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  3. 小林育子さんのレビュー一覧

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先月(2017年1月)

小林育子さんのレビュー一覧

投稿者:小林育子

20 件中 1 件~ 15 件を表示

「育児書どおり」じゃないわが子に悩むママにお勧め

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 著者は、ハリウッドのスターたちからも多くの信頼を得て、米国ではカリスマ・ベビーシッターともいわれるトレイシー・ホッグ。既に何冊かの育児書を著しているが、今回は子育ての基本を説いた「おしゃべり編」と、しつけや叱り方にポイントを絞った「しつけ編」の2冊が出版された。対象は0から4歳。

 おもしろいことに、トレイシー・ホッグは、「おしゃべり編」で、子育ては赤ちゃんのタイプを見極めることから始めようとまず提唱する。ここが、いままでの育児書とかなり違う。よくある育児書は「平均的な子どもの発育と対処法」といったスタンスで書かれていることが多いので、「うちの子は育児書どおりじゃない!」というママの悩みが生まれてしまうことすらある。

 ところが、本著では赤ちゃんを「活発タイプ」「むっつりタイプ」「エンジェルタイプ」「育児書タイプ」「デリケートタイプ」と五つのタイプに分け、そのタイプに見合った育て方をしましょうと提唱しているのだ。つまり今までのテキスト風育児書に当てはまる子もいるけれど、そうじゃない子もたくさんいるよと最初から宣言しているのだ。複雑な人間にとって、タイプ分けが目安であることもていねいに説明しているのでタイプ分けが乱暴な印象もない。「しつけ編」では、このタイプを踏まえて、寝かしつけやかんしゃくを起こした子への対策、体罰への考え、そして今の時代に即したレストランや公園、ショッピングへ連れて行くときの親子のマナーにもかなり具体的に触れている。

 母親は経験的に、子どもは生まれたときから各々気質が違うということを育てながら気づいていくが、「育児書タイプ=よい子」のような固定観念にとらわれてしまうことも少なくない。そういった従来の育児書の呪縛から開放してくれる一冊でもある。 (bk1ブックナビゲーター:小林育子/フリーライター)

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この人が語る「不登校」

2002/02/28 22:15

どのインタビューにも、「不登校でもいいんだ」と思わせる一言が埋まっている

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 不登校新聞に連載された、各界著名人へのインタビューを一冊にまとめた本である。テーマはズバリ、「不登校をどう考える?」

 インタビューの人選がいい。羽仁未央さん、大平光代さん、五味太郎さん、立川志の輔さん、吉本隆明さん、森毅さんと、年齢も肩書きもバラバラだけど、自由人といったイメージの人たちがズラリと並んでいる。

 こういった既に活躍し才能が認められている人たちからの意見や励ましを聞いても、今、不登校で悩み、自分に自信が持てない当事者にとってはきれいごとじゃないか。読む前には、ほんの少しそんな気持ちもあった。しかし、全編読み終えてみると、温かい励ましを受けた気分になる。なぜなら、登場した著名人たちはある種の「アウトロー」でもあるからではないか。

 この人たちも自信満々で人生を送ってきたわけではない。たとえば作家や詩人、画家となった人たちの子ども時代の話を聞くと、学校での思い出は決してよいものではない。その大きな原因は、学校という場が昔も今も「人と違う」ことを受け入れてくれないから。乱暴に言ってしまうと、その一言につきる。「人と大きく違う」感覚や表現力を持つからこそ、彼らは成功したわけなのだが…。

 どのインタビューにも、「なーんだ不登校でもいいんだ」と思わせる一言が埋まっている。何人かの人は、そのうち学校に行かなかったことが偉いと価値観がひっくり返る時代が来るかもしれないとまで言っている。

 ただし、その先がある。「俺は、本当に一貫して、自分で学んだほうがいいと思っている。それは、別の意味でキツイけど、自分で歩いたほうがいい」(五味太郎さん)、「私は、それはイヤですよと申し立て、その壁にどんなに小さくてもいいから自分の素手で風穴をあけようと、壁をたたいていきたい」(落合恵子さん)。

