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先月(2017年2月)

GAWAさんのレビュー一覧

投稿者:GAWA

30 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本国家の品格

2005/12/11 21:08

断乎支持します

12人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「国粋主義者の独善的な日本礼賛」と評するひともあるかも知れぬ。しかし、私は「日本の伝統たる武士道精神を復活させよ。日本は『普通の国』などではなくむしろ『異常な国』であれ、それが世界を救うことにもなる」という本書の主張を支持する。
結局のところ日本人はどうあがいても日本人でしかないのだから、日本人であることに徹するほかないと私も思う。
日本の社会は「常識」によって成り立ってきたが、明治維新から百数十年、敗戦によるアメリカの占領から60年を経て「常識」は次第に侵食され崩壊し、ついには「なぜ人を殺してはいけないの」という問いが発せられるまでになった。
このような状況下で、「武士道精神」を復活させ、「常識」を取り戻すのは並大抵のことではないだろう。しかし、その方向へ一歩でも半歩でも進まない限り、社会はやがてはホッブズが「リヴァイアサン」で描いたという「万人の万人に対する闘争」状態になるであろう。
本書がより多くの人に読まれ、「常識」を取り戻すきっかけになることを希望してやまない。

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紙の本洪思翊中将の処刑 上

2008/06/07 23:22

ただの評伝ではない

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

山本七平氏の著作の双璧と言うべき「現人神の創作者たち」と「洪思翊中将の処刑」が立て続けにちくま文庫から出版された。

双方とも原著はもとよりライブラリー版も「購入できません」状態にあったので、気軽に手にすることが出来る文庫として世に出されたことはファンとして喜ばしい限りである。うれしさのあまりライブラリー版を持っているのに、この文庫版も購入してしまった。以下は購入したのを機に本書を読み返しての感想である。



15年ほど前の学生時代に一度、ライブラリー版が刊行された十年ほど前にもう一度、そして今回と、本書を読むのは3回目になる。

今回読み直す前までは、いかなる困難な状況にあっても決して平常心を失わず、他者への思いやりも忘れず、自らの決断とその結果への責任に常に正面から向き合い続けた洪中将の高潔な人柄が強烈に印象に残っており、本書を評伝のようなものとして理解していたが、読み直してみると、評伝という枠には収まりきらないさまざまな要素を含んでいるということに遅ればせながら気がついた。

韓国出身でありながら大日本帝国陸軍中将という地位に就き、敗戦後戦犯として処刑されるという洪中将の生涯を主軸としつつ、日本人と韓国人(歴史感覚の違い)・日韓の近現代史(華夷秩序と列強の世界分割)・戦犯裁判の問題点(敗戦国の合法を裁くということ)・捕虜「虐待」の実態(現場の実情と戦後神話「日本人残虐民族説」)・ 「無責任体制」とは何か(制度の形式と運用の実情)といったそれぞれ個別に論じるだけでも相当の重みのある複雑に入り組んだ諸テーマが渾然一体となって縦横に論じられている。

殊に日本軍という巨大組織の実情についての記述は、「一下級将校」としてフィリピンのジャングルを右往左往させられた山本氏ならではの切り口であり、それは日本の会社組織の今日的課題でもあると感じた。

小松真一氏の「虜人日記」を解説して日本の組織が抱える問題点を明らかにしたのが「日本はなぜ敗れるのか」であるとすれば、洪中将の裁判記録を解説して上記の諸テーマに取り組んだのが本書であるともいえる。「~敗れるか」を読んだ人は是非本書も読んでみてほしいと思う。


