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先月(2017年8月)

OKさんのレビュー一覧

投稿者:OK

43 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本ペニス

2001/07/07 08:57

完成された「神経症風」文体の達者さ

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 これはホラーとかミステリというより現代文学の収穫。中年の「公園管理人」による奇妙な語りのもと、虚実・時制の境目なしで陰惨な妄想や追憶の挿話がたれ流される。連作集『蘆屋家の崩壊』でもその神経症めいた文章の達者さには感じ入ったものだけど、本作はさらにシナリオ形式や句読点の省略、メタフィクション風味などさまざまの趣向を自在に織り込んで、さながら実験文体の博覧会みたいな趣きもあり。それにしてもこの作家は、へたれ駄目男の一人称叙述を書かせたら抜群の腕前だ。物語よりも技巧がいくぶん先走っているような気もしなくはないけれど、同時代の国産作家による充実作をタイムリーに読めた喜びも加味して上記の評点。

 たぶん過去の有名作家(太宰治とか)を参照する論評も出るのだろうけれど、いちおう僕なりのことを書いておくと、この長編を読んでいて連想したのは、イアン・マキューアン(『最初の恋、最後の儀式』『セメント・ガーデン』『愛の続き』)、アーヴィン・ウェルシュ(『トレインスポッティング』『フィルス』)、チャック・パラニューク(『ファイト・クラブ』『サバイバー』)といった英米の作家だったりする。過剰な悪趣味描写やひねりのある一人称叙述は通じるものがあるし、筋書きがなく挿話を連ねて長編を構成していく手法も似ている(それは特にアーヴィン・ウェルシュが近いだろうか。ついでにいえば、先頃邦訳の出たウェルシュの中編「スマートカント」も公園管理人が語り手。ただし中年じゃなくて若者だけど)。

 さらに上で挙げた作家たちにおおむね共通しているのが、世界に自分の居場所を見出せない男性の不安や孤独を意識的に描いているところ。いわば男根主義の敗退・終焉といった構図を物語の底流にすえている、ということになると思うのだけど、そのまま『ペニス』と題されたこの小説の語り手が、男根の機能しない性的不能者として設定されているのは、そういった流れからみても象徴的なことに思える。

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紙の本マラボゥストーク

2003/12/18 07:11

傑作

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

読み残していたアーヴィン・ウェルシュの第二長編にいまさら目を通してみたら、これが傑作だった。

簡単に言えば、『グロテスク』(パトリック・マグラア作。植物状態の人物が歪んだ一人称叙述を繰り広げる)の構造で語られる『時計じかけのオレンジ』、といった趣向の小説で、主人公の現在時間(病室に見舞いの人などが訪れる)に、生い立ちから現在までの回想、そして現実逃避の妄想世界(怪鳥マラボゥ狩りの冒険旅行)と、都合三つのレベルの挿話が混在して交互に進展する。この奇妙な構成は、エピソードを連ねて物語を形成する(第一作の『トレインスポッティング』はまさにエピソード集のおもむきだった)ウェルシュ独特の作風と合致していて、適切な戦略だと思う。既成の要素を独自の感覚でミックスして新鮮なものを作る、という「クラブのDJ」的な手法を小説に応用した作品としても読めるかもしれない。主人公がどんな経緯で現在の植物状態に陥ってしまったのか、といった過去の事情が示唆されながらもなかなか語られないままになっていて、それが小説の推進力になっているとともに、嫌な記憶から目を逸らして空想に逃げ込みたいという主人公の精神的な弱さを反映して、物語的な意味を重ねられているのも巧みな設定。ただし全体的に、主人公の思考や感情がそのまま告白調で文章化されてしまっているところは、小説としての洗練に欠けるような気もしないではない。

妄想と現実が交互に語られる趣向は、ジャン・ヴォートランの『グルーム』に通じるものがあり、低所得者用の集合住宅の荒廃を背景にしていること、主人公が肉体的な劣等感を抱えているところなども、ヴォートランの小説を連想させる。また、、本書の破格の書法はジム・トンプスンの『死ぬほどいい女』における痙攣した文章と類似しているし、荒涼とした(そして性的な含意の強い)結末もトンプスンの『残酷な夜』『死ぬほどいい女』『グリフターズ』などの「女嫌い」ものの系譜に連なるものだ(ちなみに次の長編『フィルス』は現代版『ポップ1280』みたいな品性最低の警官をめぐる話でもある)。

