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dimpleさんのレビュー一覧

投稿者:dimple

29 件中 1 件~ 15 件を表示

はたして僕らの2009年は200Q年となり得るのか?

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

村上春樹『1Q84』(新潮社、2009年)を読了した。将来確実に日本文学の正典(canon)の一つとなるに違いない村上作品に、同時代人として接することができるのは幸せなことである。

例えば、本作品中のJR中央線や首都高3号線・三軒茶屋付近の細かな描写を、僕らはリアルなものとして受け止めることができる。これに対して100年後の読者は、僕らが漱石や鴎外作品の中の蒸気機関車や人力車の描写に接するのと同様の感覚で接するにすぎないはずである。

また、僕らは、宗教集団「さきがけ」のリーダーの外見から、殺人罪で逮捕・起訴された、実在の宗教団体教祖を想起することができるが、100年後の読者にそのようなことができるとは思わない。

さらに、「ふかえり」こと深田絵里子という名前を見て、もしかして、村上はアイドル深田恭子(「深キョン」)が好きなのではないかとさえ、想像することだってできる。

もちろん、村上作品の魅力はそのような表層的な部分にあるのではない。村上作品の真の魅力は、一見ポップな通俗的恋愛小説の形をとりながら、実際は暗喩(メタファー)を駆使して、現代社会生活におけるコミュニケーション不全や孤独をものの見事に描いてみせるところにある。

本書でいえば、パシヴァ(=知覚するもの)とレシヴァ(=受け入れるもの)に介在するリトル・ピープルと、彼らが生み出す「空気さなぎ」いう存在が、それに該当する。

このリトル・ピープルは、コミュニケーションの不全を克服しうる可能性の比喩的存在であろう。他方、リトル・ピープルによって作り出された「空気さなぎ」は、コミュケーションが成立した二人のあいだに生じた「絆」の象徴なのだと思う。

そして、パシヴァ(=知覚するもの)によって、レシヴァ(=受け入れるもの)が「絆」の存在を認識するにいたった瞬間、二人の世界は1984年から1Q84年に変わるのだ。

天吾は「空気さなぎ」の中の存在を見たとき、20年前に彼の手を握った青豆との間に、深い愛に基づく「絆」が生じていたことを確信したのである。

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紙の本外交 上

2008/02/09 07:45

アメリカ外交の特異性とその本質

9人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書「外交」 は、ヘンリー・A・キッシンジャーによるヨーロッパ外交の理論書である。キッシンジャーは、国際政治学者にして合衆国・国務長官を務めた人物として表記される場合が多い。

しかし、本書を読んでみて、彼は「国際政治学者」というよりはむしろ、「戦略理論家」と呼ぶ方がふさわしいように思えた。ちょうどニコロ・マキャヴェッリがフィレンツェ共和国第二書記として対フランス外交を取り仕切ったように、である。

上巻は、17世紀の30年戦争から20世紀の第2次世界大戦終結までを600頁にわたって詳述する。キッシンジャーはヨーロッパ外交政策の2大潮流として、(1)バランス・オブ・パワーを重視する伝統的なパワー・ポリティクスと、(2)外交に個人と同じレベルの道徳・倫理基準を要求するウィルソン主義を挙げる。

バランス・オブ・パワー理論は、レゾン・デタ(=国家理性)という標語を掲げて神聖ローマ帝国の勢力を抑えることに成功した、フランスのリシュリュー枢機卿によって編み出された。リシュリューは、バランス・オブ・パワーのためなら異教徒のオスマン帝国と結ぶことも辞さなかったのである。

そして、このバランス・オブ・パワー理論は、プロイセンのビスマルク公爵の「リアル・ポリティーク」によって洗練の極みに達するのである。ビスマルク公は、複雑極まる19世紀ヨーロッパの国際政治において、多彩な軍事同盟・条約を駆使することで必要最小限度の戦争でもってドイツ統一を成し遂げた。

