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  3. 紗螺さんのレビュー一覧

紗螺さんのレビュー一覧

投稿者:紗螺

1,669 件中 1 件~ 15 件を表示

ハーモニー

2009/02/04 21:15

SFの特質と魅力にあふれつつ、強烈なリアリティを持つ作品。

10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

思いやりが社会の根底にあり、《Watch Me》と呼ばれる医療分子によって人間の体調がコントロールされる《生府》。そこには病や怪我もなく、痛みもない。「でも、自分の身体が他から管理されるなんておかしい。私の身体は私のもの」――そう考える少女が、二人の友人を誘って自殺を図る。中心人物のミァハは死に、トァンとキアンは生き残る。それから十三年、世界保健機構で働く主人公トァンはある事件の中にミァハの影を見出し、彼女を追うことを決意するが――。
一ページ繰るごとに驚きが満ちていた。奇抜な設定、緻密な論理が見事で、読んでいる間息をもつかせない迫力がある。文章のスタイルとして変わっている部分(コンピューターの記号のようなものがところどころに入る)に意味がある仕掛けは、ミステリといってもいいほどだ。最後の最後まで爆弾級の驚きを用意しているといった感じだろうか。
けれど、そういったことよりももっと深く心に響いてくるものが、この本にはある。それはひたひたと押し寄せてくる悲しみ。人間は意識を捨てるのが一番いいのだというミァハの考えは恐ろしく、禍々しくそして悲しい。ミァハの考えを受け継ぎながら、ミァハの影を追うトァンの行動は激しく、悲しい。ぎりぎりのところにいるミァハを受け止めたかったというキアンのひそやかな思いは切なく、そして悲しい。彼女たちの姿を通して、思いやりで支え合っているはずのユートピア、でもだからこそ不自然で窮屈な世界のほころびが胸に迫ってくる。ラストのシーンの荒涼とした寂寞感は、圧倒的のひとことに尽きる。
《生府》というのは架空の世界である。《Watch Me》も他の様々な発達した機械も、もちろん現実には存在しない。それでいて、今という現在につながる部分が、この物語の中には確かにある。民族紛争の背後にある暴力、自殺と人間の意識、社会問題、善なるものの定義。そういった、現実と重なる重い問題を提起している本でもある。純粋に楽しみ、かつ深く考えさせられる一冊だった。

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紙の本にわか大根

2006/05/08 14:13

これこれ、これが読みたかったんだよなあ…という懐かしさを覚えさせる『猿若町捕物帳』第三弾!

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

仏頂面ながらに切れ味鋭い推理で事件をとく同心千蔭に、何とも妖しい魅力をたたえた女形・巴之丞、その巴之丞に生き写しの美貌に気風のよさを兼ね備える梅が枝、千蔭の小者を務める八十吉と、それぞれのやりとりや思惑の、読んでいて楽しいこと。今回は中篇三篇が収められており、正直言って事件は陰惨だったり後味が悪かったりするのだが、とにかくキャラクターのよさでこの作品は立ち上がっている。にやにやにやと顔がほころんでしまうのは、私だけではあるまい。例えば千蔭の父親の嫁になったお駒(彼女は千蔭の子供のような年頃なのだが、千蔭は律儀に彼女のことを「お母上」と呼ぶ。こんなところにも千蔭の性格の良さが表れている)の手料理が出てくるのだが、千蔭が「いったいなんでございますか?」と思わず問うてしまう茶色い卵焼きに「地獄の釜のように煮えたぎ」る燗、味のしない泥鰌鍋。それに対して、「泥鰌鍋とさっきの卵焼きがめっぽう合う」と誉める目明し。それを見て八十吉は思う。「この男、思っていた以上に大物」だ、と。このように、随所にほほえましい場面や笑えるつっこみが入っているのは、作者が大阪人だからだろうか。梅が枝が他の遊女のところに行ったと言って千蔭を物凄く怒り、千蔭がどうして怒られなければならんのだ、と後でぶつぶつ言う場面も面白かった…何しろ千蔭は梅が枝という美しい遊女と場をともにしても碁などうって時間をすごし、決して寝ることのない男。とにかくお仕事第一なのである。それが女心を解さないにぶさでもあり、逆に魅力でもあり…ついに梅が枝の方から働きかける、という展開もあり、今後どうなるのかも見もの。
キャラクターのことばかりを述べるわけにもいくまい。「吉原雀」「にわか大根」「片陰」とある三篇の中で、どれが一押しかというなら、私はやはり表題作の「にわか大根」。推理物ゆえ、事件の種明かしはできないが、上方へ行く前は非常に優れた役者だった達之助がどうしていきなり「にわか大根」とまで呼ばれるへたくそな役者になりさがってしまったのか。そしてまた息子の死の後、彼が再び素晴らしい芸を見せるようになったのはなぜなのか。芝居に関わる謎として、かなりこれはハイレベルなものだと思う。そしてそれを鮮やかに解いてみせた千蔭、いや、作者近藤史恵に改めて感服する。…だが、実は私が最も感心したのは、最後の巴之丞の言葉なのである…、が、それはここでは言うまい。この一篇を読んでいただいて、「ああ、そうだな」と思っていただければとても嬉しい。役者の、役者だからこそ出る言葉で、こういう言葉があるから近藤作品はたまらないのである。