 学校には行かなくてもいい、でもそのかわり自力で生きること、学ぶことを捨てるなよというメッセージだ。そのサポートを私たち大人はどうしたらいいのか。「不登校」は大人も子どもも含めて、生き方の問い直しを迫る問題だ。 (bk1ブックナビゲーター:小林育子/フリーライター)

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紙の本ライフ・レッスン

2001/12/27 03:15

死にゆく人々から学んだ第一級の人生論

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 『死ぬ瞬間』で有名になった精神科医、エリザベス・キューブラー・ロスは「死」に関する著作を何冊も著してきた。死とその過程についての考察、死は決して恐れたり忌むべき出来事ではないといった著者からのメッセージは広く知られている。

 あたかも「死」の専門家とみなされてきた著者だが、この本は「死にゆく人」から学んだ教えをもとに書かれた、「生」に関する本、つまり人生論である。人生には15のレッスンがあるといった導入から、まず惹きつけられる。レッスンのテーマは、「ほんものの自己」「愛」「人間関係」「喪失」「怒り」「遊び」「幸福」とバラエティに富む。人生を学校に喩えるならば、あなたはこれらのレッスンを受けている最中で、どんな出来事からも学ぶべきことがあると本著は説く。

 本書が、薄っぺらな人生論と一線を画すのは、論拠がすべて死にゆく人との膨大な臨床経験から発している点だ。「今日」がすべてである死にゆく人は、「もっと」というゲームを卒業している。私たちは幸福の条件として「もっと」何かがあればと常に考えている。お金、恋人、家族、健康、自分にあった仕事、美貌、賞賛…。
 実は自分を幸福にするために必要なものはすべて私たちの手中にある。ただ、私たちはその使い方を知らない。それを15のレッスンを通じて習得していくことで、人は十分に生きることができると著者は言う。このレッスンはまた、人生を楽しむことにも通じる。死にゆく人たちが心残りを語るとしたら、それは人生の成功についてではなく、楽しんだかどうかという一点だそうだ。あなたは、人生を楽しんでいるだろうか?

 すべてに満点ではなくとも、レッスンの終わりとともに人生も終わる。長生きか否かはなんら関係ない。「死」は卒業でもある。そう考えると、十分に生きたすえの「卒業」は恐怖ではなく、むしろ祝福されるべきことなのかもしれない。 (bk1ブックナビゲーター:小林育子/フリーライター)

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「育児書どおり」じゃないわが子に悩むママにお勧め

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 著者は、ハリウッドのスターたちからも多くの信頼を得て、米国ではカリスマ・ベビーシッターともいわれるトレイシー・ホッグ。既に何冊かの育児書を著しているが、今回は子育ての基本を説いた「おしゃべり編」と、しつけや叱り方にポイントを絞った「しつけ編」の2冊が出版された。対象は0から4歳。

 おもしろいことに、トレイシー・ホッグは、「おしゃべり編」で、子育ては赤ちゃんのタイプを見極めることから始めようとまず提唱する。ここが、いままでの育児書とかなり違う。よくある育児書は「平均的な子どもの発育と対処法」といったスタンスで書かれていることが多いので、「うちの子は育児書どおりじゃない!」というママの悩みが生まれてしまうことすらある。

 ところが、本著では赤ちゃんを「活発タイプ」「むっつりタイプ」「エンジェルタイプ」「育児書タイプ」「デリケートタイプ」と五つのタイプに分け、そのタイプに見合った育て方をしましょうと提唱しているのだ。つまり今までのテキスト風育児書に当てはまる子もいるけれど、そうじゃない子もたくさんいるよと最初から宣言しているのだ。複雑な人間にとって、タイプ分けが目安であることもていねいに説明しているのでタイプ分けが乱暴な印象もない。「しつけ編」では、このタイプを踏まえて、寝かしつけやかんしゃくを起こした子への対策、体罰への考え、そして今の時代に即したレストランや公園、ショッピングへ連れて行くときの親子のマナーにもかなり具体的に触れている。

 母親は経験的に、子どもは生まれたときから各々気質が違うということを育てながら気づいていくが、「育児書タイプ=よい子」のような固定観念にとらわれてしまうことも少なくない。そういった従来の育児書の呪縛から開放してくれる一冊でもある。 (bk1ブックナビゲーター:小林育子/フリーライター)

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中学受験、成功させるコツとは何か?

