サイト内検索

詳細検索

ヘルプ

セーフサーチについて

性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示を調整できる機能です。
ご利用当初は「セーフサーチ」が「ON」に設定されており、性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示が制限されています。
全ての作品を表示するためには「OFF」にしてご覧ください。
※セーフサーチを「OFF」にすると、アダルト認証ページで「はい」を選択した状態になります。
※セーフサーチを「OFF」から「ON」に戻すと、次ページの表示もしくはページ更新後に認証が入ります。

  1. hontoトップ
  2. レビュー
  3. MtVictoryさんのレビュー一覧

レビューアーランキング
先月(2017年2月)

MtVictoryさんのレビュー一覧

投稿者:MtVictory

578 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本孤高の人 改版 上巻

2007/10/01 22:38

単独行の加藤文太郎の一生

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 主人公の加藤文太郎は昭和初期に「単独行の加藤」と呼ばれた山岳界の異端児的存在であった。また「関西に加藤文太郎あり」ともいわれ、神戸にあって関東勢との対抗勢力の看板のように持てはやされた。
 彼の名前は「われわれはなぜ山が好きか」や「みんな山が大好きだった」など、これまでに読んだ山の本で知っていた。彼も山で亡くなった一人として。また、雪山で冬眠中の熊のように眠ることができるという伝説や、超人的な存在として。
 彼はそれまで裕福な学生や山岳会にしか開かれていなかったブルジョア的(死語ですね)な登山を、広く一般の社会人にも解放したという功績があったことで知られている。
 本人のその性格もあって、短い一生の山行の全てを単独で通したが、皮肉にも唯一パートナーを組んでの北アルプス北鎌尾根へのアタックが彼の最期の山行となってしまった(昭和11年正月、31才)。
 本書は加藤文太郎のアルピニストとしての人生を中心に、会社や友人、家族との関わりを絡めて描く伝記小説である。

 本書は加藤本人が残した資料(著書「単独行」)をもとに著者が書き下ろしたものだが、恐らくほとんどは創作でありフィクションであろう。なぜなら加藤という人は余程の事がない限り他人とは口をきかなかったらしいし、そもそも単独行の加藤であるから、その山行の実態も明確ではないと思われるから。また、最期となる北鎌尾根での遭難死の過程などは著者の推理からなるものであろう。ただ、著者は富士山観測所の勤務時代に加藤と会っているというから、彼の人柄は感じることは出来たのだろう。
 加藤という人物像が生き生きと描かれ、読んでいるうちに彼に感情移入してしまう。
 物語のクライマックスでは感極まって、目頭が熱くなった。まるで結末を知っている映画を見るように、来るな来るな、と思いながらも泣かされてしまう。これも著者の力であろう。

 忘れてはいけないのは彼は最初から超人的な登山家ではなく、兎に角歩き回って足腰を鍛え、冬山にのめり込むと、冬山に打ち勝つために様々な研究と訓練をした。信じられない訓練がある。仕事場へ石を詰めたリュックを背負って通うとか、冬の夜、下宿では寝ないでビバークを想定して外で寝る、吹雪で身動き出来なくなり食料が尽きてしまうことを想定して、絶食して会社に通うなど。
 山での食事方法や、冬山での装備(特に衣服)にも様々な工夫をしていたようだ。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本日本は「侵略国家」ではない!

2010/08/03 00:54

もう土下座外交はやめよう

11人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 本書は元・航空自衛隊幕僚長の田母神氏が懸賞論文がきっかけで更迭された(2008年10月末)のを受けて、その田母神氏本人と、論文の審査委員長を務めた渡辺氏が急遽、共著で出した本である。
 この騒ぎはマスコミでも話題になって多くの人が知っていることであろう。その論文の内容は過去の日本の戦争をめぐるものである。更迭の理由は、その歴史認識が政府見解(いわゆる村山談話)と異なるものであったからのようだ。田母神氏の「大東亜戦争は侵略戦争ではなかった」という論文の主張に対し、マスコミは彼を叩く論調が大勢で、朝日新聞のように「侵略を正当化」とねじ曲げるところすらあった。渡辺氏もこの件は行き過ぎだとの印象を持ったようだ。一企業が企画・募集した論文ながらも、それは最優秀賞を受賞した。渡辺氏は「受賞に至った十分納得できる理由を伝える義務」があると、本書を出すに至った思いを述べている。
 論文の出来が酷いわけでも、幕僚長の立場を逸脱する内容であったわけでもないのだ。それどころか渡辺氏は、その論文の内容は「防衛音痴に陥っている日本人の意識改革に裨益するところ大だろうと喜んで」すらいる。国防の最前線にある当事者としての見解・訴え・決意であると氏は認識している。
 また、「個人がどのような歴史観を持とうと全く自由」と百地章・日大教授が産経新聞に書いたものが付録として掲載されている。つまり今回の騒動の問題点は、憲法に書かれた言論の自由、思想・信条の自由に反するものであったことだ。
 この更迭劇があって定年退官となった後、田母神氏はますます盛ん。本も出し、講演会にも引っ張りだこで、真実を渇望する人々が増えているようだ。ある意味で彼は成功したのかも知れない。世論を喚起し、日本を変えたかも知れない。
 巻末には問題の論文も掲載されており、また、これに対する東大名誉教授・小堀桂一郎氏が産経新聞に書いた評論も載っている。小堀氏は田母神論文は「教科書として使うのにうってつけ」とまで評価している。
 論文中の「戦わない者は支配されることに甘んじなければならない」という言葉は重い。日米開戦していなければ、結果として日本は植民地になっていたかも知れないと彼は考えている。また、今のままでは「我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない」、その間にも「日本のアメリカ化が加速する」、アメリカ主導の「改革のオンパレードで我が国の伝統文化が壊されていく」と現状を憂えている。
 先の小堀氏も百地氏も村山談話の破棄・撤回こそが国民の名誉と安全を守る、という立場である。国民の皆さんにはマスコミに踊らされて個人を叩いたり、軍国主義だなどと非難するようなことは止めて、是非、本書を読んで何が正しいのか、今、何をすべきか判断してもらいたい。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本帝王学 「貞観政要」の読み方

