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先月(2017年6月)

紅葉雪さんのレビュー一覧

投稿者:紅葉雪

65 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本ゴーストハント 1 旧校舎怪談

2010/12/04 12:51

少し因縁のあるシリーズですが、やはり面白いです

28人中、28人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

実はこの「ゴーストハント」シリーズ、正確には前のバージョンの「悪霊シリーズ」と言うべきだろうか。このシリーズとは少しばかり因縁(笑)がある。

最初に「悪霊シリーズ」を手に取ったのは、年齢がバレそうだが、たぶんリアルタイムだったはず。当時まだ駆け出しだった小野不由美さんの名前を始めて知ったのもこのシリーズで、だった。
なけなしのお小遣いの中で、続きが出るのを楽しみにしつつ全シリーズを揃えた。

それを当時学校のクラスメートに貸して、返してもらえないまま卒業する事に。

その後は特に読まずとも不便も感じないままにいたが、小野さんの十二国記シリーズに再びリアルタイムでハマったこと、さらに「悪霊シリーズ」の続編ともいえる「悪夢の棲む家」を読んだのをきっかけに、再度「悪霊シリーズ」が読みたくなった。
……だが、その時には確かすでにシリーズの前半がなかなか手に入らない状態になっていた。当時は自宅にインターネットがなく、必死に本屋・古本屋をめぐってシリーズ全巻を再度揃えなおしたものだ。

そのシリーズは大切に手元においておいたが、数年前、少しばかり断れない状況が生じて、知人に貸すことになった。頭をよぎった、「返ってこないのでは」という嫌な予感を無理やり押し殺して。その直感に従うべきだった、と今なら言うことができる。
……そのままシリーズは行方不明となり、現在に至る。

インターネットで再度揃える挑戦も考えたのだが、何で自分がお金を払って揃え直さなくてはならないのか。と腹を立てていたこともあり、結局買いなおすことはなかった。


そうこうしているうちに、この本が出ると聞いて、思わず飛びついてしまった。

以前に文庫で出ていたものが単行本化されるという珍しいパターンだが、自分同様、長らく読みたくても読めないという人たちが、たくさんいたのだろう、とも思っている。

作者の小野さんによると、当時(悪霊シリーズの頃)は、ラノベには規制が多かったようだ。
どうやら一行に何文字以内で、というところまで決まっていたらしい。
そのあたりを完璧にリライトしてきた本書は、主人公麻衣の視線で話が進んでいくところは変わりがないが、シーンの一つ一つが丁寧に書き込まれ、だからこそ文庫の時と話の流れは同じでありながらも、話に厚みが出てきている。
だがラノベの雰囲気もそこかしこに残っている。そのあたりは、現在のYA世代向きにも、ちょうどいいのではないだろうか。
またこのゴーストハントシリーズを漫画化した、いなだ詩穂さんが表紙カバーの挿絵を入れているので、漫画から入ったという読者も抵抗なく入っていけると思う。

このシリーズについては、内容に触れてしまうと全編を渡って巧妙にはられた伏線に触れてしまう恐れがあるので、内容には触れないでおこうと思う。

ただ。このシリーズ、子どもたちにも自信を持ってお勧めできる。
小学生にしろ中学生にしろ、怖い話は大好きだ。『とにかく怖い話が読みたい』という子どもたちの、どれだけ多いことか。

かつてラノベでこのシリーズにハマり、そして今、子どもたちに本を手渡す立場の自分が、再度読み直して「やっぱり面白いし、子どもたちにも読んでもらいたい」と思えるシリーズ。
最近は本の回転が速すぎて、『これが絶版!? こちらも買えない!?』という悲鳴にも近い声を発することが多すぎたが、この手の回転の速さは大歓迎である。

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あえて問いたいのです。「この本を読んでどう感じましたか」と。

23人中、23人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

これは児童書だが、大人にこそ読んで欲しい。

シエラレオネ共和国。
世界で一番寿命が短い国と話題になった事もあるが、覚えておられるだろうか。

平均寿命は男性約32.4歳。女性約35.7歳
(本書より。なおこのデータは2002年の物)。
日本の平均寿命の半分以下。

この平均寿命の短さは、「内戦」という「人災」が原因だ。

この国の不幸は、世界でも屈指の優良なダイヤモンドの産地だった事。
それが10年を超える内戦という悲劇を引き起こしたのだ。

ダイヤモンドの産地は反政府ゲリラに襲撃され、その支配下に置かれた。ダイヤモンドの売買による外貨が、その活動資金となった。

反政府ゲリラは罪もない人々の身体を傷つけていく。ある者は両腕を切られ、ある者は耳をそがれ、ある者は足を切断され。彼らは幼い子供にすら容赦せず、その腕を切り落とした。

こう書けば、いかに反政府ゲリラが非道かと思えるだろう。

でも。
この反政府ゲリラの兵士の殆どが、10歳から16歳の子どもだったとしたら……。


10代を通り過ぎた人ならば、自分が10代だった頃を思い出してほしい。
10代の人ならば、今の自分が、と想像してみてほしい。

自分が武器を手にさせられ、己の手を人の血で汚すよう命じられ、さらに逆らえば殺されると判っていたら。

……自分は、どうするだろうかと。

そう、その子ども達もまた被害者だった。
ある者は目の前で両親を虐殺され、ある者は誘拐され、ゲリラに組み込まれた。
「子どもは油断をさそえる」……それが理由で、大人が彼らを「殺人マシーン」とした。厳しい訓練をし、戦いの前には子どもの身体に麻薬を埋め込んで。
麻薬の影響で興奮状態になった子ども達は、人を傷つけるのも殺すのも平気になったという。


著者は、元反政府ゲリラの少年兵だったムリアと向き合い、その心の内も聞いている。
彼はゲリラを脱走し保護された過去をもつ。

ムリアの言葉の一つ一つが、彼の心に負った傷の大きさを感じさせる。
やっと戦いから解放された筈なのに。今度は心の傷と闘いながら、それでも前向きに生きようとする姿には胸を打たれた。その瞳は本来の年齢よりずっと大人びてみえ、だからこそ何か物悲しかった。

シエラレオネの内戦が終わったのが2002年。
元少年兵だった子どもたちは、内戦が終わった後、居場所がない事も多いという。家族にすら受け入れられない事もあると。少年兵は間違いなく被害者。
だが。
……加害者でもある、決して消えない事実。

少年兵に傷つけられた、ある被害者の言葉を引用したい。

「…(略)彼らはまだ幼い子どもだし、何も知らずに兵士として使われたんだろう。自分はその子たちを責めはしない。…(中略)おれたちはこの国に平和が欲しいんだ。何よりも平和なんだ」
そして。
「彼らを許さなきゃいけない。けれど絶対に忘れることもできない」


自分は普段、他人に本を薦めても、感想は尋ねないようしている。
本の好みは千差万別あって当然だし、ある一冊に対する感じ方や考え方は、人間の性格と同じで十人十色でいいとも思う。どれほど好みが似ていても、読者のおかれた立場や環境、さらには育った過程によっても、感じ方や受け取り方は違ってくるだろう、と。

だが。この本に関しては、敢えて違う態度をとりたい。

一人の大人として。……何より一人の人間として。

「この本を読んで何を感じましたか。あなたはどう思いましたか」


最後に。
自分はこの本を読んだ後、ずっとシエラレオネに目を向けてきた。

2007年、前大統領の任期満了に伴い、始めて民主的に政権が交代した。平均寿命も僅かだが伸びている。
復興への道を歩きだした彼の国が、これから先、厳しい風が吹き荒れるだろう時代の中、ムリアたちの願う平和な国になることを願ってやまない。


同時に思う。少年兵の問題は、ここだけのものではない。今この時も、戦いの中、武器を手にしている子ども達がいる。

自分は決してそれを忘れたくない、と。

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お待ちしておりました。るり子さんのレシピ集!

