サイト内検索

詳細検索

ヘルプ

セーフサーチについて

性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示を調整できる機能です。
ご利用当初は「セーフサーチ」が「ON」に設定されており、性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示が制限されています。
全ての作品を表示するためには「OFF」にしてご覧ください。
※セーフサーチを「OFF」にすると、アダルト認証ページで「はい」を選択した状態になります。
※セーフサーチを「OFF」から「ON」に戻すと、次ページの表示もしくはページ更新後に認証が入ります。

  1. hontoトップ
  2. レビュー
  3. 桑畑三十郎さんのレビュー一覧

レビューアーランキング
先月(2017年2月)

桑畑三十郎さんのレビュー一覧

投稿者:桑畑三十郎

33 件中 1 件~ 15 件を表示

「地獄の黙示録」から始まる歴史ミステリー

15人中、14人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

映画「地獄の黙示録」でマーロン・ブランド扮するカーツ大佐は最後の告白においてこんなエピソードを話す。
「我々はある難民収容所に入って子供たちに予防接種をした。子供たちにポリオの予防接種をした後、そこから引き揚げたのだが、老人がひとり、泣きながら走って追っかけて来た。だまって見てはおれなかったのだ。すぐに取って返してみると、ベトコンがやって来て、予防接種をした腕を一つ残さず切り落としてしまっていたのだ。山積みになってそこにあった・・・子供たちの小さな腕が山積みになっていたのだ。忘れもしない。俺は・・・俺は・・・俺は泣いた・・・まるでどこかの老婆みたいに泣いた。」
  この悲惨なエピソードをコッポラはどこから仕入れてきたのだろうか。これは事実なのだろうか。これまでの通説では映画制作に軍事アドバイザーとして加わっていたフレッド・レクサーという人物が情報源というものであった。だが著者はそこに異を唱える。そして調査の結果、19世紀末のベルギー国王レオポルド二世によるコンゴ人大量虐殺の事実に行き着く。
  「地獄の黙示録」の舞台はベトナムである。ベトナムとコンゴは地理的にかけ離れているし、ベトナム戦争と植民地時代では、時代的にもかけ離れている。だがもともと「地獄の黙示録」の脚本はコンゴを舞台にした小説「闇の奥」を下敷きにされていた。
  レオポルド二世は、「アフリカに私財を投入して未開の先住民の福祉の向上に力を尽くす慈悲深い君主」として欧米から賞賛されていた。だが実際は「狡猾でわる賢く、狐のように用心深い」男で植民地からの富の搾取だけを考えていた。慢性的な財政的危機状態にもおちいるが、ちょうどそのころ空気入りゴムタイヤが発明され、ゴムの産地であったコンゴから莫大な収入がもたらされた。レオポルド二世は先住民を奴隷としてゴム原料の採集を行わせた。過酷な労働を強いて、反乱を抑えるため私設軍隊を作った。だがここで黒人隊員による銃弾の盗難という問題が起きる。この盗難を防ぐ対策が、冒頭の腕を切るエピソードにつながっていく。詳細は本書を読んでもらいたいが、まったくおぞましい事実だ。
  レオポルド二世は1885年からのほぼ20年間に、数百万人のコンゴ人を虐殺した。著者も述べているが、ナチスによる大量虐殺は広く世に知られているが、コンゴの大量虐殺があまり知られていないのは残念なことだ。
  もちろん当時もこの蛮行を告発した勇気ある人々はいた。だがレオポルド二世の政治力や当時の帝国主義によってなかなか改善されなかった。また1960年に独立してからも、アメリカの庇護をうけたモブツによる独裁でコンゴ人民は苦しんだ。ソ連が解体すると、アメリカはモブツを見放し、内戦が続いた。コンゴの鉱物資源の採掘現場では、今も奴隷労働に近いことが行われている。
  日本も無関係ではない。広島、長崎に落とされた原爆に使われたウランの大部分はコンゴ産であるし、ソニー・プレイステーション2にはコンゴの鉱石コルタンが使われているらしい。我々は悲惨な現実から目を逸らしてはいけない。
  著者の専攻は物理学だそうで、そのためか文章は科学論文のように歯切れがよく、読みやすい。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本自由からの逃走 新版

