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  3. Snake Holeさんのレビュー一覧

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    体が硬い人のための柔軟講座 (NHKテキスト 趣味どきっ!)

    体が硬い人のための柔軟講座 (NHKテキスト 趣味どきっ!)

    中野 ジェームズ修一 (講師),日本放送協会 (編集),NHK出版 (編集)

    5つ星のうち 4.0 レビュー詳細を見る

Snake Holeさんのレビュー一覧

投稿者:Snake Hole

33 件中 1 件~ 15 件を表示

ゴキブリ退治プロの技!

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 ゴキブリ嫌いの皆さん,この本です。「究極の退治マニュアル」であります!!

 著者の青木さんはもともと昆虫・微生物制御の研究者で,現在レスケミカル(極力化学薬品を使わない)な手法での害虫駆除法の確立に取り組んでいるヒト,最盛期には3万匹のゴキブリと暮らしたという彼の退治本の眼目は,従来型の「ゴキブリ見かけて殺虫剤」式の駆除ではほんまの駆除にはならない,もう二度と家でゴキブリに遭遇したくないと思ったら,まずは徹底的な駆除を行い,それからも定期的なメンテナンスをくり返すことだ,という経験に裏打ちされた戦略論にある。

 なかなかに目ウロコだったのは,あのネンチャク式の捕獲器を「プロは台所の床一面に敷きつめる」というくだり。よく説明には「ゴキブリが徘徊する部屋の隅などに置く」と書いてあるが,青木さんが実際に観測したところ,夜中に人のいない台所で隅を歩くなんて行儀のいいゴキブリはいないのである。そしてなおさらのビックリは,この「台所一面捕獲器敷き詰め作戦」が,しかしプロにとっては「ゴキがどのくらいいるもんかを把握するためのリサーチ作業でしかない」ということ。うーん,深い。

 とにかくこの本は,いまいるゴキブリを駆除するだけではなく,連中が家に侵入する経路を断ち,定住条件を悪化させ,ゴキブリ・ゼロの家屋を保つにはどうすればいいかを懇切丁寧に教えてくれる。あ,それから残念ながら,「超音波」でゴキブリを寄せつけない,というタグイの商品は効かないそうだ。さぁ,ウチも秋には大掃除かな。

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猿飛佐助

2002/05/20 09:12

日本史をひっくり返す面白さ

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 この「柴錬立川文庫」,前説によれば,柴錬さんは「徳川末期に奇人として知られた五味錬也斎なる兵法者がひそかに書き残せし『兵法伝奇』なる奇想の書」を偶然入手した。大正のころ,大阪で講釈師が当てた「立川文庫」のネタ本であろうけれども,その講釈の方は「天賦乏しき者の書写なれば,今日すでに読むに堪えず」,五味錬也斎の「豊かなる仙才」を正しく世に伝えるものとは言えぬので,「天賦なきはかの講釈師と五十歩百歩」ではあるものの (と謙遜している) ,この柴田錬翁が現代文に作り直し,「現代知識階級をして手にとらしむる」ものである。……いやこの前説は名文だよ。全部書き写したいくらいである。
 とにかくまさに荒唐無稽,猿飛佐助は天目山に自害して果てた武田勝頼の忘れ形見,背中に瘤のある異形の若者で戸沢白雲斎に育てられた。この師が宿敵地獄百鬼によって死んだ後,遺言にしたがって真田幸村に仕えることになる。霧隠才蔵はシャムに渡った山田長政の紹介でその佐助と腕比べをしようと渡航してきた紅毛の異人。三好清海入道は大盗石川五衛門の一子で太閤の隠匿した軍資金を狙い,塚原卜伝の息子彦四郎は淀君と通じて秀頼を産ませ,その秀頼の妻となる千姫は,柳生石舟斎の次男新三郎によって子供の時に摺り替えられた彼の娘であり,この新三郎自身が腐刑に処された石舟斎がその師上泉伊勢守に頼み込んで自身の妻に産ませてもらった偽りの子であったという……。この段落だけでいくつ日本史がひっくり返ったか分りますか?

