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ぜのぱすさんのレビュー一覧

投稿者:ぜのぱす

30 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本鴨川ホルモー

2010/01/09 14:00

一体、作者の頭の中はどうなっているのか?

9人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ひとは、本を買う時に、どう云う基準で選んでいるのだろう。手に取って、ページをパラパラめくった時にたまたま何かの言葉に眼が奪われたり、解説を眺めていて書かれている内容に興味を惹かれたり、或いは単純にタイトルに惹かれたり、更には、この作者の本は全て読む、と云うような自分に課したルールに従った結果だったり、一冊、一冊、色んな理由があって選ばれているのだろう。

私が『鴨川ホルモー』に惹かれたのは、ひとつは、どうやら私がかつて暮らしたことがある京都が舞台なようなので、作中で描写された世界を具体的に想像し易いだろうな、と思ったのと、作者の『万城目』と云う、一見、変わった名字に見覚えがあった—と云っても私の知っていたひとは『まんじょうめ』で、本作者は『まきめ』と読むので、何等関わりはなかったのだが(笑)—から。更に云えば、ホルモーって何?とタイトルにヤラレた、と云う様に全くの偶然が重なって購入しただけで、正直、内容に関しては、さほど期待して居らず、まぁ、暇つぶしになれば良い、と云う程度の買い物だった。

私は寝付が悪いので睡眠導入の為に寝る前に本を読むのが常なのだが、本作はその目的には最悪。面白過ぎて、眠るどころか、読むが止められなくなり、眼が冴えてしまった。

本作は、万城目 学のデビュー作である。軽妙な文章で、テンポ良くストーリーが展開して行く。そもそも『ホルモー』とは何か?どうやら一種の競技のようである。京都の東西南北に位置する京都大学、立命館大学、龍谷大学、京都産業大学の学生のメンバーに依る対抗戦である。と云っても、実際に戦うのは学生ではなく、学生に操られた『鬼』なのだが。ストーリーは、主人公の安倍が、この競技のメンバーに勧誘され、知らない間に鬼との契約を結ばされ、次第にホルモー競技にのめり込んで行く過程を縦糸に、それに絡まる様々な人間関係を横糸に、話が織込まれて行く。

仮にジャンル分けするならば、本作は広義のSFとも云えるし、青春小説と云う様な青臭い呼び方も出来るだろうし、無理を云えばミステリィでも良いかもしれない、と云うような分類が全く当てはまらない、一言で云えば、ハチャメチャな小説である。平凡な云い方であるが、一体、作者の頭の中はどうなっているのか?この発想の源は何なのか?

今後は『この作者の本は全て読む、と云うような自分に課したルールに従っ』て、 万城目 学の作品に注目して行くことになるだろう。

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紙の本見えない貌 長編推理小説

2010/03/07 09:01

途中で読むのを止めようと思った・・・・

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

夏樹静子の『見えない貌(かお)』を読んだ。

以前日本へ帰国して再び渡米する直前に、成田空港の書店で、時間がないので、その辺のミステリーの新刊らしいのを適当に見繕って買って来た中の一冊。買った時点では、新刊だった訳だが、読んだのは、其の半年後である。

作家の名前は、むろん知っていた。テレビドラマや映画の原作者としててあるが、実は、作品を未だ読んだことがなかった。

正直、余り期待して居らず、読み始めて直ぐに、コレじゃぁ、まるで、◯◯サスペンス劇場だなぁ、と思ったのも確かである。

魚料理店のパートで生計を立てる未亡人である朔子の日常は、時々義父の様子を見に訪ねて世話をしたり、その主催者に会うことを密かな喜びに趣味の陶芸を楽しみ、また、2年前に嫁に送り出した娘の晴菜とは定期的に携帯電話で会話やメール交換を行なうと云った、平穏な日々を送っていたのだが、或る日を境に、娘と連絡が途絶える。婿の家へ転がり込んで、行方不明となった娘の安否を気遣い、警察へ届け出を行なった直後に、娘が遺体で発見される。娘の死を契機に、娘が自分の知らない世界を持って居たことを知る。晴菜から朔子宛の最後のメールの2時間前に『これからメル友に会いに行く』と云うメッセージが晴菜の友達の携帯に送られていた。警察では『メル友』を重要な容疑者として捜査が開始され、やがて、怪しい人物が見付かる。一方、娘の遺留品から、朔子は偶然に、生前に娘が内緒で所有していたと思われる携帯電話を発見する。其の電話に残されたメーッセージの遣り取りから、この相手こそ、晴菜を殺めた犯人に違いないと見当をつけた朔子は、警察にも届けず、自らの手で、犯人探しを始める・・・・。

正直、ココまで読んだ段階で、もう、この先を読むのは止めようか思った。この後、TVドラマで良く観られる様なご都合主義の展開で物語が進んで行くのだろう、と。

しかし、この判断は、大間違いであった。

幸いなことに、一部、正しい判断も下しており、つまり、もう少しだけ読み進めてみようと思い立ったことである。その判断の御陰で、今、私は、コレを書いている訳だ。

この先の展開は、ネタバレになるので、書かない。

話は二転三転四転して進んで行くのである。

作者は、本作を書くに当たって、充分な下調べをして臨んでいることは、容易に読み取れる。

作者の年齢(1938年生まれ)を考慮すれば、丹念な取材に基づいて、現代的な話題をこれほど自然に描き切ると云う作者の力量には、正直、舌を巻く。

上を読んだだけでは、実は、ほとんど、何の解説にもなっていない。しかし、上述した部分より先のストリーについて書いてしまうのは、他のひとの楽しみを奪ってしまうことなので、それは出来ない。もし、本書を読み終えたなら、その意味は、必ず、分って貰えると思う。