2007/10/29 23:29

世襲制度には無理がある。「三代目で駄目になる」

9人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「貞観政要」は帝王学というより「リーダー学」の教科書。日本ではまず天皇が読み、北条、足利、徳川氏らが用いたと言われる。
 唐王朝の二代目・太宗(李世民)は世界史における最も傑出した人物の一人とされるが、彼の死後、呉競という人が記したのが「貞観政要」である。太宗が治めた時代「貞観の治」は中国では理想的な統治が行なわれた時代の一つとして模範とされた(最初の遣唐使が行った時代)。
 「貞観政要」は太宗を決して美化せず、欠点も多く、多くの過ちを犯した人として記している。太宗は自分の欠点を知り、魏徴、王珪といった諌臣の言葉を受け入れ、改めるべきことは改めたと言う。
 「貞観政要」のテーマは「守文(維持)」の難しさである。そこには唐代289年間の維持の基本が書かれている。鎌倉幕府、徳川幕府もこれを学んだことで政権を維持できたのだろう。ところで織田信長はこれを読んだだろうか?彼は一種の創業者だから読んでいなかったかも知れないが、天下統一後の政権維持のことも少しは考えていたはずだ。私は一サラリーマンだが一国、一企業の維持の難しさをいくらか感じることが出来た。
 著者が10章で書いているように本書は「貞観政要」の解説書でも研究書でもない。著者が一読者として興味を感じた部分、自戒の書として役立った部分などを抜粋し感想を付け加えた、と述べている。「貞観政要を傍らに置くことは遠慮なく厳しく注意してくれる人を傍らに置くようなもの」だとも言っている。二代目経営者などは企業の継続的発展を望むのであれば、諌言・直言・苦言を傍らに置くことは必要不可欠であろう。創業者も引退を意識する時期が来る前に後継者を定め、「貞観政要」のような帝王学を学ばせる必要がありそうだ。
 近年グローバリゼーションが進み、ビジネス環境の変化のスピードの速さは企業の寿命を短くしているとも言われる。となると経営者は後継者の心配よりも株主が求める短期的な業績を目指さざるを得ないのかも知れない。
 著者の視点で興味深かったのは、明治維新も一種の創業であり、その創業的発展が永久に続くような錯覚のまま日本は昭和初期に破綻した(太平洋戦争のことを指す)という点。戦後の復興・発展も一種の創業だと捉えられるが、「守文」を意識していないと同じ轍を踏むと警鐘を鳴らす。なるほど現在の我々はそういう時期にあるのだ。
 また、「はしがき」や1章では民主主義の危うさも指摘している。大衆が権力を持つ時代であり、その自覚なき権力が最も恐ろしい、と。そしてそれは「人類史上最大の暴君」かも知れないと。民主主義が今のところベストな選択だが、それを生かすも殺すも「主」である「民」が明君にならなければならないということだ。なれると信じたい。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

