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先月(2017年6月)

SeaMountさんのレビュー一覧

投稿者:SeaMount

13 件中 1 件~ 13 件を表示

紙の本フューチャリスト宣言

2007/08/30 06:55

若者を煽る本だが、おじさんはこんなことを思った

11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

梅田望夫氏の著作・対談は、『ウェブ進化論』、『ウェブ人間論』と読んできた。今回は、雑誌『ブルータス』の特集「脳科学者ならこう言うね」で気になっていた、茂木健一郎氏との対談である。すぐに買って読んでみた。

今までのものもそうなのだが、この本は、一段と若者へのメッセージ性が強い。フューチャリスト、明るい未来像を生み出す人達のことなのだそうだが、なんといっても未来は若者のものだからだろう。そこでは、教育というものも強く意識されている。そのことは、それぞれが実際に教育現場で行った「特別授業」の記録が収められていることからもわかる。そこで、ここでは、まず教育という視点から考えてみたい。スラスラ読めるとの評価のこの本なのだが、教育を語る所では、2カ所ほどその流れが引っかかるのを感じたことも述べたい。

これからの時代は、狭い範囲でもそこが大好きで徹底して掘り下げる人と、俯瞰性を持って異質なものを組み合わせることにより新しい価値をつくっていける人に2極化するだろうということが語られた後に、その一方で、世間にはそれらの「どちらでもない人」も多いことが述べられる(p.116)。その部分を受けた話も期待して読んだのだが、それがスルーされたようにも見えるのは少し引っかかった。

その後、日本とアメリカの教育の違いが語られる。アメリカ人は、モノを知らない小学生くらいの時から、自分の意見を求められ続けるので、自然に自分のアイデンティティを決めていくという。そういった教育が、これからの時代に親和性が高いという。自分が何者かがわかれば、ネットを利用してそれを高めていけるということなのであろう。

日本の教育は、決められた範囲での競争をさせるもので、誰もとんがらせないように談合しているという。茂木氏は、日本の教育への批判を鋭く語り、「自分の好きなことを勝手にやりなさい」というアメリカの教育を持ち上げる。

実は、日本の「ゆとりの教育」は、本来そのような方向性を持っていた。しかし、今、教育現場では、その影響で基本的なことを覚えたり演習したりするようなことを、軽視する傾向の出てきたことが憂慮されている。この本の著者達なら、画一的な教育は後退しても、ネットがあるから大丈夫だと考えるのかもしれない。しかし、好きなことをやるということが、安易で楽な方向に流れる傾向をもたらすだけで、自分のアイデンティティ探しにはつながらないということになっていたら問題である。

ネットでいくらでも情報を集められるとしても、何の情報を集めたらいいのかわからないのではどうしようもない。さらに、いい情報を集めるとなると、基礎となる知識や考え方の枠組みがないと、うまく行かないのではないだろうか。もちろん、なんらかの意味で「とんがっている人」は、自力でそこを乗り越えていくのだろうが、「どちらでもない人」はどうであろうか。梅田氏は、「モノを知らないでしょう、アメリカ人って」というが、そこの所はどうなのだろうか。

それぞれの出た高校についても語られる。茂木氏は、自分の受けた高校教育が、枠の中に閉じこめようとするものであったことへの反発を語り、梅田氏の場合は、自分の好きなことを追求できる環境があったと述べる。この部分で、次への流れが少し不自然に感じられた。そこでは、茂木氏の出た高校の話がさらに出たのではないかと思うのだが、配慮によりカットされたのかもしれない。

それはともかく、私としては、両氏の出たようなエリート校ではなく、「どちらでもない人」が多いであろう普通の学校の教育の未来について語って欲しかった気がする。梅田氏の出た慶應の一貫教育のように、好きなことを徹底してできる環境をつくれる所はいいのだが、普通の学校では、なかなかそうはいかない。そんな中では、教育の場が画一的で息苦しくならないように、ネットを生かして新しい風を吹かせていければいいと思う。

話は学校だけに限らない。どの言語よりも日本語のブログは多いという。ただし、欧米と異なり、匿名中心であることが特徴だという(『ウェブ人間論』p.75)。現実社会の圧力が、それだけ強いということであろう。「とんがっている人」だけでなく、そのような日本の普通の人々が、ネットのパワーによって生き生きとするならば、それは求めたい未来だと思う。

以上のように若干の違和感を抱いた所もあるが、このようなことを考えさせてくれたことも含め、いい本だと思う。基本的には、流れるように読めて、お二人よりも少し年上の、私のようなおじさんまでワクワクさせられるところがあった。

梅田氏の本を読むといつもブログを始めようかと思ってしまう。しかし、それには踏み切れず、このようなところで書かせていただいている。匿名であっても、自分を晒すということに臆病なのである。しかし、今回、「ブログを書くのは、修行みたいな感じですよね」という梅田氏の言葉(p.144)を読み、少し迷っている。オウム世代(その中では上の方)でもある私は、修行という言葉に弱いのである。

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捉えどころがなくなってきているようにも見える「うつ病」を、社会の変容からも考える本

10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

うつ病の本は溢れている、このサイトの検索窓に「うつ病」と入れると254冊が見つかる。30年前には考えられなかったことだ。世間の人々も、「うつ病」と聞いたぐらいでは驚かなくなり、「心のかぜ」でしょ、薬を飲めば治るんでしょと受けとめられる。しかし、一方、朝青龍問題で知らしめたが、精神の症状には捉えどころのないような部分がある。最初、「うつ病」一歩手前といわれたのが、「急性ストレス障害」となり、そのあとは「解離性障害」だという。わけがわからない。

うつ病については、最近、従来のうつ病像と異なるものを取り上げる本が何冊も出されている。『仕事中だけ「うつ病」になる人たち』、『気まぐれ「うつ」病』、『擬態うつ病』などである。このようなタイトルを見ると、いったい何なんだろうという印象を与えるであろう。