キッシンジャーは、バランス・オブ・パワー外交を実現した代表的な政治家として、リシュリュー枢機卿(フランス)、メッテルニヒ公爵(オーストリア)、ビスマルク公爵(プロイセン)、スターリン(ソ連)を挙げる。また、イギリスは19世紀後半にいたるまで、一貫としてヨーロッパ政治におけるバランサーであり続けたとする(「光栄ある孤立」)。

他方、アメリカ合衆国に起源をもつウィルソン主義は、バランス・オブ・パワー理論を正面から否定する外交理論である。外交にも倫理的な基準を要求するため、勢力均衡を目的として仮想敵国を想定した軍事同盟を認めない。まして、勢力均衡を目的とした強国同士による勢力範囲の策定や領土分割をすることは断じて許されないとする。

ウィルソン主義は軍事同盟を認めない代わりに多国間の安全保障システムを提唱する。しかし、多国間の安全保障は、戦争を未然に防ぐということは少なく、むしろ戦争が起こってしまった後の対処法に過ぎないというのが本書の主張である。

ウィルソン合衆国大統領は、第1次世界大戦後のベルサイユ講和会議において民族自決主義を援用しながら、この外交理論を最大限に活用した。その結果、オーストリア=ハンガリー帝国が滅亡した跡の東ヨーロッパに多数の小国が濫立することになり、ヨーロッパの地政学的なバランスが著しく害されることになった。

すなわち、ドイツの東部国境が手薄になることにより、西部国境と東部国境への二正面作戦を遂行したいというドイツの野心を絶ちがたい状況を作り出してしまったのである。こうしてベルサイユ体制は崩壊することになった。

本書が一貫して論じていることは、バランス・オブ・パワーが働かない状況が生じたとき、ヨーロッパは常に大きな戦禍に見舞われてきた、というものである。バランス・オブ・パワーは、ある国が領土的野心を容易に実行できないような状況を作り出しておくところにその本質的な意味があるとするのである。

バランス・オブ・パワーは21世紀においても重要な問題である。例えば、今世紀最初の大戦争であるイラク戦争においては、イラクが崩壊したことにより結果的に中東の地政学的なバランスに変化が生じたとはいえないだろうか?つまり、イランのプレゼンスが大きくなることによって、イランの野心が危険水域にまで達するのではないか、ということである。このように、本書は現代の外交を考える上でも重要な指針を与えてくれる名著である。

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紙の本眞鍋かをりのココだけの話

2005/08/30 20:02

99.9%事実。

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

K書店・新宿南店で眞鍋かをり嬢の握手会の整理券を100番台後半でゲット。8月28日に電話予約していたものだ。
実は、オンライン書店ですでに『眞鍋かをりのココだけの話』を購入していたので、今回2冊目を購入したことになる・・・orz
本書はブログで既出の記事に加えて、眞鍋嬢の追記コメント、初出のフォト、記事で取り上げられたショップの紹介で構成されている。
特に、眞鍋嬢の初出の写真が良かった。まるでカレシが撮ったかのような、プライベーツな感じが出ていて超可愛い。
千疋屋(のものと思われる)フルーツを口に入れている写真は可愛くて少しエロティックで・・・。付録のポストカードのベーグルを頬張っている写真も可愛かったなー。
そして、眞鍋嬢のノートPCは、写真を見る限り、dynabook EX/522CMEみたい。ボクも先日ハードディスクが壊れるまで、パールホワイト色の同じPCを使用していた!!(今もdynabookだけど)。
「っていうか最近月イチで風邪ひいているんだよね。なんでやろ。もしかして風呂上がりにパンイチでネットとかしてるせい?←完全にそのせい(196頁)」
「パンイチ」て、もしかしてパンツ一丁のこと?ェエーーー!!眞鍋嬢が下一枚だけで・・・。まじっすかーーー!!思わず、妄想してしまったとですよ・・・。
(以上、とはずがたりより転載)

