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レビューアーランキング
先月(2017年1月)

T.Keikoさんのレビュー一覧

投稿者:T.Keiko

4 件中 1 件~ 4 件を表示

ひとの心にそっとよりそい……

6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「藤沢周平の言葉は、なにも、もたらさない。/それは人をかえない。人をうごかさない。人をみちびかない。/人が孤独を感じるとき、あるいは悲しみや苦しみにたえきれぬ思いでいるとき、人にそっとよりそう。/これが、藤沢周平の言葉である」(はじめに)。
「ひとの心にそっとよりそう」を副題にもつ本書は、冒頭で、藤沢周平の言葉を「情景や場面をつくりだす、ひとつらなりの言葉」と定義し、だからこそ、ふんだんな引用と丹念な解説とをもって藤沢周平の小説やエッセイによりそい、藤沢周平というひとつの生き方によりそっていく。
すくい上げられた「微光のごとき」(帯)情景や場面たちは、闇を充満させる藤沢周平の作品における暗黒の解決でも、「生きづらい時代」(同帯)を生きる我々に解決を与える明朗な救いでもない。しかし、失ったが故に確かなものとして残る藤沢周平の故郷の記憶、暗くもあたたかな「苦しみと悲しみの交感」や、悲しい友情の物語を辿る本書は、次々に、闇と鬱屈の中でこそ果たされる交感のほの明かりを、充実した生の重みとして提出する。
そんな微光の連なりが、「いかなる権威、権力をも愚弄してかかる反抗心」の微光や、戦争と戦後にかかわって藤沢周平が獲得した嫌悪という名の微光へまでいたるとき、この「『微光のごとき』言葉たち」は「生きづらい時代」の読者へも確かに届くに違いない。
ひとの心にそっとよりそい、しかし、わずかに読む人を変え、ほんの少し動かす一冊として。

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藤沢周平という生き方

2007/01/15 01:39

鬱屈の交感

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 デビュー作として知られる「溟い海」以前の藤沢周平作品から「一茶」へいたるまで、藤沢周平の描く「鬱屈」を存分に抽出し、その果てに「鬱屈の交感」のあえやかな明るさをとらえた—『藤沢周平という生き方』。
 この手のタイトルで一冊を世に送ることは、難しい。ひとりの作家があらわした多くの作品、作家が歩んだ道のり、作家が生きた時代と徹底的によりそい、かつ、その広範な情報を「今、ここ」においてこそ、生きいきと提示する。それが出来なければ、このようなタイトルを掲げることは不可能だろう。
 『藤沢周平という生き方』を開くと、まず、「鬱屈」という言葉が目に飛び込んでくる。「暗い。/暗い、暗い。/ひたすら、暗い。」どこまでもどこまでも続く藤沢周平の、そして『藤沢周平という生き方』の暗さに驚きながら、いつしか読者は、その暗さに包み込まれてしまう。しかも、読み進むうちに、生温かく執拗で薄気味の悪い「鬱屈」の暗がりは、しだいに、親しく見慣れた暗さのようにみえはじめ……。藤沢周平の遺した作品と場面が、高橋敏夫氏の独特な視点と言葉でもって再生され、はじめて、藤沢周平の「生き方」と「晴れそうで晴れない鬱屈の時代」を生きる我々との「鬱屈の交感」が成り立つ。
 このとき、『藤沢周平と山本周五郎 時代小説大論議』(毎日新聞社)において高橋氏が熱く沈鬱に語っていた時代小説、すなわち、現在という時空に囚われないがゆえにあらゆる制約を突き抜けて人間の関係とその集りとしての社会とを覗き込み、だからこそきわめて今日的な物語の場となりえる時代小説が、立ちあらわれるのだろう。時代小説家藤沢周平論として、『藤沢周平という生き方』の名に、これほど相応しい一冊はあるまい。
 時代小説のよい読者ではない私も、この本との愛しき「鬱屈の交感」を終え、今、藤沢周平を読もうと思っている。

