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    体が硬い人のための柔軟講座 (NHKテキスト 趣味どきっ!)

    体が硬い人のための柔軟講座 (NHKテキスト 趣味どきっ!)

    中野 ジェームズ修一 (講師),日本放送協会 (編集),NHK出版 (編集)

    5つ星のうち 4.0 レビュー詳細を見る

nmeさんのレビュー一覧

投稿者:nme

8 件中 1 件~ 8 件を表示

紙の本ホリー・ガーデン

2001/07/23 06:26

緻密なディテイル。

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 今にも登場人物がページ上で息づきそうな小説だと思った。

 静枝と果歩という、二人の女性の友情を軸に、ディテイルにディテイルを重ねて緻密に織り上げたような作品。読み進めるのにとても時間がかかるし、また、じっくり読みたいと思わせられる。細やかな描写は、静枝や果歩や中野の人物像をくっきりと浮かびあがらせ、この人たちの世界の空気から心の襞の奥深くまで、直に触れられるような気がする。「近い作品」だと思った。

 「時の流れ」というのをすごく感じる。時が失わせるもの。時が変えるもの。時が流れても変わらないもの。

 画廊オーナーである芹沢に「属し」、遠距離不倫に心を蕩かす静枝。碌でもない(と静枝が思う)津久井という男との失恋を5年間も引きずっている果歩。三十路も間近に、いい具合に世間にこなれてきたというか、若さと純真さを失ったかわりに諦念と柔軟性を身につけたというか、そういう二人の友情が連綿と続いている。お互い知りすぎているがゆえの親密感とそれに伴う息苦しい緊張感、中野に言わせれば、「手をだせないほど濃密なくせに、ひどく不安で緊張した空気」、その微妙な雰囲気が、ため息が出るほどページから発散されている。いつからタブーができたんだろう、という静枝の心の声にぞくっとする。友情と時間はタブーを生産するのだ。

 それにしても、中野の描写は見事だなあ、と感嘆せずにはいられない。無邪気で、思わず苦笑させられる感じで、でも憎めない中野。

 静枝と果歩、どちらが好きかといえば、果歩だと思う。というか、静枝が苦手なタイプなのだ。もっとも、僕の好感なんて、果歩は気にもとめないだろうけれど。果歩にとって、津久井以外の男はみな箸にも棒にもかからないのだから。だから、中野が果歩にだんだん接近する様子はマジックだと思った。

 読んでいて、元気づけられた、というほどではないけれど、なんというか、これでいいんだ、と、自分を肯定できるような気がした。これは思いもかけないことだった。だって、最初に読んだときの「倦怠感」というイメージが残っていて、読む前は、ページを開くのがちょっと億劫だったから。ありふれた、ちょっと冴えない日常を送っている人々にぴったりの小説だと思う。思いがけないことに、今の自分は、この作品がとても気に入っている。

 そうそう、果歩がつくる数々の料理の描写は、すごく「おいしい」。

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スピティの谷へ

2001/08/18 23:27

会いたい人々

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 95年まで外国人の入域が禁止されていたスピティは、インド最北部、標高約4000メートルに位置する聖域である。こう聞いて、僕はどうしたってわくわくせずにはいられない。もう終わってしまったけれど、「神々の詩」という番組をみるときも、こんな気持ちであった。

 この本や「神々の詩」がすばらしいと思うのは、秘境の特異性をセンセーショナルに書き立て映し出すのではなく、その社会であたりまえのように生きる人々をじっくりとみつめ、彼らの日常を丁寧に描き切っていることである。この本を読むと、スピティ社会が手触りで伝わってくるようである。しかも、伝わるだけじゃない。128ページもの贅沢なカラー写真によって、実際に目にすることもできるのだ。

 写真をみると、自然環境がいかに厳しいかがわかる。限界樹林帯で、ほとんど緑がない褐色の山肌、10月にはもう雪が降りはじめ、真冬には凍てつく谷一帯、峻険な崖にへばりつく家屋…。ぎりぎりの中で、彼らは生きている。

