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  2. レビュー
  3. tujigiriさんのレビュー一覧

tujigiriさんのレビュー一覧

投稿者:tujigiri

36 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本愛国の旗を掲げろ

2005/11/04 01:33

文句なしの大傑作!

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

目新しいアイデアやそれまでにない表現技法に興を誘われる小説は多かれど、寝食を忘れてむさぼりつける小説というのはそう多くない。僕の場合、年に4冊も出会えれば十分当たり年ということができる。
おおよそ1年に1冊のペースで刊行される本シリーズは、ひとり海洋冒険小説ファンのみならず、あらゆる読書家の胸をときめかせるだけの魅力に満ちている。
ストックウィンの、輝く大海原や起伏に富んだ陸地をありありと映し出す筆力は、それだけで読む者を陶然とさせるし、登場人物らが訪れる先のエスニックな土地風俗や心臓を鷲づかみにする冒険の描写は、読書の中断を決して許さない。本書は全編にロマンあふれる、そう、雄渾の海の叙事詩なのである。
これほどまばゆい光芒を放つ海洋冒険小説を、僕はほかに知らない。
ときは18世紀末。アメリカの独立や革命フランスの出現に揺れるヨーロッパにおいて孤立の色合いを深める大英帝国、その命脈を一手に握るは栄光の海軍であった。
かつて一時代を築いたスペインをトラファルガーに打ち破り、7つの海に君臨したイギリスも、王政から天才ナポレオンの手に引き継がれた宿敵フランスとの死闘に疲弊し尽くし、国家財政は破綻の危機に瀕していた。
その影響は広大な海域にまたがって大車輪の活躍を見せる海軍にもおよび、彼らは物資、人員ともにギリギリの状態で国防の任に当たることを余儀なくされていた。
そんななか、一介の強制徴募兵から出発し、たゆまぬ向上心と不屈の精神によって数多の死線をくぐり抜けてきた我らがトマス・ペイン・キッドは、常に死と隣り合わせの過酷な海上生活を経て屈強な海の男に成長し、水兵にとっての最高到達地点である航海士に任ぜられ、戦列艦アキレス号に勤務していた。
新鋭フリゲート艦に転属し、同じく航海士になっていた貴族子弟ニコラス・レンジとともに、制海権を失いつつある地中海に抱かれた宝石・妖都ヴェネチアでの要人奪回任務を辛くも成功させるキッドだったが、悲しい宿命を背負い、自らを罰するために水兵に身を投じていた親友レンジが海軍を去る日は目前に迫っていた。
海風に洗われ、あけっぴろげな水兵たちとの共同生活に凍てついた心を溶かされていたレンジは、富貴な暮らしに立ち戻ることに迷いと苛立ちを覚えていたが、海軍の意義にいささかも疑いを持たず、一途なまでに任務に燃えるキッドにそれを打ち明けられないでいた。
やがて艦の補給のためロンドン近くのノア泊地に帰還したキッドは、レンジとのあいだに生じた溝を埋める間もないまま、イギリス中を震撼させる大規模な水兵の叛乱に巻き込まれてしまう。全艦隊を横断して連帯した水兵たちは待遇の改善を求めて指揮権を強奪し、各錨泊地において相次いで艦船を停止させてしまったのである。
国家への忠誠と水兵たちへの情のあいだで激しく揺れるキッドは、叛乱の報いが情け容赦のない縛り首と知りながらも、正義感がゆえについに叛乱側に加わり、乞われて主導的地位に押し立てられてしまう。
水上の叛乱者たちが組織した委員会と、海軍本部や王権政府との息詰まる闘争は二転三転を繰り返し、次第に事態は泥沼の様相を呈しはじめる。そしてキッドに忍び寄る悲劇の予感———。
イギリス海軍史上に残るスピッドヘッドの叛乱を舞台に、絶体絶命のピンチに陥るキッドと、彼を救うために起死回生の策にでるレンジの友情が熱いドラマを生む、ロマンスあり、冒険ありのシリーズ第4巻。
断言しよう。これほどおもしろい小説を知らない者は不幸である。

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紙の本人類と建築の歴史

2005/10/18 13:32

人類と建築の歴史/人間の精神は建築に宿る?

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

タイトルどおり、人類の歴史を建築様式の変遷から考察したもの。
本書の目的を有体にいえば、さながら筆跡で人格を観るようにして、歴代の建築物に投影された人間心理を解析しようとする試みということになる。
第一章では進化の黎明期における簡易住居に顕れる「円」の思想を示し、続く第二章では世界各地に散らばる巨石遺構から、それまでの地母神信仰に加えて人類が太陽信仰を具有する過程を明らかにしていく。
第三章と第四章では一般論から離れ、主に日本の縄文住居と神殿建築にスポットを浴びせながら、世界中で独自の建築文化が花開ていく軌跡を追う。
宗教が建築様式を規定し始め、多様性が頂点に達する時代を俯瞰する第五章では、産業革命が地球規模で建築をヨーロッパ型に収束していくまでを解説する。
と、ここまでは、ときに宗教学や歴史学においていまだ諸説紛々たる事象を事もなげにスイスイと定義していく筆運びに半ばひやひやさせられながらも、概してコンセンサスのとれた論説が述べられており、気色もどこかのどかでさえあるのだが、第五章の最終稿と第六章の冒頭において、考察は以下の驚嘆すべき文章によってたちまち金縛りにされる。
『この五歩目を歩みぬいた果てに、おそらく建築の神さまも予想できなかったような不思議な現象が起こる。』
『現在、世界のどの都市に出かけても、似たようなビルや集合住宅が立ち並んでいる。パリでもローマでもエジプトでも東京でもメキシコシティでも変わらない。鉄とガラスとコンクリートで作られた四角な箱に大きなガラスのはまった建物ばかり。十九世紀の世界はヨーロッパの歴史主義建築一色に染め上げられたというのに、二十世紀に入ってのこの変化はいったいどうしたというんだろう。』
そのまま澱みなく現代建築の祖となったドイツのバウハウスを紹介しながら、筆者は二十世紀の人類が数学的な思考を手に入れたことを指摘し、マルクス主義やアインシュタインの相対性理論、フロイト心理学などの極点にいたる前世紀のパラダイムを次の言葉で浮き彫りにする。
『わずか三十年の間にそれまでの歴史主義から切れて幾何学的構成へと純化できたのは、おそらく、目を外から内へと振り向けたからだと私は考えている。過去の造形とか目に見える自然といった直接の外界から離れ、人間の内なる造形へ、意識下にひそむ造形的蓄積へと目を向けたのではないか。』
そして筆者はフランシス・フクヤマが使ったのと同じ言葉で、こう結論付けるのである。
『一つから始まり、多様にふくらみ、また一つへ。人類の建物の歴史は、約一万年して、振り出しに戻ったのである。』
『このことは何を語るのか。』
『もしかしたら二十世紀をもって歴史が終わったのかもしれない。』
建築学とは、なんと鋭い目を持つのだろうか。

