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    体が硬い人のための柔軟講座 (NHKテキスト 趣味どきっ!)

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    中野 ジェームズ修一 (講師),日本放送協会 (編集),NHK出版 (編集)

    5つ星のうち 4.0 レビュー詳細を見る

Snakeholeさんのレビュー一覧

投稿者:Snakehole

36 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本日本の税金

2003/10/29 11:00

オレたちのクニも北朝鮮に負けず劣らずなかなかにヘンな国であるなぁ,と

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

日本の税金

 読了して立腹。これを読むと日本の税制って隅から隅までズズズィっとご都合主義と折衷案の寄せ集めではないか。いや,ウスウス酷いとは思っていたがここまでとは思わなんだぞ。
 例えばビールにかかってる税金の無茶苦茶さ。著者はまず,日本の酒税がアルコール度数課税方式(酒の種類に関係なく含有されているアルコールの量に対して課税する方式)ではなく,酒をいくつかの種類に分類し,その区分ごとに異なる税率を適用する分類差等課税制度を採用していることを説明し,これはすなわち逆進性対策であったと指摘する。……ぶっちゃけて言えば同じアルコール度数だからって金持ちの飲む舶来ウイスキーと貧乏人が飲む焼酎に同じ税率を適用したら暴動になる,と。
 問題は,その分類においてビールがとてつもなく高級なお酒とされていることにある。本書によれば,1950年代の大蔵省(当時)の見解では,「ビールはその大半が家庭ではなく料理店等で消費されており,そういうトコロに出入りできるのはこれすなわち富裕層であるからして,彼等が飲むビールも高級酒ということになる」ということなんだが,イツの時代のネゴトだよ,と思うよね?
 例の発泡酒というのはつまり,ビールにかかる酒税の高さにネを上げた業界が,ほんぢゃその分類上ビールでなければいいんだろってんで原料の配分を「ビールに限りなく近いけどビールとは言えない」ところまで近付けて作った「限りなく透明に近いブルマーズ」的ゲリラ商品であったわけ。本来ならこういう商品が出てきたところで当局は誤りを認めビールの税率を見直すべきだったのに,実際に政府がやったことは全く逆。発泡酒の中に新たな線引きをして,そっからビール寄りの発泡酒の税率をビールと同じにしたんである。なにをかいわんや。 一事が万事この調子。こういう本を読むとオレたちのクニも北朝鮮に負けず劣らずなかなかにヘンな国であるなぁ,と改めて思うなぁ。

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貨幣論

2003/10/03 09:55

先送りのトートロジーこそが貨幣の本質

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 マルクスの 「資本論」 を下敷きに,多くの経済学流派にとって「喉に刺さったトゲ」のようなものだった「貨幣の謎」(貨幣とは何か?)に挑む230ページあまり。いや文章も平易(時おり引用されるマルクスの文はそうでもないけど)だし,論旨も明晰,久々の「他人に薦めたい人文図書」でありました。以下,オレなりの解釈で要約してみる……。
 「商品Aは商品Bまたは商品Cと等価である」ということ(全体的価値形態)がその逆転である「商品Bあるいは商品Cは商品Aと等価である」(一般的価値形態)を産み,その二つが循環する構造が形成された時に商品Aの位置を占めるものが「貨幣」である。……ややこしいな,これを平たく言うと「貨幣とは貨幣として使われるものである」ってことになるんだけど,貨幣というのは実はこのトートロジーそのものだ,というのがこの本の主張なんだな。
 例えば今オレがポケットから取り出したこの1万円札,原価が正味いくらかは知らないが,紙,インク,印刷技術,工賃全てを合計してもまぁ1枚10円の価値もないだろう。でもこれを商店に持って行けば,とりあえずその店で10,000円分の商品と引き換えてもらえる。なぜ商店主は原価10円にも満たない紙切れと引き換えに大事な商品をヒゲ面の中年男(というのはもちろんオレのことだけど)に引き渡して平気なのか。それは「*将来のいつの日かに誰かほかの人間がその紙切れと10,000円分の商品と引き換えてくれると思っているから」なのであり,その「誰かほかの人間」がそうしてくれる理由もまた,「*印くりかえし」なのである。
 逆に言う,もしこの循環が途切れる時が来たら,馬車はカボチャに戻り馬はネズミの正体を現し,オレの1万円札は隠れもなきただの紙切れとなり,哀れ魔法の痕跡は王子の手に残るガラスの靴の片方だけ(ところでこれはガキの頃からの疑問なんだがなんであの靴だけ12時過ぎてもガラスのままなんだ?)となるのである。ね,トートロジーこそが貨幣の本質だって意味,分かるでしょ?
 さてしかし本当に面白いのはここからなのだ。ちと考えれば分かるがこの循環,時間軸に沿って螺旋を描いて循環しつつ進んで行く構造になっている。これが何を意味するか,つまり貨幣経済が成り立つ社会というのはある意味で永遠に先送りの社会なのだということである。この議論から著者は最終的に資本主義の真の危機としてのハイパー・インフレーション(貨幣からの遁走)に論を進めるのだが,オレは脱線してマックス・ウェーバーの 「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」 に思いを馳せた。彼等キリスト教徒が神による「裁きの日」を本当に信じているのならば,この永遠の先送りの上に立脚した資本主義に身を委ねるのはすなわち背信であり異端ということになりはしないか。つまるところ「教義の沙汰も金次第」?

