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suguzrさんのレビュー一覧

投稿者:suguzr

人でなしたちの織り成すストーリー

6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

・むしろ 

 タイトルにある<零崎人識>は呼吸をするように人を殺したり殺さなかったりする殺人鬼ですが、人間失格なのはむしろ主人公です。
 しかしこの社会では人間失格たちは自らを不要どころか有害であると理解しつつそれでも生きていかなければならないのです。

 すべてのものはより、あり続けるために複雑に進化していきます。進化には方向性はありません。例えどんなに無駄に見えるものでもそれが積極的に滅ぶ理由にならなければ、多少の不便、害があろうとも生き残っていきます。相が突然変化した場合、今まで無駄に思えたものが有用になる可能性があるため、むしろ無駄は多様性の維持とかいう名の下に肯定されます。

 ……そして自分が無駄と知った者は。世界の予備補欠(決して出番の無い)であると知ってしまった者は。それでも生きていかなければいけないなんて。

・無駄、無駄。無駄無駄無駄無駄

 群れを構成するものの中には、一見して無駄なようなもの、というかほんとに無駄なものが存在します。「あそび」と呼ばれる部分です。しかしその無駄を含めて’群れ’というのです。よく言われるのは、働き蟻のサボっている奴らを取り除いて新しいエリート集団をつくっても、またそのエリート集団の中で以前の集団と同じ比率でサボる蟻が出てくるという話です。ホントかどうか知らんけど。
 しかしそれは蟻の話です。人間は過度に無駄に発達した情報伝達手段を手にしたため、下っ端が自分が下っ端であることを知っています。自分の所属する群れがどんなものであるか。自分がその群れの中でどのようなポジションに位置づけされているか。そのポジションが不動、少なくとも自分はそれを動かせないであろうこと。そして、自分がいかに不必要で害悪を成すでくの坊であるかを世界から思い知らされています。
 それでも…… 限りなくやさしいこの世界はその無駄の存在を、害悪の存在を、見逃すと言う手段によってではなくむしろ積極的に許し認めてくれるのです。それこそこの世界で一番残酷な事実と言えるでしょう。

・「どうでもいい」ということがここまで酷いとは。

 本作は、人でなしたちの織り成す最低最悪のストーリーです。 殺人が日常である最低で気さくで爽やかお人よしの大量殺人鬼。
 怨恨と嫉妬と呪いの塊である(殺人犯として)普通の殺人犯。
 そして心にも無い最低の戯言により純粋な女の子の魂を冷静に冷酷にこれっぽっちの’悪’も感じず地獄に落とす、殺人鬼よりも酷い、ここまで酷い主人公はいまだかつて存在したことのないというほど酷く惨い、どこにでもいる普通の大学生の主人公。

 タイトルにある<零崎人識>は呼吸をするように人を殺したり殺さなかったりする殺人鬼ですが、人間失格なのはむしろ主人公です。と言うか、主人公を、いや、主人公が吐いた戯言をか、カッコイイと思ってしまった私の方です。でも主人公と友達になりたくはありませんし、なりたいと思っても無駄でしょう。

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思い出のディズニーランド

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 黄ばんだ傷だらけのカセットを、薄汚れたシール跡だらけのファミコンにブッ挿してスイッチを入れれば、いつどんなときも、23年前も、現在も、多分23年後も、おんなじチープな画面とBGM、そしてそれらに熱狂し繰り返し遊び倒したあのころの思い出がわたしを迎えてくれることだろう。
 たとえその思い出の主であるわたしが土に還ったとしても、カセットはファミコンはおんなじ画面を音楽をおんなじように表示し続けるのだろう。

・永遠のキングダム、無限のステイシス

 本書の世界では、不老不死の技術が完成し、無限のエネルギーと生産力が糧を得るための労働を消失させている。
 永遠の生命を手にし、生活のために労働をする必要がなくなったとしたら。世界のどこにでも宇宙にだって行けて、死んでもバックアップを取ったところからやり直せ、望むものは何でも手に入り、若返りも老化もでき、投薬によって感情も睡眠時間も制御できるとしても。結局、同じ日常を同じように過ごしているんじゃないだろうか。具体的に言うと、今の家で今の姿で、{地球防衛軍2}をプレイ時間がカンストしてもやり続けているんじゃないだろうか。
 結局、わたしだけは変化しない。変化してしまったのならそれはわたしではないのだから。