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米英は「裏切らないサダム」が欲しいのだ

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 もともと日本での出版が予定されていた論文集に,昨年9月11日,アメリカ同時多発テロを受けての一稿を加えて出版された,真の「ならず者国家」,アメリカ合衆国に対する告発本である。
 この本を読むと,いかにアメリカが自らの国際社会における蛮行を隠ぺいし,糊塗し,免責して来たかがわかる。例えばスターリンの死後,フルシチョフはアメリカに核兵器の削減を持ちかけ,断られて自国のみの一方的な削減を行った。そのあいだもケネディ政権はフルシチョフを「核兵器でアメリカを狙う悪の帝王」として喧伝し,自国の核増強のダシに使った。
 まだある。サダム・フセインがクウェートに侵攻する前国内のクルド人に対して行った生物兵器を使っての虐殺は,米英の黙認どころか援助を得て行われた,つまり自分達のカネヅルであるクウエートを我がモノにしても許されるとサダムが勘違いするまでは,彼はアメリカの「可愛いペットのドーベルマン」だったのだ。
 インドネシアのスハルト,フィリピンのマルコス,コロンビア,ニカラグア,コスタリカ……,アメリカのやっていることは全てこのパタンである。チョムスキーはいみじくも言う。アメリカにとって「アメリカに逆らわない残虐な独裁者の政権」が最も望ましいのだ,と。そんなことはない,ブッシュは「自由と民主主義を守る」と言ってるって? サダムがクウエートから撤退したあと,イラク国内の野党勢力はサダム・フセイン政権を打倒するための活動に米英の協力を求めて無視されている。米英は「裏切らないサダム」が欲しいのであって「民主的な政権」の樹立なんかに興味はなかったのだ。
 インド洋に自衛隊を派遣した功績がアメリカに認めてもらえたこれでニッポンの面目も立った,とか喜んでいるヒトビトにこそこの本を読んでもらいたい,と思うのだが,そういうヒトはこれを読んでなおさら,ニッポンは一刻も速く「ならず者国家」の仲間入りをしなくちゃならねぇ! とか言うかも知れない,それが恐い昨今である。

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こんな寃罪事件は推理小説にだって出て来ない

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 1997年に渋谷で起きた,「東電OL殺人事件」の容疑者として勾留され,一審で無罪判決が出たにも関わらず不可解な司法手続きによって勾留が延長され,新たな事実の発見もないまま「証拠の解釈の変更」によって二審で有罪を宣告されたネパール人,ゴビンダ・プラサド・マイナリ氏の寃罪を訴えるブックレットである。
 新聞報道だけ読んでいても,この事件での検察および高等裁判所の態度には疑問が感じられたが,細かな論点をこうした本で検証してみると「こんなにはっきりした寃罪事件は推理小説にだって出て来ない」と思う。あなた,むちゃくちゃでゴサリマスルがな。

 かつて松本サリン事件がオウムの仕業だったと分かった時,ずっとコーノさん犯人説に固執していたある捜査員が新聞記者に「なに? オウムが犯人だど? ならばコーノはオウムなんだ」と言い放った,というのを読んだことがあるが,あれに近い。どっかの時点で誰かが「ともかくこのゴビンダつうのが犯人なんだ」と決めてしまったとしか思えない。こんな阿呆なことやってりゃ世界中からバカにされるぜ,ほんまによぉ。とにかくみんな,読んでみてくれ。
 

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血沸き肉踊る知的冒険!!

