サイト内検索

詳細検索

ヘルプ

セーフサーチについて

性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示を調整できる機能です。
ご利用当初は「セーフサーチ」が「ON」に設定されており、性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示が制限されています。
全ての作品を表示するためには「OFF」にしてご覧ください。
※セーフサーチを「OFF」にすると、アダルト認証ページで「はい」を選択した状態になります。
※セーフサーチを「OFF」から「ON」に戻すと、次ページの表示もしくはページ更新後に認証が入ります。

  1. hontoトップ
  2. レビュー
  3. くにたち蟄居日記さんのレビュー一覧

レビューアーランキング
先月(2017年2月)

くにたち蟄居日記さんのレビュー一覧

投稿者:くにたち蟄居日記

315 件中 1 件~ 15 件を表示

日本軍から今なお僕らが学べる事

22人中、20人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 今年の正月にたまたま手に取ったが 読み始めるや置くあたわずという経験をするほどに一気に読みきった。


 内容的には第二次世界大戦における日本軍の敗北を 組織論で分析したものである。当然ながら著者達が それを1980年代半ばに世に問うたのは 戦争の分析ではなく 戦争という壮大なケーススタディーを実社会にどのように応用するかという点にある。


 結果として出来上がった本書の出来栄えには実に感銘を受けた。著者達が指摘・分析する日本軍は 2000年代の企業に勤務する我々にして全く笑えない。というか 日本軍が犯したミスは そのまま我々の日常勤務の中にも 同じような形で発生していることが強烈に感じられ 笑うどころか 少々青ざめる位である。


 日本において 第二次世界大戦とは 戦争責任をどう考えるかという文脈で語られることが多い。それは当たり前だ。今なお周辺国との間に発生し続ける戦争責任を巡る問題は 日本が戦争責任を曖昧にしている面はあると思う。


 一方 全く違う視点で第二次世界大戦から「学ぶ」という試みもあってしかるべきだと思う。その意味で 本書は企業の組織論に落とし込む方向で 日本軍を分析している。これは 小生にとっては大変新鮮な視点である。しかも 大変有効なものであると思う。


 非常に抽象化した言い方をすると「ある物事から何を学ぶか」という点で本書は際立っている。そんな風に感じた次第。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本老子

2009/01/11 14:40

老子を 素読 すること

21人中、18人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 老子はいくつか持っているが この岩波文庫の厚さが気になって 更に購入したところだ。

 「素読」という言葉がある。
 
 昔は 四書五経を とにかく声に出して読み上げるという「素読」と名付けられた教育方法があったという。読まされている子供は とにかく音読するだけであり 意味も内容も 教師からは何の解説もないというスタイルである。音読しているうちに 段々と その内容を分からしめるという時間のかかる ある意味では贅沢な教育方法だ。

 本書は その「素読」にぴったりだというのが 僕の第一印象である。

 本書において 著者は 白文、読み下し文、現代語訳を載せているだけであり 解説は一切ない。もちろん現代語訳部分に「解釈」と「解説」が表れているわけだが それ以上の「言葉」は付け加えていない。これは ある意味では 大変すがすがしい作りになっていると正直感心した。確かに 「老子」を目の前にして 種々解説を聞くのも ある意味で「老子」らしくない話だ。

 こういう「老子」が2008年に発行された点は注目されて良いと思う。ひるがえって2008年を考えると 激動の年であったことは誰しも同意されると思う。そんな混乱の中でこそ「老子」の言葉が 光輝くのだと思う。2000年を超えて 老子が 現代人を嗤っている姿が見えてくるようではないか。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

正義、平等、自由というものの定義の難しさに耐えていくこと

15人中、15人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

読後感は三点である。
 
 一点目。改めて、「正義」「平等」「自由」というものの定義の難しさを感じた。

 本書で繰り広げられる各種の事例に対して、何が正義で、何が平等で、何が自由なのかを一つに決めることは不可能だ。その「不可能さ」ぶりに、真実があると考えるしかない。つまり「正義」はいくつもあり、そのどれもが、誰かにとっては絶対に正しく、かつ全員にとって正しいわけではない ということだ。ここから学ぶべきは 更に「一つの正義」を追求することではなく、自分にとっての「正義」「平等」「自由」とは、他者にとってはそうではないと理解するという謙虚な姿勢を持つということだと僕は考える。僕らは自分の考える「正義」を誇ったり、強制したりする権利を持っているわけではない。



