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先月(2017年8月)

求羅さんのレビュー一覧

投稿者:求羅

135 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本秘密の花園

2007/08/11 22:59

記憶の中の『秘密の花園』を払拭する新訳。

15人中、15人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

大人になって『秘密の花園』を手に取ることに、なんとなく気恥ずかしいものを感じるは私だけだろうか。
『秘密の花園』は、バーネットが子ども向けに書いた児童文学作品である。私がこの作品を初めて読んだのは、小学生の時。「子どものための世界名作文学」シリーズの中の一作で、『ひみつの花園』として集英社から刊行されていたものだ。
 私が子どもの頃読んだものは、読みやすいように物語が短くまとめられていた。だがそのことを差し引いても、本書は私が覚えていた『秘密の花園』とは別モノで、驚いた。

 まず、主人公のメアリの様子を描写する冒頭から違和感を抱く。淡々とした文体が続き、“かわいげのない子供”・メアリが、ここで強く印象づけられる。私の記憶の中のメアリは、もう少し可愛い女の子だったはずなのだが・・・。
 本書では、メアリや病弱なコリンのわがままぶりが容赦なく描かれ、バーネットが単に子どもを“純粋で無垢な存在”と考えていないことが分かる。このあたりは、巻末に優れた解説があるので、多くは触れない。
 ただ、私はこの作品を、「10年間閉ざされていた庭を子どもたちが甦らせることで、家族の再生も果たす」という幸せなお話と解釈していたのだが、物語はもっと複雑で、「こんなに奥行きのある作品だったのか」と目が覚める思いがした。

 例えば、メアリや叔父、息子のコリンの孤独な心の内の根底に、逃れようのない“死”が横たわっていること。あるいは、生命力の象徴である庭は、同時にコリンの母親の死をも思い起こすという逆説。
 本書では、“生”と“死”が混然一体となって存在する。荒れ果てた庭の再生が可能だったように、たとえどんな不幸に打ちのめされたとしても、そこから再び甦る力も、人間の中には宿っている。
 コリンは「魔法」という言葉を用いているが、それが「生命力」というものなのだろう。この作品を読んで、心にあたたかいものが広がるのは、自分の中にある、計り知れない力の存在に気づくからなのだと思う。

 訳者あとがきによれば、原書は意外なほどそっけない文章なのだという。「大人が読む作品として、手加減なしの文章で『秘密の花園』を翻訳することにした(P.503)」との思惑通り、児童書というより、大人の心を打つ作品に仕上がっている。
 読後、気になって手元の『ひみつの花園』を読んでみたが、やはりメアリはもっと可愛く描かれていた。コリンの癇癪も控えめである。同じ作品でも訳が違うと、伝わる雰囲気はこれほど異なるのである。「今さら『秘密の花園』なんて・・・」と思っている人にこそ、是非、読んでほしい新訳である。

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紙の本二十一世紀への対話 対談 上

2006/07/18 23:05

西と東の知恵が出合うとき。

12人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 20世紀最大の歴史家と評されるアーノルド・トインビー氏と、宗教者の池田大作氏—。西欧と東洋の知性が出会い、現代世界が抱える諸問題について縦横無尽に語り合ったものが、本対談集である。
 本書は上・中・下巻あり、第一部「人生と社会」、第二部「政治と世界」、第三部「哲学と宗教」の、三部構成からなる。目次を見れば分かるように、対談内容は、人間の尊厳、個人と社会の関係、国際政治、科学や医療、宗教など、多岐にわたる。
 トインビー氏は、歴史家としての立場から、歴史上のさまざまな事例をもち出して持論を述べ、池田氏は仏法的な視点から、問題の本質を見極めていく。
 人種や宗教や立場の異なる両者だが、人生観や目的観は驚くほど一致している。
 それは、人生における宗教の必要性を認め、自己超克への不断の努力を払い、“自我”を、宇宙に存在する普遍的な真理に合致させることが重要だ、とするもの。用いる概念の名称の差異こそあれ、両者の目的とするものは、この結論に集約されるだろう。
 その一方で、世界的独裁体制を認めるか否か、人間の尊厳としての自殺を認めるか否か、という二つの点でははっきりと見解が分かれており、興味深い。
 本書を読んで強く印象に残ったのは、対談者二人の、謙虚さと、貪欲な探究心である。
 分からないことは素直に分からない、と認め、相手からできるだけ多くの知恵を引き出そうとする姿勢に、議論以上のものを教えられた。
 本対談は1972年に始まったという。その後、現在に至るまでの約30年間、ベルリンの壁崩壊、冷戦終結、中国のWTO加盟等、世界情勢はめまぐるしく動き続けている。
 しかしそのような中でも、論じ合われた内容は決して古びることなく、むしろ、対談の先見性と高度さは、混迷の時代に輝きを放っている。
 「人類の生存に対する現代の脅威は、人間一人一人の心の中の革命的な変革によってのみ、取り除くことができるものです。」と、自己変革の重要性を訴える本書は、10年、100年、と時を経るごとに、さらに評価が高まるのではないだろうか。