2006/11/01 18:02

自由の悲劇

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 本書は1941年に世に出たものだが、21世紀を驚くほど正確に予言している。
 中世の階級社会において人間は、近代的な意味での自由はなかったが、孤独ではなく孤立していなかった。「生まれたときからすでに明確な固定した地位をもち、人間は全体の構造の中に根をおろしていた。こうして、人生の意味は疑う余地のない、また疑う必要もないものであった。」つまり職業選択や移動の自由はなかったが、「社会的秩序のなかではっきりとした役割を果せば、安定感と帰属感とがあたえられた。」
 しかし、15,6世紀の社会的経済的な変化が、個人に次のような作用をもたらした。
「人間はとざされた世界のなかでもっていた固定した地位を失い、自己の生活の意味に答えるすべをなくしてしまう。」「彼は自由になった − いいかえれば孤独で孤立しており、周囲からおびやかされているのである。」「新しい自由は必然的に、動揺、無力、懐疑、孤独、不安の感情を生みだす。」
 フロムによれば、資本主義は人間を伝統的な束縛から解放し、積極的な自由を大いに増加させ、能動的批判的な、責任をもった自我を成長させるのに貢献した。しかし「それは同時に個人をますます孤立したものにし、かれに無意味と無力の感情をあたえたのである。」
「資本の蓄積のために働くという原理は、客観的には人類の進歩にたいして大きな価値をもっているが、主観的には、人間が人間をこえた目的のために働き、人間が作ったその機械の召使いとなり、ひいては個人の無意味と無力の感情を生みだすこととなった。」
技術が発展し、誰が作っても同じ品質の商品が作れるようになった。逆にいえばモノに個性が入り込む余地がなくなった。働き甲斐が見えてこなくなった。資本主義が発展すれば、ニートやひきこもりが増えてくるのは当然の結果といえる。
 またフロムは労働の観点からだけでなく、消費の観点からも述べている。
「独立した商人の小売店にやってくる客は、かならず個人的な注意をもって迎えられた。」ところが百貨店のばあい、「人間としてのかれはなんの重要な意味ももたず、「一人」の買手として意味をもっているだけである。」
 デパートやスーパーで買い物をしても、ただモノを手に入れるだけで、売り手と買手との間にコミュニケーションはない。不景気な時代でも高級ブランド品は売れ続けたのは、客が個人として扱われたからだということがわかってくる。中小企業や商店街の復活が、今後の日本に必要なことであろうか。
 教育についても鋭い考察を続ける。独創的な思考を妨害しているものとして「事実についての知識の強調、あるいはむしろ情報の強調というべきものである。」「何百というバラバラの知識が学生の頭につめこまれる。かれらの時間とエネルギーは事実をより多く学ぶためについやされ、ほとんど考える暇はない。」
 これらは今のインターネット時代を正しく予測している。
 また独創性の欠如が、意思的行為にもむすびついているという。「かれらは学校ではよい成績をとろうとし、大人になってからは、より多くの成功、より多くの金、より多くの特権、よりよき自動車を求め、あちらこちらに旅行し・・・」
 まさに最近の風潮そのままであるが、繰り返しになるがこれは1941年に書かれている。フロムの先見性にただただ驚かされる。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