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紙の本吉原手引草

2007/05/08 14:50

構成も雰囲気も緻密な描写も素晴らしい、松井今朝子の最新作。

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 小説の世界を満喫することのできる、極めて完成度の高い作品である。
 個々の章は、それぞれ別の人物によって語られる。聞き手は傾城葛城が消えた事件を調べているが、葛城の事件は吉原で口をつぐまなければいけない事件になっているので話の流れや言葉のあやから関わる話を聞き込もうとしている。——というのは、あくまで語り手の口調からわかることで、聞き手の質問などはまったく入らない。あくまで一人語り。このスタイルがまず魅力的。各人の語り口を見事に書き分け、吉原の空気を濃密に醸し出しているところが素晴らしい。茶屋の内儀、遣手、船頭、客……。各人に、吉原におけるそれぞれの立場と職があり、さほど長くない一章でまざまざとそれを見せる。例えば、指切屋だとか床廻しだとか、廓ならではの職業の有様が詳しく語られるのには著者の知識と綿密な調査を感ぜずにはいられない。実にこの本は、葛城について調べるうちに吉原という混沌とした世界の中に呑み込まれていく聞き手(繰り返すが作中に姿は現さず)と同じように、読者も吉原の空気に浸っていく、というところが醍醐味なのかもしれない。
 各章を読み比べると、立場が違えば見るものも変わるという事実が無慈悲なまでに見えてくるのもおもしろい。何しろ場所が吉原、口先三寸で生きなければならないようなところがあるから、本当のことを話す人は滅多にいない。まさしく吉原は砂上の楼閣だ。でありながら、各人の話すばらばらな内容から、時々《葛城》という人物について同じことを言っているのを発見してはっとしたりする。例えば、遣手が「あたしゃあの子をほとんど叱らなかった。いや、叱れなかったというのが正しいのかもしれない」と言った次の章で、楼主が「わしはとうとうあの妓を叱らなかった……いや、叱れなかったというほうが正しいのかもしれない」と語っている。うっかり同じ表現になったのではない。作者は意図して、まったく異なる立場の人間から、まったく同じせりふを吐かせているのだろう。そしてその分、《葛城》が鮮やかに浮かび上がってくる。鮮やかといえば、私が《葛城》を最も鮮やかに感じたのは、彼女の馴染みだった男が彼女について「あの妓は見世の物ばかりか楼主をも見方につけ、舞鶴屋を文字通り城郭にして命がけの戦をしたんだ」と評したところだった。痛々しいほどに真っ直ぐで、悲しいほどに強い女の姿が目に浮かぶ。
 謎解きそのものについてコメントすることはできないが、落とし方としてうまい、とはいえると思う。読後、心から思った。この本は幾通りもの楽しみ方をすることができる。ミステリのように謎の答えをあれこれと考えながら読んでもいいし、吉原という風俗に興味を持つのでもいいし、美しく強い女の生き方に惹かれて読むのもいい。——或いは勿論、そのすべてでもいい、と。

