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    3月のライオン(1)

    3月のライオン(1)

    羽海野 チカ(著),先崎 学 (将棋監修)

    5つ星のうち 4.5 レビュー詳細を見る

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    はらぺこあおむし 改訂

    はらぺこあおむし 改訂

    エリック=カール (さく),もり ひさし (やく)

    5つ星のうち 4.5 レビュー詳細を見る

UMIさんのレビュー一覧

投稿者:UMI

10 件中 1 件~ 10 件を表示

紙の本夜のピクニック

2004/09/13 18:34

自覚してファンタジーに参加する、ということ

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「絵のように美しい景色」も「栗のように美味しいカボチャ」も、いつも下らない例え方だな、と思っていた。どっちも美しいし、どっちも美味しいのに、なぜわざわざ他のものに例えられなければならないのだろう。何かに例えてわかったような気になるのは人の悪い癖だろうと思う。だからこの作品を読んで、『黒と茶の幻想』だな、と思った自分は少し下らない人間のように思えた。

 朝の八時から翌朝の朝八時まで歩き続けるという高校行事「夜間歩行祭」が、今回の舞台である。同じクラスになってしまった異母兄弟を軸に、物語は進んでいく。大きな事件が起こるわけではないが、歩くリズムと会話のリズムが心地よく、すいすいと読んでしまう。スパイスとして、ちょっとしたホラーとちょっとしたミステリーが加わっているあたりも恩田陸らしい。

 ただ歩くだけの行事なのに、彼らは「修学旅行よりいい」と言う。それは、夜になって隣で歩く親友の顔も見えなくなったときに、普段は言えないことも言えるという魔法がかかるからじゃないかと思う。本当はみんな、本音を語る機会をじっと待っている。今だから言っちゃうけどね、と口を開く機会を狙っている。
 大人には高校生活そのものがすでにファンタジーになってしまっているけれども、その中のイベントはさらにファンタジー色を強める。彼らはそれを自覚しながら非日常の世界を自分の足で歩いていく。昼と夜との境を、大人と子供の境目を、危ういバランスで彼らは歩く。
 
 ただ歩くだけの行事で、どうしてここまで高校生の頼りない清々しさを見事に描ききってしまえるのだろう。たった一晩の出来事を描くだけで、読む者の心をこんなにも簡単に過去へ連れ出してくれるというのは、一体どういうことなのだろう。
 恩田陸に限っては、例えるものがまるで思い浮かばない。

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正直なところ本気で「怖い」と思った写真集

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 小さい頃、怖いものがたくさんあった。
 兄と喧嘩し家に帰れず一人で薄暗いあぜ道を歩いた。昼間はせせらぎに聞こえる小川の音も夜になるとやけにしんとしていた。父とよく行った銭湯の赤いライトで照らされた泡風呂に入れなかった。ごぼごぼと湧き出るお湯と真っ赤なライトが地獄絵図のようで不気味だった。今となっては些細な事が怖かったのだ。
 ボクは大人になった。それでも世の中には怖いものがいっぱいある。

 アメリカ軍と行動を共にしながら撮られた写真と素直な言葉で綴られた文章が、人の中心に真っ直ぐに向かってくる。武器を構えた兵隊と血を流して倒れている人。道端に放置された物体になってしまっている人たちと、略奪を繰り返す普通の市民。
 写真でも血を見るのは嫌だ。けれどそういう現実も少しは知っておきたいなあという安易な気分で本書を手にとった。児童書だから読みやすいだろうという思いもあった。迂闊だった。
 そこに写し出されていたのはボクと変わらない年代の男達で、戦争を「仕事」だと割り切っている兵隊だった。彼らにも家族がいて、ヘルメットの内側には家族の写真が貼ってある。
 捕らえられたイラク兵がいる。彼らにももちろん家族がいる。
 街が山火事のような煙を吐き出している。空も赤く染まっている。アメリカが語っていた「正義」は、こんな景色を創りだすためにあったのだろうか。
 ボクには、「正義」の使い方がよくわからない。
 