不思議な数πの伝記

2005/12/09 13:17

深遠なπ

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 πとは円周率、3.14のことだということは小学生でも知っている。だがこのπの世界はことのほか奥が深い。なんてったって本が一冊書けるくらいだから。いくつかの伝説を挙げると、19世紀に小数点以下200桁まで暗算で計算したというザハリアス・ダーゼ、15年かけて700桁まで計算したウィリアム・シャンクス、今では東大のコンピューターを使って一兆を越える桁までわかっているそうだ。第4章に紹介されている、πを暗記するための世界各国の言語で作られた文章は笑える。2005年7月には日本人が83431桁を13時間かけて暗唱したとか。世の中には物好きがいるものだ。しかしその中にあってやはりアルキメデスの功績が傑出している。電卓もない紀元前にかなりの精度でπの近似値を得ていたのは驚きだ。
 また「後記」に「数学の興味深い側面の一つは、表面的にはまったくつながりのない部門と見えていたものに、つきせぬ関係があることがわかるところである」とあるように、πは円周や、円の面積を求めるためだけに使われるのではない。ベストセラーになった「博士の愛した数式」にも登場したが、数学界でもっとも美しいといわれるオイラーの公式( e の iπ乗+1=0)や無限級数の和、確率にもπは顔を出す。πは、いや数学とは不思議だ。
 付録Bにインドの天才ラマヌジャンが、πの近似値を得るための作図が載っているが、なんでこんな方法を思いついたのか。数学の神様にとり憑かれたとしか思えない。眠れない夜に、この作図方法を考えたらますます眠れなくなるかもね。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

村岡花子はなぜ「マリラの告白」をカットしたのか

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

  本書の4章と5章では、「赤毛のアン」を原文と日本語訳から比較考察している。
  原文では37章のマシュウの死後、マリラはアンに、今までつらくあたってきたが本当はマシュウと同じくらいアンのことを愛していたのだと、心の中を素直に告白している。しかし新潮文庫でおなじみの村岡花子の翻訳ではこの部分はカットされている。なぜこのようなことがおこったのだろうか。
  理由を考えるにあたり、著者はE.M.フォースターの「小説の諸相」に書かれていることを紹介している。この本の中でフォースターは、小説の登場人物をただひとつの性質である「フラット」と、性格づけが一元的でなく発展性のある「ラウンド」という二つに分類している。
  村岡花子はマリラを、子供の物語によく出てくる「主人公をいじめるこわいおばあさん」のままにしておきたかった。つまり「フラット」な人物にしておきたかった。だからマリラが最後に「いいひと」になってもらっては困るのだった。それで最後の告白をカットしたと著者は推測する。
一方で原作ではマリラはアンと接するうちに人間的にだんだんと変化していく「ラウンド」な人物であった。
  つまり日本語で読む「赤毛のアン」は、アンの成長物語であるのに対し、原作の「Anne of Green Gables」は、アンと接することで「マリラが精神的に大きく成長する物語」であると著者は結論付ける。
  村岡花子のしたことは翻訳者としては行き過ぎであったと私は思う。しかしマリラが頑固なままであったからこそ、たくさんの少女がアンに感情移入し、日本でこれだけ「赤毛のアン」が読まれてきた要因となったともいえる。
  原文を忠実に訳した方がよかったのかどうか、判断が難しいところだ。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本マルクスだったらこう考える

2005/05/11 14:12

学歴社会はなくなるか

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書によれば、資本のグローバリゼーションに対抗するため、21世紀型マルクス主義を考える必要があるということだ。なぜならば「資本のグローバリゼーションこそ私たちをとことん貧困にし、かつ非人間的な存在にするものだから」。ではなぜそうなるのか。
「世帯主の賃金がグローバリゼーションによって下がれば、教育に関する費用が家族に委ねられている現状では、子供たちを早々に働きに出すしかない」
つまり、子供が高等教育を受けられるかどうかは、親の所得が高いか、低いかだけで決まる世の中になってしまうと言うのだ。たしかに少子化の一方で、大学の入学定員はそんなに変わらないから、行きたい人は皆大学にいける時代が来るのだろう。一方で能力がありながらも、家庭の事情で進学をあきらめる人が増えるのかもしれない。それがどういう問題を引き起こすのか。
「資本主義社会は、合理性を旨とキる事務的管理社会であるがゆえに、その社会で上昇するには、そのために必要な事務的能力が教育に大きく依存している」。従って「教育のレベルが将来の所得を決定するとすれば、こうした社会は両極分解を加速させている」と、著者は述べる。たしかに憂慮すべき事態だ。
だが本当に悪いことばかりなのだろうか。だいたい今の大学を出ることによってそんなに事務的能力が上がるものだろうか。むしろ、企業にとってはぼんくらな大卒を採るよりも、優秀な高卒を採ったほうが有益ではないか。そして高卒でも幹部に出世できる制度を作ることによって、今後学歴社会がなくなっていくのではと期待するのだが、甘いかなあ。
この本を多くの人に読んでもらって議論してほしいところだ。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本死せる魂 改訳版 中