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紙の本北条政子

2007/02/04 23:28

「尼将軍」の実像

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

歴史上のある事件について周辺の事情を理解するために、その時代について書かれた歴史小説を読むというのも、有効な手段の一つであると思う。
そう考えて承久の変の主要人物である北条政子の小説である本書を読んだのだが、本書の物語は実朝暗殺の直後で唐突に終わっていて、いささか拍子抜けしてしまった。
(後になって永井氏は本書以前に既に「炎環」で承久の変のことを書いてしまっていたということを知り、司馬遼太郎氏が徳川家康の生涯を描いた「覇王の家」に関が原や大阪の陣のことを書いていないのと同じことかと納得した。)
とはいえ、本書がつまらなかったかというと決してそんなことは無い。
小学生の頃に読んだ日本の歴史の学習漫画の影響で、鎌倉初期の北条家というのは陰謀一家で政子はその主要メンバーというイメージを持っていたのだが、本書で描かれている政子はそれとはまったく異なっている。確かに彼女を取り巻く人々は夫である頼朝、父である時政、弟である義時など筋金入りの陰謀家たちばかりであるが、本人はいささか愛憎の情が強いだけのいたって平凡な田舎豪族の娘として描かれている。
そういういわば政治の素人である政子が、鎌倉幕府というまったく新しい時代を切り開くことになる政府のトップである頼朝の妻として、後には2代・3代の将軍の母として、権力闘争の荒波に翻弄される様がつづられている。
文庫本で500ページを超える長編であるが、非常に読みやすかった。
蛇足ながら、後には陰謀家として辣腕を振るう政子の弟・義時が旗揚げの頃はぶっきらぼうであまり気の利かないマイペース人間に描かれているところも面白かった。

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紙の本少女ファイト 1

2006/08/14 23:34

「イブニング」で一番気になる作品

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

講談社のコミック誌「イブニング」には、「もやしもん」や「さくらん」や「極悪がんぼ」といった個性的で魅力あふれる作品群が連載されている。立ち読みで済ますことができないので「イブニング」だけは買っている。
そんな「イブニング」連載作品の中で今一番続きが楽しみなのはこの「少女ファイト」である。
主人公は中学三年(女子)で、「イブニング」の読者層とはずいぶん世代が違うのだが、連載の第一回ですっかりひきこまれてしまった。
小6のときにバレーボールの全国大会で準優勝したチームのキャプテンという実力の持ち主でありながら、いまではスポーツ採用の私立中学で球拾いや洗濯などの雑用にこき使われるバレー部万年補欠の3年生というのが主人公の大石練。
この主人公、過去にいろいろとトラウマというか因縁というかなにかひどく重たいものを背負い込んでいるらしいということがほのかに示されたのが第一回。
それ以降、徐々に明らかになっていく練の過去と、次第に練が苦境に陥っていく展開に目が離せなくなっていった。
練が個性豊かな周りの登場人物とどう絡んでいくのか、そしてどう這い上がっていくのか、続きが気になる作品である。

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宮崎監督が書き下ろしたナウシカのイラストを一冊に収めたお買い得本です

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

自分が小学6年の頃、映画「風の谷のナウシカ」公開がきっかけで、原作(当時は第2巻までしか出ていなかった)を読み始め、続いて「アニメージュ」で連載が再開されると、第3巻が出る前でストーリーの途中が抜けてしまうにもかかわらず連載を読むようになった。以後、宮崎監督が映画制作に入るたびに休載となるのを耐え忍びながら、連載を読み、コミックを買い、完結を見届けたときには大学生だった。
このように10代から20代の初めにかけてナウシカにはまってしまった自分にとっては、このような本が出版されていることはまことに喜ばしい限りである。
というのもコミックは書店でカバーをかけてくれるサイズでもないので表紙は何度も読んでいるうちに汚れてくるし、「アニメージュ」の付録のポスターも部屋に貼っているうちに色あせてくるしで、せっかくの書き下ろしがもったいないとかねてから思っていたからである。
この本にはコミック全7巻の表紙をはじめ、カレンダーやアニメージュの表紙や付録のポスター等々のために書き下ろされた数々のナウシカの水彩画が可能な限り収集されており、それぞれ宮崎監督のコメント(ナウシカというキャラクターに対する深い思い入れが伝わってくる)がつけられている。
そのほか、宮崎監督のインタビューや映画のイメージボード、それからナウシカを生み出す過程で没になった作品のスケッチなどが収められている。
ナウシカファンにとっては大変お買い得な一冊です。