・バックアップ < 「思い出」

 革新を掲げ、ディズニーランドのアトラクションを造り替えようとする<デブラ>たちやり手の集団に、不変の伝統とそして「思い出」を貫こうとする主人公たちは抵抗するが、当然のように世界の奔流の中に敗れ、落ちぶれ流れ去る。
 彼はすでに百数十年もの時を生き、これから先にも永遠の時間が過ぎてゆく事を知ってしまっているのだ。その彼が、愛したディズニーランドを取り上げられるなんて。まるで、無慈悲な母親が子供のファミコンとカセットを踏み壊し投げ捨てるように。百年の過去と無限の未来をゴミ箱にぶち込むなんて。

・思い出だけは

 永遠の時間があれば、無限の創造、破壊、修正を繰り返して、どんなものもいつかは創り上げる事ができるだろう。逆に言うと、彼が創り上げる事ができるのならば、誰にも創り上げる事ができる、あるいは誰かが既に創り上げている、と言うことでもある。なぜなら、永遠の時間は等しく誰の手の中にもあるのだから。作中ではまだ人類が永遠の時間を手にしてから百数十年しか経っていないが、さらに時間が経てば、この世界では、何かを創り出すことと、過去の記録の中から何かを検索することに、大して違いはなくなるだろう。過去と未来の区別がなくなり、世界は無限の停滞、夕凪の時間をたゆたうことになる。
 ”人間には本当の意味での創造性というものなどはひとかけらもないのです。すべては神の与え給うた要素の組み合わせに過ぎないのです”と[C・S・ルイス]は言った。永遠の時間を掛け、無限の試行を繰り返せば、いつかは特定の組み合わせに辿り着く。そして試行者が誰であるか、どれほどの時間がかかったかなど、もはや何の意味も持たない。
 
 しかし、思い出だけは、彼に宿る思い出だけは修正ができない。それに手を加えてしまったら、彼は彼でなくなってしまう。

 ”世界にひとつの不変の場所をここに持っちゃいけないんですか? こういう場所を愛する人たちのための、時間が止まったようなお決まりのコースを?”

 彼は思い出に執着する。なぜならそれだけが、それだけが、この、既に完成してしまい未来に向かっているのかどうかもわからずに停滞した時のなかで生の充満するゆえに死に沈んだ世界での、唯一無二の「意味」となりうるものだから。

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紙の本魔法使いハウルと火の悪魔

2005/06/07 04:00

魔法使いって、今、この世界に、たくさんいるじゃないですか。ダイアナ・ウィン・ジョーンズとか、宮崎駿とか。

4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

■魔法使い=オタク
魔法使いとは、普通の人々とは違うものを愛し、異常な力を行使する者。世間からは疎まれるか、恐れられるか、いずれにせよ受け入れられない存在です。
<ハウル>は、湖で流れ星の悪魔<カルシファー>を見つけ契約を結ぶ。本来、流れ星とは遠くから見つめるだけのものであって、決して手に入れることの出来ないもの。しかし、<ハウル>はそれを手にし、強大な魔力を手に入れる代わりに、ある呪いを受けてしまう。
星(最も美しいもの)を見たゆえに、現実のもののアラが見えると言いますか満足できなくなってしまう。魔法使いでない人々は、理想と現実のギャップになんとか折り合いをつけて生きていくわけですが、魔法使いは、永遠にたどり着くことができないとわかっているはずの目的地を探して無限に走り続けるのです。走り続けていれば、ランナーズ・ハイで気持ちよいこともありますが、慢性的に渇きや疲労や足腰の痛みなどの苦しみが彼を襲い続けます。永遠に満たされることのない渇きを感じながらも、魔法使いは走り続けることしかできないのです。
■ハウル=オタク
・自意識過剰で、他人を見下しているのと同時に自分を卑下している。
・普通の人とは違う力を発揮できることに優越感を抱いているが、あの時観た星の美しさを越えられず、自分の力に自信が無い。
・さらに大きなものから潰される事にいつもおびえている。そのため、部屋に引きこもって心を防御する(緑色のねばねば、魔除けグッズ)一方で、世界に対して攻撃的(黒い猛禽の姿)になる。
・<カルシファー>から受けた呪い(ネタバレの可能性があるので)
以上根拠の無い分析も混じっていますが、<ハウル>ってつまりオタクでしょう。
別に私はオタクを悪いとか言っているわけではありません。私は特撮等に出てくるマッドサイエンティストに憧れたりもしましたが、それもオタクの一つの形です。自らの興味の対象を追いかけるために他の全てを捨てた人たち。たどり着けない目的地に向かって無限に走り続ける人たち。ダイアナ・ウィン・ジョーンズも、宮崎駿も、ある意味ではオタク…魔法使いと言えるでしょう。
皆がグラウンドでサッカーをやっている昼休みや放課後に、一人学校の図書室の本の湖の中で、あるいは白いカンバスと色とりどりの絵の具の湖の中で、最近ではディスプレイに浮かぶ英数字の湖の中で、流れ星の悪魔を見つけた魔法使いはたくさんいるのでは?
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※アニメと本書の評が混ざってます。失礼しました。