 この本を読んで、僕は、羨ましい、と思った。こんなことを書くと、各方面から怒られそうだ。温暖快適な環境の下で恵まれた生活を安穏と過ごしている人間が、何をばかなこと言うか、と。確かに、僕が安易に「羨ましい」などと口にすることは、スピティの人々を傷つけることになるだろう。それはわかっている。

 でも、どうしてもその気持ちをとどめることができない。彼らをみていると、自分に足らないものばかりみえてくるのだ。生活をもてあましていないということ。確かな手ごたえがあるということ。日々の生活が楽しいということ。チベット仏教という、揺るぎない心の拠りどころがあるということ。何かを、そして自分たちを信じられるということ。そういうことすべてに強いあこがれを感じる。そして何より、写真にうつる彼らの生きる力にみちた表情がまぶしくてしかたないのだ。

 ずっと読み進めるにつれて、この本が著者とスピティの人々との交流の物語でもあることに気づく。そして、いつしか自分もスピティの人々と心を通いあわせている。会ったことも話したこともない遠い遠い人々と交流することもできるのだ。3年間に何度もスピティに通い、人々とふれあった著者、カメラマン、スタッフの方々が、読者に彼らとの交流をおすそ分けしてくれる。

 会いたい人々がいる。彼らとはいつでも会える。会いたくなったら、この本を開こう。

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紙の本泣く大人

2001/08/18 23:25

贅沢なエッセイ

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 「雨が世界を冷やす夜」(なんて素敵なタイトル!)、「男友達の部屋」、「ほしいもののこと」、「日ざしの匂いの、仄暗い場所」の、4つの章でできているエッセイ集。

 江國さんの文章は、ますます贅沢になっていく。それは、内容もさることながら、文章の質自体が。まるで贅沢な料理がテーブル一面に並んでいるのを目の当たりにしたときのように、それだけで満腹感をおぼえてしまう。無論貪ることなどできない。だから、少しずつ、味わうように読んだ。贅沢で幸福なバターを食べるように。

 「雨が世界を冷やす夜」は、日常と旅のことが中心。これまでのエッセイよりも、江國さんの生活が垣間みえる内容になっている。すごいなあと思うのが、日常の中のほんの小さな出来事からはじまって、そこからつかめそうでつかめない「日常のテーマ」にちゃんと到達すること。たとえば、夜光虫から「居場所がある」ということに、旅の出来事から「現実というもののあやふやさ」に。イメージが豊かで、それ以前に、きっと生活が豊かなのだ。夜光虫のいる海に手を溶かしてみたい、と思った。

 次は男友達をめぐるエッセイ。このひとの感性のみずみずしさと鋭さにはいつも感服させられるのだが、このエッセイでは、人間関係をみる目のあまりの正確さに驚いた。あまりに明晰すぎて、こわくなるくらい。「男友達と疲弊を分けあうのはタブー」とか、「欠点も、怠惰も、許すというより気にならない関係」とか、もののずばり。女性にとっての男友達(あるいは男性にとっての女友達)。それは特別なポジションなんだ、と、つくづく思う。

 ところで、僕には女友達がいない。今までもいなかった。僕の性質からすると、女のひとは恋人になるか、赤の他人か、そのどちらかしかない、と、ずっと思ってきた。別に、男女間に友情は存在しない、と思っているわけではないのだけれど。きっと意識過剰なのだ。意識過剰という言葉が曖昧なら、恋が友情を上回ってしまう、というか。そうなると、とたんに萎縮してしまう。これは致命的だ。なぜなら、友情というのは一対一、お互いが対等の関係で成り立つものだから。女友達がいれば楽しいんだろうな、と思う。

 「ほしいもののこと」では、三つの願いを「備えよつねに」というくだりに、まずちょっと笑ってしまった。ほしいもののことを書く江國さんは高揚している。文章がわくわくしている。ほしいものをたくさんもっていたほうが人生楽しいに決まっているのだ。僕も、いつ何時三つの願いを訊かれてもいいように、たくさんのほしいものを備えとかなきゃ。

 「日ざしの匂いの、仄暗い場所」は、読書エッセイ。ここだけ実はまだ読んでいなかったりする。だって、今は読みたい本が増えると困るんだもの。それにしても、江國さんはどうやってお風呂で読書をしているんだろう、と思う。本は濡れないんだろうか? 何時間も入っていてのぼせないんだろうか? 逆に湯冷めしないんだろうか? もっとも、「そんなこと、気にしない」んだろうけれど。

 僕はまだ、「泣かない子供」だ。「泣く大人」になりたい、と、切に思う。

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江國さんが詩?