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学校では決して教わらないであろう歴史

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

15年以上前の高校生の時分に「日本の知恵ヨーロッパの知恵」を読んでいたので、ことさら目新しく感じるところは無かった。(私にとっては「〜知恵」のインパクトがあまりに大きかったという意味で、本書がつまらないということではない。念のため。)「〜知恵」の方ではあっさり触れられていた鎖国以降の日本国内の動きと、ペリー以降の開国・維新・条約改正について、松原氏らしい筆致で詳しく述べられている。「〜知恵」と本書を通読すれば日欧が初めて出会った戦国時代から鎖国を経て強制的に開国されて現在に至るまでの、日本とヨーロッパの外交関係の実像がわかるであろう。
松原氏が異国の地に於いて孤軍奮闘する中で本書(及び「〜知恵」)を通じて描き出した歴史の実像は、おそらく学校で教わる歴史のイメージとは大きく異なるであろう。
しかし本来ならば、それは日本人であるならば当然知っているべきこと、常識として共有されているべきことであると私は思う。
そうした自国の歴史についての認識が無いから、少々経済が落ち込んだぐらいで極端に自信をなくしたり、アメリカ崇拝に陥ったりするのではないかと私には感じられる。
ともかく、本書がより多くの方に読まれることを願う。
また、本書を読んだ方は入手困難ではあろうが是非とも「日本の知恵ヨーロッパの知恵」も読んでいただきたい。
日本人であることの自信を取り戻すために。

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紙の本王朝序曲 下

2007/03/03 23:40

「象徴天皇制」-「平安」時代の真のはじまり

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書を読み終わって、強く印象に残ったことは、永井路子氏は、決して目立った行動はしていないが着実に(しかも実質的には劇的に)時代を変革した人物に深い関心を持っているのではないかということである。
日本史上の「ナンバー2」たちについてざっくばらんに語った「はじめは駄馬のごとく」でも、鎌倉幕府の真の立役者として北条義時を、家康亡き後江戸幕府の基礎固めを完成させた人物として二代将軍・徳川秀忠を高く評価している。
そして本書の主人公、藤原冬嗣もそんな人物として描かれている。すなわち平安時代は「源氏物語」「枕草子」「古今和歌集」など貴族文化が花開いた概ね平穏な時代であるが、その時代へと大きく舵を切ったのが、ほかならぬ冬嗣であるというわけである。
「北条政子」「炎環」では周囲の視点で北条義時像が描き出されてるが、本書では冬嗣自身の視点で話は進んでいく。
読み進むうちいつしか冬嗣に感情移入してしまい、人生の勝負どころで決断を下す際の内心の動きに手に汗握り、兄の真夏や父の内麻呂との言葉自体は何気ないが深い意味がこめられた会話に思わずニヤリとさせられてしまう。
ますます永井路子氏のほかの作品が読みたくなってしまった。