 正直なところ本気で「怖い」と思った。人が大怪我をしているのが怖い。罪もないのに家がなくなるのが怖い。集団心理が普通の人を暴徒に変えるのが怖い。誰が悪いのかわからないのに人がたくさん死んでいくのが怖い。そして、こたつに入りながらぬくぬくと本を読んでいる自分と世界とのギャップが怖い。

 ボクは大人になった。あの頃よりは怖いものが少なくなった。
 今、本書を読んだ子供たちは、一体何を思うのだろうか。そして、身内に自衛隊員を持つ人々は何を思ってページを捲るのだろう。
 世の中には怖いものもわからないものもたくさんある。平和な世界で生きるボクらができる唯一のことは、わからないことでも一生懸命考え続けることなんではないだろうか。
 

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ZOO

2003/07/24 21:51

装丁の赤=鮮血?

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 大好きだったインディーズバンドがメジャーデビューを果たしてしまうとどこか悲しい。CDなんかがミリオン達成だとか、今夜も歌番組出演だとか、ボクがこっそり愛し続けていた大好きなバンドがあれよあれよという間にみんなのものになっていく。嬉しいけれど寂しい。誇らしいけれど永遠に手の届かない存在になっていく。
 乙一はボクにとってまさにそんな存在だ。
 ふらりと立ち寄った書店に平積みされていた真っ赤なその本は、残りたったの一冊になっていた。
 
 乙一の作品は今までに出会ったことのない構造をしている。
 例えば星新一のショート・ショートを読むときに、ボクは必ず構造を読み取ろうとする。つまり、「オチ」を先回りして予想してしまおうとするのだ。薄っぺらい文庫本を捲りながらつい肩に力が入ってしまう。しかし、乙一の場合、先回りしようとすればするほど、軽々と数歩先をいかれてしまう気がするのだ。著者の用意した結末になんだがいい意味で気が抜けてしまう。
 実際、あまり悔しいという気持ちが湧いてこないのだ。
 それはボクの敗北宣言みたいなものだろう。

 「カザリとヨーコ」のように理不尽な生活環境にある主人公も、不可思議な能力を持ってしまった「神の言葉」の主人公も、皆、その夢のないファンタジーのような世界をあっさりと受け入れているように思える。そして、必ずどこかに「死」というキーワードが含まれている。乙一の作品は「死」からすべてが始まっているようにさえ思える。
 「死」を扱っているからと言って、乙一作品は決してグロテスクにはならない。きっとそれは淡々と進んでいくストーリーに気負いがないせいだろう。死体は腐るし、身体を切れば血が出る。それを飽くまでも冷静に描写する。
 教訓めいた説教臭いことは言わない。そこから何かを読み取ろうとするのは読者の自由であり権利であり身勝手なのだろう。押し付けがましくないところが乙一の魅力でもある。

 人が死に潰れ腐り鮮血が乱れ飛ぶ10の短編。
 装丁の赤に鮮血の色を重ね合わせたのはボクだけではないはず。
 おすすめは「血液を探せ!」。瀕死のワシ(64歳)が語る物語に笑いそうになったのもボクだけではないはず。本当に笑ってしまった人はちょっと反省しましょう。

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紙の本語り女たち

2004/06/26 19:28

波に運ばれる

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 ボートでもカヌーでもサーフィンでも構わない。一日中波に揺られていた日の夜はなかなか寝付けないものだ。目を閉じているとふわりふわりと背中が浮き沈みして、身体がこんなにも正確に波のリズムを記憶していることに感心することがある。
 ふと、そんなことを思い出した。

 夏目漱石の作品に『夢十夜』というのがある。学校の先生が薦めがちな『坊ちゃん』や『我輩は猫である』とは一味違う、幻想的でミステリーの香りがほのかに漂う作品だ。
 ふと、そんな作品のことを思い出した。