究極のクリーンエネルギー

7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 著者はタイトルにある「振動力発電」システムを開発、実現し、本格的な実用化に向けて実証実験を行なっている。大学生時代からそれをテーマに研究を始め、起業までしてしまった。
 私が振動力発電の存在を初めて知ったのはTVの報道番組で、東京駅の改札で行なわれた「発電床」の実証実験を取り上げていたときであった(2008年の初め頃)。私自身もかつて東京で通勤していた頃に、通勤ラッシュに揉まれながら、これだけ多くの人間のエネルギーを発電に活かせないものかと夢想したものだ。そのときは残念ながらそれを現実化しようなどと真剣に考えることはなかった。
 本書は振動力発電および音力発電について原理や仕組み、用途、その可能性について解説している。私は可能性を強く感じた。メリットは火力発電や原子力発電のようにCO2や放射性物質などの廃棄物を出さないこと、人を不快にさせる振動や騒音を電力に変えることで、それらを小さくすることができること、などである。
 本書では開発秘話も語られていて、若い起業を目指す人にも希望を与えるだろう。気になるのは耐久性。例えば発電床は多くの人がその上を歩くことになるから壊れやすくないか心配だ。
 応用としては昇降が多い駅などの階段や、体育館の床、通勤バス、船などに設置するのもよいかも知れない。また公園の遊具などに取り入れて、子供がそこで運動することで発電した電気によって光らせたり音が出るようにしたら子供も喜ぶかもしれない。空港のジェット機の爆音で音力発電というのもありだろう。振動したり揺れたりするものならアイデア次第で何でも応用可能だ。まさに夢の発電システムである。
 個人的には振動力発電は微弱な電力でも動作する機器に向いていると考える。また、持ち運び可能な形態にできればどこでも発電できることになる。新しいライフスタイルを提案できるかも知れない。どこでも発電できるのなら大地震などの非常時に停電により通常電源が使えなくなっても安心だ。
 「地産地消」のため送電設備が不要なのも良い。大電力の発電には向かず、安定供給にも不安はあるが、適材適所で使えば、既存の配電システムや電池などの一部を置き換えたり、補完したりできるだろう。国はクリーンエネルギー開発を支援すると言っているから、振動力発電の普及も進む可能性がある。期待したい。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

子供が言葉を学ぶのと同じように学ぶ

7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 私は仕事で忙しい中も英語を上達させたいと思っている一人である。本書は私がこれまで学んできた間違った英語勉強法を根底から覆す本だ。しかしそれは画期的でもなく、言われてみればなるほどと思われ納得できるものである。それはネイティブスピーカーが母国語を学ぶ方法であり、子供が言葉を学ぶのと同じように学ぶだけなのだ。
 タイトルの「逆から学べ」というのは日本の英語教育とは逆の学習法だからだ。日本ではまず文法から教えるが、著者の主張では文法は最後の最後なのである。本書の学習法はすべての外国語の学習に応用可能という。言語のクリティカルエイジ(8~13歳)を越えても問題ない。
 「見る・聴く」から始めるその方法は言葉を学ぶのであってもの視覚情報を重視している。音だけでは臨場感を感じられないからだ。イメージや文脈(状況)を大切にしているのだ。高い教材は不要。英語のドラマや映画のDVDを使う安上がりの勉強法だ。
 本書では脳を「英語モード」にするために徹底的に日本語を排除する。従来の英語学習方法は「日本語を使った日本語による英語の学習であった」と書かれているように、それは英語を学んでいるのではなく「英語について学んでいるだけ」という指摘は文部科学省には耳が痛いだろう。これを読んで思ったのは、それは語学学習だけではない話だということ。仕事で必要になる専門的な知識や技術の学習も同じ問題を抱えていて、より実践的で効果的な学習方法を採らなければ身には付かないということだ。著者が五感を使えというのもよく分かる。学んだつもり、分かったつもりでは脳には定着しておらず、使える知識・技術にはなっていないということだ。
 付属のCDには自己実現力・記憶力・IQ(問題解決力)を高める音源が収められている。聴いただけではイージーリスニング系の音楽だが、そこには記憶を司る脳の「海馬」組織を高める音源が埋め込まれているという。海馬が情報の出し入れをしやすくし、記憶力を高めることができるそうだ。また、IQを高めることで抽象度の高い思考ができる、という。学習効果を高めてくれるらしい。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

