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あわ はちすけさんのレビュー一覧

投稿者:あわ はちすけ

3 件中 1 件~ 3 件を表示

紙の本レイテ戦記 上巻

2007/08/30 14:13

大岡さん渾身の戦記文学

11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

とにかく大部な本である。細かな戦闘過程や場所が絶えず出てくるのでそのつど地図や軍隊用語の確認が欠かせない。だから3巻までくるとレイテ島だけでなくフィリピン諸島の島々や主要市街の名前と位置関係がほぼ頭の中で確認できるまでになってくるし軍隊の活動単位(軍団から分隊まで)も把握できるようになる。

この戦記は敗色が濃くなりつつある昭和19年(1944年)の4月から日本陸軍第16師団のレイテ島進出の頃から書き始められる。そして大本営のレイテ決戦に対応した10月の米軍のレイテ上陸から非常に具体的な記述に入る。戦闘や作戦描写が細かくしかもジャーナリスティックになる。やがて各部隊は翌20年はじめサンイシドロ半島に追い詰められて消滅してゆくが4月セブ島に脱出し、その後も逃避行を続けていた第35軍鈴木司令官の戦死のあたりでおわっている。

その後の残存部隊の経過とフィリピンの戦後と戦役全体の総括がエピローグにまとめられているが自身もミンドロ島で従軍していた一兵卒の立場からくるのだろうか全巻の行間に死者への鎮魂と畏敬の念があふれている。また現在話題の硫黄島栗林中将の戦闘例や特攻隊、武蔵沈没、等歴史的に知られている事柄も戦史上に位置づけられ興味深い。

エピローグで記されているようにレイテ戦での日本軍は約9万人が投入され生きて帰ったものは約2500人、3%未満の生還率であった。昭和19年10月以降のフィリピン戦役では59万2000人が投入され生還者は127000人、22%の生還率であるからいかにレイテ戦が過酷であったかが解る。「生きて虜囚の…」という妄言のために殆ど壊滅状態で100人のうち2~3人しか帰れなかった。

米軍上陸後リモン峠の詳細な戦闘描写あたりからの記述は3巻まで踏襲されているがこれを裏付ける日米、内外の記録資料、調査、確認作業の量を付録で見、また想像するとその情熱に驚嘆する。まさにライフワーク、いや執念さえ感じられる。

多くの将兵を面子と本土防衛の幻想で死に追いやった日本軍部への批判は厳しいがそれとともにフィリピン国民10万人の犠牲と国土の破壊を自己目的と政治判断のために敢行したマッカーサーへの批判の目も厳しい。沖縄や本土が爆撃されている中でも戦略性の無いフィリピンで残党狩りが行われそのために多くの将兵が亡くなったのも彼の政治的意図であったと。フィリピン諸島、レイテ島の山野に今まだ眠る多くの苔むす屍を偲び戦争のむごさと非情さそして現在の日本や世界とのつながりに思いをはせたい。

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日本に帰化したあるインド解放運動家の伝記

6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。


20世紀初頭は帝国主義国家が覇権を争う時代であった。当然帝国はその本質上植民地や植民地化を競う。西洋列強による中国への侵略、ロシアの中国東北部への進出、フランス、オランダのインドシナ半島の制圧、またロシアへの防衛本能から帝国主義化して獲得した日本の朝鮮半島支配。そしてこの本の主人公の故国、英国領インドの実態などである。

そんな歴史的背景のもと大正から戦前の昭和にかけて一人のインド解放運動家が日本での活動を展開する。その終始一貫した故国の植民地解放に対する情熱と行動力が当時の日本の政治、軍事風土や社会とどう交わったのか?それがこの著書のテーマである。内容的にはラース・ビハリー・ボースの伝記であるが著者は彼を通じて当時における日本の精神的風土の一端を浮かび上がらせる意図を表明している。それは玄洋社や猶存社のいわゆる帝国主義的打算の西洋列強主義ではない精神的なアジア主義者達の実態をである。

主人公R.B.ボースは1886年(明治19年)にカルカッタ近郊に生まれ15歳で反英独立運動に目覚める。26歳のときインド総督爆殺計画を実行してイギリス系官憲に追われる身に。その結果1915年(大正4年)危うく日本へ脱出。来日まもなく孫文や頭山満に会い玄洋社や黒龍会の庇護を受けるようになる。しかし英国外務省の追及は厳しく国外退去命令によって窮地に陥るがここで新宿「中村屋」の相馬夫婦の助けによって一時地下生活へ。その縁で相馬の娘俊子と結婚、日本に永住を決心(大正7)、やがて1922(大正12)年帰化する。後に中村屋の「インドカリー」をつくり当たる。