2008/01/18 20:29

死人の名簿を買う男

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 舞台は1830年代のロシア、パーヴェル・イワーノヴィッチ・チチコフは、死んだ農奴の名簿を買い漁っている。そんなまったく価値のないものに金を出すチチコフを見て、ある人は尊敬し、ある人は疑いの眼差しで見つめ、ある人はだまされているのではと思う。彼はいったい何のために死人の名簿を買い集めたりしているのか? 自分を、たくさんの農奴を所有している金持ちに見せるため? 知事に近づき、彼の美人の娘を誘拐するため? 最近流行性の熱病で農奴がたくさん死んだが、それを探索するため? 彼はスパイか、はたまたナポレオンが変装したものか? いろいろな噂が町に広がった。
  この巻の終盤でやっとその理由が明かされる。私はそれを読んで、株式分割によって株価を吊り上げたライブドア事件を思い起こした。実体のないもので金もうけしようとする姿勢に同じものを感じたのだ。そういえばチチコフの父の教えは「この世では銭さえあれば、どんなことでもできるし、何でもやり遂げることができるのだ。」だった。
  チチコフが死人の名簿を書き写しながら、彼らの人生を想像していく場面は、保坂和志が「小説の誕生」で引用しているように、本書の読みどころのひとつである。
  さあ死人名簿買いとり計画はうまくいくのか。物語は下巻へと続く。
  当初ゴーゴリは、「死せる魂」を三部作にする予定だった。ダンテの神曲にならい、第一部で「悪」を描き、第二部で「悪」の度が弱められ、第三部で「善」を表現しようとした。しかし第二部の途中で未完に終わってしまった。これが予定通り完成していたらどんな小説になっていただろうか。「カラマーゾフの兄弟」に負けず劣らずの大作になったに違いない。特に第二部の冒頭に出てくるテンテートニコフは、今でいうニートのひきこもりであり、彼がこれから小説の中でどういう役割を果すのか気になっていただけに、とても残念だ。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本グロテスクな教養

2005/12/21 17:23

女にもてないことは悪いこと?

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 東京大学の佐藤俊樹助教授によると、東大キャンパスから、もっさりした「ガリ勉」が消えたそうだ。お勉強ができるだけの、たんなる受験優等生はいまや女にもてないとか。その理由はコミュニケーション能力の欠如にあるらしい。
 また京都大学では、「お勉強家で、話題がこむずかしく、つきあいづらい」学生は「いか京」(いかにも京大生)と呼ばれ、これまた女にもてないらしい。
 ここで本書の著者は、女ごときにもてる、もてないということが、そんなに大事なことかと疑問を呈する。これを男が書くと、ただのもてないやつの僻みだと聞こえるが、著者は女性だけに、その後の議論の展開には説得力がある。実際に今のエリート学生に読んでもらいたい。ただ本書のコンセプトは、教養や教養主義をめぐるすっきりしない諸言説そのものを呈示し、「教養言説の展覧会」を試みることにある。だからはっきりと結論が出ているわけではない。でも著者の言わんとするところはよく考えればわかるであろう。
 「すこし長いあとがき」によると、出版にあたって編集部の人に、一冊くらいは、読んで「いやーな気持ち」になるような新書があってもいいでしょうと言われたそうだ。しかし、コミュニケーション能力が欠如し、女にもてない学生時代を送った私は、読み終わってけっこうすっきりした気分になりましたぞ。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本やわらかな遺伝子

