールとなり、逃げるように東京の女子校を選んだフユリンは、再び自毛が生えて来た時に鏡の前で泣きながら思う。
「ああ、みんな、幸せになるといい。」
そんなフユリンは踊る時、純粋な悪意を撒き散らす恐怖メーカーになる。絶望と希望が螺旋を描くのか。フユリンのハイパーリアルな地獄というものを、見てみたいと思った。

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