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先月(2017年6月)

べんぞう(伊藤祥司)さんのレビュー一覧

投稿者:べんぞう(伊藤祥司)

2 件中 1 件~ 2 件を表示

切韻諸本反切総覧

2008/08/03 01:21

頼先生がお使いの上でこの本に個人的に施されてゐた彩色についての想い出

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

私が持って行った習練作業課題結果での疑問に、
頼先生がお宅の玄関口で調べに開いて下さったのがこの本であったが、
螢光色書き込みのデザインが見えるのが意味でもあるので、
詳しく見ようとするとややお遮ぎりになられた。
しかし、各韻の韻首の孤立を(番號から開合四等まで)朱色の色鉛筆で圍われてゐることは、こうしておくと便利と仰ってをられた。
他の意味の追究を遮ぎったのは、個人的な書き込みであり、
定式としての樣式ではないからということであった。
しかしとても見ておくべき良い「景色」に思って、おしらべの間、
チェック用デザイン色彩と意味の兼ね合いをチェックしようとして眼を凝らしてしまった。
非常にシンプルで、判りやすい感じが、私の當時の把握の程度と凄く對照的なのである。
すると、韻首の孤立の赤鉛筆の他には、全てパステル螢光色線で、
「開口の幾等」(例えば「開三」)は黄緑の長丸圍い(丸圍いだが二字だから結局橢圓ということ)がしてあり、
「合口の幾等」(例えば「合四」)は黄色の長丸圍い(同上)がしてあり、
子供の印しつけみたいな感じがしたが、色の感覺は見ならうべきであると思い、そういうふうに全部記憶にとどめようとした。逐一意味を尋こうとすると、開合については自分が見易い爲だけだと仰った。
それの利點は、
唇音が、その二色の彩色以外としてすぐ見つかること、
開合のある韻とそうでない韻とがすぐに色彩的に判ること、などがある。
次に、陸韻番號の末尾からを紫線で區切ってゐることがその色彩採用感覺と共にとても興味深かった。
陸韻に無かったと考え得る紐はそのように末尾に番號以外として並ぶ中で、廣韻に無いの(「広 ナシ」)は更に末尾に寄せてある。
私がそれの始まる境目に黄色で區切り線を引くのは、先生がそのようであったかどうか、實はもうはっきりとは思い出せない悲しい工夫部分である。
他は更に、もう當時にして既に思い出せない。(書物への彩色とか記號のことなので、その意味と共にでないことは記憶出來なかった。)
六時にうかがったらもうおうちはまっくらで寢間着姿の寢起きで見て下さったことがあり、もう少し早い時間にと言われたが、その時は多分、いつもの、養生の心得が端整に現れたような和服のお姿で、こんどからもうわざわざでなく郵便でと仰りながらもチェックと、先生の氣になるに點ついての話題を、該書と御著書などでチェックし深めて下さった何回かのうちの一回の出來事であった。
 (  なお、私のソレ關係のファイルをリンク構造のあるままサイト上に展開するスペースを得ることが先日出來た。ご利用・御批正を乞いたい。
  「→ http://benzo0120.es.land.to/ 」  )

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儀礼疏攷正

2008/07/31 13:52

もとは上下で、この影印には元の奧付けが下分が先でも最後に二枚あること

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ここの「汲古書院」ではなく「東洋学文献センター叢刊」の欄では上・下の二種類がある。
ここのが、もとの「東洋学文献センター叢刊」では上下二册だったものの合刊らしいことは、もとの奧付け下・上分二枚の影印が、これの最後にあることで確認出來るが、
本來は、もとの上下各おのの最後の位置にそのまま附して更に色紙頁で分れめを示すべきであったろう、とも思う。
とにかく、檢索結果からだけだと、下册の影印は無いのかと迷うが、
本影印は五十卷までの手校影印の又た影印で、儀禮の疏自體も五十卷なこともあり、ここにこうやって「書評(?)」しておけば、不安なままの投機購入は不要となるであろう。
つまり、もと本がやはり欲しいのであれば、東洋学文献センター叢刊の上下にも氣を附けつつ、内容としては此方でまづほぼ足りるのであろうことを知ることが出來る。
「東洋学文献センター叢刊」のもと本が欲しいという可能性を一應言う考慮は、まづ、その中に、上田正「切韻残巻諸本補正」も含まれてゐるから、そのことから、ここでの言及がある。
私には、儀禮を專門から訓導される機會は實は得られなかった過去がある。
そこで、倉石武四郎先生が疏の攷正を、というそのことに
「再發見」で回歸することによって、
二十數年後の今に至るまで、この本からヤルか…、とでもしか、
縁起の爲にも言いようが無いという地點に在るのが、
現状のわたくしであり、
このサイトから適たま購買決定してみた動機である。
しかしそれでも「自分のヤる今という「他」」から「ここ(儀禮)」へ本格的に或いは多少ともだけでも及ぶ機會は、まだ無いに均しい。
一生かかった、親の葬儀に際して學んだ人の本が詳しいだけだ、
など、入門の爲の口授情報がどれも極めて不吉だった爲である。
段玉裁の六書音均表での韻文を確認した程度が、「讀んだ」というような部分であり、儀禮の動作再現映像を數回上映するのを見ても、いつも説明は、專門からという名目には十分のようでゐながら、無意義にも亦た充分であった。
疏の文にも穴があるというのを、直す考證の、しかも倉石先生手稿のこの本を擱いては、他に、こんなにあとからの再入門の道はあるだろうか?
たぶん、もし得るものが有っても、ズブズブでドボドボなだけで隨分と各人の後半生がソレ(嫌な感じの意味での儀禮關係)系になるだけ(つまり隨分非道いことになる)であろう。
もしほかにも光りがあれば、御教示を乞うのであることにも變りない。
料金延納催促へのお詫びとしてのように、このような文を附してみた。


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