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  3. ツキ カオリさんのレビュー一覧

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先月(2017年1月)

ツキ カオリさんのレビュー一覧

投稿者:ツキ カオリ

51 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本みずうみ 他四篇 改版

2004/09/23 20:58

赤、白、茶、緑のコントラスト

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 時々、古くからある物語を読みたくなる。
 読み返したくなる。

 ともすると、新しい情報を追うことだけに時間を割き、振り回されてしまいそうになる。だからこそ、時々、生活や意識の流れを、ゆったりとした速度に戻すために、部屋中のすべての音を消して、古い物語を読むことが必要になる。

 この、背表紙の厚さが5ミリほどの、ドイツの抒情詩人、シュトルムの短編集は、すぐに読み終えることができる。量的にはとても少ないけれど、読み終わった瞬間に、気持ちがとても、豊かに、贅沢に、なるのが、わかる。

 例えば、表題作『みずうみ』には、森の緑、イチゴの赤、焼菓子の茶色、睡蓮の白があり、それらの鮮やかなコントラストが、この物語に、品のいいエッセンスを添えている。

 他の作品でも、同様に、色の美しさが目を惹く。
 ぜひ、あなた好みの色を、見付けてみてほしい。

 古い物語はあまり読んだことがない、かつ、量が多いものは苦手、という方にこそ、ぜひ読んでほしい逸品である。

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紙の本向田邦子暮しの愉しみ

2004/11/08 00:16

向田邦子のカレー・アレンジ2種

3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 この、とんぼの本シリーズの大ファンである。
 大好きな作家たちの好きだったものや秘密(?)を、文章だけでなく、沢山の写真で確かめることができるのが、その理由だ。

 さて前回、白洲正子の、同シリーズ本の紹介をさせていただいた際に、一流の作家は皆カレー好きなのでは? という仮説を立てたのだが、やはり、向田邦子もカレーが好きだったのである。

 カレーのレシピを彼女は二つ載せている。

 一つは「横着卵」と題されている。
 初出は、『夜中の薔薇』麻布の卵、だったようだ。

 ……この頃、私がよく作るお手軽な卵料理をひとつご披露しましょう。
 卵をひとりあて一個茹でて、糸で輪切りにして一人分の小鉢にならべる。
 そこへ、熱くした濃いカレー・ソースをかけるだけ(中略)一個の卵で、オードブルなら二人前は大丈夫である。物のない時に育ったせいか、よくよく人間が始末に出来ているのである。

 写真では、薄いグレーの、品のいい、和風の楕円形の器に、スライスした大ぶりの茹で卵が順に3つ置かれ、その上には、豚肉、じゃがいも、にんじん、タマネギが、程よい感じに煮崩れた、カレー・ソースが、かけられている。

 もう一つは「一口カレー」だ。
 これは、赤坂に平成10年まであった「ままや」の定番メニューだったのだ。この「ままや」は、「おいしくて安くて小綺麗で、女ひとりでも気兼ねなく入れる和食の店はないだろうか」という彼女の強い思いからできた店だった。

 この件の初出は、『女の人差し指』「ままや」繁盛記、である。

 吟味されたご飯。
 煮魚と焼魚。
 季節のお惣菜。出来たら、
 精進揚の煮つけや、
 ほんのひと口、
 ライスカレーなんぞが
 食べられたら、もっといい。

 この料理にも、写真が付いている。
 藍色を、所々白く抜いた、長方形の和風の器に、ほんのひと口、ご飯が左側によそってあり、ご飯の手前には、飴色の福神漬と、その隣にあるのは、紅生姜か、赤い大根か蕪の千切りだろうか、がある。右側は、にんじんやお肉(これは一部ツナの身にも見える)が認められるカレー・ソースで埋まっている。

 それ以外にも「向田邦子が選んだ食いしん坊に贈る100册」と題して、食に関する書籍がセレクトされている頁もある。
 さっと目を通しただけでも、檀一雄『壇流クッキング』や、金子信雄『新・口八丁手包丁』などの、ハウツー系と思わしきものから、夏目漱石の『我輩は猫である』や、太宰治の『津軽』などの、文芸作品まで挙げてある。 

 もっともっと長生きして、向田邦子にはさらに活躍してほしかったが、その願いは、もうかなわない。
 だが、彼女の「暮らしの愉しみ」のエッセンスは、この本を通して、末永く、受け継がれていくのである。
 

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電車男

2005/01/23 15:36

レス=断片の累積が醸し出す厚みによる効果

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 かつて、オフ会なるものに参加したことがある。
 そこに集った全員が語ったのが、ネット被害のことだった。ある人はHPを立ち上げたところ、複製に近いものをつくられたことがあると言った。作成者は同じ会社の人だったとか。また、ある人は、グループ内でレスのやり取りをしていたところ、自分だけが仲間はずれにされたことがあると言った。また、ある人は、いつの間にか標的になっていて、書くレスを、周りの人達に、ことごとく否定された経験があると言った……。