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 江國さんが詩? と思った。どうしても江國さんと詩が結びつかなかった。小説やエッセイの印象が強すぎたから。まるで日本文学全集本のように古風な装丁も、江國さんには合わないような気がして、出版直後に店頭で見かけたとき、めずらしく買うのをためらったのだった。

 それに、僕は実は詩が苦手なのだ。書くのはもちろん、読むのも。国語の教科書に載っているような詩を、みんなは感動したと言っていたけれど、僕にはさっぱり、ちんぷんかんぷんなのが多かった。「ふーん」の一言で終わってしまうような。僕って感受性がまるでないんだな、と思っていた。それと、強烈な詩もまた苦手だった。戦争ものとか、貧困ものとか、どうしても拒絶反応を起こしてしまう。

 でも、江國さんの詩集はそうではなかった。こんなすばらしいものをどうしてもっとはやく読まなかったんだ、と、自分の不明と勇気のなさを恥じた。江國さんは、詩でもやはり江國さんらしい。

 江國さんは、ことばを正しい質量で使う。重すぎず軽すぎず、そのことばのもつ質量そのままに、余計なものが一切なく。小説やエッセイでも同じことを感じていたのだけれど、これはすごい。正しい質量で使われているから、ことばが正しく伝わる。読者に負荷を与えない。僕が強烈な詩を苦手とするのは、そういった詩に使われることばは重すぎるからなんだと思う。

 江國さんの詩は、水彩の絵の具で描かれているみたいだ。この淡さも、僕には合っている。ある詩は、くっきりした色で、点や線を描くように、またある詩は、ぼんやりした色で、キャンパス全体を塗るように。いずれにせよ、その詩は水彩なのである。はっきりとして強烈な油彩ではなく。余韻がある、余白がある。

 いつも思うのだけれど、江國さんの日常を見る目の鋭さは圧巻だ。日常にひそむ事象やちょっとした感情を、さっとすくいとってしまう。その手つきは、金魚すくいのように鮮やか。さっとすくいとって、正しい質量のことばでぱっとかたちにしてしまう。まるで事象や感情を瞬間冷凍しているみたいに。鮮度がいいから、読む者にも「おいしく」伝わってくる。自分も確かに感じたことのある気持ち、あるいは経験したことのないことまでも。この詩集は、日常を保存する冷凍庫みたいだ。

 江國さんは、詩によって何かを伝えようとはしていない。江國さんの仕事は、さっとすくい、ぱっと冷凍し、紙に並べていくだけ。そうすれば、あとは詩が自律的に伝わろうとする。「伝える」ではなく、「伝わる」。それが、僕にとってはとても好ましい。

 それにしても、こんな詩集を読むと、恋愛をするのがこわくなる。特に江國さんとは(まずあり得ないけれど)。こんなに鋭く観察されて、こんなに的確にことばにされたら、男は何も言えなくなる。「うしなう」という詩を突きつけられたら、もうなすすべなしだ。女性のことばはこわい。それがたとえ愛に満ちたものであっても。ばかな男は、両手を挙げて降参するしかなくなってしまう。

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紙の本流しのしたの骨

2001/07/23 06:42

ときどき無性に会いたくなる人たち。

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 …何をどう書いていいかわからないような本なのだけれど、とにかく、読んでいて安心な感じがする。宮坂家という家族の物語。とても穏やかで、平和で、心平らかになる小説である。

 ストーリーらしきものは、まったくない。淡々と宮坂家の日常が綴られているだけである。でも、家族という共同体はそれ自体がストーリーだし、否が応にもストーリーをうみだしてしまうものなのだ。それも、きわめてオリジナリティの高いストーリー。

