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  3. ろこのすけさんのレビュー一覧

ろこのすけさんのレビュー一覧

投稿者:ろこのすけ

118 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本くじけないで

2010/08/03 09:29

100歳になろうとしている人からの励ましと勇気

26人中、26人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 人には苦しくてどうしようもないときがある。そんなとき、たった一言が支えとなって、つえとなってくれる。今日は九十歳を越えたとき、詩を書くようになったという現在99歳の柴田トヨさんの詩集を紹介しようと思う。
 柴田トヨさんは、1911年(明治44年)栃木県生まれ。裕福な穀物商の一人娘だったが、十代の時家が傾き料理屋に奉公に出された。三十三歳のとき結婚。長男を授かる。1922年に夫と死別。現在一人暮らし。
 その100歳になろうとしている人が伝えたい言葉たちだ。

   あなたに

出来ないからって
いじけていてはダメ
私だって 九十六年間
出来なかったことは
山ほどある
父母への孝行
子供の教育
数々の習いごと
でも努力はしたのよ
精いっぱい
ねえ それが
大事じゃないかしら

さあ 立ち上がって
何かをつかむのよ
悔いを
遺さないために


   朝はくる

一人で生きていく
と 決めた時から
強い女性になったの
でも 大勢の人が
手をさしのべてくれた
素直に甘えることも
勇気だと わかったわ
(私は不幸せ・・・)
ため息をついている貴方
朝はかならず
やってくる

朝陽も
射してくるはずよ


人知れず歯を食いしばって耐えてがんばっているあなた、100歳になろうとしている柴田トヨさんの言葉に勇気と励ましをもらってください。

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人の心と胃袋に滋味をあたえるスープ

19人中、19人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

この本は添え書きに「いのちを支えるスープ」とあるように「おつゆとスープ」が主の料理本である。装丁はルートヴィヒ・ヒルシュフェルトマック作 ベルリンのバウハウス美術館の許可をえたもので美術書かとみまごうほどの美装。

著者がスープ作りに丹精をこめるに到ったのは、嚥下困難だった父に料理研究家の草分けであった母、浜子さんが飲み込みやすいよう工夫した滋養豊かなスープ作りが発端であったとか。
辰巳さんは序「スープに託す」で、
「人が生を受け、いのちを全うするまで、特に終わりを安らかにゆかしめる一助となるのは、おつゆものと、スープであると確信します」「家庭生活の愛と平和を、おつゆもの、スープが何気なく、あたたかく、守り育ててくれますように」と書いている。

解説は図式にのっとって分かりやすく、時として極上の言葉で埋められていて驚かされる。
「表面がほほえむ程度の煮え加減」とか、だし汁の出来具合を「絹の風合い」などと表し、「冷やしものは感性を磨くよい機会」。火力についての説明は「10の火は1からはじまり、0がある。0は余熱。余熱の計算が出来れば仕事は楽しい。愛の世界にも余熱があるでしょ。「残心」なんて言葉を態度で表せたらね」などと含蓄に富んでいたりする。

スローフードなどと流行語となる はるか昔から、それぞれの家で母の愛は,じっくりことことと台所のお鍋の中から生まれ育まれてきたのだ。それは愛するものの為に工夫し、一手間も二手間もかけてなされてきたものだ。まさに「あなたのために」であろう。
寒い夜、心づくしの一杯のスープにほっと心も体も温まった経験は誰にもあろう。
母が、祖母が、姑が、傍らで教え導いてくれているようなそんなあたたかい本。
この本は料理の本であるけれど、人の心に滋味をあたえる源のようなきがする。
母から子へ、子から子へと代々受け継がれる味と本と言って良いだろう。

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紙の本昔日の客

2010/10/06 08:39

古本屋人生を滋味あふれる達意な文で書かれた遺稿集

18人中、18人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 長年探していた本を古本屋で見つけた瞬間ほど嬉しいことはない。その本だけ浮いて見えるから不思議だ。あまりの嬉しさに店主に「この本、随分長い間探していたんですよ」と話しかけると、そっけなく「そうですか」と言われるだけでさっさとレジを閉める様子は情がまるで通わずさみしい。それもそのはず、レジの人は店主でなくアルバイトの店番だったりする。ほんのつかのまでもよい、何か本にまつわる話が出来たらと思うが、思うほうが間違いのようだ。
 『昔日の客』は東京大森の古本屋の店主関口良雄氏による遺稿集の復刻版である。多くの小説家(尾崎士郎、尾崎一雄、上林暁、野呂邦暢など)や文人たちに愛されたこの古本屋「山王書房」。店主の関口氏の古本への愛情や作家たちとの交流はなみなみならぬものがある。本が好きとは言え、自前で『上林暁文学書目』『尾崎一雄文学書目』を作るのだから本好きも年季が入っている。
 時代が変わってしまった。と言ってしまえばそれまでである。大正生まれのこの店主が店を出していた頃と今では比べようもない。それは出版業界の変化もあれば、現代人の価値観の変動というものもある。インターネットの普及もある。しかし、確かにいえることはこの著者が遺稿集の中で言っているように
 「古い本には、作者の命と共に、その本の生まれた時代の感情といったものがこもっているように思われる」 

 人の手から人の手へ、古本の運命も生きている人間同様、数奇の運命を  宿している。 
 私は棚から志賀直哉著『夜の光』を抜いてきた。この「夜の光」の見返  しには、達筆のペン書きでこう書いてある。
 『何故私はこの本を売ったのだろう。キリストを大衆の前に売りつけた  ユダの心にも勝って醜いことだと私は思った。私は醜い事をしてしまっ  た。再び買ひ取った私の心は幾分か心易い感じがしたけれど、やはり過  去の気弱であった自分をあはれ者と意識せずにはおかなかった。僅かば  かりの欲望にかられた私は春雨のそぼ降る四月の或る朝、古本屋に十五  銭でこの本を売りつけたのだった。今更の様に哀愁がわく』(「古本」  から引用抜粋)

 この章は作家の沢木耕太郎も愛した文である(『バーボン・ストリート』)。古本と前の持ち主の本への愛惜の情をこれほど物語っているものはない。愛してやまなかった本とそれを手放さねばならなかった者の気持ち。これらは古本を愛するものにいつでも錯綜する気持ちだ。
 著者は古本を売る店主としてその売り手の愛惜の情を最もよく知っていた人に違いない。そして貧しい買い手の情もである。
 だからかつて野呂邦暢が郷里に帰る日、旅費と支払うべき部屋代を考えると本代が千円しかなかった。しかし欲しい本『ブルデルの彫刻集』は千五百円である。そんな事情を知った関口氏は「千円で結構です」と言ったという。
 貧しい青年であった野呂はその後芥川賞を取った。この店主との思い出を終生忘れなかった野呂邦暢が授賞式にこの店主を招待する章はこの遺稿集の最後から二つ目を飾り、最も印象的な場面でありこの「山王書房」が客にとってどんな存在であり、店主がどんな人物であったかを深い感動を持って知ることができる。
 古本屋は数多くあるが、このように本を愛し作家を敬愛し、客を思い、人との交流をあたたかく、時に茶目っ気たっぷりに生きてきた飄逸な人生を私は知らない。そんな古本屋人生を滋味あふれる達意な文で書かれた遺稿集を読むことが出来たことは望外な喜びである。23年ぶりにこれを復刻した夏葉社の心意気に乾杯である。 
 本を愛する滋味にあふれた本書を多くの人と分かち合いたいものである。