 さて、本書だが、レスのやり取りが、いい形で結実した、稀有な例だといえるだろう。

 なぜ電車男さんが、この恋を成就できたのか。
 これには幾つかの要因があるだろう。一つだけ挙げるならば、彼が素直な人だったからだと思う。

 彼は、アキバ系の情報には詳しくても、女性とデートするのに、場所の選定すら、ままならなかったのだ。「めしどこか たのむ」の、彼の助けを求める声に、次々と、その道のスペシャリスト達が現われて、即座に的確な情報をアップする。彼は、その情報をよく聞き(見て)、謙虚に受け止め、従っていく。

 スレの住人達=応援隊にとっても、電車男さんは、実に、教えがい、応援のしがい、があったことだろう。
 彼は、ブランド情報には疎(うと)かった。
 HERMESの文字を見ても、即座にエルメスとは読めなかったし、ベノアティーをベアノティーだと思い込んでいた。
 電車男さんは、今どき珍しいタイプだとは思うが、彼のもっている情報の偏り具合が、実にいい味を出している。

 かたや、彼の恋い焦がれている、エルメスさんも、「おぬし、なかなかやるよのう」な女性である。
 前述の、ベノアティー一つとっても、紅茶好きを自認する、スレの一部の住人達からしても、新鮮に受け止められたのではないか。これが、誰でも知っているようなブランドのものだったとしたら、受ける印象は、また違っていたはずである。

 何より、電車男さんは、素直なだけでなくて、正義感と勇気もあったのだ。車内暴力(?)に立ち向かっていったのだから。

 後に、電車男さんとなる、名無しさんが、「すまん。俺も裏ぐった。(中略)おまいらにも光りあれ…」と、2chに書き込みを始めなければ、この恋は成し遂げられなかったのだ。 
 その過程は、やはりこのレスの積み重ねを、順番に読んでいくという形で味わうのが最上だと思う。電車男さんご本人も、この形での掲載を強く希望されたと聞いている。例えばこの物語を、いわゆる、小説風の形式にしてもいいのかもしれないが、圧倒的に臨場感は減ってしまうような気がする。この形、レス=断片の連なりを読み込んでいくからこそ、自らがPCの前に座って、参加している気になれるのである。字数制限があるレスの集積だからこそ、これだけ沢山の人達が参加しているスレなのに、読みにくくない。逆に、軽妙なレスの蓄積が、ある種の深みを増す効用も生んでいる。顔文字やアートを見るのも、楽しい。

 この、住みにくい東京=都会にも、まだまだ他人(ひと)の善意はあったのだ、だとしたら住み続けるのも悪くない、そう感じさせてくれた本書だった。

 この本、電車の中吊り広告によると、既に2誌で漫画化されているらしい? 映画化もされると聞くが本当だろうか? 漫画は、イメージを壊されそうな気がして、まだ覗いていないし、映画も、同様の理由で、今のところ進んで見る気にはなれない。果たして、この物語の「良さ」は、きちんと、生かされている、生かされていく、のだろうか?

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文豪を「読み始める、読み直す、読み込む」キッカケに最適!

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 以前、『喫茶店で2時間もたない男とはつきあうな!』のご紹介をした。
 あの本は、「肩の凝らない内容で楽しませてもらえる」「いい意味でのナナメヨミができる」という点から、高く評価した。
 なぜこの話からスタートしたかというと、この文豪ナビシリーズの中には、必ず「声に出して読みたい〇〇〇』(〇〇〇の部分には当該作家名が入る)のコーナーがあり、その執筆者が『喫茶店〇〇〇』の著者の一人である齋藤孝さんだから、なのである。あの本では「偏愛マップ」という画期的(?)なマップが紹介されていたが、この「偏愛」という言葉は、何を隠そう、三島がルーツ(の一つ?)だったのだ。

 「偏愛の人----三島由紀夫」と題された齋藤さんの文章から、一部引用してみよう。『仮面の告白』についてだが、「」内が齋藤さんの文章、『』内が三島の文章である。

 「何かを特別に気に入る、という程度のことなら誰にでもある。しかし三島の場合は、「偏愛」の構造がまずあるのだ。どうしても偏って愛してしまう。(中略)私は「偏愛マップ・コミュニケーション」というメソッドを本にしたほど、「偏愛」という言葉にこだわっている。だからこんな文章が目にすぐ飛び込んでくる。」

 『そのころ数ある絵本のなかのただ一册、しかも見ひらきになっているただ一枚の絵が、しつこく私の偏愛に*うったえていた。』(*注 「うった」えて、の該当字、出ず)

 齋藤さんの「偏愛」問題に関する発見もさることながら、このシリーズでは、タイトルされた作家へのオマージュともいうべき、現在活躍中の作家のエッセイも読めるので、うれしさも倍増する。
 花村萬月さんは『憂国』について、紙数を割いている。

 まず一作を、と迫られれば、後の三島の死を暗示する<憂国>をあげなければならない。(中略)三島は抑制するべきだった。才能を抑え込むべきだった。(中略)けれど、あれこれ文句をつけながらも、文学の主題が生と死であることをこれほどにまで如実に、しかも短く描ききった作品を私は知らない。

