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ryoさんのレビュー一覧

投稿者:ryo

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漢文の教授者が必ず参照すべき誤訳の宝庫

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書は『中国の歴史』シリーズの第2冊として刊行されたものだが、全体が著者独特の史観によって貫かれており、他巻との整合性は無い。本書に述べられている「事実」に対しては論評を控え、ただ漢文教授者が参照すべき本書の特徴についてのみ簡単に紹介したい。
たとえば本書73頁に『史記』周本紀の文として「紂はすでに倒れた兵をもって戦い、武王と開戦したのである。」とある。原文は「紂師皆倒兵以戦以開武王(紂の軍勢はみな兵器を逆にむけ戦い、武王の進路を開いた)」。主語は「紂の師」だが、著者はこれを「紂が率いた」と読んだため、「倒兵」二字を目的語としてかような珍訳に至ったものであろう。「紂師」ではなく「紂」を主語にとれば「開」は「開戦した」とでも読むほかあるまいが、では「皆」字を著者はどう読んだのか。
著者が「兵」を「兵士」とのみ解し「兵器」や「兵もて撃つ」といった訓に思い及ばぬことは、239頁にも傍証を得る。すなわち『左伝』定公十年、魯と斉との会盟に際し、斉侯の意を受けた莱人が壇に上がったことに対する孔子の発言として「わが士兵よ、ゆけ。」と引かれるのがそれである。原文の「士兵之」は「士よ、兵せ(兵器で撃ち殺せ)。」という命令なのだが、著者は「兵」を動詞ととらず「士兵」二字を主語と誤解したため、形式目的語「之」を動詞にとり「ゆけ」と読む。
189頁に夏本紀の文として、孔甲が二龍を得たが「増やして食することができなかった。」とある。原文「不能食」はむろん「飼育することができなかった」の意。「食」を「くらはす」と読めず、「食べる」あるいは「食べ物」と無理に読んでしまうのは高校教育の現場でしばしば見られる事態。
『左伝』哀公十四年、斉の田常が斉簡公を弑し、これを聞いた孔子は魯公に対して田常を征伐せんことを請うた。この際のやりとりを230頁はこう引く。「公は言った。「季氏と相談してくれ。」孔子はそれを辞退して、人に告げて……(後略)」。いったい、孔子は何を「辞退」したのか。むろん哀公のもとから「辞去」したのだ。著者は原文の「辞」を「辞退」の意だと頭から決めつけてしまい、「辞去」の意に思い及ばなかったものか。
本書は決して薄くはないが、その全体に上記のようなレベルの誤訳が散りばめられている。いずれも初学者が陥りやすい誤訳であり、それだけに専門の教授者がその可能性に気付きにくいものでもある。しかもこれらは、原典を参照すれば、なぜこのような訳に至ったものかを簡単に理解できるのだ。67頁にみえる『逸周書』からの引用など、一見まるでデタラメかのように見えるのだが、原文と逐一対照すれば、著者がどのように句読を切り間違え、どのように苦労して単語の意味をつなげていったのか、手に取るように把握できる。
もうおわかりであろう。本書は、初学者が陥りやすい誤訳・誤解のきわめて豊富な実例集なのだ。漢文教育に携わる者は、是非とも本書を手元に置き、原文と対照しつつ読み進められたい。ついでながら、189頁で『史記』高祖本紀冒頭の「太公往視」を「太公が注視する」とし、また250頁や251頁で孔子世家の「呉楚之君自称王」を「呉越の君が王を称していた」とするなどは、翻訳よりも以前に注意すべきことがあるということを改めて教えてくれる。
このような読まれ方は、おそらく本書の著者が望むところでもあろう。何となれば、著者は本書の特色について「本書は……古代の書物の「本文」を抜き出して翻訳し、必要に応じてご紹介した」と述べた上で、「とはいえ、翻訳ということであれば、その善し悪しも問題になる。ごまかしにはご用心である。そのあたり、正確さを期するには、適宜原文をご参照願うしか手がない」と、いわば開き直っているのだから(22頁)。

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