 二点目。本書がベストセラーになっているということに驚く。

 どう読んでも本書は決して易しい本ではない。いや、かなり難しい本である。その本がかように話題となり売れているという現象をどう考えるのかは興味深い。
 リーマンショックが齎したものは金融危機だけではない。本質的には新自由主義への重大な疑念の発生であり、それの反動としての社会民主主義の再興だ。
これは僕らの日常レベルでの問題である。日本の格差社会問題や貧困問題も、基本的には同じ地平線にある。その状況を踏まえて、多くの人たちがもう一度考え始めているということが、本書のブームの背景だと僕は信じる。



 三点目。本書は、結論を出しているわけではない。まず僕らに反省を促している本だ。その反省に立った上で、僕らが新しい哲学を作っていくしかない。それが、地球という星の、今後百年程度といった比較的短い将来に大きな影響を与えていくはずだ。僕らがそういう知的作業に耐えられるかどうかが試されているのではと最後に考えた。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本ティファニーで朝食を

2008/03/30 20:59

村上春樹が 救い出した 有名作品

16人中、15人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 村上春樹は 本作が 映画「ティファニーで朝食を」によって もっと言うと主演のオードリーヘップパーンによって かなりの「誤解」を受けている点を あとがきで書いている。

 映画は僕も一回しか見ていないが 今でも非常に印象が残っている。オードリーの美しさ、格好よさは折り紙付きであるし 主題曲の「ムーンリバー」も誰もが知っている曲である。

 「そんな映画化」が本作にとって どれだけ幸せなことであり 一方 どれだけ不幸なことであったか。それを村上は 冷静に見極めている。
 おそらく映画だけを観て原作を読まない人が多かったろう。そうして結果として このカポーティの優れた中篇は ある意味で読まれず 「埋葬」されてきたのではないか。
 今回 村上は 自分が訳す事で ある程度の人数が本作を手に取る機会を与え、結果として本作を「墓」から救助したかったに違いない。そういう村上の本作への「愛情」が この度の翻訳の原動力になったと僕は確信している。

 読んで見ると ホリーの「破綻したイノセント」をひしひしと感じる。ここまで極端ではなくても こういう人は 確かに会ったことがあるような既視感を絶えず感じた。何かが「壊れる」ことは 時として とても美しいものがある。硝子細工は それが正しく いつ壊れるかわからないというカタルシスを帯びている点で 美しいのだ。本作に漂う稀有の「美」は きっと そんな 硝子細工のホリーという人物造形から来ていると強く思った。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本日本という国

2006/11/11 07:49

蛮勇なるもの

13人中、13人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 この本は二部構成である。「日中戦争前の日本」と「戦後の日本の米国・アジアとの係わり合い」である。主眼が後者にあり 前者に関しては「福沢諭吉」に代表させる思い切った構成となっている。勿論 日中戦争前の日本を 全て江戸時代に生まれた福沢に背負わせるという事は相当の蛮勇であると直感的に思う。しかし 時として 片手で事態をわしづかみする荒業も必要だ。その蛮勇のお陰で この本は非常に解り易くなったと思う。


 とにかく 著者は 明快に語っている。この「明快さ」が「正確さ」を どれだけ帯びているのかは 不勉強の僕には残念ながら 解らない。この本は 賛否両論が渦巻くような気がする。


 ここで 僕として 感じるのは そんな「賛否両論」をむしろ待っている著者の「確信犯」である。従来の靖国問題、戦後賠償問題等を 中学生に向けるかのような語り口で 涼しい顔で語ってしまう姿には 颯爽としたものも感じる次第だ。


 議論を広げるためには 議論の参加者を増やすべきだというように語っているような気がしてならない。そう思った僕にして 既に著者に絡め取られているような気がしてきた。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

本書が湛える底光りのありかとは?