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紙の本鏡のなかの鏡 迷宮

2005/06/03 03:18

ゼロよりも無いもの

4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

デジタル情報は、0と1、無と有の二つだけで成り立っている。ホントに? 0と1すら無い、「0よりも無い」、定義されていない部分があるはず。その部分は0と1の、情報を持っている部分より遥かに広く、無定義だからこそ無限の可能性を持っている。しかしそこは情報ではない。ゆえに知覚出来ない=存在しない。……矛盾していますね。
その「0よりも無い」、本当は書けないはずの部分(書き表した時点で無くなくなってしまうから)を書いたのがこの{鏡の中の鏡 —迷宮—}です。……既に矛盾してるけど。
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とうとう完結してしまいました。雑誌連載で完結回を読んだので、最終巻ではない巻に投稿しています。

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 センター試験の前日だった。書店で見つけた、コバルトブルーの空が鮮やかな一巻の裏表紙。6巻までしかなかったその6冊は、速やかにレジを通り、こなさなくてはならないはずの問題集を押しのけて、勉強机を占領した。わたしの意識は夕凪の時代にエスケープし、体は、まだ見ぬ、いや、どこか見たことのある風景に、文字通り実際に打ち震えた。明日はセンター試験だって言うのに。
 無数の線を並べて重ねて描かれた、住宅の跡地を覆いつくすススキと、電柱を包み隠す葛。まだ見ぬ、いや既に見た風景。激しい既視感が、忘れていたあの世界を呼び覚ました。

 東京へ電車で一時間少し、もう一駅いくと田畑のみという、ぎりぎりの地点は、バブル期に一斉に宅地開発され、バブルが弾けたとたんに一斉に凍結された。わたしたちフライングで完成してしまった家の子らは、もう家の建つことはない、しかし車庫や階段、ごみ集積所までも既に完成している、建物だけが無い住宅地で、ススキ、葛、キリン草の不自然に茂る人工の原っぱに遊んだ。(キリン草は作中には描かれない。こことあそこはやっぱり違う場所なのだった。もしかしたら作者は自分の家の近くに住んでいるのではないかと想像してしまっただけに、残念。こういう場所は、日本のいろんな場所にあるのだろうか。)

 ヨコハマの世界と違うのは、かつて人が住んでいたわけではないことだ。しかし、

人の住まない宅地、
踏まれない階段、
土埃を停める車庫、
いない主を守る要石、
水の出ない蛇口、
渇いた無臭の下水道、
回収するもののないごみ集積所、
車の通らないアスファルト、
誰に命を下すでもない交通標識、
角の先でなくわたしを映すカーブミラー、
何も守れないガードレール、
何処にも繋がっていない電線、
人工の灰色の樹となる電柱、
光るために光る街灯、
インカムの無い自動販売機、
開かないシアン金網の門、
黙殺される立入禁止、
乗り越えられる鉄条網、
脇を通り抜けられる虎縞の鉄屏風、
入口も出口もない二車線、
もう走らない乗用車、
苗床となるゴムタイヤ、
開いているマンホール、
無関係者が立ち入る飯場、
ガラスの無い窓、
水の代わりにゴムマリの溜まる貯水池、
稲ではなく葛の茂る、もと水田の住宅地。