労働力は商品ではない

7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

著者は弁護士で、NPO派遣労働ネットワークの理事長も務めておられる。改めて働くことの意味を考え直させられる本。
 近年、雇用形態が多様化して、女性を中心として派遣やパートなど非正規労働と呼ばれる形態で働く人が増えている。 2004年に非正規雇用は女性の半数を超えているそうだ。本書はタイトルからしてショッキングなものであるが、一サラリーマンとして現在の日本の雇用状況を肌で感じる身としてはさもありなんと言った感じで、日本も来るところまで来てしまったのだと寂しさとも悲しさとも言えぬ気持ちになった。その実態を知りたいと思い、本書を手にした。
 私の職場でも派遣会社から派遣契約で協力していただいている方が大勢いる。今や女性に限らず若者を中心として男性にも非正規雇用化が広がってきていることを実感する。 2004年の数字では24才以下の男性の4割が非正規雇用だそうだ。いずれ正規雇用のほうが少数派になっていくのだろうか。
 このように職場を厳しく変えてきた要因はグローバル化、規制緩和である。 1986年には労働者派遣法が制定され、労働基準法の緩和もあり、正規雇用から非正規雇用への切り替えが始まった。合法的に「労働が商品化」され、商品のように買い叩かれるようになった。その状況を本書のタイトルは表している。
 経営者など財界主導とは言え、それによる格差や低賃金不安定雇用を容認する社会に日本はなったということだ。ダンピング以上に、人を商品のように取引することは働く人の人権を無視することもつながり問題だ。そこが本書のテーマだ。著者はNPOの活動などを通じて、様々な労働者の声を聞き、この問題に取り組んできた。
 コスト削減を迫られ、安くて使い捨ての労働への切り替えで競争に生き残ろうとする経営者。格差問題の責任はそうした経営者にもある。更には非正規社員との競争にも晒される正社員。リストラで若手の正社員の負荷が上がり、長時間労働も拡大している。正社員と言えども安定した雇用が望めなくなっている。鬱になったり、健康が蝕まれている人も増えているという。非婚、出産拒否も増えている。低賃金のためいくら働いても自立して生活していけない世帯も増え、過酷な労働条件のもとで健康も害する。そんな社会、企業が長持ちするわけがない。当面の利益は上がるかも知れない。長期的には疲弊し衰退していくだろう。貧困と暴力が蔓延し、社会不安を招くだけだ。社会保障制度を支える労働者が保護されていなければ、年金制度も維持していけないだろう。活力を失い、元気のない日本はますます元気をなくすだけだ。
 会社にしがみついていられなくなる時代。専門能力を持つ者同士が連携して対抗していくしかないのだろうか?ダンピングに晒されて社会的弱者となっていく非正規労働者をどうやって支えていくのか。著者も言うように、個人が学習意欲、人間としての基礎的・普遍的な力、生活を設計する能力を培う環境作りが必要だ。職業訓練や、やり直しができる柔軟な社会システム作りがセイフティネットとなる。国も企業ももう少し長期的な視点で考えないと、その場しのぎの対策ではいずれ立ち行かなくなる。
 また、正規雇用で働く者は雇用問題を自分自身の問題として捉え、自分らに配分されてきた原資を非正規雇用労働者へ再配分する覚悟も必要かも知れない。著者の言葉を借りれば、手をつなぎ、連帯の輪を築き、その輪を消費者へも広げていくことで、多様化・流動化した雇用でバラバラにされた人々が「和」を取り戻すことが出来るのではないか。そうしてグローバル化した世界の中で、右肩上がりの成長が見込めなくなった日本人が真の豊かさを実感できるようになったとき、日本は復活した、あるいは成熟したと言える。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

株のからくり

2008/04/13 20:02

証券取引所は壮大なカジノ。みんな投資と投機の区別など気にしないで株取引を楽しんでいる

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 著者は株式会社論、証券市場論の専門家である。記者時代から長く市場を見てきた経験から著書も多い。
 「(現在の)株式は投資のための利潤証券、あるいは会社支配のための支配証券という面よりも、もっぱら値上がり益を狙う投機証券としての性格を濃くしている」という指摘のとおり、政府の「貯蓄から投資へ」という政策が「投機」を促進させている。世に金儲け主義がはびこるようになり、「金儲けの何が悪い」と開き直るファンドマネージャも世間を騒がせた。これは一つは政府の証券取引に対する規制緩和策が道徳基準の低下を招いた結果によるものと言えよう。
 そして本書でもところどころで事例として取り上げられているライブドア事件。異常な株式分割による株価操作、規制の網をくぐるようにニッポン放送株取得、粉飾決算。あれはあれで日本の市場のありかたを見直すきっかけとなり、ある意味で貢献したともいえる。
 本書では株価がどのように”作られるのか”、そのからくりに迫っている。またそれによりバブル発生と崩壊を説明していて興味深い。投資家、投機家ともに勉強になるだろう。また、前提となる株とは、株式会社とは、株主とは、という基本も学べる。日本の株式市場の歴史や現状把握もできるだろう。
 第8章では次のように経済学者を批判しているのが面白い。「株式投資でいかに儲けるか、ということが経済学者の研究するテーマなのだろうか?もっとするべき研究テーマがたくさんあるのではないか?そのような学者にノーベル経済学賞が与えられる。経済学者の堕落ではないか?」と。経済学者も自ら投機し、投機を煽っているのだ。
 日本のバブルのとき「株主が有限責任であるために、株式会社が無責任会社になっていた」との指摘は最近の企業の不祥事の多い実情をみると、バブルとは無関係としても、企業のモラルの低下を感じざるを得ない。経営者や株主が資本の範囲内だけの有限責任と安心できるのは株式会社のメリットだが、社会や従業員への責任があることを忘れてはならないだろう。
 本書は株価形成の仕組みを説くと同時に、あらためて株式会社のあり方を問い直している。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

