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先月(2017年6月)

凛珠さんのレビュー一覧

投稿者:凛珠

441 件中 1 件~ 15 件を表示

松平容保の生涯 写真集

2003/03/30 17:02

清冽の人、松平容保公。

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 歴史は、時が経つことによって史実を覆い隠す人為的な霧が晴れ、真実が明らかになるということがあります。本書は、幕末の会津藩主で京都守護職に務めた松平容保公の生涯が描かれ、明治維新の実態が分かります。
 幕末の会津藩といえば、戊辰戦争における白虎隊の悲劇が有名でしょうが、会津藩が何度も恭順の意を示したのにも関わらず、西軍(薩長連合軍)に私怨と野望で攻め込まれたのだということは、あまり知られていないでしょう。西軍が「官軍」の名のもとに、城下で何をしたか。その後の会津藩主従はどうなったのか……。表層だけを見て「明治維新」「文明開化」などと言っていた、かつての自分が恥ずかしくなります。言わば白虎隊の悲劇は、幕末会津藩の苦難の象徴なのでしょう。
 
 そもそも、京都守護職が置かれた当時の京都の治安はどのようなものだったのか。治安を乱していたのは何者か……。始めから弾圧するのではなく、話し合いで解決しようと心がけていた容保公。多くの史実を知ることで、歴史の流れを正しく掴み、そのうえで戊辰戦争を考えることが出来ます。
 何故、そこまで会津藩が憎まれることになったのか。何故、幕府ではなく会津藩に矛先が向けられたのか。何故、戊辰戦争が起こされたのか。戊辰戦争は本当に必要だったのか……。今までさほど疑問に思っていなかったことに対して、問題意識を持つ大切さに気付かされました。
 
 会津側からすれば、本来ならば、薩長は激しく非難されてしかるべきでしょう。が、松平容保公の気品溢れる表情に相応しく、本書の文体は穏やかです。
 しかし、後書きの、
 
「容保公の考え方は、単に旧体制を守ろうということではなく、植民地政策をとる欧米列強に対して、日本国内が対立していたのでは対処できず、そのためには、外に向けては開国を、国内では公武合体による「和」を方針とし、挙国一致の道しかないことを訴えています。(中略)今思えば、この考え方は日本を救う唯一の道であったことは、その後の日本の歴史を見れば証明できることです」

 という文章に、著者の思いが表れていると言っても過言ではないでしょう。単なる感傷ではなく、事実、そうだったのではないでしょうか。

「常識」と思われていることに疑問を投げかけ、問題意識を持ち、冷静な視点で対象にあたるという、歴史学の姿勢においても学ぶことの多い本でした。
 私が子供の頃(つい十年ほど前)でも、相変わらず正義といえば薩長であり、会津藩は「旧弊な権力にしがみつく」悪者扱い。事実すら捻じ曲げられ、薩長の暴挙は隠蔽され、あまつさえ会津攻撃は「正義」でした。今でもそうなのでしょうか。戊辰戦争を学べば、戦争の本質的な普遍性が分かります。少なくとも、現代の教育が戦争反対の姿勢を取るのならば、戊辰戦争の実態にもっと目を向けるべきではないのでしょうか。大いなる矛盾でしょう。
 
 思うに、松平容保公は清らかに過ぎ、策謀渦巻く政界では生き残ることが出来なかったのでしょう。そういう仕組みや戦争の実態などは、現代でも大して変わっていないと思えます。だからこそ、今、松平容保公に学ぶべきではないでしょうか。過去に留まる気はありませんが、過去の事実を踏まえたうえで現代を生きてゆきたいと思います。

 最後に、白虎隊の悲劇に際して容保公が詠んだ歌をあげます。

「千代までと 育てし親の 心さえ おしはかられて ぬるる袖かな」

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紙の本孤島の鬼

2002/07/06 11:33

怪しさと妖しさ、切なさ。

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 始めの方は普通のミステリー的な謎解きが続き、怪しい雰囲気。だが、読み進むにつれて乱歩独特のおどろおどろしくも妖しい世界が織り成され、一気に読ませる。何故か挿絵の竹中英太郎の画風も変化している。この作品は他の文庫からも出ているが、やはり挿絵が収録されている創元推理文庫版がお勧めだ。
 乱歩は同性愛に興味を持っていたという。この作品は、おどろおどろしいながらも哀しみや純愛を感じさせ、切ない。一件落着後も最後の最後にとどめが刺される。乱歩の長編では最高傑作の出来だろう。