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 本著は、中学受験を考えている保護者向けに書かれたものだ。帯に受験ノウハウという文字があるように、「4年生」「5年生」「6年生」「受験直前」の各々の時期に子どもに何をさせれば効率よく合格できるのかが懇切丁寧に書かれている。著者の田中貴さんは、中学受験の塾で約20年、子どもたちを教えてきたベテランである。

 中学受験を目指すなら、各科目の勉強の仕方はもちろんだが、塾の選び方から模擬テストの受け方、夏期講習の利用の仕方、過去問の勉強の仕方まで、きめ細かく親が目配りしてあげなければならない。

 ところで、こういったある種のテクニックを身につけて駆使することが、中学受験成功のコツなのだろうか。実は、細かいテクニック以前に、本著の第一章の「どうして中学受験するの?」の中に基本のコツが書かれていると私は読み取った。

 それはこういうことだ。子どもの成長には個人差がある。勉強する意欲がグッとわき伸びる時期のスタートが早い子もいれば、遅い子もいる。意欲ももちろんだが、自ら勉強する生活習慣が身についていなければ、受験勉強を続けるのは厳しい。小学校高学年という時期が、「受験勉強」の適期なのかどうか、それは子どもによるということだ。

 中学受験の理由はさまざまだ。いわゆるエリート校に入って欲しい、その中学の教育方針にひかれた、高校受験のないゆったりした6年間を過ごして欲しい、近くの公立中学がろくなもんじゃないから。仮にもっともな理由があったとしても、心も身体もちっとも受験モードになっていないわが子に「お受験」テクニックを仕込むのはナンセンスだ。そしてその見極めは、塾の先生ではなく親の仕事である。細かいテクニックよりもこの見極めを的確にすることこそが、中学受験攻略の最大のコツなのかも。 (bk1ブックナビゲーター:小林育子/フリーライター)

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ADHDを持つ子どもと親は、いま何に悩んでいるのかつぶさにわかる

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 乱暴で落ち着きがなくけんかが絶えない、パニックになりクラス中をかきまわす…。わが子がこんなタイプだったら、親はどうしたらいいのか。この本には、ADHD(注意欠陥・多動性障害)を持つ子どもとその母親がどう対処してきたのか、わが国での実例が豊富に収録されている。
 ADHDという言葉自体は、この数年マスコミ報道などを通して随分と一般にも広まったのではないだろうか。しかし、一方で「ADHD児=問題児」といった偏見が助長されていったようにも思える。

 本著の第一章では、11組のADHDに悩む親子が登場する。それぞれの親子が誕生から乳幼児期、幼稚園、小学校と集団生活への参加が進むにつれ次々と問題に直面し、どう悩み解決し、そのときどう感じたかが、つぶさに描かれている。
 一見してわかる身体の障害と違い、また情報が不足しているだけに、11組のケースは診断を受けた時期もバラバラだ。「うちの子はどこか他の子と違う。でも、これは私のしつけが悪いから?」いかに多くの母親がこの呪縛にとらわれて辛い日々を過ごしたか、が伝わってくる。
 また、学校の受け入れ方針や教師の対応も、このケースを読む限り実に差がある。厳しい言い方だが、「こんな受け入れ態勢の学校には通わせたくない!」といった実例もあった。そうではないのに、学級崩壊の元凶のように扱われた子どももいる。逆に理解ある教師に恵まれ、自分をコントロールする術を覚えて生き生きと生活していくケースも描かれている。ADHDに限らず障害を持っている子どもたちにとって、教育の力がいかに大きな影響を与えるのかも本著の具体例は語っているのではないか。