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雷電本紀

2005/12/14 00:50

この魂に括目せよ

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

朝蒼龍という力士が好きでたまらない。
相撲道を体現したような千代の富士の、ひたむきで力強い土俵は、かつて子供心にもまぶしく映ったものだが、彼の涙の引退から後の横綱の面々にはほとんど魅了されることはなかった。
初の外国人横綱たる曙の孤独には、やや同情に似た思いを抱いたこともあったが、若貴の兄弟横綱となるとお手盛りの権威のみを感じさせられ、ことに貴乃花から発せられる偽善の臭いには心底吐き気を覚えた。
相撲とはこんなに胡散臭い代物だったのか。花よ蝶よと甘やかされた横綱が大人らしく振舞えば振舞うほど、大相撲の虚構性が透けて見えるような思いに襲われたものだ。
そこへいくと、朝蒼龍の強さは実に明快である。さすがに昨今は批判も少なくなったが、横綱昇進直後のバッシングは不条理極まりなかった。
対戦相手を土俵から突き落とし轟然と肩をそびやかす朝蒼龍の一見ふてぶてしい態度に、横綱の品位を問う馬鹿な輩がうじゃうじゃと湧いてきて、やれ礼節だの神事だのと浅ましいことをほざく。
そんな外野の声をものともせずに累々と勝ち星を積み上げる朝蒼龍の姿に僕は快哉を叫び、畏敬の念を強くした。
勝負の世界で、ひたすら強く在り続けること。それがどれだけの難業で、どれほど偉大なものであるかは、少しでも武道をかじったことのあるものには一切の説明は不要である。
強さこそが正道であり、すべての理はそこから生じる。武の道において、この逆は存在しない。
常人には到底計り知れぬ強さのうちに人はいつしか神威を見出し、尊崇の念を抱くのである。
そしてそのように仰ぎ見られた力士にこそ、やがて神事を司る霊験が備わるのだ。
朝蒼龍のあの圧倒的な強さこそ、八百万の神のひとり手力男以来の流れをくむ相撲の本質と言っていい。
今から約180年前に没した力士に、雷電為右衛門という人がいた。怪力無双のしなやかな巨躯を誇り、20年間の現役生活でたった10度しか敗れなかったという稀代の相撲人である。彼は貧困にあえぐ庶民のよすがであり、さまざまな伝説を残した。
本書は雷電の波乱に満ちた生涯を丹念に調べ上げ、裂帛の気合を込めてこの無類の力士を描ききった傑作小説である。その筆致を一言で評せば、質実剛健。
他のどんな小説にも似ない独特の調子で文章に織り込まれた雷電とその時代は、ただただ読む者を圧倒する。表現技巧にしてもプロットにしても決して洗練されているとは言いがたいが、著者の全力を傾注された筆運びは読み手に緊張をもたらし、戦慄とともに強い感動を呼び起こしてやまない。
飢餓に包囲された寒村から出た異能人がいかに人々と交わり、易々とタブーを破却して彼らの心に唯一無二の軌跡を描いていったかを、まざまざと見せつけられる。
抑えに抑えられた抑揚が重低音を伴って叙情に至るとき、行間に雷電その人がたしかに息づくのを感じるのである。
賢しらに勧善懲悪を説いたり、対象に加担して派手な演出を講じることもなく、著者は訥々と雷電とその周囲の人々の生き様を彫刻していく。
胸のすくような活劇譚は一切記されず、どちらかと言えば陰惨な印象に彩られた物語であるにもにもかかわらず、僕は雷電に願いを託した名も無き人々の希望に簡単に同化することができた。
実在の人物とはいえ、小説の駒にすぎない力士に尊崇の念を抱かされたのである。
完成までに6年もの歳月が費やされたというこの一大長編は、必ずやあなたの胸も打つことだろう。
節くれ立った文体や殺伐とした雰囲気は、ともすれば一種の読みにくさ、とっつきにくさを惹起するかもしれないが、少し我慢して読み進めてほしい。止まらなくなる。
近年稀に見る迫力が、金縛りをもたらす。