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 ううう,すっげぇ面白かった。血沸き肉踊る知的冒険,このテの本で読み終わるのが惜しいような感覚ってのはなかなか味わえないもんなんである。評価の星を6個にしたいくらいである,マジで。
 「フェルマーの最終定理」ってのは「自然数 A,B,Cについて,A のn乗 + B のn乗 = C のn乗 を満たす3以上の整数 nはない」ってもの。誰でも知ってるように,n = 2の場合,この式が成り立つのが「ピタゴラスの定理」である。17世紀,フランスの数学者フェルマーは,ギリシャ時代の数学者ディオファントスの著書「算術」の余白に上の「定理」を記し,続けて「私はこの命題の真に驚くべき証明を持っているが,余白が狭すぎるのでここに記すことはできない」と書いた。そして,その証明の中身を明らかにしないまま死んぢゃったんですな。なんともはや……。
 爾来3世紀にわたってこの問題は世界中の数学者の頭を悩ませて来たわけである。もちろんフェルマーが「証明を持っている」と言ったのはウソで,とんでもないクワセ者だ,という説もあったが,ではこの命題が間違っていることを証明できるか,というと,それも出来た者はいなかった……。オイラー,ガウス,ヒルベルト,ゲーデル……,誰でも名前を知っている数学者達がこの謎に絡んで登場しては消えて行った。
 その「最終定理」が (正確に言うと証明されるまでは「最終予想」) 1995年,プリンストン大学のアンドリュー・ワイルズ教授によって証明されたのだ。この本はこの「世紀を超えた謎」の解明を,それに挑戦した数学者達のドラマを絡めて解説する。BBCで放送されたドキュメンタリーを元にしているということだが,実に圧巻。しかも解りやすく楽しいのである。すべての,まだ間に合う子供達にこういう面白い数学の本を与えるべきだと思う。円周率なんて3でいいやん,とか言ってちゃあかんてば。

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紙の本いつか海の底に

2001/12/04 08:26

骨太にして繊細なる樫の丸太のような小説

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 相変わらず骨太にして繊細なる樫の丸太のような小説。このヒトの小説を読むのはかなりヘビィなシゴトであり,たまさかの肉体労働で筋肉痛が残るように,読後頭に残るその疲労感が心地よいのだ。本作は「刑務所のある漁師町」(おそらく,網走がモデルだわな。名前も「雨走町」だし) に住む17歳の少年を主人公にした…やっぱり教養小説と呼ぶのかなぁ,こういうのも? である。
 あらすじはこうだ。雨走町の,海に面した高台にある三階建ての家に母親と住む主人公の「星児」は,17歳の定時制高校生である。兄は銀行強盗をやって捕まり,実家とは湾を挟んで向いの岬に聳える刑務所に収監されている。この兄の事件で家庭は半ば崩壊,公務員だった父親は女を作って出て行ったまま帰って来ない,母親は寝穢く食っちゃ寝するだけで人生を投げてしまっている。
 そんなある日,兄の,逮捕を免れた仲間であるらしい「小林」という謎の男が,一人の東南アジア系の少女を連れて現れる。なにがしかの金を置き,この少女をしばらく預かってくれということらしい。言葉の通じないこの少女に星児は心を奪われ…。
 そう言えば,「見よ 月が後を追う」もそうだし,「争いの樹の下で」もそうだったと思うのだが,丸山健二の小説の主人公はいつの間にか若返ったよね。以前は作者と同じくらいの年格好の人物が主人公であることが多かった。十代の青少年が出てきたのは,「野に降る星」,いや「惑星の泉」あたりからかしら…。
 高校生の頃から20数年ずっとこの作家を読んできて,題材はともかくテーマはずっと変わっていないと思うのだが,うーん,遂に丸山健二も等身大の人物を使ってはそのテーマを描けなくなったのだろうか,と。

