サイト内検索

詳細検索

ヘルプ

セーフサーチについて

性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示を調整できる機能です。
ご利用当初は「セーフサーチ」が「ON」に設定されており、性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示が制限されています。
全ての作品を表示するためには「OFF」にしてご覧ください。
※セーフサーチを「OFF」にすると、アダルト認証ページで「はい」を選択した状態になります。
※セーフサーチを「OFF」から「ON」に戻すと、次ページの表示もしくはページ更新後に認証が入ります。

  1. hontoトップ
  2. レビュー
  3. 夏目陽さんのレビュー一覧

レビューアーランキング
先月(2017年9月)

投稿数順ランキング
先月(2017年9月)

  1. 1

    UP

  2. 2

    UP

  3. 3

    UP

  4. 4

    UP

  5. 5

    UP

    体が硬い人のための柔軟講座 (NHKテキスト 趣味どきっ!)

    体が硬い人のための柔軟講座 (NHKテキスト 趣味どきっ!)

    中野 ジェームズ修一 (講師),日本放送協会 (編集),NHK出版 (編集)

    5つ星のうち 4.0 レビュー詳細を見る

夏目陽さんのレビュー一覧

投稿者:夏目陽

3 件中 1 件~ 3 件を表示

紙の本コルシア書店の仲間たち

2008/01/07 00:00

かけがえのない共同体

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 カレンダーの上についている写真を見ると、こんな綺麗な場所に行ってみたいと何度となく思うことがある。写真はそこにあるものを寸分違わず、私たちの元へと届けてくれる。写真の撮られた場所に行けば、それがある。だが、それを文章で表現するとなると難しい。その場所のよさを余すことなく伝えたとしても、そこにほんの少しの誇張があれば、実際に行った時にがっかりするからだ。美文であるがゆえに、元の景色よりも描写されたものが勝ってしまうのだ。
 しかし、須賀敦子の描写するイタリアは、非常に等身大の姿を描写している。美文でありながらも、それを褒めすぎず、汚しすぎず、落ち着いた筆致で書かれている。読んでいる最中、そっと目を閉じると、須賀敦子の見たイタリアの風景がぼんやりと浮かんでくる。
 本書に収録されているのは、コルシア・デイ・セルヴィ書店を軸にめぐる作者とその周りの人々との、小さな共同体の話である。貴族の世界、ユダヤ系一家の物語、友達の恋の落ち着き先など、さまざまな人々との交流を描いている。
 海外を舞台にしたエッセイはたとえば、日本とはこういった点で異なるといった比較的なものや、現地で苦労した苦労話、あるいは異文化コミュニケーションなどを中心に据えたものが多い。しかし、須賀敦子は決してイタリアと日本を比較するわけでもなく、その苦労を語るわけでもなく、自身が日本人であることを強調するわけではない。彼女が書くのはイタリア、ミラノで行われた些細な日常の一部であり、ナチュラルなミラノの姿であるのだ。
 コルシア書店がなくなるとき、須賀敦子はそれを愉しい「ごっこ」の終りと書いた。それを読むと、このコルシア書店を軸に広がっていた共同体は、まるで小さな子供たちがなんとなく集まり、無邪気に遊んでいたかのような雰囲気を感じる。その共同体の終わりはすなわち、大人になるということだ。たくさんのしがらみを背負わなければいけないことだ。大人になってしまえば、この共同体に戻ることは、出来ない。
 だからこそ、このかけがえのない共同体は、まさに青春と呼ぶに値するものではないだろうか。少なくとも私は、これを青春と呼びたい。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本LOVE