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丸かじりドン・キホーテ

2006/03/06 22:15

抱腹絶倒の悶絶古典をダイジェスト版で読み解く

4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「ドン・キホーテ」。ものの本によれば、聖書に次いで世界中でもっとも読まれた本らしい。
ある時代のヨーロッパでは、聖書のとなりには必ずと言っていいほどこの本が置かれてあって、字を読めない家庭ですらこの光景が目にされたのだそうだ。
誰しもがその書名と、痩せ馬ロシナンテに跨ったドン・キホーテが風車を巨人と思い込んでまっしぐらに突撃していくくだりだけは知っているのだけれど、実はまともに読んだことのある人はかなり少ないのではなかろうか。
高校の世界史では絶対に押さえておかなければならないトピックスなのに、あんまりと言えばあんまりの仕打ちである。
本書の著者・中丸 明は若かりしころからスペインに魅せられ、毎年のようにかの国に滞在しているそうで、その深い造詣を余すことなく披露して、全ヨーロッパで「ドン・キホーテ」が燎原の火のごとく売れに売れた歴史的経緯や風刺の解説、作者セルバンテスの波乱万丈の人生などを巻末にわかりやすく記してくれているので、日本語訳されたダイジェスト版本編を読む前には必ず目を通しておかれたい。
たとえば例の風車のくだりなんかも、当時スペインを統治し、国庫を空っぽにするくらい戦争に明け暮れて国土と国民をすってんてんにしてしまったカール5世に対する痛烈な風刺であって、彼の戦争癖が唯一スペインに持ち込んだ成果とも言われた「オランダ式風車」に猛然と打ちかかるドン・キホーテの姿は、下手をすれば反逆罪にでも問われかねないような、ギリギリの表現だったりする。
またどこの国でもあることだが、金で買収した官位や階級をひけらかす者が後を絶たない堕落した世相を批判するために、セルバンテスはあえて主人公を半狂人のうさんくさい騎士とし、でたらめで素っ頓狂な遍歴物語を書いたのだとも言う。
こういう前知識を念頭に置きながら本編を読むと、物語に秘められた寓意がさらにおかしみを倍加して、それこそ腹をかかえて笑わされてしまう。
全身笑い袋みたいなドン・キホーテと、田舎のどん百姓サンチョ・パンザの主従の絶妙な掛け合いのなかにも鋭い批判が盛り込まれていて、物語の背景を知れば知るほど、その巧みな演出には舌を巻いてしまう。
反面、単にズッコケ冒険物語として読んでも相当におもしろくて、「弥次喜多 in deep」のしりあがり寿を彷彿とさせる、ほとんど天才的な創作センスがうかがえるのだ。
一般的な大阪人の例に漏れず、僕もこと笑いにかけては一家言あるクチなのだが、いわゆるベタな笑いから粋なおかしみや不条理ナンセンスまでを見事に風刺小説に結実させた、これは傑作と言わねばなるまい。著者による抄訳も非常に平易で読みやすく、なぜかサンチョの田舎言葉に採用されている三河弁の瓢げた味わいもなかなかのもの。
機会があれば、ぜひ本書を手にとってもらいたい。きっと、読んでよかったと思っていただけるはずだ。

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蠅の王

2005/10/18 15:00

蠅の王/少年漂流譚の極北

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

非日常な社会空間に恒常的に属すとき、人はどう生きるのか。
不変に北を指す方位磁針が旅人に行き先を示すように、常識から乖離した異境を生き抜くための思考様式の裡にこそ、人間の本質が隠されているのではないか。
本書はノーベル賞作家ゴールディングの代表作にして、少年漂流記の極北である。
核戦争を避けて空路疎開中の飛行機が墜落し、少年たちだけが生き残った島。
作者は明確な数字を出していないのだが、年端もいかない子供らと比較的大きい子供(といってもローティーンだろう)を合わせて総勢20人を越えるくらいだろうか。
主だった顔ぶれは、一同のリーダーに選出されたラーフ、臆病な肥満少年ピギー、合唱隊の隊長ジャックの年長者三人で、これに双子のサムとエリック、サイモン、ロジャーあたりが加わって、孤島の物語は進んでいく。
「十五少年漂流記」を読んだことのある人なら、ラーフにブリアン、ピギーにゴードン、ジャックにドニファンを当てはめれば、三者の人間関係をおおよそ想像してもらえるだろう。
が、小競り合いはあるものの牧歌的な団結を保って最後には受難者全員が救出される「十五少年漂流記」の三人とは違って、本書のリーダー格たちを待つ運命は凄絶である。
なぜなら、彼らは集団ヒステリーにさいなまれて互いに殺戮しあうからだ。
論理的思考を持つに至らぬ少年期独特の生硬な自我に突き動かされ、しだいに常軌を逸した対立に陥っていく少年たち。そして、森の奥深くに潜んで彼らを歯止めのきかない狂気の淵に追い込む悪霊「獣」の存在---。
そう、この物語は少年漂流記の体を借りた暗黒小説なのだ。
いいしれぬ害意に満ちた文体が醸しだす陰鬱で殺伐とした雰囲気が全編を覆い、読み手はまるで金縛りにあったかのように紙面から目を背けることができなくなることだろう。後半、第一の死を経てついに少年たちが狂気に転落していくさまは、残忍なまでに圧巻である。
そして恐怖のピークで唐突に訪れる結末!
これぞ漂流文学である。いかにリアリティ溢れるノンフィクションであろうともとうてい表現しきれない寓話性にこそ、文学、いや物語の価値があるのだ。