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出会いを大切にする心がひとり旅を豊かに

16人中、16人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本にもいろいろあるけれど、勇気づけられたり、意欲がわいてくる実話を読むのは意気消沈しているときなど良い。
本書はそんな本である。
帯には:
(53歳から英語学校に通い、65歳でイギリスにひとり旅を始め、はや13回の武者修行。パワフルでユーモラス、そして長寿社会を悔いなく生きる知恵がいっぱいつまった生き方&旅行術を綴る)
とある。
八十四歳の女性の英語武者修行であるけれど、写真からは50代にしか見えない若々しい人。
ご高齢のおばさんが英語を勉強してイギリスに一人旅したのかと思ったらさにあらず。
奈良女子大を出て、文筆活動に入り、著書も多数ある人だった。
とはいっても0からの英語学習は53歳から。
それから84歳まで英語の学習をつづけていたのだから脱帽である。

ひとり旅でかかわった人たち(列車の中で知り合った人、ホテルの受付嬢、タクシーの運転手、ホテルのマネージャー)などすべて一回きりのつきあいでなく、帰国後写真同封してお礼状をしたため、そのつながりで、再度渡英。
通りすがりの単なる旅人でなく、旅の途上で触れ合った人たちの親切に感謝する気持ちが双方に通い合って連綿と繋がっていく。
普通タクシーに乗ったら代金を払ってそれでおしまい。
それがこの著者にかかったら友人となってしまい、運転手の家でお茶をご馳走になったり、再渡英するときはまた同じタクシーに乗るというふうにつながりをきることがない。
レストランのウエイトレスもしかり、列車で乗り合わせた人とも友達になるなど、出会いを大切にする心がひとり旅を豊かにしている。
英語学習もひたむきにこつこつと進む。
その努力の積み重ねは何と53歳から84歳までの長い道のり。
英語学習でもひとり旅でも、けっしてがつがつとしたものでなく、ゆったりとふくよかに絶えずユーモアを忘れない。そんな豊かさがまわりの人たちを温め、まきこんでゆく。

この間、ご主人と息子さんを亡くされるけれど、その悲しみを乗り越え、老いへの不安を吹き飛ばして生きていく姿勢に読みながら勇気をもらう。
著書も数多く刊行されているだけあって言葉を大切にする人であることがそこかしこににじむ。道に迷って教えてもらった道順を「詩のようだ」ととらえる感性は素晴らしく、言葉の向こうにある人の温みを鋭敏にとらえる様子はみずみずしく、しなやか。

八十四歳にしてこの努力と行動力としなやかな感性。
読後サミュエル・ウルマンの詩『青春』を思い出した。
(青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。優れた想像力、逞しき意志、燃ゆる情熱、怯ダをしりぞける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こういう様相を青春と言うのだ。年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときに初めて老いがくる)
本書を読んで、誰もがこうしちゃいられないと思うだろう。
若いといばっちゃいられない。老いたと不安がってはいられない。
何かを始めるのにおそすぎることはない。
生きるヒントと勇気をいっぱいもらい、人とのつながりを大切にしたくなる本だった。
夫とご子息を亡くされた悲しさを乗り越え、人との絆を大切に生きている著者らしい見開きの言葉:
ああいつかまた相あうて もとの契りをあたためむ
(島崎藤村『晩春の別離』)

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紙の本くまとやまねこ

2008/05/30 00:25

しみじみと胸の奥底まで染み入るような絵本

15人中、15人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

涙があふれてとめることができなかった絵本だ。
読み終わってまた涙があふれた。でも今度は明日へつながる新しい涙となった。

「ある朝、くまはないていました。なかよしのことりが、しんでしまったのです」
ではじまるお話。

がっくりと肩をおとしてうちひしがれたくまと、あおむけにしんでいることりの絵が胸をつきさす。

くまは悲しみのあまり部屋にかぎをかけて閉じこもってしまう。何日もたって天気の良い日に久しぶりに外へ出たくまは森をぬけ川べりの土手にねころんでいるやまねこに出会う。
バイオリンをもっていたやまねこは、悲しみにくれる くまと亡くなったことりのために演奏する。
ああ、その音色!
くまはバイオリンを聞きながらことりとの思い出をたどる・・・。

誰も愛するものを亡くした悲しみを乗り越えるのはむずかしい。
しかし時という「日薬」は悲しみを一つ一つ埋めていってくれる。
そして誰かが心をささえてくれ、大きな慰めを与えてくれるものだ。
からだは滅びても思い出は決して滅びない。
滅びないどころかそれはいつしか心の支えとなって明日へと歩ませてくれるものとなる。
くまと小鳥とやまねこと。

世の中、みんなくまの悲しみを知るときがくる。そしてやまねこと出会えることがあるだろう。体は滅びても思い出は滅びない。滅びないどころかそれは終生の支えとなって明日へと進ませてくれる。もし悲しみにくれる他のくまにであったら、今度は自分がやまねこになって支え慰める番だ。ふとそんなことを思った。

絵本にしては珍しく静かな穏やかな白黒が基調の絵。
日本絵本大賞、ブラティスラヴァ世界原画展金牌受賞、フランス、オランダなどの賞を総なめにした絵本画家酒井駒子の絵が素晴らしい。

暗闇の中、椅子に腰掛けがっくりと肩を落とすうちひしがれたくまの絵。
小さな箱に花びらがしきつめられひっそりとおひるねしているようにねむっていることりの亡がら。
「ぼく、もうめそめそしないよ。だって、ぼくとことりはずっとずっと友だちなんだ」
森の中にぽっかりとそこだけ日のあたる場所に佇むくまとやまねこの絵。
読む者の胸にも日がさしてくる。