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紙の本漱石先生の事件簿 猫の巻

2011/02/28 15:18

柳 広司の勝ちである

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

パスティーシュは、後出しジャンケンのような物であろう。

後出しする以上、勝たなければ意味がない訳だ。その意味で、パスティーシュを書く以上、作家は相当なプレッシャーを感ずるはずであろう。何せ、本家を凌駕して勝たなければ、意味がないから。

パスティーシュで良くあるパターンは、或る作家の文体を(時にはモチーフをも含めて)真似て、別な物語を作る場合で、ミステリィの世界では、シャーロック・ホームズが良くパスティーシュの題材になっている。

しかし、今回読んだ柳 広司の『漱石先生の事件簿 猫の巻』は、タイトルからも察せられる様に、かの名作、夏目 漱石の『我輩は猫である』を、単に文体、モチーフに留まらず、ソックリそのまま、パクってしまったのである。

面白い。柳 広司の勝ちである。

実を云えば、本家の方は、大昔に読んだので、スッカリ忘れてしまっており、本来なら、本家を読み直してから、本作について語るべきで、その意味では、後出しならぬ先走りなのであるが、仮に、本家の存在を知らず、何の潜入感もなく、本作を先に読んでから本家を読むと、本家の方がパスティーシュに思えるに違いない、と云う予感がする程、本作は見事な出来映えであり、あたかも優れた物真似に依って、真似された側の歌手が再脚光を浴びる様に、私の中では、今から本家を読み直すのが楽しみである。

以下、作者自身の言葉(「」)で、本作の内容を語ると、「漱石が『我輩は猫である』に仕掛けた謎を解き明かすために生まれたのが、本書『漱石先生の事件簿 猫の巻』で」あり、「本書では、名なしの<猫>ではなく、ひょんなことから先生の家に居候することになった探偵小説好きの少年<僕>の目を通して、六つの事件が語られます」が、その全てが本家の「作品に実際に出てくるエピソードで」あり、「天の橋立を股ぐらからのぞいてみると、また格別なおもむきが出る」のと同様に「"文豪" 夏目漱石の"名作"『我輩は猫である』を<股ぐらからのぞいてみた>のが、本作品です。」

探偵役の<僕>に依る謎解きの過程は、所謂本格ミステリィ好きな読者には、物足りなく感じるであろうが、それを云うのは野暮と云うものであり、優れたパスティーシュを純粋に愉しみ、元の作品を憶うのが正しい本書の活用法であろう。

柳 広司は、たまたまアンソロジーの中の短編を一作だけ読んだことがあるだけで、これ迄は知らなかった作家であるが、今後は眼が離せない作家の一人となった。

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紙の本街の灯

2009/11/03 14:08

ベッキーさんシリーズ三部作、第一弾。只のスーパーヒロインものにあらず、ミステリーの要素は満載。

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

北村薫は好きな作家のひとりです。

以前に落語家の『円紫師匠』と女子大生から社会人に至るまでの『わたし』が織り成すお話のシリーズが好きで読んでいました。もちろん、その他の作品も好きで読んでいましたが。

海外に住んでいる関係で、暫くは、北村薫作品とは遠ざかっていましたが、今年の直木賞受賞のニュースを聞き、先日、日本に帰省した際に久々に北村薫を数冊買って来ました。

と云っても、肝心の受賞作は単行本で重い(し、それに値段が高い・笑)の で迷った挙げ句買わず、文庫本ばかりですが。

知らずに買ったのですが、どうやらそのうちの2冊は、まさに、その受賞作に続く、新しいシリーズものでした。

時代背景や登場人物は全く異なりますが、円紫師匠とわたしシリーズを何故か彷彿とさせます。

第一作となるのは、街の灯。昭和初期の設定であり乍ら、主人公のひとりは上流階級の花村家の『女性』お抱え運転手の別宮(べつく)みち子。別宮の主な仕事は、もうひとりの主人公、花村家の令嬢、英子の学校への送り迎え。英子は二人きりの時は、彼女をベッキーさんと呼び、色々な相談事をする中でもある。故に、ベッキーさんシリーズと呼ばれているらしい。

このベッキーさん只者ではない。剣術に秀でており無頼者を追い払ったと思ったら、射撃の腕も可成りのもの。通学の行き帰りに、英子が相談に持って来る日常の謎に対し、的を得たヒントを控えめにさり気なく出して、英子の推理を正しい方向へ導いて行く才気。具体的な記述はないが、美人に違いない(笑)。

こう書くと、只のスーパーヒロインものかと思われるかもしれないが、そこは北村薫、ミステリーの要素は満載である。

街の灯には、「虚栄の市」、「銀座八丁」、「街の灯」の三篇が収録されているが、因に、英子はサッカレーの『虚栄の市』のヒロインにちなみ、彼女をベッキーさんと呼ぶ、と云う設定になっている。

個人的には、この中で、「虚栄の市」が、上に述べたベッキーさんの渾名のくだりもそうであるが、話の流れ上時代背景の説明の為に登場しているとばかり思っていた江戸川乱歩作品の記述が、後に実は謎解明の鍵となっていた、など工夫された構成が上手いと思った。

幸いシリーズ2冊目、『玻璃の天』は手許にある。只、未だ、勿体なくて読み始めていない。3作目の直木賞受賞作も買わなければ・・・。

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中・高校生や大学生に読んで貰いたい一冊

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

今年2010年の秋から冬に掛けては、日本中が鈴木章、根岸英一両博士に依るノーベル化学賞の受賞に沸き、これに依って多くの日本人に夢や希望を与えて貰った余韻は、未だ、残っているだろう。