 この文章に刺激されて、たまらなく『憂国』が読み返したくなってしまった。文字通り、文豪(の方向)へと「ナビ」されてしまったのである。

 これまで三島をあまり読んだことがない方には、アウトラインを知ってもらうことによって、着手しやすいということもあるだろう。三島をかつては読んだが最近はご無沙汰、という方には、再読、かつ、より深い読解の世界へと誘う効果が期待できる。
 実にコンパクトな良書である本書の評価は、三島の作品も併せ読む、という条件付きである(笑)。さて皆さんは、三島のどの作品を読むのだろう? 
 本シリーズでは、漱石、芥川が既に出ていて、川端や谷崎なども続々刊行予定だ。早く出してほしいものである。

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早くから「稼ぐ」認識をもっていた勝利

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 身の回りに沢山、頭のいい人がいる。
 皆それぞれに違った頭の良さをもっているが、大概の人が「お金」のことなど深くは考えていないし、ましてや、「稼ぐ」という明確な意識をもって、労働に臨んではいないような気がする。結果として、その頭の良さが、その良さ程には、年収に反映されていないように感じられる。

 著者のすごいところは、高校生の頃から「稼ぐ」ことに深い関心をもち、そのために大学を選び、東京に出てきたことだ。かつ、大学生の頃には、普通のサラリーマン以上に「稼いで」いた。しかも、その「稼ぐ」レベルを落とさないため、サラリーマンになる道を選ばなかった。

 「お金のことを、とやかく言うのは、はしたない」に代表されるような道徳・倫理観や清貧思想が、この不況で大幅に崩れたのは言うまでもない。
 皆、ない袖は振れないし、見栄を張りたくても張れなくなってきている。

 少し前なら、本業をする一方で不動産運用などする人(会社)が、い(あ)ると「あの人(会社)は、本筋以外の収入のほうが多い」と揶揄される向きもあった。 だが、本業に堂々と取り組むためには、時間をなるべく削られずに済む上で得られる、安定した生活資金が必要だということに、皆だんだんと気付き始めているのではないか。かつ、そういう資金を調達する、できる、ことは何ら恥ずかしいことではなく、むしろ、誇らしいことなのだ。そのような意識の変化は、『金持ち父さん、貧乏父さん』が出版された頃から、じわじわと広がってきているように思える。週末起業着手を真剣に考えている人もいるはずだ。

 著者は、雑誌は読むが、本はあまり読まないらしい?
 では、その「稼ぐ」認識を、どのような手段で、そんなに早くから、培ったのだろう。
 お父上の当時の現状以外に、何か秘密があるような気がしてならない。
 その秘密の解明はもちろんのこと、次々と事業を拡大させていく著者に、今後どういう未来が拓けていくのかも、楽しみである。

  

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紙の本アメリカの夜

2005/02/16 22:14

阿部和重ワールドへの、最初の扉

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 この本を最初に読んだのは何時のことだったか。

 手元の資料によると、ハードカバーが最初に出たのは、1994年の7月ということになっているから、その直後なのだろう。だとすると既に、軽く10年が経過していることになる。

 冒頭に、ブルース=リーの武道(武闘・武術)論が書かれていて、とにかくすごい本だった、という記憶だけが鮮烈に残っている。

 その印象は間違っていなかった。

 ブルース=リーが武道に関する、本にも成り得るような膨大な資料を遺していた、というだけでも十分に驚いてしまう事実だ。
 彼に関しては、『ドラゴンへの道』『グリーン・ホーネット』等、寡作に出演した後、急逝したというくらいの覚えしかない。
 上半身裸で黒いパンツ(武術着?)を身に着け、奇声を発して、ヌンチャクを振り回している姿には、今でも時折、お目にかかるが、ハリウッドに、「香港映画出身のアクション・スター」という地位を確立したのは、間違いなく、草分け的存在の、彼である。
 肉体派という印象が強烈だった彼だが、自身の武道に関する豊富なメモやイラストを保存しておくくらい、実際には、繊細、かつ、インテリな人だったのだ、ということを教えてくれたのは、何しろ、この『アメリカの夜』である。

 タイトルの『アメリカの夜』は、トリュフォーの映画に由来するのは、あまりにも有名だが、この書評を書くために、久々に見ることになったDVDの映像では、懐かしい、エメラルド・グリーンの、近視かと思わせるような瞳(?)で、ジャクリーン=ビセットが微笑んでいた。

 他にも、この1册を読むだけで、例えば、ソシュール、大江健三郎、『ドン・キホーテ』など、様々な世界へと繋っていくのだ。

 本書は、まさに「扉」の役割を果たしている。

 「私」が語る、中山唯生の哀しい話、をぜひ読んでみてほしい。哀しい話、は意外にも、笑える話、なのかもしれないからだ。

 この本こそが、阿部和重ワールドへの、入り口である。
 いきなり芥川賞受賞作、ではなく、ぜひ、この本から読んでみてほしい。

 ここから、『シンセミア』『グランド・フィナーレ』へと、阿部和重ワールドは、連なっていく。

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悪童日記

2005/01/30 23:07

アゴタ・クリストフ再読1/3

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 最新の、文芸賞受賞二作、コーラが好きだという山崎ナオコーラ氏の『人のセックスを笑うな』と、爽やかな風貌が写真から伺える白岩玄氏の『野ブタ。をプロデュース』から、ある小説のことを思い出した。

