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T.O.さんのレビュー一覧

投稿者:T.O.

12 件中 1 件~ 12 件を表示

紙の本太陽の塔

2007/07/04 23:49

頭でっかちで、不器用で、自意識過剰な主人公の、悶々たる、されど美意識あふれる失恋物語

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 頭でっかちで、不器用で、自意識過剰で、しゃれて小粋にスマートに過ごすような「軽い生活を送ること」は、自分の美意識が許さないし、不器用ゆえに出来もしない。さりとて、そのような生活がまったくうらやましくないかというとそうでもない、とひそかに心の奥底で認めないでもない主人公の、失恋物語。なんともその悶々たる様子が、面白いですし、主人公も、あえて「悶々たる生活」を選んでいるところがあって、それも、ある種共感できます。
 ずっと昔、私自身が大学生だったころ、周囲にいた男子学生って、こんな感じだったなあ、と思って読んでおりましたら、この森見登美彦さんって、ずいぶん若いのですよね。1979年生まれといいますから、今27−28歳?!いまどきの若い人って、こんなに自分の美意識と闘って悶々とするのかなあ、もっと軽いんだと思ってた、とちょっと驚きでした。
 本のタイトルともなっている「太陽の塔」も、シンボリックに印象的に描かれていて、自宅からその太陽の塔を見ることの出来る私には、なかなか感慨深いものがありました。もっとも、「これが出てきた意味は結局なんだったんだ??」というところもありますが・・・。
 とにかく、面白かったです。京都に住んだことがあったり、京大生だったりした人は、何割り増しかで一層楽しめるのではないかと思います。

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紙の本ココ・マッカリーナの机

2006/07/29 01:56

中島京子のうまさを改めて実感

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 中島京子は、作家になる前、雑誌の編集の仕事をしていて、その仕事に飽き足りなくなり、会社を辞めて、教師交換プログラムに応募し、アメリカに1年間滞在していたのだそうで、これは、そのアメリカ滞在のときのエッセイです。『イトウの恋』や『FUTON』を書いた中島京子という人がどんな人なのか、ちょっと知りたくて、手に取りました。
 もっとも、そういう好奇心はあったものの、下手なキャリアアップ的な話や、「外国でこんなことを学んだ」的な体験談は、時としてちょっと鼻につく場合もあるので、どうだろうかなあ、と少しばかりひけ腰ぎみに読み始めました。ところが、これがとっても面白かったのです。まず最初から、いきなり占い師に手相を見てもらう話が出てきて驚かされ、一気に引き込まれます。
 この中島京子という人、『イトウの恋』や『FUTON』でもうまいと思いましたが、このエッセイを読んで、それをさらに実感しました。一つ一つの話の運びがとてもうまくて面白く、しっかり最後にオチもついていて、楽しませてくれます。このうまさは、雑誌にかかわって10年、編集の仕事をして7年という彼女の実績からくるものもあるのでしょうが、もともと実力のある人だったんだな、と改めて思いました。物事をしっかり見る目があり、文章に無駄がなく、描写も的確。それでいて押し付けがましさがなくて、ユーモアがあって気持ちよく読めます。「居候、三杯目にはそっと出し」で始まる「こういったガーデンの味」の話など、そのうまさと心地よさを十分に味わうことのできる話が次々と出てきます。
 タイトルの「ココ・マッカリーナ」の意味も、ああ、そういうことなのか、と納得し、またしても「うまいな」と感心しました。
 文庫版のあとがきに、あの『文学賞メッタ斬り!』の豊崎由美さんが書いていて、これがべた褒めでした。その気持ちに私も同感です。読後感のとてもいいエッセイ。おススメです。