 それらすべてを、作中で描かれているように、葛とススキ(とキリン草)が覆い尽くし、かつてそこに人が住んでいたのか、人の住むまえに滅びてしまったのか、もはやわからなくなっていた。

 それらに、最近、再開発が始まった。少しは景気がよくなったのだろうか。もつれる葛は刈られ、二十余年を経てようやく家が建ち始めた。
 <アルファ>達が見つめる夕凪の世は、静かに、やさしく夜に溶けていくが、いつも青々として、終わらない夏の中にある、生まれる前に終わったはずのわたしの思い出の世界は、再び生まれ直そうとしている。

 本作が完結したことも、思い出の世界が無くなってしまうことも、少し寂しい。でも、完結することによって、無くなってしまうことによって、物語は思い出は完成する。この14冊は死ぬまで大切にして、死んでも子供に譲ろうと思う。

(雑誌連載で完結回を読んだその日に書いたので、最終巻ではない巻に投稿しています。)

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紙の本涼宮ハルヒの憂鬱

2005/06/10 04:56

少年少女の頭の中>現実

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 <涼宮ハルヒ(すずみやはるひ)>は、高校一年生の女子高生。常に、宇宙人や未来人や超能力者の出現を願っているが、本当のところはそんなものは存在しないんだと理解してしまっている。
 この世界はあまりにも小さすぎる。井の中の蛙のオタク的幻想世界のほうが、現実世界よりも遥かに広くて大きい。
 ”本を読んでもね このごろ前みたいにわくわくしないんだ こんなふうにさ、うまくいきっこないって 心の中ですぐ誰かが、誰かが言うんだ 可愛くないよね”というセリフがアニメ{耳をすませば}にあった。子どものころ想像した輝かしい世界。しかし現実では2005年になったのに、銀色ツナギでエアカーに乗って透明パイプロードを超音速で疾走してる人はいない。かつて未来を夢見た子どもは、想像と現実が食い違っていることにそうのうち失望すら覚えなくなっていく。そして逆にかつての想像の世界を馬鹿にするようになっていくのだ。
 ”高校に入れば少しはマシかと思ったけど、これじゃ義務教育時代と何も変わんないわね。”と<涼宮ハルヒ>は言う。(一部の)高校生の有り余る痛い想像力の前では、現実は退屈で理不尽でくだらなくて、クズのように見えてしまう。”結局のところ、人間はそこにあるもので満足しなければならないのさ。”主人公<キョン>はそう言うが、ホントにそうなのか?<キョン>こそ何かを望んでいるのではないか?
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紙の本後宮小説

2005/06/12 05:39

物語でない物語

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 物語には基本がある。理由と結果の連鎖、何がどうしたためこうなった。[黒澤明]の映画を観ればそれが良くわかる。
 歴史の教科書には、資源をめぐって利害が対立し戦争が起きたとか、理由と結果のセットがずっと続いている。でも、本当に理由なんてあったのだろうか。時には、個人の気まぐれで国が滅びたりとか、そういう理由の無い事件もたくさんあったのではないだろうか。とくに、政府や企業といった集団の力がなく/弱く、個人の技能がものをいった古代には。
 <混沌>はその名の通り、混沌としてまったく分けがわからない男だ。ホントに気まぐれで戦ったり、やっぱりやめたりする。相手をしているほうは、何か凄い戦略があるのではないかと勘ぐって自滅したりするが、実はただ何も考えていないだけなのだ。歴史上の知略、戦略家の何%かはこのようなものだったと思う。{忠臣蔵}の<オオイシクラノスケ>とか(ホントに<吉良>の目を欺くために毎晩女遊びをしてたのか? ただヤケクソだったんじゃないのか?)。違うか。
 理由の無いことに人は恐怖し、何か説明をつけようとする。雨が降ったり降らなかったりするのを、龍神さまの機嫌のせいにしたりする。でも本当はこの世界に理由なんて無い。宇宙は無生物が基本だ。生き物の数より岩の数の方が多いに決まってる。地球に不安定な生命が生まれ、そのうちの一種が不可思議な意識を獲得したのも、偶然に過ぎなくて理由なんか無い。でも人間は「無い」ことを考えられないように出来てしまっている(「無い」ことを考えるには、エミュレートするしかない)。なぜなら人間は無く無いからだ。そして「無い」ことを埋めるように、物語が生まれる。
 しかし本書は、理由と結果の連鎖という物語の基本から外れ、事実だけを並べ、架空の「歴史」を紡ぐ。それが逆に、読み手に「物語を生ませる」結果となる。
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紙の本イリヤの空、UFOの夏 その1