2005/10/05 11:28

公平な社会は理想的か

7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 人格形成に強い影響を与えるのは、「生まれ」(遺伝)なのか「育ち」(環境)なのか。人間はタブララサ(白紙状態)で生まれてきて、その後の環境によっていかなる人間にもなり得るのか。古来よりあるこの論争に、本書は最近の研究結果をもとに正面から答えようとしている。
 結論からいえば、原題のとおり、「生まれは育ちを通して」(nature via nurture)ということになるようだ。IQや性格への遺伝の影響は予想以上に強いが、遺伝子には柔軟性があり、環境によって眠っていた遺伝子がオンになる可能性もあるという。いろいろなことを経験し、努力を積み重ねることも大事ということなんだろう。
 では将来、理想的な社会となってすべての子供に同じ教育を受けさせたらどうなるのだろうか。
「あらゆる人間が等しい教育を受けるとすれば、能力の差異は先天的なものになる。真に機会の平等な社会は、生来の才能のある者を最高の仕事で報い、残りの者を卑しい仕事に追いやるのである。」
「奇妙な話だが、公平な社会にするほど、遺伝性が高くなり、遺伝子の重要性が増すことになる。」
はてさて困ったことになってきた。こんな社会は果たしていいものなのか、悪いものなのか、考えさせられる。なんでも機会均等にすればいいというものでもなさそうだ。出世しないのは親からもらった遺伝子が悪いのだという、そんな救いようがない社会よりも多少不公平さが残った社会のほうが、自分に言い訳が出来ていいのかもしれない。
 俺の人生がうまく行かなかったのは社会が悪かったのさ、と。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

神の与えたヒント

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

素数とは、1と自分自身以外に約数をもたない自然数であると、中学生の時習った。この素数の出現パターンには、何か法則があるのだろうか。この一見単純な問いが何百年もの間、数学者を悩ませてきた。「ドイツの数学者G・F・B・リーマン(1826-1866)は、素数の相対頻度が、リーマンのゼータ関数とよばれるある複雑な関数ζ(s)のふるまいと密接な関係にあることに気がついた。リーマン予想とは方程式 ζ(s)=0 の興味深い解がすべてある直線状にのっているというものである。」
2000年5月24日、このリーマン予想を証明した者に100万ドルの賞金を贈ると、アメリカのクレイ数学研究所が発表した。だが100万ドルのために、この難問を解こうと思ってはいけない。そのためにはまず大学の数学科に入学し、10年くらい数論を勉強して、やっとスタート地点といったところか。素人には証明は99.9%無理だろう。
リーマン予想がおもしろいのは、その難しさだけではない。この問題によって異分野の学問が結びついたことだ。1972年モンゴメリとダイソンの出会いによって、リーマン予想を解くカギが量子力学にありそうだとわかる。これはなんとも不思議な話だ。素数という概念は人間が造り出したものだ。その素数のふるまいと、原子のふるまいを特徴づけようとして見つけた式がつながるとは! まるで神様が、人間の力では証明は無理だろうと、ヒントを与えてくれたようだ。
今後いったいどんな天才がこの難問を解くのだろうか。数学者か、物理学者か、それとも別の分野から新星が現れるのか? 私が生きているうちに是非答えを見たいものだ。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本ラナーク 四巻からなる伝記

2007/12/22 18:15

45章から50章はどこへ消えた?