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対をなして物語は進む。

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

BOOK3<10月‐12月>を読了した。正直言って、BOOK2で完結したのかと思い込んでいたが、さにあらず。BOOK1が<4月‐6月>,BOOK2が<7月-9月>であることからすると、この先BOOK4<1月‐3月>があると考えるのが自然かもしれない。

BOOK2では、あの嵐の夜に青豆とリーダー、天吾とふかえり(深田絵里子)との間にそれぞれ生じた出来事のうち、ストーリーとして重要なのは明らかに青豆とリーダーの方であった。

しかし、BOOK3では、あの嵐の夜のもう一方の対となる出来事、すなわち天吾とふかえりの間に起こったことが重要な要素となってくる。嵐の夜の出来事という点においては、BOOK2とBOOK3は対をなしている。

この小説は、2つの対となるものが数多く描かれる。まず小説全体の章立ては、青豆を述べた章と天吾を述べた章で交互に構成され、まるで西洋音楽の対位法の如く、それぞれが独立を保ちながらも、全体としての調和を保っている。

マザ(mother)とドウタ(daughter)、パシヴァとレシヴァ、青豆と証人会の布教に従事する母、天吾とNHK集金人の父・・・そして何より、1984年と1Q84年。これらはすべて対をなしている。

これらの対をなす構造は一体何を意味するのか?BOOK3では天吾の父が描かれた。とすると、BOOK4では天吾の母が描かれるのか?(そのために、BOOK3では安達クミが登場したのか?)では、BOOK3での牛河と対をなすのは何なのか?

青豆はプルースト『失われた時を求めて』をなかなか読み進めることができない。『失われた時を求めて』で描かれているとされる、過去と現在の円環的な時間のつながりと本書の1Q84年は関係あるのか、ないのか?謎は深まるばかりである。これらの謎を解くためにBOOK4を待つことにしたい。

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紙の本この私、クラウディウス

2006/05/08 00:15

歴史を学ぶことは大事。

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ロバート・グレーブズ『この私、クラウディウス』(みすず書房、2001年)をやっと読了した。本書が出た2001年に入手していたが、今までずっと「積読」状態だった。
本書は、初代ローマ皇帝アウグストゥスを大叔父に持つ一族に生まれながら、生来の病弱と吃音症のために、周囲から疎んじられていたクラウディウスが、図らずも帝位に就くまでを自伝体で綴る歴史小説である。
クラウディウスは古代ローマ史やエトルリア史を研究する歴史学者であり、元老院を頂点とする共和政体を理想の政治体制と確信する人間である。
それにもかかわらず、一族から疎んじられていたゆえに、淫蕩と凄惨を極める政治的陰謀の中を生き延び、結局、第4代ローマ皇帝に祭り上げられるのは、まさに「歴史の皮肉」ではある。
暴君で名高いカリグラ帝の下で執政官を勤めるのだが、自分の甥にあたる年若いカリグラ帝に対して道化を演じてまで生き延びるさまは壮絶である。
クラウディウスは、皇帝に就いてからは善政を敷き、加えてブリタニアを征服する偉業を成している。政治家として大成したのは、歴史を学んでいたことによることが大きいと思った。

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自己確信への執着

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

『決定版三島由紀夫全集14巻』を読了。『豊饒の海』の第三巻(『暁の寺』)と第四巻(『天人五衰』)が収められている。

『暁の寺』では、本多は五井物産の招きでバンコックへと旅立つ。そこで、タイ王室王女ジン・ジャン(月光姫)と出会う。ジン・ジャンこそ、飯沼勲の生まれ変わりなのであった。

本多は、かつて松枝清顕の邸で月修寺門跡の法話を聞いて以来、仏教哲学・印度哲学に親しんでいたのであるが、今回インドの聖地を訪れることで輪廻転生を確信するに至る。

帰国後ある事件を扱うことで莫大な富を手にした本多は、やがて自分の中に変身願望を抱くようになる。

本多の変身願望は輪廻転生を確信したことから生じたものである。しかし他方で、老いることで自らの死を考えざるを得なくなったときに、必然的に生じるものでもあったとボクは思う。