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アメリカ似非帝国ただいま崩壊中

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 アフガン,イラクとヤリタイ放題でいよいよ世界を統べる帝国たらんとしているかに見えるアメリカであるが,彼の国が真に世界帝国になりうるチャンスはとうに失われたのであり現在はその崩壊の過程にある,というフランス人歴史学者の挑発的分析の書。
 まず,ソ連の崩壊以降世界は安定へと向かっているという基本認識が語られる。第三世界では未だイデオロギー的,もしくは宗教的熱病の発作のような争乱が見られるけれども,全体の傾向として発展と民主主義の確立へと漸進している……。ところがそうした方向を喜べない国が世界に一つだけある。それがアメリカ合衆国なのである。
 例えば今話題のイラク新法,もし北朝鮮が攻めて来たら(毎日餓死者を出してるようなクニがほんとに攻めて来られると思ってるヒトが結構いるのは驚きだが)アメリカさんに守ってもらわなくちゃならないんだから賛成しなくちゃ,と言うヒトが結構いる。裏を返せば北朝鮮と仲良くできれば死ぬかもしれないイラクくんだりに我等が自衛隊を送る必要はないのであり,そうなると困るのは日本ではなくてアメリカだ。だからアメリカは軍事的に比較すればとるに足らないイラクやキューバ,北朝鮮を「悪の枢軸」と喧伝する。ヤツラと闘う正義のアメリカの言うことを聞け,というわけだ。
 著者の分析では,そろそろアメリカのこの論理に基づく「演劇的小規模軍事行動主義」(ブッシュの言う「テロリズムとの戦い」の上の文脈による言い換え)の底が割れて来ている,ということになる。今回のイラク攻撃に関しても,アメリカにとって「欧州にある保護領」であるドイツが公然と異を唱えた。「極東の保護領である日本もいずれ……」という期待はいささか買いかぶりぢゃないかと思うが,ともかく今や「消費しかできない世界の略奪者」たるアメリカの崩壊は歴史の必然だという分析には,賛否はともかく一読の価値があろう。