それにしてもアーヴィン・ウェルシュは、『トレインスポッティング』に本書『マラボゥストーク』、そして『フィルス』と、訳されている長編どれもが傑作なのに、日本ではいまひとつ評価が高くないような気がする。この『マラボゥストーク』を読むだけでも、彼が単なる若者風俗を描く流行作家というだけでないことは了解されるのではないかと思うのだけど(英国ではブッカー賞の候補にも挙げられたらしい)。

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紙の本日の名残り

2001/07/29 14:38

英国らしい洗練

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 初老の執事が過ぎた日々を振り返りながら短い旅をする。という、どう考えても盛り上がりそうもない地味な筋書きの話なのだけれど、洗練された書法で出来の良い小説だった。ただ良くも悪くも、身を削って本気で書いた小説ではなさそうだなとは思うけれど。

 結局のところ小説というのは、1.登場人物の視点に感情移入して読む、2.登場人物を突き放して作者の意図や構成を読む、というふたつの段階をある程度並行しながら読んでいくものだろうけれども、本書はこれら両者のバランスがとてもよくとれている。「執事」の一人称語りは、自己を客観視しきれていないいささかうさんくさい叙述になっており、いわゆる「信頼できない語り手」の領域に足を踏み込んでいる。すばらしい執事とは何かについて彼が熱心に語ったり、冗談をうまく返せなくてまじめに思い悩む箇所なんかは、ほとんどパロディ小説のようなおかしさがある。かといって作者の態度は、執事がみずからの職業に抱く誇りをいたずらに嘲笑しているわけでもない。題名を反映した終盤の展開はしみじみと感動的でさえある。このカズオ・イシグロ自身はもちろん日系人なのだけれど、英国の作家というのは伝統的にこのあたりの案配が特に巧いような気がする。それはたとえば一般的には「現代的」「ポップ」などと評されるだろうニック・ホーンビイやアーヴィン・ウェルシュなんかの小説にも感じるところだ。

 「公/私」を対比させる構図も巧い。執事が体現するのは英国の喪われた栄光と「品格」であり(彼の新たな主人は米国人だ)、彼個人はかつて女中頭とのロマンスの機会を逸してしまったのを心残りに思っている。そして彼の敬愛した主人の英国貴族は、ナチス・ドイツに対する英国政府の「宥和政策」に加担したとして糾弾されたらしいことが示唆される。私的な問題から国家の大事に至るまで、誰にでもそんな失敗や喪失の体験はあるだろうと思う。本書はゆったりとそんな追憶に浸ってみせるけれど、しかし結局過去は決して取り戻せず、前を向いて生きるしかない。

 土屋政雄の訳文はすばらしい。「執事の語り」なんて日本語に存在しないものを、たしかにこんな調子だろうなと思わされてしまう見事な翻訳で、おそらく「ですます調翻訳」や「特殊職業の語り手翻訳」のひとつのお手本といえるのではないか。