そして、本多の変身願望は、数々の色情的な行為として表れることになる。

『天人五衰』では、76歳となった本多が旅行先の静岡・清水で出会った16歳の少年・安永透を養子にする。透こそジン・ジャンの転生した姿だと本多が確信したからである。しかし、その確信は…。

果たして、本多は清顕の輪廻転生を見届けることに執着する自分自身と向き合うことができるのか?これは本書のテーマでもあると思う。最後まで読んでご確認いただきたい。

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紙の本奔馬 改版

2005/12/06 02:10

情念と理性の相克

4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

三島由紀夫『奔馬(豊饒の海・第二巻)』を読了。『春の雪』が優雅で一途な愛の美しさを描いているのに対して、『奔馬』は純粋な思想に基づく行為の美しさを描いている。
松枝清顕が死んでから19年後の昭和初期が舞台である。清顕の学習院時代の親友・本多は38歳となり控訴院(=現在の高裁に相当)判事を務めている。
清顕は当時彼の世話役をしていた書生・飯沼の子息である勲に生まれ変わっている。飯沼は右翼政治結社の頭目であり、勲は剣道三段の腕前を持つ国学院の学生である。
本多は、あるきっかけで訪れた大神神社で、滝に打たれる勲の左腋に3つのほくろを発見し、勲が清顕の転生した姿であることをためらいながらも悟る。
清顕が死ぬ直前に言った「・・・又、会ふぜ。きっと会う。滝の下で」という言葉が現実のものとなったのである。
そこから、自己の政治思想の純粋さを財界人の暗殺に昇華させていく勲と、法律家としての理性が徐々に揺らいでいく本多が絡み合う形でストーリーが展開される。
思うに、勲は人間の情念の部分、本多は人間の理性の部分を体現しているのではないだろうか。若さに起因する純粋さを諌める手紙を本多が勲に送った時から、情念と理性の相克が描かれているように思う。
勲等の計画した右翼テロは未遂に終わり、本多が判事職を辞して勲の弁護を買って出るところで、情念と理性は折り合いを付けたように思われた。
しかし、その直後に勲が単独で財界の巨頭・蔵原を暗殺し、割腹自殺を遂げてしまう。とすると、ここで三島は情念の勝利を描いているのであろうか?
ボクはそうは思わない。ただ純粋であることの美しさを描いているだけであり、理性の敗北までをも主張しているわけではないと思う。先に述べた本多の手紙がそのことをよく示している。
(以上、「とはずがたり」ブログより転載)

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紙の本海辺のカフカ 上

2006/01/18 02:16

冒険することの必要性。

5人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

『海辺のカフカ 上・下』(村上春樹、新潮社、2002年)を読了。新潮社エッセイを除けば、村上作品を初めて読んだことになる。今までは正直に言って、村上作品を読む気持ちになれなかった。
というのも、商品名を多用した文体が安っぽい商業コピーを思わせたし、何より時代錯誤的なアメリカ文化への崇拝が感じられたからである。
今回の作品に関しても、そのような傾向がないわけではない。15歳の主人公が60年代のアメリカ音楽に精通しているのは多少強引に感じる。また、商品名にいたってはこんな感じである。
「父が大事にしているロレックスのオイスターを持っていこうかとも思ったけれど、迷った末にやめた。その時計の機械としての美しさは僕を強くひきつけたが、必要以上に高価なものを身につけて人目をひきたくはなかった。それに実用性を考えれば、僕が普段使っているストップウォッチとアラームのついたカシオのプラスティックの腕時計でじゅうぶんだ」(上巻10頁)
しかし、こういった点は今回はあまり気になるほどではなかった。何より内容が素晴らしいのだ。本作品は15歳の田村カフカが家出をすることから物語が始まる。
そして、この物語の通奏低音として、ギリシャ悲劇『オイディプス王』、すなわち、父を殺し、母と交わる話が流れている。
なぜ、『オイディプス王』なのか?おそらく、現代日本の青少年と、それを取り巻く家族を描くためであったと思う。
しかし、それは悲劇では終わらない。現在を受け入れた上で将来へ前進することができる、というメッセージを控えめながらも村上は提示している。
では、前進するためには何が必要なのか?それは「冒険」であると思う。若者は冒険することで自ら学ぶのである。
村上は、家出をし、父を殺し、母と交わる少年を描くことで、極端な形ではあるが、若者に対して冒険することの必要性を訴えているのではないかと思った。