余計な色をいっさい省いて言葉がかもす詩情だけを描いている。

しみじみと胸の奥底まで染み入るような絵本だった。
本棚の一番大切なコーナーに置いておく一冊。


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紙の本祖国とは国語

2006/03/22 16:30

国家の浮沈は国語に

15人中、15人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

いろいろな事件が起き、社会が、人間がおかしくなっている昨今。
詩人の荒川洋治氏は「いま好んで読まれるものを見ると、情報だけの本だったり、時流にあわせたりするだけの本だったり、簡単な言葉だけで作られたものだったりする。簡単なものに吸い寄せられ、簡単な人間が出来上がり、そのため人は怖い思いをする。今もっとも読まれないのは文学書だ」と「詩とことば」の中で言っている。
この憂いの元を藤原正彦は「教育を立て直す以外に、この国を立て直すことは無理だ」と説くことから本書は始まる。
「国家の浮沈は小学校の国語にかかっている」という「国語教育絶対論」。
日本には、万葉集、徒然草、奥の細道、朔太郎、中也にいたる世界に冠たる文学遺産が山のようにある。
しかし、小中学校の教科書に導入できない。なぜか?「漢字制限」があり、常用漢字以外は教科書にだせない。したがって、鷗外や漱石は一掃されてしまったというわけである。古い名作は教科書に登場しにくくなった。
漢字の力が低いと読書に困難をきたし、本から遠のいてしまう。つまり活字離れとなる。
著者は「教科書も新聞もルビをとりいれることで本来の漢字文化を取り戻すべきだ」と説く。
さらに「子どもへの迎合が国語教科書を平易で軽い作品ばかりにしている。日本語の美しい表現や、リズム、深い情感、自然への繊細な感受性などに触れる機会を子どもから奪っている。小学生のうちに古典に触れさせ、イギリス人がシェイクスピアを誦するがごとく、日本人も古典を誦さねばならない。誦すべき文学なき国家は惨めである」とあり、先にあげた荒川氏に呼応するようだ。
国語は「論理」を育て、情緒を培い、知的活動を高め、教養の支えとなる読書する力を生む。
『ユダヤ民族は二千年以上も流浪しながら、ヘブライ語を失わなかったから、二十世紀になって再び建国できた。つまり祖国とは血でなく、国土でもない。「祖国とは国語である」。
「祖国とは国語である」のは、国語の中に祖国を祖国たらしめる文化、伝統、情緒などの大部分が包含されているからである。血でも国土でもないとしたら、これ以外に祖国の最終的アイデンテイテイーとなるものがない。』
『祖国の文化、伝統、情緒などは文学にもっともよく表れている。国語を大事にする、ということを教育の中軸にすえなければならない』
まさに言いえて妙である。熱を帯びた論「国語教育絶対論」は国際派の数学者である著者が二十年以上も説いてきたことがらである。
斎藤孝氏は解説で「ああ、この人に、文部大臣になってもらいたい」と書いている。まさに名言!
このほか、本書には「満州再訪記」が収められている。著者の母藤原てい著『流れる星は生きている』の地を今は老いてしまった母と家族とで再訪する記である。
幼子であった著者と兄、乳児をつれて壮絶な引き揚げ体験をした地に、今はその記憶も定かでなくなった老いた藤原ていさんが立つ。
熱いものがこみあげる感動の旅行記であると同時に、日本の歴史が凝縮された「満州」を丁寧に遡った記述は昭和をたどる旅ともなっていて白眉。
著者の文才を最初に認めたのはあの山本夏彦氏。
まさに達意の文とユーモアのセンスは夏彦氏をして「自分の目に狂いはなかった」と言わしめた。
文章の一つ一つから熱意がほとばしり、読者を思考させ、共感を与え、笑わせ、そして泣かせるこの本。
多くの人に是非読んでもらいたい。

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物言わぬ動物を、人生の「同伴者」として共に過ごした愛惜と喪失と賞賛

12人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 第二次世界大戦中のロンドン郊外で一羽の小スズメが左足と翼に障碍をもって生まれた。自然界では生きていけないとみなしたのか、親鳥は巣からこの雛を落とした。孵化したばかりのこの雛はピアニストの老婦人に拾われ、十二年と七週と四日と言う寿命を全うしたのである。その実話記録が本書である。
 著者は序文で「愛玩動物の物語ではなく、何年にもわたり、人間と鳥との間に培われた親密な友情の物語である」としている。
 クラレンスと名づけられたスズメは婦人の献身的な愛情に包まれて育ち、野性の本能と、後天的に獲得したピアノに合わせてトリルつきで歌うという才を身につけた。室内だけを全世界とした彼はヘアピンと、トランプの札、マッチ棒などで遊びをみつけた。この愛すべき特技は爆撃機におびえる子供たちや市民につかのまの安らぎを与えることになった。
 野生の鳥が人間に全幅の信頼を寄せ、甘え、生きていることの歓喜の歌を歌うことなど、誰が知りえようか。
 最も感動するのはスズメが晩年、生まれついての不自由な体でありながら、くじけず、脳卒中の後遺症でさらに不自由な体を自らの訓練でリハビリする様子である。誰に教えられたわけでもなく、自ら乗り越えていく姿からは、勇気と励ましをもらう。
  本書は六十年前、ヨーロッパやアメリカで大ベストセラーになった。
 その幻の名作を梨木香歩が完訳。最近ではめずらしく函におさめられていて、装画は酒井駒子による。装丁は大久保明子。
 酒井駒子の胸に染み入るような装画の小函は本書をいつくしむように包んでいて、この本がどれだけ丁寧に心をこめて作られた本であるかがわかる。
 「訳者あとがき」で梨木香歩はこう述べている:

 「キップス夫人の文章は格調高く、感情表現を極力抑制し、スズメの行動を客観的に推測するのに必要な情報を冷静に著述しようと意志が見られた。だからこそ、そこから隠しようもなく滲んでくる、クラレンスと共に過ごした日々への愛惜が胸を打つ。
 物言わぬ動物を、人生の「同伴者」として共に過ごすことは、自分自身の内側に棲む生きている鏡と会話を続けるようなものだ。だからその喪失は、人間の友を亡くすつらさとは種類の違う、自分自身の、部分的な喪失とも等しい。文字通り、「穴」が開くのである。内的な必然から、彼女はこの「記録」を、書かざるを得なくなったのだろう。他の何ができようか」
 
 梨木香歩の心をこめた名訳がしみじみと胸を打ち、小さな函にいつくしむようにおさめられた本書は長く読み継がれてほしい一冊である。


ブログ「言葉の泉」はこちらです。

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紙の本春にして君を離れ

2009/05/28 17:21

人間に巣食う自己満足、独占欲がもたらす罪

13人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 第二次世界大戦がはじまる少し前の話である。
 主人公ジョーン・スカダモアは中年の美しい主婦。夫は弁護士。子ども三人を立派に育て上げ、自分たち夫婦ほど幸福な者はいないと思っていた。それはひとえに自分が夫や子どものためにがんばってきたおかげだと自負するのであった。
 末娘の嫁ぎ先のバグダッドへ娘の病気見舞いに行き、ロンドンへと帰路につく途中、テル・アブ・ハミドの砂漠地帯で長雨のため足止めを食う。
足止めを食っている宿泊所で退屈な日々を過ごすうち、来し方のあれやこれやを思い起こす。自分がどれだけ理想の家庭を築いてきたか、夫のためにつくしてきたことや、子どもたちの為に良かれとしてきたことを邂逅するうち、徐々にそれらが本物だったのだろうかと疑念を抱く。
 夫の愛情の真偽、子どもが自分に抱く感情にはじめて気がつくのだった。