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紙の本王朝序曲 上

2007/03/03 22:27

「空海の風景」の背景

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

永井路子氏の「北条政子」と「炎環」を続けて読んだ。非常に面白かったので永井氏のほかの作品も読んでみたくなった。次は何を読もうかと本屋をぶらぶらしていたとき、たまたま本書が目に付いた。背表紙のあらすじを見ると、平安遷都から薬子の乱の頃の話の様である。
この時期の話であれば自分にとっては司馬遼太郎氏の「空海の風景」(以下「風景」と呼ぶ)でなじみがあるので読んでみることにした。
本書の主人公は藤原氏北家の冬嗣である。
(藤原氏北家といえば「風景」(下巻25章)に南円堂のエピソードが紹介されている。)
上巻では主人公の冬嗣は終盤のほうになってようやく官位(しかも従七位下という末端に近い位)に就くぐらいでさしたる活躍はしない(長岡遷都の時で10歳だから当たり前な話ではあるが)。もっぱら一つ年上で早熟な兄の真夏から政治情勢の講釈を聞くなかで、自分なりの目を養っていく様子が描かれている。
空海が大学を中退して山野で修行に励んでいるころ、宮廷内では「なくよ(794)ウグイス平安京」などとのんきなことをいっていられない、骨肉相食む権力闘争が皇位の継承をめぐって行われていたことが強く印象に残った。また、空海と同じ遣唐使船に乗り漂着地で代筆を頼むことになる大使の藤原葛野麻呂が意外なところに出てきて、「風景」では語られなかった面を披露したりする。上巻は「遣唐使船が出る」という話題が出たところで終わり、「風景」読者としても大いに楽しめる内容であった。

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「国家の品格」を読んだ人は「論語」も読んでみよう。でもその前に本書を読んでおこう。

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

藤原正彦「国家の品格」の趣旨は、「日本の常識を回復せよ」ということにつきると私は理解している。
しかしながら「常識」というものはまことに厄介なもので、当たり前の話だが地域により時勢によりそれぞれ異なるものであり、宗教の戒律のように固定したものではなく、その実態は掴み難いものである。
だがその一方で、古今東西を問わず通用するある種の「常識」というものがあり、それは「論語」の中にも見出すことができるという趣旨のことを本書で山本氏は述べられている。(「論語」の記述すべてが古今東西に通用するということではない。念のため)たとえば、p5「孔子が評価していないタイプ(中略)をひろい出してみて、少々驚いた。(中略)おおよそ高度工業国家の現代日本とは違う社会における人物評価が、今でもそのまま通用するのである。」あるいはp190-191「イスラエルのキブツで長く再任されている管理職にはある共通した一つのタイプがあり、一言でいえば「君子」なのである。(大意)」など。
では、現代の通常の教育を受けてきた人間がいきなり「論語」に取り掛かって直ちに何か得るところがあるかといえば、相当難しいのではないかと思う。「論語」の基本的な内容は断片的な問答がひたすら続くというものであり、その問答が交わされた背景および問答を交わした人物の人となり等がわかっていないと、何よりも味気ないし、また正確な理解もおぼつかず、読み進もうという気も起こらないであろう。江戸時代の寺子屋のように暗記するまで読んでいるうちになんとなくわかってくるというような取り組み方も無いではなかろうが、忙しい現代人のために「論語」の入門書として書かれたのが本書である。
本書の基本的な内容は、現代にはびこった「由らしむべし、知らしむべからず」などの「論語」にまつわる誤解を解き、孔子の経歴およびその門人たちについての基礎知識を述べ、それから孔子の掲げる基本的な徳目などについて現代日本に与えた影響や古今東西の実例を豊富に交えつつ解説するというものである。
「論語」の入門書であると同時に、日本社会の実像について考察した記述もところどころに見られ「山本日本学」の基本としてはずすことのできない重要な一冊であるともいえる。

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巧みな構成にライブラリー編集部の著者に対する深い敬意と理解を感じた

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

私が本書を入手したのはまったくの偶然だった。

何年か前に古本屋で安売りしていたのを見かけて「家にある「日本人とユダヤ人」(山本書店版)にはページが破けているところもあるから予備にしておこう」という程度の気持で買った。(「日本人とユダヤ人」・「日本人とアメリカ人」は単行本を既に持っていたので、新刊で発行された当初も本書には全く関心が無かった。)当然、「積読」状態で放置していた。

