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    5つ星のうち 4.0 レビュー詳細を見る

きゃべつちょうちょさんのレビュー一覧

投稿者:きゃべつちょうちょ

232 件中 1 件~ 15 件を表示

絶望のなかに浮き上がる希望。

62人中、60人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

村岡花子の生涯を繙くことは、時事的にも文学史的にも激動の日本史を辿ることになる。
彼女が生きたその時代や関わってきた人たち。
それらをいまに伝えるのは、わたしたちとおなじ時代に生きる村岡恵理である。
これが初の著書(ハードカバー出版時)になる恵理の文章は
よどみがなく、読みやすい。そして祖母である花子を客観的に率直に語っている。

プロローグは昭和20年の太平洋戦争時。
花子は翻訳中の「アン・オブ・グリンゲイブルス」の見直しをしていた。
マシュウがアンを迎えに行き、グリンゲイブルスへ向かう途中のところ。
輝くように白い花をつけたリンゴの木がつづく並木道にアンは名前をつける。
それにあたる原文の連語を、どうやって日本の少女たちに伝えよう・・・。
沸き立つような花子のボキャブラリーの泉から、大切に言葉を掬い出す。
『歓喜の白路』。アンが新しい生活に胸を膨らませるようすが
そのひと言で伝わってくるような、クラシックで文学的な香りがする言葉だ。
紙の上で紡ぎだされるロマンチックな言葉の連なりとは裏腹に
現実の日本は戦争という嵐に直撃され、気も狂わんばかりに堕ちていく途中だった。
現在では、取り扱っていない書店を探す方が難しいくらいの、「赤毛のアン」。
本国カナダをしのぐ勢いで、日本で広く読まれ長く愛され続けるアン。
戦火のなかをいのちがけで敵国の物語を訳しきった花子の功績はあまりにも大きい。

花子が努力をかさねて自分の武器にし、また彼女の生涯の支えになったのが英語力だった。
学問の好きな父に将来を託された花子はミッションスクールに通うことになる。
そこで身につけたのは、徹底した本場仕込みの英語と、原書で読んだ欧米の古典の教養。
そして短歌を詠む友との交流に刺激され、培われた日本語を磨き上げるセンスだった。
ミッションスクールの卒業後、教師のかたわら文学活動をはじめ、人の輪もひろがった。
大正6年、花子のはじめての本が日本基督興文教会から出版される。
それは、ドラマチックではないが日常の喜びを発見する輝きに満ちた翻訳小説。
激動の時代に生きる女性と子供たちのために、日々の糧にしてほしいという気持ちで
誠実に訳したいくつかの物語がおさめられていた。
本書の145ページにその訳書の前書きが引用されているが、はっとする一文がある。
〈・・・・・・洗練された『平凡』。それは直ちに非凡に通ずるものである〉
花子の根幹にある価値観。まさしくモンゴメリのアン・ブックスの魅力ではないか。

英語ひとすじのお堅い文学少女だった花子も成長し、いつしか恋に落ちる。
大きなシェアを誇る印刷会社の御曹司であり、当時妻子もあった村岡敬三が
花子の恋の相手だった。熱愛のすえ半年でふたりは結婚する。
花子の波乱万丈な第二の人生のスタートであった。
結婚・出産ののち、関東大震災を経験。家族も自宅も無事だったものの、
夫の会社は全焼する。創業者の父はすでに他界しており、
会社の戦力であり敬三の左腕だった実弟は震災で命を落とした。
花子たちは必死の思いで、夫婦で出版社兼印刷所を起ち上げる。
嵐のなかをつき進む花子に待っていたのはわずか3歳の長男の病死だった。
この地獄の苦しみを経て、花子は夫が別れた妻子たちの思いを案じる。
愛する者をうしなう悲しみ。うばわれた苦しみ。抵抗できない運命の大津波。
「アンの夢の家」に、アンがはじめての子どもを死産するシーンがあるが、
あの文章にぶつかったとき、花子はどんな気持ちを抱いたことだろう。
息子をなくして数か月のあいだ、花子は耐え難い辛さに打ちのめされていたが、
あるとき、一冊の洋書を手に取ると、貪り読んだ。久しぶりの読書に胸がふるえた。
マーク・トウェインの作品を読了した時に、啓示のように花子の頭によぎったのは、
〈自分の子は失ったけれど、日本中の子供たちのために上質の家庭小説を翻訳しよう〉
(219ページ)という、つよい決意だった。
大切なものを与えられ奪われるという試練と、愛する夫の存在は、
花子の持つ言葉の泉を深く芳醇にしていった。児童文学翻訳者・村岡花子の誕生である。

昭和2年刊行の「王子と乞食」の翻訳をきっかけに女流文学者たちとの交流が始まり、
花子は色々な影響や刺激を受け、婦人参政権の実現への運動に参加するようになる。
政治運動をしながらも、エレナ・ポーター等の上質な家庭文学を精力的に訳して紹介。
また、家庭文学の大切さについて雑誌に随筆を発表していた。
昭和12年に日中戦争が勃発し、翌年の国家総動員法の施行で、全国民は軍事体制に協力。
文筆家たちは本人の意志とは関係なく、従軍記者として戦地へ赴かされた。
戦争賛美の詩や歌の作詞をさせられた者もいた。

昭和14年、志なかばで帰国せざるを得なかったカナダ人宣教師のミス・ショーは、
友人である花子に、自分の支えであった小説「アン・オブ・グリンゲイブルス」を託す。
いつか戦争が終わり平和な世の中になったとき、訳して日本に紹介してください、と。
それから13年後の昭和27年、花子が戦果のなかをいのちがけで訳し守った原稿は、
「赤毛のアン」としてついに刊行された。