 自分の顔は自分で見ることが出来ない。
どんな概容をしているのかを知るためには鏡でみると分かる。では鏡を見ることが出来なかったらどうだろうか?家族や、友人、周囲の反応が如実に物語ってくれる。
 しかし、彼らが発する言葉や態度を正しく読み取れず、自分の都合の良いように解釈したとしたら、「自分」を正しくみることはできない。
 人は己を直視することは少ない。自分の醜さの部分ならば、さらに直視しようとはしないものだ。自分を正しいと思いこみ、他者の人生までも自分の思い通りにしようとする。しかも、それが愛するが故の強制であったなら思い通りにされた者の人生はどうなるのだろうか?しかも「愛」と思い込んでいたものは、実は自己満足以外の何ものでもなかったとしたら。
 愛するがゆえに赦されないものは何だろう?
 幸福とは何だろうか?自己満足と云う愚かしさ、独占欲がもたらす罪。
それらが織りなす物語。
 虚構の世界ではあるけれど、現実にどこにでもあるあの人やこの人の人生がここにはある。いや、これは私のことかもしれないと思ったとたんぞっと過去を振り返るのだった。
そして何よりも一番怖かったのは最後に夫のロドニーがつぶやいた言葉である。
 人間に巣食う自己満足や、独占欲、幸福のあやうさを、淡々としかし深遠にえぐってみせたメアリ・ウエストマコットの最高傑作である!
実は何を隠そうメアリ・ウエストマコット!というのはアガサ・クリスティーの別名である。
アガサ・クリスティーが殺人も、探偵も出てこない小説を6篇だけ書いた。
そのうちの一つがこの本。
アガサ・クリスティーは長い間アガサの名を隠してメアリ・ウエストマコットの名のままこの作品を出していた。
アガサ・クリスティーはこの本の構想を長年練ってきたそうだけれど、書き始めたら1週間で書き上げたのだった。そして完成したときは性も根も尽き果ててすぐベッドにもぐりこんで、一語も訂正せず、そのまま出版したという。
アガサの名をなぜ長い間秘して本書を出版したのか?その謎を推理してみるのも面白い。

言葉の泉




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明治・大正ジャーナリズムにおける堺利彦の業績と歴史に埋もれた真実に迫る

12人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 日露戦争が始まる前、社会主義者の堺利彦が親友の幸徳秋水と共に「平民社」を創設し、反戦運動を唱えたことは教科書で習い、知っている人は多い。
 しかし、「平民社」は知っているが「売文社」という名前とその存在を知っている人はどれぐらいいるだろうか。
 「売文社」は堺利彦によって作られたものである。「売文社」は大正期の社会主義運動の「冬の時代」と呼ばれる官憲の弾圧を耐え忍ぶ拠点であった。生計を立てるための組織であり、同士たちの交流の場であり、若者たちの教育の場であった。
 「平民社」が二年あまりで解散になったのに対して「売文社」はあの厳しい弾圧の時代に八年三ヶ月も継続したとは驚きである。
 では「売文社」とは何か?その活動の様子、具体的な実像、内部ではどんなドラマがあったのか、そして堺利彦とはどんな人物であったのか。それを掘り起こしたのが黒岩比佐子である。黒岩はおびただしい資料や古書を買い集め、取材し、それらを平易明快な文章にし解き明かしたのである。
 つまり、これまで歴史の裏側に埋もれて見えにくかった事実、忘れられた人や誤解された人を掘り起こし、「売文社」の全体像と堺利彦という魅力的な人物に迫ったのが本書なのである。
   
 本書を見た人は十中八九その表紙に目を奪われ思わず手に取ってしまうだろう。セピア色の写真。三人の人物の顔に釘付けにされてしまうのだ。黒紋付の羽織の男。暗い目をした意志の強そうな女性。真ん中に七五三の晴れ着を着た幼いながらも鋭いまなざしの女の子。
 これは堺利彦が出獄後、「売文社」の看板をあげた家の前で、妻為子と、娘の真柄の七五三を祝った記念写真だ。
 次に目を引くのが表題となっている『パンとペン』の文字である。
 この「パンとペン」こそは「売文社」が旗印として掲げるものなのである。商標は「食パンに万年筆を突きさした画」。一回見たら忘れられないユーモラスな商標だ。
 堺は「僕らはペンを以ってパンを求めることを明言する」と謳った。
 つまり人間は食べなければ生きられない。その食べるための手段として文章を書くこと、パンを得るためにペンを使うことを堺利彦は「売文」と表現し宣言したのであった。
 売文社の社員には、大杉栄、社会主義者の荒畑寒村、山川均、高畠素之、尾崎士郎がいる。
 堺の親友だった幸徳秋水は大逆罪で絞首刑になった。大逆事件で死刑になった十二人は捏造された(フレーム・アップ)証言や証拠で死刑に処せられたのであった。しかし、堺や大杉、寒村、山川らは「赤旗事件」で投獄中だった為、難を逃れた。
 処刑された多くの仲間たちのむくろは堺がひきとり火葬した。地方にいて名前を変え、息をひそめていた家族を探し出し遺品と遺骨を届け、慰め励ましたのは堺であった。激しい思想弾圧と尾行にも屈せず遺族を探し慰めた堺という人物には胸が熱くなる。
 堺は「ペンとパン」を商標に「編集プロダクション」「翻訳エージェンシー」の元祖ともいうべき「売文社」を立ち上げた。それはあたかも大石内蔵助が世をあざむいたように「猫をかぶって」機の到来をうかがう八年三ヶ月であった。
 
 ここで黒岩が注目し掘り起こしたのは「売文社」における仕事である。堺は歴史書ではとりあげられたが、文学の世界ではまったくとりあげられなかったのである。そこに黒岩は注目したのであった。
 つまり今まで誰も書かなかった明治から大正ジャーナリズムにおける堺利彦とその業績が本書ではじめて明かされるのである。
 私たちが映画やミュージカルでおなじみの「マイイフェアレディ」の原作は「ピグマリオン」。バーナード・ショーの作品である。バーナード・ショーの作品の翻訳を手がけた先駆者が堺であったとは特筆すべきことである。そのほか、チャールズ・デイケンズ、アレクサンドラ・デュマ、エミール・ゾラ、ウイリアム・モリス、ジャック・ロンド、モーリス・ルブランの「ルパン」を翻訳。マーク・トウェインの作品のうち短編二つを堺が訳していることはほとんど知られていない。
 十八歳から作家デビューして以来、尾崎紅葉、夏目漱石、有島武朗、に至るまで多くの作家との交友があったことも驚きである。
 (一)「言文一致体の普及」に貢献。(二)平塚雷鳥より六年も前に婦人論を述べ、日本の婦人解放運動の先駆者だったこと。(三)日本一のユーモリストであったこと。
 など、黒岩は次々と掘り起こし、解き明かし、読者の目からうろこを落とさせた。