最近になって、祥伝社から出版された「日本人と中国人」の新書を見かけて、「そういえばそういうのもこの本に入っていたなあ」と思い出し、本書を手にした。

読んでみて驚いた。

表題こそ「日本人と中国人」であり、導入部や例え話に使われている話題は書かれた当時の時事ネタだった日中国交回復やその関連での日中戦争ではあるが、「『空気』の研究」や「現人神の創作者たち」といった山本七平氏の代表的な著作に通じる着眼点(の萌芽)が既にここに見られたからである。

さらに、江戸中期以降の尊皇思想の発展過程の概要(頼山陽や平田篤胤)が述べられており、「現人神の創作者たち」のあとがきで今後の課題として言及されていた「育成者」たちについての構想も既にここに示されている可能性がある。

イザヤ・ベンダサン活動中に、ベンダサン名で出版された著作は「日本人とユダヤ人」「日本教について」「日本教徒」「にっぽんの商人」の4冊で、「日本教徒」「にっぽんの商人」はライブラリー14に収録されている。「日本教について」はライブラリー未収録だが、山本氏存命中に単行本化されていなかった「日本人と中国人」を収録した意義は非常に大きいと思う。

また、田沼時代とその後について述べられた箇所(「江戸時代の列島改造論」の章)は、書かれた当時の「今太閤」田中角栄を念頭においての記述であろうと思われるが、 バブル崩壊後「構造改革」でいろいろ「ぶっ壊された」今日の状況と微妙に重なるところがあり、興味深かった。

ここで述べられている江戸時代の「中国」は、今日の「アメリカ」に該当するわけだが、そのアメリカについて山本氏がどう認識していたかということが具体的につづられているのが同じく本書に収録されている「日本人とアメリカ人」である。

初めて「日本人とアメリカ人」を読んだときは、司馬遼太郎氏の「アメリカ素描」と似たり寄ったりの印象批評的な紀行文といった程度の感想しかなかったが、「日本人と中国人」と併せて読むとまた違った印象が残る。

一言で言えば、日本の感覚では測れない全く別な基準でアメリカは動いているということである。

あたりまえといえばあたりまえな常識以前ともいえることではあるが、それゆえに却って忘れられがちな視点ではないかと思う。



「日本人とユダヤ人」というベストセラーにしてロングセラーをライブラリーに収録するに当たり、「日本人と中国人」「日本人とアメリカ人」を併せた構成としたライブラリー編集部の着眼に敬服した。

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紙の本空海の風景 改版 上巻

2007/04/15 22:43

司馬遼太郎が小説を練る風景

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

司馬遼太郎氏の著作はいろいろ読んだが、大概は一度きりで再読するということは(長編が多いということもあるが)ほとんど無い。しかし、この「空海の風景」に限っては折に触れて何度も読み返している。読み返すたびに空海と空海に対して展開される司馬氏の考察に対する印象が変わる。
最初に読んだのは中学生のときで、小説だと思って読んだのだが、断片的に小説らしい描写はあるものの、そうでない部分が大半を占めていたのに面食らい、ともかくも読み終えての印象は「なんだか良くわからん」の一言であった。もし読書感想文を書けといわれても途方に暮れていたことだろう。しかしその一方で、今にして思うと司馬氏の持つ空海像をそのとき鮮烈に刷り込まれてしまったように感じる。
というのも、後に陳舜臣氏の「曼陀羅の人」を読んだが、そこで描かれる優等生的な空海像に何となく物足りなさを感じる一方で、山田正紀氏の「延暦十三年のフランケンシュタイン」や夢枕獏氏の「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」のような平然と呪術を駆使してふてぶてしささえ感じさせる空海像にしっくりしたものを感じるからだ。
歴史上の実在の人物でありながら、今尚信仰の対象として人々の生活に根付いている弘法大師空海。地方の豪族出身で大学を中退した私度僧であったのが、遣唐使船が唐へ向けて出航する直前に国家の正式な留学僧となり、密教の正統な後継者として帰国、嵯峨天皇の国師のような立場になるというその生涯の年譜をたどってみただけでも並みの人間ではないということがわかる。
そんな空海の誕生から入寂(入定)までの年譜に沿って、当時の資料・後世の研究等を参照しつつ、司馬氏が思いをめぐらしたことどもをつづるというのが本書のあらすじである。
空海に対する評伝のようでもあり、平安初期の日本史・東アジア史の一断面を描いたもののようでもある。
最近読み直しての印象はタイトルに掲げたとおりである。