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紙の本

2001/03/11 06:57

平穏な日常を破壊する「戦争」の影

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 『レベッカ』で有名な英国作家の短編集。収録作は「恋人」「鳥」「写真家」「モンテ・ヴェリタ」「林檎の木」「番」「裂けた時間」「動機」。初紹介作はないものの一冊での完訳ははじめてになるらしい。さすがに筋書きはたいがい先が読めてしまうのだけれど、どっぷりと作品世界にひたってたのしむことができた。これが筆力ということなんだろう。とりわけ、(ヒッチコック映画で知られる)「鳥」の冷酷で凄惨な襲撃場面、「写真家」での異様な情事(フランス映画みたいな雰囲気)、「モンテ・ヴェリタ」の月光に照らされた異界の寺院、「林檎の木」の不吉な林檎の木の姿など、それぞれ独創的な映像が脳裏に刻み込まれる。
 作品的にはなんといっても「鳥」「写真家」「モンテ・ヴェリタ」の並びが強烈だった。ほかは比較するとやや落ちるかもしれない。ちなみに「裂けた時間」は北村薫の『スキップ』の元ネタではないか?と某所で話題になったことのある作品。いちばんミステリ的な筋立ての「動機」はなぜか『氷点』みたいな話だった。あと、どれとは指摘しないけどわざわざ原題と異なる邦題をつけたせいでネタバレになっている作品があるのは意図不明。
 話の構造としては、退屈で平安な日常が理不尽な「死」や「暴力」によって脅かされあるいは崩壊する、というような筋書きのものがめだつ。そのあたりの不安の根源はどのあたりにあるのかと考えてみるに、どうも「戦争」という要素は無視できないんじゃないだろうか。じっさい「恋人」「モンテ・ヴェリタ」「裂けた時間」には第一次もしくは第二次世界大戦への直接的な言及があるし、さらに「恋人」での次のようなやりとり、

「あの連中がどうかしたの?」ぼくは訊ねた。「空軍に何かされたのかい?」
「連中は、わたしのうちをつぶしたのよ」彼女は言った。
「でもそれはドイツ軍だよ。イギリス空軍じゃないだろ」
「おんなじことよ。連中は殺し屋だわ。そうでしょ?」(p.36)

 これを読んだあとでは、「鳥」で閑静な農村を理由なく破壊・殺戮しつくす凶暴な野鳥の群れに、大戦中のドイツ軍戦闘機による爆撃の影を重ね合わせたとしても決して牽強付会ではないだろう(ちなみに鳥たちを何とかしようとした英国軍の飛行機はあっさり撃墜されてしまう)。この作家がどのような戦争を体験したのか(あるいはしていないのか)は全然知らないのだけれど、戦争のような不条理な暴力で「退屈で平安な日常」がいかにもろく破壊されてしまうものなのか、そのような日常生活がどんなにかけがえのないものなのかを、きっと身を持って知ったことのある人なんじゃないだろうか。ここに集められた物語たちの「本物」感は、そういったところからも生まれているように思える。
 「裂けた時間」で、主人公の婦人はみずからの人生をふりかえって穏やかに述懐する。

「すべては過ぎていく」ミセス・エリスは考える。「歓びも哀しみも、幸せも苦しみも。きっとわたしの友人たちは、こんな生活は退屈だ、変化がなさすぎると言うだろう。でもわたしは、この暮らしに感謝しているし、満足している」(p.393)

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紙の本トレインスポッティングポルノ

2003/12/27 23:19

続編も快調

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

あれから9年、ついに奴らが帰ってきた……。というわけで、現実世界の時間経過とともに作中人物も歳を重ねる『北の国から』『白線流し』方式で描かれる、『トレインスポッティング』(1993)から9年後の続編。これまでも一部の登場人物が重なる「外伝」めいた作品は書かれていたので、作者の頭の中に続編の構想はある程度あったのかもしれない。

どうも安易な企画のような気がして半信半疑で読みはじめたのだけど、ちゃんと面白かったので安心した。

前作の主要人物、マーク・レントン、サイモン(シック・ボーイ)、フランク・ベグビー、スパッド、そして今回の新顔、女子大生のニッキーを加えた5人がかわるがわる一人称の語り手になる群像劇風の構成。地元エディンバラへ「都落ち」してきたサイモンの企画するポルノ映画製作とその「資金計画」の進展、そしてエディンバラへ戻ってきたレントンが刑務所帰りのベグビーと鉢合わせしたところで何か衝突が起きるに違いない、という予感が物語の興味を引っ張る。この両方の話の起点になっているのが結局サイモンで、今回は彼が実質上の主役になっている。(構成的に見ても「サイモンに始まり、サイモンに終わる」構成)