23人中、22人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

妖怪アパートシリーズは登場人物も魅力的でストーリーも面白く、自分は大変気に入っているシリーズだ。その中でもお気に入りは、何といっても妖怪アパートで食事一般を取り仕切る「るり子さん」の数々の絶品家庭料理。

この「るり子さん」、bk1の内容説明にも書いてある通り、手だけの幽霊。
アパートの住人たちに料理を褒められると「指をもじもじと組み合わせて喜ぶ」のだが、今回のレシピは、るり子さんの日記の一部として公開されている。その数25種類。

本編の食事シーンは出てこないが、その本編のエピソードをるり子さんの視点から日記形式で書いてあるので、シリーズを未読の方でも雰囲気はつかめるだろう。またシリーズを読んだ人ならば、『あのシーンのあの料理』と理解できるようにもなっている。

これも非常に面白い形だと思った。

さらにきちんと本編の何巻の何ページの料理かも記載されているので、自分も再度本編を読みなおしてみようかと考えている。

実は自分は、上橋菜穂子さんの「守り人シリーズ」のレシピをのせた「バルサの食卓」の書評
で、この「妖怪アパートシリーズ」にも触れている。
実はその時から、「妖怪アパート」のレシピが出たら面白いだろうと思っていたので、今回この本が出ると知った時には、『とにかく買う!』と意気込んだ次第。

さらにこの本は、妖怪アパートの他のシリーズ同様、講談社YAシリーズの一冊となっている。
そのため本編での登場人物紹介や、住人のお部屋紹介、さらには二つほどショート・ストーリーも掲載されていて、何となく得をした気分。

それぞれの料理の写真も、全部ではないが、まとめて紹介されている。実物を写真でみると、やはり『おいしそう…』。
さらにこの写真、『やっぱり妖怪アパートだ』と面白く感じる工夫が。紹介されている「手鞠寿司」や「たこさんウィンナー」が器から逃げ出していたり、「秋刀魚の塩焼き」の秋刀魚が皿から浮いていたり。登場人物同様、料理も一筋縄ではいかないということか。

レシピには『難易度』もついてので、自分もその簡単な方から(笑)、チャレンジしてみようかと考えている。


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紙の本獣の奏者 4 完結編

2009/09/26 21:44

星五つでは足りません。探究編も完結編も、星を十でも二十でもつけたいです。

17人中、17人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

最初に。ここでは探究編・完結編の、両方に触れさせていただく。

『今年になって読んだ本の中でおススメを』と言われたら、一も二もなく『この二冊』と太鼓判を押せる自信がある。

やはり上橋菜穂子さんはすごい。そのひと言に尽きる。
上橋さんのファンタジーは、とにかく半端ではない。

完結編のあとがきの中、上橋さんは、続編を読みたいと言われ、「そんなふうに思っていただけるほど、エリンたちは「生きて」いるのだなと、とてもうれしかった(…後略)」と書いている。まさしくその通り。上橋さんの作品の中では、登場人物は完璧に『生きて』いる。

彼女の作品はファンタジーが殆どだが、そこには、登場人物の悩みや迷いを一気に解決する『魔法』も、それを操る『魔法使い』も登場しない。
登場人物たちは、自分の背負ったもの・直面したものに迷い、悩み、足掻き、傷だらけになりながら、『自分なりの解答』を求めて一歩一歩手探りで進んでいくのだ。
その姿は、現実世界を生きる自分たちと何一つ変わらないとすら思えてくる。

だからこそ。
余計に心を揺さぶられるのかもしれない。
ファンタジーでありながら、まるでノンフィクションでも読んでいるように思えてきてしまう時も。

実は作者は、前二作でいったんこのシリーズを完結させたつもりだったとか。
ただ読者や作家の佐藤多佳子さんの熱い要望をうけ、またこの獣の奏者のアニメ化にあたって、闘蛇編・王獣編の「物語の解体作業」をしていった結果、作者も思いついていなかった「発見」があり、探究編・完結編に結びついたと。

再度、完結編の「あとがき」から引用する。

「エリンという<獣の奏者>へと続いてきた道と、その先に続いていく道。人という生き物の群れの、滔々たる流れのようなものが見えた瞬間、これを書きたい、と思ったのでした」

「<闘蛇編><王獣編>が「人と獣」の物語であるとすれば、<探究編><完結編>は人々と獣たちの歴史の物語」なのかもしれません」


この二つの物語を一言で表すならば。
完結編の帯にあった、佐藤多佳子さんの言葉が一番ぴったりくる。

「凄い物語だ。痛みと希望の物語だ。(…以下略)」

そう、読み終わった後に、ズシリと胸にくる話だった。あまりにも大きな「痛み」……。


舞台は、<王獣編>から11年後。エリンは、カザルム王獣保護場で夫と子どもと三人で暮らしていた。そのエリンの元に、闘蛇の<牙>が大量死したと知らせが。大公の依頼を受け、エリンは<牙>の大量死の謎を探ることに。だがそこには、『闘蛇と王獣が戦った時、人も獣も死に絶えるような大惨事が起きた』という、『封印された歴史』の影も見え隠れしていた。かつてエリンの母親は、その真相を知りながらも、黙したまま命を失った。だがエリンは自らと家族を守るために、あえてその禁忌とも呼べる真相に近づき明らかにしようとする。

一方、闘蛇の操縦法が、敵国ラーザに漏れた。彼らが操る闘蛇軍に対抗できるのは、王獣しかいない。真王セィミヤは、かつてのエリンとの約束を破り、王獣を兵器として使う事を決意、王獣部隊を作るためにその調教をエリンに命じる。
その命令を受け入れながらも、同時に『大惨事』の恐怖を払しょくできないエリン。
だがとうとう、闘蛇と王獣がぶつかる時が……。そして言い伝えの真実とは。


最後に。
bk1のこの本の「利用対象」や、「この本のジャンル」等を見ると、この本はやはり「児童書」に分けられている。実は自分は、それが『もったいない』と思えてならない。