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「幻想」は文学なら通用しても学問では通用しないのだということを、適切に指摘した一冊である。本書には学問だけでなく、フェミニズム、差別問題、等々の様々な内容が盛り込まれている。

5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 遊郭を礼讃しながらも現代の風俗店を礼讃する人は少ないだろう。曰く「遊郭は文化。風俗店と混同するのは野暮」「遊女は身を持ち崩して遊女になったのではない」といったところか。遊郭など美しいのは表だけで、やっていることは風俗店とも比べ物にならぬ程酷かった。近世はは買春男が甘やかされ、強姦は「粋な遊び」となり、強制売春宿は「美しい遊郭」、強制売春婦は「格好よい女」にされてしまった。華やかさは、悲惨を隠して客をひき、金をもうける為に店の人間が仕組んだ陰謀だ。
 
 何より遊女たちの人格を支えている「自由意志ではない」という事実が問題。自由意志ではない遊女を買っていた男どもはそれでは何なのか。遊郭において遊客は「通人」となるが、目的は女の身体だ。相手は仕方無しに身売りをしている女性。この時点で、遊郭が素晴らしいものだなどという幻想は消えうせるだろう。遊郭礼讃者は、遊女たちが仕方無しに売春していたという事実を利用しながらも隠す。現代人が近世の遊郭を肯定するということは、風俗店の存在を肯定し、人身売買や強輪姦、折檻、そして強制を含む売買春を肯定せねばならないのだ。

 歴史学者にとってはフェミニズムなど寝耳に水だろうが、売春について語るのならばフェミニズムに知らん顔をしているわけにはいかない。逆にフェミニストも、近代の純潔教育批判のあまり、無理矢理男の相手をさせられた女性を美化してはいけない。貞淑な妻を持ちながら誰にも責められずに女を相手にすることこそ男の勝手な理想だろう。誤解と、思いやりを差別と混同し、結果的に強制売春宿を礼讃する売春肯定論者もいるようだ。これなど言語道断である。
 
 風俗店ではなく遊郭を持ち出すことによって学問的にも認められ、健全に売春について描こうという魂胆(意識していないにせよ)は姑息だ。遊郭礼賛者のせいで遊郭が明るく美化され、哀れな遊女までが自由意志の風俗嬢と同じように明るく描かれ、遊郭の悲惨さを知っているはずの年代の人からは同情を受けられ無くなり、歴史を知らない世代は憧れこそすれ同情などしないのだ。
 
 遊郭礼讃者は「花魁は現代の売春婦と違って教養がある!! 身体だけが売り物ではない!」とも言うかもしれないが、「教養ある高級遊女」というのが曲者で、教養のある高級遊女などはほんの一部だ。だからこそあがめられたのだ。教養ある花魁とは、子供の頃に人身売買されて扱き使われ、ある程度の年になったら楼主に美醜を判断され、男への商品にする為に、無理やり芸を仕込まれた女性なのだ。価値が無いと判断された女性は、奴隷並の遊女(ほぼ全員)にされる。花魁が美貌だけでなく教養もあったということで希望を抱いている女性たちに訊きたい。これが「女性にとって素晴らしい」のだろうか? 高級遊女ばかりが目立ってしまうから、悲惨さが表に出てこないのか。格の低い売春婦など取るに足らない・どうでも好い、ということなのだろうか。花魁がスーパーアイドルなら、大多数である切見世の遊女は奴隷だ。スーパーアイドルの絢爛さの前には、奴隷のことなどどうでも好いのか。どの売春婦も、好きで売春していたわけではない。売れっ妓であることに誇りを持っていても、売春婦であることに誇りを持っていたわけではない。
 
 信じられないことだが、現代では遊郭の悲惨な実態を知らない人の方が多いらしい。これも江戸幻想派の陰謀か。本書で少し不満なのは、作者が批判する相手と知り合いであったり、遊郭の悲惨さを明記していない点だ。酸鼻を極める地獄(遊郭の実態)を知る為に、「遊女・からゆき・慰安婦の系譜」なども合わせて読むと良いだろう。かつてはこの本の内容など常識だったはずだが、現代人はよほど平和ボケしているらしい。懐古主義に走るのも、現代で安逸に暮らしているから出来ることだろう。