 堺利彦はその生涯で多くの友人や支援者に支えられた。それは「人を信ずれば友を得、人を疑へば敵を作る」という生涯の信条からもうかがえる。
 また「堺は如何に困窮した場合でも我を忘れてよく後進の面倒を見、道を開いてやることを忘れなかった」という友人の言葉が「売文社」での事業と堺自身の人柄を表わしている言葉である。

 幸徳秋水はいつもそばに堺がいたからこそ、カリスマとして存在した。
 これは堺が好んで口にした言葉「棄石埋草」(すていしうめくさ)にも通じるのではなかろうか。堺利彦の実蹟が今日こうして黒岩の手によって明かされることがなければ、讃えられることもなく、人々の記憶から消えてしまう、まさに「棄石埋草(すていしうめくさ)となったであろう。

  最後に手に入りずらい古書や資料を探しだし、終日足を棒にした黒岩に「古書の神様」がご褒美をくださった事件があった。それは東京古書会館での古書即売会で起きた。「麺麭(ぱん)の略取」の偽装本の発見である。発禁本の「麺麭の略取」に誰かが『武士道』の表紙をつけて偽装したものだ。いわくありげなこの珍本を掘り出した黒岩には「古書の神様」がついているに違いない。心の中で歓声をあげたであろう黒岩の顔が目に見えるようで思わず頬がゆるむ。

 ※黒岩さんがこの作品を三年余りの年月をかけて書いた渾身を思った。「あとがき」で全体の五分の4まで書き進んだところで、がんを宣告されたことを吐露されている。病魔との闘いに調べたくとも行けなかった多くの場所にどれだけ歯噛みをしたことだろうと思うと胸がつまる。
 しかし、作品は「全力を出し切ったという清々しい気持ちでいっぱいだ」と黒岩さんに言わしめるだけの充実ぶりであることは言うまでもない。

 これまで歴史の裏側に埋もれて見えにくかった事実、忘れられた人や誤解された人を掘り起こし、「売文社」の全体像と堺利彦という魅力的な人物に迫った本書。黒岩さんの渾身の作として読者の心に長く残ることを確信する。多くの人と、この読後の充実感を分かち合いたいものである。
 黒岩さんの体調の快復を心より祈り次回の作品を心待ちする次第だ。




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紙の本ずらり料理上手の台所

2008/07/01 23:44

使い勝手のよい台所はよそゆきじゃない自分だけの「台所の美」が生まれる場所

10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

21人の台所を紹介した本で、どの台所もよく使い込まれた道具や自分でリフォームした扉や棚など工夫がこらされており、こだわりと共に使い勝手のよさが際立っている。

先ず小さな台所の持ち主、塩山奈央さんの台所;
木造アパートの流しとコンロだけの台所では驚くほどの工夫が凝らされていて驚く。
それは頭の上にも手元にも棚をとりつけ、ぶらさげられている。壁には2本の細いポールと木の枝を上下に渡してあって、お玉、計量カップ、ニンニク入りの小ざる、思いつく限りの軽い調理道具がぶら下がっている。

狭い台所を嘆く人は多いけれど、この台所の使い方を見ると反省させられる。
つまり自分が必要とすることは何でも工夫すること。小さなスペースをいかにやりくりするか。そこがその台所の持ち主の知恵なのである。
自分サイズの暮らし。
それをいかに工夫し楽しむか。
その生きる知恵をこの台所から学んだ。

次に紹介するのはホルトハウス房子さん。
彼女の料理をどれだけ参考に作ったか知れない。
その台所はフランスの鍋や北欧の台所道具が一杯。
しかしお鍋を見て驚いた。目の玉飛び出るほど高い「ル・クルーゼ」の小鍋は何十年と使い込まれてほうろうの底ははげて鋳鉄がみえているほど使い込まれている。

ホルトハウスさん曰く:
「素性のいいものには、いつしか年輪みたいなものがつくんでしょうね。なじんで、独自の、よそゆきじゃない美しさが生まれてくる。するとまた捨てられなくて」と。

また台所製品を買うときのポイントをこういう。
「台所のものを買うときはいつも思いきってきたわね。ちょっといいわぐらいじゃ買わない。質はどうか、使い勝手はどうか、しまう場所も考えて、置いて綺麗かどうかも。」

料理研究科の渡辺有子さんの台所の場合:
どこもかしこもぴかぴか。
食器を洗うのとおなじように、換気扇やガス台の五徳も、毎日掃除。
「まとめて大掃除するほうが面倒。だから「常ぶき」する「食べた後の食器を洗うのと同じ感覚なんです」とのこと。

おー!私もガス台の五徳までは洗うけれど、換気扇までは毎日そうじしてませ~ん!

ほかにたくさんの台所があり、工夫があり、それぞれのこだわりがあって、参考になることばかり。

みんな共通することは自分の使いやすさ、使い勝手のよいように工夫されていて、そこにはよそゆきじゃない自分だけの「台所の美」が生まれていることだ。

モデルハウスのシステムキッチンは美しいけれどそこには生活がひとつも感じられず料理のにおいがないただの場所でしかない。

寒い夜、心づくしの一杯のスープにほっと心も体も温まった経験は誰にでもあるだろう。そのあたたかさは台所から生まれるのだ。
「台所」にはその台所の主の年輪と愛情と知恵が詰まっている。
そんな「台所」を紹介してくれた素敵な本だった。

