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たむさんのレビュー一覧

投稿者:たむ

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紙の本名探偵カッレくん 新版

2005/04/10 18:06

シャーロック・ホームズ、アスビョーン・クラーグ、エルキュール・ポワロ、ピーター・ウィムジイ卿、カッレ・ブルムクヴィスト!

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「おまけ」というのはやはり嬉しいもので、あると何だか得した気分になります。岩波文庫の「言葉の道草」しおり、創元推理・SF文庫の帯や栞の一言コラム、光文社文庫の「文庫のしおり」……。その「文庫のしおり」には「シンポ教授のミステリー・カルト道場」というコーナーが連載されておりました。道場主のシンポ教授が、読者からの質問を受けて立つというこのコーナー、質問者は作家の若竹七海氏。質問の内容は——「名探偵カッレくん」が憧れる名探偵4人シャーロック・ホームズ、アスビョーン・クラーグ、エルキュール・ポワロ、ピーター・ウィムジイ卿——「アスビョーン・クラーグって、いったい誰なんでしょう?」というものでした。
アスビョーン・クラーグの正体はシンポ教授が解き明かしてくれるのですが、むしろ気になったのは5人目の名探偵カッレくんの方でした。
カッレくんには集英社文庫版『ナイン・テイラーズ』のあとがき(これも若竹七海氏)で再会します。「シャーロック・ホームズ、アスビョーン・クラーグ、エルキュール・ポワロ、ピーター・ウィムジイ卿、カッレ・ブルムクヴィスト! 彼は舌打ちした。そして彼——カッレ・ブルムクヴィストは、そのなかで、いちばんえらい探偵になろうと思った。」 これでもうアスビョーン・クラーグよりもピーター卿よりもカッレくんが気になって仕方がありません。最後の一文にしびれてしまいました。えらい探偵になるんだという、根拠も現実性もない、だからこそ夢見る力強さのある満幅の自信に、冒険ものの小説を読むときのあのわくわく感を感じたのです。
冒険というのは、ジャングルに探険に行ったり国際陰謀団と戦ったりすることだけではありません。本書で言えば、窃盗団を追いつめる、というのも冒険には違いありませんが、「サーカス・カロッタン」や「バラ戦争」もまた紛れもなく冒険です。カッレくんたち三人が夏休み中に一生懸命取り組む本格的な(とはいえ微笑ましくもある)サーカス、仲良しグループをわざと侮辱してわざと喧嘩するバラ戦争(チャンバラごっこみたいなものでしょうか)、その他さまざまなイタズラ。
冷静な視点で見れば彼らのやっていることはものすごくくだらない。本書を読んで、馬鹿らしいと思う大人の方もいるかもしれない。だけど彼らの価値観はくだらないとか馬鹿らしいとかいうところにはありません。どれだけ楽しいか。どれだけ面白いか。楽しさを求めてありったけの力を尽くすことこそが、冒険の本質なのだと思います。
トム・ソーヤーが歯の抜けた隙間から新しい唾の飛ばし方を自慢するのも、ケストナー描くセバスチアンやエーミールがことあるごとに様式美がかった大仰な会話や喧嘩や仲直りをするのも、みんな精一杯楽しむという冒険の本質を心得ているから。遊びの達人であり、冒険の達人。
カッレくんが憧れた4人の名探偵のうち、物語の最後まで繰り返される名前はポワロとピーター卿の2人だけです。いちばん冒険的要素が強いと思われるシャーロック・ホームズの名前は二度と出てきません。もしかすると、冒険的要素が強いからこそ出てこないのかもしれません。なにしろ、本書『カッレくん』は紛れもない冒険物語です。『ホームズ』と同じく、冒険物語——もうホームズに憧れる必要はない——自分自身がホームズ同様に、冒険物語の主人公なのですから。

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紙の本驚異の発明家の形見函

2005/04/13 10:33

十題噺

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

期待したほどのケレンのある物語でもなければ、教養小説といえるほどには成長物語でもない。丁寧に丁寧に十八世紀という時代を描いているので、任意のページを開けばどこにでも十八世紀そのものを見つけることができるけれど、コクだけではなくスパイスもほしかったというのが一読した正直な感想。
先入観が強すぎたのかもしれません。
なぜ十八世紀なのか。形見函という興味深い素材のあった時代だからでしょう。
ではなぜ形見函なのか。一人の発明家の人生を描くだけならば——袖に引用された書評が本書を『薔薇の名前』と比較していますが——それこそ『薔薇の名前』のように、手記が発見されたという形を取ってもよいのです。
形見函を通して発明家の人生を描き出すということは何を意味するのでしょうか。十個の仕切りの中にある九つの骨董。形見函の持ち主以外には何の意味も持たぬような骨董ですが、それにまつわるエピソードを求めて、語り手は過去を遡ります。
けれど蒐集した話が正しいものなのかどうかはわからない。伝聞や記録自体が誤って伝えられているかもしれないし、集まった不完全な手がかりやエピソードを語り手が誤って組み立ててしまったかもしれない。
この作品を読む前には、これは十個の手がかりをもとに一人の人生を再構築するような話だと思っていました。言ってみればクイズみたいなものですね。「読む」「書く」「黄色」「犬」……答えは「bk1」、といったような。ところがクイズの答えにそれほど意外性がなかった、と。
でも実はそうではなく、本書はむしろ落語の三題噺に近いのではないでしょうか。再構築するのではなく、新たに構築する。九つの骨董と一つの空仕切りというてんでばらばらな十個のお題をもとに、アレン亭カーズワイルが作り上げた物語とは——。
そう考えて読んでみると、展開はなかなかスリリングです。例えば第一章の広口壜——壜が人生の転機となった理由はすぐにわかりますが、話の流れから言ってそのままでは壜が形見函に収められるのは不可能です。はて、これは実際の壜そのものではなく、代わりの壜に過ぎないのか——? そんな疑問もとうに忘れ果てたころに、答えが悪戯っ子のように向こうから顔を覗かせます。護符の話はさわりでお終いなのかな、と思いきや、むむ、そう来たか、という三題噺「鰍沢」の展開を連想するのはあまりにも偏りに満ちた見方でしょうか。
あるいは——邦題どおりにすべてが発明に関する“形見”なのかと思いきや、意外なエピソードの思い出だったりするところに、作者の「してやったり」な顔が目に浮かびます。
三題噺ならぬ十題噺だと思うだけで、それまでは丁寧で丹念だけれど何かが足りない印象だった物語が、飄々とした語り口の夜語りに聞こえるから不思議です。
ケレン味もなく奇想天外でもないけれど、名人による手練れの技をお楽しみ下さい。

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