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  3. 風(kaze)さんのレビュー一覧

レビューアーランキング
先月(2017年8月)

風(kaze)さんのレビュー一覧

投稿者:風(kaze)

209 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本妄想炸裂

2004/09/27 18:31

妄想ふくらむ、どこまでも。世界の果てまで飛んでいけーっ

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 くくっ、くくくくっ。笑いをこらえるのに必死でした。
 ぶっ、ぶわっはっは。はーはー、く、くるひー。我慢できず、ついに吹き出してしまいました。
 いやあ、面白いのなんのって! こんなに笑えて、ぶっ飛びもんの妄想が弾けてるエッセイってそんなにないんじゃないかなあ。
 しをんさんの日記風エッセイ。いや、エッセイ風日記といったほうがいいか。まあ、どっちでもいいや。と、とにかく、読者へのサービス精神にあふれた話が満載です。

 何げない日常の一こまから、するすると連想が広がっていって、いつの間にか壮大な妄想にまで発展しちゃうこのユーモラスな味わい。現実と妄想のバランスが絶妙なさじ加減でブレンドされているせいだと思うんだけれど、「ほえー」とか「おひょー」とか奇声を上げるような感じで楽しむことができました。

 例えば、「肉襦袢」の章。拷問のような暑さに耐えながら、部屋の中でマーラーの音楽をかけながら、高村薫の小説を読んでいるしをんさん。その時むくむくと、妄想のタネが頭の中で膨らみます。あたかも、マンガの吹き出しみたいに。「暑苦しい」というキーワードから、ラグビー部員と野球部員が相撲部の部室で逢い引きしてたら、そこに入ってきたのが……。あとは読んでのお楽しみっと。しっかし、笑えるなあ、面白いなあ、文章表現のセンスあるなあと、唸っちまいました。

 三浦しをんさんの本を読むのは初めてでしたが、思いっきしツボにハマりました。こりゃ病みつきになりそう。
 ほかにまだ何冊か、しをんさんのエッセイ出ているので、カリカリした気分を鎮めたい時、脳の毛細血管がプチプチ音を立てるようなヤなことがあった時、どわっはっはと馬鹿笑いしたい時、そんな時に手を伸ばしてみようと思います。どこに?って、本棚に。「いつでも手にとってね、うふふ」「そうそう、うふふ」と、顔見合わせて笑っているような、(現在ただ今)二冊が並んで立っているエッセイ本に。

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紙の本カラマーゾフの兄弟 改版 上巻

2004/05/17 04:02

ドミートリイ、イワン、アリョーシャ。彼らカラマーゾフの兄弟が、それぞれに苦悩する姿に胸打たれる。

7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

昔、途中で挫折したこの大作。今回は読み通そうと、思い切って挑むことにした。名作あるいは問題作として多くの人に衝撃と感動を与えてきたドストエフスキーの大作。ヒマラヤの高峰を登攀するような気持ち。

本書を読み、登場人物たちと出会い、作品の世界にどっぷり浸かってみたいと思ったのは、高野文子さんの漫画『黄色い本』の表題作を読んだのがきっかけ。数日前に、ゴーゴリの作品を読んだのも大きかった。
ある作品を手にするきっかけは、どこに転がっているか分からない。本書とは直接関係はないけれど、この大作を手にする後押しをしてくれた「黄色い本」に感謝したい。

さて、新潮文庫の上巻。作品第二部の「大審問官」の章まで読んだところである。

フョードル・パーヴロウィチ・カラマーゾフと、彼の三人の息子、長男のドミートリイ、次男のイワン、三男のアリョーシャ。彼らカラマーゾフ家の人間が、それぞれに苦悩し、反発し合いながら、滅びに向かって突き進んでいるように見えてならない。

「快楽に生きるために金をけちって何が悪い。俺は俗物。道化でもあるのさあ」とうそぶき、無遠慮にふるまう父親フョードル。
徹底して父親と敵対する情熱の人、ドミートリイ。
誰からも距離を置き、独立独歩を貫く孤独の人、イワン。
父と兄たちが和解することを願い、行動する愛の人、アリョーシャ。
彼らカラマーゾフの者たちが、自己の心の求めるままに行動し、それぞれに苦悩する姿に、胸を揺さぶられる。

本書はまた、キリスト教の神の思想と信仰に深くメスを入れ、切り込んでいる。それが端的に示されるのが、上巻の最後に置かれた「大審問官」の章。イワンがアリョーシャに、「大審問官」と名づけた自分の作品を聞かせる形で、人類と神の問題が語られていく。理解しづらいところが多々あったとはいえ、非常に啓示的、予言的な深遠さを、イワンの「大審問官」に感じた。