「本能寺の変」論争の決定版とも言える本

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「だれが信長を殺したのか?」燃える本能寺の中で自刃したということになっているから直接的には自殺ということになるが、本書はそんなトンチ話ではない。本書は「本能寺の変」論争の終着点、決定版とも言える一冊。
 「真説 本能寺」では信長の四国政策の転換が謀叛の重要な動機を形成した、との説を展開していた。本書でもその四国問題を更に追及し新たな知見が盛り込まれている。「おわりに」では前書はその論証が不十分な面があったと言っている。また明智家の家中の動向に注目、特に家老・斎藤利三をキーパーソンだとしている。更にこれまで知られていなかった光秀の文書を取り上げ、政変直前の光秀の心境にも迫っている。
 第1章では信長および光秀の人生の画期ともなった(変の2年前の)天正八年に注目し、二人にとってどんな年だったかについて述べている。その上で、第2章ではその後の二人の相克と破綻に至るプロセスを具体的に辿っている。第3章では信長の四国政策の転換が光秀を追い詰めたとして、その四国政策の変遷を辿っている。
 そして第4章でいよいよ利三の登場である。彼が「変の仕掛け人」だとしている。利三をリーダーとする斎藤・石谷・蜷川の三家と長宗我部家とは濃密な親族・姻族関係が築かれていたが、政策転換により長宗我部家との関係の見直しが迫られていた。利三らは関係維持にこだわり、光秀の謀叛に積極的に加担した、としている。しかも稲葉家から数年前に明智家に鞍替えしていた利三はその問題で、変のわずか4日前に信長に自刃を命じられていた。那波直治は稲葉家に帰参させられたが、なぜか利三は死罪だった。信長は四国政策に反対の利三を排除したかったのではないか、と私は考える。
 また終章でも書かれているように「明智(特に斎藤ら三家)と長宗我部の両家の結びつきは取次の役割を超え、織田権力の家臣団統制や戦国大名編成のあり方から逸脱」していたが、信長も同じように考えていた可能性がある。追い詰められたと感じた光秀と家老の利三らの利害が一致し、ついに謀叛が決行された。著者の説を読み終えて感じるのは、光秀は実は利三らにそそのかされたのではないかと。下から突き上げられて明智家中の統制も危機を迎えていたのではないか。放置すれば利三らが暴走しかねない。光秀自身の身も危うかったかも知れない。光秀はそんな家臣への人情に心を動かされたのか、自らの博打心が動いたのか。
 山科言経が日記に利三こそ本能寺の変を起こした張本人だと書いているように、本書ではそれを論証しているとも言え、利三が首謀者であったことが見えてくる。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

グローバリゼーションが国家間格差を助長した

6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 本書はスティグリッツ教授(2001年にノーベル経済学賞)の2004年の早稲田大学での講義を基に書かれた。教授の活動はアカデミックな分野だけにとどまらず、米国政府機関や各国政府、国際機関へのアドバイザー的役割も果たしている。彼が書いた経済学の教科書は世界中でベストセラーにもなっている。
 その講義はグローバリゼーションの功罪と国際金融機関の役割がテーマであった。多角的貿易交渉などの場でデモや暴動が起きるのもグローバリゼーションへの反発からだ。グローバリゼーションの恩恵を受けた国もあれば、その進行の過程で経済危機に苦しむ国が出てくると、ついにはグローバリゼーションに対し「失敗」の烙印が押された。グローバリゼーションにより世界中が恩恵を受けるはずというナイーブな理想は挫折した。各国で起きている経済危機がそれを示している。
 そしてそれらの危機に対して救いの手を差し伸べるはずの国際金融機関がうまく機能していないのがもう一つの問題。特にIMF(国際通貨基金)はその使命を果たして来なかったと教授は批判する。 IMFの失敗がかえって経済危機を深刻にさえしているケースもあったと言う。
 IMFの問題点は意思決定過程が非民主的だという点。そこにはアメリカ財務省とウォール街の意向が強く反映されるという。また、IMFは使命を見失っているともいう。途上国開発が専門ではないのに開発融資に取り組むようになり、失敗もしているのだ。
 IMFには組織改革が必要で、本来の使命、国際金融システムの安定性の維持に全精力を注ぐべき、と提言する。また、途上国から先進国へリスクを移転するシステムの整備が重要とも述べている。
 教授らの研究である「非対称情報の経済学」は、情報はほとんどの場合、不完全だというところから来ている。保険市場を分析し、保険会社がもつ加入者のリスクに関する情報が不完全であることから、完全競争市場が円滑に機能しないことが分かった。その理論はグローバリゼーションの失敗の原因をも証明する。
 今後もグローバリゼーションは進展するだろう。しかし市場での効率的な資源配分が失敗することもあり、市場だけに任せる市場原理主義では危機を招くこともある。それは社会に不安定性を招く。そのときに政府や国際機関の役割が重要になる。時には市場に介入することもあるが、それにも限界がある。非対称情報が政府の失敗さえ招くのだ。市場が完全ではない以上、民間だけでは市場経済を機能させることができない。そこには国際間取引のルールや制度が不可欠となり、そのために政府や国際機関が果たすべき役割がある。国内や国家間の合意には時間がかかるが、世界の発展と安定のためには地道な努力が必要だということを我々は認識し、意志を示し政治に積極的に参加していく姿勢も大切になる。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本稲盛和夫のガキの自叙伝