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過ぎ去りし日々の光 上

2001/11/24 16:01

新旧の天才が「時間眺望機」を使って描く未来と過去

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 「2001年宇宙の旅」のアーサー・C・クラークと「タイム・シップ」のスティーブン・バクスターの共著。コンセプトとしての「時間眺望機」は,あとがきで著者 (訳書を読む限り署名がないが,おそらくサー・クラークであると思われる) も言及している通り,SFとして由緒はあるがあまり出て来ないアイテムでもある。簡単に言えば過去の任意の時間,場所の光景を「見る」ことができる機械だが,実際にそこに行くことのできる「時間旅行機 (タイムマシン)」の方が話のタネとして魅力的なことは確かだ。
 この作品でハードSFの新旧の天才2名は,この時間眺望機に理論物理学の (たぶん怪しい部分もあるんだろうがワタシの知識ではそれが判らぬ) 裏付けを与え,同時にその理論の正しさ,確からしさの故に従来型 (というべきかどうか) のタイムマシンを否定してみせる。
 すなわち時空を超越した場所の光景を見る (この場合の「光景」は文字どおり光である) には,その時空との間にワームホールを生成して安定させ,その僅かな隙間から波動 (高校で物理を習ったヒトなら知っている通り光というのはツマるところ「波」なのだ) を感知しなければならないわけだが,逆にこうしたワームホールはようやく波動が通り抜けられる程度のものでしかない,そこを通ってニンゲンが行き来するなんてできない,というわけだ (がっかりするこたぁない,おかげでSFはタイム・パラドックスの悪夢から解放されるのだから) 。
 こういう風に既存の科学の基礎の上に,いくつかの専門的なウソを重ねて壮大なモットモらしさを構築するSFが私は大好きなんだが,この小説には一個だけ納得いかないトコロがある。下巻222ページで,主人公ボビーとその兄のダビッドは自分達のDNAパタンを追跡して過去へ遡って行き,ネアンデルタール人の女性を見る。
 が,私の記憶では数年前のDNA研究の成果として,我々とネアンデルタールの間には直接的な血縁関係はないことが判明していたはずだ。つまり,ネアンデルタールは我々と共通の祖先から枝別れして進化,絶滅したいわば叔母のようなモノであり,我々は彼等の子孫ではない,という話だった。この本の原本が出版されたのは昨年のことなので,当然著者達はそのことを知っていたと思うのだが,…ディスカバリー・チャンネルでやってたんだがねぇ。

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たまにはこういう本を読んで賢くなった気分を味わおう

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 ニッポンには「文系/理系」という「性別」とか「人種」,「宗教」や「偏差値」に負けず劣らず強固に根付いた人類分類の方法がある。いやもしかしたらニッポンだけではないのかも知れないが,少なくとも私の見聞した範囲の諸外国では,ヒトが自分や他人をそういう風に分類するのをついぞ聞かない。数学には興味がない,とか文学が趣味ですとかいうのはあっても,例えば小説を読まないことや計算が苦手なことに「ボクは理系だから」「あたしは文系なのよ」みたいなエクスキューズが存在するのはニッポンだけではなかろうか。便利だろうけどね,実際にはバカであることの婉曲な表現だろうが。
 ともかく,私の意見では,この「文系/理系」というのは「まだ年端もいかぬ16,7の子供が深い考えもないままどっちを選べば楽に大学に入れそうかな,と考えて決めただけの帰属意識」である。そんなもの振り捨てて,例えばこの本を読んで欲しい。
 もちろんこの本には……えっと,ここに書き写すのはフォントとかの問題で大変なのでやらないけど「数式」というのが沢山出てくる。が,著者はまえがきで「それは飛ばして読んでもかまわない」と書いているし,かく言う私も第10章のハイゼルベルグの原理あたりになると式を見てもチンプンカンプンなんだが,説明の方はよく分かる。最初の方の,円とコロ,車輪の話など,小学校で円周率を教える時にこう教えてくれていれば,と思うような名講義だ。なかでも第7章,プトレマイオスの周転円がその合理性を問われ,コペルニクス,ケプラー,ガレリイらによって正されて行くその過程では,目から落ちるウロコの音を確かに聞いた。そりゃ妙なる調べでっせ。
 「わたしは文系,そういうことは分からない」と食わず嫌いをしないで,たまにはこういう本を読んで賢くなった気分を味わおう。昔と違って,ほんとに分かったかどうか,テストされることはないのだし(笑)。