上巻を読み進めながら、しばしば、ベートーヴェンの「交響曲第九番」、その第一楽章の音楽が頭の中で鳴っていた。
混沌の闇の中から何かが生まれ、ぶつかり合いながら形を成していくベートーヴェンの第九、第一楽章。無から有が生じ、荘厳な大伽藍が築かれていく音楽。
様々なエピソードを積み上げながら、対位法的に話を進行させていくドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』。その計り知れない遠大さと、苦悩する登場人物たち。
ふたつの作品に、響き合う何かがあった。

原 卓也の訳文。読みやすい。少なくとも、日本語の問題で頭を悩ませるといったことはなかった。名訳だと思う。

今回はきっと、最後までたどり着けるのではないか。
続いて、中巻に行く。

◇『カラマーゾフの兄弟 中巻』
◇『カラマーゾフの兄弟 下巻』

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紙の本二人が睦まじくいるためには

2004/11/21 19:06

詩人のまっすくで、あたたかな言葉が胸に染みる、とても素敵な詞華集です。

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 タイトルの『二人が睦まじくいるためには』は、本書の冒頭に収められた「祝婚歌」の最初の一行からとられています。
 吉野弘さんの詩の花束から32編を選び、最後に、「祝婚歌」に寄せた茨木のり子さんの文章を載せて。それがポケットサイズの詞華集である本書『二人が睦まじくいるためには』です。
 吉野弘さんの誠実で真摯なお人柄やあたたかくて澄んだ眼差し、それが行間から立ち上ってくるような詩だなあと、久しぶりに読み返してあらためてそう感じました。

 満員電車の光景を描いて胸がぎゅっと締め付けられるような「夕焼け」もいいですし、英語を習い始めて間もない弘少年と父親との会話に切ない気持ちにさせられる「I was born」も印象に残ります。
 でも、何度読んでも「これはいいなあ。素敵な詩だなあ」と思うのは、冒頭の「祝婚歌」という一編。海原に朝の光がすっと射し、あたたかな光で満たされていくような、そんな味わいにしみじみとさせられる詩です。

 また、この「祝婚歌」に寄せた茨木のり子さんの文章もとても読みごたえがあるもの。吉野弘さんの人となりもそこから伝わってきて、素敵なエッセイを読んだ気持ちになりました。ただ、本書に収録された茨木さんの文章のラスト、> 以降の箇所が、花神社収録時のものとは違っていますね。なんでかな? 私は読み比べてみて、元の文章のほうがいいように思ったのですが。

 本書に収録されている詩のほかにも、吉野弘さんの詩、素敵な作品がまだまだあります。吉野弘さんの詩をもっと読んでみたくなった方には、花神社刊行の『花神ブックス2 吉野弘』を手にされることをオススメします。吉野さんが、谷川俊太郎さんや大岡信さんを始めとする「櫂」の仲間と同席した時の写真や、ふたりの娘さんや御夫人と写っているスナップ写真も見ることができますよ。

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紙の本日本の黒い霧 新装版 上

2004/12/08 19:18

黒い霧の中に蠢く魑魅魍魎の世界を、反骨の士・清張がえぐり出していく戦後昭和史ドキュメント

5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 第二次大戦が終わり、米国の統治下に置かれるようになった日本。昭和20年代に起き、世間を震撼させた怪事件の性格と背後に潜むものを、松本清張が推理、検証した戦後昭和史ドキュメントである『日本の黒い霧』。
 文庫の上巻にあたる本書には、「下山国鉄総裁謀殺論」「[もく星]号遭難事件」「二大疑獄事件」「白鳥事件」「ラストヴォロフ事件」「革命を売る男・伊藤律」が収録されています。

 戦後、日本で独裁的な権力をふるったGHQ(連合国最高司令官総司令部)。その内部で繰り広げられていたG2(参謀部第二部 ※諜報、保安、検閲を行う)と、GS(民生局 ※日本の民主化政策を担当)との激しい勢力争い。共産主義の台頭に神経をとがらせ、暗躍する米国の諜報機関。対外的なPRのためにも自国の権益のためにも、都合の悪いことにはフタをし、事実をねじ曲げてでも横車を押そうとする米国の思惑。それに唯々諾々と従うよりほかはない日本政府の首脳部。その狭間にあって蠢く個人の金銭欲や出世欲。
 そうした魑魅魍魎の闇の世界が事件の裏側に広がっていることを、関係者の著書や証言からあぶり出し、掘り起こす松本清張の鋭い検証。そこに、肌が粟立つような怖さがあり、ぞくぞくさせられました。