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水曜の朝、午前三時

2006/10/15 02:55

書いてある内容は、かなり濃いものですが、文章自体は、淡々としているというか、凛としているというか。

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 Bk1の書評で興味を引かれて手にしました。45歳で脳腫瘍で亡くなった女性が、自分の死ぬ前に一人娘にテープを遺し、そのテープを起こしたもの、というお話です。ヒロインの女性は、自分がかつてとても好きだった人がいたこと、でも、ある事情でその人とは結婚できなかったこと、そんなことを死ぬ前に娘にテープに吹き込んで遺したというものです。
 その女性は、1970年に万博のコンパニオンを勤め、そこで件の彼と出逢ったという設定です。1970年という時代、まだ今よりはずっとコンサーバティヴな時代で、世間の目とか、そんなものもあった時代のお話で、これは「オールド・ファッションド・ラブソング」「古風で床しい恋愛小説」だという触れ込みでした。
 読み終えて、なかなか心に残る作品でした。設定が1970年ということですから、話はたしかに古風といえば古風です。1970年に23歳ということは、私よりは少し上の世代の話です。でも、この時代の20歳代の女の人の気持ちは、分かるな、と思って読みました。とにかく早くしかるべき人と結婚するように、という周りからの無言の圧力とか、それに抗って、何かをしたいという気持ちとか、それでいて、実はさほどのことも出来ないという現実とか。ヒロインはとても有能で頭の切れる女性ということですから、周囲の状況がよく見えて、自分にそれなりの自信もあって、それだけに、そのギャップも人一倍強く感じたのだろうと思います。
 そんな中で出あった、理想の人、その人との熱い恋、そして別れ。コンサーバティヴな時代のことですから、今風に言えば、「ポリティカリー・コレクト」ではない話が出てきます。でも、この話の中では、それはひとつの「道具」あるいは「舞台設定」なのだろうと思います。そこに重点を置いて書かれたのではなくて、自分の取った選択は、最後は自分の意思、決断によるものだったのだということが、この話の本旨なのではないかと思うのです。
 その舞台設定のひとつとして、万博がうまく使われていたようにも思いました。万博に何を見に来たかと問われて、「万博を見に来た」と答える人が多かったというエピソードも交えて、あんなふうに単純に国中が熱狂的になる、言ってみればいい意味でも悪い意味でも「純な気持ち」が支配していたときに、そういう「単純なものの考え方」を否定し、反抗しながら、ある種、そういう世間に取り込まれてもいく状態、が描かれていたのではないかと思います。
 書いてある内容は、かなり濃いものですが、文章自体は、淡々としているというか、凛としているというか。それは、ヒロインの女性が、それまでの自分の選択を、恋人との別れの事も、その後の事も、自分の選択を全て、自分の身に引き受けて、逃げないで、ごまかさないで最期を迎えたからでしょうか。
 心に残る作品でした。

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紙の本白洲次郎占領を背負った男

2006/07/30 02:28

白洲本の本命本

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 白洲次郎のことは、まったく知りませんでした。それが昨今の白洲次郎ブームのおかげで、書店の店頭に平積みされていた白洲本の1冊をたまたま手にする機会があり、彼が戦後の占領時代、吉田首相の側近として活躍した話に俄然興味を抱きました。そこで、何冊か関連の本を続けて読み進み、この本に至りました。
 この本は、さすがに山本七平賞を取っただけあって、読み応えのある、質量ともに充実した中身の濃い本でした。白洲次郎については、その生い立ちや、イギリス仕込みのダンディズム、著名な白洲正子夫人、河上徹太郎をはじめとする文化人との交流、戦後の日本を築くにあたっての活躍、と華やかなエピソードには事欠きませんが、その反面、この人が大臣などにならなかったこともあってか、原典とされる資料が限られているようで、同じ話がいろんな本に出てくるところがあります。でも、この『白洲次郎 占領を背負った男』は、それ以外にもしっかりと資料を収集し、取材もきちんとされているように思いました。例えば、白洲次郎がサンフランシスコ平和条約締結時に吉田首相に随行した際のエピソードや、日本国憲法の翻訳をGHQに命ぜられた時の話、通産省を実質的に創設した時の官僚との駆け引きなどについても、他の本にはない細かい話が書き込まれていて、興味深く読みました。
 もうひとつ、この本の特徴は、白洲次郎のルーツをしっかり書いていることではないかと思います。この本の作者の北康利という人は、もともと三田市の郷土史家で、三田藩に仕えた白洲退蔵という、白洲次郎の祖父を調べているうちに、白洲次郎に興味を持ったのだそうで、白洲次郎のルーツについても、地の利(?)を生かして、詳細に分かりやすく書いてくれています。そんな視点から、例えば、白洲次郎と近衛文麿の親交について書くときにも、白洲次郎の実家が、かつて伊丹市に豪邸を築いていたことがあったこと、その伊丹市は、江戸時代、近衛家の領地で、現在の伊丹市の市章は近衛家の家紋をかたどったものであることなどにも、さらっと触れています。このような視点が、この本の奥行きを深め、他の本とは一味違ったものにしているのではないかと思います。
 一連の白洲本の本命本とも言える本。おススメです。