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優雅さをめぐる葛藤

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

三島由紀夫全集13巻に収められている『春の雪(豊饒の海・第一巻)』を読了し、そして同名小説を映画化した作品を鑑賞した。
羽林家の家格を有する公家の綾倉伯爵家令嬢・聡子と、維新の功により祖父の代に侯爵に叙せられた松枝家子息・清顕との悲恋を描いている。
映画作品の方は、限られた時間のなかで劇的効果を高めるべく、多少内容を変更しているが、ポイントはしっかりと押さえている。
尚武の気風に溢れる松枝家の人間でありながら、幼少期から綾倉家に預けられたことにより、「優雅さ」の何たるかを知ってしまった清顕は、素直に感情を表現できない、そして耽美的な性向を持ってしまっていた。
清顕は、聡子が自分に恋心を抱いていることに気付きながらも、「優雅さ」を生まれながらに自然に身に付けている聡子に対して素直になれない。あまりに自然な聡子の「優雅さ」に清顕は嫉妬していたのではないかと思う。
しかし、聡子と桐院宮治典王殿下との結婚が決まり、聡子を失うことが現実化してはじめて、清顕は自分の本当の気持ちに気付くのである。
もっとも、清顕の気持ちが変わっていく最初の重要なきっかけは、雪見に出かけたときであると思う。聡子が無理を言って清顕を雪見に連れ出し、その際、人力車の中で二人はファースト・キスを交わし、愛撫し合うこととなる。
このとき清顕は、聡子に覆われた「優雅さ」の膜の中に、静かではあるが、官能的な情熱があることを悟ったのだと思う。
このシーンは小説でも映画でも白眉なので是非注目してほしい。
そこから後戻りできない恋愛が進行し、悲劇的な結末を迎えるのであるが、そこは原作や映画をご覧いただきたい・・・。
思うに、公家の令嬢である聡子には、譜代大名藩主の家系で宮家にも出仕した三島の母方の祖母が投影されているであろうし、松枝侯爵や大審院判事の子息である本多は、三島の父方の家風を反映しているかもしれない。
そして、両家の気風の間で「優雅さ」について葛藤する清顕は、何よりも三島自身なのかもしれない。
このあたりの葛藤を現代の若手俳優が表現するのは難しいと思う。妻夫木聡はみずみずしい感性で清顕を好演していたが、聡子に対して素直になれない部分は、単なる天邪鬼的な甘えのように表現してしまっているのが残念だった。
聡子を演じた竹内結子はすばらしかった。でも、松たか子に演じてほしかった気もしないでもない・・・。
脇役陣もすばらしい。特に、松枝侯爵を演じた榎木孝明、綾倉家侍女・蓼科を演じた大楠道代の演技が秀逸であった。大楠は英国のマギー・スミスを髣髴とさせる。
あと、映像もすばらしい。撮影場所、衣装、小道具にもディテールにこだわっていて感心した。清顕の左腋には3つのほくろがあったし、学習院の制服や当時の外套おそらく本物であろう。
是非、原作と映画の両方に触れてほしいと思う。
(以上、「とはずがたり」ブログから転載)