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紙の本神と悪魔の薬サリドマイド

2002/07/12 13:00

サリドマイドの薬効と催奇性の秘密が明らかに

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 まずはサリドマイドという薬の誕生と流行がその時代背景と共に語られる。ところは1950年代のドイツ,製薬会社グリュネンタールの社員だったウィリヘルム・クンツらは,抗生物質を製造するためにペプチドを作る実験中に偶然,α-フタルイミドグルタルイミドという分子を作り出す。そして動物実験でまったく鎮静効果など認められなかったにも関わらず,彼等はこれを「サリドマイド」と名付け「鎮静剤」として売り出した。
 「1956年のクリスマスに,耳のない女の子が生まれた」。この文章で始まる第2章から第7章まで,この薬害が燎原の火のごとくに広がり,被害者が虐げられ,権利を侵害されるありさま,製薬会社の利益至上主義,行政当局のコトナカレ主義,司法当局の非情などは,思わずページをめくる指先に力が入るほどである。中でも結果的に「英国法を裁く」ことになるイギリスでのエピソードは圧巻だ。また,この本では日本でのサリドマイド禍については語られていないが,その後に起きた薬害エイズなどの経緯を見れば推して知るべしということだろう。
 第8章,そのサイリドマイドが,ハンセン病 (いわゆる「らい」である) の合併症である「らい性結節性紅斑」に特効があることが発見され,薬禍事件のイメージから誰もが目を背けていたこの物質の研究が再び始まった。そして1990年代になってはじめて,サリドマイドの薬効と催奇性の秘密が明らかになる。この辺の展開にはある種の知的興奮を感じるほどだ。
 そしてクライマックス,1997年秋にアメリカはメリーランド州ベセスダで開かれた「オープン・パブリック・科学ワークショップ」で,サリドマイドの薬剤としての復活が話し合われる。ここに招かれた38歳のサリドマイダー (サリドマイドによって四肢などに奇形を負った人達の自称) ,ランディ・ワーレンのスピーチは感動的だ。引用はしない,このスピーチの部分を読むだけでも,この本の値段は高くない,と思うから。

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紙の本話の後始末

2002/06/30 09:04

書評のようなもの

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 まず志の輔師匠の落語があって,そのあとでその落語についてだったりそうぢゃなかったりする四方山話を天野さんとする,というライブ数本を収録した変わり種の対談集 (つうコトになるんだろうな,これも) 。
 落語は「だくだく」,「粗忽長屋」,「バールのようなもの」,「文七元結」,「井戸の茶碗」の5本。「バールのようなもの」だけが新作であとは古典,なのでまぁ「バールのようなもの」以外はオレも実際に寄席やテレビやラジオで聞いたり興津要先生の本とかで読んで知ってる話なんである。が,なにを隠そう志の輔師匠の落語は聞いたことがないので,なかなかにこういう口述本は興味深い。ああ寄席に行きたくなるなぁ。
 それはさておき,「だくだく」(知らないヒトのために解説するとこれは,貧乏なので壁に家財道具の絵を描いてモノがあるつもりになって暮らしているオトコのところに洒落の分かる泥棒が入ってたがいに「つもり合戦」をやるという話である) のあとの対談。天野さんの「東京の水不足の時にコメンテータとしてテレビに出て,『東京の人間はみんなわがままで,水なんてあって当たり前だと思ってる。だから懲らしめるためにしばらく雨は降らなくていい』と発言したら抗議の電話がいっぱい来た」という話には背筋が寒くなった。
 天野さんによれば「病院はどーするんだ!」とか,そういう怒りの電話が来たんだそうで,そーゆー話をしてるんではないっちゅうのね。いちいち病院のことまで考えて冗談言えないでしょ,で,冗談言って悪ければ違った視点は提示できないぢゃないの? テレビにしたって「一刻も早く雨が降るといいですねぇ」みたいな思考停止のコメントを言わせるために天野さんにギャラ払ってんぢゃないだろうに(もしかしたらそうなのか?)。

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紙の本橋本治が大辞林を使う

2002/04/13 11:04

電子辞書を広辞苑から大辞林に変えました(笑)

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 題名通り,というかなんというか,つまりは橋本治が「なぜ自分は大辞林という辞書を使うのか」を通して,言葉というものや日本語というもの,そしてその教育やあれこれについて思うところを述べている,という本である。橋本さんがおっしゃるには大辞林というのは「江戸語から立ち上がる辞書」なんだそうで,だから彼はこれを使う,他のに変える気はない,とのことなんである。
 まぁこのヒトの他の本 (小説を除く,というかこのヒトの小説は読んだことないのである,オレ) と同様に,モノローグとダイアローグの違いとか,「敬語」というのは上下関係ではなくて人と人との距離に由来するものだとか,いろいろと面白い,それについて書きはじめるととまらなくなりそうな話がわんさか詰まっているんだが,私がほんまに我が意を得たりと膝を打ったのは「うなずく」ちうのはヘンぢゃないか,というトコロである。
 橋本さんによればこれは,文部科学省が「"づ"はやめて"ず"にしろ」というオフレを出しているそうなのだ。それで岩波の広辞苑も三省堂の (この本の主題の) 大辞林も,いまチェックしてみたウチの,小学校から使っている旺文社の国語辞典もみんな「うなずく」という見出し語で出ているのである。オレはこーゆー首尾一貫してない表記にはなんつうか背中ジンマシン的イラダタシサを感じる質なのだ。ぢゃなんで「つづく」は「つずく」にしないのかね,え?
 と言っても,ここの部分はこの本の主題ではないトコなんだけど (そうだよね,上に書いたとおり広辞苑も大辞林も旺文社国語辞典も同じ,なトコなんだから) ,ともかくこれ一冊読み終わって,私はウチのマシンに常時入れてある電子辞書を広辞苑から大辞林に変えました (笑) 。

