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  3. 石曽根康一さんのレビュー一覧

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先月(2017年6月)

石曽根康一さんのレビュー一覧

投稿者:石曽根康一

54 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本村上春樹

2007/07/11 01:21

豊潤な物語(あるいは小説)たち

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

この本には、
「シドニーのグリーン・ストリート」
「カンガルー日和」
「鏡」
「とんがり焼きの盛衰」
「かいつぶり」
「踊る小人」
「鉛筆削り(あるいは幸運としての渡辺昇1)」
「タイム・マシーン(あるいは幸運としての渡辺昇2)」
「ドーナツ化」
「ことわざ」
「牛乳」
「インド屋さん」
「もしょもしょ」
「真っ赤な芥子」
「緑色の獣」
「沈黙」
「かえるくん、東京を救う」
が収められている。
ごく短い「超短編」と言う感じのものから、
まあまあ長い、「ふつうの短編」と言った感じのものまである。
読んでいる途中で、笑ってしまったり、ぞっとしたり、なんともいえない気分になったり、
読書をしてこんなに色々な心の動きを経験したのは久しぶりで、
それは僕にとってとてもうれしいことだった。
「かえるくんのいる場所」というあとがきも収められていて、その中で、各作品に対する村上さんのコメントがあるのもうれしい。
物語(小説のといってもいいけど)にできることをこんなに豊潤に感じられたのは本当にうれしいです。
すばらしい!!

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紙の本ウンベルト・サバ詩集

2009/04/03 14:50

図書館で本を借りるということ(『ウンベルト・サバ詩集』を読んで)

9人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ここ最近、低調な日々が続いている。
春だ。桜も咲き始めている。風もだんだんと暖かくなってきた。そして僕の心は沈んでいる。
行くべきところがない。会うべき人がいない。
仕方なく、僕はほとんど毎日、図書館に足を運ぶ。
図書館は、家から歩いて十分くらいのところにある。これは、僕にとっては幸運なのだ。
図書館ができたのは、僕が予備校のころか、大学一、二年のころだったと思う。
それまでは、僕にとって図書館といえば、学校の図書室であり、大学の図書館だった。
たしかにそのころは、一週間のほとんどを学校あるいは大学に通っていたのだから、家の近所に図書館がなくても、困らなかったのだ。それに予備校のときは、ほとんど勉強以外の本は読まなかったし。
しかし大学を卒業して、たまに短期のアルバイトをする以外に行くべき場所もない僕にとって、いつのまにか近所に図書館ができていたことはラッキーとしかいいようがないことだ。
図書館で本を借りるということには、いい面とあまりよくない面がある。
それは、コインの裏と表のようなものなのだが、借りて、つまらなかったら、すぐに返せばいいし、逆に言えば、何ヶ月もあるいは一年くらい時間をかけてじっくりと一冊の本と向き合うことができない、ということだ。
たとえば、僕にとってはジョイスの『ユリシーズ』。集英社ヘリテイジシリーズの『ユリシーズ1』を読み終わったのは、去年の五月。しかし、今、しおりが挟んであるのは、『ユリシーズ3』の三分の二を終えたくらいの場所。つまり、集英社ヘリテイジシリーズでは『ユリシーズ』は全部で四巻だから、このペースで行けば、たぶん『ユリシーズ』という一冊の書物を読み終えるのに、一年以上はかかるだろう。これは、毎日少しずつ読む、ということではなく、少し読んでは、他の読みやすい小説を読む、ということを意味している。つまり、だいたい僕は月に十冊前後は本を読むのだが、それら十冊の合間、合間に『ユリシーズ』を少しずつ、鍾乳洞ができるくらいのスピードで読んでいる、ということだ。
図書館で本を借りる場合、こういったことはできない。しかし、書架をぶらぶらと歩いて、なんとなく気になった本が、自分にとってすごく大切な本になることもある。
この、『ウンベルト・サバ詩集』がたとえば、そうだ。この本は図書館で何気なく手に取った。そう、何気なく。ぱらぱらとページをめくってみて、なかなかよさそうだったので、借りた。そして、家に帰って読み進めるうちに、これは、自分にとって大切な本だということが分かった。
この詩集の中で、トリエステという町が一つの大切なポイントだと思う。トリエステ、といえば、一時期、ジョイスも滞在していた場所だ。僕はパソコンの電源を入れ、グーグルマップで、トリエステの場所を確認した。
思うのだが、僕の「書評」は自分のことについてばかり書いていて、本についての紹介にちっともなっていない気がする。それもまた、ゆううつなことだ。しかし、この詩集について、少し説明を加えるならば、現代日本の「現代詩」の陥穽からはひどく遠ざかった、平明で誰にでも分かる言葉で書かれた詩だ、ということはつけ加えるべきだろう。僕はトイレに行くとき、村上春樹翻訳ライブラリーの中のカーヴァーの詩集を手に持って行く。そして、トイレの中で詩を一つ、二つ、読む。カーヴァーの詩のファンはたくさんいると思うが、あなたが、もしそうであるならば、この『ウンベルト・サバ詩集』も読んでみることをおすすめする。カーヴァーの詩の言葉の平明さ、とかなり近い平明さで書かれている。それは、現代日本の頭で作ったような「現代詩」とはまったく違って、もっと一人一人の個人によりそった、愛の詩、喪失の詩、嘆きの詩、郷愁の詩、そして、矜持としての詩である。
図書館から借りて、すごく気に入った本はできるだけ、bk1で買うことにしている。
この『ウンベルト・サバ詩集』が僕の中でそのリストの一位になった、ということで、僕のこの詩集に対する思いが伝わるだろうか。春はゆううつな季節だ。その心情にサバの詩はそっと寄り添う。