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あなたの「意識」は単なる錯覚に過ぎない

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 500ページを超える大冊,でもそれに見合うだけの知的興奮を味わえる本である。なにしろオビにこうあるのだ,「脳は私たちを欺いていた。意識は錯覚に過ぎなかった」……。
 デカルトの有名な言葉を引くまでもなく,我々は我々自身の「意識」こそが我々の存在の根幹だと思っている。手塚治虫の「火の鳥・未来編」でも,主人公マサトの「存在って何だ?」という問いに対して火の鳥は「意識よ」と答えていた。ところがこの本の著者が紹介する最近の知見によれば,どうもそれは間違いであり,意識というのはナンとも欺瞞に満ちた錯覚めいた存在らしいのである。
 そんなアホな,と思うでしょ? またぁ,トンデモ本の類を読んでコーフンしてるのか,とおっしゃるでしょ? しかしそうではないのだ。これはキッチリと実験によって証明されている事実であって,どうにも反駁のしようのないものなんである。以下,簡単に説明しよう。
 我々のいろんな動作,手を動かすとか首を振るとかそういう動作は,それが行われるに先立って脳内に電位変化(準備電位という)が起きることが判っている。つまり脳は筋肉を動かすために,まずはその命令を用意するわけですな。で,実際に測定してみるとこの準備電位が発生してから実際にその動作が行われるまでにはおよそ1秒ほどかかるという結果が出た。ここまでいいですか?
 さて,この結果は普段の我々の動作,頭を掻いたり耳をほじくったりしている感覚に沿うモノだろうか? もっと簡単に言おう,我々は「頭を掻こう」と思い付いてから実際に頭を掻くまでに1秒も時間をかけているだろうか? そんなこたぁない,とオレは思う。ノロマのあんたはどうか知らんが,オレは断じてもっと素早く頭を掻いているという自信がある。
 でも脳内の電位変化は間違いなく1秒ほど前に発生している。ということは,である。体がその準備を始めてあとでオレは「頭を掻こう」と思うことになる,なりませんか? つまり頭を掻こうと本当に決めたのはオレの意識の外のナニかであってオレの意識ではありえない。オレの意識はオレの脳が頭をかく準備を始めたあとで,あたかもオレが頭を掻こうと決めたんだい,と「錯覚」しているに過ぎないのだ。びっくりでしょ?
 さて,意識が錯覚なら錯覚でしょうがないとして(オレは比較的あきらめがいいのだ),問題はなんでそんなアホなことになったんか,ということだ。これまた驚愕の最新学説によれば,人類がこの「意識」なるものを獲得したのはそう古いことではなく,ぜいぜい3,000年前くらいのことぢゃないかというのである。それ以前,ニンゲンは意識というもんを持ってなかった。エジプトのピラミッドなんかは意識のないニンゲンが作ったらしいんですよ,ヨシムラサクジ先生。
 とにかくこの本,熱力学に関わる「マクスウェルの魔物」問題から筆を起こし,クロード・シャノンの「情報エントロピー論」やゲーデルの「不完全性定理」を経由していわゆるサブリミナル・閾下知覚の研究に分け入り,上に出て来たベンジャミン・リベットの実験を経て複雑系,カオス理論,宇宙論に翼を広げるという知の大著である。付箋張りまくりで半月ほどかかったが実に面白くためになった。江湖博雅の読書人諸氏に是非ともお薦めしたい1冊である。

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「人生なんてうまくいって原点そこそこなんだ」なんて,ハタチの頃には頷けやしなかった。

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 題名の通り,あの不朽の名作「麻雀放浪記」(全4巻)の続編……というか後日談という体裁の小説である。
 戦後の混乱期,「ノガミのドサ健」などと共に熱い季節を過ごした「坊や哲」だったが,齢40を数えて体もゆるみ覇気もなく,親の家に居候して無為徒食の日々を送っていた。ある日煙草の万引きで放り込まれた留置場で無頼の匂いのする青年ヒヨッ子と出会い,彼に「博打を教えてやる」ことになる。久々に味わう鉄火場の空気に,体の奥底でくすぶっていた哲の熱い血が燃え上がり……。
 以前高名な評論家が,ある教養小説について「人生において三度読んだ,読む年齢によって感動する部分が違う」と書いているのを読んだことがあるが,この小説はワタシにとってその教養小説みたいな趣がある。
 思えばこの本の単行本が出た81年,ワタシは雀荘で働いていた。俗にいう「雀ボーイ」というヤツで,メンバーが足りなければ客に混じって打つ……。あの頃はこの小説,クライマックスが麻雀でないのが不満で,本編「麻雀放浪記」より一段落ちるという評価をしてた。ところが主人公と同じ年齢になった今読むと,博打のシーンよりその合間の彼が垂れる講釈の方に,いやその講釈を垂れる気持ちのほうに共感する。読むにも年期が要る本があるのである。
 「人生なんてうまくいって原点そこそこなんだ」なんて,ハタチの頃には頷けやしなかったよなぁ(笑)。

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紙の本大山康晴の晩節

2003/05/29 08:33

将棋ファン必読の書!