 事件の経緯を記しつつ、その性格を探り、真相は果たして公表されたようなものだったのか、その裏に何らかの謀略があったのではないだろうか。真実を隠蔽するための工作が、そこに何かなされていたのではないだろうか。その疑問を丹念に検証していく著者の推理の、錐をもみ込むような鋭さ。人間心理の洞察の深さ。
 松本清張の並々ならぬ反骨の精神、気概といったものがそこからは伝わってきて、並の推理小説を読むよりよほどスリリングで面白かったです。とりわけ、「下山国鉄総裁謀殺論」と「革命を売る男・伊藤律」の二篇に存分の読みごたえを感じ、戦慄させられました。

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紙の本トリツカレ男

2004/08/31 21:17

胸が熱くなる素敵な物語でした。

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

物語の序盤は、なにかに本気でとりつかれちゃう(夢中になってしまう)男、ジュゼッペの突飛な行動を描いていって……ホップ!
そんなある日、トリツカレ男のジュゼッペが、孤独を抱えた少女と出会って……ステップ!
そして……ジャンプ!

とまあ、詳しく語ることは控えますが、一気に読めて、心がほかほかしてくる素敵な物語です。読み始めて最初のうちは、妙な人物が出てくるおかしな話だなあぐらいにしか思わなかったのですが、上記の「そして……」と話がジャンプする辺りから、がしっと話に掴まれて引き込まれていきました。

トリツカレ男の行動を見守っていくうちに、「ジュゼッペーっ、負けるなー。あきらめんなよー」と応援したい気持ちが、ずんずん、ずんずん、湧いてきました。彼のどうしようもない一途なところが、まっすぐに突っ走るところが、とても愛しく思えて、読んでて目頭が熱くなりました。

いしいしんじさんの作品を読むのはこれが初めてだったのですが、他の作品もあれこれ読んでみたい気持ちに誘われました。それで本屋に直行して、早速、『ぶらんこ乗り』という新潮文庫の一冊を買ってきました。表紙カバーの刺繍の雰囲気も、なんかあったかくて良さそうな感じだったし。
今度はどんな物語を紡いで見せてくれるんだろうと、読む前からわくわく、どきどきしています。

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紙の本クラバート 改訂

2004/07/19 01:54

死の空気を吹き払う、雪解け川の「自由」の響き

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

チェコ、ドイツ、ポーランドの国境沿いにあるラウジッツ地方。本書は、ボヘミア地方の北に位置するラウジッツ地方の伝説を下敷きにして、作者が描き上げた「魔法使いの弟子」クラバートの物語です。

初めてこの作品を読んだのは、もうかなり前のことになります。
「クラバート」「クラバート!」「クラバート!!」と、自分の名前が三度呼ばれるのを夢の中で聞いた少年クラバートが、水車場に行って、魔法使いの親方の許で働くようになる冒頭の場面。ともに生活する仲間の職人が、謎の死を遂げていく件り。左の目に黒い眼帯をした親方から発散する、強大な魔法の力。
暗く、不吉な死の影に覆われた物語の空気が、とても印象に残るものでした。

今回再読して、とりわけ心に残ったのは、クラバートが魔法使いの親方の弟子になって三年目、それまでの閉ざされたものから開かれたものへと物語の空気が変わる、その鮮やかさでした。黒々とした闇の中に、一条の光がすっと差し込んだかと思うと、劇的に変化していく物語の色合い。雪解けとともに、長い冬がついに終わり、みるみる春の彩りを増していくような物語の風合い。初めはかすかだった雪解けの川の流れが、「三年目」の章に至って、ぐんぐんと力強く、終盤へと駆け下っていくところ。そこに、とても感銘を受けました。
1990年の「プラハの春」音楽祭。クーベリックがチェコ・フィルを振ったスメタナの「わが祖国」の演奏。喜びと気概があふれていたその音楽に通じる、解き放たれた「自由」の息吹と通じ合う、そんな解放感を覚えました。

ご存知の方も多いでしょうが、この「クラバート」の物語、宮崎駿監督の映画「千と千尋の神隠し」の印象的なエピソードとしても使われているんですよね。映画を見た方なら、きっと、「ああ、この場面がそうなんだね」と気づくことでしょう。

原題は、KRABAT  1971年の作品。
著者の作品では、『大どろぼうホッツェンプロッツ』シリーズ、『小さい魔女』などを、子供の頃、とても面白く読みましたけれど、一番感銘を受けた作品といえば、大人になってから読んだこの『クラバート』です。今回再読して、あらためて、物語の魔法の力に打たれました。中村浩三氏の訳文も、こなれていて読みやすく、見事だと思いました。