このサイモンの超エゴイストな人物造型がさすがに強烈で面白く、周りの人を利用することしか考えていない悪辣さと空虚さは前の長篇『フィルス』の最低警官、ブルース・ロバートソンにも通じる。ウェルシュはこういう自分勝手で迷惑な人物を描かせたら抜群に巧い。サイモンを中心としたコン・ゲーム的な展開が今回の『ポルノ』の軸になっている。ただ前作『トレインスポッティング』のようなエピソード集ではなく、プロットを組んだ群像劇/コン・ゲームになっているので、終盤のまとめの甘さがいくらか気にならないでもなかったけれど。

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アバウト・ア・ボーイ

2003/02/23 12:22

相変わらず快調

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

『ハイ・フィデリティ』の作者の第三作。

三十代なのに無職でぷらぷらしている自由人、ウィル・フリーマンは、恋人を選ぶなら狙い目はシングル・マザーだという結論に達する。なぜならシングル・マザーは、(a).こぶつきの不利があるので格上の女でも落としやすい、(b).これまでの男運が悪いので普通にしていれば尊重される、(c).そして後腐れなく別れられる、からだ。そこで彼は架空の息子の話をでっちあげて、シングル・ペアレントの会にまぎれ込むことにするのだが……という導入部からしてさすがに快調。

最初の『ぼくのプレミア・ライフ』は自伝的エッセイで、次の『ハイ・フィデリティ』は作者自身に近い中年男の一人称語り。そしてこの第三作では、得意の身勝手なモラトリアム中年男といじめられっ子の少年をかわるがわる視点人物にした三人称叙述の小説になっている。そのため『ハイ・フィデリティ』のような赤裸々さは薄れているかもしれないけれど、徐々に内容が作者自身から離れて、フィクション作家としての才能が発揮されてきているように感じる(次の作品は女性主人公の一人称小説らしい)。

『ハイ・フィデリティ』もそうだったけれど、ニック・ホーンビィの小説は、世間に適応できない(orしないできた)男が、何か他人との出会いをきっかけに考えを改めて世間の基準との折り合いをつけようと譲歩していく過程をきわめて説得的に描いている(これを例えばものすごくファンタジックに描写すると、エドワード・ケアリー『望楼館追想』のようになるのかもしれない)。ただし、その心境の変化を一方的に理想化せず、仕方なしに大事な何かを捨てる「人生の妥協策」としても描いている、つまり価値判断の単純な押し付けをしていないところが魅力的だ。

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紙の本鳥類学者のファンタジア

2001/07/29 14:20

小説と音楽の相乗効果

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 しばらくまえ話題になった『グランド・ミステリー』と同じく、時空のねじれを扱った物語で、第二次世界大戦と日本人のかかわりも盛り込まれている。けれども、ジャズ・ピアニストの女性を語り手にすえたこちらの文章は、やたらお気楽でいいかげん(わざとらしく "?" や "♪" などの記号も連発)、『グランド・ミステリー』みたいに緻密な構成はあえて避けているようだ。どちらかといえば、わかりきったことを力んで語る『グランド・ミステリー』より、あえて肩の力を抜いたようなこちらの作風のほうが僕は好み。

 この作品では「音楽」が「小説」の比喩に、そして「小説」が「音楽」の比喩になっている。

 ジャズ・ピアニストといえばとりあえず「即興」だろうけど、この小説もそんな創作態度を思わせて、悪くいえば隙の多い行きあたりばったりの筋書きで展開する。でもそんな軽やかな書法が作品の世界とよく合っている。それに連載小説を単行本の長編にまとめてぎこちない出来になっているような作品よりは、はるかに抵抗なく読めた(本作は「すばる」に連載)。これはなかなか賢い手法じゃないかと思う。

 また逆に、ピアノを弾きながら主人公が「柱の陰の聴き手」を思い浮かべるところには、いうまでもなく「柱の陰の誰か」にむけて小説を書く(のかもしれない)作者の姿を重ね合わせることもできる。

 難をいえば、そんな「小説」と「音楽」の相乗効果がだいぶ主軸になっているため、作中に並べられる曲名からたいがいメロディを思い浮かべられるような素養の人じゃないと、実のところこの小説のリズムは充分に伝わらないのかな、というのが気になった。僕はもちろん全然わからないほうの部類なのだけど。