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 通算成績1,433勝781敗,名人18期を含めてタイトル獲得数80期,まさに昭和の将棋界に君臨した巨星,大山康晴15世名人の晩年を,自らもプロの将棋指しである河口俊彦七段が振り返るドキュメントである。
 ……5年ほど前に一念発起して囲碁を覚え,爾来囲碁・将棋と言えば囲碁の方が面白くなったワタシだが,子供のころは将棋ファンだった。最も凝ったのは著者の言う大山第二期黄金時代の終わり,台頭して来た次代の天才・中原誠に名人を奪われた頃で,1年くらい「将棋世界」を購読していたと思う。そのころの私は,実は大山が好きだった。著者は「大山の将棋は強過ぎて面白くなく人気もなかった」というが,将棋の内容など分からぬ子供のこと,冴えない容姿の大山が古武士のような升田や天才と謳われた加藤一二三を負かして行くのが痛快に思えた。
 本書によれば,この時期の大山は他の棋士に「催眠術を使って勝っている」とまで言われたそうだ。なるほど本書はタイトル通り,晩年の戦い(毎年「A級に残留出来なければ引退」というプレッシャーの中ガンを病みながら闘い続けた)にスポットを当てているため,必然的に大山の衰えを示す棋譜解説が多い。が,その状況下での数少ない勝ち将棋を通してこそ大山の恐ろしいまでの強さが理解できるのだ。……なにしろオレにも理解できる強さというのはスゴイよ。将棋ファンならば必読の書,将棋を知らぬヒトにも読み物として面白く読めるだろう。

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紙の本ポップ1280

2003/10/22 07:59

つまりはアメリカ版「村井長庵」なのだ

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 1910年代のアメリカの田舎町を舞台にした暗黒小説……。つか,こりゃアメリカ版「村井長庵」(「歌舞伎・勧善懲悪覗機関(かんぜんちょうあくのぞきからくり)の」でもいいんだけど,ここは「筒井康隆の」を思い起こしていただきたいところ)ですな。
 人口1280人の田舎町ポッツヴィル,この町の保安官ニック・コーリーは間抜けの皮をかぶった極悪人である。町の売春宿に巣食うヒモ達を殺して隣の郡の保安官をその犯人に仕立て上げるわ,時期保安官選挙の対立候補を噂を武器にして追い落とすわ,愛人の亭主を銃の暴発事故に見せかけて殺すわ……。そして彼はうそぶくのだ。「オレの意志ぢゃない,オレはみんながオレに期待していることをしているだけさ」。
 同じ暗黒小説と呼ばれても,エルロイや馳星周の主人公たちはもっとギラギラで欲望むき出し,人を殺すときも鼓動バクバクな感じがするんだが,この男は違う。心の底からそんなことはたいしたことぢゃないと思っている,通るのに邪魔な石をどかすような感じ。ね,村井長庵でしょ?

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オクトーバー・ライト

2003/08/17 09:05

人生後半のあなたにお勧めのアメリカ文学

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 1987年の初版を買っていながら16年も読みそびれていた「アメリカ現代文学の最高傑作(当時)」である。いや,正確に言うと買ってすぐに一度読み始めたのだが,当時20代半ばで尻に蒙古斑をくっつけていた若造(というのはもちろんオレのことだけど)にはちとこの小説の持つ「老い」の匂いがキツくかつ理解し難く,10数ページで放り出したのだった。
 基本的には姉弟の対立と和解の物語である。ただしこの姉弟,サリンジャーの 「フラニーとゾーイー」 (あっちは兄妹だが)とは違い,姉は80歳,弟も72歳になる。二人とも伴侶を,加えて弟は3人設けた子供のうち男の子2人を既に亡くしている。姉は夫の死後商売に手を出して失敗,弟が相続した親の家に転がり込んだ。やもめ暮らしの弟はその都会じみたライフスタイル,特に彼女が持ち込んだTVが気に入らない。ある日とうとう癇癪を起こしてTVをショットガンで破壊,非難する姉を寝室に閉じ込め鍵をかけてしまう……。
 という姉弟の話の幕間に劇中劇のように字体を変えて,監禁された姉が寝室で見つけて読み始めた三文ペーパーバックのパルプ・フィクション〜自殺しようとゴールデン・ゲート・ブリッジから身を投げた元航海士が下を通りかかった麻薬の密輸船に救われマリファナを仕入れにメキシコへ向かう〜が語られる。ところどころページが欠落しているにも関わらず,全然スジを追うのに支障のないこのばかばかしい小説はまさにTVそのものだ……。
 これら2つのストーリーが絡むでもなく絡まぬでもなく進行し,監禁は立て籠りに変質し,対立はその位相を微妙に変えて行く……。最後のページを閉じたとき,20代の頃に無理矢理読み通してしまわなくて良かった,と思った。この心に沁みる寂寥をしっかり受け止めて味わうにはそれなりの年齢というもんが必要なのだ,だったのだ。

