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カトラーさんのレビュー一覧

投稿者:カトラー

3 件中 1 件~ 3 件を表示

紙の本41歳からの哲学

2004/08/26 14:31

41歳からの哲学

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 この本の署名を最初、本屋で見たときには、「14歳からの哲学」のパロディ版かと思ったのだが、著者名を見れば「池田晶子」とあり、「14歳〜」の著者、ご本人であることがわかった。読んでみれば、現代に生きる大人たちに向けたメッセージが彼女独特の語り口で痛烈に伝わってくる。

 この本に収載された文章は、週刊新潮に連載されたコラム「死に方上手」をもとにまとめられたものだが、「死」の問題だけでなく、時事問題や愛犬のこと、さらには文明批判まで、その鋭いメッセージの矢は多方向に放たれている。しかし、その中心には、アテネオリンピックで41歳にして銀メダルを獲得した、あのアーチェリーの名手、山本選手のように、まったくぶれることなく思索する著者の強靱な姿が浮かび上がってくる。彼女が背筋を伸ばし、渾身の気力を込めて放つのは凛とした「正しき言葉」である。その言葉は、凝り固まったこの世の「既成概念」「固定観念」を木っ端みじんに打ち砕く破壊力を持っている。

「よく考えると、命というものは、自分のものではないどころか、誰が創ったのかもわからない、おそろしく不思議なものである。いわば、自分が人生を生きているのではなく、その何かがこの自分を生きているといったものである。ひょっとしたら、自分というのは、単に生まれてから死ぬまでのことではないのかもしれない。いったいこれはどういうことなのか。こうした感覚、この不思議の感覚に気づかせる以外に、子供に善悪を教えることは不可能である。」
      〜41歳からの哲学<なぜ人を殺してはいけないのか>より〜

「人は何のために生きるのか」「なぜ人を殺してはいけないのか」こうした問いは、あらためて問われると、答えに窮してしまう。筆者の言葉をかりれば「当たり前のことほど難しい」。そうした問いをあらためて問い、真摯に思索することこそが「哲学」といえるのだろう。

 それにしても、私たちが「考える」ことをしなくなったのはいつからだろう。確かに情報は手に入れようとしてもがいている。ネット上やメディアには様々な情報が溢れかえり、「知りたいこと」はYahooやGoogleで検索すれば何かしら引っかかってくる。しかしそうした行為は、単に情報を頭に詰め込んでいるだけで、考えることとは全く似て非なることだということを、この本を読んだ人は気づくだろう。
「しまった! なんと人生を無駄遣いしてしまったことか」と、後悔の念にとらわれたが、著者はこの本の帯カバーに救いの言葉を用意していてくれた。

「考えることに、手遅れはない」

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ブログな人々はしらけてなんかいない

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 年金問題で狼煙を上げた木村剛が、「月刊!木村剛」で次に掲げたテーマが「インターネットはマスコミに勝てるか?」。いかにも木村氏らしい挑戦的なタイトルだが、このところ、マスコミとネットを巡る関係は、緊張感を増していて、一触即発という状況が続いている。この本が出版された直後、米国、CBSの看板番組60ミニッツが報道したブッシュ大統領の過去の軍歴疑惑に関する報道内容に決定的な誤りがあることをブロガーから指摘され、全面的な謝罪に追い込まれた。

 また、この「月刊!木村剛」でも紹介されているが、日本においても共同通信社が運営していたブログで、このブログの編集長が、ライブドアの堀江社長のことを「スノッブで気に食わん」と断じたことで、ブロガーが猛反発し抗議のコメントが殺到、2ヶ月にわたって休止に追い込まれるという騒動に発展した。ここ日本においても「マスコミ vs ブログ」という構図が成立しつつあると見ることができるだろう。
これを脅威ととらえるのか、変化へのチャンスととらえるのかで日本のマスコミやメディア産業の将来は大きく変わってくるはずだ。

 これまでも2ちゃんねるなど大きな影響力を持つインターネットメディアは存在した。しかし、ネットでのやりとりは匿名性を前提にするために、「トイレの落書き」と揶揄されるようなネガティブな要素が生まれがちだ。木村剛氏は、ブログというコミュニケーションツールの登場で、ネット上の議論が「ネガティブなものからポジティブ・コミュニケーションに変わる」可能性が生まれたと主張する。この「月刊!木村剛」にもそうした主張を裏打ちするように、ブロガーたちのオピニオンが数多く紹介されている。この本を読んだ人々は、ブロガーの間で展開されている議論の熱さやレベルの高さに大きな驚きを感じることだろう。

「今どきの若い連中は、ケータイばかりにうつつをぬかして、新聞も読まない、政治や社会のことにも関心がない」そう嘆いて見せたマスコミ人がいた。しかし、そうした見方はいかにもマスコミ的な色メガネであることをこの本を読めば思い知ることだろう。

ブログな人々はしらけてなんかいない。

ブログのオピニオンメディアとしての可能性、マスコミとインターネットの関係を考える上で「月刊!木村剛」は必読の一冊だ。

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ブログ党宣言!〜本邦初のブログ月刊誌「月刊!木村剛」〜

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全世界に妖怪が出没している、ブログという妖怪が。
日本では、昨年末からブレークしたブログという妖怪は、人々のコミュニケーションのあり方や出版のありようさえも大きく変えていくインパクトを持ち始めている。「月刊!木村剛」は、ニフティのココログで今年の2月からスタートしたブログ「週刊!木村剛」から生まれた本邦初のブログ月刊誌である。木村剛氏は、竹中平蔵大臣の下、金融分野緊急対応戦略PTメンバーを務めた強面で知られるが、「週刊!木村剛」では、全く別の顔を見せる。ブログには、その記事に関連した内容の記事をリンクさせるトラックバックという機能があるが、「週刊!木村剛」の記事には、毎回、大量のトラックバック記事がブロガー(読者)から寄せられている。ブログ上ではゴーちゃん、キムタケとも呼ばれている木村剛氏の驚くべき点は、そうしたトラックバック記事のひとつひとつに目を通して、次にアップする自分の記事の中でさまざまな意見を紹介しつつ、さらに持論を展開するという作業を継続していることだ。
トラックバックの中で、あるブロガーも指摘していたが、ちょうど昔のラジオのパーソナリティーが、リスナーからの葉書を読み上げながら番組を放送していた時のような、「熱い」やりとりが、「週刊!木村剛」を軸に巻き起こっている。実は、この「月刊!木村剛」もそうしたトラックバックの中から、読者からの提案をきっかけに生まれてきたものだ。
「サイゾー」の出版社として知られる(株)インフォバーンがこの本の出版元になっているが、これもブログ上で木村氏の呼びかけに応じたものである。
ブログから生まれたブログな人々のための初の月刊誌「月刊!木村剛」の創刊号では、小泉自民党を敗北にまで追いやった「年金問題」に関する熱い議論がまとめられている。
実は、木村氏を中心に社会保険庁に対して、情報公開法に基づき年金関連のデータ開示を求め、そのデータを分析するというプロジェクトが現在進行中である。さらに、この問題に関心を寄せる与野党の政治家も巻き込んで議論が展開しつつある。
ブログというコミュニケーションツールによって何が可能になるのか、年金問題の今はどうなっているのか、そうしたことを知る上で、この「月刊!木村剛」は、ブログを知らない人々にとっても必読の書といえるだろう。

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