 この、アゴタ・クリストフ『悪童日記』である。

 まず、山崎氏の作品から思い出されたのは、氏の作品同様、この作品が、文章を飾り立てるという形では書かれていないこと、だった。

 「ぼくらの学習」と題された項目の中で、そのことについては記されている。主人公である双子の男の子は、第二次世界大戦と思われる、学校も封鎖されているような状況下、家の中で、独学で勉強しようとする。作文も必須課題だ。以下は、その作文について、二人が決めたルール、である。

 「良」か「不可」かを判定する基準として、ぼくらには、きわめて単純なルールがある。作文の内容は真実でなければならない、というルールだ。ぼくらが記述するのは、あるがままの事物、ぼくらが見たこと、ぼくらが聞いたこと、ぼくらが実行したこと、でなければならない。
 たとえば、「おばあちゃんは魔女に似ている」と書くことは禁じられている。しかし、「おばあちゃんは“魔女”と呼ばれている」と書くことは許されている。

 作中における、ぼくら、の作文ルール解説はまだまだ続くのであるが、山崎氏が、このルールのような方式を、創作過程において意識していたかどうかはともかくとして、自分は、同じような匂いを、そこに嗅ぎ取った。

 次に、白岩氏の作品から思い出されたのは、この作品の、ぼくら=悪童の、やんちゃぶりである。

 白岩氏の作品では、桐谷修二(きりたにしゅうじ)という、俺=一人が主人公であるという違いはあるものの、主人公が聡明であるが故に、その才能を、ワル=ハチャメチャぶり、に遺憾なく発揮できていた点が、これまた共通していたのではないかと思ったのだ。

 もちろん、戦時下で、常に「死」と隣り合わせになっているような逼迫した当時の東欧と、平和を絵に描いたような現代の日本(の高校)、という状況設定の、かつ、その「ワル」の程度と方向性の、差異こそあるものの、この双子同様、俺=桐谷修二は、間違い無く、悪童の一人なのではないだろうか。イヤな奴が「イヤ」さぶりを発揮すればする程、他の登場人物達の個性も生きてくる。桐谷修二が捻(ひね)りの効いたプロデュースぶりを示すほど、小谷信太(コタニシンタ)のボケぶりも嵌(はま)っていたし、同様に、この作品の双子が悪徳ぶりを遂行する程、おばあちゃんや将校など、他の登場人物達の動きも、引き立っていたのではないか。

 さて、久々に読み返した『悪童日記』だが、子供が書いた作文=日記という設定なので、難しい語彙は使われていないし(その割にはこの二人、時に、大人が使うような凝った言い回しをして周囲の人達を面食らわせるのだが)、とても読みやすい。二人の悪道ぶりは徐々にエスカレートするのだが、その悪辣ぶりには、湿った要素は微塵もない。一項目毎に、余白もたっぷりと取ってあり、ひと息ずつ休みながら読めるので、読み込む速度にも弾みがつく。

 ハンガリーのブダペストと思われる、大きな町から、母と別れて、(見るからに気難しそうな)おばあちゃんの住む小さい町へと疎開してきた双子は、生きていくために、何をしなければならなかったのか。

 本作は、大戦時の東欧のあれこれ、例えばホロコーストなどについても知ることのできる、後世に残っていく、悪漢小説=ピカレスク・ロマンである。

 同作は、三部作の第一作で、他に『ふたりの証拠』『第三の嘘』という作品もある。残り二つもお薦めだが、自分も、朧(おぼろ)げな記憶をなぞるように、再読を繰り返していきたい。

 同じ早川書房から、文庫版も出ているので、併せてご覧いただければ、幸いである。

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言わなければよかったのに日記

2004/12/13 15:04

君を、ずっと待っていたんだ。

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 このところ、物理的制約が重なり、なかなか書評を書くことができなかった。その間に、我々「鉄人の使命」(?!)について、つらつらと考えてみた。

 「鉄人の使命」は、シンプルにただ一つ。
 良書を紹介すること。
 これに尽きると思う。

 決して「いいと思った率」や「はい、いいえボタンをクリックした回数」を競うことではない。というよりも、良書がそれなりの形で紹介されていれば、多少の上下はあったとしても「率」が極端に悪くなる訳がなく、自ずと評価は付いてくるはずである。

 我々「鉄人」の努力は、良書をなるべく最適の形で紹介するために書評を磨き上げる、前向きなものにこそ、払われるべきではないのか。

 などと考えているうちに、出会ってしまったのが、この本である。

 この本は何年も前から、ずっと探していた。品切れで古本屋にすらなかったのだ。噂が噂を呼び、期待と妄想が膨らんでいた。ところが奥付を見ると、既に2003年8月に復刊しているではないか。「一年以上も気付かなくって、ごめんね、深沢君」の心境である。

 この『言わなければ良かったのに日記』は、あの『楢山節考』を書いた深沢七郎のエッセイである。深沢は、デビュー作の『楢山節考』が、三島由紀夫等に高く評価されたお陰で、いきなり時の人となり、一流の文壇の人達と交流する機会をたくさん得る。その人達と交じわる時でも、決して、えらぶらず、我が道を行くのが、深沢君なのである。

 深沢君はある時、山梨県石和の自宅にある月見草を、石坂洋次郎先生のお宅の庭に植えてもらいたいと、お屋敷まで持参してきた。だが、入り口までやって来て、深沢君は、急に不安になる。果たして喜んでもらえるのだろうか、厚かましくないだろうか、とでも考えたのだろう。

 玄関の前に立ったが(こんなものを持って来てしまった)と思うと気がひけてしまった。

 と、ご当人も正直に告白している。

 さて、問題だ。
 深沢君は、この後、どういう行動を取ったのだろうか?