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銀の犬

2006/07/19 00:18

ケルト民話を舞台にしたファンタジーの世界を堪能

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ケルト民話を素材に繰り広げられたファンタジックな物語。祭人(バルド)と呼ばれる、音楽を奏でることで、いろんな祈りや呪術を使う人が登場するお話です。祭人(バルド)は人間ですが、ケルトの世界が舞台ですので、人間も、妖精も、妖魔もあれこれ出てきます。いろんな技を持つ祭人(バルド)の中でも、祓いの祭人(はらいのバルド)と呼ばれる、迷っている魂をしかるべきところへ送ってやる使命を帯びた、選ばれしバルド、オシアンがこの物語の主人公です。このオシアンと、その連れであるやんちゃで明るいブラン少年を中心に、5つの物語が連作的に展開されます。迷っている魂を送ってやる話ですから、その前提には、魂が迷わざるをえない、切ない物語がそれぞれあるのですが、どの話も、最後には心慰められる形で落ち着く結末となっていて、ふんわりしんみりと、読後感はなかなかいいです。
迷える魂を成仏(?)させる話なら、日本でもありそうですが、舞台がケルト風であることや、オシアンの神秘的な雰囲気や、その奏でる素敵な音楽(読んでいても、その竪琴の音色が聞こえてきそうです)とで、独特の世界が作り出され、なかなか読ませてくれます。久々に、とっぷりとファンタジーを楽しませてもらいました。この続編をぜひ書いてもらいたいものです。

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紙の本SF魂

2006/11/24 03:48

小松左京作品の底を流れるもの

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 小松左京のことはあまり詳しくはありません。そのあふれんばかりの才能のむくまま、自由闊達に次々と多くの作品を発表して来た人だと思っておりました。それが、日経新聞で彼が「私の履歴書」を連載していたのを読む機会があって、旧制中学時代の戦争体験が深く彼の心に残っていることを知り、意外なその一面にちょっと興味をそそられ、その直後に出版された本書を手に取りました。
 本書は、小松左京の長年のファンであるという新潮新書の編集者の依頼により、小松左京が自身の半生と自作について語ったものです。彼の作品についてばかりでなく、一九七0年の大阪万博開催へのかかわりなど、その多方面にわたる多彩な活躍についても語られていて、改めてそのあふれんばかりの才能とエネルギーに圧倒されますが、中でも興味を引いたのは、やはり最初に少し触れられている旧制中学校時代のことです。
 中学時代につけられたあだ名が「うかれ」というくらい、本人が言うところの「オッチョコチョイ」であったこと。そういう浮かれた性格を直せということで中学二年のときに図書委員をさせられ、そこで図書館にそろっていた世界文学全集を読む機会を得て、特にダンテの『神曲』に深い影響をうけたこと。昭和二十年の中学三年の時には、勉強もなくなり、工場動員の毎日であったこと。徴兵年齢も下がってきており、身近に死ぬ人も出て、自分もいずれ徴兵されて死ぬのだと思いながら、食糧難の辛い毎日を絶望的な気持ちで過ごしていたこと。機関砲を打ち込まれたり焼夷弾が降ってきたりして、実際に何度か死ぬ思いもしたこと。そんなさなかの八月、あっけなく戦争が終わったこと。
 中学のときのこの体験が、いろんな意味で小松左京の原点となったようです。彼は、何としてもあの戦争のことを書かねばならないと思っていたものの、旧来の文学の方法ではその思いはなかなか表現できず、文学的に行き詰まっていたところ、SFの手法を使えばヒストリカル・イフを使うなどして、自分の思いを表現できることに思い当たり、戦後十五年たったときにはじめてSFという形で『地に平和を』という作品を発表したのだそうです。彼は「僕はSFに出会うことで、自分の中にあった『戦争』にひとまずケリをつけることができた。」と語っています。
 この思いは、その後も、多種多様と思われる彼の作品の中を、一貫して通底音のように流れているようです。『日本アパッチ族』しかり、『復活の日』しかり、そして『日本沈没』しかり。一見ふわふわと多方面に漂っているかに見える彼の作品群を、その思いが底のところで繋いでいることを、本書を読んで改めて知りました。
 もっとも、彼の作品が、そのような思いがストレートに出た暗いものにならないのは、小松左京の持ち前の「うかれ」の気質によるものでしょうし、それを質のよいエンターテインメントたらしめているのは、彼の膨大な読書量に培われた文章力、表現力なのでしょう。その意味でも、旧制中学時代のさまざまな体験が、小松左京の原点になっているのだろうと思います。
 本書を読んで、改めて小松左京の懐の深さ、その魅力を再確認させられました。小松左京ファンにはオススメの1冊です。