花子の人生の波乱万丈さもさることながら、なんて情熱的な人だったのか、と思った。
アン・シャーリーというよりは「嵐が丘」のヒースクリフのようなタフさと情熱で、
恋に身を焦がし、政治活動やラジオのパーソナリティーも経験していた事実におどろく。
そんな激しさを持ち、ドラマチックな人生を生きた花子だからこそ、
日常のきらめきの宝庫である家庭小説を大切にしたのかもしれない。
日本では無名だった遠いカナダの物語が、ここまでファンを獲得しているのは、
村岡花子がパンドラの箱に残された『希望』をふりかけたからではないだろうか。

「赤毛のアン」のクライマックスは、アンが運命の岐路に立つところが描かれる。
大学進学を諦めてマシュウ亡きあとのマリラの支えとしてそばで暮らす決意を固め、
あんたには夢があるじゃないか、とマリラに言われたアンはこう答える。
〈・・・・・・いま曲がり角にきたのよ。曲がり角を曲がったさきになにがあるのかは、
わからないの。でも、きっといちばんよいものにちがいないと思うの。・・・・・・
その道がどんなふうにのびているかわからないけれど、どんな光と影があるのか、
どんな景色がひろがっているのか、どんな新しい美しさや曲がり角や、岡や谷が、
そのさきにあるのか、それはわからないの〉(新潮文庫「赤毛のアン」516ページ)

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増殖中のジンジャラー。これは、ビギナーの救世主。

16人中、16人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

テキスト(ハンドブック)について。
体にいいことずくめの生姜。
そうわかってはいても実際に使うとなるとなかなか手ごわい。
生姜を買ってきてみても、すべてを使い切るのが至難のワザ。
以前に料理本で『おろして冷凍しておけばいい』と読んだことがあるが
それならチューブ生姜とどう違うのか・・・ということになってしまう。
この本には、生姜をなまでそのまま冷凍する方法が書いてある。
このように生姜の扱い方はもちろん、効能や分量のめやすなどが
わかりやすく書かれているので、ジンジャラービギナーにも安心である。
レシピは実用性に富んでおり、入手しにくい材料や複雑な手順はいっさいナシ。
6種ののみもの、4種のスープ、8種のおかず(おつまみを含む)のほかに
つくり置きしておくと色々活用できるストックレシピ
(ジンジャーはちみつレモン、梅生姜、ジンジャーマーガリン)が、
活用例と共に紹介されている。
で、早速つくってみた。
〈ホットジンジャーはちみつレモン〉
この飲みもの自体は(お湯のはちみつレモン生姜割り)めずらしくないけれど、
チューブやパウダーではなく、フレッシュな生姜をしぼりたてで頂くのが格別。
香りがまるで違います。あたたまるし、癒される。
〈豚のアップルジンジャー焼き〉
豚肉を焼いてから、生姜とりんごのすりおろしの入っただし汁で煮るのですが、
だし汁の、生姜をやわらげるりんごとのコラボが絶妙です。
レシピにはりんご半分をすりおろす、とあるのですが、
残りの半分を、肉と一緒に焼いて汁にからめて食べてみたらおいしかった。

おろしスプーンについて。
パッケージの写真は原寸大。
ちなみにサイズは幅50×長さ188ミリメートル。素材はステンレス。日本製。
職人の魂が機能美に込められている。
・スプーンを持ったまま少量ずつ生姜をおろせて、(生姜以外にもにんにくや大根など)
おろしたらそのまま鍋やカップに入れてかき混ぜられる。
(5グラム以上の生姜をおろすときは、受け皿を使った)
・スプーンから手を離しても倒れないで自立するので、
おろした生姜をのせてそのまま食卓に薬味皿として出せる。
・柄の部分に穴が空いているので、フックにかけられる。
 (食器棚にしまうと取り出すときが危険なので、かけられるのは便利)

手軽なおろし金を探していたのだけれど、なかなか見つからなかった。
おろし金がコンパクトになり、スプーンになっているなんて、画期的だ。
こんな道具が欲しかった。毎日ちょこっと使いたくなる手軽さと美しさ。
これなら、ブームを超えて生姜生活をつづけられそう。
そして、スプーンに寄り添うようにして、
サイズは小さいけれど、ぎっしり詰まって充実した内容になっているテキスト。
この奥ゆかしさに、著者のスプーンへの愛着が感じられる。

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紙の本容疑者Xの献身

2010/10/13 23:07

これは、いったい、なんのレッスンなんだ!? 湯川学はきっと心で叫んでいたはず!!

10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

マイ・ファースト・東野圭吾作品である。
前々から気になってはいたが、
あまりに騒がれすぎていたので
逆に読む気が起こらなかった。
そんな読者もけっこういるのではないか。
ま、それはさておき。

この作品は「オール讀物」連載中のタイトルは
「容疑者X」だったとか。
単行本になるときに、「容疑者Xの献身」と改められたらしい。
作者が考えたのか、編集者が考えたのかはわからないけれど、
まさしくこの絶妙なネーミングがベストセラーへの
鍵を握ったのではないかと思われる。

あまりにも有名なこのミステリーの感想を、
いったいどう書こうか、悩むところだが、
この本を読もうかどうしようか迷っている人がいるなら
ぜひ、読んでみてほしい。
ミステリを精読している人にはもしかしたら
ちょっと物足りない向きもあるかもしれないが、
救いようがないくらいに悲惨なのに
心のどこかがあたたかくなる不思議な話である。

