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    5つ星のうち 4.0 レビュー詳細を見る

大塚 英志さんのレビュー一覧

投稿者:大塚 英志

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著者コメント

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 これは極めて個人的な80年代史です。ぼくが80年代に関わった出版物や事件を軸に80年代とは何であったかを検証する「私史」といえます。ぼくにとって80年代やそこで関わった人々やことがらは決してただ懐かしいことではありません。様々な後悔や屈託とともにあります。
 ただそれでも80年代の私的な回想を記録しておこうと思ったのは、あの時、露わになったり潜在的にあったりしたいくつもの問題が、明らかに「現在」につながっているからです。それらの問題の所在をぼくは平仮名の「おたく」という語によって表象させます。ぼくはそれが「おたく」を「オタク」と片仮名に表記し直すことで克服されたなどとは全く考えることができません。
 原型となったのはかつて『諸君!』に連載され「石原慎太郎」問題の余波で中断したままの「ぼくと宮崎勤の’80年代」です。新書としては異例の四〇〇頁の厚さです。近頃妙に賛美され、ノスタルジックに回帰される80年代ブームに水を差すことになるのでしょうが、別に狙ったわけではありません。『サブカルチャー文学論』及び『アトムの命題』との併読を単に作者のPRとしてではなく、強く希望します。

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「経営感覚」ということ大塚英志5/5

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 だからそれぞれの新しい雑誌はそれぞれのやり方で「採算」をとることを自分に課している。『早稲田文学』は徹底したコストダウン、『重力』は参加者の頭割り完全自腹、『新現実』は原稿料と編集コストはぼくのリスクにしてひたすら安く作り角川の中では赤字が出ないようにして、かつ文庫版『サイコ』その他を担保として刊行することで版元に赤字を負わせない、『enTAXI』は500円という定価を考えても多分、本気で「売れる」雑誌を作りに行っている、という形でそれぞれ「場」としての雑誌を経済的に存続させ留方法を模索している。『わしズム』は既に採算を可能にしている。思想は違うが、その一点では小林をぼくは否定しない。経済的に自立する努力をしてこそ言うべきときに言うべきことが言え、出すべき作家を自分の判断で出せるということが可能になる。

 でも、それって政治力のある作家の特権なんじゃないの、という声も聞こえるけれど、ぼくらよりはるかに文壇的政治力や経済力のある作家は山ほどいる。でも、何もしない。まあそれはいい。でも、いつもいうことだが自分たちでパソコンで編集すれば(実際、『新現実』の本文はぼくのアシスタントが覚えたてのDTPで作った)ちょっとした雑誌なら、OLのボーナス一回分で作れる。いわゆる同人誌というやつで、そういう自前の雑誌を出版社を介さずとも自分で手売りする物を作ろうというのが一回めをぼくと『早稲田文学』の市川真人がやった「文学フリマ」だ。

 しかし繰り返すが、文壇がどうなろうが論壇がどうなろうがぼくの知ったことではない。自分の書く場所は自分で確保する。そしてかつて雑誌という「場」があってこそぼくは物書きになれたのだから、次に出てくる書き手、才能がありながら機会に恵まれない書き手、(それが六三歳の老作家だろうが、ギャルゲーのシナリオライターだろうが、誰かにとやかく言われる筋合いはない)を送り出す「場」をキープしておくぐらいの責任は果たす。それが『新現実』という雑誌のもう一つの意味である。

 最初に述べたように、作家がそんなふうに自力で、自前で、そして批評や文学が誰かに「動員」されないために雑誌を作るなんて本当は今に始まったことではない。そんなことは昔から物書きはやってきた。

 それだけの話だ。

 それを「経営感覚」というなら、「経営感覚」こそが作家の資質であり、無い方が悪い。

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