本書の著者は、「うつ病はいま、大きな変化のうねりの中にある」として、その様相が異なってきているとする。しかし、その変化の中で精神医学は、「もはや実情に会わなくなったかつてのうつ病論や、患者の苦悩には届きそうもない簡便なマニュアルくらいしか、まだ持ち合わせていない」とする。その変化は、「あえて一言でいうなら「極性」polarityにかかわるもので」、具体的には、「双極2型障害」の登場であるという。この「双極2型障害」が本書の中心テーマであるが、これは、そのカテゴリーにおとなしく収まるものではなく、うつ病概念に根本的な変更を迫るものだという。

うつと軽い躁を繰り返す「双極2型障害」は、一般にも取り上げられ始めている。『読売新聞』でも、「双極2型障害」にかかった記者による『私のうつノート』という記事が6月5日から1ヵ月間連載され、大きな反響があったという。8月28日からは、『うつノート - 変わる常識』という連載も始まっている。その2回目のタイトルは、『「心のかぜ」生じた誤解』である。

この本で目を開かされたことは、うつ病について現在定着している治療法は、「双極2型障害」に関しては歯が立たないどころか、しばしば悪化させてしまうということである。この病気の多くが、最初は「うつ病」と診断されていることを考えると、このことは問題であろう。ここでは、臨床家として、「効かなくもない」薬物を用いながら、なんとかやりくりする中での精神療法の重要性が語られる。

興味深かったのは、「双極2型障害」を持つ者の性格分析である。気分障害全般の病前性格を考えるうえで、前提となる原理は同調性であるという。そして、その同調性という根に由来しながらも、「つねに自己の境界を踏み越えていくモメント」と「他者に支持され、他者から自己規定を受けること」の二つに引き裂かれるのが双極性障害者の心性だとする。閉塞、停滞を忌避する前者の部分は、魅力的で才気あふれる人物をつくり、時にカルトやアングラ文化を志向するという。この部分が健全に機能するためには、後者のことも踏まえ、常に回帰すべきハイマート(故郷)を持つことが必要であるとする。

従来のうつ病のイメージは、経済成長期で、組織に対して忠誠をつくすことで適応ができた時代のものだという。「大きな物語」の失墜した「ポストモダン」の現代において、気分障害に親和性を持つ者の生き方の変容が、この本の大きなテーマである。「今や気分障害は自己確立をめぐる時点での、自立をめぐる病となりつつある。」といい、そこには、人の根源的な次元に触れるものもあると著者は考えているようである。

この本は、専門家向けの要素もあるので少し難しいところもあるが、患者やその家族が読むことで得るものは大きいと思う。さらに、社会の変容と心の病み方の関係に興味を持つ人にとっても、意義のある本ではないかと思う。

なお、「双極2型障害」については、上記連載でも紹介されていたが、『バイポーラー〈双極性障害〉ワークブック-気分の変動をコントロールする方法』という本が出版された。これは、雅子様の治療に当たっている大野 裕氏の 『「うつ」を生かす-うつ病の認知療法』や『いやな気分よ、さようなら自分で学ぶ「抑うつ」克服法』 などでおなじみとなった、薬を飲むのと同じぐらいの効果があるといわれる「認知療法」で治そうとするものである。

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紙の本噓だらけのヨーロッパ製世界史

2007/08/27 07:03

おもしろいし腑にも落ちるが、歴史学者は取り上げないのだろうか

8人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

おもしろくて説得力もあると思います。しかし、著者の展開してきた「史的唯幻論」の他の部分と同じく、この本の説が正統派の学問をゆるがすのには限界があるのでしょうか。専門的な話ではありません。ここで取り上げられていることには、高校世界史に出てくるようなものも多く含まれているのです。

この本で展開される話には、三つの柱があります。まずは、白人は黒人の中で差別され、北の寒冷なヨーロッパへ追いやられたというものです。これについては、異論もあるようで、著者の公式ホームページの掲示板で、「白子」とか「アルビノ」をキーワードに議論が行われ、本人のコメントも読むことができます。

次に、差別された者が一神教を生んだということです。エジプトで差別された者がユダヤ教を生み、その中で差別された者がキリスト教を信じ、それはやがてローマの国教となるが、今度は北の寒冷地に追いやられていたヨーロッパ人にキリスト教が押しつけられ、その屈辱感は根深く残る。さらに、その中で差別された者がアメリカに渡るというような差別と屈辱の連鎖です。土地の痩せたヨーロッパで、そのような宗教迫害や戦争を繰り返して攻撃性を身につけたヨーロッパ人が、それより豊かだった世界を植民地化した(このあたりのことは、前著の『一神教vs多神教』で詳しく展開されています)。その時、自分たちの優秀さを正当化するような、人種差別的な「世界史」が創られたのではないかというのです。

もう一つの柱は、古代ギリシアの問題で、それがこの本の一つの中心を占めます。我々が学ぶ世界史では、ヨーロッパ文明は、ギリシア文明を重要な古典とし、その「再生(ルネッサンス)」から近代ヨーロッパが始まるとされています。そして、そのギリシア文明は、白人(アーリア人)が中心となって創ったものであるとされてきました。しかし、ギリシア文明は、エジプト文明などから派生したもので、黒人が創ったといってもいいものであり、それを白人が創ったというのは、ドイツ人が中心となって偽装した話だというのです。この本では、そのことを主張する、バナールの『黒いアテナ:古典文明のアフロ・アジア的ルーツ』が詳しく取り上げられています。この理論と、それに対するいくつもの批判論文の検討が行われます。バナール説に対してどうしてそのような批判をするかの分析も含め、著者のバナール支持には説得力がある気がします。

著者は、「アーリア人」自体が、日本の天孫降臨神話と同じ架空の存在ではないかといいます。それじゃ、私が今でも覚えている高校世界史の中の数少ない知識である「アーリア人のインド進出」はどうなるの、ということですが、これが広められたのは、イギリス人の植民地経営に都合がよかったからだといいます。そして「世界史」の他のいろいろな部分も、ヨーロッパ人に都合が良すぎるというのです。