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紙の本ぶっぽうそうの夜

2003/07/20 08:12

鋼の文体が救いなきこの世の闇を裂く

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 相変わらずの武闘派文体で狂気のような正気を,寓話のような現実を描く400ページ超。定年をむかえた初老の男,糖尿病で医者に失明を予言された彼は,退職したその足で待つ者とていない故郷の寒村「風村」に戻って来る。時は夏,男は素っ裸になって川で泳ぎ,ミズナラの木の枝に板を渡して塒にする。
 ……15年前,行かず後家の妹が猟奇殺人の犠牲になり,血の気の多い弟がその下手人と思い込んで無関係の労務者を惨殺し逃亡。世間の目を苦にして母は自殺,会社は彼を出世コースから外し,身より無く育って「家族」に憧れていた妻は幻滅して去った。人生の最後を故郷で過ごそうと戻った男だったが,打ち捨てられた生家の中で逃亡中の弟が首を吊っているのを発見,つづいて15年前の真犯人が今もその鬼畜の所業を続けていることを知る……。
 物語も凄まじいが,凄まじい物語はそれに耐えうる文体がなくては語り得ない。このヒトの小説を読むとそのことがよく分かる。鋼のような意志は鋼のような文体がなければ書き表わせない。ふやけた文体しか持たなければ,どんなアイディアもふやけた物語にしか結実しない。もちろん巷間ふやけたモノが流行るのはご勝手にだが,オレにはそんなモノを読んでいるヒマはない,と40過ぎて切に感じるのであった。

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フロとフロシキは大きい方がいい

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 シーラカンスをテコにマダガスカル沖に過去へ繋がる穴を穿った「ブルーホール」 の続編である。ページ数倍増,ついでにブルーホールも増えまくるインフレSF超大作。いやぁこういうのを読むと「フロとフロシキは大きい方がいい」と思うなぁ。
 白亜紀の終焉を告げる巨大隕石落下の衝撃(「ブルーホール」参照)は,ホールのこちら側すなわち現代のマダガスカル北東沖にも達し,穴周辺にいたと思われる古代生物の死骸を四方にばらまいた。これを目撃したアメリカ人ジャーナリストハリーは恋人のマージーとともに独自の調査を開始する。
 そして1年後,スコットランドのネス湖に突如出現した浮遊施設と「穴」の関連性を嗅ぎ付けた彼等は小型潜水艇で湖底を探査,英米軍が発見調査中のブルーホールに吸い込まれて気を失ってしまう。数時間の後,意識を取り戻した彼等の眼前には1億4000万年前,ジュラ紀の信じ難い光景が広がっていた。
 軍隊に救助され滞在も許可されたハリーとマージーは英軍中尉のジーン,地球物理学者のキャメロット教授とその孫娘パットらと知り合う。が,安定しているかに見えたネス湖のブルーホールが地磁気の減少で突如消滅,現代に戻るには少なくとも数千キロは離れた他のブルーホールを探すしかない……。
 ところで前に「ブルーホール」を読んだ時「あのタイムトンネルのあっちとこっちでちゃんと時間が並行しているのはヘンぢゃないか」と書いたのだったが,その問題はこの続編で解決していた,納得納得。残る大疑問は「こんだけあっちこっちツツいても現代からみて『未来』に通じているブルーホールがないってのはちょっとヤバクないか」ってことなんだが……,まさかそのネタでまた続編を書くつもりでは?

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「人生の謎」のいくつかが氷解する面白本!