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紙の本合葬

2002/01/18 01:13

敗れた者たちへの哀憫。

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 江戸風俗研究家である杉浦日向子の、1984年度日本漫画家協会賞優秀賞受賞作。
 幕末動乱の時代に生きた、彰義隊の名も無い少年隊士たちを描いた物語である。歴史に名を残した者たちは、後世の人々によって供養される可能性もあろう。しかし、名も無く散った者たちはどうか。そんな彼らに哀悼の念を込めて、作者はタイトルを「合葬」と付け、この物語を描いたのだろう。崇高な志と、少年らしい心を併せ持った隊士たち──作者の深い慈愛に満ちた筆遣いは、読者に感動を押し売りせず、それゆえに言いようの無い感銘を与える。彼らはきっと実在したに違いない。名前や顔は違っていようとも……。真の歴史を知る為には、彼らのような存在に目を向けることが大切なのだ──感動と共に、そのことを教わった本である。素晴らしい。

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女性図鑑。

3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 私は女だが、昔の和風女性の写真を見るのは大好きだ。資料にもなる。それでも「美人図鑑」という題にはいささか抵抗があるので、「女性図鑑」とすれば良いと思う。
 この本にはセミヌードの女性の写真も収められている。モデルの女性を「先進的」と捉えるのはあまりにも短絡である。彼女たちは求めに応じて仕方なく肌を見せねばならなかった女性たちで、そんな彼女たちを今日のヌードを見るように品評することは、あまりにも罪深い。このことは絶対に知っておくべきだろう。それに気付かない男は過去の男と同レベルである。女性も彼らを喜ばせてはいけない。また、性の解放とは何かということも考えさせてくれる。
 少なくとも、本書の女性たちは「主体」ではなく「客体」で、そのことを間違えると、勘違い自信過剰江戸幻想女性学者(長……)と同じ誤りを犯してしまう。幕末維新期の芸娼妓は士族の女性が多く、彼女たちを買ったのが官軍の男たちだというのも、哀れな話である。
 当時の女性は浮世絵風のうりざね顔で、眉が太く、ぽってりした顔立ちをしている。女の私としては「美男図鑑」も欲しいのだが、どんなものだろうか。

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紙の本柳橋物語・むかしも今も 改版

2002/07/31 23:13

涙。

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 山本周五郎は主人公を苛める作家だ。
「柳橋物語」は、おせんが哀れで仕方が無かった。赤ん坊なんて棄ててしまえば良いのにと、じれったかった。しかし、まだ若い娘は男に告白をされただけでその男を好きなのだと錯覚してしまうことがある。山本周五郎はそうした女性の微妙な気持ちを知ることが出来、嫌な感じでなく書くことの出来る作家だ。私がこの作品を読んだのは感受性の旺盛な十二・三歳の頃だったので、読み終わった時に涙が止まらなかった。
「むかしも今も」もまた泣いた。努力すればきっといつか成功するというのは奇麗事で、現実には幾ら努力しても報われぬことが多いだろう。その意味では山本周五郎の作品は美しいだけで現実性が希薄ということになるのかもしれない。それでも私は周五郎の作品を読んで、束の間でも感動したいのだ。

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江戸武士のあれこれ。

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「武家の家格と職制」「武士の服装」「武家の儀礼と儀式」「武家の政治」「下級武士」「武家の経済生活」「武士の食生活」「武家の女性」「武家の教育」「武士の文化・娯楽」
 図録というだけあって当時の図版が中心。勿論、文章もしっかりしていてとにかく親切だ。江戸武士のことを原典にあたって詳しく知りたいと思う人にはお勧めだ。

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紙の本海鳴

2002/07/29 22:03

「小説」とはこういう作品のことを言う。

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 江戸時代後期。貧しい百姓の家に生まれ、口減らしとして江戸へ出た直吉は、無罪無宿ということで捕らえられ、佐渡金山へ人足として送られる。そこで待っていたのは毎日が死と隣り合わせの、まさしく地獄であった。一方、こちらも貧しさゆえに十一歳で私娼に売られたはなは、私娼狩りに合い、競売にかけられ、公認の遊郭へ奴女郎として競り落とされた。一寸の希望も無く、毎日が地獄の二人。ある日、直吉は模範人足として二年ぶりに町へ出され、花衣となったはなに初めて出会う。たった一度の出会いで二人は心から結ばれ、せめてあと一年生きて再会することを約束したが……。
 小説とは何か。基本的には作り事であろう。だが、作り事でもリアリティが無ければならないだろう。それはファンタジーが駄目だとか、そういう意味ではない。
 美しい娼婦が思い人と心中し、その死体に蟻がごっそりと集っている様子、腐乱した心中死体が見せしめとして馬に乗せて引き回され、皮が剥けて真皮だけになる様子、客に梅毒をうつされて髪が抜け、顔は膿を持った腫れ物だらけで目鼻の区別も付かず、穀潰しということで納屋に監禁されて飢え死にを待つ娼婦、心身ともに疲労し、幽鬼のようになっている人足の様子──そうした事物が容赦無く描かれている。だからといって著者はいたずらに残酷をデフォルメし、声高に叫んでいるわけではない。その筆はただ静かだ。著者は現実を描いているに過ぎない。
 私も今まで沢山小説を読んできたが、特に娼婦の梅毒について実際に描写している作品はこれが初めてであった。江戸時代の娼婦は殆どが梅毒にかかっていたという事実がありながら。小説家は例え作り事であっても、現実を書かねばならない。目に見えないところにも気を配らねばならない。豪華な衣装を着た娼婦が笑っていても、その裏には絶望があり、豪華な衣装も借金に加算されるのだということを知らねばならない。そうでなければ小説家失格である。そして津村節子氏は真の小説家だ。
 どうも時代小説は現実が描かれていないものが多いように感じる。江戸時代だから梅毒にかからないなどということは無い。一般の読者だけでなく、プロの小説家も本書を読んで心がけから勉強しなおすべきであろう。
 決して派手ではないが奥深く、何よりも真実が書かれたこの作品が、まやかしの買春純文学などよりも多くの人に読まれ、評価されることを願う。現実はそうでないのだから、現代もやはり不条理だ。