2008/04/20 20:00

ジャンル「古川日出男」

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 私たちの誰もが読書をしながら、これは恋愛小説だろうだとか、これはSFだろう、ミステリーだろうと考えるものである。それはSFならば、SFのコードがあり、そのコードに従って読むことによって、今後の展開を予想することが出来るからだ。また本の厚さもそうだ。ページが少なくなるにつれて、そろそろ物語をまとめるものがくるのだろうという想像を、私たちは無意識のうちにやっている。
 だが、古川日出男にはそれらは通用しない。彼の小説は何かのジャンルにはめ込もうとすれば、必ずはみ出している部分が見つかる。またページを参考に彼の小説を読み解こうとしても、その強靭な文体のリズムにいつの間にか飲み込まれ、今、自分が物語のどこにいるのかわからなくなってしまう。
 本書は第十九回三島由紀夫賞受賞作である。おおよそ、他の文学では受賞させなさそうな作品から、正統派の文学、あるいは新しい流れに受賞させることの多いと感じる三島賞だが、まさにそういった賞にうってつけなのがこの古川日出男であると思う。彼の書く小説は乱雑で、無鉄砲で、それでいて力強く、煌びやかだ。
 本書は奥付によれば、前作『ベルカ、吠えないのか』に対する猫的アンサーである。『ベルカ』は何匹かの犬の血が、世界的に展開し、半世紀の出来事を書き換えようと試みた作品である。それに対し、本書は『ベルカ』に比べれば、時間はほんの短い期間であり、舞台も東京だけである。だが、古川日出男はこの狭い東京の中で、東京という都市を書き換えてしまおうと試みたい。歴史的にではなく、地理的にだ。
 私は本書が横に広い小説であると思っている。この前作『ベルカ、吠えないのか?』が、縦に長い小説であった。ここまで真反対の小説を提出したのは、これが古川日出男が言うところの『ベルカ』への猫的アンサーだからであろう。『ベルカ』が20世紀を犬の視点から再構築した年代記ならば、こちらは東京という都市を猫の視点から再構築した群像劇と言える。『LOVE』における物語の視点は非常にめまぐるしく、時間軸の把握が困難である。だが、実際に主要な出来事が起こったのは『ベルカ』の何十分の一にも満たないほんの些細な時間なのだ。いくかの掌編が重なり合うように展開していく手法は、まさに長編というよりもよいところを過剰なまでに詰め込んだ短編のように読める。
 強靭な足腰を武器に古川日出男の物語は展開していく。本書もそれに漏れず、力強いリズムで読者らを引っ張っていく。日本人でここまで強靭な足腰を持ち、想像力を駆使する作家は古川日出男だけだろうと私は思っている。


このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本アルカロイド・ラヴァーズ

2007/12/22 23:15

楽園への飛翔

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 思えば、星野智幸は官能的な作家であった。「最後の吐息」でも、三島由紀夫賞を受賞した「目覚めよと人魚は歌う」でも、むせ返るような官能を匂わせいた。その後、野生的とも思える官能性は影を潜め、文明批評に徹して作品が何作か続いたが、本作で星野智幸らしい官能性を取り戻したといえる。本作で描かれている楽園はどこまでの官能的である。なぜならば、楽園では誰とでも恋愛ができるのだから。その姿は澁澤龍彦が憧憬した楽園の姿とよく似ている。
 しかしながら、咲子はその楽園を追放される。なぜならば、ただそばにいるだけでよい関係を望んだからだ。それは恋愛や官能という段階ではなく、もっと無邪気な、あるいは無垢な感情だ。咲子は植物のような恋愛を望んでいたのだ。
 だからこそ、陽一と結婚したのち、彼女は彼に毒を飲ませ続けたのだろう。この世にいる限り、子を成すことが掟なのだから、ただそばにいるだけでよいという関係ははじめから成立しない。ならば、毒を与え続け、種無しになってしまえばいい。結局、咲子の居場所は楽園にも、この世にもないのだ。
 終盤、咲子はこの世に楽園を創造しようとする。それはそれまでの楽園とは似ているが、少し違う第三の楽園である。そこにはベンジャミンとしてこの世に転生したサヨリと陽一草となったヨウイチ、そしてサキコがいるだけである。咲子は言う。「この楽園で生きたければ、あらゆるものと恋をせよ」と。箱庭程度だが、彼女らは楽園へと飛翔したのである。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

3 件中 1 件~ 3 件を表示