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紙の本朔太郎とおだまきの花

2006/09/01 18:30

血は水よりも濃し

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萩原朔太郎の第一詩集「月に吼える」が出版されたとき、今までの七五調の詩の殻を破った自由口語詩として日本の詩壇を大いに揺るがした。
また「異常な感覚、病的な神経」を取り上げ、「地面の底に顔があらわれ、さみしい病人の顔があらわれ。」と連用形で重ねられてゆく「音楽性」も注目されたのだった。
さて、その朔太郎の娘で小説家萩原葉子が娘の立場から初めて、父の詩「月に吼える」の誕生を解き明かし、同時に朔太郎の生き様とすさまじい家族の相克を描いたものが本書である。
上記の「異常な感覚、病的な神経」「連用形で重ねられてゆく音楽性」の謎をその生い立ちから順にさかのぼって解き明かすにつれ「月に吼える」に潜む詩人の心のうちが謎解きされていくのである。
謎解きは朔太郎が名門医師の長男として生まれたところからはじまる。
朔太郎の父は幼い朔太郎に屍体解剖を見せ医者の跡継ぎになるよう育てた。その結果感受性の鋭い朔太郎は原因不明の高熱を出し、糸のようにやせ細り、怯え、夜中にふらふらと起き上がり「お化けがいる」と泣くようになった。
「異常な感覚、病的な神経」の根がここにあった。
幼児期に見せられた屍体解剖の恐ろしい記憶が常に朔太郎を苦しめ怯えさせ孤独にさいなまれる様は凄まじい。
また不承不承見合結婚し、生まれた長女の葉子(著者)と妹明子は実の母が愛人を作って離縁したため祖母宅に寄宿。
祖母にいじめ抜かれ食事もろくろく与えられず赤城山か利根川に捨ててしまえとののしられ育つ。
著者は本書の中で「人生は過失である」と書いた朔太郎の詩を思い起こし、「生まれてから思春期までそれは苦しみの連続です。父上の思春期は《月に吼える》が出版されるまでと言ってよいでしょう。あとは少しずつ暗闇から抜け出してゆき、・・」と書く。
朔太郎は名門医師の跡継ぎとしての重荷と屍体解剖を見た幼児期の恐怖に怯え苦悶してきた日々を《月に吼える》という詩集で吐き出すことができたのだった。
朔太郎は父に処女出版した詩集をみせて激怒される。「これは、ぼくのすべてを吐露した詩です。ここまでたどりつくのに苦しみました。《詩はただ、病める魂の所有者と孤独者との寂しいなぐさめである》と書いたように、それがすべてです」と朔太郎に文中で吐露させている。
朔太郎の《月に吼える》の詩の誕生をこのように壮絶な内面の葛藤で解き明かした作者。
では作者の生育過程はといえば父朔太郎からも、実母からも、祖母からも無視され、捨ててしまえといわれ続け、生きていることさえ否定され虐待され続けたのだった。
にもかかわらず、後年、子供を捨て、男のもとへ走った母を探し出し亡くなるまで暮らした著者。
血は水よりも濃しなのだろうか。
血は水よりも濃しは何もこの母の件に限った事ではない。
子供も妻も省みずただひたすら文学の人であった父を描いて幾つもの文学賞を受賞した著者。
最後の遺作となった本書では、その偉大な父の詩を娘の目から解き明かすという快挙をし、著者にはまごうことなく偉大な詩人萩原朔太郎の血が脈々と流れ受け継いでいることを証明している。
朔太郎を知る上で今後本書をはずすことはできないであろう作品である。

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紙の本フロイスの見た戦国日本 正

2006/03/28 16:54

外国人が見た初めての日本・日本人論

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ヨーロッパの十五、六世紀は大航海時代と呼ばれ、富と領土獲得を求め発見の世紀であった。
そんな時代に日本もヨーロッパ人により発見された。しかし、それは領土獲得でなく、布教の情熱に燃える宣教師たちであった。彼らは南蛮時代の伴天連ことキリスト教宣教師の集団であった。
ザビエル以来彼らは日本に骨をうずめる覚悟で渡来し、母国に書き送った日本に関する報告書は膨大な量であった。
そんな伴天連の中で、日本に十二年も過ごしたのは、ポルトガル人宣教師ルイス・フロイスだった。日本における布教の歴史、一般庶民、大名、武将、文化人との交流を彼は流麗な文章で全十二巻にも及ぶ『日本史』として記録した。その膨大な『日本史』の訳者でもある著者が一冊にまとめたものが本書である。
ポルトガル人宣教師フロイスは1563年(永禄六年)西九州の横瀬浦に上陸。三十一歳であった。
戦国末期の政情不安の中で、宣教師たちは困難に囲まれ、時には生命の危険すらあった。
九州から都入りを果たしたフロイスを待っていたのは、南蛮の文物に強い関心を寄せる信長であった。信長はふだん誰にも見せていない自慢の岐阜城を無条件でくまなくフロイスに見物させた。
以後十八回にも及ぶ信長との交流はフロイスだけに許された関係であったことは、人好みの激しい信長にしては異例の処遇。
さて、その信長の人物像をフロイスは鋭い観察眼で描いておりこの武将を知るうえで貴重な資料となる。
『彼は中くらいの背丈で、華奢な体躯であり、髯は少なくはなはだ声は快調で、極度に戦を好み、軍事的に修練にいそしみ、名誉心に富み、正義において厳格であった。彼は自邸においてはきわめて清潔であり、自己のあらゆることをすこぶる丹念にしあげ、対談の際、遷延することや、だらだらした前置きを嫌い、ごく卑賤な家来とも親しく話をした』
また信長に招かれて安土城をつぶさに観察したフロイスの記述は天守閣を含め城の全貌を後世に伝えることができた貴重なものである。
次にフロイスが見た戦国武将の人物像をかいつまんで引いてみよう。
明智光秀の人物像は:
『裏切りや密会を好み、刑を科するに残酷で、独裁的でもあったが・・・(略)忍耐力に富み計略と策謀の達人であった』と手厳しい。
本能寺の変はまるで現場にいた目撃者のようにフロイスは迫真の記述を残している。
秀吉:
『彼は優秀な騎士であり、戦闘に熟練していたが気品に欠けていた。彼は身長が低く、醜悪な容貌の持ち主で、片手には六本の指があった。関白は極度に淫蕩で、悪徳に汚れ、獣欲に耽溺しており、抜け目なき策略家であった』と嫌悪感がにじみ出ている。
このほかフロイスは高山右近や過酷な運命に弄ばれながら乱世を凛々しく生き抜いた日本女性(細川ガラシャ、将軍義輝の奥方、北の政所など)についても感動的な証言を残している。
また日欧建造物比較論も記述しており当時の家屋を知るうえでも貴重。
こうして六十五歳で病没するまでフロイスは『日本史』の完成に心血を注いだのだった。
フロイスの『日本史』がなぜ貴重な記述であるか?
それは日本人である場合、政治的配慮、因習などに影響され書きたいことが書けないことが多い。
その点、伴天連たちは公正で客観的な観察と判断、先入観にとらわれない素朴な目で見ることができたからといえよう。
十六世紀の日本の風俗、文化、芸術、政治、宗教をヨーロッパの知性が如何に見たか、外国人が見た最初の日本、日本人論として読むとき、それは趣き深い。