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紙の本生かされて。

2007/05/22 20:29

極限状態の中、彼女が手にしたものとは。

11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 数年前、何気なくテレビをつけたら、1994年に起こったルワンダ大虐殺のドキュメンタリー番組を放送していたことがある。
 ルワンダで何があったか全く知らなかった私は、画面を通して流れるおぞましい映像に釘付けになった。斧を振りかざしてツチ族を襲うフツ族。死の恐怖に怯えながら逃げ回る人々。国同士の戦争なのではない。今まで仲の良かった隣人や友だちが、ある日突然殺意を持って向かってくるのだ。
 観終わって数日の間、ショックで眠れなかった。それ以来、この事件にはあえて目や耳をふさいで考えないようにしてきたのだが、大虐殺を経験したツチ族の女性が書いた本書は、どうしても読んでみたくなり手に取った。
 約100日間で100万を越す人々が殺された地獄の中、どうやって生き抜き、どのようにして正気を保ったのか。そして殺人者たちに対してどんな感情を抱き、現在幸せに暮らしているのか。その答えが、本書にはある。
 ただ、ルワンダ大量虐殺の政治的・歴史的意味や、国連はじめ各国の対応、フツ族側の主張については詳しく書かれていないので、それらを知りたい人は他の本を読む方がよい。ここで描かれているのは、著者自身が体験して感じたルワンダである。
 本書は、亡くなった多くの人々への「追悼の書」であり、二度と悲劇を繰り返さないための「誓いの書」であり、一人の人間の「魂の軌跡の書」なのだ。
 著者は、信仰深い両親のもと、しっかり者の長男、ひょうきんで人気者の次男の2人の兄と、姉思いの弟に囲まれ、家族6人で幸せに暮らしていた。しかし、狂気の嵐が去った後残ったのは、著者と外国にいた長男だけ。
 著者は、懇意にしていたフツ族の牧師にかくまわれ、7人の女性とクローゼットほどのスペースしかない小さなトイレで3ヶ月の間身を潜め、生き延びる。
 いつ殺されるか分からない極限状態の中彼女を支えたのは、信仰である。「この戦争を生き抜く戦いとは、内なる自分との戦いなのだ(P.151)」と悟った彼女は、奮然と見えない敵と戦うことを決意する。見た目には、息をひそめて隠れているだけだが、彼女の内部では押し寄せてくる恐怖や憎悪と、勇気や希望の対決が繰り広げられていたのだ。
 第二次大戦中、ナチスの強制収容所で生き延びたのは希望を捨てなかった人、と聞いたことがある。
 何度も心が折れそうになりながら、ついに彼女は、殺人者たちのために祈りを捧げるまでに。家族を殺し自分の命を脅かした者たちを「許す」ことで、彼女は最悪の状況を自分の魂を鍛え上げる場に一変させたのだ。
 人々が殺される様子や、累々と積み上げられる死体の山の描写が生々しいにもかかわらず、本書が重苦しく感じないのは、著者の目が過去の悲劇ではなく、未来に向けられているからだと思う。
 本当に強い人間とは、武装して肉体的に力がある者ではなく、強靭な心を持っているかどうかなのだ、ということを教えてくれる感動の一冊である。

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文学は人を救えるか。

10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

モスクワの公園で、神の実在性を論じ合う二人の文学者。
そこに外国人らしき怪しげな男が現れて、彼らの会話に割り込んでくる。〈教授〉と名乗るその男が自信たっぷりに「イエスは存在していた」と話し始めるところで場面は一転し、捕らえられたイエスを尋問するローマ総督ポンティウス・ピラトゥスが登場。舞台は再び公園に戻り、やがて〈教授〉の予言どおり衝撃的な出来事が次々と起こっていく。
〈教授〉の正体が悪魔であることはすぐ明らかになるものの、この悪魔ヴォランドが4人の手下を従えてモスクワ中を大パニックに陥れる乱暴狼藉ぶりは、常軌を逸している。とりわけ、文学・演劇関係者への攻撃はすさまじい。非業の最期を遂げる者、精神病院に送り込まれる者、遠くへ飛ばされる者など、執拗なまでに痛めつけられるのだ。

『巨匠とマルガリータ』執筆当時のソ連は、スターリンの恐怖政治が敷かれていた。自由に表現できない時代は、作家ブルガーコフにも重くのしかかり、彼の作品はことごとく発禁処分・上演中止の憂き目を見る。たしかに、悪魔の姿を借りて社会を痛烈に皮肉る作品を書くような彼の存在は、為政者にとって煙たいものだったに違いない。
本書の根底には、自分の作品を認めない文学界、ひいては社会全体に対するブルガーコフの怒りが脈打っている。出版の目処のない作品を、約10年にもわたって推敲を重ねながら書き続けるなんて、怨念に近い執念を感じてしまう。むしろ発表できなかったからこそ、書けた作品なのかもしれない。