 この部分も含めて、深沢君の面白さ、凄さは、ここに、これ以上書いてしまっては半減してしまう。ぜひ本書を手に取って、確認してほしい。
 ついで、と言っては何だが、『楢山節考』を未読で、ご興味がある方はぜひ併せて読んでみてほしい。文庫が出ているが、『東京のプリンスたち』という小粋な短編も掲載されている。

 かつて日本には、このような、優秀なのに謙虚でユーモラスな人、がいたのだなあ。 この『日記』を手にして、しみじみそう思う。
 こういう人達の足跡を辿ることができるから、やはり本を読むことを止められない。そういう本、すなわちいい出会いがあった時には、微力ながら、紹介したい。
 紹介するのには、まだまだ努力不足なので、さらに沢山の本を読まねばならないのである。

 古き良き時代の日本がわかる1册である。

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食いものの恨み

2004/11/18 00:11

著者の料理はマジうまかった!

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 実は小生、数年前都内某所で、著者のつくった料理を食したことがある。などと書くと、まるで著者と小生との間に秘密の関係でもありそうに聞こえるかもしれないが(聞こえないか(笑))、そう思われたらしめしめ、うれしいものである(残念ながら、かつ、当り前だが、何もないのだ)。

 冗談はさておき、著者がその時に使った食材は、腐乳(フールー)とピータンだった。ピータンを腐乳で和えたお料理だったのだ。

 この2つの各々が、当時とても苦手だったのである。
 まず腐乳だが、かつてどこかで食べたそれは、塩気が強すぎた。以来「腐乳はまずいもの」という認識が、頭を離れなかった。発酵系は、かなり発酵度合いが進みすぎたものでも平気な小生だが、腐乳はダメ、許容できない、と思っていた。次にピータンである。食通の友人2人が互いを見つめ合いながら「ピータンておいしーよねっ」「そーだよねっ」と、強く頷き合っていたのを見たことがあるが、内心「よくあんなグロテスクな(色の)ものを食べることができるものだ」と感心していた。完全な食わず嫌いである。

 で、著者の料理が供された時、この苦手な食材2種の攻撃に、箸を付けるのも、おそるおそるという感じだったが、一口食べてあまりにもおいしかったので、大皿から小皿へと、何度も何度も、よそってしまったのだった。
 ピータンも腐乳も、ほどよい上品な塩加減で、透き通ったゼラチン質をもつ薄切りのピータンと、まるでジャージー乳を素材にしたヨーグルトのような「こく」や「感触」をもつ腐乳とは、お互いの存在を消すこともなく、さらに高め合っていたのであった。

 さて、この本は、著者の日頃の「食」に関する一切合切を、日記形式や、材料や場所毎のあれこれ、で記したものである。

 著者の腕は上記の通り折り紙付きだが、この本を読むと、著者が日頃から、どれだけ舌だけでなく腕までも、鍛えているかが如実にわかる。著者は干しアンズから、らっきょうの塩漬、キャベツのぬか漬け、鰺の干物、等々、全て手作りなのである。
 小生の母も、いかの塩辛も含めたほとんどの品が手作りだったが、さすがに魚の干物までは作っていなかった。
 まるで漁師のような著者、恐るべし、である。

 交友関係、海外渡航経験も半端ではないくらい広くて多いので、まあ何ともうらやましい、というような、上海蟹やすっぽん、韓国・鯨のカルビチゲやインド・羊の脳みそのカレーに至るまで、日常的に食している。

 ところが一流のおいしいものしか口にしていないのかと思うと、決してそうではなく「え、こんなもの私でも(頻繁には)食べないよ」というような、例えば、コンビニ系おにぎりや、カップ麺各種、おしゃぶり昆布、水に入れて煮るだけのリゾット(の素)、のような食べ物にまで、時には、というよりも、意欲的にトライしているのである。
 著者曰く、「ジャンクから料亭まで舌の幅をできるだけ広くしようとしている」とのことだ。

 途中頁に、パスタを食べている著者の写真があり「ダーツの的にお使いください」という楽しいキャプションが付いていた。確かに、その頁を何度も拡大コピーして写真部分をA4かB4サイズにすれば、ダーツの的にできるであろう。だが、バチが当たりそうなので止めておく(笑)。

 所々に、我々でも簡単にできそうな「著者の捻(ひね)りの効いた品々」、例えば、「肉なし回鍋肉」「塩辛のスパゲッティ」「あぶらそうめん」などのレシピが付いている。

 皆さんもぜひ、著者の腕と舌とに、挑戦してみよう!

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紙の本白洲正子“ほんもの”の生活

2004/11/07 01:30

白洲正子の好きなカレーは?