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「魔法の森」の正体

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

司馬遼太郎氏が昭和の初めの20年を「魔法の森」と評するのを中学生のころテレビでみたことがある。司馬氏がうめくように、絞り出すようにしながら「魔法の森」という表現を使っていたのが、つよく印象に残った。(書籍化されています「昭和という国家」)
そのため、当時の私は敗戦必至の対米戦へとなだれ込んでいく原因の分析はとてつもなく難解なのだろうと漠然と思い、以後そのままでいた。
しかし現在、サラリーマン生活10年余りを経た身の上で本書を読んでみると、「たいして複雑な話ではないな(身近なところで聞いたような話じゃないか!)」というのが率直な感想である。
本書の著者の日下氏自身もサラリーマンの経験(略歴によると東大卒業後日本長期信用銀行に入行し取締役まで務めたとのこと。)があり、巨大組織の一員としていろいろと体験した(であろう)人ならではの記述が随所に見られる。
たとえばp84
「官僚主義は、私にいわせれば、ものごとが順調に進んでいるときに発生する。つまり連戦連勝が続くなか、この調子なら自分はとくに働かなくてもいいだろう、働かなければ責任が発生しない、それから勝ち戦の手柄は自分で独り占めしたい、だが失敗は他人に全部押し付けよう、という心理が官僚主義の根源となる。
そんな人が組織に一人でも現れると、それをみた周囲の人も、自分の仕事に責任を負うことから逃げるようになってしまう。(中略)そうなると、自らリスクを取り、自分が求められている以上の成果を上げてやろうという、前向きな姿勢が個人からも組織からも失われてしまう。」
あるいはp108〜110
「たとえば日本陸軍のエリートたちは、陸軍幼年学校、陸軍士官学校、陸軍大学校のコースを歩むなかで、狡いことをやるのが戦争であるとか、言い逃れが立つなら何をしてもいい、というような官僚主義的な教育を受けた。
しかも彼らは軍隊という閉鎖集団のなかで育ってきたから、世の中を知らない。彼らは昇進を重ねていく間に、サロンのような集団をつくった。それは派閥になった。
(中略)軍隊に限らず、組織の上層部にはどうしても派閥ができてしまう。そこで仲間になれない人や、またはならない人は、いくら成果を上げても上司の覚えが悪く、実践の消耗品にされる。(中略)派閥のなかで言い訳のうまい人がどんどん出世していく。だが、こうした組織はいずれ自壊する運命をたどる。」
日下氏がかつて勤めていた長銀は破綻した。

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紙の本覇王の家

2005/11/06 15:10

司馬遼太郎は伝記作家ではない。小説家である

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

伝記であれば生まれてから死ぬまでの事実をもれなく書くというのが正しいスタイルであろう。しかし小説はそうではない。
本書は徳川(松平)家の起源からはじまり家康の死で終わる構成となっているが、小牧・長久手のあとはほとんどいきなり駿府の大御所生活になっている。したがって、伝記的な読み方として本書を読む場合は「関ヶ原」と
「城塞」を事前に読んでおくことをオススメする。
だからといって予備知識が無ければつまらないかというとそんなことは断じて無い。地方の一勢力に過ぎなかった家康が、三河者を従えて苦労に苦労を重ねつつも次第次第に力を伸ばしていく様に感心させられる。
また、本能寺の後に勢力を急伸させ兵力で圧倒的に勝る秀吉との直接対決である小牧・長久手の合戦は、巧みに敵の心理の裏を突く用兵や、本多忠勝の鬼神の如き働きぶりにハラハラドキドキさせられた。このような興奮を味わえるのは小説ならではであろう。