其の所為で、影が多少薄くなってしまったかもしれないが、僅か2年前の2008年には日本人(うち一人は帰化しているので、正式にはアメリカ人であるが)四名に依るノーベル賞受賞に、日本中が沸き立ったばかりである。そのうちの一人、GFPの発見とその応用開発の功績に対して今回と同様ノーベル化学賞を受賞した下村脩博士に依る自伝が本書である。

余談であるが、生物学を生業にしている端くれの私にとっては、博士のノーベル賞受賞以前から、このGFPは日常的に使用しているお馴染みだった訳が、今や、博士のノーベル賞受賞に依って、広く一般に日本人の知識の中に(実体が何かは兎も角)GFPと云う名前はインプットされているのではないだろうか。しかし、ノーベル賞受賞以前では、GFPとは縁のない一般のひとには、博士より博士の息子である下村努氏の方が『「史上最悪のハッカー」を追いつめた日本人』として、有名であったかも知れぬ。本書ではその努氏の話も出て来る。

科学には、実は、運と云うのは非常に大きな要素で、自分でコントロール出来ない分、それを持っているひとに対して、(私の様に・笑)持たないひとは、嫉妬するしかないのであるが、本書を読んでみて、また、下述の様に博士自身が云っているように、下村脩と云う人物は、産まれ乍らにして何か運を持っているように感じる。ひとつだけ、本書から例をあげると、娘さんの結婚式に参加する為に、前日にヴァージニア州のリッチモンドにドライブで到着した時、交通事故で博士が乗っている側へ他の車がぶつかって来て、運転していた車は大破したが、博士は無事であった。一歩間違えると亡くなっていた可能性もあった訳で、そうなっていたら、博士のノーベル賞受賞は有り得なかったのである。

本書の構成は、序章として、ノーベル賞受賞の連絡を受けた当日の様子(ノーべル賞受賞の発表)から語られ始め、

第1章  私の生い立ち
第2章  学徒動員と長崎原爆体験
第3章  長崎薬専と長崎大学薬学部、そして名古屋大学理学部
第4章  結婚と渡米
第5章  帰国、そして再渡米
第6章  ジョンソン博士の退職とその後
第7章  1990年以降のこと
第8章  私のMBL退職後
第9章  ノーベル賞受賞と授賞式出席
第10章  日本での歓迎
あとがき

と続く。

淡々とした文章で、子供時代の回想から始まり、戦争体験(博士が原爆の被災者であったことは、本書で初めて知った)、学生時代の話から、やがてどのように研究に携わる様になり、それがノーベル賞につながり、其の所為で、生活がどのように一変したか、を科学者らしい客観的な記述で綴っている。驚くのは、その記憶力で、そんな昔のことを細かいことまで良く覚えているものだと、流石、頭の出来が違うわい、と凡人は畏れてしまう。

読み進むに連れ、博士の性格を垣間見ることが出来るエピソードが幾つも出て来て面白い。また、家族のことを始め、様々な裏話が満載である。私が感じたのは、ひと言で云えば、博士は、現代の『武士』かもしれない。

実は、本書で博士が伝えたかったエッセンスは、「あとがき」に全て凝縮されているように思う。幾つか、言葉を拾ってみよう。

『私の今までの生涯は概して幸運であった、というより不運に比べて幸運が多かったように思う。幸運の最大のものは多分ノーベル賞受賞であろう。』

『ノーベル賞受賞の影響は大きかった。しかしその受賞が自分にとって本当に幸運であり、私に幸せをもたらしたとはまだ思えない。』

『しかし、科学者にとって一番大事なのは研究結果である。私の研究結果がノーベル賞受賞の対象になるほどに科学の発展に寄与したということは学者冥利につき、その点については満足である。』

『GFPの発見は天(自然)が人類に与えた奇跡的な幸運である。その幸運はGFPが私の前に現れたとき、私がそれを見過ごさずに拾い上げたから起きたのである。』

『この機会に私は自然に学ぶことの大切さを強調したい。』

『私は実用や応用的な研究よりも物事の根底にある真理を探求するような研究を好む。』

未だ、拾いたい言葉は、幾つもあるのだが、良い加減にしないと著作権に触れるかもしれないので、この辺でヤメておく(笑)。蛇足で、ひとつだけ解説を加えると、冒頭に今年のノーベル賞受賞者について触れたが、実は、鈴木、根岸両博士の研究は応用を目指した工学であったのに対し、下村博士のそれは純粋な理学であり、その根底にあるのは、単純に純粋に『知りたい』と云うことだけである。博士は、只、単にそれを追求した結果、たまたま、ノーベル賞に至っただけであり、本書は、その道程を描いたものであり、上に引用した言葉は、そのことの表れである。

本書は、元々は、朝日新聞出版社から刊行の予定で準備が始められたようであるが、最終的には長崎文献社からの出版になった。博士の郷土愛の表れである。

只、客観的に見れば、本書は、値段の張った格式ばった単行本ではなく、新書版やノベルス版のようなペーパーバック形式の値段のもっと安い形で出版されるべきであった、と個人的には思う。その方が、もっと多くの若者—中・高校生や大学生—に手にして貰えただろうし、それ(若者にメッセージを伝えること)が博士の望みでもあったはずだ、と思う。

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紙の本玻璃の天

2010/02/11 14:36

『玻璃の天』も照らせば光る

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

瑠璃(るり)も玻璃(はり)も照らせば光る、と云う諺を聞いたことがありますか?