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 大礼服姿の祖父・資紀に抱かれた、5歳くらいの白洲正子の写真は、あまりにも有名である。白いワンピースに白いタイツ姿の正子。ワンピースの裾からは白いレースが少しだけ見えるのが、清楚さ、利発さを、いっそう引き立てている。おかっぱ頭の、前髪はあまり漉いていず、後ろ髪は少し長く、肩のほうに流していて、そのつやのある黒髪と黒い靴とが、全身白の装いの、程よいアクセントになっている。

 さて、前述の写真も見ることができる本書は、東京都町田市・鶴川にある、旧白洲邸・武相荘(ぶあいそう)が、2001年に記念館として公開されたのを機に、つくられたものらしい。その公開にあたっての、正子の長女、牧山桂子(かつらこ)氏のお話を皮切りに、生前の正子と深く関わりのあった色々な方が寄稿していたり、もちろん正子本人の原稿も一部掲載されているので、貴重な情報が溢れんばかりなのだが、あえて「食」の部分に注目してみた。

 その項「白洲学校の給食係」を書かれたのは、松井信義氏である。松井氏は、早稲田大学卒業後、東京で、うつわの店を経営されているが、石川県七尾で幼少期を過したため、極寒の七尾への、海の幸を賞味する友人達との旅を、恒例化していた。その噂を聞き付けて、正子がその旅に参加したことが縁で、亡くなるまで、実に20年来の付き合いだったようだ。正子は、松井氏の舌の確かさには一目置いており、あまり自分で料理はしなかったこともあって、おいしいものが食べたくなると氏を頼り、氏は忠実に、その都度正子の期待に応えた。標題にある通り、まさに「給食係」だったのである。

 一部引用してみよう。

 時々珍しいものを鶴川へお持ちすると、ひどく喜ばれました。
 麹町のプティフ・ア・ラ・カンパーニュという店のカレーや、等々力駅近くの小さなラーメン屋が作る野菜がたくさん入った生餃子、越後屋若狭の水羊羹など。果物は昔の風味のまくわうりや無花果がお好きでした。
 嫌いなものは少なかったと思いますが、刺激のある辛さは苦手でいらしたようです。カレーは、白洲さんだったら辛口に決まっていると思ったのですが、中辛でも甘口でもだめ。結局、お子様用カレーに落ち着きました。

 写真からは、取っ手が付いた銀製のカレー用の器に、欧風と思わしき焦茶色のルーが盛られているのが、見える。しかも、そのルーを被い隠さんばかりに、マッシュルームや、エビ、貝類などの具が、器の縁の辺りにまで達している。
 何とも贅沢なカレーである。

 やはり白州正子も食べることが好きだった。
 しかも、カレーが好きだったのである。
 
 宇野千代しかり、一流の作家はカレー好きと見立てたのだが、その仮説は当たっているだろうか? このポイントから、また別な作家を、近いうちにあたってみたいと思っている。

 本書は、写真も多く「食」だけではなく「衣(きもの)」「住(武相荘)」も含めて「ほんもの」の白洲正子を知ることができる重要な1册である。
 この「とんぼの本」シリーズには、他にも白洲正子にスポットを当てたものが幾つかあるので、併せて読まれることをお薦めする。

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私の作ったお惣菜

2004/11/05 23:43

お千代さんの、カレー、あなご、すきやき

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 「私、何だか死なない気がするんですよ」と宇野千代が言っていた頃、本当にそんな気がしたものだ。
 「ウノチヨ ハ シナナイ」はずだった(笑)。
 もちろん彼女は、とうの昔に、あちらの世界に行ってしまった訳だが、そのこと自体が今でも信じられないような気になるのは、あちこちで未だに、彼女の顔(写真)や発言(エッセイ)、小説などを、沢山目にすることができるからだろう。

 彼女は料理の本も幾つか残している。
 そのうちの一册である、この本に掲載されているお惣菜は、全部で33品ある。

 頁を繰っていくと、まず「岩国鮨」というメニューからスタートするので、ははあ、なるほど、いわゆる、おばあちゃんの味だな、と思うと、さにあらず、なのである。

 確かに、III部構成のIでは、いわゆる和食のオンパレードだし、全体的にその流れを汲んでいるのだが、注目すべきはIIとIIIだ。

 IIで最も目を惹くのは「私のカレー・ライス」の項である。
 彼女はこう記す。

 では、どうして、私と一緒になりましてから後の東郷(青児)が、今日もライス・カレー、明日もライス・カレーにばかりなったのでございましょうか。
 それは一途に、私が腕によりをかけて、そのライス・カレーにつける薬味を、新しく考え出した、その私の腕前にあったのではないでしょうか。

 実際につくられたカレー・ライスの写真を見ると、色艶やかな和風の器に、少なめに薄く平らに盛られた白米の上に、ひき肉入りのカレーがかけられ、ゆでて賽の目に切った、じゃがいも、にんじん、グリンピースがトッピングされている。カレーの平皿の脇には、同じ形をした、沢山のガラス小皿に、色違いの薬味が盛られている。
 その写真の脇には、「福神漬け、ゆで卵の黄身と白身、ピクルス、大根漬け、紅生姜、しらす、オレンジ、花らっきょう、レーズン、松の実----と11種もそろった薬味。きれいなカレーでしょう」とのキャプションがある。 