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紙の本南の島に雪が降る

2006/05/22 10:43

すごい芝居っ気をマノクワリで発揮してきた男たち

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

感動という言葉は時としてあまりにも軽い。感銘という言葉もまた然り。ならば、この気持ちをどう言い表せばよいのだろう。
私は戦争を知らない。戦地へ出向き、言葉にならない数多の苦しみをした人々を知らない。だからなおさら…、この著書は胸にずっしりとこたえた。
戦地マノクワリで市川莚司こと加藤大介が演芸部隊をつくり(と言っても、無論、そこには将兵の士気を鼓舞すべしとの司令官の意図が働いているのだが)、三味線、浪花節、にわかをやる者が集まる。浪花節に至っては、七十二人の中から一人である。それだけではない。舞台装置担当や衣装担当もいる。そうやってつくった演芸部隊だが、勿論簡単に軌道には乗らない。着物をつくるためにキレに絵を描き、それを仕立てるなど、ちょっと私の想像を超えていた。いや、想像を超えていることは他にも多々あって、女のカツラをつくるところもそうだった。薄いブリキを頭の形に合わせて曲げ、そこにマニラ麻のロープをほぐしてバラバラにし、墨汁をかけたものをつけたのだという。当然固いから金ヅチで叩いて柔らかくしたとか…、今の舞台で使われている鬘を思うと、何とすごいつくられ方をしたカツラなのだろう。けれど、そのカツラは、将兵たちにものすごい歓迎をあびる。
本文より。
「部隊長たちはワアーッと叫んでいた。いや、ワアーッなんてものじゃない。それはウォーッとほえたてたような喚声だった」
私は思う。現代の華々しい芝居。それはそれで素晴らしい感動を人に与える、そのことに間違いはなく、私も感動を受ける中の一人だ。けれど。
けれどその時戦地での加藤らが演じた芝居を見た将兵たちは、文字通り命を捧げてそこにいたから、大きな波のようなものにもみくちゃになりながら、私たちの見られないものを見ていたのではないだろうか…、と。そしてそれを見せた加藤らは本当に本当にすごかったのではないだろうか、と。
そのように思うのである。
表題のシーンはいっそう泣かせる。ニューギニアという、雪の見られないところで、舞台で雪を降らせるという趣向を考えついて実行する。それはもう、興奮のときがやまなかったという。中でも東北の部隊の反応は静かに泣いて泣いて…。舞台の雪は美しい。今も昔も、変わりなく。けれど、その時彼らにとっては美しいとか舞台だとかそんなことではなく、その時降ってくる雪が魂そのものだったのだと思う。
魂そのものと言えば、女形になった者は人気がありすぎて特別な扱いを受けたというのも、なかなか考えさせられる話であった。加藤は言う。我々にはもはや性欲などなく、女形へのあこがれはみな望郷への想いにつながっていたのだ、と。それは何と今の女形人気と異なることか。いや、私は決して現代の芝居がどうとか、現代の女形がどうとかいうつもりはない(げんに私は女形が好きだ)。ただ…、心が痛む。
もう一度言おう。私は戦争を知らない。だから軽々しいことは口にできないと思う。そして、感動という言葉は時に軽がるしいとも冒頭で述べた…にも関わらず、私は最後に呟いてしまう。この著書には感動した、と。心をこめて。

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紙の本道絶えずば、また

2009/07/27 16:36

傑作以上の力作。

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

力作である。傑作である、とももちろん思うのだが、それ以上に力作、という言葉を使いたくなってしまうのは、隅から隅まで気迫のみなぎった作品だからだ。作者の思いがぎゅっと凝縮しているかのような、いい意味での緊張感に満たされたこの作品は、まさしく力作と呼ぶにふさわしい。
すべては荻野沢之丞の凄絶な死から始まる。一世一代の舞台を披露する初日、奈落へ落ちて舌を噛み絶命。沢之丞の死は自殺なのか他殺なのか?他殺ならば一体誰が?という謎を孕みつつも、中村座は次の興業を考えなければならない。それはつまり、沢之丞の息子の二人のうちのどちらが沢之丞を継ぐのかという問題にも関わってくる。そんな中、大道具方の甚兵衛が殺され、事件は一連のものとして町奉行に預けられる。一方弟の宇源次は舞台で怪我をし、しばらく舞台を離れることとなる。ところが身を寄せた先の寺に、一連の事件と関係がある可能性が浮上してくる。宇源次は寺を探る役目を務めることになり――。
と、このように端折ってしまうとすべてがあらかじめ用意されていたような印象を与えるかもしれないが、そんなことは決してない。伏線となるヒントや何重ものクッションが間にはさまれ、人間と人間の関係が複雑にからみにからんだ結果つながりが見えてくるものだから、不自然な感じはまったくなく、話が展開していくにつれその意外性に息をのむ。事件が落着するまで、いったいどうなるのかよそ見をする隙もない。一心不乱に読んで、大きなため息をついた。