 現代にアラビアン・ナイトを実現させようと、空想癖のある「彼」は語り女(かたりめ)を募集することにする。
 彼のもとに訪れる女たちの物語は、実に幻想的で不思議なものばかりだ。今まで誰にも信じてもらえなかったであろう物語を彼に語って聞かせる。彼に聞かせることで、彼女達自身がようやくその出来事を受け入れているようにもみえる。
 押付けがましい教訓も、読み手の裏をかくような結末もないが、『夢十夜』のように前の話を消化し切れないまま次の話を読み進めてしまう。
 ひとつひとつが女性の語り口調で丁寧に語られていく様は、まるで打ち寄せる波のようだ。次から次へと語られる物語にふわりふわりと運ばれて、気が付くと最後のページに辿り着いている。読み終わってもまだふわりと浮かんでいるような感覚が残っている。
 
 アラビアの王になろうとした「彼」は主人公と呼ぶにはあまりにも影が薄い。女たちもアラビアン・ナイトでいうところの、たった一夜の語り部でしかない。物語そのものが主人公なのだ。
 十七編をたった一晩で読みきってしまうことが贅沢なのかどうなのかはわからないが、北村薫が一夜の語り部であったことは非常に贅沢なことである。
 

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紙の本失はれる物語

2003/12/22 15:12

「マリアの指」が指し示す方向

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 ライトノベルは認知されていない。
 漫画のようなふんだんなイラスト。カギ括弧ばかりで下半分が何も書かれていない本文。子供の読み物という定義。実際ボク自身も馬鹿にしていたところがある。
 今、書店の一番前に平積みにされた本書を手に取った大人達は、読後どんな感想を聞かせてくれるのだろう。

 書き下ろしの「マリアの指」以外はすべて既に発表されているものだ。それは今まで大人が決して踏み込もうとしなかった「ライトノベル」という世界での出来事だった。
 新作「マリアの指」は乙一らしい。書きようによってはグロテスクになる物語も、乙一にかかると透明感と喪失感の交じり合った不思議なお話になってしまう。何かが足りない人たちの間に生れる憎しみも悲しみも、淡々と描き出してしまう。
 そしてボクらはなぜか息を止めて文字を追ってしまう。

 人に懐かない猫が咥えてきたものは、小さくて白いマリアの指だった。
 電車に引き千切られてばらばらにされたマリアの身体。彼女の指にはめられていたはずの指輪を探す事が「僕」の日課になった。
 残された遺書。残された恋人。残された謎。残された疑問。
 本当にマリアの死は自殺だったのだろうか。

 すべての短編を読み終えて、ライトノベルを唇の端を歪めて笑える人がどれだけいるだろう。ボクは今でも乙一のスタート地点はライトノベルだと思っている。「このミス」でもなく「ミステリー大賞」でもない。
 今まで見向きもしなかった中高生向けにつくられた薄い文庫本を捲ってほしい。ここに収録されなかった作品も、大人達を一ひねりしてくれるに違いないだろうから。
 

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紙の本くらのかみ

2003/08/22 18:33

柔らかなホラー

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 両親の実家が都心にあるボクには、いわゆる「ふるさと」というものが存在しない。夏休みに帰省するといっても、人口の減ってしまったヒートアイランドはどこかじっとりとしているだけで、友人に語って聞かせられるような冒険談は何ひとつ生まれなかった。

 『くらのかみ』を読んで羨ましいと思ってしまった。意味のない土間、塀に囲まれていない広い庭、鬱蒼とした森、地蔵、井戸、そして沼。きっとどこかにあるのだろうけど、一度も見たことのない懐かしい景色が目の前に広がる。ひと夏しか会うことのない「親戚」という名称でくくられた子供たち。その中の一人が実在しない「お蔵さま」だった……、だなんて、とてつもなく魅力的だ。ロマンが詰まっていると言っても言い過ぎではない。
 
 旧家の相続争いと、座敷童子探しと、気味の悪い言い伝えとが絡み合って、郷愁をくすぐる柔らかなホラーができあがっている。
 
 少年の視点から語られる物語なのだが、なぜ子供たちが見上げる大人はとてもつまらない人間なのだろう? 常識的で、自分の理解を超える範囲のことは「何かの間違い」と決めつける。

 さて、「大人なんてつまらない生物だなあ」と嘆息するボクは、果たしておもしろい大人になれたのだろうか。
 やはり悩んでみるだけで何の冒険も語れないまま夏が過ぎてゆくのだろう。