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紙の本関ヶ原

2005/11/06 14:03

司馬版家康天下獲り3部作その1

4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「城塞」がその2で「覇王の家」がその3だと私は勝手に思っている。
関ヶ原というと、漠然と「天下分け目」「東軍対西軍」「家康対三成」といういたって単純な対立図式のイメージしかないかもしれない。
しかし、コトはそう単純ではない。
司馬氏のエッセイだったか別の小説で以下のような話を読んだ記憶がある。
明治時代にお雇い外国人の軍事教官が、日本の過去の戦史について説明を受けた際、関ヶ原の布陣を見て西軍の勝利と判定した。しかし実際には東軍の勝利であると聞き、東軍の勝利は軍事的な理由によるものではないとコメントしたという。
そう「関ヶ原」は単純な合戦ものではなく、「重厚な政治ドラマ」とでも言うべきものである。
利害関係・上下関係・人間関係・正統性が複雑に絡み合い入り組む中を大政治家・徳川家康がいかに巧みに事態をコントロールして行ったかが描かれている。
三成は官僚に過ぎず、大政治家の敵ではなかった。
秀吉が自分以外に天下を獲れる器と評した黒田如水はすでに一線を退いており、その子・長政は家康に感謝されて喜ぶ始末で文字通り子供扱い。
大谷吉継には情勢が読めていたが多勢に無勢。
徳川家康という日本史を語る上ではずすことの出来ない人物の大きさを感じることが出来る作品である。

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紙の本山本七平の日本の歴史 下

2005/09/25 20:06

「こころ」モデルで読み解く南北朝の争乱-実像とその現代における意味

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

夏目漱石「こころ」に始まり、「神皇正統記」「太平記」を中心に据えつつ、蘇東坡「正統論」「策略」「大臣論」司馬光「資治通鑑」を経て、時にアジェンデ政権や司馬遼太郎「異常な三島事件に接して」を交えて、南北朝の争乱の実像を解き明かし、現代日本における意味を問うたのが本書である。
本書において山本七平氏は「歴史とはそれが書かれた時代のものであっても、それに書かれた時代のものではない」(229ページ)と言う。
すなわち江戸時代の朱舜水による楠正成の再評価に始まる皇国史観に基づく忠臣・逆臣論も、その反動・裏返しにすぎない戦後史観に基づく善玉・悪玉論も、所詮は「それが」書かれた時代のもの過ぎないということである。
「それに」書かれた時代の実像に迫り、かつ、それ以来日本人の行動を支配している法則を明らかにするために用いられたのが、夏目漱石の「こころ」から抽出された「こころ」モデルというべきものであった。
(小室直樹氏は「論理の方法」に於いて、山本七平氏を評して学問的方法論に欠けるところはあるが初期の丸山真男と同様にモデルの抽出に極めて優れたセンスを持っているという主旨のことを述べていたが、「こころ」モデルもそのひとつであるといえよう。)
ではその解き明かされた実像と現代とのかかわりは何かということについては、本書を読む人が各自で確認してほしいと思う。
正直なところ、自分は本書の一部を理解できたに過ぎない。
何しろ本文中は漢文交じりの古文の引用が頻繁にあり、また南北朝の争乱に関わる人物(後醍醐天皇・足利尊氏・楠正成以外)への言及がしばしばあるため、中学高校の日本史の授業で身に付けた程度の知識ではとても追いつかないのである。(とはいえ読み進むうちにある程度なれてくるが)しかしながら、不明な箇所の正確な意味を調べるために止まるよりも、先に進みたいという気持ちのほうが強く、特に下巻に進んでからは引き込まれるようにして読んだ。
しばらく時間を置いてから(予備知識を積んでから)また読みたいと思える本である。

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