事件の謎解きだけがこの本の読みどころではない。濃厚な江戸の雰囲気、人間同士の愛憎模様、芝居の有様、美僧から果ては大奥まで、よくまあ一冊に盛り込めたと思うほどの内容がぎっしりと詰め込まれている。その中でも重要なのが沢之丞の二人の息子と彼らの見せる役者魂だろう。ちなみに兄は実の息子、弟は血のつながらない息子でありながら、実力は弟のほうが上とされてきた。しかし父親亡き後弟は一連の事件もあってすっかり迷う。一方兄は落ち目になった中村座で、父親そっくりの素晴らしい踊りを見せる。父親に生き写しの兄のその様を形容するのに使われる「造り花」という言葉が素晴らしい。造花と考えるならそれはけなし言葉のようだが、作者は「花は花である」と言い切る。芸には真の花、時分の花がある。けれど、真の花は一日にしてはならず。兄は必要とされた時に、自らの力で「造り花」を咲かせ、それは迷いに迷っていた弟の魂をゆさぶる――。芸とは、役者とはこんなにも凄いものなのだと、作者の文章は力強く訴えかけてくる。確執のある兄弟が向き合うラストのシーンは、だからこそこの本の最も大きな読みどころだと個人的には感じた。

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紙の本ぐるりのこと

2006/05/10 15:52

『沼地のある森を抜けて』の精神性を生で感じたような思いがします。

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

何て、深く、広く考えが広がっていく随筆なのだろう。随筆、という言葉でくくるのはもったいないような感じが、正直言ってする。著者の言葉の数々が、ある時は美しくて立ち止まり、ある時は不思議と静かで浸りたくなり、ある時は深く考えさせられ…。何とも不思議な書物、という思いが、私の心に広がってやまない。
簡単ではない、のだ。いや、簡単にさらっと読んでしまうこともできるだろうけれど、例えば「境界を行き来する」という章で著者が言っていることは、実はかなり難しい、と思う。例えば。「共感」することは境界を越えることではない。キリスト者の社会活動も、「こちら側」の私が、「向こう側」のあなたに施す、という自己完結の方法であって、意識レベルでは境界を越えていない。この論を読んだ時、私は自分のむずがゆいところをかいてもらったような気がした。深い、と思った。じゃあどうすればいいのか。そこからは、個人が考えなければならないことになるけれど、意識を「開く」こと。これが大事なのだと、ドーバーの光景をバックに語られたこの論は示唆しているように思われる。この著書の魅力的なのは、次から次へ、無理なく話題が移っていくことで、この論の後に「鳥の世界」こそ「境界の向こう側の世界ではないか?」という話が続くのも面白いのだが、他に私が興味深いと思った別の箇所に敢えて移ろう。
それは著者がトルコへ行くと、「普段は外界に向けていればすむ集中力が、何をしていても自分の内界に向いて」しまい、「『自分』という透明なカプセルの中にいるよう」になる、「『自分』の濃度が内側でどんどん上昇していってしまう」というのだ。日本では今たくさんの人が外国へ行くけれど、このようにある意味敏感に空気の違いを感じる人が、どのくらいいるだろうか。実は私は自分が外国へ行った時のことを思い出して、恥じた。見るものに目を奪われて、そんな風に感じてなどいなかったような気がするからだ。もちろん、そう感じなければならないというものではない。ないが、「自分」の濃度が上昇する、という著者の鋭敏な感覚はとても大事にするべきもののように思う。
ああ、いい感覚だなあ…と思いながら読み進めていた時、更に、何とも言えずよい言葉に出会った。
「もっと深く、ひたひたと考えたい。生きていて出会う、様々なことを、一つ一つ丁寧に味わいたい」
素敵な物語をつくる著者の生き方を、垣間見させてもらったような一冊だった。