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紙の本文壇アイドル論

2006/11/22 01:17

なっとくの1冊

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 単行本で出たときから評判になっていたこの本ですが、文庫本化を機に手にしました。取り上げられているのは、いずれも80年代から90年代に一躍ブームを巻き起こした、村上春樹、俵万智、吉本ばなな、林真理子、上野千鶴子、立花隆、村上龍、田中康夫の面々。斎藤美奈子の、いつもながらの鋭い指摘と歯に衣を着せない明快な論調は、この本でも健在で、読んでいて心地よかったです。しょっぱなから、村上春樹が提供する「ハルキランド」はゲーセン(ゲームセンター)であるとの比喩にまず興味を引かれ、吉本ばななの作品をコバルト文庫のそれになぞらえるという分析に、なるほど両者の読者層には共通点があるかもしれないなと納得させられ、上野千鶴子は「『フェミニズムの旗手』ではなく、遅れてきた『リブの闘士』である」との指摘には、言い得て妙だとうなずかされながら読み進みました。後に進むほど面白さは増し、立花隆の箇所は「おおっ」と身を乗り出す感じ。そして最後の田中康夫については、まさに見事な分析だったと思います。
 立花隆については、同じく田中角栄についてのルポルタージュをモノにして注目されたルポライター児玉隆也を紹介し、児玉隆也のルポの仕方、すなわち「自ら現場に足を踏みいれ」、「地を這うような取材」をし、「対象の匂いを伝えようとする」やり方と、立花隆の手法、つまり「大量の人員と経費を投入して真正面から対象に攻め入る」方式とを比較した分析にはじまります。そして、その手法の違いが、二人の書く文章にも差となってあらわれるとの指摘のもとに、それぞれの田中角栄に関するルポルタージュの引用へと続きます。以前読んだ、立花隆の元秘書、佐々木千賀子の『立花隆秘書日記』もふっと思い出して、立花流の取材方法はいかにもそうであったな、と納得しつつ読みました。この章はさらに立花隆その後の活躍に触れ、彼を必要とした時代の背景を分析し、その立花隆をしての限界、ウィークポイントにも言及があって、読み応えのある一章となっています。
 田中康夫については、彼のデビュー作『なんとなく、クリスタル』の分析をベースに展開します。つまりこの作品は、ルポっぽい「本編」で漫才のボケに当たる部分を担当する語り手と、批評っぽい「注」でツッコミを担当する語り手という二人の語り手が内包されていること、そして「注」の語り手が、「本文」の語り手に対して茶々を入れてからかっているとの指摘です。なるほど、と思われる指摘で、はるか昔に読んでいまひとつピンとこなかった『なんとなく、クリスタル』の位置づけ、というか、作者の意図というかが、これでようやく納得できたように思いました。
 この本は、斎藤美奈子の視点の確かさ、鋭い洞察力がいかんなく発揮された優れた批評集だと思います。彼女の分析を読むと、ここに挙げられたそれぞれの人について、自分がそれらの作品を、なぜあの時はあんなに熱中して読んだのに今は読まなくなったのか、とか、なぜこれまでまったく手に取る気にならなかったのか、とか、あるいは、なぜ小説よりもエッセイの方を好んで読んできたのか、などなど、それぞれ思い当たるところがあり、納得した気分になりました。このような斎藤美奈子の鋭い指摘が、彼女の勢いのある文章や、思い切りのいい言葉遣い、時に示される「やんちゃな」表現や辛辣さとうまく融合しており、楽しんで読むことができた1冊でした。