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紙の本日本語の作文技術

2004/12/14 20:50

分かりやすい文章を書くためには

4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 自分の言いたいことが相手に分かりやすく伝わる文章を書くには、どんな作文の技術が必要なのか。読む人の気持ちを出だしで掴み、最後まで読んでもらう文章を書くためには、どういう工夫をしたらいいのか。この二点を大きなテーマとして、例文を引きながら検証していったのが本書である。

 文章を論理的で分かりやすくするためには、どんな点に注意を払えばいいのか。この点を記した本書の前半では、“、(テン)の打ち方”と“助詞の使い方”を見ていく件りが参考になった。どこにテン(読点)を打つかで文章の意味が全く違ってくることや、助詞の一文字が抜けているために誤解を招く文章になってしまうことなどが論理的に説明されている。こうして文章を書いていても、そうした部分はただなんとなく書き流してしまっていることが多い。ひとつのテン、ひとつの助詞をおろそかにした結果、こうした分かりづらい文章になったのですよと例文を示されて、これは心にとめておかなければという気持ちにさせられた。

 本書の後半では、無神経な文章とはどういうものか、文章のリズムの問題、文章を読ませる効果的な書き出しといった点について、新聞の記事や投書欄、文豪の文章を引きながら検証していく。なかでも、その文章を面白いと読み手に思わせるためには書き手が面白がってはならないということを記した箇所が印象に残る。落語の名人ほど、おかしい場面をまじめに演じるものだと書いた後の著者の文章を引かせていただく。

 >(p.213)


 まるで自分の文章のことを言っているようではないかとぎくりとさせられた箇所もあり、とても刺激を受けた一冊である。読み手の誤解を招かない、分かりやすい文章を書くことを心がけていきたいと思った。

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江戸の不思議と怪異に親しみながら、推理小説の謎解きの妙味が堪能できるシリーズです。

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 本巻には、「半七捕物帳」の記念すべき第1作「お文(ふみ)の魂」から「山祝いの夜(よ)」まで、14編が収録されています。「お文の魂」が初めて掲載されたのが大正六年(1917年)ですから、今からざっと90年近く前に執筆されたことになります。江戸幕末に岡っ引として活躍した神田三河町の半七親分が、その手柄話を、明治30年頃に「わたし」に語って聞かせる。その事件の顛末を、「わたし」がメモ帳に記して世に発表したのがそれぞれの話であると、そうした聞き語り形式の連作短編集ですね。

 半七老人と「わたし」が会って、時候の挨拶を交わす話の枕の部分。その話がきっかけとなって、「そう言えば、こんな話がありましたよ」と、半七老人が手柄話を語り出す。あわててメモの手帳を取りだして、事件の顛末を書き記していく「わたし」。事件の真相が半七老人の口から明かされると、舞台は江戸から明治の今に立ち戻り、話はさっと閉じられる。
 ワンパターンの話ではあるのですが、淡々と抑えた綺堂の筆致がまず素晴らしい。そして、行間から立ち上ってくる江戸の風情の粋なこと。ぼおっと霞むような光と闇の世界がそこには広がっていて、ふっとなつかしい気持ちにさえなります。雅趣に富んだ話の味わいがいいんですよねぇ。江戸時代にタイムトラベルしていたみたいな、そんなここ数日間でした。

 さて、本巻で◎をつけた作品、一番気に入った話は「奥女中」でした。
 文久二年(1862年)八月、茶店を出している母親が、娘の身に最近妙なことが起きて心配であると、半七親分にその謎を調べてくれるよう頼みに来ます。そして、お蝶という美しい娘が時々に姿を隠す不思議の話が、母親から半七親分に語られていきます。怪しい夢のような話に耳を傾けていると、やがて話に動きがあって、そこからすっと解決の光が射し込んでくる。不可解な謎に筋道がついて、そこからさらに、静かな調べを湛えた話が流れて行く。しみじみと心に染みてくる話の風情に魅了されました。

 おしまいに、巻末の都筑道夫氏の解説から、少し引用いたします。都筑道夫氏には、知る人ぞ知る、「なめくじ長屋捕物さわぎ」という江戸を舞台にした痛快で、大変楽しい推理小説のシリーズがあるのですが、それはさておき。

 >

 江戸幕末の空気に触れながら、半七親分や子分とともに江戸の町をめぐる楽しみ。
 江戸の不思議や怪異の雰囲気に浸りつつ、推理小説の謎と謎解きの趣向が堪能できる面白さ。
 そんな妙味を湛えた岡本綺堂の「半七捕物帳」のシリーズ。いいですよ!