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紙の本4TEEN

2003/08/18 20:52

迂闊にも感動してしまう、そんな小説。

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早老病、登校拒否、拒食症。
ドメスティックバイオレンス、同性愛、取り調べ。
家出、風俗、終わりの話。
並べてみるとかなりへヴィーだ。

秀才のジュン、体格のいいダイ、入院しがちの金持ちナオト。
平均的な中学二年生のぼくことテツロー。
4人の自転車が失踪する町こと月島。
水辺を囲むように立ち並ぶビル郡を臨む後ろ姿が清々しい装丁。
舞台はそろっている。
 
たぶん現実世界には彼らのような事件ばかりの日常は存在しないだろう。
多くの人が過ごしてきた中学時代がそうだったように。
ただ、根底に流れている脆さのようなものは、誰もが経験してきたものではないだろうか。それにリンクできるのは彼らと同じ中学生ではなく、すっかりその時代が遠い過去になってしまった大人ではないかと思う。

すかしてみるくせに、呆気なく涙をこぼしてみたり
だるそうに過ごしているくせに、友人の一大事には青臭いほど熱くなってみたり。
つまりは、涙をこぼすことに不自由になってしまったり、熱くなることに臆病になっているボクらのような人間が、迂闊にも感動してしまう、そんな小説だろうと思うのだ。

語り手であるテツローは自分を平凡で平均的な中学生と語る。
ほとんどの人は自分は平凡でつまらない人間だという。だけど、そういう人間に限って時にすごいことをやってのけてしまうものだ。テツローの視線でしか知ることのできない世界では、実はテツローも結構すごい奴なのだとボクは思っている。

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紙の本死にぞこないの青

2003/07/27 19:56

感情のごみ捨て場

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 はてさて天才と称されてしまう乙一は、「ホラー界の俊英」なのか「せつなさの達人」なのか。そのどちらに分類しようか迷ってしまうのがこの『死にぞこないの青』。
 新聞報道で伝えられる「いじめ」は凄惨で暴力的だ。実際にいじめを目にしたことのないボクにとっては、記者が書き立てる「いじめ」やニュースキャスターが痛ましい表情で語る「いじめ」がすべてである。

 目立たない日々を送ることを願う小学校5年生の内気なマサオ。ちょっと人と話すのが苦手でちょっと人より走るのが遅い。クラスに一人はいるちょっと太った漫画とゲームが好きな子供。
 そんなマサオを「感情のごみ捨て場」に選んだのは、ほかならぬ担任の教師だった。それは、クラスにおける自らの地位を確立するための、または自分の言動を正当化するための、ほんのちょっとした出来心だったのかもしれない。誰かを蔑めば外見的には自分の地位は高くなる。そんな担任にクラスメイト達も共鳴していく。伝染といってもいいかもしれない。

 教室で孤立していくマサオの前に、ある日おぞましい姿をした青い肌の少年が現れる。マサオが「アオ」と名付けた少年は、たびたびマサオの前に現れるようになる。彼はただじっとマサオを見つめているのだ。

 小学校5年生の少年の前に、人の弱さと恐れと醜さがこれでもかと並べられる。
 実際のいじめとは、対象となってしまった人間をじわりじわりと追い詰めていくものなのだろう。気分の良くなる作品ではないと思うが、いじめというものをリアルに感じられたという意味ではこの文庫本は偉大であると思う。

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生まれる森

2004/03/04 20:59

実力派女優風

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 天邪鬼とはかわいそうな生き物だ。素直になれない、馴染めない。わざと人と違うことをやってみせて、注目を集めようとする。ちなみに、仁王や毘沙門天に踏みつけられている鬼のことも天邪鬼と言うらしい。