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紙の本陽気なギャングが地球を回す

2006/07/28 23:21

素直に楽しめるエンターテインメント

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 いい感じに仕上がったエンターテインメント。素直に楽しめる作品です。伊坂幸太郎の作品の中では、今まで読んだ中で一番面白いくらいじゃないかな、という気がします。
 それぞれ「特技」を持った4人が、銀行強盗をしていく話です。伊坂作品の中では初期の作品ですが、軽いタッチで、エンターテインメントに徹して書かれています。昔、映画で、ポール・ニューマンと、ロバート・レッドフォードが主演した「スティング」というのがありましたが、あの感じを思い出しました。読んでいて最後が気になって途中でやめられず、用事を先に延ばして読み終えました。
 伊坂幸太郎の作品は、ミステリー的な要素もあるせいか、結構、殺人事件やら暴力事件やらが起こりますが、あとの作品になるほど、「残虐だな」と感じる要素が少しばかり強くなるように思います。たとえば『アヒルと鴨のコインロッカー』とか『重力ピエロ』とか『グラスホッパー』とか。『砂漠』もそうでした。それは、そういう「残虐な風潮」に対する怒りや、それを許さない、という伊坂幸太郎のメッセージがあるからなのでしょうが、でも、そういう場面では、ちょっと、読んでいて辛いときがあります。そしてその辛さが、読んでいる間ずっとヒリヒリする感じとなってついて回るように思います。
 でもこの作品は、そういうヒリヒリした要素は少なくて、楽しめました。おススメかな、と思います。

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紙の本九月の四分の一

2006/09/21 01:29

心に静かな余韻が残る短編集

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 読み終えた後、心に静かな余韻が残る短編集。4つの短編のいずれも、「僕」という一人称で語られ、「僕」がこれまでに出会ったり、今も付き合っている女性とのラブ・ストーリーが描かれます。ラブ・ストーリーといっても、話は、「僕」が彼女と出会ったころの思い出を語るものであったり、「僕」の前から姿を消した女性の話であったりして、その語り口はあくまでも静かなトーンとなっています。もっとも、「僕」がその女性や、その女性と出会えたことを大切に思う気持ちは、その静かな語り口からも、切々と伝わってきます。なので、必ずしもハッピーエンディングではない話が多いのですが、そんな話も、しみじみとした切なさは感じられても、暗く落ち込む話とはならず、読後感は悪くありません。
 4つの短編のうち、とりわけ「ケンジントンにささげる花束」と「九月の四分の一」とが印象的でした。前者は、このBK1の書評でも紹介されていましたが、おりしも今年「惑星から降格」して話題となった「冥王星」の話が冒頭に出てきます。その「冥王星」が発見される1年前の1929年にイギリスに渡った日本人男性とイギリス人女性との、第二次世界大戦を背景に貫かれた純愛話と、「僕」と恋人との微妙な関係とが、「冥王星」発見のエピソードを絡めて描かれます。ほのぼのと暖かい話です。作中で作者は、「冥王星の存在する宇宙と存在しない宇宙」と対比させて書いていますが、たとえ「惑星から降格」した今でも、作者に言わせれば、「冥王星は変わらず存在する宇宙」ということになるのでしょうね。「冥王星」が、「発見」されて70数年を経て再び話題になったまさに今年、この作品を読むと感慨深いものがあります。
 表題作である「九月の四分の一」も印象深い作品です。「世界一美しい広場」とヴィクトル・ユゴーが評したブリュッセルのグランプラスで「僕」が出会った「彼女」と過ごした六日間。彼女との距離を縮めたくて、それでも縮めると何かが壊れそうな気がして躊躇して過ごした六日間。十三年後、再びグランプラスを訪れた「僕」が、その彼女と過ごした六日間を回想します。二人が気遣った、その「壊れそうな何か」というのは、お互いの関係だけではなくて、二人ともがそれぞれ心の中に抱えている「何か」でもあって、そんな微妙な気持ちで互いに過ごした六日間でした。そんな二人の細やかな気遣いの様子を描きながら、他方で、「何しろ実存主義的な恋」なのだから、「要するに発展も破綻もしにくいものである」などという軽い揶揄的な表現もあって、その気遣いを深刻に見せまいとする二人の様子が伺われて、うまいな、と感心させられました。どういう意味なのだろう、と当初から気になっていたタイトルの「九月の四分の一」の意味するところも最後に分かって、さらにこの作品を印象深いものにしました。