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北人伝説

2005/10/18 13:36

北人伝説/イスラムから見たバイキング

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「アンドロメダ病原体」や「ジュラシックパーク」でおなじみのマイクル・クライトンの伝奇ロマン小説。
実在したアッバース朝の文官イブン・ファドランの手記「イブン・ファドランの旅行報告書」をもとに、北欧の海洋民族バイキング文化とのエンカウンターを描いた作品です。
10世紀という時代、中東を中心に北アフリカから中央アジアまで進出していたイスラム帝国は西半球をリードする一大文化発信地であり、当時のイスラムはすぐれて科学的な思考様式をもつ先進的な人々でした。その後3世紀にわたって断続的に派遣された十字軍による侵略を契機として、しだいに西洋史の文化的中心地の座から脱落していくのですが、本書で取り上げられている時代はアッバース朝の最盛期から1世紀ほどあととはいえ、まだまだイスラム世界が世界史的に重要な地位を占めていました。
たいして北欧は後進的なヨーロッパのなかでもさらにおくれた未開の蛮地とされており、バグダッドからブルガール王国へ送られた外交官イブン・ファドランがひょんなことから北欧バイキングの一部族に帯同させられ、彼らの領域をおびやかす謎の人食い族ヴェンデルとの死闘を体験することとなった顛末を語ったのが本書「北人伝説」というわけです。
虚実をたくみに交えたこの小説ではどこまでが史実にもとづき、どこからが作者の創作なのかをはっきりさせてはいないのですが、北欧の起伏に富んだ情景や独特の風習を当時のコスモポリタンたるイブン・ファドランの目を借りて織り成した記述は実に細やかかつドラマチックな描写に満ちており、読み手の意識は歴史語りの検証からいつしか著者の幻想的な筆運びに引き込まれていきます。
戦闘民族バイキングのきわめて即物的なものの考え方をはじめは奇異に感じながらも懸命に理解しようとし、また行動によって信頼を勝ち取っていくイブン・ファドランと、カリスマ的頭領ブリウィフに率いられた武骨なバイキング戦士たちの交流はとてもおもしろく、やがて彼らが強い友情で結び付けられていくようすは見事というほかなく、さすがにベストセラーを多数生み出したマイクル・クライトンだけあって、胸がわくわくする冒険小説に仕上げられています。まあ、バイキングが少しプリミティブに書かれすぎてはいるのですが。
さらには追記というかたちでもって、歴史的にはスラブ民族とされているヴェンデルの正体をネアンデルタール人に求めるあたりはいかにも作家らしい演出ではありますが、このあたり仮に現代の学者とその一党を登場させておいて、本編と同時進行で彼らが歴史資料を総合してあらたな仮説を立てるといったような、過去時制と現代時制との二重構造小説に構成していたとしたら、もう一段おもしろい小説になっていたかもしれません。
とはいえ、これは作者の意図と明白に異なっているようなので、いささか残念ではありますが加筆なり改題なりはあきらめざるをえないでしょう。
もっとも現状でもじゅうぶんにおもしろい小説なので、バイキングや西洋中世史に興味がある人だけでなく、トールキンの「指輪物語」や漫画「ベルセルク」のような幻想奇譚がお好きな人にも一読をお薦めします。

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タニア18歳世界一周/瑞々しき青春の出航

4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

1985年5月28日、ひとりの少女がニューヨークを出航した。ヨットによる単独世界一周を目指す彼女の名はタニア。それまで操船経験はほとんどなく、無謀のうえに無謀を重ねた波乱の船出であった————。
僕が怠惰な学生生活を送っていたころ、沢木耕太郎の「深夜特急」はすでに名著の仲間入りをして久しく、本当に旅に目覚めた者のみならず、ムードとしての旅への憧れを口にするだけの人間でさえ、そのシリーズをいちどは手にしたものだった。
おそらく90年代以降のバックパッカーのほとんどが何らかの影響を受けたに違いないであろうこの本は、しかし僕の胸には響かなかった。バイトと酒に明け暮れる毎日で、そもそも旅に魅せられていなかったこともあるのだろうが、当時すでに陸路の旅はテレビのドキュメンタリー等で消費し尽くされていたからだ。
歴史と遺跡を交差する旅ならNHKの番組でじゅうぶんだったし、へたをすればTBS「世界不思議発見」だけでも事足りた。いろんな旅の書物で紹介される個人的体験や感慨はたしかに興味深いものだったが、なにかにつけ鈍重な僕の胸をそぞろ騒がせるだけの訴求力はもたなかった。それはただ、得体の知れない焦りを心中に生じさせるだけで、日々の流れのなかであぶくのように生まれては消えていく他のさまざまなものと根本的な違いはなかった。
だがあえていえば、これは僕だけにとどまらず、ぶつくさ文句をたれながらも決して日常を突き破らない範囲で人生を送り続ける多くの者に共通する言い訳だろう。
本書「タニア18歳 世界一周」は、有体に表現すれば家庭に問題を抱えた少女が2年半の単独航海をへて人間的成長を果たしていく過程を描いたノンフィクションである。
だが凡百のそれと明確に異なる点は、息を呑む光景や苦難、濃密な経験に出会ったときに生み落とされる、少女タニアのなんのてらいもない自然賛歌、人間賛歌の美しさである。全篇これ詩といっても過言ではない文章は、読む者すべてを陶然とさせることだろう。
彼女の瑞々しい感性は500ページにちかい本書のボリュームを忘れさせ、決して鍛えられてはいない精神が艱難辛苦を乗り越えるとき、読者は彼女のたしかな成長を実感する。海原に漂う木の葉のようなヴァルナ号が恐ろしい波濤をひとつ越えるたび、僕はこの小さな冒険家と一体となって大きく息を吐いたものだった。
この冒険記の素晴らしさは旅の豊かな様相はもとより、作者タニアの率直さに牽引されるところが大きい。
それは僕らが忘れていたなにかや、挑戦するまえにあきらめていたものをもう一度眼前に提示してくれる。
僕の乏しい表現力では本書の魅力をとうてい伝えられないが、日常に埋没するあらゆる人にすすめたいと思う。
猫だけをお供にヨットで世界を航海する少女の物語だなんて、それだけで小説的でしょ?