2005/06/04 04:06

僕らの夢見た青春

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

中学生はその有り余る現実離れした想像力を持て余す。想像だけは限りなく膨らむけれど、結局のところ何もできやしないのだ。
大体、部活動にしても一年間で人材の三分の一は入れ替わってしまうわけだし、中学生の一年はあまりにも速い。何も出来ぬまま瞬く間に三年間は過ぎ、さらに年月を経て、想像を現実に変える力(経済力、技術)を手にしたときには、いつの間にかもう馬鹿な事のできない大人になってしまっている。
中学生は計画はできる。ただしそれを実行する力も金も知識もない。しかし<水前寺>はそれらを実行する力を持っている。”十五歳にして175センチの長身で、全国模試の偏差値は81で、100メートルを十一秒で走り、顔だってまずくはない”こんな中学生はいないと仰る方もいるだろう。しかし、何もかもがハイスペックのこの男こそ、私達が中学生の頃に夢見た仲間の姿なのだ。そして、<水前寺>に、米軍を電話一本で動かすような、大人の力を付加した<榎本>こそ私達が夢見た大人の姿。注意して欲しいのは、夢見た「仲間」、「大人」の姿であり、決して「自分」のことではないということだ。
彼らはその力ゆえ主人公にはなれない。彼らは夢見られる対象であり、夢の中の友人である。主人公は、彼らに振り回される、何の力も持たない平凡な普通の中学生、<浅羽>だ。彼は、何の力も持たないゆえに、選ばれた。<榎本>に、著者に、読者に。
夢は、起きている時には見る事ができない。
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絶対に勝てない怪物との戦い

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「普通の」高校生の<陽介>と<絵理>は、夜な夜な現れる不死身の<チェーンソー男>との戦いに、貴重な青春の時間を浪費し続ける。<絵理>は、<チェーンソー男>が現れるのと同時に人間離れした身体能力を手に入れ、投げナイフで<チェーンソー男>と戦うのだが、<陽介>のほうは何の能力も得ることもなく、それを見ていることしかできない。
 ”途中でいろいろ諦めておくのが、一番まっとうな、普通のやり方なのだ。”
 「普通」に生活していれば、<チェーンソー男>が現れることはない。では「普通」とは何だ? ……などと考え始めるとヤツが闇の向こうから忍び寄ってくる。
 考えてはいけない。ヤツには絶対に勝てない。ヤツに負けない唯一の方法は戦わないことだ。諦めろ。
 しかしまた、<絵理>が人間離れした身体能力を手に入れたように、ヤツに出会うことで、何かが変わることも確かだ。<陽介>は何の能力も得ることは無かったが<絵理>のそばにいることができた。<陽介>も望めば能力が手に入ったのかもしれない。ただし、能力を得たなら戦わなくてはならない。”そいつと戦える力が急にあたしに付いちゃったんだから、あたしが戦うのが普通でしょう?”
 そう、道を選んだなら最後まで行かなくてはならない。そしてその道に最後などない。私たちはそれを出発する前から既に知っている。夥しい数の文字、リアルでない体験、消費するための物語から私たちは学びとってしまった。それゆえに私たちは道を行くことはおろか、道を選ぶことすらできない。そして雨戸を閉め切った狭い部屋に引きこもるのだ。始まらない旅は終わらず、道を行く脚の痛みもない。しかし狭い部屋で動かさない体は生活習慣病を引き起こす。どちらにしても苦しみから逃れることはできない。なんてひどい話だ。”この世は地獄だ。不条理に満ちあふれた永遠の地獄だ。”
 私たちは未来を知っている。既知の未来は既に未来ではない。私たちに未来はない。
 私たちは孵化することを夢見つつ、変わることを恐れる。不確定なはずの未来におぼろな夢を託しながらも、未来が既に決定している事を確信している。あしたやれば…… あした…… そして何も成すこともなく、あしたは来なくなる。決定した未来から逃れること、それは終わること。私たちは全ての終焉、どこか懐かしい練炭の光に拠って、爆走する鉄塊の咆哮に拠って、スパークするエレキギターの火花に拠って、美しく輝く博物館の標本のように、完成する——すべての呪縛から解き放たれこれ以上何もすることのない、完璧に自由な状態になる——ことを望んでいる。もしも、何処かの誰かが、勝てない怪物に勝てたとき、彼はもうこの世界にはいない。そしてそのとき彼は、この世界の何よりも、絶望的に美しい。
 ”ダッシュだ。ジャンプだ。危ない、落とし穴! 逃げろ! ヤツが来る。誰もヤツには勝てやしない。だから逃げるんだ。逃げよう。逃げ出せ。一直線に。”
そして彼らは「普通」になった。<チェーンソー男>はもはや現れることもなくなった。
きっとそれが一番マトモで、ジャスティスで、フツーな事なんだろう。
 ……。
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生きることは不自然なことなのか