なぜなら。
以前ほどではなくなったが、大人で「児童書」に手を伸ばす人は、「一般書」にごく普通に手を伸ばす人より、どうしても限られてしまうと思うから。

さらに自分は、この本では完璧に児童書と一般書の枠が取り外されたと思う。

この「獣の奏者」は、話の内容・ボリュームからいっても、大人が読んでも十分に堪能できる作品。むしろ年齢・経験を重ねた大人が読んでこそ、様々な味わい方が出来るのではないだろうか。
だからこそ。「児童書」という枠の中に入ってしまう事で、児童書は読まないという大人の読者の手に触れられない事が、残念でならない。

私事になるが、上橋菜穂子さんは、自分が大人になってから「児童書」を読むことになった『きっかけ』をくれた作家でもある。それまで自分も、大人向けの一般書にしか手を伸ばしていなかった。だが上橋さんの作品に出会って、その面白さにはまり、さらに他の児童書に手を伸ばすようになった。


そういう経験があるからこそ。
今まで児童書を敬遠しがちだった方にこそ、ぜひとも手に取って貰いたい作品である。

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「教育」って何なんでしょうか。そう突き付けられました。

17人中、17人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

今や、世界的に教育レベルの高さで知られているフィンランドで、単身現地の高校に入学し、卒業を目指した日本人女子高校生の奮闘記。

あちらの高校や授業の仕組み、高校生の生活についてだけでなく、フィンランドでの普通の生活にも触れられていて、非常に興味深く楽しく読む事ができた。

と同時に、何故彼の国が教育でトップなのか、嫌というほど納得してしまった。

いくつか本文から引用させてもらうと。

例えば、丸暗記一夜漬けでは決してクリア出来ない試験。
何しろ「問題が1行の文で書かれていて」、「授業で学んだことだけでなく、自分が持っている知識をすべて使った答えを、(中略)…答案に書けるだけの文章を書いて表現しなくてはならない」のだ。
そして、卒業するにはとてつもなく厳しく難しい卒業試験が待ち受けている。

「他の人の意見に合わせる必要はない。ただ自分の考えはきちんと持って、問われた時は、感情的にならずに、説明できるように」という目的を持った授業。

何より驚かされたのは、校則についてのくだり。
国の法律がイコール校則で、生徒の自由と権利を保障する……日本で考えられるだろうか。
だがそれは逆に、生徒たちが同じだけの責任と義務も求められているのだと、ふと気づいた。

何年で高校を卒業するか、そしてカリキュラムも自分で決めるという、徹底した生徒個人の意思の尊重は、同時に、生徒が自分自身を自分で的確に把握し判断し、自分で決定を下さなくてはならない事に通じる。そこに、教師たちのきめ細やかで親身なサポートを付け加えることで、フィンランドは、著者の言うところの「自分の頭で考える事が出来る大人」を育てているのだろう。

そういう人間を育てていく事こそが教育という、フィンランドの徹底した教育へのこだわりは、今、目の前にいる生徒たちのありのままの姿を暖かく認めながら、5年後、10年後、そして50年後のフィンランドを支える「人」を育てていると強く感じた。真の意味での「教育」がここにあると。そこからは、「人」を決して使い捨ての駒とは見ず、「人」あってこその「国」という、彼の国の筋の通った姿勢が垣間見えるようだ。

この本を読んで、二つほど心に深く残った著者の言葉がある。
一つは、フィンランドの高校生が大変「想像力」に溢れており、それが授業によって培われている、という考え。

慣れない言葉や授業に悪戦苦闘する著者に、生徒達は暖かく接する。それは、「ひとりで外国に行ったらどんなことで困るだろう。(中略)…私の立場で考えて、全部理解してくれているよう」というほど。
そこには、生徒達を競わせないことで、生徒自身が自然とお互いに助け合うという環境や、個性的な教師達の存在もあった。

何かの折にフィンランドでは教師になるのは非常に困難で、それこそ国民の憧れの職業だと聞いた事があるが、この本に出てくる「先生」の姿をみると、成程と頷けた。

もう一つは、「やりたいことがたくさんあって選ぶのに困ることはあっても、やりたいことがみつからない生徒はほとんどいない」という、将来に夢を持ち続ける若者たちの姿。
思わず嘆息してしまったのは……、日本の現状を思い浮かべてしまったからか。


最後に。
この話は、中学時代、学校で大変辛い思いをし、傷ついた心を抱えフィンランドに向かった著者の、心の再生の物語でもある。暖かい人々に囲まれ、真の教育に触れ、自分を取り戻していく著者。それは著者自身が自分の写真を見て驚いたように、各章の冒頭にある、クラスの集合写真の彼女の笑顔に何より顕著に表れている。
そして折に触れ出てくる彼女のグローバルな視点からの意見には、ハッとさせられる事も。


人間のありのままの姿を当たり前のように認め、人と違う事も当たり前と肯定する……。
それだけのことが、どれほど人間を救い、輝かせるものなのか。

楽しんで読みながらも、とにかく深く考えさせられた一冊だった。

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紙の本獣の奏者 外伝 刹那

2010/09/11 13:44

外伝、やはり引き込まれました。

13人中、13人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

獣の奏者の外伝が出ると知った時、再びエリンの世界を読めるという嬉しさと同時に複雑な思いが生じた。

獣の奏者の完結編の書評にも書いたが、自分が2009年に読んだ本の中でランクをつけるのなら、獣の奏者の探求編・完結編は、まさに一・二を争う上位ランクに躍り出る。
それほどまでに世界に浸り、そのスケールの大きさと書き込まれた人物描写・心理描写に圧倒され、とにかく久々に「堪能した」という言葉がぴったりの作品だった。

だからこそ、この外伝が出ると聞いた時、戸惑いを感じたのかもしれない。
いったんは物語の結末を見ていながら、時を遡っての、エリンとイアルの同棲時代などの話を読めるのだろうか、という不安と、探求編・完結編……とくに完結編で受けた感動が壊れてしまうのではないか、という危惧。

読了した今ならば、『心配しただけ損だった』と言い切ることができる。
とにかく読んでいくうちに再び話の中に引き込まれ、あっという間に読了してしまった。

外伝とは言っても、そこは上橋さんの真骨頂。人物描写も心理描写も丹念に描きこまれた見事な話だと自分は思っている。


獣の奏者では二巻の王獣編から三巻の探求編の間に、物語は一気に11年の時を経ている。
今回のこの外伝は、bk1の内容説明にもある通り、「本編では明かされなかった空白の11年」の話となる。

外伝 「刹那」の帯から著者の上橋菜穂子さんの言葉を引用すると。

「ずっと心の中にあった、エリンとイアル、エサルの人生――
彼女らが人として生きてきた日々を書き残したいという思いに突き動かされて書いた物語集です」

3つの中編は、それぞれイアル、エサル、エリンが主人公になっている。どの話も読みごたえはたっぷりだった。

そしてもう一つ。
自分が『やられた!』と思ったのが、何を隠そう、この外伝のいわゆる『あとがき』、「人生の半ばを過ぎた人へ」だ。
上橋菜穂子さんがこの中で書いた「ものがたりの佇まい」の言葉には正直唸った。
上橋さんはこの話(外伝)を本編に入れることは出来なかったという。その理由として「ものがたりの佇まい」が関わってくるのだが、これは是非読んでいただければと思う。