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紙の本芝生の復讐

2008/04/14 17:57

「こういう書き方もあったのか!」

10人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

bk1に書評を書くのはひさしぶりである。
この間、僕には色々と変化があった。
ブログをやめたり、また、再開したり。
慶應の通信に入学したり、一年でやめたり。
そんなこんながあって、bk1に書評を書くということをすっかり忘れていた。


さて、『芝生の復讐』という本。
著者のリチャード・ブローティガンについては、前々から耳にはしていた。『アメリカの鱒釣り』という作品とセットで。
僕の家の近所の本屋さんに『アメリカの鱒釣り』があって、もう一年以上はあるのだが、ずっと売れ残っている。しかし、僕はずっと『アメリカの鱒釣り』および、リチャード・ブローティガンについて頭の片隅で考えていた。「どんな本なんだろう?」「どういう小説なんだろう?」
たまにその本屋さんに歩いていって、『アメリカの鱒釣り』をぱらぱらと立ち読みしてみたりもした。
「村上春樹さんも影響を受けたらしい」という話をどこかからか仕入れてきたりもした。

僕は新潮社の新刊のお知らせのメールマガジンを購読しているのだが、2008年4月にリチャード・ブローティガンの短編集『芝生の復讐』が出る、ということが載っていた。
僕は個人的に「長編」というものに対して、苦手意識を持っていて、たとえば、去年ブレイクした、『カラマーゾフの兄弟』も第二巻の途中で挫折した。
「リチャード・ブローティガンの短編集」という僕にとってこの上ない取り合わせに、メールマガジンを読んでから、4月1日が来るのが待ち遠しかった。
そして、買って読んでみた。
一言で感想を言うなら、「これはすごい!」
僕はそれほど量を読む方ではないが、でもそれなりに本は読んでいる。
でも、ここに書かれているようなものは、今までに読んだことがない。
『芝生の復讐』の中には著者の自伝的な要素が濃厚である(と思われる)短編も入っていて、20世紀前半から中盤の「アメリカ」という国で暮らしていたある個人の「メモワール」というような意味合いも兼ねていると思う。

僕は10代の後半にヘミングウェイの短編を読んで大きな衝撃を受けた。
「こういう書き方もできるのか!」それ以来、ヘミングウェイの文体が大好きになった。
そして、今、20代中盤の僕はリチャード・ブローティガンの『芝生の復讐』を読んで、またもや、衝撃を受けた。
「こういう書き方もできるのか!」
ぜひ、『アメリカの鱒釣り』も買って読んでみたいと思う。
その近所の本屋に『アメリカの鱒釣り』があって、一年以上売れ残っているのは、きっとあの本が僕に対して「買って読んで、買って読んで」と言っているからなのではないかとも思う。

最後に、解説でこの本の訳者の藤本和子さんの功績について書かれている。『アメリカの鱒釣り』の訳もこの方なのだが、それについては、柴田元幸さんも絶賛していた。日本文学は翻訳されれば「外国文学」でもある。同様に日本語に訳された外国文学は、「日本文学」でもある。その意味で、すぐれた翻訳者というのは、その言語圏の文学にとって大きな「貢献者」である。藤本さんは個人的にリチャード・ブローティガンと交友があったようなのだが、彼女の訳もすばらしいと思う。僕は英語はさっぱり分からないのだが、『芝生の復讐』に書かれている日本語は、ちゃんと「文学している」と思う。

ひさしぶりにbk1に書評を書いた。思ったより長くなった。色々と自分の中に書きたいことが溜まっていたんだと思う。また、読んで面白かった本があれば、ここに書評を書きたいと思う。
ああ、『アメリカの鱒釣り』も買って読もう!