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紙の本被差別の食卓

2005/10/18 13:25

被差別の食卓/ポジティブな被差別論

12人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

大阪でちかごろ人気を博している「かすうどん」。
10年ほど前に一大ブームとなった「もつ鍋」。
これらの食べ物がいずれも被差別部落をルーツとしていることを知らない人は多い。
「なんであんな部落の食い物が流行るんやろ」
ある年配の知人がぼそりとつぶやいた言葉は、いまでも僕の耳の奥に残っている。
差別は汎人類的に相当に根深い問題であり、残念ながらおそらく人類史がつづくかぎり、程度の違いはあれど永遠に解消されない類いのものだろうと認識している。
被差別の立場に立たされたことのない僕(や、あなた)が彼らの心情を心から理解することは不可能なのかもしれない。同和利権という、また別次元のマターもそこにはひかえているのかもしれない。
また、逆差別のねじれ現象やポリティカリー・コレクト(PC=政治的公正)によって表層にはあらわれなくなった「見えない差別」などの多面性を鑑みるに、知れば知るほどあらためてむずかしい問題だと痛感させられる。被差別がさらに被差別を生み出す泥沼のような差別のスパイラルに至っては、暗澹たる思いしか湧いてこないというのが正直なところだ。
差別とはある意味で、一神教における悪魔の存在同様に、全体の霊性を構成する不可欠なパーツなのではないか。ときにこんな理不尽な感覚さえ胸に去来してしまう。
端的にいって、文化人類学的にこの構図を是認することは可能だが、いっぽうでそれを看過することは到底できない。理と情の二律背反を目の前にして、僕らは途方に暮れながら停滞している。
差別の根絶は本当にむずかしい。だからこそ、その構造を知ることはとても大事なことなのだ。
本書は世界各地の被差別民の姿を独自の食文化「ソウルフード」という横糸からとらえ直した、ユニークかつ意義深いレポートである。境遇の悲惨さを前面にださず、差別者側の倫理性を問う論調のなさ(あるいは薄さ)が、この本をして差別問題における稀有なテクストとしているといえるだろう。
アメリカやブラジルの黒人集落、ブルガリア・イラクのロマ(ジプシー)、ネパールの不可触民などの被差別部落を、日本の同じ被差別民として訪ね歩いた著者の、客観的でありながら独特の斜角を備えた目線は、彼のジャーナリストとしてのすぐれた資質を証明している。
部落解放同盟的な運動・書籍にはあまり触れたことがないので正確さを欠く所感かもしれないのだが、このような本があらわれたこと自体が、差別問題があらたな局面に差し掛かったことを意味しているのかもしれない。
まず差別を知ること。本書はその教導役にふさわしい、実に読みやすくておもしろいレポートである。

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二人のガスコン 上

2005/12/21 18:47

痛快無比の冒険活劇

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

アレクサンドル・デュマ作「三銃士」でアトス・ポルトス・アラミスらとともに活躍し、ドーバー海峡を股にかけてフランス宮廷政治の暗闘をかいくぐった快男児ダルタニャンの後日譚。
栄光の銃士隊が解散の憂き目にあってより数年後、ダルタニャンは大宰相リシュリューの後継者マザラン枢機卿の密偵として、鬱々とした日々を送っている。
正義感に燃える若き銃士の面影はすっかり影をひそめ、まだ30になったばかりというのに彼は骨の髄まで非情な裏の世界の住人となっていた。
かつてフランス中に馳せたその勇名も、今ではイタリア人宰相の犬と嘲られるばかり。なまじ有能なばかりに重用され、それでも粛々と任務を果たしていくダルタニャンの心はすっかり荒みきっていた。
そんなある日、戦場視察から舞い戻ったダルタニャンは、怪傑マザランから奇妙な指令を受ける。
かつてダルタニャンら国王付き銃士隊とことあるごとに反目し合っていた宰相付き銃士隊を率い、数年前に前線で没していたフランソワ・ドゥ・カヴォワの遺児・マリーを監視せよ、というのだ。
反骨の文人剣士シラノ・ドゥ・ベルジュラックを相棒に迎え、互いに不協和音を奏でながら謎の使命を遂行していくさなか、二人のガスコン(ガスコーニュ人)はフランスの王位継承をめぐる壮大な陰謀の事実に気づかされる。
カヴォワの不可解な死を糸口にして独自の秘密調査を重ねるうちに、少年王ルイ13世の出生の秘密にかかわるリシュリューならびにマザランの暗躍を突き止め、にわかに色めき立つダルタニャンとシラノ。
先王の弟にして王位継承を狙うオルレアン公ガストンの執拗な介入や、マリー・ドゥ・カヴォワ自身の思惑に振り回されていくダルタニャンらは、やがてマザラン、オルレアン公の両陣営から命を狙われるまでにいたってしまう。
無頼漢シラノの心意気に触発され、熱くたぎる血を復活させたダルタニャンは、有能な実務家である弁護士ル・ブレや正義感に燃える新聞記者ピエール・クルパンらの協力を得ながら、己の信じる道を貫くことを決意するのだった———。
冒険につぐ冒険、活劇につぐ活劇。
喧嘩にゃ強いが女にゃめっぽう弱い二人の曲者が、フランスの闇を疾走する!
史実をもとに縦横無尽に筆を走らせた、質・量ともに読み応えじゅうぶんの長編歴史小説。
決闘沙汰に始まって最後には強い尊敬を抱きあうようになるダルタニャンとシラノの、無骨で熱い交流が読ませる。
男の友情とは、こういうことだ。