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2001/03/17 06:34

さすがに巧い

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 帯のうたう「パルプ・ノワール」というよりは、フレッド・カサック「連鎖反応」のリストラおやじ再就職版、といったかんじのブラックなクライム・サスペンス。何の特徴もない無個性な人物が次々と凶行を重ねていくという意味では、『シンプル・プラン』みたいな不気味さもある。
 ウェストレイクという作家は、どんな題材でも読者層に合わせて手がたくまとめあげる職人肌の娯楽作家という印象で、良くいえば抜群に器用、悪くいえばどれもさほど心に残らない気がする。この作品も結局そんなかんじで、たとえばジム・トンプスンの犯罪小説みたいに「うわ、こいつやべえよ」なんてことには全然ならないのだけれど、でもこれはさすがに巧いなあと思った。ただ順番に殺していくだけでは単調な展開になるから、この小説は主人公の家族、妻と息子のどちらかといえば平凡でホームドラマ的な問題を適宜絡めながら進められる。で、そのどちらの挿話も主人公の隠密行動を露顕させかねないサスペンスをそれなりに生んでおり、さらに問題の発生した「原因」とそれを解決しようとする主人公の「動機」とが主筋の連続殺人ときっちり対応していて、この主人公のほとんど荒唐無稽な行動への橋渡しみたいな機能を果たしている。こういったサブプロットの扱いがさりげなく巧妙で、下手するとただの思いつきに終わりそうな着想をこれだけ読ませてしまうのは、やっぱり見事な手さばきだなと感心した。

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世界の終わりの物語

2001/03/11 06:48

全編にみなぎる強烈な「悪意」

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 ハイスミス最後の短編集。解説の若島正も指摘しているように世相を意地悪に皮肉った「諧謔小説」のおもむきで、シニカルというよりは全編がほとんどむきだしの「悪意」に覆われている。世界へむけた放射能のような毒のすさまじさは、正直読んでいるこちらも困惑してしまうくらいで、特に後半の「見えない最期」あたりは、その痛烈なほとばしりがもはや小説の枠組みからもはみだしてしまっているといったかんじ。
 どれも「こんなの書いちゃっていいのか」的な話が揃っているなかで、個人的なベストは「自由万歳! ホワイトハウスでピクニック」かな(もう題名からしてとてもブラックそう)。この発想をあっさりと公民権運動の醜悪な戯画へと結びつけてしまう怖いものなしのセンスに脱帽。この短編も含めて、全体的にアメリカ的な思潮を風刺したような作品が多いのは、やっぱりこの人も(おそろしくひねくれた態度ではあれ)何らかのかたちでアメリカについて語らずにはおれないという米国作家のひとりではあるのかな。

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絶海の訪問者

2001/03/03 17:57

緻密に練られた限定状況スリラー

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 舞台は孤絶した外洋と二艘のヨットだけ、描写される登場人物は五人だけ、というシンプルな限定状況スリラーなんだけど、かなり緻密に練られた筋書きで退屈しなかった。この作家は一人称の巻き込まれ型サスペンスを多く書いているらしいのだけどそれもうなずける。登場人物が何かを「知らない/見えない」ことが物語を緊迫させる、ということを巧妙に利用した作風だと思う。とりわけ序盤の(これは訳者あとがきもふれているけど)「これまでに何が起きたのか/これから何が起こるのか」のどちらもが謎になってサスペンスを生んでいく、というあたりの吸引力は抜群。
 その強烈な「引き」にくらべると後半の展開がややひねりに欠けた気もするけれど、「圧倒的に不利な条件」のもと合理的な思考で試行錯誤をくりかえす、という過程を丹念な筆致で描いているのはなかなか好感を持てた。派手な小道具や格闘やらを使わずとにかく理知的な演出をむねとする作家のようで、他の作品も読んでみたいなと思う。