玻璃は青い宝石、玻璃は水晶(から転じてガラスの意味もあり)のことだそうだ(本筋とは関係ないが『瑠も璃も新常用漢字案に入ったが、玻は選に漏れた』らしい)。

北村 薫のベッキーさんシリーズ第2弾は『玻璃の天』。

前作『街の灯』を読んだ時点で、既に入手済みであったが、敢えて今迄読まずに取っておいた。前作を読んだ感触から、次作も面白いに違いないことが予想され、直ぐに読んでしまうのが勿体なかったのである。

本作は「幻の橋」、「想夫恋」、「玻璃の天」の3篇からなる。それぞれが独立した作品と云うよりは、一連の大きな話の流れの中の小節に見える。特に「幻の橋」と「玻璃の天」は、ストーリーが直接繋がっており、間に箸休め的にサイドストーリーとして「想夫恋」が挿み込まれている。

「想夫恋」自身は、暗号を扱った本格ミステリーの要素満載の小話であるが、物語の結末は中途半端であり、これが読者の想像力に先を委ねたものなのか、或いは、シリーズ第3作へ続く布石なのか(、個人的には興味があるが、既に第3作を読んでいるひとが、コレを見たら、的外れで笑うかもしれませんね)。

本作の大きな読みどころ、謎解きのひとつは、前作で颯爽と読者の前に現れた『ベッキーさん』の正体が、「幻の橋」と「玻璃の天」の2作品を通じて、徐々に明かされて行く過程にある。もちろん、両作品中にもミステリーの謎解きが含まれており、また、「幻の橋」は「玻璃の天」(、そして恐らく第3作)へ繋がる布石に満ちている。「玻璃の天」の玻璃の天とは何か?文字通り(ステンド)グラスで出来た天井のことである。物語中のミステリーの謎解きのkeyであるので、ここではこれ以上述べることは、控えよう。

また、全体を通じて、『わたし』が少女から女性へ成長して行く様子が、その時代の風俗や社会情勢を背景に、さり気ない形で綴られて行くのも読みどころのひとつである。

最期に、岸本葉子による解説が秀逸であった。私の駄文を読むより、本屋で手に取って解説を読んでみれば、『玻璃の天』を買わずには居られなくなるであろう。

まさに『玻璃の天』も照らせば光る、である。

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一冊で3度美味しい!

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

もう15年以上前になるが、推理作家の若竹七海が大学生の時にアルバイト先で体験した「五十円玉二十枚の謎」に対する解答を一般読者(そのうちの何人かは後にプロ作家となっている)やプロ作家が小説の形で競作したアンソロジーを読んだことがある(現在文庫化されているようである)。

北村薫の『ニッポン硬貨の謎』は、この「五十円玉二十枚の謎」が、モチーフのひとつとなっており、その謎に対する北村薫なりの解答が小説の骨子のひとつである。

東京で起こる幼児連続殺人事件、書店で千円札を五十円玉二十枚に交換して呉れと頼みに来る男に出くわす小町奈々子(云わずもがなだが、若竹七海がモデルである)。一見無関係な二つの出来事であるが、たまたま出版社の招きで来日していたエラリー・クイーンのガイドを奈々子が務める過程でこれらの出来事が融合し、これらの謎が解かれて行く。

来日中のエラリー・クイーンが探偵であると云う本来なら奇想天外に過ぎる設定なのだが、それが自然な形でまとまっている。そもそもが、この小説は、エラリー・クイーンの未発表原稿(なので『エラリー・クイーン最後の事件』とサブ・タイトルがついている訳だが)を北村薫が翻訳すると云う設定のパロディになっており、『訳者』としての北村薫の『序』で始まり『あとがき』で終わると云う凝った作りで、『翻訳』された文体はエラリー・クイーンのそれのパスティーシュとなっている。つまり一冊で2度美味しいのであるが話はそこで終わらなぃ。

実は、この本は、第六回本格ミステリ大賞、評論・研究部門を受賞しているのである。つまり、単なるミステリ小説に留まらず、其の内容の一部がエラリー・クイーン論になっているのだ。只、私の様な平凡な読者では、論じられている内容が微に入り過ぎて、フォローは出来るものの、消化し切れないのであるが、熱狂的なエラリー・クイーンのファンであれば、独創的な着眼点のエキスを一滴残すところなく堪能出来るであろう。外国作品を翻訳で読む時に起こり得る間違いもそこには含有されており、そこが、また、『翻訳』するに当たって、注を多用し、最新の注意を『訳者』が払っていると云う形にも繋がり、二重三重のパロディになっていると云うのは、穿ち過ぎだろうか?

いずれにしろ、本書は、一冊で『少なくとも』3度美味しい。読者のレベルによっては、更に異なった味わいを得られるだろう。

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大学院生物語

2008/08/20 07:04

科学する人々の実体の『解説書』

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

伊良林正哉の『大学院生物語』を読んだ。

5月の終わり頃、突然、伊良林氏からメールが来て、初めて小説上梓の件を知った。発刊と同時に購入したが、海外に居る都合上、今まで、手に出来なかった訳だ。美味しい物は、あとまで取っておく方である。

物語では、とある医学系の研究所での、(かなり最近の)ほぼ2年間の出来事が淡々とした筆致で語られて行く。帯には『異色の青春小説』とあるが、これに釣られて買うとおそらく期待はずれである。渡辺淳一の『百夜』のような自伝小説では決してない。どちらかと云えば、これはエッセイであり、例えて云うなら、 藤原正彦のデビュー作である『若き数学者のアメリカ』みたいなものかもしれない。