とはいえ、社会を告発するに留まらず、〈巨匠〉という一人の作家を登場させたところにこの作品のすごさがあると思う。自暴自棄に陥っていた 〈巨匠〉は、恋人マルガリータの愛と悪魔の力を借りて再び立ち上がる。救い出すのが悪魔というのは皮肉だが、<巨匠>が解放されたとき、ピラトゥスの魂もまた救われるのだ。
思うにブルガーコフは、こんな時代はいつか終わり、自由に表現できる日が来ることを信じていたのではないだろうか。〈巨匠〉の原稿が灰の中から甦ったように、文学はけっして滅びることなく、抑圧された人々の魂を解放する力があることを信じ続けていたのではないか。事実、ブルガーコフを認めなかった当時の人々は皆とうに死んでしまったが、彼の作品は21世紀の今なお生き続けているし、これから先も読み継がれていくだろう。
ソ連は、ブルガーコフを抹殺した。作家にとって、自分の書いた文章が活字にならないのは死と同じだ。だが、ブルガーコフという天才を生み出し、再び彼の才能を見出したのもソ連(ロシア)なのだ。そこに私は、ひとくくりで語ることのできない国の懐の深さをみる思いがする。

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ウシ以下の生活を強いられる人がいる世界は、やはり歪んでいる。

10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 センセーショナルなタイトルだが、原題の『MAKING GROBALIZATION WORK』より内容を的確に表現しているのだから、皮肉なものである。
 科学・医療技術や交通などの発達によって、私たちは意識するとしないに係わらず、グローバリズムの恩恵に与っている。日本にいながらあらゆる国の食材を味わい、低価格で衣料品や日用品を買うことができる。
 だが同時に、世界のグローバル化は、格差の拡大をもたらした。一握りの富める者だけが富を独占し、貧しい者は貧困の苦しみから抜け出すことができない。そんないびつな世界の現状に警鐘を鳴らし、人々が幸福になるグローバル化への道筋を指し示したのが、本書である。
 注意しなければならないのは、著者の寄って立つ主義を踏まえて読まなければならない、ということ。
 著者は、2001年にノーベル経済学賞を受賞したアメリカの経済学者。クリントン政権で大統領経済諮問委員会委員長を務めていた著者が展開する持論は、完全に民主党寄りである。「グローバリズムを正す」となっているが、その矛先は、アメリカ、ひいてはブッシュ共和党政権に向けられている。本書を読んで、「アメリカはなんてずるい国なんだ」といたずらに反感を持つのは間違っているだろう。保守主義には保守の正義があり、支持者の利益を図ろうとするのは当然の行動なのだから。
 本書の話題は、経済のみならず、政治、外交、環境、医療と多岐にわたり、著者の博識さ・視野の広さに驚かされる。経済用語が出てこないから専門的な知識がなくてもいいという意味では読みやすいが、なにしろ話題が縦横無尽に展開されるので、ある程度の知識がないと理解するのに苦労する。私は、貿易については知らないことだらけで、著者が述べる当たり前の解決策すらできていない理不尽な現状に愕然とした。
 著者は、失敗・成功例を通してグローバル化の問題点を指摘し、解決策を提示していく。「悪いのは、グローバリズム自体ではなくやり方で、市場のルールが公正でないこと」とする論理展開は単純明快で分かりやすく、読んでいて気持ちがいい。中国を経済的成長の成功例として紹介しているのは、都市部と農村の格差や環境汚染の問題を無視しており疑問だが、おおむね著者の意見は十分に納得できるものだ。
 特に、エイズ治療薬やバイオパイラシーの問題を指摘して、知的財産権強化の流れに待ったをかける著者の主張には、大いに共感を覚えた。
 また、外貨準備システムの多様化の意味が私はいまひとつ理解できなかったのだが、本書ではアメリカの「双子の赤字」や「世界紙幣」の発行を通して分かりやすく説明している。
 昔に比べ世界がより身近になったとはいえ、普段の私たちは自分が住んでいるところ以外の地域を真剣に考えることは少ない。けれど、世界は密接に繋がっており、一国の行動は他の国々に影響を与える。本書は、今、世界で何が起こっていて、何が問題になっているのかということを知るために最適の一冊といえるだろう。
 もっとも、批判するのはたやすい。どれだけ納得できる論理であろうとも、実行されなければ単なる理想論に過ぎない。
 早くも世界は、アメリカ大統領選挙の話題で盛り上がっている。もし民主党が政権を取ることとなれば、著者が経済の舵取りを担う可能性は高い。その時に、本書で提唱されたアイデアがどれだけ実現され、世界を良い方向へ向かわせることができるのか。本書の本当の評価は、今後の行動で決まるのではないだろうか。

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睡眠病を知ってますか?

