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芦原直也さんのレビュー一覧

投稿者:芦原直也

2 件中 1 件~ 2 件を表示

小説家志望に読んで欲しい本

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

この小説は素晴らしい。茂木健一郎も手放しで褒めていたが、私も今まで読んだ中で最高点を与えたい。もしこの小説を模倣したとして、その作品は決して文芸趣味に浸った小説にはなるまい。何故なら、この小説には文芸趣味的なネガティブで無意味な観念が全く無いからだ。書評家の豊崎氏はソルジェニーツィンの『収容所群島』を「ルサンチマンが無い」と評していた。たしかに、ソルジェニーツィンの文章からは、我が身を正当化しようとして相手を貶めようとする思想が全く感じられない。地獄のようなラーゲル(刑務所)の日々を楽天的に描いているのである。特に食事時の描写は秀逸である。自分の食い扶持を増やそうと、皿を1つ余計にとって数をごまかしたり、スープの具を少しでも取ろうとナベの中を穴が開くほど見つめたりする様子からは、必死さと滑稽さが同時に伝わってくる。生きることの素晴らしさを、食事の様子を読んで感じてしまうのは今まで一度も無かった。
もし、同じ題材を文芸趣味に浸った人間が書けば、スープをいかに多く取るか、作業現場でブロックをいかに効率的に組むかなんて描写は書かず、自分がラーゲルに入ったことの不条理について延々と書くだろう。そんな作品は必ず駄作となる。もちろん、不条理を書くのは文学上重要なテーマだ。カミュ『ペスト』は不条理ばかりを書いている。ただし、それを意識して書くのは非常に危ない橋を渡ることなのだ。不条理というステロタイプにはまってしまう。そうなれば、その作品からは作者の持つオリジナルな感情や思想をまったく含まなくなる。オリジナリティの無い小説の何が良いだろうか?
小説は、地に足をつけて書くべきである。ソルジェニーツィンは、その見本となる小説を書いている。必読である。

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紙の本レキシントンの幽霊

2006/10/28 23:10

対話的な孤独

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

最近映画化された「トニー滝谷」という短編小説や、中高生向けの集団読書テキストとして単体で出版されている「沈黙」などの秀作が収録されている短編集。『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』や『ねじ巻き鳥クロニクル』のような壮大な世界観は無いが、短編小説という形式の特性を活かした、「奇妙な余韻」を体験することができる。
私は小学生の頃からの村上ファンであるが、最も好きな作品は何かと訊かれたら本書を推す。中学生の頃に読んで以来、もう何十回再読したか分からない。「奇妙な余韻」に病みつきになってしまうのである。
それほどの魅力がどこにあるのか、各作品を簡単に紹介しながら自分なりに説明したい。
本書には7編の短編小説が収録されている。友人のケイシーに留守番を頼まれた「僕」がその夜に体験した怪談「レキシントンの幽霊」、突然現れた緑色の獣に求婚される女の話である「緑色の獣」、ある事件をきっかけに狡猾な同級生に追い詰められていく高校生の話である「沈黙」、氷男と出会い結婚した女の話「氷男」、画家のトニー滝谷の人生を追う「トニー滝谷」、子供の頃に体験した津波のトラウマを語る「七番目の男」、めくらやなぎという架空のおとぎ話を作る女との思い出を回想する「僕」の話「めくらやなぎと、眠る女」
これらの作品には共通して「不安と孤独」が表現されている。しかし一方で、それぞれが訴える孤独は異なる方向性を持っている。例えば、「レキシントンの幽霊」のケイシーは失ってしまった人や過去に執着しているのに対し、「トニー滝谷」のトニーはそれらへの重圧に耐えきれず最終的には思い出さえも失ってしまう。詳しくは実際に読んでみることをオススメするが、過去に対してどのような感情を抱いているか、彼を孤独にさせているのは何かに着目すると、これらの作品それぞれの性質の違いが分かるだろう。
このように、この短編集は共通のテーマを抱えているのに異なる性質を持つ小説が収録されていることに魅力があるのである。おそらく村上春樹自身もそれを自覚していて、あとがきにも『書いているときは、とくに深く考えもせずに、書きたいことを書きたいように書いていただけなのだが、こうして年代順に並べてまとめて読んでみると、それなりに自分では「なるほど」と思うものはあった。ひとつの気持ちの流れの反映であったのだなと思った。あくまでも自分ではということだが。』と書いている。
私は本書の多様な孤独を表現している点を「対話的な孤独」と名付けたい。孤独を表現するのはおよそモノローグ的な表現になりがちであるが、本書では孤独が表現されていながらも、作品ごとの差異が短編集という編集形式によって強調されている。私にはこの差異の強調が、作品相互のコミュニケーションとして機能しているように感じてしまうのである。
自分は孤独だと思う時は誰にでもある。しかしその孤独さに対して自分がどのように向き合っているかを知る人は少ないのでは無いだろうか。私が何度も本書を読み返してしまうのは、自分は孤独とどのように向き合っているかを理解し、表現したいと思うからなのではないかと思う。
そう、「七番目の男」が百物語のように語り継いでいく体験談の1エピソードであったように、私は本書に8番目の物語を付け加えたいと感じているのだ。それこそが、冒頭に述べた「奇妙な余韻」の正体なのである。

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