 宮坂家はへんてこりんな家族だ。野趣溢れる食卓を好む母、ハムスターのウイリアムを散歩させる母。給料日に家族のみんなに贈り物をするしま子ちゃん。他のおじさんのためにフィギュアを完璧な器用さでつくり上げる小さな律。ぼんやりおっとりしすぎていて、かつ超人的に頑固なそよちゃん。夜中の散歩を好み、左手で食事ができるよう練習すること子。学校を「文化果つる場所」と言う父。彼らはへんてこりんなことを、ごく日常的にやっている。そういうのを外から眺めるのはとてもわくわく、ぞくぞくする。

 他人の習慣や、他の家族の行事をみるのは、とても心愉しいことだ。母が必ず父の帰宅前に化粧を落とす、とか、こと子が夜中の散歩でみる風景、とか、誕生日に贈り物をしあう、とか、みんなで騒々しくしゅうまいをつくる、とか、お正月には書き初めをする、とか、そういうひとつひとつのこと。僕の家族にはあまりそういうものがなかったので(もっとも、他人からみればじゅうぶん「変な家族」なのだが)、宮坂家がうらやましくなってしまう。

 冬が舞台というのが、よりいっそうこの小説を好きにさせる。とてもあたたかいのだ。冷蔵庫色のトレーナー、膝かけ毛布、紺色のダッフルコート、カシミアの衿巻。いいお湯のお風呂、体温が残ったシーツ、湯たんぽ、エアーコンディショナー。宮坂家の子供はこのような教育を受けている。「防寒具を正しく身につけて、私たちはみんなあたたかく気持ちよく心平らかにおもてにでる必要がある」、と。その正しさ、確実性がとてもいい、と思った。

 この本には、「余分なものが好き」という江國さんのこだわりが存分にでている。読んでいて味蕾が反応してしまう、おいしそうな料理の描写。別腹を満たしてくれるお菓子の数々(こと子ちゃんはダイエットにはまったく関心がないみたい)。電化製品がフル稼動している律の部屋や、ばかに明るすぎるリビング。そういうものすべてが、「豊かだなあ」と感じさせる。

 ところで、「流しのしたの骨」という不思議なタイトル。「かちかちやま」の一節に出てくるそうなので、読んでみた。確かに残酷で恐ろしい(おぞましい)お話。宮坂家の子供の脳裏に深く焼きついている、「流しのしたの骨をみろっ」という母の迫真の朗読。きっと、どの家族にもあるのだ。家族だけの記憶が。

 それにしても、なんて愛すべき人々なんだろう。「何があっても味方」という安心感に包まれた、すばらしく心強い家族。そして、深町直人。ときどき彼らに無性に会いたくなって、ページをめくる。

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紙の本都の子

2001/07/23 06:35

おいしいエッセイ。

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 江國さんの、はじめてのエッセイ集。ことばがおいしい。文章がおいしい。それは、江國さんがあとがきで書いている通り、「少しずつ冷凍する」ように書かれたからなのだと思う。日常に散りばめられたさりげない感情や、風景、とりとめのない記憶など、さっとつかみとって瞬間冷凍した、という感じ。鮮度が抜群にいいのだ。

 江國さんは豊かだなあ、と、いつも思う。満ちたりた日常をおくる満足げな江國さんの表情が想像できる。毎年5月になると、ある日突然カルピスが飲みたくなる、とか、雨が降ると、さあおりがみをおらなくちゃ、と思う、とか、ほほえましい。そして、そういうのをたくさんもっていることがうらやましい。

 江國さんは素敵なおすそわけをしてくれる。ケネス・グレアム(石井桃子訳)の「たのしい川べ」とか、スイカシェイクとか、小さなオルガンのための貴重な作品集とか、ゴッホの「雨」とか、ユトリロの「雪の積もった村の通り」とか、さっそくみたり飲んだり聴いたりしたくなってしまった。

 江國さんがくれるおすそわけは、本や音楽や絵画だけじゃない。感覚や感情までもおすそわけしてくれるのだ。僕の感覚は、もはや江國さんの影響からは逃れられない。雨が好きなのも、「感情の温度」を意識するようになったのも、他にもいろいろ、江國さんが僕に植えつけてしまった。