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レディに捧げる殺人物語

2001/01/21 12:03

「事実」のまえの物語

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 フランシス・アイルズ名義の第二長編。別題『犯行以前』(Before the Fact)のほうが通りはいいのかな。まず冒頭の書き出しからして、「妻殺しをたくらむ夫」の視点から描かれた前作『殺意』(Malice Aforethought/1931)の裏返しをあらかじめ宣言しているようで、これは明らかに確信犯の実験作。全編にわたってほとんど嫌味のようないかにも裏のある文章が連ねられ、人物描写も例によって底意地の悪さを感じさせる。
 どうやら作者は、およそ深みのない人物たちの織りなす凡庸そうな筋書きをいかに興味深く書けるか、というひねくれた境地にあえて挑んでいるようなふしがあって、そのために本作で試みているのが「客観的な裏付けを行わない」という書法ではないかと思う。この小説はいちおう三人称の叙述形式で語られているのだけど、肝心なところは誰かの主観的心理で語られるだけだったり、あるいは直接描写されないまま終わることが多い。たとえば主人公リナの容貌が結局どんな程度のものなのか、読者は客観的な言葉で知ることができない。また遊び人の夫ジョニーの数々の不品行はあまりにもあからさまなので、誰でも妻のリナよりはるか先に推測できるだろうけれど、これもなかなか明るみには出ない(むしろ、いつどのようにばれるんだろうかという興味で話が進む)。そこで読者は、手がかりから何らかの推理なり想像なりをはたらかせなければならないことになる。
 結末に関してもその延長にあるようで、僕なんかはこれはいわゆるリドル・ストーリーと受け取ってかまわないと思う。そう考えたほうが物語の流れとも合致するのではないか。なぜならこの小説の題名は、"Before the Fact"——「事実」の語られるまえの物語なのだから。

http://www.geocities.co.jp/Bookend/1079/

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最初の恋、最後の儀式

2001/01/02 22:54

成就しない性衝動

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 翻訳の宮脇孝雄が的確に指摘しているとおり、この作品集に描かれる構図は第一長編『セメント・ガーデン』へだいたいそのままひきつがれている。思春期の性のめざめ、大人のいない共同生活、近親相姦、服装倒錯といった意匠たちは、どれもここですでに登場ずみ。頽廃に彩られた反道徳的な物語世界に、淡々とした退屈が充ちていたり滅びの影がしのびよっていたりする感覚も共通している。『セメント・ガーデン』のほうがだいぶ洗練されているけれども(シミュレーション的な興趣もあったし)、これはこれで興味深かった。
 個人的には「夏が終わるとき」と「最初の恋、最後の儀式」が良かった。『セメント・ガーデン』の姉弟たちが母親の死体を文字どおり隠蔽して、いつか露顕することを予期しながらもなかば忘れたふりをしていたように、この二編でも、頽廃的で気ままな暮らしのかげで、家事や出産や子守などといった現実的(で母親的)な日常が、見て見ぬふりのまま隠蔽されつづけていたことが暴露されている。
 マキューアンの文章はなかなか独特でおもしろいのだけど、それは基本的に「欠落」のおもしろさであるような気がした。過剰に何かを抱え込むというのではなく、文章からわざと何かを欠落させているために、変な興味がつのってくるというような。たとえば、収録作のひとつ「蝶々」の書き出しはこんなふうになっている:

 私が初めて死体を見たのは木曜日のことだった。今日は日曜日で、何もすることがない。しかも、暑かった。(p.109)

 ここでは文と文のあいだのつながりから、明らかにいろんなものが抜け落ちている。論理性とか、因果関係とか、時間の流れとか。このなんじゃこりゃ的な奇妙さが、淡々とした語り口にもかかわらず妙に惹きつけられてしまうひとつの要因だろう。この作家が一人称の叙述を好んで用いるのは、そこにまず客観性が「欠落」しているからではないかと思う。
 ほぼ全編にわたって性的な衝動を描きながら、それが決して充実感ある成功体験に結びつかないのも特筆すべきところ。ただむやみに露悪的でインモラルなわけではなくて、この作品はそういう奔放さの果てにある虚無感やみじめさみたいなものをシニカルな態度で見据えている。