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紙の本役にたたない日々

2010/11/06 18:55

面白うてやがてしみじみ人生を想う一冊

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 読みながら何度も声をたてて笑ってしまった本である。そして、面白うてやがてしみじみ人生を想う本でもあった。
 本書は2003年秋から2008年冬までの日々の出来事や思いが日記風に綴られたものだ。率直で大胆な表現はさばさばとして小気味よく思わず吹き出さずにはおれない。人間観察がするどく美大卒の画家でもあるだけにその人間スケッチは映像をみているようだ。例えば昔パリの場末のレストランでみた出来事を引いてみよう。

 昔パリの場末のレストランで毎晩同じ席で夕食を一人で食っているバアさんを見たとき、胸をつかれたことがあった。首が前に折れて、満身の力をこめて肉を切り、異様なパワーで肉を飲み込んでいた。九十近くに見えた。緑の帽子をかぶり一心不乱に不機嫌のオーラを立ちのぼらせていた。そのままパタリと前のめりになってこと切れても不思議ではなく思え、私は胸がドキドキした。気がつくと皿はなめたように空っぽで仰天した。つえをついてよたよたと外のあかりの中へ消えたコートの後姿は意地っ張りの孤独の固まりで、そのままあの世に行く途中ではないかと思った。さすが肉食人種、さすがヨーロッパ人。

 人間観察はこれだけでなく日常関わる人たちの観察が面白いうえ、その観察の裏に潜む著者の人間性や人生観、生きる姿勢などが垣間見えて滋味があふれる。
 65歳から70歳に手が届くまでの日常では、爆笑に次ぐ爆笑の話題が多い。笑い転げながら読み進むうち飢えて死んでいった兄や、中国人強盗に気丈に立ち向かった母、ちゃぶ台をひっくり返す父の思い出に戦中戦後の昭和がよみがえり、その時代に生きた人々にものを思うのだった。著者の目を通してみる世間や人間観は生老病死に彩をあたえていて面白く息をもつかせない。
 時にはビデオを借りてくる。それも戦争ものである。

 「戦争好きだからでなくなぜ人類はばかばかしい悲惨を繰り返すのか知りたいからだ。参謀というものは世界地図を広げて作戦を立てるだけ、現場で戦うのは生身の一番身分の低い兵隊。「男の人っていい人たちだなあ」
 と皮肉ることを忘れない。
 「女を兵隊にしたら、脱走するか、ずるするか、仲間割れしたり、敵より平素気に食わない仲間や、本妻と二号が一緒になったりしたら、後ろから打ったりしそうな気がする。女に大義などないと思う」
 というあたりは男と云うものを皮肉り、女の特性をちくりと刺し、最後に「女に大義などない」とやってくれる。
 また時事ネタでは
 「女は子どもを「産む機械」だと云われて、あんなにヒステリックになるなんて女がすたるではないか。< はいはいそうですよ、男は単なる種馬ですわな、機械以下ですわ、しっかりがんばりなと笑っていればいいではないか」
 とするくだりはなんとも痛快である。

 そして最後70歳をまえにした著者は乳がんから骨に転移して余命を医者に聞くところはからっとあっさりとしている。あっさりしているだけに読む側はしんとなる。
 「死ぬのはこわくないの?」と聞かれて「だっていつかは死ぬじゃん」「もっと大変な病気はいっぱいあるじゃん。何でガンだけ『そうぜつなたたかい』とか云うの、別にたたかわなくてもいいじゃん。私戦う人嫌いだよ」とある。
 
 「この先長くないと思うと天衣無縫に生きたい、思ってはならないことを思いたい」
 という文に胸中深くするのである。

 日常をとりまく人たちの人生をスケッチする著者のパレットに深い陰影と滋味を帯びさせたのは作者自身の人生そのものである。
 読後じわじわと胸に響いて効いて来るエッセイで人生というものをあらためて考えるのだった。
 心に深く残る一冊となった。

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紙の本悪人 上

2010/01/22 17:14

「豊かさ」と呼ばれるものの空虚さ

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 殺人事件がどうやって起こったか、そして犯人は誰か?
 こう書くと何の変哲もないただの犯罪小説だと思うだろう。
 しかし、この小説はそんな類のものでないというのが最後まで読んで初めて気がつくのだった。
 殺人事件が起きた舞台は福岡市と佐賀市を結ぶ国道263号線、背振山地の三瀬峠である。
 登場人物は短大を卒業し保険の外交員となった佳乃、裕福な旅館の息子で大学生の増尾圭吾、長崎市の郊外に住む土木作業員の祐一、紳士服の販売員の光代である。そして彼らを取り囲むように配置された友人や父母、祖父母などである。
 保険外交員の女性が殺される。彼女はその夜、モテモテ男の大学生とデートすると行って出かけたが相手は出会い系サイトで知り合った土木作業員の男。友だちにはみえをはって大学生とデートすると嘘をつく。このみえからでた嘘と現実の食い違いが殺人を招くことになる。

 殺人犯のそれからを追っていくうちに加害者と関わりあっていく女性たちをからめて話は加速していくのであるが、いつも視点は登場人物自身であるところがこの小説を常にニュートラルにしている。
 つまり誰が「悪人」かというきめつけるようなまなざしがないのである。
 常にその登場人物側から物語りは語られている。

 人は一つの事件が起きるとその結果から犯罪にたいする罪を判断しようとする。しかし、ことのあらましをあらゆる角度からみることなしに裁くことはそれこそ「罪」である。昨今のワイドショーや新聞の記事から我々は事件を知ったような気になる。しかし、それはほんの少しの情報から得た判断をもとにワイドショーの記者や新聞記者が記事にしたものであることを知るべきだろう。それを証拠にすぐ判断は二転三転する。
 そしてそれにしたがって我々読者、視聴者の判断も二転三転するのである。昨日犯人だったものは今日は無実の人として「独占インタビュー」などと銘打って放映されたりする。
 そんなマスコミのあり方に一石を投じた小説ともいえよう。
 それと同時に我々の真実を見る力、判断力にもである。
 陪審員制度ができ、単眼的物の見方、思考のありかたは大きな問題点となる。マスメディァに対する読者、視聴者の複眼的思考のレベルアップと批判精神を忘れてはいけないことも示唆している小説であった。
 また恋するチャンスも場もないまま、ただ無為に働いて一日が終わってしまう若者が出会い系サイトにアクセスする気持ちや、豊かでない暮らしの中、地道に生きていく人たちを丹念に描いていて、そうした視点から社会を見たとき、「豊かさ」と呼ばれるものの空虚さを描き出した作品でもある。

 「悪」というものの種はどこから生じるのだろうか。
 そして「悪人」とは一体どんな人をさすのだろうかを問う小説であった。
 殺された娘の父親の言葉:

 (今の世の中、大切な人もおらん人間が多すぎったい。大切な人がおらん人間は、何でもできると思い込む。自分には失うものがなかっち、それで自分が強うなった気になっとる。失うものがなければ、欲しいものもない。だけんやろ、自分を余裕のある人間っち思い込んで、失ったり、欲しがったり一喜一憂する人間を、馬鹿にした目で眺めとる)