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最後の願い

2006/04/27 08:37

最高の布陣

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

光原百合の作品はいつもほのぼのとしていて楽しめるが、今回はとにかく光ってる。文句なしにいい。それはもう、何と言っても「劇団φ」結成のために、役者や制作スタッフを集めていく度会と風馬のキャラクターの魅力があふれんばかりだからだ。そして、その二人が一人一人ターゲットをものにしていく様が、謎解きとあいまって無条件で楽しめる。
第一話でごく人当たりのよさそうな人物でしかないと思われた度会が、視点人物の響子には見えなかったある事実を言い当てる時に、全身から何か「途方もなく強烈な光のようなもの」を出して、「悪魔さえ裸足で逃げ出すほど恐ろしく、美の女神さえ籠絡できるほど美しい」微笑を浮かべるところで、しびれる。んな馬鹿な、と思われるかもしれないが、役者とはこうでなくてはならない。役者とはこうでなくてはならない、と言えば、私が常日頃思っていることを風馬が見事に第二話で言ってくれている。「役柄ってのは芝居の間だけ、確かに存在するが実体のない蜃気楼のようなものだ。役者に惚れるなら、(自分にではなく)その役柄見事に存在させた力量に惚れてくれと」と。いささか引用が長くなってしまったが、この言葉、私はまさにその通り!と手を打ちたい思いで読んだ。そして、それを言ったのが飄々としているのか抜けているのかわからない、度会とはまったく逆の魅力を持つ風馬が言うというところがいい。
ところでこの作品には笑いを誘われるところが随所にあり(度会と風馬のボケとツッコミのような会話もそうである)、この第二話でも、視点人物の真面目な志郎が、度会と風馬の会話を漏れ聞き、「二人はできてるんだろうか」とどきどきし、見ようか見まいか煩悶するあたりが可笑しい。ちなみにこの第二話だけは謎がその話の中で解けず、最終話近くまで持ち越される。間に、わりと軽い謎解きもはさみながら…。そういう話運びの巧さも絶妙である。
度会、風馬が初登場する話以外に印象的だったのは、何と言っても第三話。反発し合い仲の悪かった美術部の二人。その二人が思いを寄せる女の子は、やがて片方と結婚し、その片方は死ぬ…その奥に隠された秘密と、風馬がどうやってそれを見抜くか、ネタばれになってしまうので何も書けないのが口惜しいが、いくつかの絵が心の中に浮かんでくるような、いい話だった。
もっと紹介したいがこのぐらいに留めておこう。とにかく一読していただきたい。そして、表紙もほのぼのとした色合いで、光原百合の作品にふさわしい感じに思われるので、見ていただきたい。

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紙の本ヨイ豊

2015/11/18 22:33

〈四代豊国〉を描いた力作。

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

とはいえ、四代豊国はほとんど存在しない。豊国は実質的にいって三代まで。いわば幻の四代を主人公に据えたことが、この作品のうまさのひとつでもある。
現代では三代豊国というより国貞の名のほうで親しまれているが、江戸の浮世絵界において豊国が大きな名前であることは言うまでもない。主人公の清太郎はその跡継ぎとされながら、力及ばず結局継がなかったということになっている。
師匠の国貞はもちろん、清太郎が終生その能力に妬心と羨ましさを感じ続ける弟弟子の国周、国芳門下の芳年、芳幾ら、著名な浮世絵師が数多く出てくる中で、ほとんど無名に近い絵師が主人公。だがそんな主人公だからこそ、人間臭い悩みや屈託を抱え、生きていく様が小説としての読み応えを生み出している。
幕末の浮世絵の世界は、ある意味悲惨だ。近代化の波にどんどん追いやられていく。この本も、ラストはかなり悲しい。でも、その部分もふくめて、幕末の浮世絵の絵師たちを描き切った骨太な作品になっている。