自身も漫画家の萩原望都さんの言葉に影響を受けたとのことだが、「「効果と手抜き」の違い」」についての含蓄のある言葉。
確かに獣の奏者の本編にこの話を入れたなら、上橋さんの言うところによる「余分な一滴」になってしまっただろう。詳しくはぜひ『あとがき』を読んでいただきたい。

本編を完結したからこそ、作者が書くことができ、同時に読者も読むことが出来た……。
そんな外伝になったのではないだろうか。

さらに。
上橋さんの生みだす登場人物たちが、そしてその世界が『生きている』理由がよく判った。
練りに練られたギリギリの中で、上橋さんが「ものがたりの佇まい」を見極めながら書いていたからだろう、と。

最後に。
bk1のこの本の利用対象は「小学生・中学生」となっており、同じく「この商品のジャンル」は小学校高学年からヤングアダルト向けになっている。

だが上橋さんは「人生の半ばを過ぎた人へ」で、「獣の奏者は児童文学ではない」と言い切っている。
さらにこの外伝は、エリンやイアルの恋愛・結婚や、エサル師の恋愛の要素が含まれながらも「自分の人生も半ばを過ぎたなと感じる世代に向けた物語になったよう」だと。

確かに対象年齢について述べるなら、この外伝は本編に比べ、上の年齢が対象になると思う。
一般書としても差し支えないかもしれない。

もちろん上橋さんは若い人たちにも読んでもらいたいと言っている。
自分も、獣の奏者の本編を読破しその世界を堪能した人たちならば、様々な年齢の人たちに手に取ってもらいたいと思う一冊である。

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紙の本バルサの食卓

2009/08/17 18:31

これから食欲の秋になるわけですが……。

13人中、13人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ダイエットの敵……すなわち、その本を読むと、むしょうに物を食べたくなる小説を挙げろといわれたら。

近藤史恵さんの「タルト・タタンの夢」や「ヴァン・ショーをあなたに」のビストロ・パ・マルのシリーズ。(フレンチ)
和食なら、何といってもこれを抜きには語れない、大御所・池波正太郎さんの小説の数々。そして宮部みゆきさんの時代小説、「初ものがたり」。
ごく普通の家庭料理ならば、香月日輪さんの「妖怪アパートの幽雅な日常」シリーズ。
ちょっと変わり種としては、有川浩さんの「植物図鑑」。
そして何より、上橋菜穂子さんのシリーズを挙げるだろう。

どれもこれも思わず食べたくなってしまうような、そんな料理の描写が多い。自分は『食べたくなるだけ』だが、料理好きの友人によると、『思わず作りたくなってしまう』とか。

その中でも上橋菜穂子さんは特殊なケースだ。
おいしそうな料理の描写が多いシリーズは完全な異世界ファンタジー、そこに出てくる料理は、上橋さんの言葉を借りるのなら、「私の頭の中にしかない、異世界の料理」となる。

だからこそ。
作者本人が「序 ことの始まり」で、料理本を作ろうと言い出した編集者に、
「あれは異世界の料理ですよ? ゴシャなんて魚、築地じゃ売ってないし、マイカの実なんてのも、この世にはないわけで……」(p3)
と笑いだしたと暴露している。そう、そもそも「材料」がこの世に存在していないわけだから、料理を作れるはずがない。

だが「絶対あの料理を食べてみた~いと思っている読者、たくさんいますよ」と言い切った編集者さんの目は確か。
先にも書いた通り、自分も上橋さんの本を読みながら、「こんな感じだろうか」「あんな感じだろうか」と料理を想像し、「食べてみたい」と思う事がしばしばだった。
完璧に想像の世界の食事でありながら、非常に食欲をそそられていたのだから、確かにある意味すごい事なのかもしれない。

その上橋菜穂子さん本人が非常に驚かれたように、そのファンタジーの中の料理を、現実にある材料を使って再現しようとする「トンデモ企画」に、何とそれをやってみようという「「ファイティング・スピリッツとフロンティア・スピリッツと、なんとかなるさ精神」を併せ持った不思議な料理人」たち(上橋さんは彼らを「チーム北海道」呼んでいるが)が現れ、実際に作り、そのレシピがまとめられたのが本書。
蛇足になるが。その料理人の一人が、「面白南極料理人」の西村淳さんだったというのには、思わず納得してしまった。

上橋さんの言葉を引用するなら、
「もちろん、この本に出てくるレシピは「物語の中でバルサたちが食べた料理そのもの」ではありません。でも、「チーム北海道」の皆さんが、創意工夫によって生み出した、「いまの日本で手に入る食材で作ってみたら、あの料理はきっとこういう味になる」という料理なのです。」(p8)となる。


本書では、きちんと上橋さんの小説(「守り人シリーズ」・「獣の奏者シリーズ」・「狐笛のかなた」)から、「食べ物シーン」(上橋さんの言葉による)が引用され、さらに上橋さんのエッセイのようなコメントがつき、おいしそうな料理の写真、そしてレシピが出てくる。
全部でおおよそ30のレシピが収められている。

自分が絶対に食べてみたいと思っていた「ノギ屋の弁当風鶏飯」(「精霊の守り人」より)や、タンダの山菜鍋(同じく「精霊の守り人」より)、「胡桃餅」(「狐笛のかなた」より)。どうやら「読者が食べたい食べ物コンテスト」をしたら上位に入る料理だったとかで、しっかりとのっていた。


自分もぜひ上橋さんの世界の料理を楽しんでみようと考えている。……もちろん、これからは食欲の秋でもある。きっちりと、体重計との睨みあいをしながら、になるだろうが。

そしてもう一つ。発売されたばかりの「獣の奏者3巻・4巻」も非常に楽しみにしている。もちろんあの壮大なファンタジーの世界にどっぷりと浸るのが一番の楽しみだが、ほんの少しだけ、「何かおいしそうな料理が出てくるかもしれない」というズレた期待もあるのだ。


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盲導犬不合格物語

2009/06/03 20:50

盲導犬になれなかった犬は、ダメな犬???

