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レビューアーランキング
先月(2017年6月)

みすず書房さんのレビュー一覧

投稿者:みすず書房

5 件中 1 件~ 5 件を表示

内容紹介

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20歳の学生ハンナ・アーレントが先生であるカール・ヤスパースに宛てた手紙に始まり44年間・433通におよぶ往復書簡(1926-1969)を全3巻でここに公刊する。二人の思索の源泉、相互批評はもとより、20世紀の歴史と政治と思想を新たに知るきわめて貴重な資料だ。1巻はアーレントの「アウグスティヌス」論文のやりとりからナチズムの台頭とアーレントの亡命、ホロコースト問題、ヤスパース「戦争責任問題」など150通を収める。

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紙の本神谷美恵子の世界

2004/07/21 17:02

内容紹介

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 神谷美恵子の「人と生涯」を、写真と文字でハンディにまとめた、待望の一冊。

 愛用の品々やオリジナルの原稿、書簡類、さらには創作ノートから日記にいたるまで、今回初公開される多数の資料を新たに撮影した写真によって紹介。あわせて、今回はじめて活字化される講演など、神谷美恵子の重要な肉声資料も収録。身近な人々の貴重な証言をもとにした決定版の年譜を付し、その波乱に満ちた生涯の軌跡がオリジナル・アルバムとして今ここに生き生きと蘇る! 
 また加賀乙彦、柳田邦男、鶴見俊輔、中村桂子、川島みどり、明石み代、近藤いね子、江尻美恵子、中井久夫、神谷永子ほかによる「神谷美恵子を読む」を収録。すべての人に開かれた神谷美恵子の新世紀の可能性がここに。

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紙の本生きがいについて

2004/07/21 16:54

内容紹介

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いまこそ、神谷美恵子——
神谷美恵子の思索、その生きる姿勢は、現代だからこそ、新鮮なかがやきを放っている。
病めるものに寄せる思いと実践のなかから紡ぎ出された言葉の数々。永遠の書『生きがいについて』をはじめ、刊行後数十年を経てなお古びることのない一連の著作を、新たに編集したコレクション。

 英文学から、医学へ、さらには精神医学から病跡学へ、ときに迷いながらも、自らの信じる道を貫いた神谷美恵子(1914-1979)の人生。ハンセン病の患者さんとの出会いや交流、長島愛生園での実践と思索の日々。一人の女性として、また妻として母として、日常の雑事を生き抜いた生活者としての側面。神谷美恵子は、そのすべてを「書くこと」で表現しようとした。その生き方は、著作をとおして、また雑誌やテレビを通じて、多くの人の感動を呼んできた。このコレクションは、その主要な著作を新たに編集、各巻末に著者の未公開の文章と解説を加え、著者ゆかりの人々へのインタビューやエッセイなどを付録にして、読者に近づきやすい神谷美恵子を提供しようとするものである。

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内容紹介

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「どうしても今晩のうちに出かけていって、あなたの心に語りかけずにはいられません」。マールブルク大学の教授ハイデガーは、入学まもない女子学生に一目で恋をし、1925年2月、この最初の手紙を書いた。

本書に切り取られた時間は50年。その間、三つの「高まり」の時期があり、本書もそれに沿って構成されている。第一期は最初の恋の体験。それはおずおずと内気だったアーレントにとって、「カプセル」内で孤立する自縛からの解放であり、ハイデガーにとっては、「デモーニッシュなもの」に掴まれた体験で、彼はこの力を『存在と時間』の執筆に創造的に活用することになる。

第二期(再会)は、時代の政治状況に起因する20年の休止期間を経て1950年から数年。とくにハイデガーの手紙は、この時期の彼の伝記的事実にかんする宝庫である。

第三期(秋)はアーレントの死まで、最後の10年。「人生からの引退」が双方の心を占め、基調底音は「静けさ」であった。アーレントの『精神の生活』はこの時期に構想されている。