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「フランケンシュタイン」を通して小説の読み方を知る

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

実を言うと、最近bk1に書評を書くのがなかなか思うようにいかなかった。
bk1の書評はいわば、本屋さんのポップのような存在だから、つまらない本に対して、「つまらない」ということは、はばかられる。それに、面白いと思っても、その面白さがなかなか言葉にならない場合も書評は書けない。そんなもどかしさがあって、なかなか書けなかった。
本書は、2005年に発行された本である。
「フランケンシュタイン」という多くの人が名前は聞いたことがあるであろう書物を題材に数々の批評理論というものを概説している。
実は、僕も読むまでは「フランケンシュタイン」というのは、出てくる怪物の名前だと思っていた。でも実は違います。
この本は、前半は「小説技法篇」、後半は「批評理論篇」となっている。前半では、批評理論以前の小説の読み方として、「冒頭」、「語り手」、「焦点化」などのキーワードをもとに「フランケンシュタイン」を読み解いていく。これを読むまで、僕は、「ストーリー」と「プロット」の違いなんて知らなかった!
「語り手」の部分では、いわゆる「信頼できない語り手」なども説明される。この前半部分を読むだけで、これからの、小説の読み方が深くなることは間違いなし!
後半は、批評理論が概観されている。といっても新書だからそんなに専門的にだらだらと議論されているわけではない。そのボリュームが僕にとってはちょうどよく、この本は僕の座右の書といってもいい。
後半の目次は、「伝統的批評」、「ジャンル批評」、「読者反応批評」など。
ただこの本は、批評理論さえあれば、小説は読みこなせるといういわば、「批評理論万能主義」に陥ってはいない。
著者はこう書いている。
〈「読む」ということの土台として、読者の印象や直感が大切であることには変わりはない〉(ⅱ頁)。
その意味でこの本は非常に信頼できる本である。
小説愛好者の方々、ぜひ、ご一読あれ!

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紙の本びっくり先進国ドイツ

2007/01/24 20:59

ドイツに興味のある人注目〜!!

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「ねえ、リエって第二外国語何にした?」
「チャイ語」
「ユリは?」
「フランス語」
「いすみんは?」
「インドネシア語」
「孝太は?」
「ドイツ語」
そんなわけで、わたしは、大学時代に第二外国語としてドイツ語を選びまして、ヨーロッパの中では、比較的ドイツに興味があるのでございます(最近はフランスの文学にも興味がありますが、それはまた別の機会に)。
ドイツ語を選んだ理由。ゲーテとか、シラーとか、ヘッセとか、知ってる文学者が多かったからかなあ。でも、あんまり明確な理由ってないよ。
この本は、ドイツに住んで16年になるジャーナリストである熊谷徹さんが現在のドイツについて平易に述べたレポートである。
自分の祖国を知るためには、他の国を知る必要があるのではないだろうか。そこから、比較・検討を通じて、自国のいいところ・悪いところ、他国のいいところ・悪いところが分かってくるのではないか。その意味で、鎖国してはならないのである。
この本の中で熊谷さんは、ドイツの社会経済制度から、政治のこと、ドイツ人の「国民性」、ドイツ人の文化などを紹介している。
短い項目がたくさんあるので、気軽に読み始められる。
腰をすえて、ドイツの歴史的な経緯やドイツが輩出した思想家の思想史的な遍歴などを知りたい向きには、他の本を当たってもらった方がいいだろう。
しかし、意外に歴史の真実というものは、「今、現在」の名もなき人々の日々の生活にあるものである。
その意味でこの本は、2000年代初頭のドイツ社会を活写した本として一定の歴史的意味合いを持つだろう。
著者が書いたイラストもかわいらしくて、親しみやすい。
ぼくも死ぬ前には、一回くらいはドイツに行って、ウインナーを食べてビールを飲みたいと思った。
ドイツ語の勉強も少しずつ再開しようかな。