10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

書評フェアの「盲導犬と私たち」を見て、真っ先に思い浮かんだのがこの本。
そういえば、盲導犬をほんの少し違う観点から見ていた本があった、と。

この本では、盲導犬の訓練を受けながらも、さまざまな理由で盲導犬になれなかった犬たちを取り上げている。
児童書で小学校中学年以上を対象としているので、大人ならばサッと読めるだろう。
ぜひ手にとってみてほしい。

作者もあとがきで述べているが、書名の「不合格」の言葉は、あくまでも「わかりやすくするために」使ったもの。実際は「不適格犬(キャリアチェンジ犬)」と呼ばれている。

もちろん盲導犬になれなかったからといって、決してダメな犬なのではない。
不適格犬は、あくまでも「盲導犬としてはちょっと向いてなかった」のであって、その後介助犬になった犬もいれば、子犬を育てればピカイチの子育て犬に、さらには『マジシャン』として活躍(!?)する、かなりの変わり種もいる。


どうして盲導犬になれなかったかのかも、きちんと説明されているので、同時に盲導犬がどんな事を求められるのか詳しく判る。

たとえば怖がり(警戒心が強い)や、喜びすぎ、無駄吠え(呻る事を含む)のような行動をとるのも、盲導犬としては不適格になるのだという。
呻るのも駄目というのは厳しいと最初は驚いたが、理由を読んで納得。

なぜなら。「わずかなハプニングが、目の不自由な人の安全をおびやかすことになる」からだ。

目の不自由な人たちにとっては、もしいきなり犬が呻ったとしても、その原因をすぐに確かめる事は難しく、うろたえてしまいかねないのだ。
喜びすぎる犬は、「よろこびすぎるとこうふんして、自分の役目をわすれてしまうことがある」からこそ、盲導犬に向いていない十分な理由となってしまう……。

ネコ好きだったために盲導犬になれなかった犬も、ここでは紹介されている。

盲導犬は「一頭を育てるのに約四百万円もかかる」ため、「とちゅうで不合格になると、たいへんなマイナスになる」とか。
だが、「目の不自由な人の安全のためには、少しでも気になる点がみつかる」と、どれほど優秀な犬でも「きっぱりとあきらめ」、不適格犬とするそうだ。

キャリアチェンジ犬は、さまざまな形で次の道を歩き出す。

先に述べたように介助犬になったり、他には「体験歩行犬」(盲導犬の体験歩行の希望があった時に一緒に歩き、犬の大きさを実感したり、歩くスピードを体験してもらう)等々、その犬にあった落ち着き先もきちんと世話されている。


最後にあとがきから引用させてもらう。

「盲導犬になった犬はすばらしいけれど、ならなかった犬たちも、それぞれがんばっていることを、ぜひ、みんなに伝えたい、伝えなくてはと思いました」

「みんなちがっていて、あたりまえ。その犬らしく生きるってことが、輝くということで、それは、人間にもいえることだと思います」

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『ペンは剣よりも強し』。だからこそ、自分たちは肝に銘じなくてはならない事があるのでは……?

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

表紙の下部分、著者の写真があるところ、画面では見辛いがこう書いてある。

「テレビ・新聞・インターネットにだまされない!  あふれる情報から「真実」を読み取る技術を身につけろ」

確かに現在の世の中、情報が氾濫していると言っても過言ではない。

ではここで。メディア・リテラシーとは? 

池上さんの解説によると。
「テレビを見たり、ラジオを聴いたり、新聞や雑誌を読んだりするときに、その内容をそのまま受け止めるのでなく、自分なりに判断する力」(p4)とのこと。

この定義に絡め、池上さんは「納豆ダイエット」捏造事件を取り上げている。

「多数の視聴者が、「納豆はダイエットになるらしい」と考えてスーパーに走り、納豆が店頭から消えてしまったことに恐ろしさを感じました。納豆にだってカロリーがあります。カロリーのある物を食べるだけでやせるなどということがあるわけはないのです。この常識に気づかず、番組を真に受けてしまった人が多数いることが情けなく、恐ろしさを感じてしまったのです」(p3)

そしてもう一点。
「健全な常識で物事を判断する。それができない人が増えているのでしょうか。もしそうだとしたら、それは「健全な常識」を持っていない人が増加したのか。それとも、テレビを見るときに、「健全な常識」を働かせることができなくなっているからなのか」(p3)

そしてそのテレビの『仕掛け』についても述べている。
「見ている人が「健全な常識」を働かせることがないように、テレビ番組がさまざまな「仕掛け」をしていることもあるのでしょう」(p3)

この「仕掛け」については、本書の「テレビとの付き合い方」を読んでもらいたい。何せ長年テレビ現場にもいた人の言葉である。説明されれば、『そうだよな』と簡単に納得できるのに、説明されるまで気付いていなかったりするのだ。

さて。
本書で触れられているのはテレビだけではない。新聞・インターネット、そういったマスメディアについても判りやすく述べられている。

非常に興味深い事例ばかりだったが、その中で特に心に残った二つについて触れたい。
一つは「新聞を読み比べてみると」。そしてもう一つが、「広告代理店とPR会社」。

まず「新聞を読み比べてみると」の項。(p123)

新聞はどれも同じようにみえ、「ずいぶん内容が違うのです」と。
その例として挙げられているのが、アフガニスタンのタリバンについての記事。

2006年5月20日の朝日新聞と読売新聞の記事が引用されている。
そしてそれから読者が受けるイメージの違いについて述べているのだが、読み比べて唖然。

一方の記事は「アフガニスタンのタリバンは勢力を盛り返してきている」と読め、もう一方は、「タリバン勢力は大きな打撃を受けている」と読み解けるのだ。
本当に同日付の記事だという。どちらの見通しが正しかったかは、ここでは問わない。だが、どちらの新聞を読んでいたかで、世界に対する見方が180度変わってしまう……。これは非常に恐ろしい事ではないだろうか。

次が「広告代理店とPR会社」についての文章。特にPR会社について。(p92)
実はこの本を読むまで、自分の中でも「広告代理店」と「PR会社」が混同していた。似ているようで全く異なるものだと始めて知った。

「キシリトール」や、年末恒例「今年の漢字」。これが、PR会社の「仕掛け」だったとは知らなかった。ただその程度(?)ならば、まだ「そうなのか」で済むのだが、それで済まされない物まで「仕掛け」られているから、たまらない。

イラクのクウェート侵攻、そして多国籍軍による攻撃。その後のクウェート解放時、彼の国民がアメリカ国旗を振っていた、有名なシーンを覚えておられるだろうか。
この本でも触れられているが、あれがアメリカ政府からの依頼を受けたPR会社の「仕掛け」だった事は、結構知られている話。だが。
ボスニア・ヘルツェゴビナの内戦。それにもPR会社が絡んでいたとは……。

ボスニア側の依頼を受けたアメリカのPR会社は、徹底的にセルビア側を悪者にしたてあげた。
「この内戦では、実際にはボスニア系、セルビア系双方とも残虐な行為をしていたのですが、PR会社は、セルビア系住民の残虐行為を世界に発信します」(p102)
その結果。
「「セルビア悪者論」が国際社会に広がりました。セルビアのミロシェビッチ大統領が、(…中略)国際的な悪者に仕立て上げられ、ボスニアは独立を果たしました」
今から考えると、自分も見事に嵌められたクチだ。
池上さんはこうも言っている。
「国際社会で、国際世論を味方につけるため、PR会社が活動するようになっているのです。私たちに見えない所で、もうひとつの「戦争」が戦われているのですね」