伊良林正哉は、現役バリバリの分子生物学者である。これまでに実名で発表している原著論文(英文)は、100報近いはずだ。本書に書かれている内容は、そんな現役の、しかし、只のヒラの科学者の、魑魅魍魎が巣食う医学系の研究所での日常の悲哀、ほぼ100%現実の出来事が、コミカルな筆致で描かれている、表面上はフィクションを装った、しかし、実際は実体験に基づくエッセイなのである。 そこに登場する研究所や大学にたむろする人物像は、世間一般の常識から見れば、可成り奇異に映るかもしれない。だが、彼等は間違いなく実在する。私には、モデルとなっている人物の多くを実名であげることも可能な程だ。だから、所謂、( 医、薬、生物系分子生物学)業界のひとが読んでも、余りにも日常な当たり前の光景であり、面白くないかもしれないが、内輪ネタにはニヤリとさせられる。しかし、将来、医、薬、生物学系の道へ進もうと『漠然と』考えている高校生や、大学の教養課程の学生には、もし、そういう道へ進んだらどういう(理不尽な、でも、一方で夢溢れる)世界が待っているかを垣間みる良い機会である。また、所謂、『偉い先生』方としかお付き合いがないであろうマスコミ関係者やお役人の人達にも、是非、読んで、ヒラの研究者や巷にあふれる博士研究員、程度の低い大学院生の実体を知って貰いたいものだ。もちろん、一般の読者にも、所謂、『科学者』の実体を疑似体験出来る良い機会である。本書は、謂わば、医、薬、生物系の科学する人々の実体の『解説書』でもある訳だ。

内容に、敢えて苦言を呈すれば、それが、意図されたものなのか、推敲が足りない所為なのか(つまりは、習作の域を出ていない所為なのか)は定かではないが、ところどころに冗長な箇所があり、例えば、作者の世間へ向けたメッセージないしは警告が、その内容には私もほぼ賛同するものの、何度も繰り返されているのは読んでいて退屈である。また、タイトルは、内容に相応しくないような気がする。これは、あくまでも『伊良林正哉物語』である。或いは、本書はこれから始まるであろう本当の『伊良林正哉物語』への序章なのかもしれない。続編が待たれる。

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『近い将来続きが読めるのを楽しみに待ちたい』と、今はもう云えないのが、返す返すも残念である

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

北森 鴻の短編集『なぜ絵版師に頼まなかったのか』を読んだ。以前に、北森 鴻と云う作家を意識して読んでみて、面白かったので、もっと他の作品を読んでみたくて購入したのが本書である。

以下の5作品よりなる。

  なぜ絵版師(えはんし)に頼まなかったのか

  九枚目は多すぎる

  人形はなぜ生かされるか

  紅葉夢(こうようむ)

  執事たちの沈黙

巻末の解説の千街 晶之(せんがい あきゆき)に依れば、タイトルは全てパロディになっているそうで、成る程、そう云われれば、私にも直ぐ判る物もある。ちょっと気になって調べてみた。

  なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか?

  九マイルは遠すぎる

  人形はなぜ殺される

  紅楼夢

  羊たちの沈黙

幾つかは、読んだことがあるが、未読のものもあるので、いつか時間が出来たら読んでみよう。


主人公は、葛城 冬馬(かつらぎ とうま)、13歳、元号が明治と改まった月に松山で生を受けたが、未だに髷頭である。早くに父母を亡くして、徳川(とくせん)家の御世にこだわる頑固者の曾祖父に育てられた故であるが、その曾祖父も亡くなり、さて、漸く髷を落とせるか、と思ったら、遠縁のおじに「しばし待て」と止められ、その髷を結っていることが条件である奉公先を紹介され、東京大學医学部主任 エルウィン フォン ベルツ先生宅の給仕として東京へ出て来た。

各物語は、ベルツ宅へ出入りする他の外国人教師達やその他の人々と、冬馬の関わりを描き乍ら、巧に史実を取り入れて物語に深みを持たせ、医学的な見地からそれぞれの『事件』の謎が解明されて行く、と云うパターンである。各物語は、それ自身で完結しているので、その意味では、どれから読んでも良いのだが、時間軸は、上に挙げたタイトルの順通りなので、順番に読むのが正解である。『なぜ絵版師に頼まなかったのか』では、13歳の給仕であった冬馬が、『執事たちの沈黙』では22歳の医者になっており、冬馬の成長を各物語を通して追うのも見どころであるし、また、最初の話で、冬馬と出会った時は、新聞記者であった市川 歌之丞が、物語が変わって冬馬が次回に会う度に、職業のみならず名前まで変わっており、最後には冬馬に(一方的に)弟子入りしてしまう、と云う過程を追うのも一興 。

タイトルの付け方の遊び心からも分る様に、一連の物語も(一見)肩の力を抜いたユーモラスな話の作り(例えば、ベルツ先生が「打ち掛け」を部屋着として着ていたり)になっており、ひとによっては、その「軽さ」を嫌うかもしれないが、どの作品も細部に渡って良く作られており、個人的には全て読み応えがあり面白く読めた。


『執事たちの沈黙』の最後は、未だ、物語が続くことを期待させるような終わり方である。『近い将来続きが読めるのを楽しみに待ちたい』と、書きたいところだが、今はもう、そう云えないのが、返す返すも残念である。

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紙の本三四郎はそれから門を出た

2010/10/15 13:57

作者の頭の中、心のうちを無防備にも曝け出しているエッセイ集

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

"三浦しをん"と云う作家は知らなかった。たまたま、夏目漱石の本を探していて、タイトルからアンテナに引っ掛かって来た。『三四郎はそれから門を出た』である。

小説だと思って買ってみたのだが、実はエッセイ集であった(笑)。作者は、作家である以前に、三度の飯よりも読書が好きな活字中毒者であり、それ故に必然的に本(漫画を含む)に関するエッセイを依頼されることが多く、それ等をまとめたのが本書である。六章からなり、一章から四章迄のそれぞれの章は、或る企画の元に連載されたエッセイの中から編まれており、一から三章は本に関わる、四章は「カルチャー」に関するエッセイ。例えば、 二章は、朝日新聞の「中高生のためのブックサーフィン」欄で2年半に渡って連載されたものである。因に、本書のタイトルは、この二章の第四回のエッセイに其の由来が述べられているが、云わずもがなであるが、夏目漱石の代表作品名の羅列である。五章は、単発の(本以外の)エッセイをまとめたもの、六章は、単発の書評をまとめたものとなっている。