ヨーロッパやアメリカが、我が物顔にしてきた近現代において、世界の人々がそれに抵抗することができないような気にさせられてきた背景に、一方的に都合良く書かれた「世界史」があったのでしょうか。昨年、世界史必修逃れの問題が騒がれました。そのこと自体問題ですが、そこでどのような「世界史」を学ぶかということも重要だと思います。私の中に残っているのは、ヨーロッパ人の都合のいいプロパガンダの断片なのかもしれません(この本では、ヨーロッパ製「世界史」への批判は述べられますが、それに対して、どのような「世界史」を考えればいいのかということについては述べられていません。これについては、『日本人のための歴史学―こうして世界史は創られた!』が参考になります)。

世界の人々が、ヨーロッパやアメリカに抵抗することができないような気にさせられてきたと書きましたが、唯一(?)、実質的にそれに対抗し、敗北したのが「大日本帝国」です。このことの位置づけは、著者の「史的唯幻論」の大きなテーマで、『ものぐさ精神分析』以来、『日本がアメリカを赦す日』などの多数の本で展開されてきました。そしてこの本でも、詳しく書き加えられた注を含め、随所で論じられています。

最初に、著者の「史的唯幻論」やこの本の説には限界があるのでしょうかと書きました。そこには、それらの扱われ方が壁となっている面があると思います。たとえば、この本は、大きな書店に行っても精神分析のコーナーに置かれており、世界史のコーナーにはありませんでした。歴史学者から見ればいろいろな突っ込み所もあるのかもしれませんが、それで、この考え方が無視されてしまうのはでなく、ぜひ、専門の方にも検討をして欲しいと思います。

※ 上で触れた、岸田秀の公式ホームページの掲示板のトピックでも、この本を取り上げています。

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紙の本一神教VS多神教

2007/08/27 12:17

一神教から生まれた科学、マルクス主義、そして「正義の闘い」という病 …検証できなくても治療ができればいいのだが

7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

三浦雅史が岸田秀に話を聞くという形式の本で、2001年の同時多発テロのことから話が始まる。この形式は、成功だったようで、三浦氏の的確な質問により、岸田氏の漠然としていた考えが、明確な形を取ったのだという。

ヨーロッパ人が、人種差別に基づく残虐性を発揮して世界制覇を果たしたのは、強烈な被害者意識があったからだという。それをもたらしたのは、白人の始まりが白子で、そのために黒人から差別されたことと、ローマ帝国に無理矢理キリスト教を押しつけられたことだという。そのキリスト教などの一神教は、それ自体が元々虐げられた者の宗教で、それを信じる者のみを絶対化し、侵略を躊躇なく推し進める原動力となったのだという。さらには、現代のアメリカの「テロとの戦争」も、一神教的に自分たちを絶対的な正義とする所から来ているとする。

興味深いことは、押しつけられたキリスト教を、無意識のうちに超えようとして、世界を統一する別の原理を求めたことから近代科学が生まれたということである。また、マルクス主義も、被害者の団結をエネルギー源とする戦闘性に溢れており、キリスト教の別形態であるとする。また、現在のグローバル化の風潮との関係も述べられる。

これらの論考は筋が通っていると思うが、万人への説得力という点で難しい所があるかもしれない。たとえば、白人の起源については、「白人の黒人に対する差別は、太古の時代に黒人に差別されたことへの報復だとしか思えないのです。」(p.36)といい、キリスト教を押しつけの影響については、「キリスト教をおしつけられたということは、それほど大きな被害だったのか。しかし、ほかにどんな原因が考えられるでしょうか」(p.26)というような言い方がされるところが気になる。

白人の起源については、いずれ分子生物学などから答えが出るのかもしれない。しかし、それが正しかったとしても、そのことやキリスト教の押しつけによる屈辱感が、集団の心の奥底に何らかの形で保持されていて、影響を与えているということを検証するのはなかなか困難であろう。しかし、求められることは、理論の客観的な検証よりも「治療」なのではないだろうか。アメリカの「正義」の押しつけが、世界に迷惑を掛けているとすれば、個人の不適切な行動と同様に、それを直してもらわなくてはならない。

人は、異常な事件がトラウマとなり、それを正当化するためにちぐはぐな物語をつくってしまって、神経症となり不適応をまねくという。迫害された不幸な民も、同じようなことをしてしまうのだという。神経症治療では、ちぐはぐな物語を何とか一応筋の通った物語へ書き替えるのだという。そのためには、まず「症状」を自覚して、それに真摯に向き合ってもらうことが必要なのである。しかし、他人に迷惑を掛けている場合、個人でもそれはつらいことである。集団となると、いろいろな利害もからみさらにその困難は大きいかもしれないが、もしその自覚を持つことが出来るのなら、岸田氏の『日本がアメリカを赦す日』の英訳なども読んで欲しいと思う。

ここで、明確な形を取った著者の考え方は、五年後の『嘘だらけのヨーロッパ製世界史』へと発展する。こちらもなかなか読み応えのある本である。

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紙の本暴かれた〈闇の支配者〉の正体

2007/08/28 11:48

ここで展開された「仮説」が、信憑性を増すのかどうか見守りたいと思います

8人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「陰謀」が「陰謀論」として流布し始め、バレそうになったときにどうするか。突き止めつつあるジャーナリストや学者を、自殺を装って殺してしまったり、痴漢の犯人に仕立てあげて信頼をなくすなんて手もあるかもしれませんが、別の「陰謀論」をでっち上げて流布させ、それをコケさせることで、「陰謀論」なんて信じるものじゃないよと思わせるなんてことも行われるかもしれません。アポロは月に行ってないという話は、アメリカ政府が関わる別の大陰謀を意識して拡げられているのではないかという話もあります。それはともかく、書店には「陰謀論」の本が溢れています。