ありえない設定をぐいぐいとひっぱり込む手腕には
本当におどろかされる。
そして、危険を冒してまで貫き通す、容疑者Xの、その「献身」の理由。
これは、相手の人物造形をとおしてもよく描かれている。

本作は「純愛」という言葉で謳われることが多いようだが、
せつなさの視点をずらしてみれば、
男の友情に涙をさそわれる。
名ホームズ役である湯川学と、主人公の石神。
ほんとうに得がたい、「好敵手」という関係にあるふたり。
とくに、湯川がすべてに見当をつけ始めてしまったあたりからは
彼のせつなさに、胸がいたくなる。
彼にとって大事な、ふたりの男(石神と草薙)との
それぞれの友情に挟まれ、
さぞかし苦しかったことだろう。
これはいったい、なんのレッスンなんだ・・・と
きりきり締め付けられるような思いで、いたに違いない。

最後の、すべての告白は、涙腺を刺激する。
安っぽい偽善の匂いがしない、高級なエンタメになっているのは、
物語の端々にみられる、作者の論理的思考が効いているからか。
ひとの心の裏の裏をかく、ということ。
それはひるがえって、純粋、ということになるのだろうか。

早々と殺されてしまった被害者に対しては、
本人のそれまでの経緯にかかわらず、少し同情を寄せてしまう。
あまりにも脆弱なかたちでしか、未練を表現できないことに。
そう感じてしまったのは、
容疑者Xの、あまりにも深くて、重い、「献身」に
くらくらと眩暈をおぼえてしまったからかもしれない。

思い悩んだ湯川に、そして彼と同じように胸をいためた読者に、
きっと大きなギフトはあるはずだ、と思いたい。


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紙の本スピカ 羽海野チカ初期短編集

2012/04/02 16:54

白く光る星スピカは、白い衣装で踊るバレリーナのイメージ。

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

羽海野チカの初期短篇集。
「ハチミツ」と「ライオン」(7巻よかった!泣)でおなじみの彼女だけれど、
これを読むと、色々と方向性への旅をつづけてきたんだなぁと感じる。

バレエの好きなわたしは、表題作の「スピカ」がいちばん好きだが、
つづく「みどりの仔犬」と「花のゆりかご」もすてきな作品。
やさしい気持ちになれそうな、とてもなごむストーリーだ。

「スピカ」の美園優香は、「ライオン」のひなちゃんの前身ぽいと、作者。
たしかに。ひなちゃんが高校生になるとこんな感じかもしれない。
あのまっすぐな感じ。協調性を持ちながらも、きちんと自分を持っているところが。

本の内容そのものもよかったのだけれど、いちばん買ってよかったと思う点は、
この本を買うだけで、東日本大震災の被災地を少しだけ応援できること。
作者が、被災地と購入者をつないでくれている気がする。
「この単行本の印税は全て東日本大震災により被災された方々と、
被災地のためへの義援金とさせていただきます。
一日も早い復興を心より祈っております」(帯にある作者の言葉より)

タイトルとおなじ名前を持つ、おとめ座の一等星、スピカ。
パリ・オペラ座バレエ団では、プリマバレリーナをエトワールと呼ぶ。
フランス語で、星という意味を持つが(ドガの絵も有名)、かけているのだろう。
白っぽく光るスピカを率いるおとめ座は春の夜空に浮かぶ星座である。

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紙の本夏への扉 新装版

2011/05/19 16:27

男(ヒト)と男(猫)の、ホットな友情!!は、ことしも読み継がれていく。

10人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

この本は、じつは去年の初夏に読もうと思っていたものだったが、
タイミングを逃して夏をとうに過ぎてしまったので
再び巡り来たこの季節に読んでみた。

SFはあまり得意ではないので、
万能家事ロボットを発明した技術屋の主人公が
タイムトラベラーとなり・・・・・・。
という感じのこの話が通読できるか不安だったが、
読み心地のよさに、安心してページを進めることができた。
作中の未来描写もユーモラスで魅力的だった。
主人公ダンがつくったロボットの記述に
自動で掃除をして、自動で充電し、かえってくる・・・
というようなくだりがあり、『ルンバ』という商品名が浮かび
くすっとしてしまった。

そして、ラストが近づく318ページでは涙がこぼれた。
ダンの、真摯な思いが凝縮されたようなシーンだったからだ。
ピートへの、リッキィへの、言葉にならないほどの思いが
伝わってきて、胸の奥がじんとなってしまう。
彼は、たとえ時代が変わろうが世の価値が変わろうが
自分にとっての最優先事項を変えることはない。
それゆえ、彼は強くいられる。

ダンの根底にある健全さから、ふたつの言葉を思い出した。
それは、
自分の幸福を恐れる者は、幸福になれないこと。
最高の復讐とは、自分自身が幸福になること。
のふたつである。
どこで読んだかまたは聞いたのかは忘れてしまったが、
ダンには、これらの点がぶれておらず、
また、その覚悟がしっかりできているように思えた。
だから、彼は過去にしがみつかない。
彼の目線にはいつも未来があり、読む者に爽快感を与える。
334ページで語られる作者の未来賛歌。
この数行に辿りついたとき、読んでよかったと素直に思った。

猫のピートには、助演男優賞をあげたいくらいだ。
彼がいなければ、この物語は成り立たない。
「夏への扉」は、ピートへの友情を軸としたダンの、
ハードボイルドな時間旅行ともいえるのではないか。