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紙の本真夜中の五分前 Side‐A

2004/12/20 18:36

生きていくうえで多少感じる息苦しさ

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

先日side-Aとside-Bを読了した。本多孝好の著作だ。現代作家の小説は正直あまり読まないボクにしては珍しいことだ。実際、ボクは村上春樹を読んだことはない(正確に言うと、村上のプリンストン留学時代を綴ったエッセイ『やがて悲しき外国語』は読んだことがある)。

本多孝好との出会いは奇妙なものだった。実家で夕食をしたときに、母親から氏のインタビュー記事を見せられたのがきっかけだった。『Grazia』という女性誌の12月号に写真付きのインタビュー記事が出ていたのだ。彼女曰く、氏の雰囲気がボクと似ているという。確かに、氏とボクは同世代で(氏が1年上)、勉強していた分野も同じだ。その記事と写真に何だか魅せられてしまって、今回の作品を読んでみたのだった。

内容も重くないし、2冊合わせて400頁程度なので2日間で一気に読めた。結論を言うと、かなり面白かった。主人公の「僕」というか著者の恋愛観みたいなものに共感してしまったことを告白しなければならない。。

side-Aの「僕」は26歳でside-Bでは28歳である。ボク自身、実年齢よりは5年くらい幼いところがあると自覚しているので(それが原因でしばしば自己嫌悪に陥るのであるが)、その意味では、かなり感情移入できた。

要するに、思慮深さと意気地なしは対のものだし、クールさはナイーブさを包み隠すためでもあるということだ(たとえ、意識していなかったとしても)。そして、それゆえに、生きていくうえで多少の息苦しさを常に感じてもいる。

かつての恋人・瑞穂を事故で失っても悲しくはなかったとうそぶく「僕」であるが、それ以来6年間もセックスをしていなかったりする。また、かすみが「僕」を求めて家に来たときも、一度は拒絶してみたりする。

でも、今「僕」はかすみを愛している。肌も重ねた。でも、かすみは一卵性双生児の妹・ゆかりの婚約者・尾崎への思いも捨てられない。姉妹は海外旅行先で事故に遭い、片方は死んだ。生き残ったのは、「かすみ」なのか、「ゆかり」なのか??

恋愛感情というものはどのように生じるのか?について深く考えさせてくれる本である。

(以上、dimple管理人『とはずがたり』ブログから転載)