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 この宇宙では死がデフォルトだ。生き物の量と岩の量、どちらが多いだろうか?
 私達は本来、あるべきではない存在なのだ。

 この宇宙では形あるものは皆崩れ、いつかは全てが塵芥となる。その中で、生物だけが形を創ることができる。但し、一つの形を創るためにそれ以上の材料、燃料、他の命を消費する。それは、宇宙全体から見れば不自然な行為だ。

 生きることは不自然なことだ。

 しかし人はその事実を認めない。認めてしまえば、生きている意味など無くなってしまう。人は、自らの存在の根底を揺るがすその事実を扉の向こうに封印した。
 それが、「悪」と呼ばれるものだ。
 善悪など相対的なものでしかないという意見もある。しかし、人は全て生きている。そこには一つ、確実な土台がある。
 赤信号でも止まらない、といきがる少年のプライドは、「赤信号では止まらなくてはならない」と言う共通認識の上に成り立っている。隔絶された空間で交通を全く見たことなく育った者にはその反骨の意向は伝わる筈もない。本当の「悪」が存在するならそれとは言葉が通じる筈も無く、”悪を行使するため、悪以外のあらゆる媒介物を必要としないようになってほしい”なる台詞を書いておきながらもこの書物を世に著し社会と関わらねばならなかった{サド}もまた人間に過ぎない。

 悪は人を惹き付ける。なぜならそれがこの宇宙を隙間なく満たす真実だからだ。なぜ生物として、苦痛を抱えながら真実に抗って進まねばならないのか。造物主なるものがあるとすれば、なぜそれはわたしを物言わぬ岩として生んでくれなかったのか。気を抜くとすぐに腐ってしまうこの肉を纏い、毎日必死で面倒なメンテナンスをこなしながら、やがては岩に還らねばならないという絶対矛盾を抱えて私達は生きている。

悪とは……

生に対する死。
”わしなら パンドラの匣になりたいね。わしの体内から飛び出したあらゆる災いが、各個に全人類を撃滅するようにな”
山は崩れやがて平らになる。人は死にやがて土となる。文明は疲弊し生物相は入れ替わる。そして星はやがて輝きを止める。なぜならそれが自然なことだからだ。立っているより座っている方が楽に決まっている。


差別に対する無差別。
”われわれの行為はすべてそれ自体においては無差別で、善でも悪でもない。たまたま人間が善とか悪とかいう区別を設けたとしても、それはもっぱら人間が採用した法律によるものか、(中略)自然という面からのみ観察するならば、われわれの行為はすべて完全に同等なものでしかない。”
悪の前では全ては等しく価値がない。悪の前では人ごみは自動人形の群れに過ぎず、夜の街に輝く無数の灯の一つ一つに違った人生があると言うことなど認められようはずもない。_