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紙の本傭兵ピエール 上

2005/11/23 13:03

ジャンヌ・ダルクの肖像と中世フランス貴種流譚説

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

15世紀初頭、フランス。
前世紀から続く「英仏百年戦争」に国は荒廃し、民は塗炭の苦しみを味わっていた。
この国家存亡の危機を救うべく突如として出現したのが、ラ・ピュセル(少女)ことジャンヌ・ダルクである。
神がフランスのために遣わされたというジャンヌ・ダルクは、その神威によってフランス軍を激しく鼓舞し、敵軍の一大拠点オルレアンの解放や、シャルル七世のランス入城を果たしめる。
そののちイギリス軍に捕らえられ、ルーアンでの異端審問を経て火焙りの刑に処せらるという悲運の最期を迎えることになるのだが、本書は数奇な運命によってジャンヌ・ダルクと人生を交錯させる、ある傭兵隊長を描いた長編歴史小説である。
男の名は「ドゥ・ラ・フルトの私生児ピエール」。
いまは亡き名宰相アルマン・ドゥ・ラ・フルトの庶子にして、傭兵隊「アンジューの一角獣」を率いる屈強の男である。
家門の没落と私生児の出自がゆえに傭兵に身を落としていたピエールは、その若さからは想像できないほどの統率力と赫々たる実績によって、傭兵社会にその名をとどろかせていた。
当時フランス中に跋扈していた傭兵隊は、戦争参加期間外には野盗に変じて町や村を襲い、情け容赦のない略奪行為を常としたため、人々から恐れられる存在でもあった。
なかでも「アンジューの一角獣」は精鋭揃いで、隊を率いるピエールは目的のためにはいくでも残虐になれる男だった。
奪い、犯し、殺す。傭兵には倫理などないに等しかった。
そんな男が運命的な出会いを果たしたのが、神のお告げに従い、王太子シャルル七世のもとにはせ参じる途上のジャンヌ・ダルクだった。
やがて隊を率いて王太子軍に加わり、周囲を感化し奇跡を起こし続けるラ・ピュセルの厳戒なる宗教倫理に接するうちに、ピエールのなかに迷いが生じ始める。
生きるためとはいえ、自分の野獣性はなんと罪深いものなのだろうか、と。
互いに魅かれ合いながらも、互いの立場のために、すれ違いを続けるふたり。オルレアン陥落を機に軍を離れたピエールは、彼を慕う部下たちのために愛しいジャンヌと道を分かつことを決める。それは生死を共にした仲間への強い責任感に発する、辛い決断であった。
2年後、片田舎の自由市で部下ともどもささやかな地位を得て安息の日々を送るピエールのもとに謎の男が現れる。
彼はピエールにラ・ピュセルが敵の手に落ちたことを告げ、ピエールに単独救出行を要請するのだった———。
と、まあ、あらすじはこのようなものなのだが、歴史をなぞって当時の社会風俗をありありと描いた上巻は躍動感に富み、苛烈な男社会で孤軍奮闘を強いられるジャンヌ・ダルクの痛々しい姿や、殺人者ピエールの心底に生成されていく人間的葛藤を扱ってドラスティックに展開するのだが、ピエールがジャンヌ救出に成功する下巻以降は完全にフィクショナルなストーリーに位相を移してしまい、一気に興ざめしてしまった。
脱出行から大団円に向かう展開なぞはほとんど水戸黄門に近く、立ち寄る先々で数々の勧善懲悪を行う始末。まったく、どうかしている。
前巻には苛烈な時代を生きる男女の姿に強い訴求力があったというのに、後半の恣意的な筋運びにはほとんど虫唾が走ってしまった。
等身大に描かれるピエールの目を通した中世世界はなるほど精細に浮かび上がってくるが、その身に悪を引き受ける覚悟、言うなれば捕食者の哲学がきれいに脱色されていくさまは、その後のピエールの栄達とあいまって、なんとも薄気味悪い。
作者は道徳の誘惑に負けてしまったのだ。いや、善悪の衝突という命題は、作者にとって端から書くことによって昇華さるべき問いではなかったのかもしれない。
本書が、これだけの筋立てを用意しておきながら安逸な結末に逢着させてしまったことは、返す返すも残念なことである。

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本が好き、悪口言うのはもっと好き/字から事象を読み取る

7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

愛読家心をくすぐるタイトルにひかれて購入したものの、はて高島俊男とはどんな人なのかしらん。
丸谷才一と親交があるところをみると、文芸評論をナリワイとしているのかもしれない。
とにかく読んでみよう、読めばわかるさ。
と、あまり気負わずに本を開いてみれば、これがなかなかおもしろい。
テレビや新聞で散見される言葉の乱れをバッサバッサ、ときにはねちねちと料理する第1稿、第2稿では、正確を期すために辞書数冊を駆使して語源にまで遡り、過てる言葉遣いや言い回しを糾していくのだが、一方で言葉の変遷性にも案外と鷹揚で、ただの頑迷固陋な御人とはいい難い。本というよりは、とにかく字義を閲すのが大好きな方のようで、言葉—なかんずく漢字—の魅力を胸いっぱいに取り込める資質と素養には嫉妬さえ感じてしまう。
そんな筆者だから、第4稿『「支那」はわるいことばだろうか』では典籍を漁って、遠い昔に支那人自らがひねり出した言葉であることを明らかにし、さらに何故彼らがそれを忘れて卑語と感じるようになったかまでを、のびやかに(ここ、強調)論じたりする。
続く第5稿では、字義に遊ぶ筆者らしく李白と杜甫を取り上げてよどみなく論じ、立て板に水とばかりに当時の社会制度や両詩聖の人物像がすらすらと講評される。言葉への愛情に満ちた文章は大変心地よく、筆者の明朗な人柄が想像できて僕はなんだか楽しくなってしまった。
ほかもおもしろいが、本稿がダントツにおもしろい。
徒然事の第6稿と漱石論の第7稿も、思わずうふふ、と洩らしてしまう内容だった。
ハートカバー版の帯に付せられた丸谷才一の献辞に、本書を指して「知的興奮と哄笑と、それから、何だかよくわからないが元気が出たような気持ちとが約束されている」とあるが、まさにいい得て妙で、センスとテンポのよい文体にすっかり魅了されて、僕は本を閉じたのだった。
最後に奥付を見る。
高島俊男(たかしま・としお)
1937年生れ。兵庫県相生出身。
東京大学経済学部、同文学部卒業。同大学院人文科学研究科修了。中国語中国文学専攻。大学教員を経て現在は無所属ライター。
なるほど、納得。