2007/07/23 23:07

人間、能力は無限だ

6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

2001年に日経新聞の「私の履歴書」コーナーで連載した自伝をベースに書かれた本ある。
 著者に興味を持つようになったのは最近の著書「アメーバ経営」からであるが(遅いくらいである)、本書は自伝ということもあり、彼がどのような人生を歩んでこられたのか非常に興味があった。読み進めていくと、一人の人間がここまで経験できるのかと思えるくらい、劇的で波瀾万丈の人生が描かれている。「解説」で堺屋太一氏が書いているように、まさに「手に汗握る出世物語」である。同氏は「努力と才能と幸運によって苦境を乗り越えて意想外の大成果を築き上げた」経営者とも評している。京セラ・グループの発展は”プロジェクトX”の連続で、数々の伝説とも言える成果を挙げ、それが更に求心力を増幅させていったようだ。
 著者の「アメーバ経営」に少し触れると、組織をアメーバという独立採算制の組織に分け、経営者意識を持ったリーダーや社員が組織運営していく仕組みだ。好業績を上げたアメーバに与えられるのは名誉と誇り。みんなのために貢献したという満足感、仲間からの感謝や称賛が報酬という。業績が給与に直結するような近年の過激な成果主義とは一線を画す。古き善き高度成長期のやり方そのままとも言えるが、単なる懐古趣味ではなく、やはり日本には成果主義は合わないのかも知れない。
 京セラの歴史は多角化の歴史とも言えるが、著者は様々な事業にチャレンジし、多くの仕事を生み出し、雇用を生み出してきた。初めは得意技のセラミック・結晶技術を応用して展開し、成長と安定した経営を両立させてきた。その後は、経営危機に陥った企業を支援する形で情報通信機器事業にも関わるようになり、通信事業の自由化に伴い、情報通信事業にも参入した。第二電電(DDI)や携帯電話サービスのセルラー(現在のKDDI)を立ち上げ、巨象NTTに対抗できる勢力を目指し、果敢に挑戦を続けた。恐るべきパワー、情熱の持つ主である。
 最後のページにあるように「どんな苦難や逆境に遭遇しようと、恨まず、嘆かず、腐らず、明るくポジティブに人生を受け止め、素直に努力をすればよい。感謝の念を持ち、前向きに生きていくなら、道は必ず開けていく」という言葉は、苦難や逆境に遭遇しては立ち止まりがちで、前に進めない私のような凡人にとっては力強い励ましである。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

日本の現実を直視せよ

7人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

東日本大震災直後の5月に出た本。著者は日本経済は「余命5年」だと言う。
ギリシャが事実上、破綻したのは記憶に新しい。
投機筋は次のターゲットはどの国かと、稼ぎ時を探している。
それは日本かも知れない。日本の場合、「暴落ではなく真綿で首を絞められるように破局に向かう」と著者は言う。
「正念場は個人資金が海外に逃げたとき」になりそうだ。
「マーケットは常に先読みしながら動く。国債の国内消化の限度よりも前から”悪い金利上昇”がじわじわと起こるはず」という指摘は、我々もXデーを直前に知る指標になるだろう。
著者の言う破綻のシナリオはこうだ。
「家計は資産運用では自由がきく」から、いよいよ日本の国債もやばい、となれば、我れ先に「円預金を外貨預金に預けかえることができる。銀行からの預金引き出しがある程度の規模になると、国債消化は危機に陥る。そうなれば銀行は国債を換金売りしかねない」。
そうなれば日本国債は暴落だ。政府は金利上昇で国債を償還できなくなる。ますます買い手がなくなる。
我々は政府の無策を指をくわえて見ているしかないのか。
「日本人は危機に至るまで、なかなか自己改革できない。とことん落ちるところまで落ちないと、この国は動かない。」と述べているが、イギリスの”エコノミスト”誌には日本の「人々はショックにつながるような危機を熱望しているように見える」と書かれたそうだ。
自らは動こうにも動けない。リスクが取れないのだ。黒船や敗戦のような外圧があれば再生できるのか。
しかしそれは国民に大きな苦しみを強いることになるだろう。そんな日を黙って待つわけにはいかない。
そもそも国家財政を圧迫する今の社会保障制度が問題なのであれば、単なる消費税増税では解決できない。増税は根本的な対策にならない。
国民の多くは「増税やむなし」という誤った世論に流されつつあるようだ。
それに対して著者の次のような提言は検討に値する。
「年金制度の維持が難しいなら、より自己責任の度合いが大きい制度に切り換えていくべき。メニューを提示し、国民に選択してもらう」。
また、弱い財政のもとで制度を見直すことで社会保障サービスの低下を招くことになったとしても、「日本人は連帯して我慢することで、一体感を海外に示し、日本への信頼感をつなぎとめるべき」と、投機筋につけこまれないよう国民全体で考え行動していくことが破局を回避する道だと示唆している。
東日本大震災をきっかけに、日本人はより「絆」の大切さを実感した。
これをきっかけに、誤った個人主義に染まっていた日本が「和」を重んじる国民に復古(興)できるのではないか。
政治家も国民に連帯を求めるチャンスなのだが、既存勢力は国民から信頼を得ていないから残念だが難しいだろう。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本偽善エネルギー