制限に対する無制限。
”穢らわしい神さまの畜生め! お前の真似をして、悪いことをしようと思っているのに、わしの力を制限するとは怪しからん”
人間は無限から箍を嵌められている。無限の混沌に数限りない標識を立て、自らの世界を限定し、そこから逸脱するものを法の名の下に処刑する。箍によって形作られたそれは世界とわたしとを、善と悪とを秩序の名の下に差別する。しかし同時に、人は、制限速度を超えることを好むのだ。

 善悪の彼岸に立ち、そこを眺め渡せば、そこもまた悪に満ちている。善はこの宇宙において、ありえない存在なのだ。ゆえに悪はなくならない。それでも、悪に満ちたこの宇宙に抵抗しようとする、私達のちっぽけな力が善と呼ばれるものであり、その力を行使できるのは私達だけなのだ。善もまた、人が生きている限りなくなることはない。

積書生活

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驚くべきは書ではなく

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

気がつけば2005年だ。それでもぼくらは生きている。

・意味の無い意味

明治時代の建物みたいとか、大正の衣装みたいとか、昭和みたいなデザインとかいう表現がある。でも、明治の終わりと大正の始まりは全く同じ時刻で連続している。現代の年号の変わり目は、(陰謀でない限り)生物的偶然であり、そこに必然性、意味は無い。年号が変わったからといって急に何が変わるわけでもない。時代の変化に年号が合わせているわけでは決してない(かつてはそうだったが)。しかし、人々は年号によって時代を区別する。
 人は全てのものをカテゴリごとに分割して理解し、記憶する。脳みその構造がそうなっているから仕方がない。別に年号でなくても良かったのだ。ただそこに名前がついた区切りがあったから、分割理解に利用したに過ぎない。

・血液型性格分析

 血液型性格分析がある。全ての人間をたった4つのカテゴリに分類するという無法なこの分類法を固く信じる人たちがいる。日出づる国の人々だ。(他の国ではあまりないことらしい。多くの国では人種や民族の違いというもっとわかりやすいカテゴリがあるからかもしれない。)
 意味なく便宜上つけられたはずの(AとかBとかいうあまりに安易な)名前が意味を生み、そして意味が名前を生む。意味は無から生まれ、生まれた以上、何にも拠らず独立して存在し続ける。何か間違っているようだがそれがこの世界の真実である。

・無から有を生む神の御業

 何もないものから意味を生み出すのが生命であり、知性である。
 世界に意味は無く、我々が意味を無駄に作り出す。
 無から湧き出すそれらの意味たちは果たして本当に存在しているのだろうか?
 私たちは世界ではなく意味たちしか見ていない。見えない。
 私たちの見ていると思い込んでいるその意味たちは幻ではないと誰が言えるのか?
 無から有が生まれるわけがないじゃないか。そんなのは元手無しで簡単に儲かりますよと囁く詐欺師のたわごとだ。
 我々は存在し始めたときから間違っているのだ。

・解釈……無から意味を創り出す行為

 本書を下らないと笑いとばすことは簡単だ。しかしかの時代の子供たちは本気でおびえ、幾千万の大人たちも日常の冗談の中にあの予言のことを語ったのだ。もちろん、時代背景には冷戦やオイルショック、公害などの未来への不安があり、この書だけが全ての原因とは言えない。
 本書の重要な点は、書いてあるその内容よりもむしろ、なぜ筆者は(あるいは時代は人々は)ノストラダムスの意味不明でそれでいて意味ありげなあの詩から、このような意味を見出し解釈したのか、なぜこの本が書かれ、それなりに広まったのか、という人(々)の知性の働きについてだ。
 恐らくノストラダムスは(実在したなら)自らの書が後世の人々に残す影響をわかった上で、五島勉氏のような人物が現れ自らの詩を好き放題に解釈してくれるであろう事を予想した上で、あえてこの書を書いた巧者、もしくはそれらを意識せず無意識的に行った、天才であったと思われる。そう考えると、確かに、予言者だと言っても間違いはない。

 驚くべきは書ではなく、それを読む者の知性の不可思議な働きである。
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