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ソラリスの陽のもとに

2006/02/11 11:56

共存か敵対かの二元論を超えた、遭遇SF

5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

海に覆われた無生物惑星ソラリス。どういうメカニズムによってか、惑星の公転軌道を調整する機能を果たす海それ自体に知性が宿るらしいことを突き止めた人類は、この奇妙な星に研究チームを派遣し続け、地球にソラリス学を隆盛させるほどの興味を示してきた。
しかし当初の熱気と学術的な成果が退潮し、特に近年の事故と停滞によって研究は限界に到達したと目されるようになり、ソラリス学は急速に失速をみせているといった状況である。
恒星間航行船プロメテウス号から射出されたカプセルでソラリス上空に浮かぶステーションに到着したケルビン博士は、死んだように静まり返るステーションの奇態に驚かされる。
なんと、先任研究員のスナウトとサルトリウスは半ば狂い、旧知のギバリャンは死亡していたのだ。
最小限の活動以外、不気味な沈黙に支配されたステーションに漂う異様な緊迫感が、ケルビンの混乱にさらに拍車をかける。
それでもなんとか状況に適応しようとするケルビンに追い討ちをかけるように、突如としてありうべからざる訪問客が訪れる。
それは遠い過去に自殺したはずの、忘れえぬ恋人ハリーだった————。
謎の知性ソラリスは、彼らにいったい何を伝えようとしているのか。
不可解な現象に消耗させられながら、半死半生のステーション社会は懸命に解明の糸口をつかもうとするのだが……。
叙情的な終局シーンが強い余韻を残す、異色のSFミステリ。
痛みによってしか到達しえない境地というものがある。
本書は、まぎれもない文学作品である。

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血の通った経済学議論

6人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

マックス・ウェーバーによると、資本主義の根幹はプロテスタンティズムとともに萌芽した。
ルターと並び宗教革命の立役者と評されるカルビンの論法によって、それまでのヨーロッパの社会通念では後ろ暗いこととされてきた利殖行為が、一挙に善に転化したのである。
キリスト教の考えによると、信仰心の強弱にかかわりなく、実は神の国に迎えられる人間は最初から決まっている。神に選ばれる資格などというものは端から存在せず、ただただ主の御心によって神の国に入れるかどうかが決まるのである。
熱心なキリスト教徒だからといって無条件に選ばれる保証は一切ない。逆に、不信心を理由にリストから外されるとも限らない。
だからこそかえって信者は一心不乱に主の名を讃え、信仰心を証明しようとしてきたのである。
そんななか、ウィーンのカルビンが唱えた教義は雷鳴の如き速さと大きさで全ヨーロッパに伝わった。
カルビンは言う。
神の国に入ることができるかどうかは、人の身にはわからない。しかし、神に与えられた職業に邁進した者が、よもや御心にかなわぬはずがない。
これにより、儲けることもまた社会悪ではなくなった。
そして当然のように、便利なものや仕組みを作って世に貢献し、結果として利殖を生む行為が大肯定されることとなる。
これすなわち、資本主義のエトス(思考様式)である。
「儲けることは正しい」。
2005年、この命題に違和感を抱かされた人は多かっただろう。
ライブドアのラジオ局買収騒動に始まって、阪神株をめぐる村上ファンドの動静、果ては楽天によるTBS併合未遂など、2005年は世間の耳目を集める経済ニュースが多発した。
このいずれもが、モノ作りを生業としないプレイヤーが大きく社会に打って出た結果だ。
それに付随して「金さえあればなんでもできるのか」という批判が渦巻いたことは、記憶に新しいところだろう。
だが上述の原理に立ち返ってみれば、これらの動きは資本主義の基本原則からなんら逸脱していない。逸脱どころか、資本主義を成り立たせる柱のひとつである「投資」の、最も優良なモデルケースとも言えるのだ。
……しかし、である。
「本当にそれでいいのだろうか」との思いが胸に生起してくるのも事実だろう。
経済(学)というものは、人間を幸福にするのだろうか。
この疑問が浮かぶのは、およそ当然のことではないか。
———経済学とは、人間を幸福にしようとする学問です。
こう断言する男がいる。
小泉政権の中枢で改革のタクトを振るう、竹中平蔵その人である。
本書は経済学者の竹中平蔵に、「だんご3兄弟」で有名なクリエーター・佐藤雅彦が次々に疑問を投げかけ、経済の仕組みを教わる形で展開する対談集だ。
貨幣制度の成り立ちや税の思想、投資や労働の定義など、経済学のいろはを噛み砕いてわかりやすく説明する竹中平蔵に対し、佐藤雅彦が素朴な視点から問いを重ねていく。
この佐藤雅彦の立ち位置が常にいち生活者であるため、とかく要素還元主義で物事を測ろうとする経済学では疎外されがちな「生身の感覚」が忘れ去られたり、または置いてきぼりをくわされることなく、過不足ない状態で会話が進められていく。
特に最終章に近づくにつれ、それでも割り切れない思いを佐藤雅彦が滔々と述べ、それに対して竹中平蔵が誠実に応えていくくだりなどは、ほとんど感動的ですらある。
経済学に不案内な人は、まずは本書のように平易な入門書から手をつけてみてはどうだろうか。