他のひとはどうか知らないが、私は本棚をひとに見られるのは気恥ずかしい。ソコに並んで居る本、つまりは、私が興味を持って読んだ本(の内容)から逆に自分の頭の中を、心の中を見透かされる様な気がするからである。その意味で、本書は、作者が読んだ本を並べた本棚と同等のものであり、三浦しをんの頭の中、心のうちを無防備にも曝け出している、と云えなくもない。そして、そこから垣間見える人物像から、ちょっと、三浦しをんと云う人物に興味が湧いて来たところである。一編が短いので、私は、寝本として、眠くなったら区切りの良いところで読むのをヤメて、眠りに就くのに便利であった。文章は、読み易く、味があり、こう云う文章を操って、この『三浦しをんと云う人物 』が、どう云う小説を書くのか、今度は、この作家の小説を是非読んでみたいものだ。

本書に取り上げられている本は実に雑多である。作者の活字中毒ぶりが良く反映されている。中には、幾つか私も読んだことがある本も含まれているが、本書に依って初めて知った作家や、興味を惹かれた本が幾つもあり、今後、それ等も読んでみたくなった。

と、色んな意味で興味深いエッセイ集である。

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病気がこれまでと違って見える

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2009年はダーウィン・イヤーである。

ダーウィンとは、某局の『ダーウィンが来た!生きもの新伝説』でもお馴染みの進化学者チャールズ・ダーウィンのこと。今年は彼の生誕200周年であると同時に『種の起源』の出版から150年目の記念すべき年である。

そんな年にタイムリーにも出版されたのが、本書、『進化から見た病気「ダーウィン医学」のすすめ』である。

病気の話なのに実は著者は医者ではない。著者の栃内新は、生物学者であり、専門は動物発生学、免疫学、進化学である。そう、ダーウィン医学とは、実は、所謂『医学』とは別物なのだ。病気を生物学、特に発生進化学・生態学の立場から見直そうと云う全く新しい潮流の学問であり、本書はその入門書である。

本書は、誰でも罹る様な身近な病気や、或いは、一般に良く知られている病気を例に取り上げ、それを『生物学』の観点から解釈し直すことで、これ迄の『医学の常識』を見直している。つまり、ダーウィン医学に依る観点から病気を観るとどうなるかを説明することで、逆にダーウィン医学とは何かを解いて行く、と云う方法で書かれている。

概ね平易な文章で綴られて居り、恐らく高校生でも無理無く理解出来る内容となっている。

敢えて辛口の評価をすれば、対象としている読者の幅を、恐らく、可成り広く見積もっている所為であろう、全体の構成が、帯に短し、襷に長しになってしまっている感は否めない。

具体的に云えば、上記の様に平易に書いているある反面、前置き無しに専門用語が出て来て、一般の読者には若しかしたら意味が通じないのでは?と思われる様な箇所、また、平易にする余り、厳密には間違った表現になってしまっているような箇所や説明が重複して冗長に感じられる箇所が見られる。例えば、各所で『DNAへと逆転写』『RNAに転写』『RNAが翻訳』等の表記が見られるが、ココでの『転写』や『翻訳』は、生物学用語である。或いは、181頁では、『老化を促進するかのようなこの遺伝子』と云う表現が見られるが、これは正確には、 『・・・この"変異"遺伝子』或いは『・・・この遺伝子の"変異"』であろう。

或いは、一般読者と云うより、より専門家に対する著者の好意で、参考文献・資料として専門論文が引用されている。しかし、誌面スペースの制約の為なのであろうが、ごくわずかだけであり、個人的には、もっと多くの論文を引用して欲しいところだ 。また、本文中のどの箇所に相当する文献なのかも分かり難いのも難点ある。

が、此れ等の短所は、マイナーなポイントであり、本書は、ダーウィン医学への優れた入門書であり、本書に通じて、読者は、病気をこれ迄と違った見え方で捕らえることに新鮮な驚きを覚えるだろう。

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若い読者が、これを読んで、学問をする上でのワクワク感を少しでも感じて呉れれば・・・

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日本分子生物学会の編纂による『分子生物学に魅せられた人々』を読んだ。

最初に断っておこう。

一般の読者向けではない(恐らく、読んでも面白くないだろう)。読者の対象は、理系(の更に云えば、生物、農、医、薬学系)の大学(院)生、或いは、其れ目指す高校生だろうか。

簡単に云えば、生命現象を分子のレベルで説明する学問が分子生物学である。が、狭義には、その分子の対象は、多くの場合、DNAやRNAであり、その意味で平たく云えば、DNA、RNAの機能解析を通じて生命現象を理解する学問である。また、現代では、多かれ少なかれ分子生物学の手法を取り入れていない(医学、農学、薬学を含む)生物学を捜すのが難しいくらい、生物学上、重要な分野である。

科学史的な観点から云えば、分子生物学の黎明期は、1953年にワトソンとクリックによるDNAの二重らせん構造に関する論文が出たのがひとつの大きな発端であろう。この後、60年代、70年代と重要な発見が相継ぎ、分子生物学の基礎が確立し現在に至っている。