10人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

普通の人より睡眠時間が多い方だと思うが、それでも毎日異常に眠い。心ゆくまで眠れたらどんなに幸せだろう。
ところが、眠り続けて最後には死亡するという、ギクリとするような病気があるのだという。その名も、「睡眠病」。本書は、睡眠病研究の歴史と現状を紹介した一冊である。

日本での「睡眠病」の認知度はどれぐらいのものなのだろうか。浅薄な私は、本書を読むまでその言葉を見聞きしたことすらなかった。
しかし、アフリカではエイズ以上の深刻な被害をもたらしており、歴史を紐解けば、細菌学の父・コッホや、シュバイツァー、志賀潔といった名だたる研究者たちがその治療に心血を注いできた難病というから驚く。
しかも、である。1960年代のアフリカ諸国の独立・その後の不安定な政情にともなって長らく見捨てられていた睡眠病治療薬の開発が、ここ日本で進められているのだから、さらに驚く。効果的で副作用のない純国産新薬の誕生に、世界からも期待が集まっているのだ。著者の北教授は研究の第一人者なので、睡眠病治療の最前線を窺い知ることのできる一冊といえるだろう。

睡眠病はツェツェバエを媒介とする寄生虫感染症で、もともと風土病として限局的に発生していたもの。それがこんにちに至る甚大な被害をもたらすことになったのは、19世紀終わりの植民地化にともない人や家畜の移動が盛んに行われた結果、病気が周辺地域へ加速度的に広がっていったからである。
グローバル化は人や物のスムーズな移動をもたらすと同時に、病気の進入・拡大も許してしまう。もしかすると、現代における一番の脅威はウイルスなのかもしれない。
前述したように本書は、睡眠病治療について書かれている。とはいえ、話題は医科学の分野に留まらず、発展途上国への治療薬開発の困難性、アフリカの貧困、グローバリゼーションの功罪などにも広く言及している。つまり「睡眠病」という病から、現在の世界が抱えているさまざまな問題が見えてくるのである。
なかでも、「見捨てられた病気」の問題が深刻である。これは、患者が多いにもかかわらず、彼らに購買力のないために治療薬の研究開発がほとんど行われていない病気のことをいう。発展途上国の多くの人々が切り捨てられている現状に愕然とした。これが先進国で発生した病気なら、真剣に取り組むのだろうか。
安価なエイズ治療薬提供もそうだが、人間の生命にかかわる問題は、世界規模で考える必要があるのではないか。これはどこか遠い場所の、自分と無関係な話ではない。
まずは知ることからはじめてみませんか。

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紙の本アメリカにいる、きみ

2008/03/25 20:37

ナイジェリア出身作家の描く、等身大のアフリカ。

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

しぼりたてのヤシ油が何色をしているか、ご存知だろうか。
正解は本書に書かれているが、おそらくほとんどの日本人が答えられないだろう。そして、ヤシ油の色を知らないのと同じように、アフリカやそこで暮らす人々のことを私たちは、いや私は、何も分かっていないのだ。

『アメリカにいる、きみ』は、ナイジェリア出身の作家・チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの短篇集である。30歳という若さにして、既に2冊の長篇小説と 20を越える短篇を発表しており、アメリカでは高い評価を受けている。本書は、数ある作品の中から10篇を選んで翻訳された日本語版オリジナル短篇集となる。
こんな粒ぞろいの短篇小説を読むと、ぞくぞくしてしまう。どれも素晴らしいが、なかでも表題作・「アメリカにいる、きみ」、O・ヘンリー賞受賞作・「アメリカ大使館」、「スカーフ―ひそかな経験」は傑作である。重層的なストーリー展開や、繊細な心理描写が絶妙なのだ。

例えば「アメリカ大使館」では、ひとりの女性が難民ヴィザを取得するためアメリカ大使館に並ぶところから、面接官と対面するまでのひとコマを描いている。照りつける太陽のもとで大勢の人間が列をつくって待っている中、彼女はここに至るまでの苦い出来事を思い起こし始めるのだ。
この作品に、ナイジェリアの現状をみることができるかもしれない。けれど作者は、あくまでひとりの女性の個人的な体験として、彼女の心の襞に分け入るようにしてその悲しみを描いていくのである。
この手法は、作品全体にみられる。
「スカーフ―ひそかな経験」やナイジェリアの内戦・ビアフラ戦争を描いた「半分のぼった黄色い太陽」でも、宗教・民族対立といった抽象的な問題としてではなく、一人一人の身に起こった出来事として捉えているのだ。作者は、暗殺や紛争、同性愛といった、ともすれば読み手が身構えてしまいがちな題材を、するりと物語の中に入り込ませ、個人の心象風景を取り出してみせるのが本当にうまい。