「陰謀論」は仮説です。それを証明する証拠は、簡単には得られませんが、その仮説によって説明できる事実が、新たに出てくれば信憑性を増します。ただし、それが事実だとどのように認定し、どのような論理展開で説明できるとするのかが問題です。それらは、どのようにでもできてしまうという面もあるので、「陰謀論」は、勝手にどんどん増殖していってしまうこともあるのです。

フルフォード氏は、『日経ウィークリー』記者、米経済紙『フォーブス』のアジア太平洋支局長などを経たジャーナリストなので、事実の収集や論理の展開については、それなりの信頼性があると思います。そして、そのような人なので、いろいろな情報も集まってくるようです。様々な人と会い、疑惑をぶつけてもいます。相手が、正直に答えるわけではありませんが、時にはかなりのインサイド情報も得られるといいます。

たとえば、ある閣僚経験者は、「9.11選挙に対するアメリカの干渉はあったのか?」という問いに対して、「ああ、干渉どころか直接金が出ましたよ。… ある大手広告代理店と、日本を代表する経済紙を通して、大量の金を流しました。」と答えたといいます。

あるいは、「複数の信頼できる筋から石井議員殺害を命令した政治家と実行したヤクザの名前を聞いた。揺るぎない証拠も手に入れた。」といいます。ただし、このことは「保険」として、自分がもし殺されたら発表されるように手配してあるのだといいます。

その他、様々の情報が、「闇の支配者」やその対抗勢力の動きとしてまとめられ、広い範囲のことを総合的に考えることができます。すべてを信じることはできないかもしれませんが、いろいろとあるこの手の本を読むのなら、まずこの本を読むことをお勧めします。各論としては、フルフォード氏の『暴かれた9.11疑惑の真相』と奥菜秀次氏の『陰謀論の罠「9.11テロ自作自演」説はこうして捏造された』を比較してみるのも興味深いかもしれません。

私自身は、今までの世の中の動きの説明として、ここで書かれているような「仮説」も成り立つと思います。そして、これからも世の中の動きを見ていて、表面的には変でも、ここに書かれている視点で考えると腑に落ちるというようなことが増えていけば、それを信じる度合いが増していくのだと思います。

なお、『神州の泉』というブログでも、この本のことが紹介されています。

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紙の本日本がアメリカを赦す日

2007/08/27 17:21

「史的唯幻論」による日米関係論の集大成 …英訳はあまり売れなかったというが、集団の精神分析の基礎づけがさらに必要では?

7人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

日本は、ペリーに強制的に開国させられ(筆者の言葉では「強姦」され)、さらには太平洋戦争で原爆まで落とされ、非常な屈辱を感じる一方、それをむしろ良かったこととするような欺瞞に引き裂かれてきたといいます。一方、アメリカは、インディアン虐殺への罪悪感を認めると建国の根本が揺らぐので、過剰に自己正当化をせざるを得ず、そのことが無用な戦争、過剰な攻撃をもたらしているといいます。

このような、日米関係を見るときの筆者の論理は、『ものぐさ精神分析』で、「史的唯幻論」を試みて以来一貫していると思います。そのため、これまでと同じようなことも述べられていますが、このようにまとめられたことには意義があると思います。特に、英訳ということを考えると重要なことだったのではないでしょうか。

今の日本では、保守派の中も親米と反米に分かれ、憲法第九条を改正することが、真の独立につながるのか、あるいはアメリカの軍事的戦略にさらに組み込まれることになるのかの議論が行われています。岸田氏は、この本の中では、憲法改正を支持するかのような書き方をしていますが、最近では、現時点でそれをするのは反対だという意見を『東京新聞』や『朝日新聞』(公式サイトでの引用)で述べています。いずれにしても、日米関係を考える人には、ぜひこの本を読んでもらいたいと思います。もちろん、アメリカの方は、英訳“Place For Apology: War, Guilt, And U.s.-japan Relations”を!

「あとがき」には、「史的唯幻論」を発展させ、世界の歴史を論じてみたいという野望を抱くようになったと書かれています。その「野望」の一部は、『一神教vs多神教』や『嘘だらけのヨーロッパ製世界史』で果たされました。それらでは、ヨーロッパという特異な世界から、その特殊な性質をさらに先鋭化したアメリカが分離し、イラク戦争をしている現状に至る道筋が、白人やキリスト教の起源から論じられており読み応えがあります。

本書や上の2冊の本などでは、国家や民族の歴史を、個人と同じように精神分析することが行われています。それが可能である理由が、この本の『補論』に、「個人の分析と集団の分析」と題してまとめられています。それは、集合無意識というような、神秘的なものを仮定するのではなく、「記憶とは、現在、手持ちの資料にもとづく、過去についての最善の推測である」と考えることで可能になるのだといいます。過去は現在に無数の痕跡を残しており、それらを無理なく自然に解釈すれば、記憶が再構築されるのだというのです。

ここは、基礎となるところで、大きなポイントだと思います。私自身、そういうものかなと思うし、著者の様々な論議の切れ味を見るとそうなんだろうな思うのですが、他人をそれで説得出来るかというと自信が持てません。「無数の痕跡を」どのように「無理なく自然に解釈」するのか、具体的な実例つきでの説明が欲しいと思ったりします。『日本がアメリカから独立する日』というインタビュー記事によると、この本の英訳はあまり売れなかったそうですが、この部分の説得力がもっと必要だったのではないでしょうか。

もちろん、そもそもこのような本をアメリカ人は読もうとはしないのでしょう。しかし、イラク戦争に行き詰まる中、このような本に興味を持つ人もいるのではないでしょうか。誰か、英訳本の“Amazon”のサイトにレビューを書いてくれないかななど思います。

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ユニークな科学者達の狂喜と興奮のるつぼ … その背景には、世界観の対立が潜む?