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日本語ではそういうのを調教というのだ。

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 数年前の「インターネットはからっぽの洞窟」に続くハイテク万能論批判。著者が語るアメリカの現状を読むと,ソレヲメザシテイルト思しき我が国の将来にムラムラと黒雲の沸き上がるを見るような気がして背筋が寒くなるようだ。
 この本で彼は「コンピュータを子供に与えることが教育効果を産む」という主張に対していくつかの根源的な問いを発している。全部をここに挙げるわけにはいかないが,「コンピュータによる教育はインタラクティブだというけど,コンピュータよりインタラクティブでない教師はおそらくいない」というのはなかなか正鵠を突いているでしょう? コンピュータを使った教育なんていいもんぢゃない。クルマはオートメーションで作ってもいいが,ちゃんとしたニンゲンはそのやり方ぢゃ出来上がらないだろ。
 そもコンピュータを使った教育ソフトといわれるものは基本的に全て「動物に芸を仕込むメソッド」と同じものを採用している。正解を出すと (多くの場合「選ぶと」なんだが) 御褒美がもらえる。それは賞賛の「声」であったり,「おめでとうのアニメーション」や「ミニ・ゲームをする数分間」だったりするが,ライオンが火の輪くぐりをして貰う生肉と同じものだ。英語は知らず日本語ではこういうのを教育とは言わない,調教というのだ。まぁ歴史をヒモトクとこの2つをあんまり区別したがらない「教育者」は多いんだがね。
 この本は大きく2章に分かれていて,前半が上のような教育とコンピュータの問題,後半は「IT時代に僕らが喪うもの」と題してもっと広い視野から我々の生活が「IT」でどう悪く変わりつつあるか,という議論になっている。いわば「〜からっぽの洞窟」の続編みたいなもんなんだが,中でも「ソフトウエア地獄にはまる」なんてトコロは全てのプログラマー必読ですな。よく言われることだが,プログラマーには論理的にモノゴトを考える態度が大切だ。そのプログラマーが,いくら自分のメシの種だからってコンピュータだの先端技術だのを論理もクソもなく盲信したり過大評価したらあかんと思うのだがな,そういうヒトが結構多いんだよね。

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紙の本虹よ、冒瀆の虹よ 上

2001/12/04 08:42

生きるに善も悪もない

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 いつもながらこのヒトの小説は「読んだ」というより「読まされた」みたいな読後感を残す。左右の頬を交互にひっぱたかれまくったなぁ,というところか,でもそれが不快ぢゃない。
 物語はこんな感じだ。主人公「真昼の銀次」は,暗黒街を二分するヤクザ組織の双方のオヤダマを殺し,足を洗ったかつての弟分を頼って海辺の街へ逃げて来る。
 その弟分のマコトは,ろうあ者の女房と5歳の娘花子を抱えて漁師をやっているが,実際には堅気の生活に行き詰まっている。マコトは銀次を廃屋となった電波塔のてっぺんにかくまい,潜伏中に刺青を入れることを強く勧める。この土地には「彫り龍」と異名を取った名人が引退して住んでいるのだ。この名人によって背中の刺青 (題材はなんと「虹」である…これが題名の由来でもある) に色が入るたび,銀次の「悪漢」としてのアイデンティティが崩壊して行く…。
 ストーリー上決定的な意味を持つ音楽にマタイの受難曲を使っているせいか,銀次=キリスト,マコト=ユダという図式の,師弟の愛憎の物語,という印象が強い。「悪為すモノ」としての銀次の自己分析的思弁が,死に神や仮面,塔やクロツグミ,亀といった生物や無生物,幻影などに投影され,生きるに善も悪もあるものか,神などいない,いや神がいるとすればそれはお前自身ではないのか,と問い続けるヘビーな描写は,しかし美しい。この種の,このヒトしか書けないであろう文章が,どうにもクセになるんだよね,読みつけると。