男どうしの友情に、ヒトと猫との垣根はない。





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紙の本細雪

2011/02/17 18:28

ゆるりと流れる日常に女性特有の毒

9人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

会話はほぼ関西弁で綴られるが、それ自体はめずらしくはない。
東京出身の谷崎がここまではんなりとしっとりと
関西弁をあやつっていることに、まず驚いた。
この作品は当局から出版妨害を受けており、そのときに
谷崎が関西へ場所を映し、ひそかに書き続けられたとも伝えられる。
四姉妹のモデルは谷崎の妻であった松子とその姉妹であるらしい。

蒔岡家の栄華は父の時代にもう枯れているのに
その残像を忘れられない四姉妹たち。
花見。蛍狩り。観劇や舞い。風流な遊びの情景。
姉妹の、色々なことに対するリアクション。
描写は細やかなのに、呼吸には無理がなく、分厚さを感じさせない。
いってみれば、お嬢さんがたの人生という長い時間の暇つぶし。
それにつき合わせられるだけなのだが、なぜか読むのをやめられない。

おもな語り手は次女の幸子である。
幸子は妹の雪子を溺愛している。(もっとも母親に似ているからだ)
一日もはやく三女の雪子の結婚が決まるように願っている。
雪子だけでなく、四女の妙子の世話も焼き、いい姉であることに努める。
見栄っ張りな幸子の本音が吐露されるのは、
四女妙子の恋人が入院するシーンと、
時がながれてその後に妙子自身が入院するシーンである。
彼女は両方とも見舞いに行くのだが
見舞ったときに幸子が感じた言葉には寒くなる。
自身は誇り高き蒔岡家から出たお嬢さまだと信じているが
心の中にはとてもつめたいものが流れている。
それが谷崎のおそろしい描写力によって暴かれるのだ。
鶴子も雪子もおっとりと描かれているが、
そのつめたいものは共通しているようにも感じられる。
それは彼女たちのふっとした会話の端々とか、
人やモノを見た感想から受け取れる。
いちばんの問題児とされる妙子は、自由奔放で忙しいが
人としての情というか温かさを
姉妹のうちで最も多く持ち合わせているふうに感じられる。
しかし彼女も女性特有の残酷さを持ち合わせている。
「細雪」という英訳できないほどのうつくしいタイトルは
彼女たちが持つつめたさを揶揄しているのだろうか。

物語の大きな柱となるのが、
雪子の婚活のゆくえと妙子の恋のゆくえ。
雪子がまるで人形のように受け身であるのに対し、
妙子は思ったらすぐ行動せずにはいられない。
静と動の鮮やかなコントラストに読者は翻弄させられる。

そして格別魅力的なキャラクターとして映るのが、
幸子の夫である定之助。冷静沈着で判断力にすぐれ、情もある。
これくらいのキレ者で愛情深い夫でなければ、
とても幸子たちには付き合っていられないのだろう。
しかし、幸子のモデルが松子夫人(と伝えられる)だとすると
定之助ってまさか谷崎本人のことなのだろうか。
それともまったく本人とは別のキャラクターを生み出したのか?
このあたりは、松子夫人の書かれた回想録を繙くのもいいかもしれない。
どちらにしろ、この本の中ではいちばんまともな人物であった。

本編を読み終えてもなお、つづきが気になるこの余韻。
これだけ読ませておきながら肩すかし的なラストシーンからは、
作者の意地悪そうな(いやらしそうな!)にやにや笑いが浮かんでくる。

上、中、下巻が一冊になり、田辺聖子の解説がつき、
装丁にはなんともいえない雰囲気があり・・・・・・。
中公文庫の「細雪」はお得である。


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紙の本パリでメシを食う。

2011/02/04 21:23

グルメのガイドブックではありません。色々な人生のア・ラ・カルト。

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

生き方に、正解とかレシピというものは存在しないのだなぁと
改めて思う。
幸せとか成功とかいう言葉の意味も
個人によってそれぞれ違うものなのだろう。

この本は、パリで働きパリに生きる人々のレポート。
フローリスト、カメラマン、テーラー、スタイリスト、
鍼灸師、漫画喫茶のオーナーなど、10人の日本人のお話。

著者が各自にインタビューして綴ったものだが、
シーンの切り取り方や感情の掬い上げ方にぐっとくる。
著者は、取材した人と同じ位置に立ちながらも
着かず離れずの絶妙な緊張感をキープしている。
そこから伝わってくるのは、
話を聞かせてくれた人に対する誠実さだ。

はっきりいってこの10人の話を知ったからどうということはない。
ましてや参考になどならないし、著者はそれを望んでいない。
なんのお手本もなしに、自分自身の内面の声だけを頼りに
パリへ渡り、できることを見つけて生きている。
ただ、そのことに感動するのだ。

登場する10人は、みんなどこかゆったりとしている。
もちろん仕事は忙しいのだろうし、
外国で仕事をするところに行き着くまで紆余曲折。
「パリでメシを食う」ことは生半可なことじゃないだろう。
いろんなことに失望し、試され、迷い、自分しか頼れない。
それでも、ガツガツ、キュウキュウとしたところがないのだ。
大切なものがわかっていて、それを本当に大切にしているのだろう。
がむしゃらにではなく、パリという街でごく自然に呼吸ができる人たち。
彼らの物語はまた明日へと続いていく。