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上村松園

2002/07/22 20:59

柔らかく繊細に描かれた女人たち。

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 上村松園のミニ画集。画題は全て女性たちだ。色使いも画風も柔らかく繊細で上品。顔立ちも優しく優美で、黒髪の生え際のぼかしも美しい。上村松園は単に美しい女性を写実的に描くのではなく、女性の美に対する理想や憧れも描き出したいと心がけていたという。上村松園の美人画が単なる「美人の絵」になっていないのはそのせいだろうか。写実の腕があって美人をモデルにすれば、誰でも「美人の絵」を描けるだろう。だが、それでは写真である。たとえ歴然とした美人ではなくとも、絵として美しい作品に仕上げることが出来るのが画家というものだと思う。その意味でも、本書の作品はどれもこれも美しい。

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紙の本死の泉

2002/07/20 01:49

死を湛えた泉。

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 皆川博子氏は本当に多才だと思う。小説でも幻想、時代、ミステリー、と全て成功しているし、舞台の守備範囲も現代日本は勿論、過去の日本、そして外国にも及ぶ。全く凄い。
 この作品はミステリーではあるが、幻想小説や歴史小説の趣もある。まさしく皆川博子氏の集大成、一大傑作であろう。主人公のマルガレーテは皆川作品の女性らしく、悲惨な目に合いながらも運命に立ち向かう、というよりはどこか冷めている。
 作品には幾重もの趣向・仕掛けが施され、皆川氏が丁寧にこの作品を創り上げたのだろうということを窺わせた。作品世界はやはり暗く陰鬱だが、本の中に本があるという仕掛けは作品としての必然性もさることながら、皆川氏のユーモアセンスも感じさせた(皆川作品は暗い物が多いが、一部にユーモア溢れる作品もあるのだ)。ストーリーは緊張感があって面白く、最後の最後にも仕掛けがある。その仕掛けこそ、「やはりこれこそ皆川作品!」と思わせるものである。
 間違いなく大作、傑作である。

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紙の本大菩薩峠 20

2002/07/07 16:18

未完は永遠につながる。

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 壮大な大菩薩峠も、ついにこれで最終巻。介山はこの作品を完結させずして逝ってしまい、ついに壮大な物語は、永遠に完結せぬ本物の壮大な物語となってしまった。前巻から軌道修正が施され、いよいよまとめにかかっていたかと思われるだけに残念である。内容は自由度が高いが、とにかく登場人物が多く物語も錯綜している。執筆メモのようなものは残っていないようだが、割と筆の赴くままに書いていたのだろうか。緻密に書こうとすると大変だが、介山は逆に気楽に書いていたのだろうか。メモが無いことによってその後の動きを知ることが出来ないのは残念である。今巻を読んでみると、大体終りに近付いていたのではないかということは想像される。
 読者の熱狂に押され、恐らく介山自身想像しなかったほどに長くなったこの物語は、当初からは想像もつかなかった方向へ進み、膨張していった。始めの頃こそ普通の時代小説と言えなくも無かったが、全巻読んでしまうと、とても時代小説という一言で区切ることは出来ない。
 最終巻である今巻は、介山個人の思想が色濃く投影され過ぎて、小説としては決して良い出来とは言えない。それは大菩薩峠という作品全体においても言えることだろう。だが、大菩薩峠は小説と言う枠に収まること自体が不可能なのである。
 この作品を読み解くに当たっては、介山の思想や生い立ち、執筆時の社会的背景などを熟知することも必須であろう。私は大菩薩峠を読み終えたことに満足せず、これをスタートとして大菩薩峠の研究を進めてゆこうと思う。さながら大菩薩峠のように果てしの無い旅だ。
 壮大なだけあって、この作品を読み切った人はあまりいないかもしれないが、絶対的に面白いし、読んで損は無い。私は大菩薩峠を読んで良かったと思うし、もし読まずに一生を終えていたらと想像すると、暗澹たる気分になる。