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

太陽系以外にも惑星はあるのか。あるのならそこに生命は存在するのか。これは、天文学者や生物学者に限らない、「人間の抱く疑問 best10」に入る問いだと思う。もしそれが存在するとしたら、日本人は、けっこう単純に興味をそそられるのだと思うが、最後に述べるように、キリスト教徒には重大な問題であるようだ。

この本では、あきらめかける所までいった太陽系外の惑星が、いったん「異形」なものとして発見されると、次々と見つかり始め、惑星のことなど考えたこともない観測家までが続々と参入し、理論家にとっては何でもありの狂喜と興奮のるつぼとなったことが描かれる。それまでは無意識のうちに、太陽系の惑星と似たものを探していたのが、いったんその枠がはずれると、どんどん見つかったのである。その「栄光」と「歓喜」の物語に続き、とりあえずの惑星理論の収まりどころ、さらに現時点における地球外生命の可能性、そして今後の展望が語られる。

全体として、おもしろくて読みがいのある本だったのだが、一部、スラスラとは読めないところがあった。この分野の理論的研究はコンピュータ・シミュレーションが主要な手段である。その結果だけを提示される部分があり、それは、著者も述べていることだが、「見てきたような話」になるのである。「ああそうですか」とはなるが、「わかった」という気にはなりにくい。そして、定説が定まっていないので、いくつもの説が並列で提示され、落ち着かない気がした。しかし、これは現段階ではやむを得ないのであろう。

その代わり(?)、このような、ビビッドな分野に取り組む研究者たちの雰囲気が伝えられる。その対象が「異形」なら、それに取り組む人たちもユニークで、ある人は、日本に来て、パチンコや渋谷の若者の風俗に興味を持つと、それらのフィールド・ワークに行ってしまったという。あるいは、人を笑わせながらしゃべりまくる中で、議論もして構想を練る研究者。この人は論文を読む時間がもったいないと、必要なら国際電話でもかけまくって本人にとことん聞くのだという。このような人達と競いつつ、「共同知」を創り上げることの喜びが伝わってくる。

NHKブックスの地学分野の本を何冊か読んだが、それらは、その時に一番進展している分野を、何がわかっていないのかというところも含め、やや高いレベルまで踏み込んで伝えようとしている気がする。そこには、その時点での到達点を知らせ、そこに若者が参入してくることへの期待も込められていると思う。この本を、ワクワクして読み切ってしまった若者は危ないかもしれない。NHKブックスを読んで、人生の進路を変えた人を知っている。って、オレか!?

冒頭に書いた、太陽系以外の惑星や生命の存在についての問いは、われわれの世界観にも関わるものである。それは、月食の陰などから、我々の大地が球であることを知った古代ギリシャの時代から論争されていることで、地球が奇跡的で特殊なものなのか、あるいは、一般的なもので、宇宙には普遍的にあるようなものなのかという見方の対立にかかわるのである。この問いは、特に、すべてを神が創ったと考えるキリスト教では重要である。系外生命の発見があたえるインパクトについては、カール・セーガンの『コンタクト』でも描かれていた。

私は、ジョディ・フォスター主演の映画で見たのだが、大変いい映画なので、この本に興味をもった方にはお勧めする。この本で描かれた方法とは異なり、電波望遠鏡で直接地球外知的生命を発見しようとする、SETIプロジェクトのことも生き生きと描かれている(《ウィキペディアの解説》、《映画評》)。そこでは、政府の宗教顧問(キリスト教)とカルト宗教家が大きな影響をあたえるのである。

著者は、この本のいくつかの書評から、改めてこのことを意識したようだ。井田氏は自分のホームページのなかで、「キリストは唯一絶対で,そのキリストが生まれた地球は 特別なのだ」という考え方と「神は全能なのだから地球だけでなく,他の星にも平等に生命を 授けるに違いない」という考え方の対立は、過去の思想家だけでなく、現代の欧米の科学者のなかでも変わっていないという。中間はなく、どちらかの考えを持っているというのである(「『異形の惑星』への書評に対する感想」)。

われわれから見ると、このような対立は不思議なことにも思えるが、そもそも「全知全能の神が創ったこの世界は、合理的に創られているに違いないといういう[キリスト教的偏見]がなければ」自然科学は生まれなかったというのだから、無理もないことなのかもしれない。

井田氏は、ある書評から、「異界を求めながらも、天文学者たちを突き動かす地球への想いとは何なのか?」という根源的な問を、宿題として突きつけられたとしている。それをしたのは、新聞に載ったプロの書評ではなく、某ネット書店の、読者評だったということである。

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けして古くはなっていない科学論 … 今でも常識を揺るがせる問題提起

5人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

科学論は、科学の発展を振り返ることから生まれる。したがってこの本は、科学史の話でもある。科学史は一筋縄ではいかない。科学の中での論議は、新しいデータなどが出てくれば決着の付くことが多いのだが、その歴史となると、一般の歴史と同じく、捉え方により様々の見方が出てくる(※)。だから、そんなややこしいことに踏み込んで頭を混乱させるより、科学のたどり着いた成果の話を楽しんだ方がいいという気もしてしまう。でもやはり気になる。それは、科学はこれからも進歩するし、その未来を考えるには過去を知ることが必要だからだ。

村上陽一郎は、日本のこの分野の第一人者だといっていいと思う。著作も多い。その中で、この本は、某有名ネット書店では一番売れているという。もう、28年も前の本である。2006年までに41刷を重ねている。

売れている第一の理由は、「序に代えて」にあるように、中学生にもわかってもらえるように解きほぐして説明しつつも、内容の水準を落としてはいないところにあるのだろう。構成もシンプルで、「科学的なもの、人間的なもの」という序章に続く2つの章だけから成る。

「第1章 科学についての常識的な考え方」で述べられたことが、今でも常識であろう。常識というだけあって、すっきりしていて理解しやすい。それは、科学は、客観的データの積み重ねにより段階的に進歩していくというものである。しかし、その常識は第2章でひっくり返される。

「第2章 新しい科学間のあらまし」は、2つの節から成る。「第1節 文化史的観点から」で主張されることの中心は、キリスト教が、自然科学の生まれた直接的な原因になっているということである。これは、常識に反する考え方であろう。