著者の、いい意味での気負いのなさが魅力だ。
淡々とした中にもぬくもりの感じられる文章に
惹き込まれ、ほろりとさせられる。

読み終わったあとのあの素敵な感じは、うまく表現できない。




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紙の本おでかけニット vol.1

2010/12/22 00:17

大事な人へ、大事なじぶんへ。手編みはやっぱりあったかい。

9人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

小物とウェアのレシピが程よいバランス。
小物しか編んでいない人でも臆することなく
手に取ることができそう。

この本の、まず価格設定がいい。
最近では1000円以内で
センスのいい編みもの本を探すことが難しくなった。
(よく探せばあるのだけれど)

表紙にセンスが感じられて、
全体の雰囲気を伝えているものって
かなりの確率で中身も優秀だと思う。
実用書はとくにそれを感じる。

表紙をあけると
まるで北欧に迷い込んだような、
かわいらしい作品紹介の写真。
素朴なんだけれど、おしゃれ心を忘れていない。
デザインは、michiyo、岡本啓子、風工房など。
充実の布陣。(だと思う)

糸の紹介のページがあって
風合いや大体の太さがわかるようになっている。
これもよし。ちなみに糸はハマナカのラインナップ。
ハマナカを扱っていないところはそんなにないから、
通販でも手芸店でも手に入りやすいアイテムなのでは。

編み図はたっぷりとスペースをとって
大きめで載せてくれているのが嬉しい。

「ワンボタンのカーディガン」は輪針を使うのが画期的。
「りすのカーディガン」は、
りすの編み込み模様が、まずめずらしい。
(トナカイはよく見かけるけど)

つくる前から色々とたのしい空想がひろがる。
いまどき、手編みは贅沢な趣味なのかもしれない。
特にセーター類などは、手間も時間もお金もかかる。
既製品を買ったほうがはるかに安くあがる場合もあるから。
でも、じぶんだけのオリジナルは、愛着が違うはず。
編みものをしているとき、手は動かすけれど心は安まる。
編んだ時間の大切な価値は、なにものにも代えがたい。
ウェアは、ベストから挑戦してみたい。





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紙の本私たちのお弁当

2010/03/07 09:46

「お弁当は冷めていてもあたたかい」味わい深い、こだわりの一冊

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 
 何度も繰り返し使う料理本って、じつは少ない。
 そんな中で この本は本当に大好きで何度も読み返してしまう。
 そう。見返すのではなくて読み返す。
 さらっと捲ってもいつの間にかじっくり読んでしまう。
 そこにはお弁当のレシピだけではなく、それをつくる人たちの
 物語があるから。

 実用書としてももちろん使い勝手がよい。
 さくらえびときゅうりのお稲荷さんは
 こじゃれていて美味しかったし、表紙のお弁当は、つくってみると
 しぐれ煮とそら豆の味のコンビネーションに顔がほころんだ。

 この本では、色々な仕事を持ち日々を生きる人たちの、
 お弁当に対するこだわりや工夫が綴られる。
 常備菜や詰め方など参考になるものがいっぱい。
 たとえば、10分でできる!とか、材料はこれだけ!
 と強調するわりにはつくってみると矛盾するような
 不安要素はなし。主張すぎない上品さがいい。
 素材や組み合わせにも普通っぽさが感じられて
 ほかの料理本に比べると それが新鮮である。
 料理をあまり得意としない人にも
 「これならできそう」「これでもいいんだ」と
 お弁当作りのハードルをさげて、テンションをあげてくれる。
 読み終わるとほっこりできるのもいい。 
 
 自分らしさに溢れたお弁当ができあがり、
 ふたを開けて食べるときの、あのわくわくする気持ちって
 本当にいいものです。本の中に出てくる
 「お弁当は冷めていてもあたたかい」という言葉が
 すごくすとんと胸に落ちた。


 好評を博して「もっと!私たちのお弁当」も発売されている。
 このシリーズ、長い時間をかけてスタンダードになりそうな気がする。
 
 
 

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紙の本女ひとりの巴里ぐらし

2011/12/06 20:34

ハンサムガールというよりは、男前とよびたい。

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

初出は1955年で、鱒書房から発刊されていたもの。
石井好子の処女作である。
これは1953年5月から、1954年4月末日までの
石井好子が楽屋でつけていた日記がもとになっている。

石井好子は1951年にパリでシャンソン歌手としてデビューしたが、
(このことは文春文庫の「パリ仕込みお料理ノート」に詳しく書かれている)
その後、ベルギー、スペイン、イタリア、ドイツと、
ヨーロッパじゅうを歌い歩くことになる。
しかし、フランス語もままならず、次々に異国の公会堂で歌う暮らしに
石井好子は虚しさを覚え始めていた。
わたしは、やはりパリで歌いたいのだ。
暮らしのためにパリを離れるほかなかったけれど、
やはりパリへ戻ろう。
そんなふうに、決意を固めるところから、この物語ははじまる。
物語といったが、これは石井好子の半自伝的エッセイである。
しかし、まるで一篇の長篇小説を読んでいるかのように、
鮮やかに人間模様が綴られていく。そうだ、これはまぎれもない物語だ。
パリ。モンマルトルの、華やかな、人情あふれる、そしてせつない、物語。

石井好子はパリへ戻ってから、モンマルトルの有名なキャバレーと契約する。
1年間、365日。休日が1度もない契約。
夜の10時からはじまって明け方の3時半までつづくレビュの歌い手として。
そのキャバレーはパリの歓楽街ピガール広場の1番地にあった。
過酷なスケジュール、猥雑な環境のなかでも、石井好子は常に誇りを持っていた。
『自分の心を込めた仕事』に対して。そして役割をまっとうしたのだった。