From: http://www.geocities.co.jp/Bookend/1079/review2000_10.html#firstlove

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紙の本フロリダ殺人紀行

2001/01/01 11:08

タランティーノ風のカール・ハイアセン

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 タランティーノ風のカール・ハイアセン、といったおもむきのフロリダ産クライム・コメディ。おかしな登場人物たちが次々と入り乱れるオフビートな展開のもと、臨界点ぎりぎりの悪趣味なブラック・ジョークが連発される。主役級の小悪党たちの酷薄で容赦ないふるまいは『Mr.クイン』や『バカなヤツらは皆殺し』にも劣らないくらいで、モラルの境界線を軽々と踏み越えてしまっている印象を与える。変な人物の活かしかたはまだ甘いような気もしたけれど、まずまず愉しめる出来だった。作中人物がいきなりカール・ハイアセンのサイン会に並んでみたり、トラヴィス・マッギー(ジョン・D・マクドナルドのシリーズ探偵)ゆかりの地に巡礼したりと、先達への言及が妙に盛りだくさんなのも印象的。
 ただし翻訳はやや不安。ハイテンションなジョークを淡々と訳しすぎているのではないか、という疑問は原文にあたらなければ検証しようがないにしても、固有名詞の誤りなんかも結構散見された。たとえば、NBAのオーランド・マジックを平気で「野球チーム」と表記していたりとか。もうちょっと適した人選をしてもらいたいところでした。

From: http://www.geocities.co.jp/Bookend/1079/review2000_12.html#FrolidaRoadKill

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愛しすぎた男

2000/12/10 01:32

あいまいでぼやけた主人公に惹きつけられる

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 恋する女を一方的かつ独善的に追い求める、いわゆる「ストーカー」男の行動を克明に描いた物語。作者はこの次作『ふくろうの叫び』(1962)でもストーカーみたいな話を書いているので、わりとそのあたりに興味が向いていた時期なんだろう。その『ふくろうの叫び』でもそうだったけれど、主人公のかなり常軌を逸した行動を、異常とか狂気だなんて騒がずに、終始あくまで淡々とした筆致で描いているのが好ましい。
 架空の人物になりすましたりもする主人公のあいまいで「透明」なふるまいは、有名な『リプリー』(『太陽がいっぱい』)に通じるものがあると思う。理知的な計画が破綻していくとか、緊迫のサスペンスが盛りあがるとかいった、たいていの犯罪小説に求められるような展開はまるでないのだけど、この主人公のぼやけた輪郭にふしぎと惹きつけられる。
 現世ではかなわないものを夢想して彼岸の世界へと逝ってしまう人物を描く、という意味ではマーガレット・ミラーの作品群とも共通するものがあるけれど、この小説の作者は最後まで三人称客観描写の距離を崩さない。自在な憑移をくりひろげるミラーの文体が最終的に対象者へのシンパシーや哀惜の情を感じさせるのにくらべると、かなり冷酷で突き放した態度に思える。

初出:http://www.geocities.co.jp/Bookend/1079/review2000_12.html#SweetSickness

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オンリー・チャイルド

2000/11/26 11:40

とことん不快な裁判劇

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 真性邪悪作家ジャック・ケッチャムによる児童虐待リーガル/サイコ・スリラー。筋書きは少々むりやりなのだけど、よくもまあここまであざとく不愉快で不条理な裁判劇を描けるものだと感心してしまう。とことん不快な話なのになぜかやたらリーダビリティが高いケッチャム節。ある意味では『隣の家の少女』以上に救いのないダークな結末で、ひとつの邪悪をようやく片づけたとしても、その行為がさらなる悲惨な循環を招かざるをえない、といういずれにしても好転しようのない始末の悪い構造になっている。ほんとに底意地が悪いなあ。B級ホラー版パトリシア・ハイスミスといえば近いかもしれない。
 『オフシーズン』や『隣の家の少女』のような、おなじみの直接的な残虐描写はそれほど多くない。というより意図的にいくつかの重要な場面を「描かない」まま進めることで、それらを読者の陰惨な想像のなかでふくらますに任せるような書法を採っている。これはやはりケッチャム流の洗練というべきなんだろうか。

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