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レビューアーランキング
先月(2017年1月)

二月さんのレビュー一覧

投稿者:二月

5 件中 1 件~ 5 件を表示

造られた個性とそれを守る力

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書「『在日』としてのコリアン」では、筆者が行ったフィールドワークのデータを元に、一般的に「在日」朝鮮人と呼ばれる人々の生活環境の変化や、彼らに向けられてきた偏見と差別の根元を探り、なぜ彼らがそのような状態に甘んじざるを得なかったかを分析している。「日本人」という概念が明治政府による教育普及によって形作られる一方で、日本の植民地とされ皇民化が押しつけられる中で非「日本人」としての「朝鮮人」というカテゴリーが朝鮮半島の人々に強く意識されていったとする分析は、非常に興味深い。「民族」「人種」ありきの枠組みでしか事物を見ない結果として、マイノリティとしての「在日」朝鮮人が誕生し、彼らは様々な差別の元、現代においてさえも半ば既成事実として社会の底辺に追いやられていくのである。
人間は他者との関係性が欠如しては立ち行かない生き物であるから、自分と、自分を中心とした大小のコミュニティーの中に自らのアイデンティティを見いだすのは自然なことである。しかし留意しておかねばならないのは、それらの「カテゴリー」は往々にして第三者によって作為的に造られたものである場合が多いということである。例えば、我々は自分が「日本人」であることを自明のこととして捉えているが、そもそも国民の末端に渡るまで「日本人」意識が定着したのは明治維新後のことであるから、それほど昔のことではない。「自分は日本人である」と漠然と認識し、無意識のうちに「日本人」と非「日本人」を分け、その枠組みでしか世界の関係性を認識しないことによって萌芽する偏見は、あまりに漠然と思考に浸透しすぎているあまり、なかなか払拭できないものである。
本書にもあるように、「在日」朝鮮人を始めとするマイノリティの人々の存在は、凡そ義務教育の範囲内では明確に説明されることはない。マイノリティが各々別個に持っているはずの背景の解説がほとんどなされないまま、ただそのような人々が「どこかにいる」ことだけを我々は知っている。つまり多くの「日本人」にとってのマイノリティとは、「どこかにいる」のは知っているが、自分の身近な範囲には「いない」はずの存在なのである。そうやってマイノリティのことを詳しく知る機会も無いまま、世間に垂れ流されている古びたイメージに遭遇すれば、それは「リアル」なこととして我々に刷り込まれてしまう。我々の持っているあらゆるネガティブなイメージはそこに凝集する。我々は語彙の限りを尽くしてマイノリティを侮辱する。なぜなら彼らは、「ここ」にはいないのだから、反撃される心配など皆無であるからだ。自分とは直接関係の無い、実生活の彼岸に存在する(と思いこんでいる)彼らを攻撃することで、希薄な存在感や孤独の苦しみを安易に払拭しようと試みは容易で、しかも心地よい。それは短絡的で幼稚な発想だが、「日本人」という既成の曖昧模糊としたアイデンティティを漠然と甘受してしまっているため、その発想が形作られる過程には全く論理的思考が存在しないのである。そこに反省は無い。なぜなら悪気など無いからである。
テレビでは連日、北朝鮮や韓国に関するニュースが報道されている。テレビ画面に映し出される一部の過激な外国人を見て、我々は「日本人」として憤り、「国を守るのだ」と息を荒げる。しかしそこに理由を求めた途端に、我々は路頭に迷うことになる。何を守るために、何に怒っていたのか、そんな単純なことすらも分からない自分に気が付くはずなのである。自覚しないうちに獲得し、意味もわからず守り続けてきた「日本人」という「カテゴリー」が拡散し、その先に視野が開けたとき、我々はもっと大きな存在になれるのかもしれない。そういった「カテゴリーを乗り越える者」こそが、真の国際化に耐えうる人材なのではないだろうか。