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紙の本チベット旅行記抄

2006/01/04 13:08

チベット潜入!明治精神の体現者

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

河口慧海の名を知っている人は、現在どれくらいあるのだろうか。
この不世出の探険家は、仏典を求めて単身チベットに潜入した人間である。
彼の事跡はむしろ海外において高く評価されており、それは主に著作「西域旅行記」が英訳されたことに起因し、中央アジア探検の機運が盛り上がっていたヨーロッパ学会において稀有の書とされた。
ほぼ同時期の著名なアジア探検家にはスウェン・ヘディンやオーレル・スタイン、大谷光瑞などが挙げられる。これら数多の探検家の事跡が団を組んでの学術調査隊であったのに比して、慧海のそれはまったくの単独行であり、これによって彼の旅を第一等のアジア探検と評価する声も高い。
ときあたかも19世紀末葉から20世紀初頭。
当時のチベットは厳しい鎖国制度を敷き、外国人の入国を防いでいた。
と言うのも、この頃のアジア情勢は一方で列強による植民地争奪の娑婆と化しており、清朝から半独立状態を保っていたチベットの地も、大英帝国の虎視眈々と狙うところであった。
事実、慧海に先立ってインド人サラット・チャンドラ・ダスがイギリスの軍事スパイとしてチベットに潜り込み、露見して秘境を追われている。
この事件によって神経を尖らせたチベット政府はますます入国の禁を強め、純粋に仏教の原典を求める慧海の目論見はいよいよ難事業となっていた。
監視の目が光る関所・街道を避け、野盗の跋扈する間道を選んだ慧海はネパールからの途上ヒマラヤ山脈を超え、険しい山河高原を渡りに渡ってついにチベットのラサ府に到達する。
命を落としかねない危険をいくつもかいくぐって密入国を果たした慧海は、国籍を偽りながら有数の仏教大学セラに入房し、高徳の学僧あるいは有能の医師としてチベット社会や王府に溶け込んでいく。
やがて身分がばれてやむなくチベットを後にするのだが、念願の大蔵経を携えて帰国を果たした慧海は新聞に旅行記を発表し、いちやく著名人となるのだった。
同時期にチベットを目指した能海寛や寺本婉雅などが消息を絶ったり、慧海より数年の遅れをとったことこともあり、彼はまた日本人初のネパール・チベット入国者の誉れを戴くことになった。
この旅行記では当地の風物や政情、文化などが事細かく生き生きと描かれており、機知と勇気を持ってチベットに赴いた彼の精神を垣間見ることができる。
二重三重に国籍を偽り、周到に情報を集めて目的を達した彼の行動力たるや、明治人の時代精神を反映していて実に驚嘆させられる。
先進国の目でチベット文化を判ずる際の高慢や、ときに聞き分けのない自尊も多々散見できるものの、命がけの探検を果たさしめた溢れんばかりの情熱や、道程ふいに顔をのぞかせる無邪気さや諧謔心は、読む者の心を激しく突き動かすことだろう。
雪山の夜、猛吹雪にあわや遭難かという事態でおもむろに結跏趺坐し、半死半生で翌朝を迎えたり、厳しい気候に痛めつけらて喀血・昏倒したり、そんな折々に詠んだ歌を自らへぼ歌と揶揄してみたり、または先々で出会う野の高僧と論戦し知遇を得たりと、およそ常人には及びもつかない強烈な精神を顕す慧海。
読みやすく抄録された本書で、あなたもこの精神に触れてみませんか?

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飢えて狼

2005/12/03 10:40

四方、味方なし

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いち民間人が国際謀略に巻き込まれる物語というのは、さして珍しいものではないだろう。
知らずに機密を入手していたり、或いは託されたり。ハリウッド映画だと、そんな主人公が敵に追われるうちに敢然と逆襲に転じて、見事に事態を解決する流れになることが多い。
昔の恋人が主人公を助けたり、スパイ組織の中から懸命にサポートをする味方が現われたりするわけだ。果てはその民間人が実は元軍人だったり警察官だったりと、ある程度の訓練を積んでいたりするケースも多々ある。
だが、純然たる民間人が独力でピンチを生き延びる物語は案外少ないのではないだろうか。
本書の主人公・渋谷は引退した登山家である。山で仲間を失ってのち逗子でボートサービス業を営むも、ブームが去って業績はさっぱり。笑ってやせ我慢するタフな男でもあるが、自分が人生から逃げ続けていることを薄々自覚してもいるといったところ。
そんな彼のもとに、ある日ふたりの男が訪れる。謎めいた男たちが渋谷に依頼したのは、ある断崖の登攀だった。引退を理由ににべもなく断った渋谷は、その日のうちに会社と部下を炎の中に失ってしまう。
紆余曲折を経て依頼を受けた怒れる渋谷が送り込まれたのは、ソ連が占拠する択捉島だった。断崖絶壁をよじ登り、そこで落ち合う予定の亡命スパイを連れ帰る計画は、しかし敵方に筒抜けとなっていた。
択捉から国後を抜ける絶体絶命の脱出行のさなか、渋谷は米ソ諜報戦の捨て駒に使われたことを悟り、激しい憎悪を掻き立てられるのだった。
すべてを失った男は、はたして包囲網を生き延びて真相に辿り着けるのか。
北の果ての厳しい自然と符合するように、峻厳なる精神を甦らせた渋谷の単独行が始まる。
その道の泰斗、評論家北上次郎が絶賛した肉体派冒険小説。
本書は1981年刊行と少々古い本であり、90年代に米ソ対立の構図が表面上解消されて以来、スパイものはテーマ自体が緊迫感を欠いてしまっていると言えるのかもしれないが、愚直なまでに頑固な男が肉体のみを武器にサバイブする冒険小説が支持されていた時代の、代表的な傑作として楽しめるはずだ。
志水辰夫一流の香り高き文体を堪能せよ。

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