 カレー以外にも、IIでは「あなごのバター焼き」が、 IIIでは「極道すきやき」が、メニューとして際立つ。

 「あなご」の項では、「脂の乗った、もう、それだけでも旨いあなごを、さらにバターで焼こう、と言うのでありました。私はいま、数え年で九十歳にもなっているのですけれど、ただ、食べ物の好みだけは、どうしても年齢相当とは言い兼ねるかも知れませんね」と彼女は語っている。

 「すきやき」の項では、4つの写真の脇に、「出来れば上等の牛肉を用意します」「ブランデーと割りしたをかけます」「よく溶いた卵黄をたっぷりかけ……」「「よく味がしみわたったら焼き始めます」とレシピの一部が書かれているのだが、どのような写真が載っているのかは、ぜひ実際に目で見て確かめてほしい。

 宇野千代が、次々と一流の男性と恋愛できたのは、いろいろな要素があっただろうが、この、料理上手という長所の効用が大きかったのではあるまいか。

 やっぱり一流の作家は食べることが大好きなのだった。
 徹頭徹尾大満足の本、である。  


 
  

 

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「漫画こそ全て」という生き方

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 せっかく大金持ちの家に生まれたのに、著者が生まれる前に、一家の財政は大幅に傾き、既に「火の車」だった。末っ子だった著者は、苦しい家計のために、生まれてくる権利すら、母によって奪われようとしていた。ところがその事実を知った祖母が、母を諭して、著者は、この世に生を受けた。

 著者は、貧乏な子供時代を送ったことを感謝している。

 だから、もしもそこそこの生活をしていたら、マンガ家にはなってなかったかもしれない。マンガを描いて金を稼ぐ。一日も早くプロになる。これが基本コンセプトだったから。そのためには、努力も惜しまなかったし、デビューした後も、とにかく仕事を優先して生きて来ましたからね。三つ子の魂百まで、ってやつよ。

 それから月日が経って、著者は結婚し、離婚することになる。

 結婚している間は、頭が「恋愛モード」じゃなかったから、恋愛マンガ描いてなかった。その代わり、ミステリーとかアクションとか、色んなものを描いてて。それはそれで幅が広がったしよかったんだけれど。でも、『恋のめまい 愛の傷』を描くことになって、恋愛について1日中考えているウチに、ヤなコトに気付いた。すべてが、昔の引き出しを開けて考えているのよ。

 著者のことをよく知らなかった頃は、あふれる才能を小出しにして、あれだけの漫画を量産することが簡単にできる人なのだと、勝手に思い込んでいた。だが著者は、才能の何割かを適当に使い回して、作品を気軽につくっている人ではなかった。

 常に、全力投球なのである。
 離婚も漫画のためにしたようなものだ。

 その「日頃の渾身ぶり」が生んだ結果は、著者が長い間、「『第一位』であり続けている」という形で、如実に証明されている。

 よりよい漫画を描き続けるにはどうすればいいか、いつも前向きに考え続けている、著者のスピリットが、よくわかるエッセイである。

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初めての「ゴージャス・ミルフィーユ」の味

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 著者の漫画を、残念なことに、多感な頃に、あまり読むことはなかった。

 それから結構な月日が流れた、ある日、何の気なしに、『有閑倶楽部』を手に取った。
 こんなに面白い漫画があったのか。のめり込んだ。
 以来、『有閑倶楽部』は、欠かさず買っている。

 『有閑倶楽部』には、いろいろな良さがあるが、第1巻では、魅力的なキャラクターたちが、生徒会室で、ナポレオン・パイと称する、マキシムのミルフィーユを食するシーンが、冒頭のあたりで出てくる。

 その部分を読んだ途端に、実物を買いに走ったのは言うまでもない。
 著者が言っていた通り、いちごがとても立派だったし、バニラの粒々も、カスタード・クリームの中から見え隠れしていた。
 初めてのゴージャスな味に、ひたすら圧倒された。

 「初めての味」を教えていただいて以来、この著者の食関係の記述には注目している。『有閑倶楽部』だけでなく、それ以外の作品でも、食べ物やお酒に関する記述が、山のように出てくるので、とても勉強になる。漫画を読んでいるうちに、お酒をあまり飲めなくて味は試せなくても、銘柄だけは自然と、頭に叩き込まれてしまうのだ。

 その著者が、自らの食生活について語ったのが、この本である。

 著者は意外なことに、「忙しさにかまけて外食オンリー」ではなく、お料理をつくるのも、とても好きだし、上手なお方、なのである。

 目次はもちろん、内容を見ていただけば一目瞭然なのだが、ほとんどの頁が、自らの手料理について、割かれている。
 例えば、「秘技! ゆかり式カレーの作り方」「バテたときはスタミナ食で乗り切れ!」などの箇所では、実際に、カレーや冷やし茶漬けを作るための、材料や作り方が記載されている。

 海外渡航経験も豊富な著者だから、ニューヨークやイスラエルなどの食事情についても、知ることができる。

 一流のハリウッドスターは、よく食べるそうだ。
 同様に、一流の漫画家も、よく食べるようだ。

 このコミックスは、漫画だけではなく、食に対しても一流の、この漫画家の秘密を知ることができる、うれしい一冊なのである。

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三匹の蟹

2004/10/10 22:08

教えたくなかった小説

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 何度この小説を読み返したか、わからない。
 それくらい大好きな小説である。