大正12年頃から言論活動を開始、徐々に知名度と交友範囲を広げインド解放運動への啓蒙とともにオピニオンリーダーとしての地位を築いてゆくが昭和5年の「満州事変」辺りから日本軍部の侵略性をインド独立の手段として利用する言辞が目立つようになる。

昭和16年「大東亜戦争」が勃発すると大東亜共栄圏内のインドという主張から日本軍のインドシナ侵攻作戦に便乗してインドの反英独立戦争を組織する為にバンコックへ。しかし日本の傀儡という烙印を押されチャンドラ・ボースと代表を交代。病に倒れ終戦の年(1945年)日本在住30年にして58歳で亡くなる。

ボースの波乱にとんだ生涯は大英帝国からの故国インドの独立、開放という目的にすべて捧げられた。英国を打倒する為には同じアジアを虐げている日本の軍部や政治家、アジア主義者と手を結ぶことも躊躇しなかった。特に晩年は英国を倒するのならヒトラーやナチスも礼賛した。この宗主国打倒のためには手段を選ばない強引さと思考上の矛盾のためにインド国民会議派のネルーなどからは日本の傀儡と批判される。

著者はそんなボースやそれを取りまく日本の「大東亜共営圏」や「八紘一宇」のプロパガンダを推進する勢力を批判的に捉えながらも全否定する危険とボースが持っていた西欧近代主義に対する精神的なアジア主義の中に共感するものを見出そうとしている。ボースが亡くなって62年、大戦後の中国、韓国、東南アジア諸国、インドなど当時の搾取されていた諸国は一応独立を果たした。しかしボースが望んでいたような西欧近代主義を包摂するような宗教的意味も含めたアジアからの世界観という理想が実現しているだろうか。「アジア的」とは何か?今後とも問われる問題でありその啓蒙の一冊としても面白い。


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紙の本辺境・近境

2007/06/13 16:23

ほっとする7つの旅行記

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 アメリカ、日本、メキシコ、中国国境の読みやすい、しかも面白く著者の優しさがにじみ出ている旅行記である。面白いといってもこれらの旅自体が半端な観光旅行や、何か一般受けするものだけを探して歩く旅の類ではない。まず文章からしてありきたりの熟語で簡単に概念付けたりはしない。丁寧で示唆に富んでより具体的で自分の皮膚感覚での言葉を使う。ムラカミ独自の文体といってしまうとそれまでだが。
 旅の内容も命がけでとは言わないまでもムラカミ的にいえばけっこうむむむむむ!というようなスリリングな旅内容である。市民マラソンをやっているようにアウトドア派のラディカルなようすが文章の合間に浮かんでくる。同じノンフィクションの「アンダーグラウンド」では聞き役に徹した静なるムラカミというイメージがここでは動のムラカミに変身する。少なくとも私にはそうみえるがオーバーな表現かな!
 「イ・ハンプトン」は人間の群れる習性への皮肉なのかもしれない。「無人島」はムラカミエッセイの軽妙なおもしろさ(虫や鳥たちとの交流?)が満喫できる、心が休まる一文。「メキシコ」は最後の「辺境を旅する」と同様、旅というものへのこだわりとインディオや、変らない風土への共感が感じられた。「讃岐うどん」はそのものずばり、うどんと讃岐礼賛の文。この文章が地元ではPRになってたりしている。「ノモンハン」は幼少からムラカミがこだわった事件。この取材から国家という得体の知れない象徴の実態を永く記憶にとどめておきたかったのだろう。
 「アメリカ大陸」はアメリカという国の本質に迫っている紀行文。広漠とした“ハートランド”もよりアメリカなのだと。「神戸まで歩く」は思索的な長歩記。行程は半日だが内容は広く深く、阪神大震災あり阪神タイガースあり、故郷喪失感あり。青春のムラカミが甦ってくる。同時代に同地域でよく似た青春をおくった一人として郷愁を禁じえない。音楽、小説、映画、旅行のエッセンスをちりばめた良質なムラカミワールドが味わえる一冊。

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