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紙の本空港にて

2006/11/10 00:49

藁にもすがるしかない人々

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 ぼくたちは現実に絡め取られている。「希望」などという言葉はもう随分前に忘れてしまって、泥道のような毎日に足を沈めながら、ただ黙々と前に進むことだけを目的に今日も生きている。
 短編「空港にて」を読むと、何気なく視界に映る冗長な日常の風景の中に、ぼくたちがどんなに多くの思考を錯綜させているかを気付かされる。その無形の流れの中に差し込まれる過去への追憶と未来への憂慮。ぼくたちは日々に垂れ流している膨大な思いのなかで、もう忘れてしまったはずの「希望」の残骸をまだ探しているのだ。
 暗闇の中で蛍光のようにぽつりぽつりと瞬く希望の予感を伝って、ぼくたちはどうにかここまでやって来た。しかし年を重ねるごとに仄かな光は数を減じ、今にも潰えようとしている。そんな予感だけが闇に香っている。暗中に手を伸ばして作り上げてきた学歴も職業も社会的地位ももはや塗り替えることは出来ない。手の届きそうな光が見あたらない。ただ、いま立っている場所とは違うどこかに行くことだけが唯一の脱出口であるように思える。
 「脱出」という二文字は、当てもなく希望を探す者たちを音も無く暖かく包む。その先に彼らの求めるものがあるのかは定かではないが、そこを目指して進む以外に残された道はない。そうやって新たな希望を求めて進んでいくことで、彼らは不安と同時に束の間の安らぎを得る。進んでいなければ倒れてしまう自転車のような生き方であっても、それは確かに救済なのだ。救いは常に終着点にあるとは限らないのである。
 「空港にて」は、そんな救いを求める人々を切なく、しかし慈悲深く描き出す。ある一瞬のこころの動きを捉える短編なだけに、彼らの姿は読後いつまでも強く印象に残る。たとえ遠い光の先に待っているのが絶望でしかなかったとしても、進むことをやめ日常に埋もれてしまった無思考なぼくたちは、果たして彼らを笑うことができるのだろうか。

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断食って、愛——すがすがしい断食のやり方

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 みなさんは断食をした経験がおありだろうか?
 ここで言う断食とは、別にイスラム教式に乗っ取った厳格なものでなくとも良い。要するに、自分の意志で一定の期間・リズムを保って食を絶つということだ。
 ただし注意すべきは、断食にあたって、「体重を減らしたい」だとか「スリムシェイプを我がものに」だとか、そういう邪な気持ちを持ってはいけないということである。重要なのは、「よーし、断食するぞ」と思い立ち、「食を断つ」という目的のためだけに食を断つ気概である。これが第一ステップ。
 また、あまり無理をしないことも肝要だ。断食をして栄養失調なんてことになっては本末転倒である。断食に際しては、「いつでもやめられる」というフレキシブルな気持ちが大切である。これが第二ステップ。
 最後に、大まかな予定を組む。一次的欲求に対してはなかなか冷静なスケジュールが立てられないだろうから、イスラム教式のスタイルを参考にしても良いだろう。即ち、太陽が空に輝いている間は食事をしない、ということにするとか。これが第三ステップ。
 ここまできたら、後は襲い来る食欲を徹底的に黙殺するのみである。たしかにツラい。ものすごくツラい。自分が胃を持っていることが恨めしくなるぐらいツラい。しかし日が沈み、最初の食事にありついたときの感動は、本当に筆舌に尽くしがたいものがある。ここで焦って固形物をがっついてはいけない。まずは暖かいスープから。優しい温度のスープが乾いた体全体にじっくりと染み渡り……この辺りの感動は本書に詳しいので、ここでは割愛させていただく。
 人間同士の関係性の根底に、食事が及ぼす影響は大きい。人は喰わなければ死ぬ。だから周囲の仲間と協力し、食料を集め、それを一緒に喰う。ときには争い、奪い合うこともある。生きるための関係・生きるための相互依存は、身震いするほど怖ろしく、しかし同時に身震いするほど美しいのである。この一瞬をまた生き延びることができた喜びを、その苦境を共に乗り切った仲間と祝う。それは良くも悪くも人間の真実の姿である。人間が生物である以上逃れられない食事という行為は、人間のもっとも本質的な部分をさらけ出させる。本書には旅情エッセイのおもしろさも、切ないラブストーリーの要素もふんだんに盛り込まれているが、それらの底にあってパンチを効かせているのは、まさに本書の主題となる「断食」だ。年に一月の断食を広く習慣化しているモロッコの人々が、楽しげで幸福溢れる様子で描写されているのを読むと、あながち人間の性善説も間違いではないのかも知れないなどと思ってしまうのである。本書に滔々と綴られる「食を断つ」という行為の魅力は、読者の興味をモロッコに、そして断食に釘付けにする。ああ、モロッコに行ってみたい。そして断食をしてみたい。人々の、あの楽しそうな笑顔といったら!
 断食って、愛です。