12人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 休日に2時間程度で読みおえた。最後は泣いてしまって困りながら。

 この本は二部構成である。第一部は 城山三郎が書いた 奥様との出会いと死別であり 第二部は 城山三郎の娘さんが書いた 城山三郎の死だ。

 第一部を読んでいて 強く思い出したのは アラーキーの写真集「センチメンタルな旅、冬の旅」である。アラーキーの写真集は 奥様の陽子さんとの新婚旅行と 陽子さんの癌との闘病と其の死を扱った作品だ。
 その写真集と この「そうか もう君はいないのか」は 驚くほど似ている。アラーキーの白黒の写真集が小説のようでもあるし 一方 城山が極めて抑制した文章で書き上げた本書が白黒の写真集のようでもあるのかもしれない。

 泣いてしまったのは 第二部の娘さんの井上紀子さんが書かれた部分だ。ここで見えてくる城山三郎は 彼自身が描いた淡々とした男ではない。最愛の妻を亡くして嗚咽しつづけた夫である。
 そんな第二部を読んだ上で 改めて 第一部を読んでみると 淡々とした文章の底にかすかに見える激情が浮かび上がってくるかのような思いがする。
 この二部の構成が 本書を比類の無い作品に仕上げている。

 死を哀しむのは 動物でも人間だけなのかもしれない。そんな「哀しみ」は時として耐えがたく その人を滅ぼしてしまうこともあろう。但し そんな「哀しみ」という感情を得たことで 僕らだけが感じうるものもあるのではないかと思う。本書が湛える一種の「底光り」は そんな「哀しみ」を感じうるものだけにしか見えないのではないか。
 そんな事も思いながら 読了した。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

20-40年前に胚胎された問題の顕在化ということ

12人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 会社での友人に借りて読んだ。感想は三点だ。

 一点目。本書の主張は「生産年齢人口=現役世代の数の減少こそが、日本経済の問題である」という点に尽きる。消費する人が物理的に減少したことで内需縮小になったという話だ。
 この指摘は従来漫然と「経済成長」「GDP拡大」「内需拡大」と考えていた僕にとって明快な話だった。現役世代の減少とは20-40年前に胚胎された問題の顕在化であり、タイムマシンが無い僕らには処方箋が極めて限られているという点は良く分かった。

 二点目。では「内需」や「消費」とは何なのだろうか。
 「モッタイナイ」という考え方が、日本には伝統的にある。近年も見直されている。「浪費を慎む」という美徳と、内需拡大とはどのように折り合いがつけられるのか。著者は食糧問題に関して「現在の膨大な食品廃棄も見直されていくでしょう」(186頁)と言うが、その廃棄こそが食品業界にとっては「内需」だ。
人間の「浪費」に関しては、文化人類学の「贈与」という観点で見るなら、極めて人間らしい行為ということになるのかもしれないが、いずれにせよ、本書での著者は、この点に関しては明快な意見は無く、僕自身は尚更答えが出せない。

 三点目。著者は愛国者であることを強く感じた。
 企業が多国籍化していくなか、日本がこの状況であるなら、本社を移転してしまう可能性は常にあるのではないか。そう思いながら、読み続けた
 著者は地域振興を専門にしている。日本の市町村の99.9%を概ね私費で廻ったという。そんな著者の日本に対する偏愛が見て取れる。それは本書の後書きで著者が言う「美しい田園が織りなす日本」に集約されている。
著者は251頁で、日本人は日本を出ていけないと言いきっている。その思いが「日本の内需をなんとかしなくてはならない」という熱さとなっている一方、実際の企業等が、同じ熱を共有するかどうかは、僕には定かではない。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本李陵・山月記 改版