 既に、ADHDに関する本は何冊も出ているが、この本はいい意味で専門書とは一線を画し読みやすい。すでに診断を受けて日々悩み格闘している人たちには、学校との付き合い方などの具体的なアドバイスが参考になる。ADHDについて誰に相談したらいいのか、といった問いに対し、著名な専門医だけに限らず一緒に考えてくれる人・仲間になってくれる人を優先してという著者の言葉も心に染みる。

 もちろん「うちの子は嫌な子・ダメな子かも」と、思いこんでいる人にもぜひ読んで欲しい。ADHDではなくとも子育ての解決のヒントがある。それから、わがクラスには落ち着きのない子がいて困るという、教育現場の方々にも。子どもと保護者が何に深く悩んでいるのかをぜひ知ってほしい。 (bk1ブックナビゲーター:小林育子/フリーライター)

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性的マイノリティは学校でどう語られるのか

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 男の子と女の子がいずれは成長して、恋愛して、結婚し、子どもを産みという大前提で形作られた性教育では、同性愛や性同一性障害で悩む人たちのことは抜け落ちている。異性愛主義の社会では、抜け落ちるだけではなく、同性愛嫌悪的(ホモフォビック)な言動がマスコミで、家庭で、職場で、そして学校でもおおっぴらに語られる。「オカマ」「ホモ」「レズ」ってキモイよねという発言がクスクス笑いと揶揄を伴って教室で語られることは少なくないだろう。ときには、教員が率先して。

 本著では、性的マイノリティの人たちは決して異常ではない、彼らを侮辱したり差別する言動は人権問題であるという視点で授業を行った教員たちの授業実践例を、いくつも紹介している。具体的な授業案、使った教材、授業の展開の仕方、生徒たちの反応や感想文、同じ教員たちからの批判やアドバイスなどまで、実に具体的に収録されている。

 ゲイの人の体験談を教材に使った小学校の授業、恋愛を切り口に同性愛にまで言及した中学校の学級活動、ナチスドイツによる同性愛者虐殺を取り上げた中学の社会科、ゲイであることを公言した政治家で射殺されたハーヴェイ・ミルクの実話を教材にした中学英語の授業と実に盛りだくさんだ。保健の時間の性教育などという狭いくくりから抜け出した広がりにかなり驚いた。

 こういった授業は、知識としての人権教育という意味だけではなく、親にも友達にもカミング・アウトできずひっそりと教室に座っている当事者である子どもたちが、思春期に自分を肯定するために必要なのだということも、この本から強く伝わってくる。

 巻末にある性的マイノリティ関連団体の情報や、教材にも使えそうなセクシャリティ関連の書籍一覧も充実している。本著にある授業は、全国的にも少数派だろう。でも、ゆとり教育という名のもとに新しい試みをするなら、こういったものにこそ取り組んで欲しい。 (bk1ブックナビゲーター:小林育子/フリーライター)

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笑える!でも愚かな体験談と思うなかれ

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 ラブラブな新婚生活が一転、夫が浮気の達人だった。ここから、激しい離婚のためのナスティ(薄汚い)ゲームがスタート! というこの離婚エッセイは、恋愛マスターとして名高いエッセイスト・井原美紀さんの体験談だ。

 ただし、井原さんは夫の浮気に泣く妻という立場でありながら、読んでも同情や涙が誘われる箇所はほとんどない。それどころか、笑える。声に出してまで笑えてしまったりする。本の帯に作家の篠田節子さんから「サイテー男とカン違い女の壮絶バトル!!」というはなむけの言葉が贈られているが、ドンピシャ! これが笑える理由だ。

 懲りずにバレバレの浮気をしまくる夫がサイテー男だということに、誰も異存がないだろう。なにしろバレたって開き直るし、妻が傷つくことを平気でする。反省するフリぐらいしろよと、読みながら罵倒したくなる。が、妻たる井原さんのカン違いも結構すごい。門限の厳しい親元を離れて「結婚」することで、旅行ライターとして世界中飛び回り、たまに帰国したときは、エリートでハンサムな夫と恋人同士のように熱いひと時をリッチに過ごせるのが、私の「自由な結婚生活」と思っていたのだ! オイオイ、「結婚」してこんな都合のいい「自由」を得るオンナっているのかな?