その続きで、「話題のウラを読もう」と。

「(略)私たちが何気なく見ているニュースや話題の裏側に、思いもかけない仕掛けが潜んでいることがあります。何も考えないで見ていると、仕掛け人の思うツボになってしまうのです」(p105)


最後に。
理想論かもしれないが、誰もが自由に堂々と自身の意見や考えを述べ、その意見の違いを認め合ってこそ、自由な社会が保障されると自分は考えている。だからこそ誰もが、自由に自分の考えや意見を述べる権利を持っている、と。

「ペンは剣よりも強し」のことわざは伊達ではない。
『ペン』……思想や文学、言論、そして言葉の持つ力、周囲に与える影響は、『剣』(武力)よりも強いのだから。

だがこの言葉に想いを馳せる時、必ず考える事がある。
『剣』よりも強い力をもつのが『ペン』ならば。
その巨大な力を振るおうとする人間は、それだけの責任と義務をも同時に負うのではないか、と。
権利と自由だけが存在する事はありえない。権利と自由の裏側には、必ず義務と責任もある筈だ。

今はマスメディア関係者でなくとも、インターネット等を通じて、誰もが『ペン』の力を振るえる。にも関わらず、その『ペン』が持つ力の大きさを、それを誤って使った時の恐ろしさを、何よりそれを振るう時に考えなくてはいけない『義務と責任』を、自分たちは本当に判っているのだろうか。

現に学校裏サイトでの悪意ある書き込み、ブログの炎上なども頻繁に起こっている。今マスメディアの問題として挙げられるものは、先にも述べた「捏造」や、「メディア・スクラム」(大きな事件が起きた時、加害者家族や被害者家族に多数の報道陣が押し掛けること。p164より)等だけでない。

マスメディア関係者はもちろん、『ペン』の力を振るう一人一人が、少しでもその力の恐ろしさ・大きさを感じ、同時にその裏にある『義務と責任の重さ』を知っていたら。
とてもでないが、そんな事は出来ない筈。

だからこそ。
自分は『ペン』の力を使う時にはむしろ慎重に構え、さらにはそれを操ろうとする力にも流されず、いろいろな物事を自分で見て多角的に考え、自分で判断する。
……そういう、いわゆる『手強い』人間でありたいと感じている。

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紙の本杉浦日向子の江戸塾

2009/06/23 21:50

とにかく目からウロコが落ちまくりです。

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いきなりだが、宮部みゆきさんによる「文庫化によせて」から引用させていただく。

「「絶対、ご自宅は江戸にあるんだよね……」
もちろん、どこにお住まいなのかは存じ上げていましたし、杉浦さんが現代の東京人であることは百も承知です。でも、どうしてもどうしても、師匠の本当のお宅は江戸の町のどこかにあるような気がしてなりませんでした」

なお、ここでの「師匠」とは杉浦日向子さんの事。

杉浦さんと対談した後の宮部みゆきさんと編集さんが期せずして同じセリフを吐いてしまったという。それが先述の「絶対……」以下の台詞なのだが、宮部みゆきさん、北方謙三さんらが「師匠」と言い、その杉浦さんとの対談を「授業」というほどに「江戸」に精通していた、江戸風俗研究家の杉浦日向子さん。

文庫本カバーの『内容紹介』によると、
「本書は、その杉浦日向子が、6人の仲間とともに、魅惑の都市とそこに住む人々の魅力を語った、究極の江戸案内である。……(以下略)」
となる。

対談相手は、北方謙三さん、宮部みゆきさん、山崎洋子さん、田中優子さん(法政大学社会学部教授)、石川英輔さん、高橋義夫さん。

しかし。宮部みゆきさんが、対談で「目からウロコです」と言っていたのだが。
江戸時代を詳しく調べながら時代小説を書いている作家ですらそうなのだから、ただただ楽しんで読んでいるこちらは、その倍以上は「目からウロコ」状態となってしまった。
何しろこの本からすると、自分がファンで今まで読んできた時代小説や見てきた時代劇に、「あれは間違っている???」というシーンが出てきてしまうのだ。
この本の中でも、高橋義夫さんが「物書きの立場からいえば、時代考証家っていうのは天敵なんです(笑)」と言っているのだが……。

蛇足になるが、その高橋さんに切り返す杉浦さんの台詞がいい。たったひとこと。
「いやなやつですよね(笑)」
さすが江戸っ子、『粋』を地でいっていると感じた。

話は戻る。
『目からウロコ』の例を幾つか挙げるなら。

江戸長屋風景の一つ、「井戸端で(井戸水を使って)お米を研ぐ」のは『有り得ない』事に。
さらに。江戸の庶民は家で煮炊きをする事は少なく、おかずは今で言う「お惣菜屋さん」からお惣菜を買ってくるのが当たり前。何しろ竈がある家が殆どなく、包丁・まな板が「普及していなかった」のだから、推して知るべし。

もう一つ驚いたのが、江戸の町の女性たち。宮部さんが、「私、江戸時代に生まれれば良かった(笑)」と言うほどに、かなりの女性優位だったようだ。
なにしろ長屋に住む「かかあたち」も大変大切にされていて、「長屋で朝ご飯の支度をするのが亭主の鑑」だったとか。
良い亭主になる条件その一、「ご飯が上手に炊けること」、その二、「マッサージが上手なこと」、その三、「育児が上手なこと」。
これには笑ってしまった。

そうでないと「乗り換えられて」しまうのだ。しかも三行半を書くのはもちろん男性だが、その男性が家を出ていくというから唖然。
なにしろ天下のお江戸は、慢性の「女性不足」。男性たちは結婚してもらうのも一苦労だったらしいが、結婚してからも大変だったようだ。

その他にも識字率は高く平仮名ならほぼ全員が読め、江戸のデートのお誘いやプロポーズはまず女性から、男性はひたすら待つ身だったとか……。

今まで読んでいた時代小説や見ていた時代劇、それらから受けたイメージで勝手に自分の中に作り上げていた『お江戸』が、見事180度転換してしまった。どうやら自分が持っていた江戸のイメージに当てはまるのは、当時の上方のものだったようである。

とにかく江戸の町の庶民はおおらか、そんな印象を受けた。
自分がここに例として挙げさせて貰ったのはほんの一部、「目からウロコ」がボロボロ状態で、江戸は非常に奥が深いと感じた。


杉浦日向子さんは残念ながら2005年に他界されたが、もっと面白い江戸の話を読んでみたかったとも思う。
ただし問題も一つ。
この人の本を読んだ後に時代劇を見たり時代小説を手にすると、そこに出てくる江戸文化の描写に、「これは違うのでは?」と首を捻ることが増えてしまうのではないか、と。

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宇宙は遠くて近いようでいて、やはり近くて遠いのだと思いました。

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奇しくも。
国際宇宙ステーションに長期滞在する日本人宇宙飛行士候補2名が、新たに決定したとのニュースを横目に、この本を読了した。