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江戸幕末の空の下に心遊ばせることのできる推理小説。第4巻で◎を付けたのは…

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「半七捕物帳」シリーズの話の構成、季節感のある江戸の風物が眼前に彷彿される味わいといったことは、すでに本文庫の第2巻、第3巻で書き記したので、ここからは、収録作品の中で殊に面白かった話を挙げる形で進めていくことにします。

 こうした連作短編集を読みながら、私はしばしば、「とても面白かった作品」に◎を、「かなり面白かった作品」に○を、目次のタイトルの上に書き付けておくということをします。こうすることで、シリーズものを読む楽しみが増すのと、後でまた読み返した時に、「ははあ。初めて読んだあの時は、この話が面白いと思ったのか」と振り返ることができるんですね。よほど強烈な印象を持った話は別にして、とかくしばらくすると記憶が怪しくなる私にとって、この丸付けはなかなか有効です。

 さて、第4巻で◎を付けた一番目の話は、「むらさき鯉」でした。
 文久三年(1863年)の五月に起きた事件。小さい草履屋に、夜の四ツ(午後十時)頃、ひとりの女が訪ねてくるところから、半七老人が語る手柄話が始まります。
 草履屋の女房は、見ず知らずの女を怪訝に思いながら、むらさき鯉にまつわる不思議な話を聞く。怪しの話を聞いているうちに、女房は俄かにぞっとした気持ちになる。謎の女が立ち去った後、夜釣りに出かけていた夫が帰ってきて、するうちに妙な事件が起こる。怪談めいた謎の女と女房との会話が、その後に起きた事件とどんな関わりがあるのか。
 半七が語る事件の真相、ミステリの「解決編」ですね、それを聞いた時、あっ!となりました。怪談仕立ての導入部の謎に、きちんと理屈がつく。怪しい話の雰囲気でまず読み手の心を掴まえておいて、なんだなんだと首をひねるうちに、事件のからくりがすっと明かされる。「なるほどねぇ。そういうことだったのか」と、話の趣向の妙を堪能させられた逸品でした。

 二番目の◎を付けた「三つの声」。この話は元治元年(1864年)三月、鋳掛屋の庄五郎の女房が、朝の七ツ(午前四時)過ぎに寝床で耳にした三つの声は何だったのか? その声の主はそれぞれ誰で、どんな意味を持っていたのか? その謎がきちんと解き明かされるところに、推理小説としての面白さを感じました。

 三番目の◎を付けた「正雪(しょうせつ)の絵馬」、これも面白かった。
 半七親分が32歳の時に手がけたこの事件は、安政元年(1854年)の三月、江戸市中にしばしば大きな雷雨が続いた時分に起きたものです。油屋の主人の多左衛門は、絵馬を蒐集するのを道楽にしているのですが、その道楽がちっとばかり過ぎて災厄を招いてしまう。実にどうも、とんでもないことになってしまう。油屋の主人の蒐集熱に関わる人間の思惑と策謀、主人が坂道を転落していく話の成り行き、その辺がスリリングで面白かったですね。
 さらにこの話、終幕で大椿事が起こります。はらはらしましたねぇ、このラストには。半七親分と二人の手下が……。あ、どっかから石どゃない、何かの種が飛んできた。「タネを明かすなあ」って声も降ってきた。はい。この辺で止めときます。

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紙の本戦中派不戦日記 新装版

2004/09/11 21:41

昭和20年の日本にタイムスリップしたような日記。医学生・山田誠也、後の作家・山田風太郎、当時24歳

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書は、医学生として日々を送っていた山田誠也青年(後の作家、山田風太郎)、24歳が記した昭和20年の日記である。

日本が連日連夜、米国のB29の空襲にさらされるようになった頃から、8月15日の終戦、その後の米軍進駐当時の世相が、一青年の冷徹な眼差しによって活写されていく。政府や軍の上層部の言動を憂え、日本の行く末を案じ、民衆の戦争に翻弄される様子に危機感を覚える山田誠也青年。
戦争の渦中にありながら、時代を、そして日本という国を鋭く見据えた記録に唸った。「人間心理の洞察などは、さすがに深い」と舌を巻き、時には畏怖さえ覚えた。

殊に1月〜8月、終戦にかけての熱気がたぎるような記述が凄い。
空襲に脅かされながら、毎日これだけの記録を書きとめ、一日一冊ペースで本を読んでいる。その上、学校で医学の講義も受けているのだ。
若いとはいえ、当時の食糧事情で、これほどのパワーが一体どこから生まれてくるのだろう。後年の山風忍法帖にみなぎる圧倒的な筆力の源を、ここに垣間見たような気持ちにもなった。

