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先月(2017年8月)

西脇信一さんのレビュー一覧

投稿者:西脇信一

1 件中 1 件~ 1 件を表示

孤高の画家・鈴木清一の作品と生涯

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

もう随分まえのことだが、神戸のサンテレビの特集番組でこの画家が紹介されたのを見たことがある。非常に印象に残る番組だったのでよく覚えている。先日書店でこの本を見つけ走り読みすると確かにあのときの画家だった。さっそく購入して読んでみると今まで知らなかったことが緻密に調べて書かれている。鈴木清一という画家は、東京美術学校研究科を出て、なんと帝展に連続12回入選し新文展の無鑑査というすごい画家だった。神戸の小磯良平ならだれでも知っているが、小磯らと神戸で活躍した画家が何故無名のまま生涯を終わったのか。その理由は戦争にあった。戦前、兵庫県美術家連盟の中心人物として活躍していた鈴木清一は、太平洋戦争が始まると、大政翼賛会の文化活動の一翼を担うようになる。戦争と文化活動とがどういう関係にあるのか最初は理解できなかったが、鈴木清一の考えは日本という国が世界に名をはせるならば、芸術文化の分野でもそのレベルの高さを標榜しなければならないと思ったのだ。美術教育をはじめ、文化財の鑑賞から日常生活で使用するもの(着物、暖簾、テーブルクロスなど)まで、兵庫県翼賛文化連盟の長として東奔西走する。ところが敗戦とともに公職追放の嵐が吹き荒れたとき、すべての責任をとって潔く画壇から去る。それ以来、鈴木清一という画家の名前は忘れられてしまったのだ。この話を読んだとき、レオナルド・フジタのことを思い出した。これもテレビで見たのだが、フジタも鈴木も同じ境遇にさらされていたのだ。フジタはパリへ移住したが、鈴木は神戸にとどまり、私学の美術教師やこども絵画教室をしながら、亡くなる直前まで創作活動を続けた。さいわい戦火から免れた作品も多く、遺族の方が10年ほど前に回顧展を開催されたところ、大変な盛況だったという。大きく報道したマスコミもあった。この反響をきっかけに、清一の三男・鈴木耕三氏は5年がかりで資料を渉猟し、ここに貴重な記録を残された。私は美術の専門家ではないのでよく知らないが、美術史の中でこのような現実を書いているものが他にあるのだろうか。この書物が、戦前・戦中の美術界の知られざる状況を根気よく掘り出したとすれば、その資料的価値はきわめて大きいといえる。口絵として70点余りの作品がカラーで紹介されているが、なんとなく印象派のようなやさしい雰囲気に心がなごむ。それもそのはず、鈴木は黒田清輝の弟子だったのだ。身近な花・生物・風景などが、気品あふれるタッチで描かれ、見飽きることがない。学芸員などの専門家に限らず、日曜美術家・美術愛好家にもたいへん参考になる1冊。労作とはこういう書物をいうのだろう。

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