 そもそも、書評をするにあたって迷うのは、その対象となる本の選定だ。いいものは教えたい。だが、それと同じくらい、教えたくない。
 内緒で取っておき、こっそり自分だけのものにしたい。
 そして、好きな時に、何度も読み返したい。
 好きな本があまり世間に知られていないのは、残念であると共に、ちょっぴり、うれしかったりする。

 だが今日は、「とっておき」を蔵出しするつもりで、ご紹介したい。

 由梨は、アメリカ西海岸に、夫の武、娘の梨恵と共に、3人で暮らしている。
 ある夜、いつも開いているブリッジ・パーティーに、体調不良もあり、由梨は、どうしても参加する気になれない。お茶やお菓子、お酒の用意だけをして、客達の相手をするのもそこそこに、適当に言い訳しつつ、由梨はホステスの立場をほっぽり出し、外出してしまう。
 車を走らせているうちに、由梨は遊園地に行こうと思い立つ。
 遊園地の中には、アラスカ・インデアンの、民芸品の展覧会場があり、さほど興味もないのに由梨は、奇怪な面や、動物の顔や頭を象(かた)どった被りものなどを見つめる。
 一通り見終わった頃、桃色のシャツを着た男が、展覧会場の終了を、告げにやって来た。

 この小説には沢山のいい所があるが、あえて一つだけ挙げれば、少々意地悪な会話の、切れの良さである。
 一部引用してみよう。

 「ふん、ママ、若く見えたいのね」
 「そうよ。女は誰でも若く見えたいのよ」
 「だけどね、ママ、みんな梨恵がいるのを知っているから、少くとも三十より若いとは思わないわよ」
 「十六ぐらいで子供を生む女のひともいるわよ」
 「そういうのは不良少女よ」
 「どうお、ママ、二十六に見えると思う?」
 「梨恵はもう知っているから、知らない時のような気分になれないのよ」
 「何だって、何時まで其処(そこ)に突っ立っているの。ひとを批評ばかりするのはよくないことよ。殊(こと)に女の子は嫌われます」

 まだまだ引用したい所が山程あるが、登場人物たちの絶妙な会話のやり取りを、ぜひ楽しんでほしい。

 「不倫」という言葉が当たり前のように日常化している今日、この小説を読むと、さほどの衝撃を感じない方も、いるかもしれない。

 だが、この小説は驚くべきことに、1968年に書かれたのだ。

 作者は、この処女作で、芥川賞を受賞した。
 

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紙の本最後の吐息

2004/10/05 22:02

「甘く焦げた」香り漂う物語

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 とてもおなかが空いている時に、食べ物のいい香りを嗅ぐ。だが、その食べ物はすぐに食べることはできない。なぜなら、あなたは今何かをしている最中で、ごはん時には、まだまだ時間があるからだ。なのであなたは、望まないのに、おいしそうな食べ物の香りを嗅ぎ続けなければならない。30分? 1時間? どれくらい、おあずけを食わされたのだろう。さて、ごはんの時間がやってきた。あなたの好物ばかりが並んでいる。さあ一気にかき込むぞ、と言わんばかりの勢いをつけようとするのだが、さにあらず。思ったより食が進まない。そんな経験は誰にでもあると思う。

 この物語を読み始めてすぐに、南国の、花に囲まれた市場に、ワープしたような気分になった。

 真楠(まくす)は、メキシコで、まだ読んだことのない作家の死を知った。恋人の不乱子(ふらんこ)が、日本から、その作家の訃報を知らせる新聞記事を送ってくれたのだ。その作家の名前の活字を見ているうちに、真楠は、身体に変調を来すほどの抗えない力を受け、図書館に通い、その作家の小説を読み始める。読み進むほどに、特に、三半規管の不調は徐々に高まり、その不思議な感覚の中、真楠は紙に、その作家の名前を、たくさん書き付け、その単純作業を続けていく。作家の名前だったはずの文字は、いつしか、不乱子にあてた手紙になっていた。

 ハイビスカス、ベゴニア、ブーゲンビリアなどの花の香りはもちろんのこと、この物語の、あちらこちらから、食べ物の香りが襲いかかり、誘惑が加わる。中国茶、オイスターソース、朝鮮人参のような香りから、トマト、鶏肉、ニンニク、タマネギ、セロリ、ズッキーニ、コリアンダー、揚げたトルティージャ等を煮込んだ、チリ味のスープの香りまでもが、交錯する。
 だが、それらをすべて消し去るくらいに、キンモクセイに似た、グアバの香りが、強烈に、そこここに、渦巻いている。

 南国の市場が発する香りに、それらの全てを飲み込むようなグアバの香りが加わって、混ざり合い、凝縮して、甘く焦げた、まるで、カラメルソースのような香りが、円環運動を起こしているような感じを味わった。それはまるで、香りばかりを嗅がされて、おあずけを食わされたが故に、実際のごはんは、たくさん食べられなかったけれども、なぜか心地よかった、あの感覚に似ていたのだった。
 この物語には、ある仕掛けが、加えられている。その仕込み具合を味わいながら、甘苦い香りが、強くなったり、弱くなったりするのを嗅いでいるのは、最高の気分だった。

 皆さんは、どのような香りの動きを、この物語から感じとるだろう?

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