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「負」と「鬱屈」を愉しむ

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 知的生き方文庫と銘打った実用書のコーナーに、この『藤沢周平 人生の愉しみ』をみつけたとき、少なからず驚いた。しかも、サブタイトルは「生きるチカラ」と「小さな発見」である。二重の意味で、意外だった。
 深くふかく鬱屈を抱えこみながら生きるものたちが、鬱屈を通じてのみ他者と心を通わせる瞬間をとらえ、柔らかな交歓とは無縁のきわめて重苦しい交感のほの明かりによって作品の再読をせまる『藤沢周平という生き方』(PHP新書)から、ほぼ二年。作中の明るく華やかとはいえない江戸を介して、藤沢周平の物語を今によみがえらせる『藤沢周平と江戸を歩く』から七ヶ月。『藤沢周平 人生の愉しみ』は、『藤沢周平――負を生きる物語』からはじまる高橋敏夫四冊目の藤沢周平論である。
 しかし、一方で作家藤沢周平の歩みとことばを追い、また一方で藤沢周平作品に意表外な愉しみをみいだすこの本もまた、「負を生き」つつ「鬱屈の交感」においてのみ「負を生き」続けられるものたちへの眼差しに貫かれていた。
 自然をみつめ、故郷を思い、「水平的関係」を尊び……、行き止まりであるかのような老いにあって新たな生を言祝ぐ。失われた何かを嘆くのではなく、自然を、故郷を、人とのつながりを愉しみ、自らの残日をも愉しむ作家藤沢周平と、作中人物たちが次々とあらわされていく。
 「負」と「鬱屈」をあきらかにしようという「試みをへて、本書でようやく藤沢周平の愉しみをとりだせるところにとどく」(前書き)。
 人生を楽しむのではなく、「負」と「鬱屈」を生きることを愉しむ過酷にして「チカラ」強い、とはいってもどこかユーモラスな筆致に、わたしも愉しい「小さな発見」をしてしまった。

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暗くきらめくものたちへ

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 子供、青春、中年、晩年。人が辿る道程にしたがって配列した二十の近代小説から、それぞれの作品の愛しくも重苦しいシーンを絶妙に切り出し、作品に対する高橋敏夫氏の鋭い解説と、引用された小説以上にずしりと読み応えのあるエッセイが続く— 「この小説の輝き!」。
 執拗に「今、ここ」を見つめる高橋氏の文章と発言は、これまでも、「今、ここ」にひらめく閃光であった。それは、彼の読者を内側から改変させるという意味において、「檸檬」の「黄金色に輝く恐ろしい爆弾」以上に確固たる鈍い輝きを放つ。
 「この小説の輝き!」もまた、ありきたりな「名作」紹介などではない。名作を名作らしく読む、その安定感といたずらな敷居の高さは、どこにもない。この本のすばらしさは、易しいながらも練りに練ったという感の解説文が、読みなれていたはずの「名作」・「名場面」を一瞬解体し、それらを生きいきとした「生」の表象として新たに立ち上げてみせる点にあろう。いわゆる「名作」も、「鱧の皮」のごとき少しマイナーな作品も同じように覗き込み、高橋氏自身の過去と現在をも介して、作品の深淵からハッとするような「今、ここ」をつかみ出す。そんな作業に立会う我々読者も、知らず知らずのうちに、作品のそしてエッセイの中の「生」を体験していく。
 一冊の終わりに置かれた坂口安吾の「文学のふるさと」では、「否定がそのまま輝き、肯定にかさなる強靭」さが高らかに言祝がれる。この言葉にいたったとき、すでに読者は、高橋氏の閃光を存分に浴びている。だからこそ、我々は、「むごたらしいがゆえに美しく、暗いがゆえにきらめき、哀しいがゆえに愉しく、おしつぶされるがゆえにはねかえす、……死に直面するがゆえの豊かで強く執拗な生の歩み」を、自らの道程の中にこそ見出すのである。

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