本書では、その黎明期や、その後の重要な発見が相継いだ時期に、その現場(の側)に居合わせた日本人の先駆者達、また、彼等が日本へその学問の基礎を根付かせた後に、それを継承して学問を発展させた日本人研究者達の回顧録(実際にはインタービューを元におこした原稿)である。

トップバッターは、1924年産まれの富澤 純一。(最初の)滞米から帰国後の1961年に、当時の分子生物学の中心的研究材料だったファージ(=細菌に感染するウィルス)の取り扱いを教える講習会を日本で開き、それはその後、数年続くことになる。その過程で当時の主だった日本の分子生物学研究者達が運営に関わり、また、受講者の中から、その後の日本の分子生物学の発展の中核を担う人材が輩出した。この集会が、その後の分子生物学会へと発展して行く訳だ。

以下、学問の系譜から云えば、3-4世代に渡る研究者(富澤を含め、計)14名が選ばれている。錚々たるメンバーである(恐らく、この中から、将来ノーベル賞受賞者が出る、と個人的には思っているのだが)。インタビューを行なっているのも、本来インタビューされる側に居ても不思議ではない研究者達であり、恐らく、実際のインタビューの内容は、本書にまとめられているより、数倍も面白かったに違いない。逆に云えば、本書は字数の制限の為だろう、簡潔にまとめられて居るが故に、個人的には、ちょっと中途半端で物足りなく感じたのも事実である。が、若い読者が、これを読んで、学問をする上でのワクワク感を少しでも感じて呉れれば、本書の意味も少しはあろう。

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著者は大バカである。因に私なりの最大の褒め言葉である。アッパレ!

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川口 友万 著の「大人の怪しい実験室 都市伝説の検証」を読んだ。小学館の低学年向けの雑誌を彷彿とさせるデザイン。タイトルも本のデザインも怪し気である。

そして、実際に、中身も怪し気であった。

ハッキリ云って著者は大バカである。因に私なりの最大の褒め言葉である。アッパレ!

マク◯ナル□のハンバーガーはミミズの肉を使っていると云う『噂』を私も聞いたことがあります。まぁ、信じてはいませんでしたが。所謂、都市伝説ですね。

著者は体当たりで(時には嫁や子供を巻き込んで)、『真面目に』実験、体験を行ない様々な都市伝説を検証している。髪の毛から醤油を作ったり、ミミズバーガーを作ったり、ゴキブリ料理を食べたり、他にも色々。

取り敢えず、以下に実験、体験項目だけを示しておくので、まぁ、興味があるひとは是非直接読んでみて下さい。

・恐怖! 髪の毛醤油の製造実験
・骨が溶ける? 極秘のレシピ? コーラ伝説
・ミミズバーガー調査
・本当はおいしい? 昆虫食体験
・犬を食べたら犬に吠えられる? という噂
・ネズミ算式にネズミを飼ったら‥‥‥
・"鉄塔の下ではガンになる" は本当か?
・水が感情を記憶する?『ありがとう水』を調べた
・断食でハイになる
・男の悩みを解決する魔法の植物
・女を眠らせる悪魔の目薬
・世界最大のゆで卵、世界最大の生卵
・母乳は光るのか光らないのか?
・ふんどしを締めてかかれ!の深い世界
・私の息子も天才に! 天才児教育を体験
・44マグナム伝説を検証する

どうです?怪し気でしょう?!

難を云えば、一部校正がおかしなところがあり、タイトルが本文とマッチしていなかったり(64頁)、文章が変な箇所が見受けられたが、充分楽しめる内容である。ただ、『ネズミ算式にネズミを飼ったら‥‥‥』では、ネズミの虐待場面が出て来たり、また、随所に下ネタが出て来たり、また、実験内容が時にはグロだったり、と嫌いなひとにはそれが厭かもしれないが。

巻末のプロフィールに依れば、著者は理学部の出身であり、成る程、行なわれている実験は、それなりにリーズナブルなのも道理である。また、子供の観察日記(笑)をblogでも紹介中らしいが、巻末に記されたサイトは、今は使われては居らず、こちらに移転された模様。老婆心乍ら。

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著者の身の上が、ちょっと心配(笑)

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2月に一時帰国した際に本を買い込んで来ました。その中の一冊。(スイマセン、ビーケーワンから買ってません)

霧村 悠康 『脳内出血』 (だいわ文庫)。所謂、ミステリィ。

たまたま、書店で手に取って、パラパラとめくったら、ノックアウトマウスと云うのが眼についたので購入。

いや、個人的には面白かったですが、恐らく、一般の読者の反応は芳しくないかも。

千葉のホテルの一室で、女性の遺体が発見される。最初は、絞殺に依る殺人だと思われたが、実は、脳内出血による突然死の後にベルトで首をしめられた死体損壊ということが判明するが、被害者は偽名を使って宿泊しており身許は要として知れない。唯一の手掛かりは財布の中から見付かったOldosnと書かれた一片のメモのみ。一方、大阪にある国立O大学医学部では、若き秀才の大学院生、島田に依る、脂肪細胞中で脂質合成に関わるusop10遺伝子に関する研究成果が『ガイア・コスモス』と云う世界的に権威のある科学雑誌の医学版に掲載されたばかりであり、死体が発見された当日には、島田は東京で開かれていた代謝病遺伝子学会でその概要を発表し喝采を浴びていた。ところが、その論文のデータは捏造された物であると云う告発が医学部長の元へ届けられ、やがて、マスコミにも知れることとなり、大騒ぎになる。やがて、ホテルで見付かった遺体の身許が分かると、意外にも・・・・、と云う感じで、論文捏造事件と死体損壊事件が絡みあい乍らストーリーが展開していくのだが、まぁ、所謂、ミステリィとしては、それ程評価は出来ない。例えば、被害者の候補者が見付かった際に、候補者のアパートに落ちていた毛髪からDNA鑑定をして、被害者とは別人であることが判明するが、DNA鑑定などせずとも部屋には幾らでも指紋があるだろうに!一部、叙述トリックがあり、ひとつは直ぐに分かるが、もう一つは、ちゃんと布石があったにも関わらず迂闊にも引っ掛かって仕舞った(笑)。しかし、これに関して、最後のエピローグは、全くの蛇足の極みである。