最後に、思わず目頭が熱くなった文章をひとつ、引用させていただきたい。昭和20年3月10日、東京大空襲の日の記述である。
>( p.111 )

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紙の本カラマーゾフの兄弟 改版 下巻

2004/05/19 07:00

苦悩し、格闘する登場人物たち。苦しみを抱えながら生きていく彼らの、ほとばしるような人間性に感動しました。

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

登場人物たちが、こんなに人間的に描かれているなんて思わなかった。もっとずっと哲学的、高尚深遠な感じで描かれているのだとばかり思っていた。
ドミートリイ(ミーチャ)、イワン、アリョーシャのカラマーゾフ三兄弟を始めとする本書の登場人物たち。メダルの表と裏のように、高潔さと低俗さの両面を併せ持つ彼らが、歓喜したかと思えば絶望し、この世の終わりかという位おいおい泣き、鬱憤をぶちまけ、わめく姿に仰天した。そして、そんなどうしようもなく矛盾した存在である人間をまるごと受け入れ、慈愛に満ちた眼差しを彼らに注ぎ、描き出していく作者の筆致に胸が震えた。

上巻、アリョーシャと二等大尉スネギリョフ(イリューシャの父)が、道を歩きながら対話する場面。中巻、敬愛するゾシマ長老の死に接したアリョーシャが、長老の幻に出会い、大地を抱きしめる場面。下巻、病床のイリューシャを少年たちが見舞う場面。そうした個々のエピソード的シーンが鮮やかだったこと、印象深かったことも忘れられない。

しかし何と言っても、本書で最高の読みごたえを感じたのは、大詰めの「誤審」の章である。父親殺しの嫌疑をかけられたドミートリイ(ミーチャ)の裁判の章。前半の検事論告と、後半の弁論の息詰まる攻防戦。とりわけ、被告の行動に鋭い心理分析を加えていく検事論告が見事。ミステリのとびっきり面白い法廷シーンを読むような迫力があり、手に汗握りながら夢中で頁をめくっていった。

1878年から書き始められ、1880年に完成したドストエフスキー渾身の大作『カラマーゾフの兄弟』。今読んでもちっとも古さを感じさせない。キリスト教の神と悪魔の問題など、分かりづらいところもあったけれど、苦しみ、悩む人間たちが実に生き生きと描き出されていたところ、本当に素晴らしかった。

ベートーヴェンの第九が今も多くの人の胸を打つように、これは人類の財産とも言うべき作品。生きてるうちに読むことができて良かった!

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紙の本高丘親王航海記

2004/05/03 02:47

夢と夢とが織り合わされ、軽やかに羽ばたいている玲瓏、珠玉の物語

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

西暦865年、日本の暦では貞観7年、高丘親王は唐の広州から天竺に向けて船出した。弟子の安展、円覚、ひょんなことから一向に加わった秋丸とともに。これはその道中記、南海諸国で高丘親王が出会った(あるいは親王が夢で織り上げた)7つの航海記である。

澁澤龍彦さんの遺作となった本書には、著者の紡いだ夢まぼろしが軽やかに、自由に飛翔している趣がありました。
時間と空間を越えてのびのびと羽ばたいている想像力のきらめき。話の底を流れている透明感と清々しい風韻。おおらかで屈託のないほがらかさ。素晴らしい夢幻譚の数々に酔いしれました。最後のほうでは目頭が熱くなって、胸がいっぱいになりました。

航海の途中で親王が体験する不思議な話のいくつかを読むうちに、このまま天竺に着かずに南海諸国をうろうろしててくれたらいいなと、そんなことも思ったりして。今回は親王、どんな夢を見せてくれるのかなと、それがとても楽しみで頁をめくっていきました。

「そうれ、天竺まで飛んでゆけ」という魔法の呪文めいた言葉が素敵だし、登場人物にパタリヤ・パタタ姫なんてのが出てくるんですよね。ネーミングがいいなあと、にこにこしちゃいました。

巻末の解説で高橋克彦さんが、> と絶賛されていますが、いやホント、この作品は素晴らしかった。単品としてなら心に残る名品がいくつか思い浮かびますが、作品集としてこれほどの境地に達した夢幻譚、幻想譚となると……ちょっと思いつきません。

ただひとつ残念なのは、文庫の装丁、表紙カバーのイラストがぱっとしないこと。例えば本書をハードカバーにして、小浦昇さん(『青い月の物語』の絵を描いている方)のイラストを装丁にしたら、きっと素敵だろうなあ。