2008/02/21 06:34

夭折 ということ

11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 中島敦という作家は薄命な方だった。

 33歳という没年は 昭和初期の作家の中で飛びぬけて短命であったわけではない。しかし残した作品を読むにつけて「薄命」という言葉が似合うお方だと思わざるを得ない。

 本短編集を読むと 中島という作家は本当に剃刀のような方だと思う。似ている作家として思いつくのは芥川龍之介ぐらいだが 切れ味の鋭さと 一種の香気は 中島の方が一枚上ではないかと 芥川ファンの僕にしても 感じざるを得ない。

 村上春樹は 芥川の小説は「使っている漢字がビジュアルに美しい」という趣旨の発言をどこかで行っていた。漢文の素養を駆使して 短編を書いた中島にも その言葉はそのまま通用する。例えば 本書に収められた山月記の冒頭を読んで見れば それははっきりしている。

 「隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。」

 絢爛たる漢字としかいいようがない。

 そういう剃刀のような作品を書き上げて 33歳で亡くなったのが中島だ。やはり 剃刀のイメージは「薄命」としか表現できない。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

笑っている背筋が寒い

12人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

外務省の「暴露本」だが その暴露している方が 鈴木宗男と佐藤優である点で 凡百の本や雑誌と「重み」が違う。描かれている外務省の異様な姿には もはや大笑いしてしまう程である。


 田中真紀子が外務省を「伏魔殿」と呼んだことは有名な話だ。田中真紀子自身が「魔女」であったので その発言がちょっと軽くなってしまった。但し この本を読む限り 田中の発言が正しかったことが良く分かった。

 こんな本を書かれても 外務省が抗議しないところを見ると やはり 基本的には この本の内容に正当性があるのだと思わざるを得ない。



 それにしても 笑っているうちに 段々と背筋が寒くなってくるのも本書である。僕ら民間にしても 仕事の中で色々な「外交」はあるし その「外交」が非常に大事であることは良く分かる。
 僕らのささやかな仕事でも そうなのであるから ましてや 国と国との外交の重要性などは 今更言うまでもない。その外交のプロたる外務省が 本当に本書のような姿だったとしたらと考えると これはそろそろ笑えない。



 笑っているうちに寒くなってくる。そんな一種のホラーのような本だ。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

設定された読者と 設定されていない読者

12人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 数時間で楽しく読み切った。

 この本を読むに際しては、自分の立ち位置を良く考えないと行けないと感じる。もっと言うと、著者が本書の読者として設定しているのは副題の「学ばない子どもたち 働かない若者たち」本人ではなく、彼らの親や上司であると僕は理解した。従い、本書の読者が、著者の設定した立場にいるか、いないかで本書の読み方も多分全く変わってくるはずだ。


 僕自身は幸か不幸か著者の設定した読者の範疇にいると思う。中年を迎えて、子供の勉強が気になったり、会社においても部下のモチベーションを考えることが多くなっている。その立場から本書を読むと、誠に快刀乱麻であり非常に説得された。但し、「学ばない子どもたち 働かない若者たち」が本書を読んだ場合にどのような反応を示すのだろうか?


 「設定されていない読者」として、彼らが本書をどのように読むのかを考えることは中々難しい。そもそも、彼らが本書を手に取るかどうかすら分からない。「学ばない子どもたち 働かない若者たち」という表現には、著者が彼らとの間に取っている一種の「距離感」が有る。その「距離感」に彼らが耐えつつ、本書を読破することが出来るかどうかということは僕の疑問だ。


 それにしても内田という方の論にはいつも感嘆する。内田の本の魅力は、読んでいて その全く新しい独創的な論に魅了されるという点にあるわけではない。むしろ「そうそう、僕もそう思っていた」という、一種の既視感に囚われることが多い。自分で考えていたことをすらりと纏めてくれる味方のような印象を受けてしまう。
 勿論、そこに内田という方のたぐいまれな話術がある。内田の論を「前からそう僕も思っていた」と思わされてしまった段階で、強烈な説得力になる。なぜなら、その段階で内田の論を「自分の意見」と勘違いしてしまっているからだ。人間は常に「自分の意見」だと思っていることに固執することも確かだ。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

50年間の人類の進歩とは何なのか?