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紙の本漫才作者秋田実

2001/11/24 15:53

知らん間に漫才作者になってしまった笑いの天才

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 昭和初期,上方漫才が現在の形になる揺籃期の傑作に,エンタツ・アチャコの「早慶戦」というのがあった。とゆーとまるでオレがえらい詳しいみたいだが,名前を知ってただけ。…海の向こうの似たような話芸,アボット・コステロの傑作がやはり野球ネタの「Who's on first? (誰が一塁?)」(実をいうとこれはちゃんと収録されているCDを持っている)なのと妙な符合であるなぁ,と思っていたんだけどね。この本は,その「早慶戦」を初めとする数多のしゃべくり漫才を書いた「漫才の育ての親」,秋田實の評伝である。
 文字で漫才を読むと言うのは同じ話芸である落語を文字で読むのと同様,いやそれ以上にまどろっこしい行為なんだが,一応その「早慶戦」も全文収録されている。なるほどこういう話だったんか,と思いましたね,それだけでも捨てられない資料的価値があるぞ,この本は。
 いやそれにしても,昭和初期,旧制大阪高等学校を出て東京帝国大学に進学,そこで社会主義の活動家になった秋田實が,大阪朝日新聞記者の白石凡の紹介で横山エンタツに逢い,当人の言葉を借りれば「知らん間に漫才作者に」なってしまうまでの経緯は大変興味深かった。
 なんてのか,ジャンルを問わず新しいモノが産まれるその時に立ち合っているその興奮が富岡多恵子(もともとは詩人なんだよな,このおばはんは)の筆致で鮮やかに浮かび上がる。面白い本でありました。…とこれだけぢゃあんまりなので,「早慶戦」からちょっと引用しよか。
 アチャコ:あの時に山下が盗塁したやろ?
 エンタツ:盗塁をねぇ。
 アチャコ:はぁ,滑り込んだがな。
 エンタツ:レフトへ!
 アチャコ:なんでレフトに滑りこむのやな?
 エンタツ:いや,そこんとこ君,いうけどね。そこらが野球の作戦でっせ。
……どっかにCDないかなぁ?

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紙の本陋巷に在り 12 聖の巻

2001/11/22 10:09

こりゃ完結するまで死ねないぞ

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 おお,待ちかねたぞ12巻,ようやく話が急展開。孔子の三都毀壊の策はようやくその最終段階である「成城破壊」にたどりつく。しかしこの城は孔子の意図を疑う孟孫家の忠臣,公斂處父によって堅く守られ,のみならず孔子に敵対する少生卯の部下悪悦の企みにより成兵2,000が孔子の生地,尼丘を襲う。太長老が逝き子蓉が逝き,顔儒はわずかを残して崩壊する。
 故郷の瓦解に苦悩する孔子,顔回,生き残った悪悦とかつて太長老の放った犬に襲われた傷の癒えた少生卯が次に巡らす陰謀は何か。また少生卯,悪悦をしのぐ力で周囲を恐れさせていた子蓉の美しい死に様になにかを感じたらしい彡一の今後は? と,また来年の今頃が気の遠くなるほど待ち遠しいのであった。
 いやしかし長いよねぇ。確か話の最初は孔子が魯の大司冠になったあたりだったと思う。つまり単行本12巻を費やしてまだ3年経過していないのである (孔子がこの職にあったのは紀元前500〜497のたった3年間) 。酒見さん,この物語をどこまで書くつもりなのだろうか。孔子の大司冠時代のみを描いて終わりであるならそれでも半分は過ぎたろうが,もし「春秋」の終わりまで書くとかいうと,ハナシはまだ序の口の唇にくっついた海苔のかけらほどしか進んでないことになる。月刊誌 (小説新潮) 連載で,だいたい単行本が年に一冊のペースだから……,うーん,酒見さん長生きしてくれなくちゃ (って,こうなると読んでるこっちもご同様である) 。

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