ふたりにとって、「仕事」と「人生」がどれほど強く綯い合わされていたか、本書はそれを納得させてくれる。さらに、「判断の国の女王」(ルッツ)と「思索の国の王」のダイアローグは、20世紀精神史のなかでモザイク状だったふたりの肖像を完成させ、ヤスパースやメルロ=ポンティなどとの関係と布置についても、さらに多くを明らかにするだろう。

《Hannah Arendt(ハンナ・アーレント)》

1906年、ドイツのハノーファー近郊リンデンに生まれる。マールブルク大学でハイデガーとブルトマンに、ハイデルベルク大学でヤスパースに、フライブルク大学でフッサールに学ぶ。ナチス政権成立後(1933年)パリに亡命し、亡命ユダヤ人救援活動に従事。1941年、アメリカに亡命。バークレー、シカゴ、プリンストン、コロンビア各大学の客員教授を歴任、1967年、ニュー・スクール・フォア・ソーシャル・リサーチの哲学教授。1975年歿。 著書『アウグスティヌスの愛の概念』(1929、 みすず書房 2002)、『全体主義の起原』1-3(1951、 みすず書房 1972、 1972、1974)、 『人間の条件』(1958、筑摩書房 1994)、『イェルサレムのアイヒマン』(1963、 みすず書房 1969)、『過去と未来の間』(1954、 1968、 みすず書房 1994)、『ラーエル・ファルンハーゲン』(1959、 みすず書房 1999)、『暴力について』(1963、 みすず書房 2000)、『アーレント政治思想集成』1・2 (1994、 みすず書房 2002)ほか。

《Martin Heidegger(マルティン・ハイデガー)》

1889年、ドイツのメスキルヒに生まれる。マールブルク大学助教授(1923-28)、フライブルク大学教授(1929-45)。1933年には同大学学長を務める。1945年、ナチス政権との関係のために教職活動を禁止され、51年復職と同時に退職。1976歿。著書『存在と時間』(1927、 ちくま学芸文庫 1994)、『カントと形而上学の問題』(1929、 理想社 1967)、『根拠の本質』(1929、 理想社 1939)、『ヘルダーリンの詩作の解明』(1937、 創文社 1997)、『「ヒューマニズム」について』(1949、 ちくま学芸文庫 1997)、『形而上学入門』(1953、 平凡社ライブラリー 1994)、『ニーチェ I 美と永遠回帰』『ニーチェ II ヨーロッパのニヒリズム』(1961、 平凡社ライブラリー 1997)、『ツォリコーン・ゼミナール』(ボス編 1987、 みすず書房 1991)ほか多数。 なお、「ハイデッガー選集」(理想社)と「ハイデッガー全集」(創文社)が刊行されている。

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紙の本ゾルゲの見た日本

2003/06/11 01:21

内容紹介

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〈もし私が平和な社会状態と、平和な政治的環境のもとに生きていたとしたら、たぶん私は学者になっていただろう——少なくとも諜報員になっていなかったことだけは確かである〉

1930年代、日本を舞台に世界を変えた男、リヒャルト・ゾルゲ。スパイとして、ジャーナリストとして、知識人として、ゾルゲは戦前の日本、われわれが失いつつある「昭和」の時代に何を見たか。

「日本の軍部」、二・二六事件を鮮やかに描いた「東京における軍隊の叛乱」、研究と調査の結果にゾルゲの思いを記した「日本の農業問題」はじめ、ドイツの新聞の特派員、ナチス党員を装いながら、ドイツの雑誌に発表した日本についての論考6編に、獄中手記の一部である「日本における私の調査」を収録。さらに付録として、ナチス・ドイツのソ連侵攻、すなわち1941年6月22日のバルバロッサ作戦についての諜報をピークに、ゾルゲがモスクワに宛てた「秘密通信」を加えた。

巻末には、戦後の冷戦構造にまで影響をあたえた「ゾルゲ事件」の全体像を包んだ、小尾俊人「歴史のなかでの「ゾルゲ事件」」を付す。

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