私たちはよく、アフリカの人々を「アフリカ人」と呼ぶが、厳密に言えば、正しい表現ではないだろう。「アフリカ人」の中には、ナイジェリア人やケニア人がいる。そして、ナイジェリア人の中には、キリスト教徒のイボ族やイスラム教徒のハウサ族がおり、同じ民族同士でも、高等教育を受けられる裕福な者がいれば、貧しくて学校に通えない者もいる。
本書で描かれるのは、多様で複雑なアフリカの姿である。ここに収められた作品を読むと、これまでいかに自分が平面的な認識しかしてこなかったか、思い知らされるのだ。アフリカ系移民が、アメリカ人たちが呼びやすいような名前に変えるなんて、初めて知った。
本書は、けっして重苦しくはないが、ずしりとした読後感を残す一冊である。次はこの作者の長篇小説を翻訳出版してほしいと、切に願う。

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“信じる”こと、“分かる”こと。

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 私たちは、今、ある「事実」を、本当に「分かっている」のだろうか。
 実際に自分が見聞きしたものが、確かに存在している、と言い切れるだろうか。
 その現象を、ただ「信じている」だけに過ぎないのではないだろうか。
 本書を読み、今まで抱いていた「認識」の意味が根底から揺さぶられ、周りに「存在」するものを見る目が変わってしまった。
 本書は、明治末期に、心理学者・福来友吉によって実在を主張された超能力、いわゆる「千里眼事件」を検証したものである。
 映画化された『リング』のイメージが強すぎて、最初の数ページは映像を頭から追い払うのが大変だった。
 もちろん、本書はホラーではなく、論理的に話が展開されている。
 なぜ、人々は、透視や念写といった超能力を信じたのか。なぜ、学者やマスコミを巻き込んで、これほど熱狂的な騒動にまで発展したのか。
 著者は、そもそも実験が科学的・客観的な状況で行われたのか、という問題から掘り起こし、「千里眼事件」から見えてくる人間の「認識」の危うさを訴える。
 「千里眼事件」が起こった原因は、一つとはいえない。
 自称“超能力者”の思惑を含め、①大衆の知識欲 ②愛国主義と結びついた、科学上の新発見を望む気運 ③それに応えようと過熱したメディア ④学者の名誉欲・自分の望みどおりの結果を得たいという願望など、さまざまな要因が本書では挙げられている。
 一大センセーションを巻き起こした超能力は、明治時代の人々が望み、作り上げた虚像だったのかもしれない。
 省みて、現代ではどうか。
 血液型で人を判断するテレビ番組は後を絶たないし、遺伝子研究など“最先端”の話題が新聞を賑わす。最近では、韓国の教授による論文捏造事件が記憶に新しい。
 物や情報が増え、科学や技術が進歩しても、それを用い判断する人間は、100年前となんら変わっていない。むしろ、退化しているような気さえする。
 “信じる”ことと、“分かる”ことの区別が曖昧になっている今だからこそ、本書から学ぶ意味は大きい、と思う。

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紙の本犯罪は「この場所」で起こる

2005/11/24 18:09

犯罪は決して「他人ごと」ではない。

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 少年が凶悪事件を犯すと、マスコミはこぞって「少年に一体何が!?」とか「少年に潜む心の闇」といったような犯人の人格や境遇に犯罪の原因を求めようとする。
 本書は、そのような原因論だけでは犯罪は防げないとし、犯罪が起こる「場所」に注目している。そして「犯罪が起こりやすい場所」では用心をし、自分のいる場所を(犯罪者が)「入りにくく」、(周囲から)「見えやすい」ようにしていくことを提唱している。
 恥ずかしながら、私は「地域安全マップ」なるものを知らなかった。
 これは、自分たちの地域を、自分たちで点検、診断し、犯罪に弱い場所、すなわち、「入りやすく」「見えにくい」場所を洗い出したものである。
 何よりこの地図は、子どもから高齢者まで誰でも作ることができるのがよい。単に大人が作成したものを配布するだけでは、子どもの被害防止能力は育たない、子ども自身が試行錯誤しながら作り上げる過程こそが大事、とする筆者の論は、被害防止教育のあり方を問うもので、興味深い。
 私たちは、痛ましい犯罪が起こると、犯人を憎み、被害者に同情するが、心のどこかで「自分とは関係ないこと」と思い、時が経つと忘れてしまう。
 本書を読めば、犯罪はいつでも、どこでも、また誰にでも起こりうることであり、それを予防するのが私たち自身であることに改めて気付かされることだろう。

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紙の本びんぼう神様さま

2009/11/21 17:45

びんぼう神、大いに悩む。

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

年じゅう金欠でぴいぴい言っているからか、タイトルに引き寄せられるように手に取ってしまった。
でもよく見ると、びんぼう神に「様」がついている。それでは足りぬとばかりに、もひとつ「さま」が。
貧乏神(平仮名から漢字にするだけで、どうしてこんなにも辛気臭くなるんだろう)って、疎んじられることはあっても崇め奉られることなんて、まあないと思う。浅田次郎の『憑神』じゃないけど、貧乏神・疫病神・死神の3トップは、できればお近づきになりたくないもの。
・・・というこれまでの考えを、見事に一変させてくれたのが本書である。