13人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

著者の「中村屋のボーズ」を以前読んだことと 最近インドに行く機会があったことで本書を読んだ。パール判事に関しては 東京裁判で無罪と判定した判事が一人いたという程度の知識があった程度で 具体的に読んだのは今回が初めてである。


 読後の感想として二点挙げたい。


 まず一点目。東京裁判で被告を無罪と判断した理由が実に良く分かった。パール判事自体は 太平洋戦争での日本の行った戦争行為に関しては断じて肯定はしていない。この点で パール判事の判断を 太平洋戦争での日本の戦争責任から免責の根拠にしているという言説に対し 本書ははっきり異議を提出している。一方 東京裁判という場を造り 戦勝国が敗戦国を裁くことの法的根拠の無さをパール判事が指摘している点も大変良く分かった。
 パール判事は裁判自体の無効を主張する以上に 戦勝国も敗戦国も 戦争をやったという点は同罪であり かような裁判が成り立ってしまうことは「戦争に勝てば正義」という風潮を招きかねないという問題提起を行った点で 今尚現在性を保っている。

 二点目。まさしく その「現代性」である。
 今の中東を巡る 米国とイスラム教国との「正義のあり方」に関して 本書は大変に示唆に富んでいる。先日チョムスキーの「お節介なアメリカ」を読んだ際にも思ったが 例えばイラクのフセイン大統領への裁判も 基本的にはパール判事が指摘した「東京裁判の欺瞞」の延長上にあると思った。
 従い パール判事の50年前の主張が今なお生きている点で 本書は誠に時期を得た本であると思った。


 パール判事が若し今生きていたら「人間はこの50年に進歩しなかった」と嘆息するに違いない。読んでいて一番感じたのはこの点だった。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本21世紀の国富論

2007/07/09 22:19

呪文の正体

11人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

出張の新幹線の中で楽しく読み終えた。 

 米国のヘッジファンドを断罪している部分の切れ味が非常に心地良い。特に ストックオプションで自分が儲かるために 会社を食い物にする「CEOゴロ」という指摘は実に明快で読んでいてスッとした。米国式経営が 過剰な迄に評価されている中で 著者の指摘は冷静である。

 考えてみると 日経新聞レベルでの 会社の経営者の発言を読んでいると その時々の「経営流行語」に振り回されていることが多いのに気が付く。

 「コーポレート アイデンディティ」「リエンジニアリング」等など 今や「死語」となった 「経営流行語」がいかに多いことか。僕らは 若者達の流行を時に笑っているわけだが これを考えると 若者も 経営者も ミーハーという点では 同じような地平線に立っているのだと思う。
 「企業価値の最大化」という「呪文」が ここ数年 日本でも唱えられてきたわけだが 本書は そんな「呪文」は いったい誰が何の為に唱えているのかを 明快に論じている点で実に勉強になった。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

本書を批判するに際して、目新しさが無い点を挙げても的外れである

13人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 本書の副題は「いくつか学び考えたこと」となっている。これが本作の鍵だ。


 本書で著者が展開する議論での素材や情報一つ一つには目新しいものは多分無いと僕は思っている。著者自身が「特別にユニークなことが書かれているわけではない」とあとがきで断言しているが、おそらくその通りであろう。著者が認める通り、著者は原子力の専門家でもないからである。従い、本書を批判するに際して、目新しさが無い点を挙げても的外れである。


 但し目新しくない素材を集めた上で「学び考えたこと」の展開を通じて、本作は非常にコンパクトながらも、ピリリとした、山椒のような著作になっている。特に、人間が自然との対峙スタンスをどのように変化させてきたのかを展開する部分は大変勉強になった。原発が立っている土台には、人間の自然観と技術観、つまりは人間の哲学が存在している点は、今回の事故を通じて見えてきたものの一つである。