2010/11/18 21:36

エネルギー政策の誤りと、真に有効なエネルギー源とは

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 太陽電池や電気自動車がエコだというのは単なる「エゴ」に過ぎない。誤ったエネルギー政策を指弾する書。著者は「はじめに」で本書は「利権とは関係なく、科学としての事実」を書いた、と言っている。現在のエネルギー問題には利権がからんでいるものが多いこと、誤った情報が多いからだ。エネルギー問題は我々の子々孫々の代の生活にまで関わる問題であり、今の世代には責任がある。
 本書を読めば石油はいつかは枯渇し、太陽電池や風力発電といった代替エネルギーも石油に取って代わるほどのポテンシャルがないことが分かる。第一章の最後では「ないものはないと決意してしまえば、そこから将来は見えてきます」、「決断するときにきている」と著者はいう。果たして我々はどう決断すればよいのか?
 本書では、地球温暖化に関しては誤報や不適切な報道が続いていることを指摘している。また、エネルギー問題で日本の将来を暗くしているのは無策だから、とも言っている。解決策はあるのだ。まず、石炭を見直そう、といっている。石油のように偏在しておらず、埋蔵量も豊富だ。更に、オイルサンドなど「使いにくい石油」の利用技術を確立することで、石油に代替できるとしている。そして原子力発電だけで電力は十分に賄える。非効率な太陽光や風力発電なぞ作るだけ資源の無駄なのだ。そう言われるとショックを受ける人は多いだろう。
 第三章ではハイブリッドカーのオーナーには厳しい現実が書かれている。自動車製造、修理を考えると資源やエネルギーの消費量はトータルではガソリン車と同じ、だそうだ。プリウスに乗っていてもあまり胸を張れないらしい。
 本書から学べることは、日本で何かにつけ危機を煽る輩は利権がらみと思ったほうがよい、ということだ。国民の不安に付け込んだ「不安商品」を売りつけようとしているのだ。将来、本当にエネルギー不足になったら江戸時代の生活に戻るしかないかも。私が生きている間にはそんな自体にはならないが、我々の子孫をそんな状況にしないためにも、的を射た新エネルギー技術の開発を進める必要がある。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

麻雀界の哲人が語る箴言

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 自然界にいる動植物には人間のような「勝ちたい」(儲けたい)という思考は存在しないという。彼らは「本能で生きる」。そこには「負けない」という普遍のスタンスがあるだけ。弱肉強食の世界ならなおさらだ。生きるための知恵なのだ。人間が「負けない」力をつけるには彼らのように「変化に対する動きと感性を磨くこと」が必要だという。
 著者はサブタイトルにもあるように、「雀鬼」の異名をとる、麻雀を知る者にとっては伝説的な人物である。本書はタイトルが示すように「勝つ」技術ではなく、「負けない」ための考え方を説いたものである。 20年間無敗という脅威の勝負師が語る勝負論、勝負哲学、勝負感。そこには麻雀やスポーツなど勝負ごとだけでなく、ビジネス等にも通ずるものを感じ取ることができるだろう。
 「はじめに」にある、「勝ちだけを求めていては本当の強さを獲得することはできない」という言葉は深い。似たような表現では、「勝ち=豊かではなく、勝ち=強さでもない」とも述べている。
 本書は実に哲学的な言葉に溢れている。例えば「勝ちたい」という欲を捨て去れ、などと言うのは宗教的ですらある。一つの道を究めた人ならではの言葉ばかりで、きっと著者は悟りを得たに違いないと私は思う。しかし「おわりに」では、それを否定するように「究めたという感覚がまったくない」と語っている。それでも著者は「麻雀からいろいろなことを学んできた」。その一端を本書で明かしていただいたことは非常にありがたい。
 本書をビジネスの視点から見れば、リスク管理にも活かせる内容である。勘違いしてはいけないのは「負けない」のは「守りに入る」とは違うということ。そこには消極的なニュアンスは無い。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