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人と人の関係は動態的である

14人中、14人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

『戦略の本質 戦史に学ぶ逆転のリーダーシップ』(野中郁次郎ほか、日本経済新聞社、2005年)を読了した。本書は、帝国陸海軍の組織的欠陥と卓越した政軍指導者の不在を論じた『失敗の本質』の姉妹編である。
本書は、序章と第1章で戦略論の概説を論じた後、第2章以下でバトル・オブ・ブリテンやスターリングラード攻防戦など6つのケーススタディを扱う。
逆転のケースに戦略の本質が現れるとして、扱われるケースはすべて局面を打開し形勢の逆転に至ったものばかりである。
そして、終章で戦略の本質として10の命題を引き出す形式となっている。
命題1 戦略は「弁証法」である。
命題2 戦略は真の「目的」の明確化である。
命題5 戦略は「信頼」である。
命題6 戦略は「言葉」(レトリック)である。
10の命題は、何も軍事戦略だけではなく、ビジネスや恋愛といった日常生活にも十分応用できるものだ。とりわけボクが関心を持ったのは、以上の4つの命題である。
第1の命題の前提にあるのは、「相手の出方に応じてこちらの出方を変える」必要が生じるし、また、「こちらの出方に応じて相手の出方が変わる」ということである。
たとえば、市場シェアを10%上乗せすることを目的として、綿密に個々の具体的な行動計画を立ててそれを実行に移したとしよう。
しかし、自社の行動に応じて相手(他社)も行動を変えるのであるから、目的達成を図るためには、必ず当初の行動(作戦)計画の変更を余儀なくされるのである。
また、恋愛においても、自分の行動に対して相手が感じた気持ちやそれに基づく相手の行動を考慮することなく、自分の気持ちだけで突っ走ったとすれば、必ずや良い関係を築けないに違いない。
であるから、「彼我のダイナミック(=動態的)な相互作用を把握し」た上で、戦略の各レベルで生じた矛盾を総合する必要が生じるのである。
これはあたかもヘーゲルの弁証法にいう「正」(テーゼ)、「反」(アンチテーゼ)、「合」(ジンテーゼ)で生成発展するプロセスに他ならない、というのが第1の命題である。
第2の命題は目的が明確でないと最終的に勝利を導くことはできないということである。
たとえば、ただその人が好きだから、一緒にいたいから、ということだけでは、やがて関係は行き詰るということである(多分)。
あるいは、片思いか単なる友達の段階に留まるだけで終わる場合もあるだろう。
第5・第6の命題は、リーダーの教養、説明能力、人間性といった要素の重要性である。これは組織のあらゆるレベルのリーダーに求められる要素であろう。
また、私生活においても子供や配偶者・恋人の尊敬を勝ち取るのに必要であるに違いない。
全体的に文章がこなれていて読みやすい。1次資料を参照したガチガチの研究書ではないので、戦史に興味がない人でも安心して読める。
書店ではビジネス本の書棚に置かれていることが多いが、むしろ歴史や自己啓発本を読む感覚で差し支えないと思う。
(以上、とわずがたりブログ http://dimple.blog.ocn.ne.jp より転載)

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紙の本草食系男子の恋愛学

2009/02/28 17:04

草食系男子ではなく、恋愛を渇望する男子のために書かれた「概論」

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

森岡正博『草食系男子の恋愛学』(メディアファクトリー、2008年)を読了した。森岡は「草食系男子」について、「新時代の優しい男性のこと。異性をがつがつと求める肉食系ではない」と定義する。

しかし、本書で語られる内容は、心の底から恋愛を望んでいるにもかかわらず、その恋愛への第一歩を踏み出せない男子へのアドバイスといってよい。

そもそも上記で定義される「草食系男子」とは、外見からも男性性を感じさせず、また実際にも恋愛やセックスに対する意識が低い男子を指すのではなかったか?とすれば、そもそもこのような草食系男子に対して恋愛指南をする必要はないともいえる。

むしろ本書は、哲学者である著者がかねてより提唱する「無痛文明」-すなわち、苦しみや辛さや孤独から逃れるためのツールに溢れた現代社会-の中で育ったがゆえに、自分が傷つくことを極端に恐れるあまりに、恋愛に消極的になっている一般男性に向けて書かれた恋愛論というべきだろう。

恋愛は、生身の人間同士がガチでぶつかるコミュニケーションである。そこには自己否定、嫉妬、焦燥などあらゆる感情が渦巻くのであり、傷つくことを怖れていては決して踏み出すことはできない。恋愛の入り口は、社会的な常識として男性が決断する場面ということもあって、かくも恋愛に不得手な男子が多いのであろう。

『女性たちは・・・(中略)・・・恋愛談義に花を咲かせ、恋愛していくときの基礎をしっかり身につける。

ところが、男性たちは、そうではない。多くの男性たちは、恋愛についての基礎的教養を持たないままに、ある日突然、恋愛の荒海に投げ込まれるのである』(22頁)

著者のこの指摘はおそらく正しい。男子も恋愛について多くを学ぶ必要があるだろう。

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紙の本イラク戦争のアメリカ

2008/12/26 23:15

リベラル左翼から転向したネオコン知識層が引き起こした、夢想的な戦争。

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

書は、章ごとにイラク戦争に関係する一人の人間に焦点をあててイラク戦争の断片を描いている。例えばそれは、イラク亡命知識人であるカナン・マキアであったり、戦争全体を主導したネオコン一派のポール・ウォルフォウィッツである。