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坂口安吾を読もう

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

『堕落論』。ぼくは、高校生のとき、国語の担当教諭だった人が、授業中にふともらした言葉で、その存在を知った。
書店で、探してみると、『堕落論』(新潮文庫)を発見。さっそく購入。
で、「堕落論」を読んでみる。
今までにぼくが読んだことのない言葉の連なりがそこにあった。
「日本文化私観」とともに、大学時代文学を離れたぼくの脳の奥底に、坂口安吾の強烈な言葉は息をひそめて、息づいていた。
大学も卒業して、再び文学に興味を持ち始めた僕が、書店で、偶然見つけたのが、この本。
坂口安吾の著作の中から、「生」、「恋愛」などテーマごとに短い文が抜粋されて紹介されている。
読んでみて、やっぱり、坂口安吾は坂口安吾以外ではありえないのだということを実感。
引き込まれるようにして読んだ。
各々の文章は短いので、今まで、坂口安吾の文章を読んだことのない人にもお勧めできる。
安吾ファンには「あーそうだよ。こういうこと安吾は、言ってたよなー」と、あらためて、安吾の言葉に魅せられるだろう。
安吾入門、あるいは、安吾を再び味わうために、お勧めする。
ぼくも、『堕落論』以外の安吾の著作を読んでみたいと思った。
日本文学に、坂口安吾という存在がいたことは、本当に、よかったと思う。

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紙の本若い読者のための短編小説案内

2007/01/19 21:11

ムラカミさんを通して読む戦後日本語短編のいくつか

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

村上春樹さんが、主に、「第三の新人」と呼ばれる作家たちの短編小説を読み込んでいく作品。
紹介されている短編小説は、
吉行淳之介「水の畔り」
小島信夫「馬」
安岡章太郎「ガラスの靴」
庄野潤三「静物」
丸谷才一「樹影譚」
長谷川四郎「阿久正の話」
村上さんの読み方は、丁寧かつ深い。
小説というものをここまで深く読むことができるのかと驚嘆させられる。
村上さんの読み方を辿っていくうちに、自分の小説の読み方まで影響を受けそうな気もする。
この本は、単なる、「短編小説の紹介」ではない。
「紹介」の中に、村上春樹という作家の匂いが色濃くしみこんでいる。
本文だけではなく、「文庫本のための序文」や「まずはじめに」を読むと、村上春樹さんの作家としての考え方も分かり、興味深い。特に、小説を書いている人には、もっと興味深いだろう。
「付録 読書の手引き」も丁寧に作られている。
全体的に、丁寧に作られた本で、非常に好感が持てる。
お奨めできます。

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ひきこもるべし!!

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「思想界の巨人」吉本隆明さんが語ったことを文字に起こした本。なので、とても読みやすい。
「ひきこもり」を中心として、そこから話は膨らんでいく。
学校、会社、家庭での「偽の厳粛」。
ひきこもることの大切さ。
とにかく、読みやすい本なので、多くの人に読んでもらいたい。
共感できるところとできないところはあるかもしれないが、それも含めて、議論のたたき台とすべし。
戦中派の含蓄のようなものが感じられる。
ひきこもるべし!!