 それはともかく、怒った井原さんは、まず興信所を使い、さりげなく夫を問い詰める。それで解決不能とみると、仕事を辞めて尽くす妻に変身し、子どもたちと夫に気配りしと、あの手この手で家庭を修復しようとする。このエネルギーがまたすごい。すごいけど虚しい。だって、サイテー男だよ。尽くしたって報われるわけがない。もはや取り戻したいのは「夫の愛」じゃなくて「理想の結婚生活」だ。

 結局、舅・姑までも巻き込んで離婚という結論でナスティゲームは終了するのだけれど、この話を愚かな体験談と思ってはいけない。井原さんがかつて描いたような「結婚生活」を夢見ている女性は多いと思う。ついでに言うなら、元・夫に代表されるサイテー男も少なくないだろうな。井原さんは、離婚して傷つきながらも自立していく。このエネルギーもまたすごい。このナスティゲームは、怒る女・井原美紀の勝利だろう。 (bk1ブックナビゲーター:小林育子/フリーライター)

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紙の本にほん語観察ノート

2002/05/07 22:15

生きた日本語から日本人の姿を観察する

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 今、日本語はどんな風に使われているのだろう? 日本語がどんな場面でどう使われているかを作家・井上ひさしが観察し、日本人の文化や社会、精神の変化にまでその観察眼が鋭く広がっていくところがおもしろい。

 政治家や官僚がどんな言葉を使っているのか、演説から、新聞記事から、報告書からと、さまざまな場面に観察眼を駆使して、井上さんは言葉をすくいあげる。そこから政治批判も生まれるし、21世紀にあるべきお役所の姿にまでコメントは波及する。

 ときには場違いなマニュアル敬語の氾濫や、乱発されるカタカナ語など、日本語の乱れと一般的に言われる現象も新聞投書などからすくって例文にあげている。もちろん井上さんは、単に日本語が乱れている、で話をおしまいにはしない。ファーストフード店で出くわす心のこもっていないマニュアル敬語は、目の前に立っているお客に敬意をはらうのではなく、お客の財布に敬意をはらう敬語であり、これはわれわれ大人が取ってきた態度の総決算ではないかと語る。ことばは生きものであり、その時代背景抜きにしては語れないということがよくわかる。

 本著の中に「正しい義務教育」という項があり、自国の古典を勉強することの大切さを説いた例文が引かれていた。井上さんは、この文章への共感を語り、その時代に都合の良いように「教育された子ども」の大量生産に異議を唱えている。たとえば、今の時代性を優先するなら、「コンピューターと英語の技術に秀でるように教育された子ども」ということか。

 そうではなく、義務教育期間は、国語だけではなく、理科も社会も算数も自国語の勉強のためにある。それが自分自身の言葉できちんと意見を表明できる人間を育てる土台になる、といった井上さんの論に、教育の目的を再考させられた。 (bk1ブックナビゲーター:小林育子/フリーライター)

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なんとなく使っている身近な日本語の本当の意味、語源がわかる

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 「身から出た錆」「藪から棒」「天才肌」「箱入り娘」「五十歩百歩」…。なんとなく使っている身近な日本語の、本当の意味、語源、適切な使い方を知っているだろうか。こういった言葉のひとつひとつは、国語の教科書ですべて習うわけでもない。おそらく、日常会話や本を読むことで身につき、気づいたら使っていたという人が大部分だろう。

 著者の柴田武さんは、方言地理学と社会言語学が専門。本著では、身近な日本語351を集めて語源を中心に解説している。といっても、堅苦しい講釈や単なる「ことば辞典」風解説ではない。

 ひとつひとつの言葉に、最近の世相にあわせて、こんなときに使われるという例文がさりげなくまたユーモラスに盛り込まれている。語源によっては、日本人のその昔の生活ぶりまでもがうかがえてこれまたおもしろい。ひとつひとつの解説が短いので、ちょっとした時間に楽しみながら読み進めることができる。巻末の索引を利用して気になる言葉だけチェックすることもできる。この程度の言葉なら知っているという人にも、必ず新しい発見があるだろう。