全知全能の神が創ったこの世界は、合理的に創られているに違いないといういう「キリスト教的偏見」がなければ、ガリレオもニュートンも、その発見はなかったというのである。それが、18世紀の「聖俗革命」(これは著者の提唱した言葉)により、神のことが「棚上げ」され、故意に忘れ去られたのだという。

「第2節 認識論的観点から」では、まず、常識で考えられているように、「事実」が科学理論を造るのではなく、科学理論が「事実」を造るのだということがいわれる。たとえば、「ここに肺ガンの病巣がある」ということは、専門家の病理学の理論に基づいた知識が前提となって「事実」となるのある。あるいは、なにかの還元反応で出た酸素の泡を見た人は、古来いくらでもいたはずだが、「酸素を発見した」ということは、酸化=還元の理論があって初めていえるのである。このことがこの本でいいたいことの一つの中心だという。

次に、「事実」の見方さえ変えてしまうような科学理論の変換が、どのように起きるかの問題が取り上げられる。トーマス・クーンが、その著書で、そのような科学理論の変換を「科学革命」と呼んだことが紹介される。今や、いろいろな所で使われるようになった「パラダイム・シフト」のことである。しかし、著者は、この理論には変更を加えなくてはならないと考えているという。クーン自身、その後、誤解を招くことが多い「パラダイム」という言葉を使わなくなった。この問題は、出版から30年近くたった今でも決着がついていない。このあたりのことは、『ウィキペディア』の「パラダイム」の項に詳しく書かれている。

著者自身「序に代えて」で断っているように、ここで書かれたことは問題提起なのである。この本を読んだ人が、「瑞々しい稔りをたたえた科学観の世界を切り開いてくだされば、著者としてこれほどの喜びはありません」というのである。しかし、「瑞々しい稔り」が得られたとはいまだいえないのである。それゆえ、何が問題となるのかを理解しておくために、この本を読むことは、今でも意味があるのである。

※ 日本の近代史など、いろいろと論争が行われていますが、世界史の捉え方も様々で、以下の様な本には目を開かれます。
   岡田英弘『日本人のための歴史学―こうして世界史は創られた!』
   岸田秀『嘘だらけのヨーロッパ製世界史』
岸田秀は、この本の前提となっている『一神教vs多神教』のなかで、科学は、(マルクス主義と同じく)、キリスト教の異端だといっています。

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紙の本唯幻論物語

2007/08/28 09:21

深いがわかりやすくて、いろいろと腑に落ちる … そもそも精神分析は、常識的な人間理解をいくらか深めたものだという

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岸田秀の本は、しばらく読んでなかったが、最近、『嘘だらけのヨーロッパ製世界史』の紹介を“SAPIO”の[著者と語る肖像]で見たことから、この本とその前提ともいえる『一神教vs多神教』を読んだ。どちらもおもしろかった。『唯幻論物語』は、以前に読んだことの繰り返しが多いのだろうと思って読まないでいたが、ある意味では自分と似たような思いを持っていた人が、「本当の本だけが知らせる直感のようなもの」に惹かれて読み、評価をしているのを見て、自分も読んで見ることにした。初めての書き下ろしということだが、そのせいもあってか、深みもあり大変おもしろかった。

岸田氏の本は、わかりやすいのでベッドに寝っ転がりながら何冊も読んだものである。しかし、そのうちにいろいろと考えさせられて、起き上がったりもした。この本では、著者のわかりやすさへのこだわりが語られる。それは、自分が興行師の育ちだからかもしれないというが、そもそも、精神分析自体が常識的な人間理解をいくらか深めて体系化したものなのだという。それはすでに諺などでも言及されているとして、多数の語句が挙げられている。例えば「下司の勘ぐり」は「投影」を示しており、それに気付けば自分の無意識を見いだすこともできるのだという。なるほどと思わされる。

逆に、その精神分析をわざわざマルクス主義、構造主義や言語学などの別の枠組みに入れたり、独自の用語に特別な意味をつけて難しくしている人々のことを批判する。ある人物については、安っぽく見られないために、男にコストを掛けさせる女性に例えている。それは少し言い過ぎか。学者の世界などにいて、オリジナルな業績をあげなくてならなかったという人もいるであろう。一般の読者には関係のないことであるが。

この本でも、著者のわかりやすい語り口は発揮されている。『物語』は、母親との関係が出発点であり、その部分が丁寧に語られる。幸せな親子関係であった人は、このような話に関心を持たないだろうというのだが、そこから生み出された『唯幻論』が、意外な説得力を持っていておもしろく感じた人は、それが生み出された過程にも興味を持つと思う。私自身は、この本を読んで、いくつかのことが一段と腑に落ちた。ただし、史的唯幻論の部分については、まだ少しもやもやする。

精神分析は常識的な人間理解を深めたものだというが、この本を書くきっかけをつくった小谷野氏は、浅い常識の範囲で岸田氏のことを語ってしまったということになるのか。反論されるのなら読んでみたい

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けして古くはなっていない科学論 … 今でも常識を揺るがせる問題提起

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科学論は、科学の発展を振り返ることから生まれる。したがってこの本は、科学史の話でもある。科学史は一筋縄ではいかない。科学の中での論議は、新しいデータなどが出てくれば決着の付くことが多いのだが、その歴史となると、一般の歴史と同じく、捉え方により様々の見方が出てくる(※)。だから、そんなややこしいことに踏み込んで頭を混乱させるより、科学のたどり着いた成果の話を楽しんだ方がいいという気もしてしまう。でもやはり気になる。それは、科学はこれからも進歩するし、その未来を考えるには過去を知ることが必要だからだ。

村上陽一郎は、日本のこの分野の第一人者だといっていいと思う。著作も多い。その中で、この本は、某有名ネット書店では一番売れているという。もう、28年も前の本である。2006年までに41刷を重ねている。

