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tauさんのレビュー一覧

投稿者:tau

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BackToTheBasic

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「生きさせろ!」あまりと言えばあまりにもストレートなタイトルだ。そして本書の主張をこの上なく如実に言い表している言葉でもある。生きるための最低限の保障こそが、今求められている。
 バブル経済の崩壊から「失われた10年」を経て、現在の日本は再び好景気の時期に入っているのだという。だが既に知られる通り、かつてとは異なり現在は個々人の収入の格差が広がっておりそれに伴って生活のあり方も否応なしに区分されつつある。いわゆる「勝ち組」と「負け組」というように。そうした収入の格差を生んでいる原因についてはどういう企業に勤めているかというレヴェルでの要因も然ることながら、どのような雇用形態の下に働いているかというレヴェルでの要因も当然のこととして作用してくることになる。具体的に言えば正社員として働くか、それとも派遣社員あるいはフリーターとして働くかという身分の差が問われてくるのだ。
 本書が扱っているのはそうした身分の差から生まれるあまりにも非人間的な個々人の勤務状況の惨めさであり、それによって人間性を奪われて行き使い捨てとして処理されてしまうという残酷さの問題である。それは絵空事ではなく、実際に起きていることでもある。
 例えば「偽装請負」の問題。自分が派遣社員なのか請負社員なのか分からない状況で、契約書も見せられず社会保険も適用されないまま、雇用状態が曖昧なため労災さえも揉み消されてしまうという状況でただひたすら単純作業に従事させられる人物の体験談が本書では登場する。彼の経験談を読んでいると単純にフリーターがスキルを身に付けることなく安穏と自由を謳歌して生きているとは言い切れないことがよく分かる。スキルのつけようがない単純作業をこなしてもらうためのコストの低い労働力として使い捨てられる。それがフリーターの現状でもあるのだ。
 彼らを見舞う惨状はそれだけではない。例えば、最近取り上げられることが多くなった「ネットカフェ難民」についても本書は頁を割いている。つまり、敷金や礼金さえ貯めることも出来ず当座の寝場所を探したフリーターたちが行き着く場所がそうしたネットカフェの個室というわけだ。まだ給料が払われているうちはいい。もし体調を崩して解雇されたなら新しいアルバイトを探すことさえ出来ずに路上に投げ出され、ホームレスが誕生することになる。
 そして、正社員雇用だからと言って確固たる身分が保証されているかというとそうでもない。彼らもまた責任のある役職に就いてしまうことによって馬車馬のように働かされることを余儀なくされる。本書では過労死に追い込まれた人物のケースがインタヴューと取材の下に生々しく記されている。誰もがこうしたケースに陥る可能性がある。その意味では本書の「生きさせろ!」という主張は読者である私もまた共有するべきものなのだ。では具体的に「生きさせ」るために出来ることは何か? そのヒントとして本書ではフリーター労組の存在がクローズアップされている。また、安易な「自己責任」論で個々人「だけ」に責任を帰するロジックを封じるための識者の意見も用意されている。フリーターが望むのはただ安息と最低限の衣食住が整った状況で生きられること、それだけなのだ。
 統計よりも現場に置かれた個々人の生々しい極端な体験談に拠った本書の議論は、著者自身が1975年生まれで就職難を経験したという背景も相俟って情緒に訴えかける部分が多々ある。また、何故か女性の存在が殆ど問題となっていないことも本書の弱点だろう。だから本書だけを以ってこの議論を終わらせてはいけない。むしろ本書の不十分さはそのまま新たなる議論へと接続されるべきなのだ。既に労働者を使い捨てることによって成り立ってしまったシステムが生み出す商品を消費して生きているのは、まさしくこの私たちに他ならないのだから。

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紙の本ほとんど記憶のない女

2007/06/25 02:42

Passage

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 薄い書物だ。作品を収めている頁数は200にも満たない。そしてその中に51編の散文が収められている。リディア・デイヴィスという書き手については何の知識もなく、訳者の岸本氏の名前に惹かれて本書を読んだのだけど、とても興味深かった。
 「散文」という言葉を使ってしまうのは、本書には時にはたった三行で全てが語られてしまう作品とほぼ30頁にも及ぶ作品まで様々な文章が収められているのだけど、それを小説と形容すべきかどうか戸惑ってしまうからだ。ある時代や舞台が設定されその中を行動し考察する人物が描かれているという理由で、取りあえずは小説と呼んでも差し支えのないだろう作品も一応収められている。例えばコペンハーゲンやモスクワ、そしてティフリスまで極寒の地から砂漠までを旅する人物の記録を贅肉を削ぎ落としたレポート風の文章で描き切った「ロイストン卿の旅」は小説の範疇に一応は入るだろう。では大学の英文学の教師である主人公がカウボーイと結婚したいという願望を綴り始める「大学教師」や、「初秋から翌年の夏にかけてほぼ一年間」「住み込みの管理人をして暮らした」二人が貧困に喘ぎながら退屈な田舎町で淋しく暮らす日々を淡々と描いた「サン・マルタン」は小説なのか。後者はあのポール・オースターと一緒に暮らした日々の経験から成り立っており、オースター自身も同じ日々について『赤いノートブック』に記しているという。従って内容は、事実から成り立った自伝的なエッセイとして受け取ることは十分に可能だろう。だが、果たして本当にそのように安直にエッセイとして受け容れてよいものなのだろうか?
 本書を読んでいると、そうした散文を小説やエッセイ、事実と虚構といった形で区分することが難しくなってくる。それに加えて、例えば村の女たちがヒマラヤ杉に変身したことから始まるバリー・ユアグロー的なシュールさを帯びた寓話「ヒマラヤ杉」、水槽の中の魚を描写する「水槽」、ビュトールとジョージ・スタイナーを引いて旅することと読むことと翻訳することについて論理を弄んでみた「くりかえす」まで、筆遣いとしては軽薄な部分は何一つなくむしろ淡々とした無駄のない筆致で全てが簡潔に綴られているにも拘らず、その内容もまたヴァラエティに富んでいるのだ。本書に収められている作品の全てを小説とは呼べないにして、ではどこから小説は始まりあるいはその枠組みから逸脱して散文に入り込むのか? そうしたジャンル分けが自明ではないということを本書はスマートに提示してみせる。むしろジャンルを越境して、事実か虚構か、シリアスであるか皮肉が効いているかとかいった作風の一貫性にも拘らずに散文それ自体が持つ論理の明晰さや描写される事物、出来事や心理の吐露といったものを巧みな筆致で描き上げてみせる。それが本書の孕む魅力なのだろう。それは時に上述したオースターの散文のように冷徹でありかつ思索の深みを際立たせており、ユアグローの寓話のように荒唐無稽に意味と無意味の間の曖昧な部分に着地させてしまう。
 散文は思索や認知の連なりによって生じる。ある文章を記し、それについて考察することや続けて行われる出来事を観察することで次の文章が生まれる、というように。本書ではそうした、時にどこに向かうのかこちらを予測させない瞬間が多々見受けられる。書かれることによって生じる思索や想起そのものを実況するように、乱暴に言えば「筆の趣くままに」作者は記しているかのようだ。敢えて言えばそうした考察のドライヴしていく過程こそが著者の表現したい事柄なのではないか。本書が内容としては支離滅裂であるにも拘らず一貫性があって面白く感じられるのは、恐らくそうした筆致の動きを如実にそして冷徹に観察し記す著者の姿勢故のものなのだ。

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