 ちなみに、私は「駆け落ち」の意味をちょっと誤解していた。周囲に反対された恋人同士が手に手をとって走り去り身を隠すからかと思っていたが、「駆け落ち」は「欠け落ち」とも書き、戸籍台帳から欠け落ちることを言うのだそう。走らなくても「駆け落ち」なのであった。351の言葉、あなたはどれだけ知っていますか? (bk1ブックナビゲーター:小林育子/フリーライター)

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「人生を愛せる子ども」を育てるためのちょっとした試み

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 学校には毎日通っている。深刻な不登校やいじめの問題もない。成績は並み。でも、学校に物足りなさを感じている。今の教育制度や教師、学校に満足はできない。子どもの将来が何となく不安…。かといって、特別な私学や塾に頼る余裕もない。もし今あげたような思いに少しでもとらわれたことがあるなら、この本をぜひ読んで欲しい。

 著者の一人、グレイス・ルウェリンは教師を経て、ホームスクールを中心とした教育改革に携わってきた。日米の教育現場の違いはあるとは思うが、結論は「学校に多くは期待しない」である。そして、本著の主旨は「子どもの教育に対する責任と権利は家庭にある」と明快である。ただ、誤解しないで欲しいのは、いま日本で「家庭教育を大切にせよ」というときに、しつけや善悪の判断は学校任せにせず親がしっかり教えるべきと強調されるが、本著で語られていることはもっと大局的な学びについてである。学ぶ楽しさ、意欲、生きる力は家庭で培え、ということだ。

 その方法として、提唱しているのが「ゲリラ・ラーニング」。この学習方法のポイントは機会・タイミング・興味・自由・サポートの五つ。子どもが興味を持ちそうな本などの素材を準備する、子どもが学びたいと思ったタイミングを逃さない、学ぶテーマを無理強いしない、学習のプランは子どもに任せる、子どもが望めば親はすぐサポートするといった手法がゲリラ・ラーニングの基本だ。具体的に家庭で親が何をしたらよいかというアイデアが、歴史・芸術・数学と論理・自然科学・技術とインターネットなど、独自にジャンル分けされた学習のカテゴリーに沿って解説されている。あなたの家で「ホームスクール」が開校できるのだ。

 もちろん、全てを実践するのは無理だからできることをやればいい。学校へ行かせること自体も否定はしない。しかし、学びの主導権はあくまで「家庭」ということだ。ゆとり教育か学力低下かという論争が日本ではにぎやかだが、結局、私たちは「生きる力」も「学力」も学校任せという虫のいい理想像を描きすぎていたのかもしれない。ゲリラ・ラーニングの最終目標は、「将来、成功する子ども」を育てることではなく「人生を愛せる子ども」を育てることだという点にも共感する。 (bk1ブックナビゲーター:小林育子/フリーライター)

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紙の本肩ごしの恋人

2002/01/29 18:16

幸せになることに貪欲な女たちの物語

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 女であることを徹底的に武器にして思い通りに生きる、るり子。結婚も3回、離婚も3回した。るり子の幸せは、欲しいものはすべて手に入れる、こんなコンセプトだ。セックスはしたいとき、ブランド品もグルメな食事も、自分好みのインテリアも意のままにしたい。そのためには、結婚という名の男の力を悪びれることなく利用する。
 るり子の幼なじみ、萌。仕事はできる、恋愛だってそこそこ経験してる、でも男に頼りきった生き方なんてゴメンだ・・・。るり子の生き方には、あきれてため息が出る。いくらきれいだからといって、あそこまで貪欲に「自分の幸せ」だけを追求できるヤツも珍しい。でも、本当は、皆、手に入れたいんじゃないの? 自分だけの快楽を。
この対照的な2人の女性のどちらに自分は共感するだろうか。読み進めながら、無意識にどちらかを応援したくなる。「セックスやブランド品ばっかりにうつつをぬかするり子はろくなもんじゃないわよ!」「キャリアだって中途半端、男運が悪い萌って冴えないわねえ」。レースでもないのに、2人の人生の勝ち負けを知りたくなってページが進む。
生き方こそ違え、実はふたりには共通点がある。恋愛とセックスのときの主導権は男ではなく自分がとる、さらに貪欲に幸せ探しをしているようにもみえる。その結末は? もちろん人生や幸せに勝ち負けはない。ただ、るり子も萌も「結婚」を選ばなかった。20世紀には幸せの定番だった「結婚」も、もう幸せの落としどころにはならないんだ。
本当に幸せになりたければ、時には自分のわがままや欲求に忠実になることも必要だ。小説は、このわがままを押し通した女2人が再スタートを切るところで終わる。この場面には、男はいない。幸せの追求には、ときには闘いも必要。萌とるり子が共闘体制をつくって、再スタートするというラストシーンには、ニヤリと笑いを誘われる。21世紀の女にとっての永遠のパートナーは、男ではないのかもしれない。