この話はノンフィクションである。

2000年から、宇宙ステーションでは宇宙飛行士による長期滞在が始まった。
これは2003年、第六次長期滞在チーム『エクスペディション6』(アメリカ人2名、ロシア人1名、計3名)の、自分たちには想像も出来ないステーションでの日常、そして最終的に彼らがどのように地球へ戻ってくるか、という話。

宇宙に向かう人間の歴史(アメリカと旧ソ連の熾烈な競争など)、さらにスペースシャトル等の解説に加え(キツツキに負けたスペースシャトルの話には、思わず唖然)、想像もつかない「宇宙生活のあれこれ」について、詳しく説明されていて非常に面白かった。


『エクスペディション6』の3人。さきほど「彼らがどのように地球へ戻ってくるか」と書いたが、それには理由がある。
彼らは実は、一時期の間、ステーションに取り残された形となっていた。

2003年2月。アメリカのスペースシャトル「コロンビア」が、大気圏突入時に空中分解した。このとき、『エクスペディション6』の三人は、すでにステーションでの任務についていた。

だがコロンビアの事故によって、その後スペースシャトルの打ち上げは、事実上見通しの立たない状態となった。『エクスペディション6』の3人にとって、それは地球へ戻ってくるための手段を失ってしまったようなものだ。ステーションへの宇宙飛行士の往復は、スペースシャトルで行われていたのだから……。

だが、この『エクスペディション6』。
ベテランのアメリカ人宇宙飛行士ケン・バウアーソックス。さらに修理の天才、科学者ドン・ペティット。温厚でベテランのロシア人宇宙飛行士ニコライ・ブダーリン。
「配置の妙」とでもいえばいいのだろうか。この3人だったからこそ、事態を乗り切る事が出来たのではないか、とも思える。だがメンバーがこの3人だった事には、まるで運命を予言するかのような「クルーの変更」があったのだ。

宇宙飛行士たちにとって、チームのクルーが変更になるのは、(そのクルーが不慮の事故などで亡くなった場合を除き)不吉とみなされるとか。この本でも触れられているが、映画でも有名な「アポロ13号」も直前でクルーが変更となっている。この『エクスペディション6』も、全く同じような経験をした。それまで正規のクルーだった一人が医学的な検査で引っ掛かり、直前でバックアップのクルーと変わる事になった。

それが運命づけたわけではないだろうが、宇宙に出るまでも出てからも、とにかく「色々」とあったチームのようだ。

まず、宇宙に出るまでも、3度の発射延期があった。

やっと宇宙に出てステーションでの生活が始まったら、3か月目にコロンビアの事故、彼らは大切な仲間を失ったと同時に、地球へ帰る見通しもたたなくなってしまったのだ。

だが彼らは持ち前の精神力とアイディアで、この困難を乗り切っていく。

ステーションでの生活あれこれは興味津々で読んだ。
3人の個性的な性格が伺えるところが面白かった。それだけでなく、ロシア人とアメリカ人の違いなどもユニークに描かれていて、思わず笑ってしまうことも。
それにしても、ステーションというのは、どうやら『故障の宝庫』でもあるらしい。もちろん宇宙という過酷な状態が、それを引き起こしているのだろうが。

だがそれを直す手段がいい。確かに古今東西、「壊れた機械、叩けば直る」とは言うものの。
ステーションで高価な機械を相手に、本当にそれをやってしまうあたり、『エクスペディション6』の面々の個性的な性格が垣間見えるというもの。だがその『叩いて直した』機械は、現在も順調に稼働しているというのだから。……宇宙とは、まさしく謎の宝庫かもしれない。

4か月の予定だった長期滞在は、6か月に伸びた。地上では大騒ぎするような期間ではないかもしれない。だがそれが宇宙となると、話はかなり違ってくる。


そして。
ついに彼らが戻ってくる時がやってくる。
その手段として、地上が取った策は。
さらに付け加えるならば、トラブル続きのこのチームらしく、すんなりと地球へ戻ってきたわけではない。
地球へ戻る途中も、何より地上に着陸してからも、まさにトラブルのオンパレード。
そのあたりは、読んでいるこちらも話に入り込んで手に汗握ってしまった。

最後に。
宇宙ステーションは超高速で地球をまわっているため、「45分ごとに日が昇り、日が沈む」地球を見るとのこと。そして何より、「夕暮れの光」や「地球が夜に包まれるとき」の光景は、かなり幻想的なものだとか。そして宇宙から見る、カナダのオーロラ……。

この目でぜひ見てみたいと思う。

でも。
そんな光景を占領できる宇宙飛行士たちを心底うらやましいと思いつつも、それは命をかけて宇宙へ飛び出していく彼らにのみ与えられた特権なのかもしれないとも思うのだ。

やはり憧れの宇宙は徐々に近くなっているようでいて、まだまだ遠い存在なのだと実感した。

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紙の本亡羊の嘆

2008/11/10 14:58

ホラー系もスプラッタ系も苦手ですが、このシリーズは何故か大丈夫なのです。

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法医学教室を舞台にした、鬼籍通覧シリーズ第6弾。

今回は、凄惨な修羅場を目のあたりにしてきている法医学者たちですら絶句するほどの、異様な状態で殺された、人気料理研究家の事件。

法医学者として遺体につけられた傷の謎を追うことになる法医学教室大学院生・伊月崇、法医学者・伏野ミチル。さらに伊月の幼馴染みで刑事の筧兼継の三人は、相変わらずいい味を出している。

お馴染みのメンバーも健在だ。
猪突猛進の部下二人に対し、絶妙な手綱さばきをみせる都筑教授。法医学教室の面々と兵庫県監察医の龍村。さらに少々(?)風変わりな鑑識員も登場し、ますます面白みが増してきた。

このシリーズは大ファンで以前から読んでいるが、実は自分でも不思議なのだ。

なぜなら自分は、「ホラー系? …自分には読めません」「スプラッタっぽい? とんでもない、以下同文」という、大の怖がりだから。

法医学教室が舞台だけに解剖シーンは山ほど。さらに作者が現役の法医学者だけあって、「ご遺体」の描写やら解剖シーンが妙にリアルで、時折クラクラしてしまう…となれば、たとえ好きなミステリーでも、本来なら逃げ腰になってしまうところだ。

しかも。
このシリーズをミステリーかと問われると、実は微妙なところである。
この亡羊の嘆はミステリー色が強いが、何しろシリーズの中には、ホラーのようなゾッとする(実際鳥肌がたった)話もあった。
……尚更距離を置きたくなる筈、なのだが。

それでも、新刊が出ると購入してしまう不思議な魅力がある。

それはきっと、「死」と直面している登場人物一人一人が、真剣に「死と生」や「失われた命と残された命」と向き合い、己の中で一つ一つ答えを導き出そうとしているからだと思う。当然それは、他ならぬ作者の姿勢でもあるのだろうと。
そして悩み迷いながらも、他者を思いやりつつ、柔らかい雰囲気を作り上げているその人間関係が、読んでいる自分にとって心地よく、何か温かいものを感じるのだ。