売れている第一の理由は、「序に代えて」にあるように、中学生にもわかってもらえるように解きほぐして説明しつつも、内容の水準を落としてはいないところにあるのだろう。構成もシンプルで、「科学的なもの、人間的なもの」という序章に続く2つの章だけから成る。

「第1章 科学についての常識的な考え方」で述べられたことが、今でも常識であろう。常識というだけあって、すっきりしていて理解しやすい。それは、科学は、客観的データの積み重ねにより段階的に進歩していくというものである。しかし、その常識は第2章でひっくり返される

「第2章 新しい科学間のあらまし」は、2つの節から成る。「第1節 文化史的観点から」で主張されることの中心は、キリスト教が、自然科学の生まれた直接的な原因になっているということである。これは、常識に反する考え方であろう。

全知全能の神が創ったこの世界は、合理的に創られているに違いないといういう「キリスト教的偏見」がなければ、ガリレオもニュートンも、その発見はなかったというのである。それが、18世紀の「聖俗革命」(これは著者の提唱した言葉)により、神のことが「棚上げ」され、故意に忘れ去られたのだという。

「第2節 認識論的観点から」では、まず、常識で考えられているように、「事実」が科学理論を造るのではなく、科学理論が「事実」を造るのだということがいわれる。たとえば、「ここに肺ガンの病巣がある」ということは、専門家の病理学の理論に基づいた知識が前提となって「事実」となるのある。あるいは、なにかの還元反応で出た酸素の泡を見た人は、古来いくらでもいたはずだが、「酸素を発見した」ということは、酸化=還元の理論があって初めていえるのである。このことがこの本でいいたいことの一つの中心だという。

次に、「事実」の見方さえ変えてしまうような科学理論の変換が、どのように起きるかの問題が取り上げられる。トーマス・クーンが、その著書で、そのような科学理論の変換を「科学革命」と呼んだことが紹介される。今や、いろいろな所で使われるようになった「パラダイム・シフト」のことである。しかし、著者は、この理論には変更を加えなくてはならないと考えているという。クーン自身、その後、誤解を招くことが多い「パラダイム」という言葉を使わなくなった。この問題は、出版から30年近くたった今でも決着がついていない。このあたりのことは、『ウィキペディア』の「パラダイム」の項に詳しく書かれている。

著者自身「序に代えて」で断っているように、ここで書かれたことは問題提起なのである。この本を読んだ人が、「瑞々しい稔りをたたえた科学観の世界を切り開いてくだされば、著者としてこれほどの喜びはありません」というのである。しかし、「瑞々しい稔り」が得られたとはいまだいえないのである。それゆえ、何が問題となるのかを理解しておくために、この本を読むことは、今でも意味があるのである。

※ 日本の近代史など、いろいろと論争が行われていますが、世界史の捉え方も様々で、以下の様な本には目を開かれます。
   岡田英弘『日本人のための歴史学―こうして世界史は創られた!』
   岸田秀『嘘だらけのヨーロッパ製世界史』
 岸田秀は、この本の前提となっている『一神教vs多神教』のなかで、科学は、(マルクス主義と同じく)、キリスト教の異端だといっています。

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学校で習った「世界史」の見方を大きく変動させる本

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本書の著者を、心酔者の偏見と断りながらも、「日本国が二世紀後、三世紀後に存在しているのなら、この史学こそ日本国民のナショナルアイデンティティになると確信している」などと評価する文章を読んでいたこともあり、いずれ何かを読んでみようと思っていた。この本が出され、広い題材を扱っているので、最初に読むにはいいかと思い購入した。

『日本人のための歴史学』は、2001年に『歴史の読み方 ― 日本史と世界史を統一する 』という書名で出版されたものを改題・改訂したものである。ネット上で比べてみたら、各章のタイトルも変えられており、そのうちの3つが帯に並んでいた。《偶然の積み重ねが歴史をつくる!》(第1章)、《大モンゴル帝国から世界史は始まる!》(第2章)、《アジアは一つという嘘!》(第5章)である。これらはもともと『歴史をどう読むか』、『世界史をどう読むか』、『アジア史を読む』という素っ気ないものであった。それらが変えられて、帯でのキャッチフレーズにも利用されたわけだが、それらは読後感を裏切るものではなかった。

この本には、元々雑誌記事などであった15の文章が、5つの章にまとめられている。1990年代のものが多いが、70年代のものもある。最初の『世界史は成立するか』も70年代のもので、日本で教えられている「世界史」は、事実偏重、論理不在の奇怪なもので、「それでも世界史を教えなければならない。この矛盾を解く道はただ一つ、大学入試の科目から世界史を廃止することである」と書いている。その時代に受験科目として「世界史」を学んだ者としては、複雑な思いを持つ。

1990年代の文章で、著者は、モンゴル帝国から始まる「世界史」を展開する。それは、モンゴル帝国として結集した中央ユーラシアの諸民族が、最終的には20世紀の中国とソ連を生み出し、そこから多大な圧力は受けたが、統合はされなかった日本と西ヨーロッパが、現代の資本主義経済を生み出したというものである。このあたりの話は大変おもしろかった。このような筋道があれば、受験の後も、もう少し私の中に世界史の知識が残ったのではないかと思う。

後半は、中国が中心で、『第3章:この「厄介な国」中国の過去と現在』(元の題は『中国史をどう読むか』)と『第4章:「日中友好」は災禍の歴史だ』(元の題は『日中関係史を読む』)という章名が付けられている。最近の風潮に合わせたものだという気もするが、岡田氏は、日中国交回復時の70年代から同じ主張をしてきたことがわかる。
 
『新版へのあとがき』では、「このように一冊にまとめて見ると、私の生き方全体が本書に集約されている観がある。私の生涯は、歴史を日本史、東洋史、西洋史という三つの分野に分けて考えるのをやめて、一つながりのものとして見る方向に向かって進んできたのである。」と述べた上で、著者が国際的に活躍するようになったその経歴が語られる。