60ページ足らずの昔話なので、すぐ読める。が、中身は深い。
松吉・おとよ夫婦の家に〈びんぼう神〉が住みつき、みるみる貧しくなっていく。人間の不平不満を聞くのを楽しみにしていた〈びんぼう神〉だったが、松吉たちは悲しんだり言い争ったりするどころか、何でも「そりゃぁええ!」と前向きに受け止め乗り越えてしまう。挙句は、神棚を作って拝み出す始末。
〈びんぼう神〉は初めての反応に戸惑いつつ、次第に自分の存在意義について悩むようになる。

「なんでわしは、神様って呼ばれとるんじゃろう?」
「なんで人が苦しんだり悲しんだりするようなことしかできんわしが、鬼じゃのうて神さんなんじゃろうか?」

もっとお金があれば。もっと恵まれていれば。もっと、もっと・・・。
人間の欲望には限りがない。もちろん、欲があるからこそ人は成長できるし、社会の発展があるともいえる。
だが、裕福イコール幸福なのだろうか。なんの悩みもない状態が、人間にとって良いことなのだろうか。
お金があるがために争い、人間関係が険悪になることだってある。病気になって初めて健康の有り難さを知ることだってある。作中、「願いを叶えれば叶えるほど人間の顔が妙にギラギラして、人相まで悪くなるような気がして」という〈福の神〉のセリフは含蓄が深い。

本書は、感謝を忘れない松吉一家や、他人のために尽くそうとする〈びんぼう神〉の姿を通して、人間にとっての幸せと何か、ほんとうの豊かさとは何か、ということをしみじみと考えさせてくれる。もしかしたら、自分の身に起きることで無駄なことなど、何ひとつないのかもしれない。苦労も困難も、心を鍛え成長させてくれる糧となるのだから。
幸運をつかみ損ねそうなタイトルだが、読後は心があたたかいもので満たされる一冊。

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紙の本密会

2008/06/30 21:47

ため息まで聞こえてくるような短篇集。

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

思えば子どもの頃、世界はもっと単純で分かりやすかった。できることは限られていたのに、なんでもできるような気がしていた。
いつだったろう、白でも黒でもない、グレーゾーンの存在を知ったのは。悲しいのに笑い、嬉しいのに切なくて泣きたくなる。そんな言葉にできない感情をもてあますようになったのは、いつからだったのだろう。

本書には、12の短篇が収められている。どれもとりたてて何かが起こるわけではなく、ほとんど取るに足らないような出来事ばかりである。表題作の「密会」にしても、その甘く危険な香り漂うタイトルとは裏腹に、寸暇の密会を重ねる男女の姿はいたって穏やかなものだ。
ところがウィリアム・トレヴァーの手にかかると、市井の人々の些末な日常が、とたんに意味を持ち始める。大仰な言葉で「人生とはなにか」と説くのではなく、ありふれた情景で人生の奥深さや心の深淵を語る手腕に、思わずため息がもれる。

冷静で淡々とした筆致は、登場人物たちを突き放すかのようだ。だがむしろ、初対面の女性に夕食をおごらせようと企む男や、夢破れて故郷に戻った男、別れた妻につきまとうストーカー男といった弱くてずるい人間に、作者のあたたかなまなざしが向けられていることに気づくのである。
情けない男性ばかり紹介したが、女性もさまざまな思いを抱え、苦悩している。ただこの作品集で女性は、暗い淵にたたずむ人々に与えられたひとすじの光(希望とまでいかなくとも、安らぎ・癒しの存在)として描かれているように思う。けっして爽やかとはいえない物語なのにそれほど重苦しく感じないのは、そんな救いが用意されているからではないだろうか。

ウィリアム・トレヴァーは、アイルランド出身の作家。数多くの長短篇を世に送り出し、「英語圏で現存する最高の短篇作家」と称されるほど高い評価を受けている。20ページほどの短篇のために、彼がずっと多くの背景を書き込んでいるのも納得の奥行きある作品群である。
なかでも、妻を寝取られて傍観する老教師の苦悩を教え子の視点で描いた「ローズは泣いた」は秀逸。過去と現在いくつもの場面が断片的に綴られ、ある秘密を共有する二人の胸の内に迫っていく。少女の想像の中で語られる一組の男女の物語だけでも、ひとつの作品になりそうだ。
派手さはないが、登場人物たちの抑えた激情がじわじわと心に染み入るトレヴァーの作品集は、短篇小説の醍醐味をあますところなく伝えた一冊である。

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紙の本空は、今日も、青いか?