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犯罪・事故、IT時代のトラブルからも子どもを守る方法がぎっしり!

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 子どもに関わる犯罪や事故、トラブルは年々増えている。本当に嫌な時代になったなと思うけれど、これは紛れもない現実だ。親なら誰もがひやりとした経験を持っているだろうし、子どもが巻き込まれた事件の報道を見たときに、「うちの子は大丈夫」とはもはや言い切れないだろう。

 本書は、子どもが巻き込まれる可能性がある犯罪や事故について、その防止策やいざというときの対応策をきめ細かく紹介している。家で留守番をしているとき、通学路に潜む危険、公園での危険など、シーンごとに具体的なトラブルの事例もあがっている。

 火事、転落、誘拐、交通事故、119番や110番への通報など、「そのとき実際にどうすべきか」「そのとき、大人がいなければ子どもに身の守り方をどう教えるべきか」といった具体的な事柄について、あなたはひとつひとつ的確に今、答えられるだろうか?

 実は、これらの防止策や対応策は、バラバラの情報としてあちこちで誰もが見聞きしているはず。しかし、きっちり整理して親子で確認が取れているかというと不安が残る。この本はマニュアルと銘打っているだけあって、緊急時の対応策がすっきり整理されている。本の随所に、「危険度チェック」や「親子でチェック」というチェックシートがついており、ゲーム感覚でわが家のリスク・マネジメントができるところもいい。

 もう一点、本書が優れているのは、携帯電話やインターネットを子どもが使うことによって起こるトラブル、子どもの心のトラブルや虐待に関するチェックなど、今の時代に即したトラブル回避法や防止策についても触れている点だ。こういったトラブルについては、それぞれ専門書があるかもしれないが、困ったときの相談機関の連絡先や、いざというときに役立つ関連サイトのURLも充実している。いつでも取り出せるところにおいて置きたい一冊だ。 (bk1ブックナビゲーター:小林育子/フリーライター)

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「酒鬼薔薇聖斗」を生き方モデルにした少年の日記

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 「酒鬼薔薇聖斗」が神戸市で連続殺傷事件を起こしてから、既に4年たつ。その後立て続けに数々の少年事件が起きた。あの事件が、あたかもオープニングのように感じられて、事件が過去のこと、終わったこととはどうも思えない。しかし、「酒鬼薔薇聖斗」がいたから、ほかの少年事件が起きたと考えるのも、また短絡的すぎるような気もしていた。

 本著で取り上げられているのは、1999年8月に愛知県西尾市で起きたストーカー殺人事件。犯人は17歳の少年で、被害者は同じ年齢の高2の女子生徒だった。犯人・鈴田靖志(仮名)が中3のときに神戸の事件は起きている。
 
 被害者・永谷英恵(仮名)は、靖志の中学の同級生。靖志は好意を持っていたが、相手にされなかった。靖志の日記には告白が却下された顛末も書かれているが、そこまでは10代らしい感情の流れのように感じられる。ところが日記を読み進めていくと、「酒鬼薔薇聖斗」の逮捕以来、ほとんど理不尽な理由で、失恋が恨み、憎しみ、ストーカー行為へと変化していく。