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一握の砂

2009/04/23 01:39

短歌、この短い形式。

5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

この文庫の帯には「本邦初!初版本の体裁〈二首一頁、四首見開き〉が文庫で読める!」と書いてある。どうやら文庫でこの体裁で読めるのは日本で初めてらしい。
僕は高校生のときに新潮文庫で啄木の歌集を読んだ。おぼろげな記憶しかないが、高校の教科書で次の歌を読んだからだ。
「不来方のお城の草に寝ころびて
 空に吸われし
 十五の心」
この歌は深く僕の共感を呼んだ。テレビのヴァラエティー番組の「あるあるネタ」なんて軽薄なものではなくて、もっと深い共感。
僕は中高一貫校に入学したのだが、中学卒業・高校入学が一つの分かれ目だったと思う。僕の中学時代は比較的中学生らしいものだった。僕は卓球部に所属していて、部活の仲間の家に遊びに行ったり、県の予選のために練習したり、比較的活発に過ごしていた。
もちろん直線で区切るみたいにスパッと切れるわけではないが、中学卒業・高校入学の頃から僕はだんだんとおかしくなっていった。まあ、思春期とはそういうものなのかもしれないが、何に対しても反抗してやりたかった。だけど、誰ともつるみたくはなかった。わけもなくイライラして、家のべランドのコンクリートを拳で思い切り叩いたりもした。部活もやめた。そうすると一気に人間関係が失われて、僕は学校で孤立した。
今となればそのとき、僕に救いの手を差し伸べようとしたK本という人物がいたことは、僕にとってはありがたかったかもしれない。彼は高校になっても卓球部を続けていて、自分がクラスの中でつらい目に会うという経験をしながらも、帰りの電車でまったく口を開こうとしない僕に色々と話しかけてくれた。
太宰治を知ったのもその頃で、僕は行きの電車で突然「反逆の旗揚げだ!」と思い、「反逆の旗揚げ!反逆の旗揚げ!」と頭の中でその言葉が響き渡ったのを覚えている。
「不来方のお城の草に寝ころびて
 空に吸われし
 十五の心」
そうだ、勉強なんてクソくらえ。啄木だってそうだったんだ。僕だって……。高校時代、僕は毎日のように遅刻して行き、勉強はせず、テストは赤点。学年で一番下の成績を取ったこともあった。
今にして思えば、こういう僕の高校時代が今の僕につながっているのかもしれない。大学時代、3年になり、就職課という明らかに僕にとっては違和感のある部署の「説明会」に参加し、リクナビだの、日経ナビだのに登録し、「合同企業説明会」に参加した日々。僕は全然本気じゃなかった。心、ここにあらずだった。大学のときもほとんど友人はできなかったから、ただ雰囲気に乗って、スーツを着、革靴を履いただけ。結局、就職はせず、もう大学を卒業してから3年が経った。
ずっと僕の中で生きていたのだ。啄木や太宰が。もし僕が高校のとき、啄木と太宰に出会わなかったら?僕はそんな恐ろしいことを想像することができない。啄木は26で死んでいる。僕は、今、26だ。現代の若手作家とは違い、社会についても考察した啄木(という言い方はよくないかもしれないが、若手作家の座談会などを読むと、本当に文学のことしか話していなくて、びっくりする、というか恐ろしい)。
僕も思う。もしかしたら文学はインテリのものなのかもしれないと。
しかし、成就せずとも、啄木、太宰を読むことはできる。
〈彼らと会話することもできる〉
ぜひ、啄木と〈会話〉してほしい。この才能あふれる詩人の作品に耳を傾けてみてほしい。

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紙の本0マン 2

2007/04/10 21:51

手塚治虫のSF冒険活劇

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「0マン」(ゼロマン)が登場するマンガです
もちろん、「0マン」は架空の人物です。
この物語には、様々な手塚治虫の考えが詰め込まれています。
色々な現実にはない機械だったり、
人間の欲深さだったり、
人間のずるさだったり。
そういうものが、ぎゅっと詰め込まれています。
マンガを一応書いたことのある人間としてみると、
「よくもまあ、こんな大人数を登場させて、話をうまくもっていったな」と物語の進め方に、感嘆するばかりです。
やはり、マンガの神様だなと思わずにはいられません。
このマンガは、『週刊少年サンデー』に連載されたものだそうで、やはり、少し子ども向きというか、少年漫画っぽい側面を備えています。
あと、漫画のテンポが速くて、次から次へと場面転換が行われ、少し、めまぐるしいと感じるくらいです。
また、少し、都合がよすぎると見えないところもないではありません。
しかし、最後まで読めば、手塚治虫の他の作品とも響きあうテーマが提示され、年少者でなくても、それなりの満足感を得られると思います。
「SF冒険活劇」のようなものを読みたい方には、ぜひ、おすすめします。
ちなみに、これは、第2巻で、完結編なので、第1巻から読んでみてください。