2006/04/15 21:25

生きることに息苦しさを感じている人への応援歌。

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 本書は、作家、石田衣良の初エッセイ集だ。
 エッセイは、著者がどんな思想の持ち主で、ものごとをどのような眼で見て、今何を考えているか、を端的に知ることができる。
 IWGPシリーズで社会に潜む問題を鋭く暴き、『スローグッドバイ』や『1ポンドの悲しみ』では、どこにでもあるような恋愛を極上のラブ・ストーリーに仕上げる。『波の上の魔術師』で株取引の世界を、『ブルータワー』でウイルスに侵された近未来SFの世界を描き、読者を日常から物語の世界へといざなう。
 石田衣良は、その他にも、ジャンルやテイストの異なる作品を次々と世に送り出し、特に若者に支持されている作家の一人だ。このエッセイ集は、著者のエッセンスが凝縮された作品といえるだろう。
 本書は、『R25』というフリー・ペーパーと、日本経済新聞に掲載されたものを中心に構成されているので、ビジネスマンを念頭に置いて書かれたものが多い。
 “勝ち組・負け組”と単純に人間を二分化する現代の風潮に苦言を呈し、自殺者の増加を憂い、悩めるフレッシュマンを励ます。一方で話題は、テロやM&A、クールビズといった時事ネタから、恋愛や転職、人生といった、いかに生きるかという哲学的な問いかけにまで至り、あらゆる立場の人が読んでも示唆に富んだ内容になっている。
 最後に収録された「ひとりぼっちのきみへ」を読んで、これまで私が著者に抱いていた“器用な作家”という印象は覆された。
 ただ器用なだけでは、こんなにも読む者の心を打つ文章は生まれてこない。著者の作品の根底には、「他者に共感する力と想像する力」がしっかりと息づいているのだ。

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紙の本皮膚は考える

2006/02/01 08:44

皮膚にまつわる知られざる話。

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 環境と身体の境界をなす皮膚。面積にしてたたみ約一畳分の大きさ、重さにして約3㎏と、人間にとって最大の臓器であるにもかかわらず、その働きは意外に知られていない。
 本書は、皮膚を科学的に解明し、皮膚が身体全体の健康に果たす役割や、皮膚科学のもつ可能性を探った好著である。
 タイトルにあるように、皮膚は体液の流出を防ぐ単なる包装紙ではなく、それ自体が感じ考え、判断し行動するという著者の論に、驚きを禁じえない。今まで抱いていた受動的なイメージから、よりアクティブなものとして皮膚を捉え直すことができるのだ。
 特に、皮膚の異常が心身の健康状態に影響を与える、という皮膚側からのアプローチは興味深い。これまでは、ストレスや内臓の異常が肌荒れやアトピー性皮膚炎を引き起こす、といった一方向からの見方しかなかったように思う。両方向からのアプローチで、治療の幅がぐっと広がるのではないか。
 最後に、皮膚と鍼灸治療の関係性にも言及している。皮膚を介してつぼに作用するはり・きゅうが皮膚のメカニズムとどう関わっているのか。この分野の研究が強く望まれるところだ。
 本書は専門用語が出てくるものの、美肌や化粧品など身近な話と絡めて分かりやすく書かれており、知的好奇心を満たしてくれる。
 ただ、本書はあくまで皮膚のメカニズムを紹介する科学読み物だ。皮膚を健康に保つ具体的方法(治療法)を知りたいならば、他の専門書にあたるか、今後の研究を待つしかないだろう。
 皮膚科学の“今”と“これから”を知る入門書としては最適な一冊である。

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紙の本西遊記 上

2007/10/30 21:01

妖怪とは、なんぞや?

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ご存知、三蔵法師が弟子の孫悟空、猪八戒、沙悟浄とともに、唐の都・長安から天竺へ経典を求めて旅する物語である。
子ども向けではなく、一度しっかり西遊記を読んでみたいと思っていたところ、平岩版が出たので喜んで手を伸ばした。もっとも、かわいい挿絵に惹かれたのが一番の理由だけど。物語自体おもしろいとはいえ、この挿絵がなければ、上下二段組で900ページ近くある作品を難なく読み進められなかったかもしれない。

西遊記といえば、悟空たちが次々と現れる妖怪をばったばったとやっつけていく痛快・冒険譚、というイメージが強い。「妖怪を倒す=殺す」とばかり思っていたので、ごく一部を除いて妖怪たちが死なないのは、意外だった。
なにより、妖怪が単純に「悪」と決めつけられない面を持っているのが、この作品の特徴といえる。やむにやまれぬ理由があって妖怪の身に落ちた者、自分と仲間を守るために人間に歯向かう者、育った環境が悪くてひねくれた者など、ここに登場する妖怪たちは、弱さや迷いを持ち合わせた、実に人間的な存在なのだ。
もとより退治する悟空たちも、各々過ちを犯して天界から追放された身である。師匠の三蔵とて、最初のうちは弟子を信じ切れず、自分の不徳を嘆いてばかりいる。