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軽妙洒脱な会話が楽しい

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

『陽気なギャングが地球を回す』の続編。前作と同じく、それぞれ「特技」を持ったおなじみの四人組が活躍しますが、今回この四人は、銀行強盗もするけれど、それ以外の活躍もします。タイトルに「日常と襲撃」とあるように、四人はそれぞれの日常生活のなかで、同僚や知人の相談にのったり、人助けをしたりするのです。第一章では、四人の日常生活に起こったそんな出来事がひとつずつ描かれ、それが他の話とつながったりつながらなかったりしながら、物語は進んでいきます。そして第二章、第三章と進むにつれ、話はどんどん加速度を増して展開し、二転三転して、最後には、いろんな話がカチリカチリとかみ合って、結末を迎えます。若干、あまりにかみ合いすぎている感もないではないですが、そこはそれ、エンターテインメントとして素直に楽しめる作品です。特に今回は、前作にも増して、全体を通して、登場人物の交わす会話がなんとも軽妙洒脱で楽しく、読んでいて何度か声を上げて笑っておりました。旅先のお伴にと思ってこの本を持参したのですが、まさにぴったりの選択で、海の風に吹かれながら、楽しくひと時を過ごせました。

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紙の本風が強く吹いている

2006/11/23 15:57

巷で絶賛の作品ですが

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 巷で絶賛の作品です。走ることが大好きで、でも、ある出来事のため、今では競技生活から遠ざかっている主人公走(かける)が、やはり走ることに情熱を燃やすハイジと出会い、無謀にも箱根駅伝出場を目指すという計画に、仲間とともに取り込まれていくというストーリーです。何のひねりも、どんでん返しもなく、主人公達は途中でいくつかの困難に直面しながらも、最後には予想通りの結末を迎えます。大きなサプライズのない展開ながら「読んでいて胸が熱くなる」「感動する」「それは作者の筆力のゆえだ」との感想が相次いで示されています。
 私はこれまで、三浦しをんの本は、どちらかというとエッセイの方を好んで読んできました。彼女のエッセイは、文章に勢いとリズム感があり、語彙が豊富で、表現力も豊かで、心地よい読み物になっていると思います。これに対し、小説の方は、ファンタジーあるいはライトノベルの雰囲気を感じさせる作品はあるものの、それ以外の本格的な読み物となると、いまひとつ物足りなさを感じてきました。そんな中、今回の作品は多くの人が絶賛していましたので、期待して手にしました。
 最初は、前評判が高かったせいか、少しばかり期待はずれかな、という気分でした。いざ読んでみるとやはり、ストーリー展開がなんだか漫画みたいで話がうますぎるんじゃないの、という思いがどうしても抜けなかったのです。ただそれでも、退屈というのではなく、話の続きが気になって、どんどん引っ張られていくところは確かにありました。そしていよいよ、評判の箱根駅伝の場面になると、さすがに読ませるものがありました。エッセイでも示される三浦しをんの表現力、文章力のなせる業なのでしょう。まさに「本領発揮」の感がありました。2箇所ほど、ひそかにジーンと涙ぐんだ箇所もありました。