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紙の本星々の生まれるところ

2006/12/31 10:49

濃縮された時への

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

凄い小説だった。三つの、あらゆる面から見てちがう小説をウォルト・ホイットマンの詩と不思議な白い鉢でつなぐその見事さ。そしてそのひとつひとつが圧倒的なまでに本物だ。
一つ目の話の時代は過去(19世紀半ば)であり、機械工場で機械に巻き込まれて死んだ兄の声が聞こえるというやや怪奇めいた趣向。二つ目の話の時代は現代で、テロ対策本部にいる黒人女性をめぐるサスペンス。三つ目の話は未来で人造人間と別の星の女性のSF。これだけの形態のちがいを、作者は文章や話の空気そのものから変えることによって活かしきっている。そして、ちがうにも関わらず、それらは自然を讃え、自然に溶け込もうとするホイットマンの詩によって数珠つながりのようにつながっている。主人公、または主人公に深く関わってくる人物がホイットマンの詩を事あるごとに口にすることによって、そこには言葉の魔術とでもいったような効果が働くのである。
私はこの一冊の本を読むことによって三回ノックアウトされた。三つのラストがそれぞれに衝撃的だったからだ—、一話目はあまりにも美しい、ぞっとするような美しさで。二話目は背筋の凍る心理的怖さで。三話目は時を渡っていくようなその壮大さで。そして、読み込めばそれらがそれぞれの形で生と死に深く向き合うものであることがわかる。「死人は草になる」というホイットマンの言葉は、この小説の中で、常に底流として在る。「星々でできているきらめく馬がいた。(…)僕の中にはたくさんのものがいる、僕は君の足元の草の中にいる。(…)言うにいわれぬ美しいものが、名告りをあげた」—、ホイットマンを読み込んだ上での、作者による美しい、燦然と煌めくような文章だと思う。
にも関わらず、この小説の中で常にホイットマンが肯定されているようにも思えない。二話目で、自爆テロをする少年たちがホイットマンの詩を引用し、「愛してやれば殺人じゃない」といった思想を抱いているところに、ホイットマンへの相反する思いが窺われるのは私だけだろうか。無垢なるが故に危険な生物になっていく怖さというものも、作者はホイットマンの詩から読み込み、特にこの二話目に込めているように思う。私が最も慄然としながら読んだのは、この二話目である。特に主人公の女性が追い詰められ、その状況で掴み取る選択には深い感銘を受けたのだが、ラストを明かすわけにはいかないので、これはぜひ各自でお読みいただきたい。
難解な部分も多い。ホイットマンの詩も、わからないところが多いのは事実。けれど、何とかわかりたいと思わせるもの、真剣に小説に向き合わせるものが、この小説には確かにある。それこそが言葉の魅力であり、失いたくないものだと私は思う。昨今の映画化ブームに漏れず、この小説も映画化されている由をひどく残念に思う。映像と文字という媒体がまったく異なることを前提にした上で敢えて言えば、この小説は映画化して表現し得る作品ではない。

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銀の犬

2006/07/27 09:50

そのやさしさが心に刻まれる

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

懐かしくあたたかい雰囲気に満ちた物語集である。ケルトの伝説を題材に取った話であって、日本のものとは一見遠く離れていそうなのに、なぜか懐かしいー。
五つの物語はいずれも死んでしまった魂にまつわる事件を、祓いの楽人オシアンとその連れの少年ブランが解決するというもの。オシアンはしゃべることができないが、素晴らしい竪琴の使い手で、竪琴の音色によって迷っている魂を「向こうへ送る」。ブランはそんなオシアンの世話を焼きながら、声を出す場面で活躍する。この二人のキャラクターがとても冴えていて、よい。特に、まだ少年のくせに大人のような口をきくブランの愛嬌が読者の心を惹きつける。
とはいうものの、それぞれの物語の主人公は彼らではなく、この世に思いを残してとどまっている魂。例えば、愛情を知らない妖精を愛してしまった娘。妖精の方も娘を愛しているのだが、愛とは何かを知らない妖精はそのことが理解できないーそのことを教えるのが、ブランの達者な口とオシアンの奏でる調べなのだ。
ラスト二編には、ブランと対抗する様子が微笑ましい獣使いの青年も出てきて、彼はこの先の登場も期待できる様子。光原百合を読む楽しみが、またひとつ増えた。