何にせよ、透明感に包まれた美しい夢幻譚にこうしてめぐり会えて本当に良かったです。読書の至福のひとときに浸ることができました。折に触れてひもとき、読み返したい一冊になりました。

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紙の本ぐるりのこと

2004/12/24 22:02

梨木さんの思いが、凛として立ち上がってくる

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 日本を始め、英国やトルコなど、梨木さんが訪ねた土地にまつわる思い出。執筆当時に起きた幼児殺害事件やイラク人質事件の報道と、それに対する国内世論の反応に接して考えたこと。映画館で『ラスト・サムライ』を観て、「西郷隆盛」的生き方とは何なのか、思いをめぐらせてみたこと。
 こうした、梨木さんの身の回りで起きた“ぐるりのこと”について、心の奥から立ち上がってきた思いを綴ったエッセイ集です。季刊誌「考える人」2002年夏号から2004年秋号に掲載された八つのエッセイ。梨木さんの心にふつふつとたぎる思いが言葉によって解き放たれたような、そんな味わいがありました。

 初夏の午後、英国のセブンシスターズの断崖を、米国人の知人と散策した時の思い出を記した「境界を行き来する」。不思議な静けさに満ちた英国の黄昏のひとときを振り返りながら、梨木さんの思いは、“自分”と“境界の向こう側”とを繋いでいるものへと羽ばたいて行く。思索がふわりと飛翔し、自由に空を舞う風情に引き込まれました。

 E・W・サイードの自伝『遠い場所の記憶』を読んで感じたことから始まり、イラクの人質問題、日本人の国民性へと梨木さんの思いを語って行く「群れの境界から」の第二部。日本民族主義の“歪んだ同胞意識”について思いをめぐらせたこのエッセイは強く共感を覚えるもので、なかでも次の文章が印象的でした。

 >(p.147より引用)

 ひとりの“個人”としての意識よりも、民族共同体としての“群れ”の意識を優先させる傾向を持っている日本人の国民性に対して、>とは言い得て妙。日本人のひとりである自分も、その共同体意識に知らず流されていることはないだろうか、いや、きっとあるに違いないと、ハッとさせられたのです。ここからさらに、流浪の生活を送ってきたある民族の“ノスタルジー”へと、梨木さんの思いは転じて行きます。凛とした文章からほとばしるものに、何か圧倒されるような読みごたえを感じました。

 ところで、それぞれのエッセイの出だしと途中の言葉の何文字かが、他の文字と比べて太く、大きく印字されています。見た目にアクセントをつける意味で、こういう体裁にしたのでしょうか。率直に言って、これはいただけませんでした。この大・太文字の所で、せっかくの話の流れが寸断される気がして、かなり違和感を覚えました。

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半七老人が語る話の中から浮かび上がってくる江戸の情緒、季節感のある江戸の風情が実にいいですね。

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 明治三十年前後、新聞記者をしていたわたしが、江戸幕末期に岡引きを務めていた半七老人の手柄話を聞くという体裁で事件の顛末が語られる「半七捕物帳」シリーズ。第3巻には、「雪達磨」から「一つ目小僧」までの14の話が収められています。

 現代から振り返ってみればなおさら、明治の当時から見ても、怪異の不思議をすっと受け入れてしまう江戸の人たち。電灯などはまだ使われておらず、辺りが闇で満たされれば、提灯の明かりを頼りに夜道を歩くよりほかなかった江戸の人たち。江戸時代の怪談めいた話の不思議と因縁、それが事件の謎と絡まり合っている妙味。影を落としている雰囲気。半七老人が淡々と語っていく話の中から浮かび上がってくるそうした江戸の情緒、季節感のある江戸の風情が実にいいんですよね。
 しんと静まり返った夜、「半七捕物帳」の話をひとつ、またひとつと読んでいく楽しみ。気がつけばいつか時間が経っていたという感じで、読書の贅沢なひとときに浸っています。

 本書収録作品のなかで特に面白かったのは、「海坊主」「旅絵師」「雷獣と蛇」「冬の金魚」、この四つの話でした。
 「海坊主」では、奇怪な人間が品川沖に現れて不思議な事を行う本文幕開きの場面、そこから話の中に引っ張り込まれました。
 「旅絵師」は、半七親分が事件に直接タッチした訳ではないという点で、他の話と毛色が違っていますね。悲劇的な色を徐々に帯びていく話の、哀しく、しみじみとした味わいが心に残ります。
 ふたつの別々の話が語られる「雷獣と蛇」。分量が短いせいもあって小味なんですが、“雷”と“蛇”のインパクトが妙に強く、ぴりりとスパイスが利いたような面白さがありました。話の枕で、江戸の昔と明治の今の“雷”の様子を引き比べて語る半七老人の台詞、これも魅力的です。
 俳諧の師匠が作品に登場する「冬の金魚」。話の舞台や登場人物の名前をちょいと変えれば、これを現代のミステリとして差し出されてもちっとも違和感を感じないだろうと思った作品。事件現場の不可解な謎と、意外な決着の付け方。何だか松本清張の短編を読んでいるような気がしました。