 三浦しをんはこれまでの作品を見ても、男同士の友情や信頼感を描くのは上手だと思います。今回のこの作品でも、ありえないと思えるストーリーを支えているのは、主人公やハイジをはじめとする10人の仲間達のキャラクターが上手に書き分けられていて、彼らがそれぞれ魅力的であること、そして、その彼らの互いの信頼関係に基づいたさわやかな人間関係がうまく描かれているからではないかと思います。
 もっとも、男女の恋愛関係を描くのは、三浦しをんはいまひとつの感があります。今回も、葉奈ちゃんをめぐるやり取りの描き方は、物語の中心のテーマから外れたものであったとはいえ、やはりいまひとつのように思えました。
 とはいえ、総じて読み終えたあとの読後感は悪くはありませんでした。絶賛ではないのですが、そこそこ楽しめた作品だったと思います。

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紙の本図書館内乱

2006/11/28 00:47

2作目のむずかしさ

6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「図書館」と「戦闘」との取り合わせ、という意表をつく設定で人気を博した『図書館戦争』の続編です。関東図書隊に入隊し、その中の図書特殊部隊という戦闘職種に抜擢された主人公笠原郁が、彼女の同期生の、手塚光、柴崎麻子、そして上司の堂上教官、小牧教官ともども、本作品でも変わらず元気な姿を見せてくれます。今回は、この5人の中心メンバーそれぞれが、各章でスポットライトをあてられて、その私生活や図書隊入隊までのいきさつなどが紹介され、彼らがより一層近い存在となって描かれます。
 前作を面白く堪能し、続きを読みたいと思っておりましたので、すぐさまこの続編も手にしました。
 もっとも、前作は、設定がそもそも意表をついたものであり、その設定のもとで、次々と繰り出されるスリリングなストーリー展開に、あれよあれよと目を見張っているうちに終わってしまったところがあります。それだけに一層、続きを読みたい思いは募ったのですが、しかし、今回の続編では、その意表をつく設定は、すでに読む側には所与のものとしてありますから、その上でさらにハイテンションの展開を維持するのは、書く側としては若干難しかったのではないかと思います。意外性や刺激性は、2作目ともなると、どうしても読む側の感覚がマヒしてしまうところがあるだろうからです。本書を読んでいて、堂上教官が郁の頭を「よしよし」といった風にポンポンとたたく、という場面が何度も出てくるのを、ドラマのお決まりのパターンだな、と感じたり、またそれ以外にも、登場人物の言動が少し大仰あるいはワンパターンだと感じる場面が目に付いたのも、若干こちらがこの物語の世界に慣れすぎてしまって、余計なことに目が行ったからかなのでしょうか。そういうあたりが、前作よりは読んでいて気になり、いろんな意味で、この2作目は、前作よりはパワーダウンかな、と感じておりました。
 ところが、本書を読み終えて本を閉じたとたん、じんわりと、「ああ、おもしろかったな」という気持ちになったのは、我ながら意外でした。これはおそらく、上にも書いたように、5人の中心人物の人となりが詳しく紹介されていて、前作よりもさらに、距離感を近くして描かれていたため、彼らをより身近に感じ、いつのまにか感情移入して読んでいたからなのではないかと思います。
 こういう「設定の特殊性」で読ませる作品は、その緊迫感や疾風怒濤の展開をずっとキープし続けるのは難しいことだろうと思います。本書の最後にTo be continued.とあって、さらにこの話は続くようですが、このあとどのように読者を惹きつけていくのか、作者の力量に期待したいところです。

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