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 本書の主人公ラナークは考える。物語には二種類あり、「ひとつ目は、いわば言葉で書かれた映画のようなもの。アクションたっぷりで、思想はほとんどない。もうひとつは、頭のよい、不幸な人々について書かれたもの。たいていの場合それは作者自身で、実に多くのことを考えるけれども、あまり多くを行わない。よい作家というのは、後の種類の本を書く場合が多いようだった。」と。そして自分も原稿を書き始め、書いたものを友人のスラッデンに見せる。スラッデンは即座に「つまらんな」といい、「書き手が自分の言葉を、言葉そのものを、楽しんでいなければ、読み手がそれを楽しめるわけがない」と切り捨てる。それから物語は・・・

  ラナークの分身であるソーは言う。「アヒルになりたい」「動物のほうがよっぽど気高いね。おのれの性に逆らうものがあれば、猛獣ならそれと戦って死んでいくし、おとなしい動物はそれに屈して餓死する。人間だけがおぞましい柔軟性を備えてて、愛のない世界にもすんなり適応して、同じ人間に食い物にされ、虐待されながらも、ずるずる、ずるずる、いつまでも生きてるんだ。」心配した父親はソーを入院させる。それから物語は・・・

  第一巻と第二巻は、ソーが主人公の青春小説。第三巻と第四巻はラナークが主人公の映画「ブレードランナー」を彷彿とさせるSF的不条理小説。だがこんな説明をしても意味がない。ソーもラナークもこの俺自身だ、と思わせる。そんな深い味わいが本書にはある。

  エピローグには、バカ正直にも「盗作の索引」がある。数々の名作から、まるごと盗作しているものをマル盗、密かに埋め込まれているものをウメ盗、ぼんやり型盗作をボヤ盗とごていねいに分類までして。だがこの索引には50章までの盗作リストがあるが、本書には44章までしかない。これは著者独特のイタズラ心か。それともどこかに隠された45章から50章があるのだろうか。原著は1981年に発表されているが、本書の翻訳は2002年のペーパーバック版を底本としている。もしかするとオリジナル版には50章まであったのが、ペーパーバック版では45章以降がカットされたのだろうか。そうだとすれば残念だ。

  それにしてもこんなにおもしろい小説が、26年も邦訳されなかったのはなんとも不思議なことだ。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本西條八十

2005/12/25 16:28

踊り踊るならチョイト東京音頭ヨイヨイ

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 西条八十のことはよく知らなくても、東京音頭は誰でも聞いたことがあるだろうし、少し前の映画「人間の証明」では、「母さん、僕のあの帽子どうしたでせうね?」が有名になった。
 若かりし頃の八十は、家の財産を持ち逃げした実の兄のもとへ、「自分は未成年者であるから兄を殺しても死刑はまぬがれるだろう。しかし刑は長くかかりそうだから母や妹のことはくれぐれも頼む」と、本気で殺す覚悟で乗り込んだり、結婚直後に突然天ぷら屋を始めたり、株で大損したりと、人間味あふれるエピソードをたくさん残している。
 昭和8年に東京音頭が発表されると、毎晩八十の家の裏の空き地で音頭が流れ、自分で作ったものだから「うるさいから、早くやめて」と言うわけにもいかなかったというのも笑える。
 第二次大戦前後に作った軍歌は、外地で戦う兵士の間でよく歌われ、慰めになったとか。しかし八十は決して軍国主義だったわけではない。むしろ検閲ぎりぎりで反戦の歌を作っていたことが本書を読むとよくわかる。そして戦後「青い山脈」の大ヒットへとつながっていく。かくして大衆に愛された八十だったが、それゆえ嫉妬され大学の職を追われたりもする。
 本書は事実を淡々と書いているだけなのに、当時の歌謡曲がいかに時代に大きな影響をあたえていたかがよくわかり、読んでいくとまるで八十と同時代を体験しているようでとても感動した。人を感動させるのによけいな修飾語はいらないのだ。
 八十をよく知らなかった私が読んでおもしろかったのだから、戦後「青い山脈」を口ずさんだ人は読んでおもしろいこと間違いない。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