 今回の事故を通じて、「脱原発」「原発継続」「原発推進」等の議論が発生している。これからもこの議論は続くだろう。
 ともすると経済成長とのバーターというような議論(若しくは恫喝)に矮小化されてしまう可能性もあるが、本当に今の段階で試されているのは人間の哲学であると僕は思っている。


 「哲学というような青臭い議論をしている暇は無い」という異論もあろうが、長いスパンで考えた場合には、必ず哲学の問題になると僕は確信している。いかに今後技術が発展しても、人間が内部から崩壊していく可能性は常にあると考えているからだ。


 その意味では今回の事故を通じて「学び考えたこと」をどのくらい積み上げることが出来るのか。その一例として、著者が提起している「科学技術幻想とその破綻」という切り口は、大いに傾聴に値すると僕は考える。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本寝ながら学べる構造主義

2009/08/30 18:24

勉強は まだ 始まったばかりなのだ

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 噂にたがわぬ 平易な本で 正直感動した。

 「平易な本」を書く難しさというものがある。世にある古典の数々は実に難しい。ましてや哲学関係の本の難しさにはしばしばお手上げである。

 難しくなってしまう理由は色々とあるのであろう。そもそも 考えていることを平易に語るというだけで一つの天才が要求されるに違いない。天才的な哲学者が 天才的な書き手かどうかは また別の話である。ましてや 更に翻訳が必要になる場合は 何をかいわんやと言えよう。

 かつ 本書で内田が冒頭に喝破している通り、わざわざ難しい用語を使う風潮もあるのではないか。思うに 哲学の一つのステータスとして「難解」であることが必要とされているのではないかとすら思ってしまう。そうやって ハードルを上げておいて それを超えられた人のみが入れる「クラブ」のような雰囲気がどこかないだろうか。


 それに挑戦している著者の意気込みが行間からばしばしと伝わってくる。蛮勇と言われかねないくらい 噛み砕いて語る著者の話し振りは圧巻だ。


 本書を読んで勉強になった。もちろん 著者の説明が全て正しいかどうかは分からない。平易に語る際に 著者が「捨てなくてならなかったもの」も必ずあったろう。従い この本を読んで 次にどうするのかという事が 正しく著者が読者に迫っているメッセージなのだろうと僕は考える。勉強はまだ始まったばかりなのだ。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

アダム・スミスの再発見  2009年に読むことの意義

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 アダムスミスというと「見えざる手」という言葉しか知らなかった。そうして その「見えざる手」とは 市場原理主義であるというのが僕の乏しい知識であった。

 2008年という年が 将来どのように歴史的評価を受けるのかは分からないが 現段階では 新自由主義の大きな後退が始まった年 と言われる可能性はかなりあると思う。2008年以前において「見えざる手」とは 規制緩和であり 小さな政府ということだったのではないか?
 規制緩和自体に問題があったかどうかは議論の余地が 今後とも十分あると思うが 僕としては そもそも「人間とはどういう動物か?」という洞察が どれほど この2-30年の間に深まったのかに疑問を感じる。「強欲資本主義」とすら言われた 最近の金融界の跋扈ぶりと その凋落ぶりを見ていると 「自由を得た人間たちがやること」に対する基本的な疑問を覚える。
 そんな中で 「見えざる手」という言葉を使ったアダムスミスを見直すことは実に時代性に富んだ研究だと考える。

 本書で描かれるアダムスミスは 単に 規制緩和を主張した経済学者ではない。人間の道徳と幸せの在りかを探究した哲学者である。いや そもそも 経済学とは人間の欲と行動を分析する点で 優れて哲学的な学問であったことが この本を読むと身に染みてくるのだ。

 僕は これからの10年間は 経済学が本当に試される時代だと考える。そうして もろもろある諸学の中で もっとも人間を取り扱えるものだと確信している。もちろん それは高度な金融工学や経済理論ではなく 心理学、哲学、歴史学を包括しうる極めて統一的な領域を扱うべきだ。本書は18世紀のアダムスミスを描くことで そんな経済学の可能性を語っていると読んだ。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

315 件中 1 件~ 15 件を表示