著者の霧村悠康は、大阪大学医学部卒の現役医師である。また、本書に描かれている内容から推論すると、恐らく、臨床だけではなく、所謂、基礎研究で分子生物学に触れた経験があるに違いない。

実は、本書に描かれている島田に依る論文捏造事件は、実際に大阪大学で起こった事件を題材に採っていることは明白である。2004年にPTENと云う遺伝子(因に、本文では、usop10がタクシーの運転手にuso 嘘・p10 ペテン、と揶揄される場面があるが、実際の遺伝子がPTENであった)に関する論文がNature Medicineと云う世界一流の雑誌に掲載され、2005年に論文が取り下げられている。関係した指導教授2名は、2006年になってから停職処分(で済んだのは、この後、相次いで発覚した他の論文捏造事件で関係者が懲戒免職になっていることを考えると、大甘の処分であろう)を受け、また、捏造の張本人とされる学生が2教授を名誉棄損で提訴するなど一時世間を騒がせたのだが、恐らく一般の方々の記憶にはほとんど残っていない事件であろう。それがソックリそのまま、本書では再現されており(←実際の事件がそうだったと云う意味ではないですよぉ!) 、若しかすると、著者は、当時、その身近に居たのでは?と云う様な行間を読むのが非常に面白い。

閑話休題。

評に戻ろう。(私は分子生物学的研究を生業としているので、読者としては可成りバイアスが掛かってしまっており、冒頭に述べた様に一般の読者は全く違う感想を持つかもしれないが、)個人的には、この本は、物語としては面白く読めた。ただ、その昔、渡辺淳一が『ダブル・ハート』で、札幌医科大学を追われたが、著者の身の上がちょっと心配でもある。

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紙の本白い夏の墓標 改版

2011/11/18 15:13

30年以上前の作であるが、古さを感じさせず、面白く読めた。

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帚木 蓬生(ははきぎ ほうせい)の『白い夏の墓標』を読んだ(実際に読んだのは、改版ではなく、1983年版文庫であったが)。

1979年刊行、30年以上前の作であるが、古さを感じさせず、面白く読めた。これがデビュー作のようだが、既に、完成度は高い。

新潮社のホームページ(或いは、文庫の裏表紙)にある作品紹介を引用すると『パリで開かれた肝炎ウィルス国際会議に出席した佐伯教授は、アメリカ陸軍微生物研究所のベルナールと名乗る見知らぬ老紳士の訪問を受けた。かつて仙台で机を並べ、その後アメリカ留学中に事故死した親友黒田が、実はフランスで自殺したことを告げられたのだ。細菌学者の死の謎は真夏のパリから残雪のピレネーへ、そして二十数年前の仙台へと遡る。抒情と戦慄のサスペンス。』と云う粗筋であるが、当然乍ら、コレだけでは、何も判らない(笑)。

もう少し、詳しく。

仙台に在る北東大学細菌学教室に在籍していた黒田は、幼児の肺炎を引き起こす新種のウィルス、センダイウィルス(本文中では、センダイ・ヴァイラスと表記)を分離し、更に、そのウィルスは、感染した細胞同士を融合させる(細胞融合)、と云う性質を持っていることを発見した。この発見に眼を付けたアメリカ軍は、黒田を破格の待遇で、アメリカの研究所へ迎え入れる。目的は、異なる性質を持った細菌を"細胞融合"させて、新種の細菌兵器を作ることにあった訳だが、そんなことを知る由もなくアメリカへ旅立った黒田だったが、2年と経たぬうちに、自動車事故で亡くなったと云う報せが届いた。それから、20年余り、且つて、黒田と机を並べていた佐伯は、教授となり、学会で招待講演をすべく、パリに居た。以下、上述の粗筋に繋がる(笑)。


因に、『トリビア』であるが、センダイ・ウィルスは、架空のものではなく、東北大学医学部で発見されたものであり、実際に細胞融合を引き起こすことが、大阪大学で発見されている。

また、異種生物間の細胞を融合させる実験は、其の当時、実際に盛んに行なわれていた。作品中にも、軽く触れられているが、動物と植物の細胞融合も実際に行なわれているが、必ずしも、センダイ・ウィルスは必要としない。

植物細胞を融合させる為には、動物細胞とは異なり、細胞の周りを囲んでいる細胞壁を先ず取り除く必要があり、細胞壁を取り除かれた細胞はプロトプラストと呼ばれる。大雑把な云い方をすれば、細菌の場合も(植物のものとは多少異なるのだが) 外にある細胞壁を取り除いたプロトプラストを作った上で、融合させる必要がある。


閑話休題。

30年前と云えば、『細胞工学』と云う言葉が、一般にも認知され始めた頃であり、正に其の名を関した科学雑誌が誕生した頃でもある。トマトとポテトを細胞融合させて、ポマトが造られたのも、その頃である(因みに、結局、トマトもポテトもまともに出来ない代物であった・笑)。

医者でもある作者は、当時の最先端の医学・生物学の知識を効果的に物語に取り入れている。単にその頃の流行に乗っかっただけの物語であれば、今となっては、古臭くて読めたものではないのだが、本物語が、全く古く感じないのは、その構成の確かさの故であろう。

一読の価値有り、である。









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