 また、江國さんの文章を読んでいると、いろんなイメージを喚起させられる。主に自分の思い出。数少ない保育園の記憶(額を切ったこと、節分の鬼に恐怖して泣きわめいたりこと)、せつなさの学習(僕の場合、「おおきなのっぽのふるどけい」)、梅雨明けの景色、運動会、おしおき、雪の下校道…。

 僕はこのエッセイがほんとうに好きだ。これからも、何度も、何度も読むだろう。自分の感覚がにぶってきたなあ、と思ったとき、この本はとてもよく効く。

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紙の本つめたいよるに

2001/07/23 06:31

日常の物語を信じたいときに開く本。

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 名作揃いの短篇集。

 たとえば、「デューク」。余韻を残すせつなさとさわやかさ。デュークを亡くしたことからはじまる小さな奇蹟が、絶妙のバランスで書かれている。デュークと少年は、これ以上近づいても遠ざかってもいけないような。

 たとえば、「草之丞の話」。滑稽で、ちょっと不気味で、せつない。草之丞は、今もふたりをどこかで見守っていると思う。好物のあじでも食べながら。

 たとえば、「ねぎを刻む」。「孤独がおしよせるのは、街灯がまるくあかりをおとす夜のホームに降りた瞬間だったりする。」この最初の一文だけで、小さな物語にひきよせられる。誰にも救えない孤独。孤独の手のひらに包まれたら、僕もねぎを刻もうと思う。

 10ページにも満たないページ数のなかに、いろんな物語がこめられている。いろんな人の、いろんな物語。物語には、はっきりした始まりも、はっきりした終わりもない。この本の物語は、水をすくってきたかのようにさらっとしている。日常という湖から。そして、日常の時間は連綿と続く。

 この作品を読んでいると、身の回りにも物語がたくさんひそんでいることに気づかされる。はっと振り向いたり、空を見上げれば、そこには物語がある。日常の物語を信じたいとき、この本を開く。

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紙の本スターバックス・マニアックス

2001/07/23 06:19

福井にも来てね。

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 スターバックスのメニューやレシピ、関係者のインタビューから、著者の私物スタバグッズに至るまで、まるごと1冊スターバックスの本。カラーページで、写真やイラストがふんだんに使われていて、とてもわかりやすい。知りたいことにちゃんと応えてくれる「スタバ入門書」であると同時に、スターバックスの真髄もちょっと垣間見れるような本である。

 恥ずかしいことに、僕は「カスタムオーダー」を知らなかった。スタバグッズも知らなかった。多くのドリンクのベースになっているのがエスプレッソだってことも知らなかった。スターバックスは禁煙だってことも知らなかった。いくつもの驚きがあった。そして、この本で「予習」できるのはとても心強い。これからは、むずかしいメニュー名にもびびらずに注文できそうだ。

 会長兼チーフ・グローバル・ストラテジストのハワード・シュルツ氏の話からは、多くの納得といくつものヒントを得ることができた。彼が強調する「コミュニティー」というフィーリングは、確かに僕もいつも感じているし、だからこそ何度も通うのだと思う。そして、「スピリット・パートナーシップ」の重要性、もっと言うと「その気にさせる、やる気にさせる」ことの大切さは、スターバックスに限らず、どんなことにも当てはまるのだと思う。彼の、「いい具合に力が抜けた真摯さ」には好感がもてた。

 スターバックスに関わる人々のインタビューを読んでいると、彼らの充実ぶりがよく伝わってくる。シュルツ氏のスピリットがきちんと受け継がれている。「好きだから、ここにいる」という、この上ないモティベーション。そういう人たちの話を聞くのは楽しいものだ。

 メニューに対する自信がつき、スターバックスの舞台裏を知ることができて、これからはちょっと違った気持ちでお店に行けそうだ。さっそく、今日、初めてコーヒー・フラペチーノを頼んだのであった。冷たくて、甘くて、コクがあって、おいしかった。

 今後、スターバックスは500店舗を目指すという。ぜひとも福井にも来てほしい。心からお待ちしております。

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