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紙の本夢を与える

2007/02/16 13:47

「夢を与えた」ある女の子の物語

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

綿矢さんの本は実は、初めて読んだ。
『インストール』も『蹴りたい背中』も読まなかった。
理由は?
自分でもよく分からないのだが、小説を書くものとして、彼女に対して、ライバル意識があったのかもしれない。
でも今回はそんなこと関係なく、読んでみた。
なんとなく伝え聞いたところによると、芸能界の中でのあるアイドルの話らしい。
読んでみて、最初の方に少し戸惑いを覚えるが、
最後まで読んで、この最初の冒頭部分がなぜなければならないのか、納得。うまく考えられています。
小説を書いているという立場から見ると、なかなか「男には書けないだろうな」と思わせる心理描写や風景描写がところどころに光っていて、そのとき、本から目を離せば、余韻に浸ることができる。
中盤あたりからは、ジェットコースターに乗っているように勢いがついてきて、どんどん読ませる。
それにしても、テレビの収録の場面などは、描写が細かくて、よくここまで書けるなと感心する。テレビ関係者に取材したのだろうか?そうでなければかけそうにないと思わせるくらい、かなりリアリティがある。
ただ、この物語のある部分はリアリティはなくて、でもそれは、この本の「欠点」ではなくて、この物語が、「フィクション」であることを際立たせるという意味で、有効に機能していると思う。
その意味で、小説を書く場合、全てのことにリアリティを持たせる必要はなく、少し、スパイスとして、リアリティのない要素を入れることによって、物語が、「仮構」として、よりはっきりと立ち上がるということを、この本は教えてくれた。

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思想の批判的継承によって「現代の哲学」を

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

小浜逸郎さんの本を読むのは、
『「責任」はだれにあるのか』(PHP新書)以来、二冊目。
今回の本を手に取った理由は、まあ、
直接的なタイトルにある。
こんなこと書かれたら、読まないわけにはいかないじゃないですか!
以下の単語に興味のある人は、読んでみた方がいいかも。
・中島義道…(この人については、小浜さんは、けっこう、色々なことを書いています。中島さんの反論も予想しながら書いているところに小浜さんの議論の深みがあり。中島さんの反論も聞いてみたいが)
・ソクラテス(またはプラトン)…基本的に小浜さんはこの二人の考え方のある部分は評価しながらもある部分は批判する。個人的には、ソクラテスには興味があるので、おもしろく読めた。
・ハイデガー…ぼくは、ハイデガーの著作は一冊も読んだことがないが、彼が言っていたことをこの本を読むことによって、一部分は理解できたような気がする。小浜さんが、ハイデガーの思想を批判的に継承することによって、ハイデガーの思想そのものがなんであるのかが、少し分かるという仕掛けになっている。
でもまあ、この本は、上記の言葉に反応しない、というか、「そんな難しいこと知らない(わかんない)」という人も読んでみることをおすすめする。小浜さんは、「ふつうの人」の観点からその思想を組み立てているからだ。この本は、「ふつうの人」が読むべきなのかもしれない。

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紙の本たまには、時事ネタ

2007/01/22 22:59

真っ当な意見の持ち主「斎藤美奈子」

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

『婦人公論』で、連載中のコラムを一冊にまとめたもの。
この本には、2001年5月22日号から2006年12月22日・2007年1月7日合併号までのものが収録されている。
斎藤美奈子さんは「正論」を吐く人である(雑誌の方ではなくて)。
たとえば、なぜ近年他分野から文学へ参入する人が多いのかという、『ニッポンの小説 百年の孤独』(高橋源一郎)では謎であった現象の理由を明解に、説得力を持って示してくれる(「文学の世界もとらばーゆの時代?」)。
また、梅原猛さんの『クローン人間ナマシマ』という狂言を「トンデモ系の与太話」と斬って捨てる(「新作狂言は科学のセンスも室町時代並み?」)。
斎藤さんが書いていることはごく真っ当なことなのである。
それなのに、斎藤さんが書くということにためらいや変な圧力を感じるのは、日本社会のほうがおかしいからなのである。
これからも、斎藤さんには、日本文学、日本社会の変なところについて、正論を吐いていただきたい。
みなさんも、斎藤美奈子さんの本をもっと読みましょう。

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『短編小説のアメリカ52講義』を読んで

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

この本は、2008年9月20日に読み終わった。多少の感想なども日記に残っていて
それを元にbk1に「書評」として紹介文を送ってみる。

この本はアメリカの短編小説の世界をコンパクトにまとめた本であると同時に、
出版やそれに携わる人たちの雰囲気も伝わってきておもしろかった。
また、小説を書いている人間にとっては、いろいろと考えさせられることも書いてあった。
(そもそも短編とは何か?……短編と長編の違いとは?……創作科ってどんなところ?
……創作科に意味はあるのか?)
これらの問いに青山氏が直接答えるわけではないけれども、作家や評論家の各々の考え方が、
ふんだんに引用されていて楽しめる。
僕がこの本を読んだ当時、一番興味を持ったのは、「小説を書くことは教えられるのか?(
逆に言えば、教わることができるのか?)」ということである。
これについても、肯定、否定の両方の意見が紹介されている。その中で、80年代に入ってから、
ベテラン作家たちから巻き起こった「創作科批判」がとくに興味深かった、というか、
どちらかといえば、僕はこちらの意見に近いかな、と日記には書いてある。