石井好子が契約を結んだ「ナチュリスト」という店のレビュには、
男女4人ずつのアルティストと15人の踊り子、15人のマヌカンたちが出演していた。
このほかにもちろん楽隊があり、観客席では女給がチップ目当てに立ち働く。
ちなみにマヌカンというのは露出度の高い、若く美しい女性たちで、
レビュに花を添えるが、踊りはあまり重要視されない。
ほんとうに踊るために出演する踊り子たちとははっきり線がひかれている。
そしてアルティストたちと踊り子たちにもはっきりと線がひかれていた。
パリのキャバレーがどういうところなのか、これを読むとわかる。
そしてレビュ(出し物)のときの熱気や興奮までもが伝わってくるし、
そこに出演している人々の色々な事情までもが描かれているのだ。

アルティストというのは、ソリストととでもいったらよいのだろうか。
6場面あるレビュのなかで、それぞれ見せ場を持つ主役たち。
たとえば石井好子は日本の場面で妙な衣装を身に着け『蘇州夜曲』をうたう。
石井好子のほかアルティストをつとめるのは
スペイン人のカルメン(その名のとおりフラメンコを踊る)、
フランス人の歌手リュシェンヌ、イタリア人のアクロバットダンサー、ジョイアナ。
パリの夜は国際色もゆたかに、彩られていくのだった。
4人のアルティストたちはおなじ楽屋をつかい、長い時間を共に過ごす。
ものの考えかたがまるで違うので対立することも多かったが、
それぞれが本音をぶつけ合えた、と石井好子は書いている。
とくにリュシェンヌとは仲がよく、休憩時間に一緒に食事に出たりしていた。
そしてときには店の愚痴や、踊り子やマヌカンたちの噂話に花を咲かせる。
それにしても365日オフがないとは、なんというハードワークだろう。
異国で、しかも外国の人ばかりに囲まれて、
立派に主役歌手をつとめた彼女の歴史に、あらためて感動する。
まだまだ日本人がフランスでそんなに活躍しなかったころに。

パリへ戻る決意を固めるところからスタートした物語は、
このキャバレーとの契約の最終日、レビュの千秋楽のようすを描いて幕を閉じる。
アルティストたちは契約終了が迫った3月がくると、楽屋でカウントダウンを始めた。
夜の10時から朝の3時半まで歌い続けた毎晩の仕事は、決して生やさしいものではない。
石井好子は、でも、私はへこたれなかった。自分を甘やかしもしなかったつもりだ。
と綴っている。そして、指折りかぞえて楽しみに待っていた千秋楽の当日は、
『拍子抜けしたような、淋しい気持ち』になったそうだ。
大きな仕事をやり終えたときの爽快感ではなく、まるで文化祭が終わってしまったような、
ぽつんとしたがっかりする気持ちを表現しているところが、石井好子らしいなと思った。

憧れの地で、自分の足でふんばってきっちりと暮らしていたシャンソン歌手の名は
これからもずっと語りつがれ、彼女の書いたものは彼女の歌と共に永遠なのだ。

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そっと包み込まれたデリカシーが、心に届く。

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

今回は、対局シーンは少なめ。
将棋のシーンと、その他のシーンが
バランスよくまとまった感じ。
零が、だんだんじぶんを取り戻していく様子が
ほんとうに嬉しくなる。

先崎学の将棋コラムも毎回おもしろい。
専門分野の人は、とかく
専門のことしか目がいかなくなる傾向があるが、
この人はちゃんと「3月のライオン」を
読み込んだうえで、適切な解説をしていると思う。
だからこのまんがのファンも
かなり高い好感度を持って、このページを
読んでいるのではないかと推測する。

さて、三姉妹プラス猫たちは
あいかわらずいい味を出してくれているけれど、
次女のひなたちゃんが、大変なことに巻き込まれてしまう。
彼女が思わずこぼした涙に、零が発するひとこと。
これが5巻のクライマックスなのだけれど、
この何ページかのあいだで、泣いてしまう。
ふたりの思いそれぞれに、感情移入してしまう。
いや、ふたりの思いが、こちらに侵入してくるのだ。
めったに震わせてはいけないところに
そっと(決して無理やりではなく)入り込んできてしまう。
琴線に触れてしまうのだ。

羽海野チカは、ふたりを抱きしめるような思いで
これを描いたのだろうか。
そしておそらくふたりの立場にいるたくさんの人を
抱きしめる思いを持って。
感応してしまう人には、なにかとても壊れやすいものを
そっと包んで差し出してもらったような
気になるのではないだろうか。
「3月のライオン」には、ほんとうにいつも、
大事なことが描きこまれているなぁと感じる。

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紙の本大好きな本 川上弘美書評集

2010/09/05 20:13

するする読むうちに、文章の底にある湖の深さに、惹きこまれていきます。

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

おもしろい。
読み始めると、なかなか本を置くことができない。
本書は、
タイトルからわかるとおり、著者の書評集である。

解説の豊橋由美の言葉によると、
「川上さんは、本を読むときに、
 気持ちだけじゃなく、五感を開いているように、
 わたしには、思えます。
 頭だけじゃなく、全身で読んでいるように
 思えるんです。」(475ページ)

まったくそう思う。
著者が全身で本の世界を旅していく感じが伝わってくる。
この本は、川上弘美の冒険譚なのではないか。
読書を通した仮想世界をまるで本当の経験のように
(だけど、もちろん、知ったかぶりはなし)
表情ゆたかに(まるで身ぶり、手ぶりで)語ってくれるから。
生き生きと。だから、こんなにおもしろいのではないか。