不思議な心

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 心は実験できるか。著者はこの問いに体を張って答えようとする。
 1972年に、デヴィット・ローゼンハンという心理学者は、仲間8人とともに頭がおかしくなったふりをして精神病院を訪ねた。医者が偽患者を見抜けるかどうか試すために。結果は9人中8人が統合失調症と判断され、残りのひとりは躁うつ病と診断された。そして平均で19日入院させられたそうだ。医者は誰も嘘を見抜けなかったことになる。おもしろいことに他の入院患者は彼らが正常だとわかっていたそうだ。「あんたは気が違っているわけじゃないね。ジャーナリストか教授だ。」と。
 では現代の病院ではどうだろうか。著者は実際に病院を訪れ、ローゼンハンと同じ症状を言う。8回実験を繰り返した結果、入院こそさせられなかったものの、大半の病院でうつ病と診断される。興味深いことに著者は診断をうけているうちに本当にうつ病ではないかと思うようになる。日本の病院ではどうなのだろうと試してみたくなる。よいこはまねしちゃいけません。
 また薬物依存という症状は実際にはない、つまり理想的な環境で生活していれば、身近に薬物があっても手をださない、という主張に対しても、著者は自分を実験台として実際に服用する。気分がハイになり、ただのカモメがこれまで目にした中でもっとも美しい鳥に見える。こんな調子できっぱりと薬物をやめられるのか。結果は読んでのおたのしみだ。よいこはまねしちゃいけません。
 この他にも実験心理学についてのおもしろいエピソードがたくさん載っている。訳者あとがきにあるように、事実を曲げて、わざとおもしろおかしく書いたような部分もあるが、それをさしひいても一読の価値がある本だ。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

古典をめぐる知的冒険

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 天動説が信じられていた時代に、地動説を提唱したコペルニクスの「天球の回転について」。この本は、あまりに専門的な上に退屈だったので「誰にも読まれなかった本」と言われていた。だが本当に読まれなかったのだろうか。著者はその疑問を解消するため、30年にわたって世界中の図書館や収集家のもとを訪ねる。その結果1543年に出版された初版276冊(日本には6冊)、1566年に出た第二版325冊(日本には2冊)の所在をたしかめる。たいへんな執念だ。状態のよい初版は100万ドルの価値があるとか。それにしても450年も前の本がけっこう残っているものだ。
 調査の結果、ガリレオやケプラーも所有していたことがわかる。図法で有名なメルカトルや、18世紀の経済学者アダム・スミスも所有していた。本に残された書き込みを調べることによって、コペルニクスの学説がどう広まっていったかがわかってくる。誰にも読まれなかったどころか、多くの人に読まれていたのだ。特に興味深いのはコペルニクスと同時代の天文学者ティコ・ブラーエだ。彼は「天球の回転について」を4冊も所有しており、それぞれに書き込みがあった。なぜ彼は4冊も持っていたのか。著者はその謎を探るうち、謎の人物パウル・ヴィッティッヒにいきあたる。ヴィッティッヒは非常に優秀な科学者だったようだが、現代には無名である。その理由は「すばらしく有能かつ着想豊かでありながら、どうしても自分の研究結果を出版可能な論文にまとめる気になれずにいる科学者」タイプだったのではと著者は推測する。
 ほかにも多数の書き込みが調べられ、筆跡を調べるところはさしずめ名探偵だ。それらの書き込みから、当時の科学者のものの考え方までもわかってくる。
 また1970年代に旧ソ連や旧東ドイツで本を閲覧する難しさや、欠けたページを「洗練する」方法など、天文ファンだけでなく、古書ファンも読んでおもしろいだろう。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本妻を帽子とまちがえた男