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ケッヘル 下

2006/07/02 00:13

激しさと優しさと哀しみと傷みと…全てがつまっているような作品

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 上巻の評に、私はある種の戸惑いを感じたと書いたが、下巻を読んで戸惑いは驚きに転じた。これが中山可穂の作品なのか?という、いい意味では新鮮な、だが少しばかりそこにはためらいの生じる驚きだ。
 女同士の恋愛、という点にはもはやこだわるまい。だが、初々しい少年と少女が無人島で出会って育む愛とは!意外極まりなかった。少年すなわち鍵人が出会った少女は幼い頃に変質者にいたずらされたせいで男性恐怖症かつ五人の人格を内に持つ複雑なキャラクターだが、鍵人は「僕が君の六人目になる」と宣言して、九州の山奥に創られた特殊な学校で彼女と音楽の才能を伸ばしてゆく。一件幸せに見える二人だが、彼女が悪質な強姦事件(何とこの首謀人物が辰巳)にあうところで話は急転落。これが鍵人の語りの最後となり、後はすべて伽椰が視点人物となるのだが…。
 アマデウス旅行会社の添乗員として伽椰が行く先々でお客様が死んでしまう。その中の一人が伽椰に残した遺書から、伽椰は三十年前のその強姦事件を知り、一連の殺人犯が他ならぬアマデウス旅行会社の社長である遠松鍵人であることを示唆される。一方伽椰は美しいピアニストのアンナと知り合い、肉体関係を持つが、アンナが常に殺人事件の起こる地でその直後にリサイタルを行うことから、アンナが殺しに関わっていることを直感し、何とかアンナを救わなければと思う。だが、その一方で遠松鍵人に対する疑惑も晴れない。そんな状況下、彼女がその妻を奪ってしまった辰巳が伽椰を追いかけてくる。どうやら辰巳の妻は国外に逃げ、パリにいるから伽椰に連絡をとってきた時点でつかまえろというわけだ…。
 さて、この私の拙い要約でわかるかどうか非常に心もとないが、何か今までの中山可穂の作風にないものを感じられ…ないだろうか。一言で言うと、非常にサスペンス的。いや、悪い意味で言っているのではなく、それだけ緻密に筋がはりめぐらされており、最後までいったいどうなるのかという力強いひっぱりが緩まない。そう、これは恋愛小説ではないのである(伽椰がいくらアンナを愛しても。それにしても、伽椰は最初あんなに愛した千秋を捨てて、よくまあちゃっかりアンナを愛するようになれるなあという、若干の気持ちの不服はある)。
 ちなみに今まで触れなかったことだが、表題が示すごとく、モーツァルトの曲の番号、ケッヘル何番か、が殺人であれ出会いであれ、全てに関わってくるのはすごい。それがモーツァルティアンというものらしいが、ケッヘル何番がどんな曲で、というのが瞬時に出てこなければこの作品は成り立たない(読者は関係ない。ただその偏執的とも言えるほどの愛情に圧倒されるものを感じることは事実)。
 大作だと思う。偶然と必然の糸があまりにも複雑に絡み合っていて、一読しただけではまだわからないほどに。それは、ストーリー展開の巧みさによるだろう。だがそれだけではない。優しい哀しみの波というものを描ける人がいるとすれば、それはきっと中山可穂だと思う。

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愛罪

2006/05/23 13:25

「愛」とは、「罪」とは、「欲」とは…

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革命小説シリーズ第五弾、「愛罪」。EVOLUTIONのUでUxoricide。相変わらず凝った題名をつける五條さん。今度の作品では、後半に至るまで息もつかせぬ展開が「愛罪」とどう関わっていくのか、大変見ものでした。
物語の中枢を担うのは長谷川満夫。長谷川家には今長男、長女の婿、次男の満夫、そして歳の離れた三男俊太といて、これ全て満夫の父の愛人の子供。満夫は長谷川グループを継ぐのに虎視眈々としている。それを導くのが満夫の心酔しているドゥルダ。女神は告げる。「あなたの夢の二つ、一つは男、一つは女を確かめなさい」と。この男というのがエイズ感染者となった昔の友、夢人。満夫は彼との再会を果たし、もう一つの夢、母の行方を探し出す…。一方夢人が病院内でつきあっている女性が何と、俊太の捜し求める母親で、更に満夫の母もどうやら同じ病院にいたらしく…これは偶然か?それとも誰かのしかけた罠?
革命小説シリーズで必ずそうであるように、話は勿論長谷川一人に固執しません。どんどん、色んな人物が色んな渡りをつけ、様々な人物と接触する。亘然り、エナとハーシー然り。そして私のお気に入りのすみれ!今回非常に存在感があって嬉しかった。すみれは俊太と同級生で、何かと俊太を庇ってあげ、最後には力でいじめられていた相手を智恵で少年院送りへ。しかしまあ、すみれの智恵ならこのくらいは当然です。それより何より、私はすみれとサーシャ(出てきた!サーシャが出てくると無条件で嬉しくなってしまう私)の会話が、大人同士であるようでもう「ガーン!」(嬉しいショック)でした。「お前にはまだ選ぶ余地が残っている」「もう選んだよ。ぜんぜん迷わなかった」「迷わなかったことを、後悔するときがくるかもしれない」「こないよ」—そして、すみれは「誰かのために迷わず死ねる」という気持ちを自分がもう持っていることを確信するのです。それって当然サーシャのことですね。革命小説の、あの最初のサーシャとすみれが甦って、じんときてしまいました。
あら、私随分横道にそれていますね。今までの革命小説読んでない人には何が何だかわからない話に突入してるし。すみません。でも、ほんと、今度のはそういうの抜きにしておもしろいです。満夫が追う中で段々に明かされ出す意外な事実、その一方ではびこるファービー(新型覚醒剤)の不気味な効果も話にしっかり絡まっていて、革命小説の一部分としても、個の小説としても楽しめるような出来になっていると思います。ラストについては言及できませんが…、
いやはや、これは大変な「愛罪」ですよ…。