これまでずっと、妖怪の存在は、当時の唐から天竺までの道のりの厳しさを現しているのだと思っていた。だが、悟空たちの成長物語として描かれた本書を読むと、また違った景色が見えてくる。
思うに、妖怪を倒すことで三蔵一行は、己の弱さや不信の心をひとつひとつ打ち破っていったのではないか。妖怪はいわば、彼らを映し出す鏡である。妖怪と向き合うことで、彼らは本当に倒すべき敵が自分の中にあることに気づくのだ。妖怪の存在は、忌むべき敵ではなく、悟りの境地に至るための必要条件なのではないだろうか。
「およそ、人とは弱いものでございます。弱さ故に罪を犯し、苦しみ、悩み、傷つく。大切なのは、罪を悔悟し、乗り越えて行く強さでございましょう。」(上巻 P.384)
生きとし生けるものすべてに等しく慈愛の目が注がれた物語は、この一文に集約されていると思う。

ちなみにこの平岩版は、悟空が五行山の下に五百年間閉じ込められるまでの有名なエピソードを大胆に削り、師弟の絆に重点を置いて描いている。キャラクターの個性が光る本書に不満はないが、こうなると俄然、岩波文庫も読みたくなってくる。

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もし家族が、治療法のない難病に侵されたら・・・。

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 大工のスティーヴン・ヘイウッドは、29歳の時、ある難病に侵される。
 病名は、筋萎縮性側索硬化症(ALS)。ALSは、運動神経細胞が少しずつ死んでいく病気で、患者は発病から3〜5年で亡くなることが多いという。有効な治療法はなく、脳の腫瘍(ガン)でさえ、ALSに比べると軽いというのだから、その深刻さがよく分かる。
 もし、家族の一人が治療法のない難病に侵されたと知った時、自分がどういう行動を取るか、想像してみてほしい。
 ショックのあまり呆然とする。事実を受け入れられない。泣き叫ぶ。嘆き悲しむ。運命を呪う。宗教に救いを求める。治療できる医者を探す。余生を楽しく過ごさせてやろうとする。大方、こんなところだろうか。
 しかし、スティーヴンの兄・ジェイミーの取った行動は、このどれとも違う。
 弟を救うべく、最先端の遺伝子医療の分野に乗り出し、ALSに敢然と立ち向かっていくのだ。エンジニアで起業家の彼は、門外漢ながら、財団を立ち上げ、医師や研究者からなるチームをつくりあげ、治療法を見つけ出すことに奔走する。時間との勝負だけに、ジェイミーの奮闘には鬼気迫るものがある。人は覚悟決めた時、ここまで真剣になり、自分の限界を超えることができるのか、と圧倒されっ放しだった。
 言うまでもなく本書は、ノン・フィクションである。映画やドラマなら、ハッピーエンドで幕を閉じるのかもしれないが、現実はそれほど甘くはない。研究が思うように進まず、いたずらに時間が過ぎていくことに焦燥感を募らせていくジェイミーの姿に、読んでいて息苦さを感じた。
 本書は、ヘイウッド家の挑戦に迫った人間ドキュメントであるとともに、現代の最先端医療の問題と課題を鋭く描いた科学読み物でもある。
 人はどこまで命を操作できるのか—。この問いかけに対して、人類は答えを模索している最中である。本書で問題になっているのは、遺伝子治療そのものの科学的議論というより、それをどう活用していくか、という生命倫理に係わる問題である。
 研究から治療法への転換をスムーズに行うにはどうすればいいのか、見込みの薄い治療法で患者にリスクを負わせることは適正なのか、誰がどのような規準で実験に認可を与えるのか、製薬会社の新薬開発費の回収と人の生命尊重との折り合いをどうつけるか(病気が特許で金儲けの対象になっていることの是非)等、本書は、現代の生命倫理が直面している問題を浮き彫りにしている。
 1ヶ月ほど前、アメリカのブッシュ大統領が、ヒト胚性幹細胞(ES細胞)研究への連邦資金支出を拡大する法案への署名に拒否権を発動したとのニュースがあったが、“生命”を巡る問題は、簡単には解決しそうにない。
 先に、本書はノン・フィクションだと述べたが、“客観性”という点では少し疑問を感じる。
 ヘイウッド家に襲い掛かった運命と時を同じくして、著者のジョナサン・ワイナーの母親は、別の難病に侵された。そのことから、本来なら第三者的立場で冷静にものごとを見つめるべきなのに、著者はヘイウッド家に感情移入し過ぎてしまっているのだ。穿った見方かもしれないが、美しいラストは、著者の希望(願望)が込められているように思う。
 けれど、感情に流されてしまいそうになる自分を戒め、ジャーナリストとしての立場と、病気の家族を抱えるひとりの人間としての立場との間でもがきながら書かれた本書は、熱い血が通った説得力のある良書であり、ジャンルの垣根を越えて読む者の心を強く揺さぶる。

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