2008年9月20日からすでに4ヶ月以上が経っているわけで、
僕もその間に40冊くらいは本を読んだ。その中には創作科について触れているものもあって、
僕はこのテーマをより複眼的に見ることができるようになっていると思う。
また、いくつかの本が示唆する「長編を書かないと本物の作家とはいい難い」という(あるいは
出版界の)考え方に対して青山氏があまり肯定的ではないと読み取れるところにも好感がもてた、
と僕は日記に書いている。
ひとつの例から話を膨らませるのはおおよそ科学的ではないが、示唆させる例として、村上春樹
の『神の子どもたちはみな踊る』の中の「蜂蜜パイ」を挙げることができるだろう。
この小説の中で、主人公の淳平は編集者から長編小説の執筆をすすめられる。このように、日本に
おいても、短編だけでは作家として物足りないと見なされる傾向があるのかもしれない。

個人的に僕は500枚、1000枚といった長編を書いたことがない。
もっとも長いものは以前、「文藝」に送った「「河童」」という小説で、これは約200枚だった。
しかし、去年締め切りで、2009年2月14日に一次選考通過者が発表になった、
第25回太宰治賞に送った「雨の中の野良猫たち」という約100枚の小説を書き終わったときに、
僕はある程度の長さだからできることがある、ということを発見した。
しかし、そのある程度の長さだからできることがある、ということを発見しても、僕は、
どちらかといえば、長編より、短編が好きであり、同じような思いを抱いている方が
いらっしゃったら、この青山氏の『短編小説のアメリカ 52講』をご一読されることをおすすめする。
もしかしたら、短編とは何か?という定義は作家や評論家の数だけある、といってしまっても、
いいかもしれない。(たとえば、カポーティの「ティファニーで朝食を」は短編として紹介
されているのを見たことがあるが、数えてみると、この小説は400字詰め換算で200枚以上ある)。
しかし、短編は必ずしも長編よりも劣っているわけではなく、
それはそれとして、価値のあるものだ、という考えを今の僕が抱いているのも、
この本を読んだ影響かもしれない。

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紙の本滝への新しい小径

2009/01/23 13:10

むき出しの生/むき出しの言葉

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

この詩集について何を書けばいいのだろう。
テス・ギャラガーによる「イントロダクション」、村上春樹による「解題」に、ほとんど全ての事柄は言い尽くされているような気もする。
しかし、僕の中には、この詩集について何らかの自分の中のものを言葉にしてしまいたいという気持ちがある。

この詩集はカーヴァーの遺作だ。
彼は人生の残された日々を、短編小説の執筆、ではなく、詩作のために使った。
最後の方の詩には、まさに人生に別れを告げるということが色濃く表れている。
しかし、僕はこうも思うのだ。
レイモンド・カーヴァーの詩や短編小説には、彼が癌にかかる前から、しばしば死というものの影が落ちてはいなかったか? と。
そして、その喪失の感情と裏表になるような激しい〈むき出し〉の生の感覚。
たとえば、この詩集に収められている「私の息子の古い写真について」を読むと、僕はそういうことを強く感じる(この詩は、おそらく癌が発覚してから後につくられたものだろうが)。
たとえば、日本語で書く詩人がいたとして、その詩人は息子や別れた妻のことをこんなに直截的に書くだろうか?

しかし、逆に言えば、こういうのもアリなんだな、とも思う。

うれしいことに、村上春樹翻訳ライブラリーはまだ続く。
エッセイ集『私たちの隣人、レイモンド・カーヴァー』、カーヴァーの「オリジナル版短編集」『ビギナーズ』、インタビュー集『レイモンド・カーヴァーについて語るとき』が刊行予定だと本の最後のページに印刷されている(インタビュー集の著者はサム・ハルパート)。

僕は村上春樹はすぐれた小説家だと思っている。
でもその仕事に劣らないくらい翻訳を通しての彼の文学への貢献も大きいと個人的には考えている。
村上春樹翻訳ライブラリーがまだ続くことを喜びたい。

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