2005/10/22 20:55

リーマン予想を解決するのは自閉症患者か

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 本書は臨床医である著者が、脳神経の障害によって不思議な症状が現れる患者の例を紹介したものである。
 第9章の「大統領の演説」は左側頭葉の障害によって起きる失語症患者が、当時のレーガン大統領の演説を聞いてどっと笑ったというエピソードである。失語症患者は言葉を理解できないから、言葉によって欺かれることはない。そのかわり声のあらゆる表情によって嘘をついているかどうかわかるということだ。つまりこのときの大統領の演説は偽りだらけだったというわけだ。
 また右側頭葉の障害によっておこる音感失認症という患者は、単語は理解できるが、声の表情や調子を理解できないそうだ。その患者に同様に大統領の演説を聞いてもらったら
「説得力がないわね。文章がダメだわ。言葉づかいも不適当だし、頭がおかしくなったか、なにか隠しごとがわるんだわ。」
と言ったそうだ。健康な人がだまされて、脳に障害を持った人が騙されないとは、なんとも逆説的なことだ。これを利用して日本でも毎回選挙前に候補者の演説を失語症と音感失認症の患者に聞いてもらえば、彼らが嘘を言っているのかどうかわかり、常に正しい判断ができるのではないか。
 第23章「双子の兄弟」では、自閉症で知恵遅れとみなされている双子の兄弟が、20桁もの素数(1と自分自身以外に約数をもたない数)を頭の中で考えてお互いに言い合うという話が紹介されている。私など3桁の数が素数かどうか判断するのも難しいというのに、彼らの思考回路はどうなっているのだろう。自閉症の人は素数になにか特別な意味や喜び、または美しさを感じ取っているらしい。
 数学の未解決の難問にリーマン予想があるが、これは素数に関連するものだ。この問題を解決すると100万ドルの賞金がもらえるらしいが、案外自閉症の人があっさり解いてしまうかもしれない。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

母と子の相克による進化

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 母性本能」といえば、常に我が子を慈愛の目で見つめ、いざとなったらわが身を投げ出してでも、子を助けるというイメージがある。
 しかし自らも子を持つ母である著者は、そんなものは幻想に過ぎず、ヒトの母親というものが、いかに残酷に、かつ冷静に計算して子を育ててきたかということを科学的に解き明かしていく。
「どの子を世話するのかを、より差別的に決める傾向のある母親のほうが、うまくやっていくことができた。」
「人間の母親は、一度に一匹の子を産む他の霊長類よりも、子どもを捨てる傾向がはるかに強い。」
「確実に言えるのは、子殺しが先史、有史の時代を通じて人間社会の特徴だったことである。」
 こうした記述を読むと背筋が寒くなってくる。望まれぬ性別の子を産んでしまったり、食糧不足などの環境の悪さでやむをえなかった場合もあるだろう。しかし、本書でも紹介されているように動物の中には雌雄を産み分けられる種もいるし、子育てのために環境が悪いと判断すると自然流産する種もいる。なぜヒトはそういうふうに進化せずに、生んでから殺すという選択をしたのだろうか。それは「中絶より新生児殺しが多く用いられるのは、そのほうが母親にとって安全だから」という面もあるそうだ。なんとも恐ろしい話だ。
  一方でヒトの赤ちゃんは丸々と太って生まれてくる。これは他の霊長類には見られない特徴であるという。この理由は母親へのアピールではないかと著者は考える。つまり「ボクを見捨てないで。こんなに太ってかわいいでしょ。脂肪もたっぷりだから、これから元気に育つよ。」というメッセージなのだ。母親と赤ちゃんは相克しながら進化してきたのだ。ヒトという種のたくましさを感じる。
 最後に、これから働きながら子どもを育てようとしている母親に、著者からのアドバイスを贈ろう。
「幼児は「まあまあ」の世話で十分」
「母子の絆は出産後の特定の臨界期に形成されるという考えは誤りとして捨ててしまってかまわない。」
 つまり、情緒が安定した子どもを育てるには、いつも子にべったりでいる必要はなく、「見捨てられた」と思われない程度にいっしょにいてあげればいいということだ。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

33 件中 1 件~ 15 件を表示