 心にドンとこたえる言葉だ。

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『食道楽』の人村井弦斎

2010/09/13 14:56

百年前「食育」と「異常気象」を喝破した啓蒙小説家

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 すぐキレル現代っ子、肥満、過食、拒食、孤食の害と原因が報じられようになって久しい。そこで注目されたのが「食育」の重要性である。2005年六月には「食育基本法」が成立した。目新しい言葉だと思ったがこの「食育」という言葉は百年前、明治のベストセラー作家で、ジャーナリストであった村井弦斎が指摘していたと聞いてびっくりした。 
では
 1、村井弦斎とはどんな人でどんな作品を書いたのか?
 2、ベストセラーとなった『食道楽』とはどんな作品なのだろうか?
 3、ベストセラーになったわけは?
 4、なぜベストセラー作家が今日、文学史上でその名を知られることがないのだろうか?
 こんな疑問を持ってこの評伝を読むことにした。

 1、村井弦斎とはどんな人?
 村井弦斎は1863年(文久3年)現在の愛知県豊橋市で誕生。1927年(昭和2年)63歳で死去。父は漢学の教師として渋沢栄一の子供たちを教え、母は「典型的なサムライウーマン」という女丈夫。この両親の元で育った村井弦斎は東京外国語学校を中退し、1884年(明治17年)21歳のときアメリカへ行き約一年間滞在。各種統計を調査。帰国。帰国後報知新聞に入社。新聞小説を書く。
 報知新聞で6年連載した未来小説『日の出島』は,明治期に書かれた最も長い小説として話題を呼び,弦斎は新聞小説界の第一人者として認められ人気を博す。その後連載されたのは『食道楽』である。
 1903年一月から十二月まで連載された『食道楽』はヒロインお登和がつくる和洋中のさまざまな料理が話題になった。新聞連載と並行して『食道楽』は春夏秋冬の巻の四冊単行本が出版された。四巻あわせて十万部を超えるベストセラーとなったのである。
 2、べストセラーになった『食道楽』とはどんな小説なのか?
 登場人物は、文学士の中川と妹のお登和。中川の親友の大原満である。大原満は肥満しさえない男。ヒロインの「お登和」は美人で聡明で料理上手な令嬢。この不釣合いと思われる二人はお互いにひかれあう。
 文学士の中川はひたすら料理の講釈をたれる。一方、妹のお登和嬢は和洋中、さまざまな料理を作り、大原の誤った食生活を改善しようとする。つまりお登和嬢と大原満との恋の進展をはさみながら食生活のありかた、「食」の重要性、健康と栄養について啓蒙していく「食育」小説なのである。

 3、ベストセラーになったわけは?
 この小説がベストセラーになったのは小説の中でレシピつきで紹介される料理が和洋中、630種にものぼる点にある。明治時代の女性たちは実用的な料理記事として圧倒的な支持を得たのである。 
 では作者の村井弦斎はいったい、どのようにして630種もの料理レシピを得たのであろうか?それは17歳年下の妻、多喜子が作る家庭料理からだった。多喜子は大隈重信伯爵の親類であり、後藤象二郎伯爵の係累という出自である。西洋料理のコックが雇われている家で味見をしたり料理をコックから習ったりした贅沢な味覚と料理の腕の持ち主である。
 弦斎は、妻の料理と大隈伯爵がつかわせたコックの料理などを参考にしたものである。小説のヒロイン「お登和嬢」は弦斎の妻、多喜子がモデルである。
 こうして内容の面白さ、630種もの料理レシピつき、さらに巻末付録には「日用食品分析表」「料理の書籍」「台所道具の図」「西洋食器類価格表」「西洋食品価格表」「台所の手帳」などの付録つきとあってはベストセラーにならないわけはない。しかも四巻の表紙が美しい花の絵であり、巻頭には「大隈重信伯爵家の台所」「岩崎家の台所」「天長節夜会食卓の真景」「大隈伯爵家温室内の食卓」の絵が描かれていて上流階級の食卓風景に庶民は憧れと好奇心をそそられたに違いない。
 弦斎のアイディアの素晴らしさにはうなるばかりだ。しかし、弦斎がこの『食道楽』にこめた狙いは630種ものレシピではなく「食育」にある。「食」を切り口にした生活改善を唱えているのだ。
  日本の教育体系は明治時代から「知育・徳育・体育」の三育を基本としてきた。それに対して弦斎は「食育」という概念を社会に広める目的でこんな歌を作った。
 「小児には徳育よりも智育よりも体育よりも食育が先き」

 わかりやすい言葉で面白く「料理心得の歌」にしたり、小説という形態をとって広く世の中に啓蒙しようとしたことはすごいことである。つまり『食道楽』は「決して美食の書ではなく、「食育小説」にほかならない。

 4、なぜベストセラー作家が今日文学史上でその名を知られることがないのだろうか?  
 十万部というベストセラー『食道楽』を書き、美食家として名を馳せた弦斎は1915年(大正4年)突如断食の研究に入った。自ら実験台となり短期断食と長期断食を行い単行本もだした 最晩年になると、弦斎は、果物食・木食・天然食の実験に入り、竪穴式住居にこもり仙人のように暮らすようになった。すると世間からは奇人視されるようになる 
 明治の後半、十万部というベストセラーを出版し、大衆を熱狂させ、日露戦争中には英文小説を書き世界に日本をアピールしたこの作家の存在は、もはや、文学史上に見ることができないのである。

 しかし、平成の今、黒岩比佐子の手によってよみがえったのである。冒頭に書いたように、やっと「食育」の大切さに気がついた現代人は今一度、本書を読み、百年前、明治時代に「食育」は何にもまして大切だと「食育啓蒙小説」を書いた村井弦斎を顧(かえり)みたいものである。
 また、村井弦斎はあらゆる敵の中で人間にもたらす敵は「異常気象」であると警告したこととあわせて、先見性の高いジャーナリストとしての目を持つこの啓蒙小説家を振り返ってみたいものである。
宮武外骨、斎藤緑雨、矢野龍渓、渋沢栄一、大隈重信、後藤象二郎等との交流、明治の文壇の様子なども興味深い。

 黒岩比佐子は膨大な資料、書籍、手紙を集め、貸し出しやコピーが許されない資料を筆写し、整理し読み込んだ結晶が本書となって花開いた。見事に『食道楽』の人 村井弦斎に命をよみがえらせたのである。専門書と呼んでも良いほどに緻密に整理され充実した内容の評伝にはただただ敬服するのみである。

 2004年度サントリー学芸賞受賞作品。



ブログ「言葉の泉」はこちら。

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