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レビューアーランキング
先月(2017年8月)

江戸むらさきさんのレビュー一覧

投稿者:江戸むらさき

4 件中 1 件~ 4 件を表示

紙の本座右の山本夏彦

2008/03/04 08:52

夏彦のそっくりさん

8人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 文体、リズム、思想信条とすべてが夏彦にそっくりな人が書いている。夏彦フリークを自任しているだけに、文字づかいの癖まで似ている。夏彦はしばしば同じセリフ、同じテーマを繰り返した。壊れた蓄音機みたいだ、と評したものもいたが、それでも読者をひきつける文体の力があった。
 夏彦の主張してきたことは、煎じ詰めれば「戦後レジームからの脱却」がテーマだった。戦争に負けて、日本人は自信を失ってしまったが、弱り目に祟り目で、反日的新聞や日教組、進歩的文化人と称する連中は、日本人を骨無しにすることに血道をあげてきた。日本人を日本嫌いにすること。それが彼らの目的だった。
 夏彦や司馬遼太郎は、左翼的思想が支配的な時代に、日本人にいま一度自信を取り戻させるべく、反左翼的な論陣を張ってきた。その試みは、蟷螂の斧に似ていたが、同調する人間もまた多かった。夏彦は「日本の悪口ばかり言う人に、無理して住んでもらう必要はない」というようなことをいい、中国や旧ソ連におべんちゃらを言うような輩を皮肉った。
 筆者も夏彦と同じような考えの持ち主なのだろう。愛国者的な心情がいろんなシーンに吐露されている。左翼思想に身も心もかぶれてしまっている知恵遅れの人たちには面白くもなんともないだろうが、ちょっとばかり知的レベルの高い人たちにとっては、実に傾聴すべき言説の数々なのである。
 夏彦の本を全国民の1%でも読んでくれれば、この国の将来は安泰なのだが、知的電圧が大幅に下がってしまっている現状では、所詮かなわぬ望みなのかもしれない。「茶の間の正義」を蹴っ飛ばせ。この本を読めば読むほど、日本人よ、早く正気に戻ってくれと願わずにはいられない

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稀代のコーヒー狂はニヒリストだった?

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 奇人としても知られていた吉祥寺「もか」店主の一代記。銀座ランブルの関口やバッハの田口と並び称されたコーヒー名人の一人で、タイトルにあるように、まさに「コーヒーの鬼」と呼ぶにふさわしいほど焙煎に、また抽出に我を忘れて没頭した。めざしたのは、ダイヤモンドのようなコーヒーだ。
 もかのコーヒーは数知れないくらい飲んだが、飲むたびに感動があった。著者の前作『コーヒーに憑かれた男たち』の中では、もかのコーヒーには「品格」があった、などと書かれていた。店主の標はたかがコーヒーにも品格を求めていたのである。
 この本に貫かれているのは、大事なことは言葉では伝わらない、ということ。それと作品の中に引用された魯山人の言葉「鑑賞力なり味覚なりは、わかる者にはわかるし、わからぬ者にはどうしてもわからない」に象徴されるような、ある種の諦観。もかの店主はよくこう言っていたという。「世の中の人間の99%は、うまいコーヒーがどんなものかを知らない」と。
 コーヒーに対する世間の無知や無関心に絶望し、標はついには草莽に隠れるようにして晩年を送った。コーヒーの味は抽出温度1℃、焙煎時間1秒、コーヒー粉1グラム違っただけで、大化けしてしまうという。そんな微妙で細密な世界に生きたコーヒー馬鹿が標交紀だ。
 お客が飲み残したりすると、精神に変調をきたすほどコーヒーにのめり込んだ稀代のコーヒー狂。他にも標に負けないくらいの奇人変人がいっぱい登場してくる。コーヒー自家焙煎の世界は奇人変人を生み出す腐葉土のようなもの、と著者は言うが、読めばそのことを得心するだろう。前作同様、コーヒーを通して描かれた東西比較文化論にもなっている。

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タバスコは親の仇

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

学生の頃(40年前)は、ピザというとタバスコが必需品だった。どの店にも卓上に赤いラベルの小瓶が置いてあり、それをたっぷりかけるのが私の流儀だった。それがアメリカン・スタイルだったなんて、当時は知る由もなかった。イタリア人はタバスコをふりかけない、と知ったのはだいぶ後になってからで、今や、一部の店を除いて、タバスコはレストランの卓上から消えてしまった。たしかにタバスコの辛みは強烈で、どんな料理でもタバスコ味にしてしまう。イタリアで料理修業をしたこの本の著者は、かつて某雑誌でこう述懐していた。「僕がまず最初にやったのは、テーブルからタバスコと石鹸みたいな粉チーズを追放することだった」と。ようやくそれが終わったと思ったら、こんどはオリーブオイルにパンを浸して食べる輩が出てきた。著者は言う。あの食べ方は「貧しさの象徴」みたいなものなのだから、ちゃんとしたレストランでは控えたほうがいい、と。この本はいわゆるイタリア料理の雑学本というジャンルに入ろうが、中身は本格的で、著者がいかに該博な知識を持っているかが知れる。見た目は軽そうだけど、中身はズシリと重い。笑いながらホイホイ読めるのだが、滋養分がたっぷりだから、実に濃厚で有意義な時間を過ごした、という思いに満たされるのである。プロの料理人にも、また私のような素人にもじゅうぶん楽しめる工夫が凝らされている。ユニークなイラストもその一つだ。見開き読み切りだから、好きなところから読めばいい。読み終わったら、たぶんあなたは、相当なイタリア料理通になっているだろう。

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おやじの品格

2006/08/02 08:56

サムライ精神を持った最後のおやじ族

5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「若者なんか大っきらいだ!」という強烈な帯に魅かれてついつい買ってしまった。なぜなら私も若者が大きらいだからだ。タイトルからすると、「品格ブーム」を当て込んだ安っぽい類似本の1つだろうと思ったが、中身は予想を裏切ってめちゃくちゃ面白い。テーマはしつけ論から教育論、文芸論から歴史論まで幅広く、著者の該博な知識にまず驚かされる。「五尺の小躯をもって…」の中では、漱石や小村寿太郎、司馬遼太郎がいかにチビだったかを論じている。明治期の外相の小村などはわずかに150cmだったというが、その立ち居振る舞いは立派で、威風堂々としていたとある。たとえチビでも決して卑屈にならなかった理由は、「日本人として日本の文化や歴史に誇りを持っていたからではないか。日本のそれは他のどの国のものと比較しても第一級のものである」とする司馬のコメントも紹介。一方で、赤べこ人形みたいに外交の場でペコペコと頭を下げる卑屈な日本人の姿も面白おかしく描き、読者をハタと考え込ませてくれる。著者は白洲次郎のような凛とした男に憧れているようで、その思いが全篇にみなぎっている。要は白洲のようなプリンシプルを持った男になれ、といいたいのではないか。文章はリズミカルで読みやすく、とぼけた味わいの中に気品さえ感じられる。強烈な毒を持ったコラムニストが出現した。

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