 この文庫シリーズの表紙カバーのイラスト、江戸の風景を描いた堂 昌一さんの絵もいいですねぇ。品の良いたたずまいというのを感じます。
 さらに、錚々たる顔触れの解説陣、「半七捕物帳」シリーズをこよなく愛する方々の文章も読みごたえがあるもの。本書第3巻では、中村雅楽シリーズを書かれた戸板康二氏の文章が掲載されています。その中から少し引かせていただきます。

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宮部みゆきさんの水先案内に導かれて、松本清張の綺羅星の如き名品を読んでいく楽しみ。うーん、堪えられません!

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 宮部みゆきさんが責任編集ということでセレクションされたシリーズ全3冊。矢も盾もたまらず購入し、早速、上巻の本書を手にとって読みました。

 第一章【巨匠の出発点】には「或る『小倉日記』伝」と「恐喝者」が、第二章【マイ・フェイバリット】には「一年半待て」「地方紙を買う女」「理外の理」「削除の復元」が、第三章【歌が聴こえる、絵が見える】には「捜査圏外の条件」と「真贋の森」の各短編が、宮部さんの前口上とともに収められています。
 このなかでは、今回初めて読んだ「削除の復元」が一番の収穫でした。芥川賞受賞作の「或る『小倉日記』伝」と同じく、小倉時代の森鴎外に焦点を当てた作品。鴎外の小倉日記に隠されたある謎が、登場人物の疑問と調査、推測という形で次第に明らかになってくる展開に引き込まれました。
 また、「地方紙を買う女」「真贋の森」などは、以前読んだ時も大変面白いと感じた作品でしたが、今回読み返してみて、やはり面白いなあと堪能させられました。

 私事ですが、清張作品の殊に短編の面白さに開眼したのは、十年ほど前に図書館から借りて読んだ二冊の『松本清張傑作総集』でした。そのなかに収録されていた短編の数々は、まさに綺羅星の如き光を放つ傑作が目白押し。世評高い長編も悪かないけど、こっちの短編群のどれも面白いことといったら!と、たちまち魅了されてしまったのです。それからしばらくは、新潮文庫の松本清張・短編作品集のあれこれを読み耽り、お気に入りの短編を見つける喜びにうつつを抜かす日が続きました。
 なので、今回の宮部みゆきセレクション版、松本清張作品の企画は、どこかでその話を耳にして以来、いつ出るかなあ、早く出ないかなあと、とても楽しみにしていた訳でありまして……。

 といった本シリーズを手にした経緯はこのくらいにして、本書に戻りましょう。
 第四章がひとつ、シリーズ3冊のなかでも個性的な切り口というかテーマで、清張ワールドの一端を示しています。【「日本の黒い霧」は晴れたか】と題された第四章。ここでは松本清張のノンフィクション作品からの抜粋という形で、ふたつの作品を取り上げています。ひとつ目の作品が、全13巻の『昭和史発掘』から抜粋した「二・二六事件」。ふたつ目の作品が、上下巻の『日本の黒い霧』から抜粋した「追放とレッド・パージ」。日本の現代史のなかでも特筆される事件にスポットライトを当て、そこに潜むドラマや歴史の闇、それらがうねり、胎動し、蠢く有り様を丹念に追いかけた記録。
 読みやすいものではなく、中途で挫折しそうにもなりましたけれど、広大な清張ワールドにはこうした世界もあるのだ、そしてそれはおそらく清張作品のひとつの核となる部分でもあるのだろうと触れることができた、それだけでも収穫でした。もっとも、章の前口上で宮部さんが > と述べているように、これは作品のほんの一角に過ぎない訳なのですが。

 さて、上巻の最後は【コーヒーブレイク】として、松本清張作品を担当していた当時の編集者の方、三名のエッセイ。精力的に作品を発表した松本清張の人となりが、彷彿と浮かび上がってくるようでした。なかでも、重金敦之氏が記した次の件りが印象に残ります。>(p.538)

 章ごとに水先案内役として、松本清張短編の紹介をされていく宮部みゆきさんの前口上。これがまた、その作品を読む気にさせてくれる、読み心をくすぐってくれるツボを押さえたものになっています。続く中巻もとても楽しみです。

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