米中軍事同盟が成立すると日米安保はどうなるか

5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 タイトルにもあるように著者は、オバマは米中軍事同盟を目指していると考えている。タイトルを見たときは私には「ありえない」と感じたが、それが普通の感覚であろう。その同盟は北朝鮮やミャンマーといったアジアの「ならず者国家」との外交問題を、直接対決することなく解決するためには有効だという。しかし米中が結ぶということは「アメリカの理想に逆行する行為」であり、「人類の歴史においても異常」だと著者はいう。
 本書はアメリカを中心とする外交・安全保障がテーマである。世界にはまだまだ紛争の火種が絶えず、世界の警察官たるアメリカはそれにどう対応しようとしているか、知ることができる。そして日本はどうするべきかを考えている。
 第二章では鳩山政権退陣のきっかけになったアメリカ海兵隊「普天間基地」に触れている。著者はもう普天間基地は無用になったと言う。 仮想敵国としている中国の核ミサイルは日本のあらゆる地点を攻撃する能力をもっている。同時に、在日アメリカ軍もミサイル攻撃の危険にさらされている。だから普天間からグアム島に移転する計画が進められているのだ。また、台湾や朝鮮半島に海兵隊が出動するような大規模な地上戦は考えられなくなった。もはや基地は「日米間の軍事同盟を象徴するもの」に過ぎないとも言う。そうであれば、必要がなくなったのだから日本は基地を「返還してほしいと主張するべきだろう」との論は当然だ。しかも米軍は国防費も削減されて「日本にアメリカ軍を置いておくことも難しく」なっているようだ。しかし、米軍撤退の後の自国の防衛をどうするか、早急に検討する必要があるだろう。
 オバマは昨年12月、核兵器廃絶を訴えてノーベル平和賞をもらった。「ただ核兵器の数を制限すれば世界が平和になると思っている」のは大間違いだと著者はいう。まだ何も削減していないのに受賞するのはおかしいと感じた人が大半だろう。「何の実績もない人物」に賞を与えたのは、アフガンやイランに対して彼の手を縛るためだと指摘する。情勢が悪化したときにアメリカは核の使用もありうると彼は考えているようだ。
 理想は分かるが核兵器がなくなったからといって、他の武器は残るわけだし、人々の心に対立が残れば戦争自体はなくならない。「核なき世界」が先か、紛争の根本原因である貧困をなくすのが先か、世界政府の樹立が先か、どれも必要だと思えるが、いずれも実現する努力を進めなければならない。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本王貞治に学ぶ日本人の生き方

2010/07/24 23:14

真のプロとして偉大なロールモデル

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「王さん」といえば王貞治。最近では野球のWBCの監督(2006年)としてご存知の人も多いことだろう。知ってのとおり選手、あるいは指導者として知らぬ者はいないはず。真のプロとして偉大なロールモデルである。その王さんが現役を引退した1980年は私は中学生だった。自分では野球こそやらなかったが、地方のTVの野球中継と言えば巨人戦だったから、毎晩のように見ていた気がする。
 王さんは名前から分かるように純粋な日本人ではないが、日本人以上に日本人的だと著者は捉えているのであろう。本書は現役時代のみならず、指導者へ転身してからの王さんの人生から学べることが多いと考えて書かれた。そこからはサラリーマンなら平社員から管理者までが、普遍的な価値を見出すことができるだろう。
 著者は王さんを「心技体を最高度に結実させている人物」と絶賛する。現役時代の彼は「武士」を感じさせた。刀をバットに持ち替えただけの侍。著者はそこに宮本武蔵のような修行者・求道者の姿も重ねて見ている。また、そのプロ意識に「職人気質」を感じてもいる。王さん本人は自分のことを「技術屋」と称している。ホームランを量産していた頃は打てばホームランかというくらい、まるで精密機械のようであった。そこまでバット技術を極め続けたということだ。イチローじゃなくても誰もが尊敬できる人格者でもある。だからこそ選手たちは王監督についていった。
 第七章で監督退任会見での言葉を紹介している。それは68歳にもなりながらもまだ「心をときめかせて」やってこれた、という趣旨のもの。そんな年齢になっても「ときめき」を持ちながら生きていけたら幸せな人生だろうなと思った。いくつになっても常に好奇心を失わず、課題を求め、それに挑戦していく、それが続けていければ生きていける。そう感じた。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

578 件中 1 件~ 15 件を表示