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 現在普通に通じる日本語として使われていることばのうち,赤坂先生の専門である芸能分野をその出自とするものを取り上げて解説した「面白くてタメになる本」。新書だからと言えばそうだがこれで700円はまことにお買得である。
 普段なにげなく使っている言葉について「※※ってなんなんだろ?」と思う瞬間は誰にでもある。「ピン刎ね」の「ピン」って何だろうとか,ドンデン返しの「ドンデン」て何やねんとか……。なんと,これらはみんな芸能用語だったのだ。ページをめくるごとにそういう「人生の謎」(ちと大袈裟過ぎ?)が氷解して行く,目からウロコが落ちて行く,これはかなりの快感である。
 中でも感動したのは「のろま」と「きんぴら」。
 実は昔,先輩にノロさんというヒトがいた。仕事は出来るんだがコミュニケーションに問題があった。とにかく凄い早口の秋田弁で喋る。面と向かっての会話ならばそれでもなんとかなるのだが,電話で仕事の指示を受けるのは一苦労,第三者を介しての伝言となるとほとんど暗号に近かった。他の先輩や同輩などと「まったく名前と正反対にとんでもねぇせっかちだからよぉ」とよく陰口を叩いたもんだったのだが,この非難はまったくもって本末転倒の間違いであったのだ。
 この本によれば「のろま」という言葉,江戸字代,野呂松勘兵衛という人形遣いが使った間狂言の人形が「のろま人形」と呼ばれたことから来てるのだ。間狂言というのはどうも人形2体を使って演じる掛け合い漫才のようなものらしく,野呂松さんが演じた方がいわゆるボケ役だったんですな。で,「のろま」は現在のような意味になったと。つまりノロさんの「ノロ」が「のろま」の「ノロ」なんではなく「のろま」の「ノロ」がノロさんの「ノロ」だったんである。なにがなんだか分からないが,ノロさん,あの節は大変失礼いたしました。
 ……ああ,「のろま」だけでこんなに長くなってしまった。「きんぴら」について知りたいヒトは,是非とも買って読んで下され。

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そば往生

2003/05/23 08:19

ところで先生,「そばの殿様」もお忘れなく

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 石川先生は東北学院大学の哲学の教授である。カント哲学に関する著書も多いのだが,数年前(もっと経つかな?)「そば打ちの哲学」という本を書いて「そばのセンセイ」として有名になった。なにしろ大のそば好きであり,そのそばに対する偏愛たるや純粋理性もヘチマもない。友人がそばを食って健康になった話から,そば打ちはセラピーとして有用だという説まで,我田引水・牽強付会もものかは,いやそれを意識しての一大そば礼賛本となっている。
 と,半ば茶化し気味に書いたがワタシもそばは大好きであり,食うに飽き足らずひそかにいずれは打ってみたいとも思っているクチである。やぁ,石川センセイのそば三昧,そば行脚はうらやましい。特に雲州亀喬のそば屋が駅になっている店,それから山形は村山市の「そば塚」のある店というのは行ってみたいなぁ。
 ところで先生,そばにまつわる落語として「時そば」と「そば清」を挙げておられますが,もうひとつ「そばの殿様」というのがありまっせ。そば打ちに凝って自分の打ったそばを家来たちに無理矢理食らわせる殿様の話で,つまりは「寝床」のそば打ち版ですが,これもなかなかの傑作で……。

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紙の本ハード・タイム

2003/05/20 17:06

シリーズ6年ぶりの新作。…6年待ったかいがあったか?答えはイエスである

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 シカゴの女性探偵 V・I・ウォーショースキーのシリーズ 6年ぶりの新作。…6年待ったかいがあったか? 答えはイエスである。2001年のワタシの個人的ランキングでベスト・ワンに輝いた小説。
 40ン歳を迎えたV・Iは長年の協力者にして盟友のジャーナリスト,マリが「もう若くないさ,と言い訳して」就職した巨大メディア・コングロマリットのシカゴ進出を祝うパーティに出かけ,ロー・スクール時代の同級生に出会って腹を立てる。その帰り,帰宅を急ぐ彼女のクルマの前に東洋人の女性の屍体が…。彼女を避けるためにトランザムは消火栓に激突,連絡を受けてやってきたお巡りはいつものように彼女の名前を発音できない(笑)。そして次の朝,トランザムの修理費用をどう捻出しようかと悩む彼女の元を刑事が訪れ,なんと昨夜のフィリピン女性をひき逃げした容疑でお前を逮捕する,というのである。
 強大なメディア・コングロマリット (どう見てもモデルはアソコである) ,民営化された刑務所・拘置所を管理する警備会社 (ロボコップを思い出すな) ,そして腐敗した州議会が三位一体となって一人の女探偵を罠に追い込む。そして大人しく罠にかかる弱い獣でないはずのV・Iの弱味は,「それがどうしてなのか判らない」ことだった。ね,面白そうでしょ?