焦点をあてているのは、もちろん著名人だけではない。連合軍暫定施政当局(CPA)職員の若き歴史学者、CPAで秘書業務に携わるイラク人女性、バクダッドの死体保管所で検死をしているイラク人医師、戦死した23歳の陸軍兵士の父親であるアメリカ人男性など様々である。

本書は、各章で個人を描写する一方で、全体を通してアメリカがイラク戦争で直面する問題を浮かび上がらせることに成功している。

それはすなわち、この戦争は決してアメリカ国民の生存の危機から生まれたものではなく、イラク人亡命知識人と、レオ・シュトラウス学派から派生した-リベラル左翼から転向した-アメリカのネオコン知識層が主導した、様々な政治的思惑が交錯する戦争だったということである。

当然そこには占領政策の不在にとどまらず、戦争全体の戦略も不透明なままである。はじめから大量破壊兵器は存在していなかった、国務省と国防総省が反目している、国防長官が自己の信奉する軍事理論に固執した等、問題点を挙げればきりがないことがわかる。

そして、世俗的中流市民層と宗教的下層階級が混在し、また、オスマントルコ以来、スンニ派少数エリートが多数派のシーア派層を統治してきたという中東地域の複雑な政治社会状況が、戦争により一気に破壊されたことから生じる困難が本書によく描かれている。

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紙の本満州事変から日中戦争へ

2007/09/09 22:44

外交力の欠如

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加藤陽子『満州事変から日中戦争へ』(岩波新書、2007年)を読了した。

日露戦争後獲得した中国東北部の権益を維持・発展させるにあたって、外交的努力が思うような成果を上げられなかった結果、陸軍の省部幕僚や関東軍を中心とした軍部が武力によって植民地政策を遂行していく過程がよく描かれている。

わが国は歴史的に見て、外交能力が諸外国に比べて見劣りすることがよくわかる。例えば、リットン調査団の報告書や国際連盟の外交交渉においても、英国は日本の権益を認めうるシグナルを送ってきていたのだが、わが国政府はこれらをすべて見落としている。

軍部はというと、中国東北部に対するロシア(ソビエト)の脅威に備えることが最大の政策目標であるにもかかわらず、さしたる見通しを立てずに日中戦争の戦線を拡大していく。

そこにあるのは戦略的思考の欠如だ。同じ島国でも、英国との彼我の差に嘆息を禁じえない。

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紙の本春にして君を離れ

2009/05/15 11:23

人生、そして中流階級的価値観への皮肉

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裕福な中流階級の英国人中年女性が、非日常的な空間で一時的に精神的危機に直面する様を描いた作品である。

第2次世界大戦前夜の時代、主人公のジョーンは、弁護士の夫を盛り立て、3人の子供たちを立派に育て上げたことを自負しており、人生に満足していた。

そのジョーンは、娘の病気見舞いに嫁ぎ先のバグダッドを訪れた帰途、悪天候のためにイラクの砂漠地帯にある駅の宿泊所で数日間足止めをくらってしまう。

砂漠で孤独な時間を過ごす中、ジョーンは自己の半生を振り返ることになったのであるが、やがてその人生への満足は単なる思い過ごしであり、自分は家族の誰からも愛されていないのではないか、という疑念に苛まれてしまう。

作品の中では、ジョーンの疑念は正しいことが示唆される。すなわち、ジョーンの家庭への献身は、実は世間体を気にする彼女の利益に資することが最大の目的であったことを夫や子供たちは見抜いていたのである。

エピローグで提示される結末に関して、作家の栗本薫は文庫版の作品解説において、本作品の悲劇性ないし「哀しみ」と述べているのであるが、これはおそらく正しくないと思う。本作品は、英国人の控えめさと偽善、そして空気の読めない中流女性の俗物性を皮肉った、戯曲仕立ての喜劇(コメディー)と捉えるべきなのだ。

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