紹介されている本の中には、
わたしが大好きな作品や一度読んだ作品もあった。
だが、書評を読んでいると再読したくなってくる。
そして、名前を知っていたけど、手を出しあぐねていた本は
読まないと損なのではないか、という気にさせられる。
とくに、久世光彦の「謎の母」、筒井康隆の「パプリカ」は
ぜひ読みたくなった。

傾向としては、いまの日本の小説の書評が多い。
ちょっと古めの外国文学が好きなわたしには
とても新鮮に感じられた。

きらきらした言葉、心に留めておきたい言葉が、たくさん、あった。
たとえば、山田詠美の「風味絶佳」の書評の中の、一文。

「贅沢とは、なんだろう。
 何かがふんだんにある、ということではないと思う。
 そうではなく、そこにあるものを、
 ぜんぶ味わいつくすことのできる能力を持った人が、
 実際に味わいつくしている。その状態を、贅沢、というのだと思う」
(222ページ)

全体を通して
やわらかい言葉で語られ、ユーモアもたっぷりなのに、
底に流れる、本に対する著者の姿勢があまりにも真剣なので
こちらもとても真剣になって読んだら、目が痛くなった。
読みたい本がたくさん出てきたというのに、困る。
これは、わたしの目の衰えだけの問題ではない気がする。
川上弘美、おそるべし、である。
今回の文庫化によって、どれだけ多くの読者が、
紹介された本を買うことになるのだろうか。






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紙の本火星年代記 新版

2010/08/18 20:44

生と死、光と影、がダンスを踊る

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

旧版も持っているのだが、
ブラッドベリに出すお金は惜しくない!
と思い、購入した。

旧版との違いは、カバーと解説だけではない。
冒頭にブラッドベリの序文と
本編に、新たに一話が追加されたことと、
一話が差し替えられたこと。
そして、時間の流れ。
旧版では物語のはじまりが1999年1月だが
新版では2030年1月に変わったこと。

本国での初の単行本化が1950年。
いわばファンサービスというかたちで
「21世紀を迎える読者にむけて、
 ブラッドベリ自身が改訂した」
この版は、1997年に発刊、定本とされた。

27編から成る、「火星移住」のオムニバス。
時を追って、色々な人たちの人生が語られる。
火星に移住するにあたって、
時期をずらして探検隊が送り込まれるが、
第1探検隊から第3探検隊までが
なぜか地球に戻ってこなかった。
厳重な体制でさらに第4探検隊が臨み、
民族大移動がはじまる。
火星で初めてのホットドック屋をひらく男。
樹木を植えて酸素と緑を供給しようとする男。
教会を建てようと、やって来た神父たち。
地球からはなれた彼らが、火星ですることは、
やはり地球でおこなわれていることばかりだった。
そして
たまに現れる火星人たちとのシュールなやりとり。
火星はいったいどうなっていくのだろうか。

翻訳がとてもすばらしいのだろうと思うが、
まるで1枚の長いCDを聴いているみたいだ。
詩のような絵画のような美しさを持つそれぞれの曲が
しずかに、問いかけるように、歌っている。

火星と地球が敵対し派手な戦いを繰り広げる話ではない。
淡々と個人の暮らしが綴られる。
そこに、人生の悲哀、文明への皮肉や警鐘が込められる。
どれだけ時が過ぎようとも、人が生きるかぎり
普遍である生への執着、死への恐怖。
それは愛への執着であり、孤独への恐怖ともいえるだろう。
生まれた星をはなれて暮らすことは
じぶん自身への疑問という絶望がつきまとう。
そんなかなしさが伝わってくる。

27編のうち特に印象的だったのは
「夜の邂逅」と「火の玉」である。
「夜の邂逅」でトマスは考える。時間の色とは、音とは、匂いとは。
あたりまえに存在するものに対しての問い。
これも本編でブラッドベリが伝えてくるテーマのひとつだと思う。
そして時間に対する問いとはじぶんの人生に対する問いでもある。
生きているかぎり時間を消費するわけだけれど、
それはいろんなことを選択したりしなかったりの連続だ。
その瞬間は、正しい選択をしているかどうかわからない。
後になってわかるせつなさ。

「火の玉」では人の獣性がえぐり出される。
人を見下すエゴ。自己顕示欲。偽善。
無欲というステージはあまりにも高いところにある。

美しい表現が散りばめられる中にも
深い哲学が内在している。
きっと何年も何年も読み継がれる本だと思う。





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紙の本嵐が丘

2010/07/09 17:12

多くの人々が、取りつかれてしまう理由。少しわかった気がします。

8人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

最後のページを読み終えたときに、鳥肌が立った。
もう一度読みたい、と思った。
そして、とても後悔した。
なんでもっと早く読まなかったのか、と。
出会ったのは、ずいぶん前だったというのに。

「嵐が丘」を読んでいたこの一週間というもの、
他のことをしていても、続きが気になって仕方がなかった。
読み始めたころは、時代があまりにも違いすぎて
小説の世界に入り込むのに少し手間取ったが、
「ディーンおばさん」が登場し、語り始めるところから
がぜん、面白くなってきた。

しばらくは、これは完璧なエンタメなのだと理解していた。
昼メロと犯罪系2時間ドラマを足して、2で割ったような。
しかし、読み進めていくうちに、
物語に徐々に深みが増していった。
これは単なるメロドラマじゃない。
復讐の狂気を描いているだけの話じゃない。
「人間が本来持っているもの」が書かれている。
そして、それらを際立たせるために色んな工夫がしてあるのだ。
二世代間をとおし、ふたつの対立する「名家」をめぐって、
人間の持つ、崇高な美しさと醜い獣性が語られていく。