 靖志は友だちづきあいが下手で孤独だった。社交的な英恵に切り捨てられたことが、憎しみの感情を増幅したのかもしれない。「酒鬼薔薇聖斗」の事件を見て、彼が感じた事のひとつは、「人と関わらないで生きてもいいんだ」、つまり「酒鬼薔薇聖斗」が靖志の生き方モデルになったのである。その裏には、仲間がいない、孤独であることに対する強烈な恐怖の感情が隠されているようにも感じられる。この恐怖から、言ってしまえば誰かとコミュニケートすることが当たり前の日常生活から逃れるために、靖志はストーカー殺人を犯したのではないか。

 著者の藤井さんは、「なぜ人を殺してはいけないのか」という問答は、彼らのような少年たちにとって愚問だと書いている。なぜなら、人間は、理屈で人を殺さないわけではない。ひとり一人の人間が尊厳ある存在であるという感性を、つまり、そう簡単には「殺せない」という感性を大多数の人たちは育っていく過程で得ているからだ。靖志にも「酒鬼薔薇聖斗」にもそれがなかったということか。懲役5年以上10年以下という判決が出てからの、靖志が書いた様々な手紙、靖志の両親の被害者への対応もこの本には収録されている。それを読むと、日記を読む以上に何か重大なものが欠落していることに愕然とさせられる。

 その原因の分析にまでは、本著は深く踏み込んではいない。しかし、靖志のような少年は、たぶんこれから増えるだろう。それを、学校教育や家庭のしつけ、あるいは精神的な疾患など、何か単一のものにもはや責任転嫁できないのではないか。私たちが作った社会の、大きな落し物は一体何なのだろう。

★小林育子のコラム「どんぐりの森」一覧へ

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世界的指揮者とノーベル賞作家の考える教育とは

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 小澤征爾と大江健三郎の接点は、ともに1935年生まれという点だ。昨年6月にはともにハーバード大学の名誉博士号を授与されている。もちろん、こんなニュースを知らなくとも、世界的指揮者とノーベル賞作家という肩書きを知らない人はいないだろう。
 本著では、音楽と文学を軸に、両氏がこれまでの人生でどうその芸術に関わってきたかが対談形式で書かれている。単純にビッグな識者の文化論として読めるのだけれど、今や60代になったお2人だからこそ語られるであろう「教育」に関するやり取りが興味深い。
 
 小澤征爾は現役指揮者としてだけではなく、若い音楽家たちを育てることにも仕事の軸を置いている。とはいえ、オーケストラで演奏する一人の演奏家を育てるだけでも、費やす時間やお金は相当なものになるという。音楽塾の教え子があるとき、「私はものすごく勉強したけれど、将来、音楽で食べていけるのだろうか」と小澤さんに質問したそうだ。彼は、「僕らには、あなたたちがいい音楽家、あるいはオーケストラのメンバーとなったら食えるという夢を実現するような状態をつくる責任がある」と答えたという。

 もちろん残された時間は十分ではない。でも、本著を読むときれいごとではなく、若い人たちへの責任をもって小澤さんは生涯、教え続けるだろうなという気迫を感じる。この強い想いの根源には、音楽のスタンダードは西洋だけのものではない、日本人の音楽も世界のスタンダードたりうるべきだという小澤さん自身の強い願いがある。

 そしていい教師に教えられる若い人たちに求められるのは、「よい生徒」であることと、大江さんがつなぐ。大江流「よい生徒」とはもちろん、イエスマンではなく「自立している個」を持つ人ということだ。国家や社会が自由を与えず、若い人の「個」をつぶしてしまうような制度を持っていたら、この先、もしかしたら日本はまたも「鎖国」の時代に入るかもしれないとまで大江さんは語る。これはまた、学校や家庭のあり方まで考えさせられる発言だ。

 音楽であれ文学であれ、芸術は一部の人のものにすぎないという風潮が、日本人にはあるように思う。しかし、この対談を読むと、芸術は人を育てるし、生きる力にもなるし、よい意味での師弟関係を築くための土台にもなると感じる。底の深い一冊だ。

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