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美しさの極み

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 三ツ星を狙うジェロームと、同じレストランで働くハナの禁じられた愛を描く。
 フランス料理界で三ツ星を取るということの凄まじさを描きつつ、後半はハナのかかるSEDSという恐ろしい病気によって壊れていくもの、保ち続けられるものを鮮やかに描き出す。
 人は愛している人が狂った時、どのくらい愛し続けることができるのだろうか?このような思いを持って、作品の途中から読み続けた。SEDSという、感覚や感情を失っていく病気にかかるハナは「狂う」とは言えないが、その悲惨さに類似するものを感じたからだ。「シェフ、アドマン!」と声をかけ続けてくれた明るいハナが、その明るさをどんどん失っていく。これほど残酷で悲痛なことがあるだろうか。いや、明るさだけではない、彼女はシェフだったのに、嗅覚も味覚もなくなるのだ。自暴自棄になって当然である。そんな彼女の介護をしなければならないジェロームにとって、ハナはどこまで愛し続けられる存在なのか。
 しかしジェロームにとってハナは真実の愛の存在だった。そのジェロームの愛の形は…実際に読んで確認していただきたいと思う。
 私が号泣したのはハナが海に入って「あ、キレイ…」と感じるところだ。本来感じるという機能を失っていた彼女が、死の間際に感覚を取り戻せたところに涙する。泡だ、光だ、とハナは感じ取り、失っていた純真な笑顔を浮かべて死んでゆく。この美しい場面だけでも(勿論全編なのだが)、一人でも多くの読者に読んでほしい。

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紙の本うめじいのたんじょうび

2016/01/27 10:25

かがくひろしさんの魅力がぎっしりつまった『新作』

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かがくいひろしさんがデビュー前に描いた作品ー、となれば期待せずにはいられない。もうかがくいひろしさんの新しい作品を読むことはできないと思っていただけに、感慨ひとしお。
内容は、期待を裏切らない素晴らしいものだった。うめじいの誕生日を祝おうと、あさづけきゅうりやたくあん、らっきょうが相談する様子のかわいらしいこと。千枚漬けのぺらんとした姿も意表をついていておもしろい。
何よりいいと思ったのは、いくつかわからないほど年をとったうめじいが「トーテンポー」「ウッスラペン」など独特の言葉を発し、周りに「うーんあいかわらずうめじいのことばはむずかしい」と言わせるところ。お年寄りの言葉や発声は、時に聞き取りにくいもの。だがそういうものだと了解し、受け止めて聞こうとするのが大事ー、ということを思わせる。かといって、決して教訓的なわけではなく、絵本ならではのユーモアを盛り込んだ描き方にしているところが魅力的で、深い。

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十二の遍歴の物語

2015/12/24 17:53

十二の短編のそれぞれが濃厚。

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テイストは様々だが、どれも充実したコンクな世界。
ブラックユーモアを通り越して怖い話。「電話をかけに来ただけなの」。狂人でもないのに精神病院に収容され、ついに訪れた恋人も彼女が狂っているのだと思って助けようとしない。医師の権威の前に一般人の叫びが握りつぶされる怖さ、そして何より正気と狂気の境などそれほどはっきりしたものではないのかもしれないと思わせる不安。閉鎖的な社会だからこそ成り立つ事件ではあるが、そうとばかりはいえない本質的なところでの人間存在の危うさを突いている。
同様に、ありえないと思う展開で話が悲劇を迎えるのが「雪の上に落ちたお前の血の跡」。新婚旅行でヨーロッパに来て血が止まらない彼女を病院に入れたら、面会日が火曜と言われ、週末心配でたまらず過ごす夫。ところが火曜日訪れてみれば…、ととんでもない結末が待っている。言葉が通じないのと複数の誤解がまねいた悲劇。
好きなのは「眠れる美女の飛行」と「悦楽のマリア」。前者は題名からも明らかなように川端を意識している。飛行機で隣に座った美女を観察し続けた男が、美女があっさり去っていくのを「別れも告げず、私たちの幸福な一夜のために私がした多くのことにお礼を言わず」と恨みがましく見つめるのは、妄想の果ての狂気ではあるが、文章にされるとユーモラスさえ漂っておかしい。後者は、死ぬという啓示を得た夢が、実は若い素敵な男との出会いだったと気づくところが、そこまでの経緯と激しい落差があって印象的。

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