孤児で蔑まれてきたヒースクリフの
心の一番の拠り所は、キャサリンだった。
しかし愛するキャサリンはエドガーと結婚してしまう。
ヒースクリフは、失望してしばらくの間姿を消す。
そして、富と成功を手にしてから復讐の鬼と化し
悪魔のような行動に出る。
ここでわたしが思い浮かべたのは
タロットカードの「悪魔」という札である。
ヤギのような角を生やし、コウモリのような羽をひろげた悪魔と、
鎖で繋がれた恋人たちの絵。
解釈は色々あるが、「囚われる」というのが大きなキーワードである。
ヒースクリフは、じぶんの支配欲の赴くままに、
復讐劇を繰り広げていくが、
他人を抑圧すればするほど、じぶんのことも苦しめることになるのだ。
「捕えよう」とすれば「囚われて」しまうパラドックス。

復讐するために、社会という枠組みの中で、
力をつけ財を得るという戦いを開始したその時点で、
ヒースクリフは、すでに囚われの身になっているのだ。
現代ではおそらく(小説とか、実生活以外のところでも)、
ここまで人生のすべてをかけて復讐に燃える人物など、
めったに見当たらないのではないだろうか。
(現代人には)そこまで暇も余裕もないというのは承知した上で、
ヒースクリフの、「相手を倒す前にじぶんに力をつける」という
スタンスは、評価したい。それはひとつの美学だと思う。
ヒースクリフのように、ここまで極端ではなくても、
悔しさが、何かを開花させるというのはよく聞く話である。

「嵐が丘」は、たしかに復讐譚であることは間違いないし、
いやな気分になるような残酷シーンもあった。
しかし、わたしには、泥くさいまでの人間劇に映った。
そこまでやるかと思わせる、あの執念。
それは、
徹底的な「生への姿勢」ということではないか、と。
相手をすぐに殺害したり、じぶんが(あてつけに)自殺したりといった
安易な方法ではなく、
両方とも生きたまま復讐をつづけるには
ものすごい根気と熱意と労力がいる。
とにかく相当なエネルギーを要するだろう。

最後に。
新訳の鴻巣さんのアイディアで
「嵐が丘」に対抗する「スラッシュクロス屋敷」が
「鶫の辻」という、なんとも絶妙な呼び名に変わった。
名訳だと、記しておきたい。




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「塩一トンの読書」

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

この春から、就寝前に読む本は「須賀敦子全集」と決めている。
ほんとうに目を閉じるまでの、短い時間に
少しずつ少しずつ、ページをめくるのは
贅沢で幸せな時間に思える。
いや、正直にいえば、もったいなくて一気に読めないのだ。

マルグリット・ユルスナールというフランスの作家に
対する、須賀さんのひたむきな情熱に引き寄せられて
第三巻から手に取り、読み始めた。

第三巻に収められているのは、
須賀さんの敬愛する作家の作品とその作家論を語る、
「ユルスナールの靴」
ヨーロッパの建築をめぐる歴史に対する深い洞察、
「時のかけらたち」
いずれも、主題をとおして著者の過去へ回帰するという
かたちをとっている。そして、
ローマのゲットを実際に目にして、ひろがっていく思いから
イタリアの中でも格別の、ヴェネツィアで過ごした日々、
「地図のない道」
以上の三冊の単行本の内容のほかに
1993年から1996年のエッセイが入っている。

とくに「時のかけらたち」で感じたことだが、
描写がすばらしい。
古びた大きな教会や、階段や、橋が、そこに構えられていて、
その近くで語らう人々の様子さえ浮かんでくる。
いくつかの歴史的事実が、その建築物をさらに重厚にする。
著者の深い洞察が、あたらしい発見をもたらしてくれる。

須賀さんの文章は、読みやすいのに、
ときどきとても鋭くてはっとさせられることが多々あるが
なかでも、須賀さんが生前の夫と暮らしたミラノのアパートの話。
廊下の突き当たりにある小部屋は、もともと物置だった。
そこに、夫の両親が昔、ユダヤ人を匿っていたことがあった。
小部屋には外からは見れない、小さな窓がついている。
「夫がいない昼間、天井の高いキッチンでアイロンをかけたり、
 夕食の支度をしたりしながら、その窓を見上げると、
 背筋に寒いものが走った。ゲットも、戦時のユダヤ人の話も、
 私にとって遠い出来事ではなかった」(本文より引用)
の一文は、衝撃的だった。

エッセイでは、ぐっと文章の全体がやわらくなり、
微笑ましい印象をうける。
わたしがいちばん好きだったのは「塩一トンの読書」だ。
新婚のころ、須賀さんは姑から言われた。
「ひとりの人を理解するには、すくなくとも塩一トンを舐めなければ。」
その言葉の意味するところは、嬉しいことや哀しいことなど、
色々なことを相手と共に経験すること。
塩一トンというのは莫大な量だから、舐め尽すには時間がかかる。
それだけの長大な時間をかけても、一人の人を理解することは
とても難しいことなのだ、と。
その対人の部分を、須賀さんは読書に置き換えて考える。
「すみからすみまで理解し尽すことの難しさにおいてなら、
 本、とくに古典との付き合いは人間どうしの関係に
 似ているのかもしれない。
 読むたびに、それまで気が付かなかった、あたらしい面が
 そういった本には隠されていて、
 ああ、こんなことが書いてあったのか、
 と、新鮮な驚きに出会いつづける。」

わたしにとって、須賀さんのこの全集はきっと、
そういった存在でありつづけるのだろう。
まだまだ、この本の魅力は語り尽くせない。





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