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魚たちとの戯れ。

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 室生犀星の、魚を扱った詩と小説の集成。会話文だけで成立した表題作「蜜のあはれ」が特に面白かった。金魚の少女が自分ことを「あたい」と言ったり、言葉や仕草がお転婆(懐かしい響き)な感じて可愛い。小悪魔といったところか。主人公の老人は犀星か。「鮠の子」は「蜜のあはれ」と少し似た感じである。「三本の鉤」は、どこか頼りなげな魚を思わせる女、おりえが印象的。
 矢川澄子氏による森茉莉とからめた解説も良かった。不思議に魅力的な一冊である。

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紙の本ヨーロッパ文化と日本文化

2002/06/09 21:07

ヨーロッパと日本。比較によって真実が見えてくる。

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 イエズス会の宣教師ルイス・フロイス(1532〜97)が、35年間に及ぶ日本での布教活動の間に、ヨーロッパ文化と日本文化を比較して記した書である。内容は男性、女性、子供、僧侶、衣食住、馬、武器……等々、多岐に及ぶ。当時の日本だけでなくヨーロッパのことも分かり、まさに一石二鳥のとても貴重な書である。
 作者が宣教師というせいもあろうが、やはり僧侶に関しての記述は厳しく、厳しく言われるのも当たり前なのが事実である。女性については、前近代的な性の奔放さ(自主的な貞操観念は女性の知性である。性に奔放なのは「現代的」ではない)と、封建的な女性蔑視が合わさっているようだ。性の放埓さに関しては、一見、現代人に近いが、当時の女性は男の性暴力から守られていないので、安易に「近代よりも良い時代」などと思うのは大間違いである。ヨーロッパでは、未婚の女性が事情があって男の家へ駆け入れば大切にされるが、日本では捕らわれの身にされると書かれている点が、それを証明している。女性がどうであれ、男に貞操が無かったのが日本の場合の諸悪の根源である。
 また、貧しいゆえに、堕胎や子殺しも盛んだ。物質的豊かさ無しに精神的豊かさは生まれない。物質的豊かさを批判するのは、安全な立場にいる者の奇麗事である。貧しい国では人命も軽い。日本が発展途上国だったことを頭に入れ、上記のような奇麗事に騙されずに歴史を勉強する必要があるだろう。

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籠の鳥──健気な女性たちの物語。

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「耳袋」で有名な南町奉行・根岸肥前守の内与力・隼新八郎を主人公にしたシリーズの第一作。1巻は大奥をテーマにした長編推理小説に仕上がっている。本書の内容は全て作者の創作かと思っていたのだが、「耳袋」に元ネタがあるらしい。封建時代らしい切なくやりきれない、哀切な話である。それとからめて、既婚の新八郎と元下女・お鯉の恋愛も哀しい。男が自由な江戸時代ならば、特に武家の男が妾を囲うことは普通だろうが、そうはいかないところに二人の美しい哀しさがある。そしてラストは、いかにも女性作家らしい終わり方だ。哀しいけれども、ご都合主義ではないがゆえに、お鯉の魅力が出ている。しかし、何とか二人が結ばれて欲しいものだが……。

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紙の本土を喰う日々 わが精進十二カ月

2002/04/20 13:49

自然の美味しさ。

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 幼い頃、禅寺の侍者をしていた水上勉氏が、その時に得た精進料理の知識などをもとに、畑で育てた季節の野菜や、木の実、筍、茸……等々を料理して紹介した本。
 自分はむしろこうした料理は苦手な方なのだが、本書に収められた沢山の写真や水上氏の文章を読んでいると、どんな料理よりも美味しそうに思えてくる。
 大工だった水上氏の父は、仕事で山へ入った時、その辺の木の葉や茸を取ってきて、昼食にしたという。弁当は始めから味噌と塩飯しか用意していなかったのだ。食べ物に不自由の無い現代人がそうした食事を羨望するのは傲慢なのだろうが、現代の「贅沢」として、一度やってみたいと思う。

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