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食糧棚

2003/05/08 01:43

嚥下し難い余韻だけが蓄積されていく掌編集

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 「死んでいる」で全米批評家協会賞を受賞したジム・クレイスの短編集,いや掌編集というべきか。訳者のあとがきによれば,著者はイタロ・カルヴィーノの「見えない都市」,プリーモ・レーヴィの「周期律」および,ある民話(そのストーリーもあとがきには紹介されているが長くなるので割愛する)にインスピレーションを得て本書を執筆したそうで,話の数はチェス盤(その民話にはチェス盤が出て来るのだ)の升目と同じ64,全ての話が食べること,食べものを主題にしている。
 それぞれの話は全く独立しており,ショート・ショート風にオチのあるものあり,ないものあり,詩のように音読して楽しめる(翻訳でも)ものあり,音読以外では楽しめそうもないものあり,と実にバラエティゆたか。だがどの話もどこかに一本,クレイス波というかクレイス節というか,幸福の背骨に沿ってただひとすじ流れる冷や汗のような悪意というか無気味さみたいなものが添加されており,読み進むにつれてそのなんとも嚥下し難い余韻だけが蓄積されていく構造になっている。
 読んでいる最中,「一人の男が飛行機から飛び降りる」のバリー・ユアグローを思い出したが,ユアグローの短編が(本人がそう思っているかどうかは知らないよ),無意識に潜む不条理を不条理の形のまま文章に掬い取ろうとしたものだとすれば,クレイスのこれらの掌編は食べるという行為の根源にある野蛮が,我々の文化によって隠蔽され隠蔽され隠蔽されてなお垣間見えてしまうその瞬間を文字で切り取ろうとしたものだと言えるかもしれない。遠い昔井上陽水がインタビューに応えて言っていたように「ものを食べているところをヒトに見せるもんぢゃない」のだ。

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紙の本るりはこべ 上

2003/04/14 23:48

この詩情あふれる暗黒の近未来!

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 実を言えばこの人の小説を読むのは疲れる作業であり,読み終えると一種の虚脱状態に陥ってしまう。小説の世界に精神が絡めとられてしまい,ふと時間が空くと「あの続きを読まねば」と思っている自分に気付くのだ。頭の半分,おそらく右脳では小説が完結したことを理解しているのに,そこで展開されたイメージがあまりに鮮明なため左脳がその世界を現実と認識したまま取り残されてしまっている。陳腐な言い方だが,言葉と言うモノが実にどれほどの力を持ち得るのかもし知りたければ,一所懸命丸山健二を読むというのがかなり有力な早道だとオレは思う。
 物語の舞台は「馬蹄型の湾に世界有数の火山を仰ぎ見る南端の都市」というからおそらくは鹿児島のイメージ。この街の,港に連なる荒野を塒と定める初老の野良犬が,ある日彼の縄張りに居を構えた人間の一家に興味を抱く。産まれてこの方心に傷を負ったことなど皆無に見える父親『無傷』,ふてぶてしいまでの明るさで家族を照らすその妻『ヒマワリ』,逃げ足の速いカッパライである長男『ピアス』,絵筆を採らせれば既に一流の芸術家だが同時に放火少年である次男『画伯』,そして野良犬が遂にその無頼な命を捧げても良いと思い詰めるほど無垢な魂を持つ末娘『花蜂』……。国を覆う盲従の風,軍靴の響き,革命家の妄執,火山の鳴動がるつぼの如く渦巻く中,父母兄を官憲に奪われた幼い兄妹を護るべく,野良犬は残りの命を燃やし尽くそうと決心する。この詩情あふれる暗黒の近未来は,しかしなんと矛盾に満ちて魅力的であることか。

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