 悲しくても楽しくても、文章の速度が変わらない不思議な空気を持っている小説だ。感情が表に現れない落ち着いた雰囲気で終われない恋愛を覆ってみると、こんな作品になるのだろう。
 実家に帰省する友達のアパートを大学の休みの間だけ借りることになった「わたし」。子供をおろすことになってしまったときから、目に見えない家族のバランスが少し崩れてしまった。今度あの人に触れられたら死んでしまうかもしれない、と呟く彼女の周りには常に友人や親の柔らかな眼差しがある。
 恋愛小説と呼べるほど粘性の起伏はないし悲劇にもならない。普通の生活の中に事件があって救いがあり、丁寧に書き込まれた日常の中に著者の若い感性がある。大波小波のテレビドラマに慣れてしまったボクらには少し物足りなく感じるときもあるが、物語がすっと寄り添ってくるように感じられるときもある。
 男性作家の書く恋愛小説よりもすっきりしている。抱き合わなくたって、恋愛のイメージを一つの本にすることができる。

 先日芥川賞をとった二人が文壇のグラビアアイドルならば、同年代の島本理生は文壇の新鋭映画女優といったところだろう。露出度が低くても、間違いなく実力派だ。本作は惜しくも芥川賞を逃したが、最年少受賞の大騒ぎを横目に独自の世界を創り上げているようにさえ思える。
 島本理生はいずれ芥川賞をとるだろう。マスコミはどんなふうにその事件を伝えてくれるだろうか。仕立て上げられたアイドルではなく実力派女優風に扱うのか、それとも最年少受賞ではないからあまり大きく取り上げないのか。
 いずれにせよ、天邪鬼は花咲く芥川賞論議には加わらない。横槍を入れることでボクはここにいるんだと主張する。天邪鬼とはそういう生き物なのだ。

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紙の本心に届く日本語

2003/08/04 14:29

「夏休みの苦い思い」を払拭するための本

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 作文が得意な子供だった。コンクール発表用に書かされた「作品」に国語の教師が赤ペンでラインを入れると、下唇を噛むような子供だった。
 でも、読書感想文は書けない子供だった。夏休みにおける理不尽な課題だと思い込んでいた。順番に教科書を読まされるのも嫌いだった。読めない漢字がある段にあたりませんように。どうかつっかえず格好よく読めますように。説教臭い正しい逸話ばかり読まされる国語の授業がどうしても好きになれない子供だった。

 例えば、「プライド」について定義してみようなどと思ったことは今まであっただろうか。「=誇り」でこと足りる。英語の授業ならばそれで正解。
 重松清の作品の中からキーワードを取り出し、ディスカッションとロールプレイングを繰り返す中学生。自分達と同年代の少年・少女が描かれた小説を使っての授業だ。いわゆる実験授業でよく取り入れられる形式だ。授業内容が会話形式で書かれているのですいすい読める。が、途中で読み手であるボクは混乱する。このディスカッションに参加するとしたら、と仮定してみる。そして、きっと何も発言できないだろうことに思い至る。「プライド=誇り」で固定化されているのだから。
 
 各章ごとにやはり授業らしくワークシートが付されている。
ボクの場合は図書館から借りてきたものなので、もちろん書き込むことなどできない。ただ愕然とするのは、そこに書き込まないことではなく書き込めないことに気が付いてしまったからなのだ。一つの言葉や情景について深く深く誰かと突き詰めることなんて、学校の枠外に出てしまったらそうそう出会えないシチュエーションなのだ、ということに気付かされる。

 この本を読んだからと言って、国語ができるようになるわけでもないし、好きになるわけでもない。読まなかった人との差異を見つけることのほうが難しいのかもしれない。でも、こうも思うのだ。ボクらが受けてきた国語の授業が今何かの役に立っているのだろうか。同年代の会話で「そういえば『ごんぎつね』ってさ、」程度のコミュニケーションの材料になるくらいだ。
 それならば。目に見えて役立つことがないとしたなら。
 「よのなか」科の授業でも交換可能なのではないか。「なんかよくわかんないけど国語っておもしろいかも」程度の刷り込みは、夏の苦い思い出を払拭してくれるかもしれない。

 どちらかというと、授業にゲスト出演した作家・重松清の心の揺れや迷いのようなものに興味が湧く。作家も迷いながら小説を綴っているのだと思うと、ボクらも心して読まねばならぬのだといった一方的な使命感が湧いてくる。

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