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紙の本こんとあき

2006/06/22 21:49

大人だって絵本を読んでもいいじゃないですか

4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 幼いころ、お気に入りの絵本を夢中で何度も眺めていた。まだ字も読めなかったが、母に読み聞かせて貰った記憶を頼りに、艶やかな紙に印刷された心躍る風景を幾多と反復していた。そこには自分の映し身がいた。それを守ってくれる存在がいた。そして彼らを包む優しい世界があった。その世界は完璧だった。始まりと終わりの明確な、完結された世界。小気味よいテンポで反復されるストーリーは、尽きることのない興奮と安堵を交互にもたらしてくれた。そんな絵本の中の空間を離れ、先の見えない世界にしか目を向けなくなってしまったのは、一体いつ頃だっただろうか。
 この絵本のタイトルは、「こんのしっぽ」でもなければ「あきのぼうけん」でもない。「こん」の修理も、「あき」の成長すらも、おそらくこの絵本の本題ではないのではないか。むしろこの物語にとって最も重要なことは、「こん」は「あき」を想い、「あき」は「こん」を想っているという、ただそれだけの事実なのだろう。初めて大人の助けを借りずに乗った電車も、砂丘で出会ったおそろしい野良犬も、旅の目的である優しいおばあちゃんも、あくまで「こん」と「あき」の二人だけの世界を穏やかに完結させるための立て役者に過ぎない。二人の間に相互に流れる、どこまでも純粋で、暖かな想い——このどこまでもシンプルなテーマを、優しく美しい絵で綴った物語。「こん」と「あき」の物語だから、タイトルは「こんとあき」。これ以上の題名は存在し得ないだろう。
 私たちが歩む人生には、残念ながら分かりやすいタイトルはない。これから何が起こるかなど知り得ないし、今まで何をして来たのかすら理解しきれないだろう。そんな永遠にタイトル未定の大長編に疲れたときに、大人だって絵本を読んでもいいじゃないですか。
 つやつやした綺麗な表紙を開けばそこには、今も昔もこれから先も決して変化することのない完結された優しい世界が、いつでも私たちを待ってくれている。そんなとき、へとへとになって困り顔の私たちに向かって、無表情だが妙に人間くさい狐の人形はきっとこう言ってくれるのだろう。「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と。

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紙の本モロッコで断食

2006/06/22 21:48

大人だって絵本を読んでもいいじゃないですか

1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 幼いころ、お気に入りの絵本を夢中で何度も眺めていた。まだ字も読めなかったが、母に読み聞かせて貰った記憶を頼りに、艶やかな紙に印刷された心躍る風景を幾多と反復していた。そこには自分の映し身がいた。それを守ってくれる存在がいた。そして彼らを包む優しい世界があった。その世界は完璧だった。始まりと終わりの明確な、完結された世界。小気味よいテンポで反復されるストーリーは、尽きることのない興奮と安堵を交互にもたらしてくれた。そんな絵本の中の空間を離れ、先の見えない世界にしか目を向けなくなってしまったのは、一体いつ頃だっただろうか。
 この絵本のタイトルは、「こんのしっぽ」でもなければ「あきのぼうけん」でもない。「こん」の修理も、「あき」の成長すらも、おそらくこの絵本の本題ではないのではないか。むしろこの物語にとって最も重要なことは、「こん」は「あき」を想い、「あき」は「こん」を想っているという、ただそれだけの事実なのだろう。初めて大人の助けを借りずに乗った電車も、砂丘で出会ったおそろしい野良犬も、旅の目的である優しいおばあちゃんも、あくまで「こん」と「あき」の二人だけの世界を穏やかに完結させるための立て役者に過ぎない。二人の間に相互に流れる、どこまでも純粋で、暖かな想い——このどこまでもシンプルなテーマを、優しく美しい絵で綴った物語。「こん」と「あき」の物語だから、タイトルは「こんとあき」。これ以上の題名は存在し得ないだろう。
 私たちが歩む人生には、残念ながら分かりやすいタイトルはない。これから何が起こるかなど知り得ないし、今まで何をして来たのかすら理解しきれないだろう。そんな永遠にタイトル未定の大長編に疲れたときに、大人だって絵本を読んでもいいじゃないですか。
 つやつやした綺麗な表紙を開けばそこには、今も昔もこれから先も決して変化することのない完結された優しい世界が、いつでも私たちを待ってくれている。そんなとき、へとへとになって困り顔の私たちに向かって、無表情だが妙に人間くさい狐の人形はきっとこう言ってくれるのだろう。「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と。

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