著者は、1966年から93年まで東京外語大の研究所で、助教授、教授を務めるのだが、講義を担当することはなかったという。この本では、日本の歴史学への批判が語られるが、それと関係があるのであろうか。最後には、「私はこれからも、分野別の歴史の壁を無視して、人を驚かせ続けるだろう」と宣言する。この本は、統一感に欠けるともいえるが、その分いろいろなことが読み取れる。この著者の本を初めて読んだ私には、学校で習った「世界史」の見方を大きく変動させるものであった。

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紙の本騙されるニッポン

2007/08/28 20:46

ステータスも高収入も捨ててフリーランスとなった古歩道氏が日本を思う気持ち

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何年か前に、ベンジャミン・フルフォードが「TVタックル」に出演し、激しくアメリカ批判をして、隣の米国人経営コンサルタントの前に置いてあった星条旗を床に落とすのを見たことがある。その後、テレビに出てる姿を見ないが、『暴かれた9.11疑惑の真相』や 『暴かれた〈闇の支配者〉の正体』 などという本を書いたせいだろうか。

この本は、「世界を欺き続けるアメリカの論理」(第3章)や「国民を見殺しにする日本政府」(第4章)に、日本人がいかに騙されているかを伝えるものである。それに当たって、「誰が真実を歪曲しているのか」(第1章)というと、様々の圧力を受けて「騙しに加担する日本のメディア」(第2章)が、大きな役割を果たしているのだという。その上で、「日本人が身につけるべき本当のメディア・リテラシー」(第5章)について述べる。

圧力を受けてマスコミが騙しに加担するといったが、そこには、闇の世界からの様々の脅し、あるいは実際の暗殺などもあるようだ。著者は、元々日経ウィークリー記者、米経済誌「フォーブス」アジア太平洋支局長を勤めた人なので、そこで働いていたときに、実際に受けた脅迫や圧力、上司のからの規制などの話にリアリティがある。

この本に書かれていることは、上記の本などで読んだことのあることも多く、まやかしの経済の話、あるいはヤクザや警察の話も含め、いろいろなことがコンパクトにまとめられているともいえる。私が、おもしろいと思ったのは、外交官を父に持った少年時代からのいろいろなの国での体験、青春時代のアマゾンなどでの冒険的生活、そして留学で日本に来て以降の様々な経験の話である。特に「フォーブス」をやめた経緯が興味深かった。

取材のためには飛行機乗り放題で、月30万円の交際費が使え、年18本の記事を書くだけで2000万円の年収が保証されるという地位をなぜ捨てたのか。パソコンセキュリティソフトの会社が、自社で作ったコンピュータウィルスを流出させていたという特ダネの証拠を集め記事を送ったところ、その会社が大広告主であることなどから、それが潰されたというのが一番大きかったようだ(このパソコンに入っているソフトじゃないだろうな!)。それ以外にもいろいろとあり、結局、「お金持ちのためのポルノ」を書いているようだと感じるようになってやめたのだという。

独りぼっちで、収入もなく不安だったが、10代のころの冒険を思い出せばどうってことはなかったという。自由人となって、心は軽く強くなり、それと同時に日本のことを放っておけない気持ちになったという。そして、日本国籍を選んだのである。古歩道ベンジャミン、今後も彼の伝えてくれることには、耳を傾けていきたいと思う。

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感心しないところもあるが、さらなる論議の過程としての意義はあると思います

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9.11テロの「陰謀論」については、昨年の夏から秋にかけて、ベンジャミン・フルフォードの『9.11テロ捏造 日本と世界を騙し続ける独裁国家アメリカ』と『暴かれた9.11疑惑の真相』が出版されました。今春に出されたこの本は、ベンジャミン・フルフォードが『9.11真相究明国際会議 in Tokyo』で叫んだ言葉を揶揄するところから始まります。そして、「9.11テロ陰謀論」批判だけでなく、「陰謀論」一般への考察も行われます。

『「9.11テロは自作自演」を検証する』と題する前半は、あまり感心しませんでした。確かに、9.11の「陰謀論」にはいろいろと突っ込みどころはあると思います。不十分な情報に基づき、間違った憶測をしている部分もあるでしょう。しかし、それについては、より情報を多く持っているアメリカ政府側が誤解を解けばいいのです。

この本では、公式の報告書によってそれがなされているとし、それも引用しつつそれなりに説明もしていますが、十分とは思えません。また、飛行機が衝突していないWTC第7ビルについては、その崩壊の理由についてきちんとした報告書は出ていないはずです。著者は、「自由落下」ではなく「ほぼ自由落下」だから爆破ではないといいたいようですが、鉄骨の抵抗を受けながらそれが可能だとは考えにくいです。最後に書かれている、9.11陰謀論とホロコースト否定論の結びつけも、一部にそれがあるにせよ、本筋とは関係ないと思います。

後半は、『世界は陰謀に満ちているのか?』と題して、真珠湾攻撃やベトナム戦争のトンキン湾事件などを取り上げています。結論は、アメリカの情報機関は杜撰であり、このような組織を使って陰謀を企て実行することは不可能だというものです。これには反論も可能でしょうが、書かれていることは、資料も詳しく、なかなか読み応えがありました。

トンキン事件でも、それが“幻想”であったと、ほぼ確定するまでに30年がかかっているといいます。9.11テロについては、今後も議論が続いていくでしょう。自作自演で行われたのか、不手際が重なり防げなかったのか、こういったことについての情報は、簡単には出ないものも多いでしょう。しかし、9.11テロには、多くの映像も残されており、純粋に物理学や建築学の視点から検討することも可能です。陰謀論がホロコースト否定論と結び付けられるような状況のない日本での、専門的な見地を持つ人による議論が待たれます。

そんな中、今年も秋にかけて、いくつか本が出版されるようです。私自身は、学術書として出版されるという『「WTCビル崩壊」の徹底究明:破綻した米国政府の「9・11」公式説』に期待しています。

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