このシリーズを読んで、法医学者がどれほど厳しい立場にいるのか、始めて知った事は多い。捜査権が全く無く、警察からの情報だけを元に解剖をすすめ、あくまでも自分たちが解剖によって得た「事実」だけで死因を決めなければならない。さらに今回の「亡羊の嘆」のあとがきで作者が言っているように、今まで法医学者たちが「警察にも遺族にも与しない、純然たる中立機関である」ことを貫いてきた事など。

ネタばれにならないよう、亡羊の嘆の内容をこれ以上書くことは控えるが。

読み終わって、ふと考えてしまった事がある。

「信じられない」事件が現実に起きるようになっている昨今、今回の話のような「犯行の動機」や「犯人像」による事件も、いずれ現実世界で起こってもおかしくない……。

タイトルの「亡羊の嘆」という言葉が、深く身に染みた。

最後に。
この鬼籍通覧シリーズは、第6弾まで講談社ノベルズから出ているが、第1弾「暁天の星」から第5弾「禅定の弓」までが、ティーンズ向けの講談社X文庫ホワイトハートでも文庫化されている。そちらは山田ユギさんのイラスト付き。

さらに今年、第1弾「暁天の星」が講談社文庫で文庫化された。さらに第2弾「無明の闇」も11月に発売の予定。

興味を持った方は、ぜひ一度手に取ってもらえればと思う。
ただ、自分と同じ「怖がり」「スプラッタ系、駄目」という方には、一度中身を確認してからの方が……と付け加えたい。

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すごい「デビュー作」でした。日本の政治家にも読んでもらいたいですね(笑)

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

この彩雲国物語、じわじわと中学生や高校生の間で人気が広まり、漫画・アニメ化され、いまやYA分野の代表作の一つとなったのではないのだろうか。
自分が担当している中学校の図書室にはシリーズを置いていなかったので、代々の生徒たちから、毎年のように『ぜひ入れてくれ』と熱烈なリクエストがあった本でもある。

毎年毎年『図書室にぜひ入れてほしい本』として必ず名前を書いているのだが、残念ながら、さまざまな制約(予算含む)により、今まで入れる事は叶わなかった。子どもたちはあちこちの伝手を使い、シリーズを手に入れて読んでいるようである。
シリーズが完結した今、シリーズ全てを読破した自分としては、中学生たちにぜひ読んで欲しいシリーズだし、これからも『入れてほしい』と言い続けたいと思っている。

学校図書館の世界では、この華やかな挿絵だけで『軽い』本と逆に敬遠されてしまうことも多々あるのだが、完全に誤解であるときっぱりと言い切りたい。
もちろん挿絵や表紙の絵が、本や読者に与える効果は、自分もよく知っている。だがこの本は、由羅カイリさんの絵が確かに物語に力を与えているが、絵だけがひとり歩きしているわけではない。十分にそれに見合うだけの物語であると思う。

織子さんも書評で書かれていたが、自分もまたこの本を読みながら、小野不由美さんの「十二国記」を何度も彷彿とさせられた。
ある意味『国を造っていく物語』……為政者が、どのようにして国を治めていくかを描いていると思えるのだ。
もっとも十二国記とは違い、キャラクターの設定等で、今のYA世代向けの軽さなどもあるが、それはそれでこの世界にあっているし、思わず噴き出してしまうような台詞のやりとりは楽しいし、大変『いい味を出している』と思う。

それと同時に。
きっと今日本人が、あれやこれやと蠢いている政治家たちに向っていいたいことを、作者が見事に主人公や周囲の人間に代弁させているように思えるシーンもあって、何だか胸がすっきりする時も。

今の日本には、きっと日本という国の政治をになう政治家たちはいないのだろう。いるのは『永田町』という狭い狭い国の中で、『永田町の国民』のために、『永田町の憲法』に従って動いている政治家たちだけなのだから。普段からそれを苦々しく思っている日本人の一人として、この本の中で、何度『その通り』と頷きたくなったことか。


このシリーズが雪乃紗衣さんの『デビュー作』になるわけだが、ふつうならおおよそ10年に亘る長編(本編18巻プラス外伝4巻)を書く間に、別シリーズを始めてみる、または別の話を書くという作家が多いのではないだろうか。
だが雪乃紗衣さんは、このシリーズを書き終えるまで、一切他のシリーズを本として出していない。これはまた別の意味で凄いと思うし、彩雲国物語を楽しみにしていた一ファンとしては、『それより彩雲国物語を書いて欲しい』と思うこともなく、思い切り彩雲国物語の世界を堪能できた。

長編の「デビュー作」だが、まだ手に取っていないと言う方も、躊躇なく手に取っていただければと思う。18巻も、あっと言う間に読めてしまうだろう。

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紙の本小暮写眞館

2010/10/17 20:59

この本の、自分の『読み頃』は、『今』だったのかもしれません。

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宮部みゆきさんの本は、文庫も単行本も今までほぼ全て発売と同時に読破している。この一作を除いて、という注釈は付くが。

私ごとになるが、ちょうどこの本が発売されたころ、自分はさまざまなストレスから本が読むことが出来ない状態になっていた。
『好きな作家を数名挙げてほしい』と言われたら、必ず上位に宮部みゆきさんの名前が入るが、とにかくその時には、この本の七百ページを超す『厚み』に逃げ腰になった。

実はそれまで。
読書が苦手な人たちが、本を見て『字が小さすぎる』・『本が分厚くて読めない』というのを、時折自分には理解できない外国語を聞いているようにすら感じる事があったものだ。

幼いころから、三度の食事や睡眠や呼吸と同じように、当たり前のように本を読んできた自分は、どれほど分厚い本でも圧倒されることはなかった。もちろん中身が面白くなくて放り出すことはあっても、好きな作家の本ならなおさら、厚さに慄くことはなかった。上・中・下の三巻に分かれていてすら、楽しみながら読んでいたものだ。


『こういう思いなのか…』
始めて読書が苦手な人の気持ちが判ったものである。

とにかくそんな経緯があり、表紙の綺麗な写真にひかれ、また書評などを見てはいたが、ただただひたすら厚さから逃げていた。
そうこうしているうちに再び普通に読書が出来るようになったが、この一冊はタイミングがずれにずれまくって、やっと手にすることが出来、そして……あっという間に読了した。


やはり宮部みゆきさんの人をみつめる視線は温かい。
だからこそ。登場人物たちも温かいのだろうか。

かつて写真館だった「小暮写眞館」に住むことになった花ちゃん。彼の両親が、酔狂にも古いその写真館をほんのちょっとだけ改築して、そこに住むことになったからだ。さらには「小暮写眞館」の看板すらそのままにしたことから、花ちゃんの元に、「心霊写真」が持ち込まれることに。

花ちゃんは友人たちや弟の光とその『謎』をとく羽目に。
そしてそのうち、写眞館に元の持ち主である小暮さんの「幽霊」が現れるとの噂がたって……。

読んでいくうちに、ユニークな花ちゃんの一家にも心の奥底に秘めた苦い過去があることが判り、それも話の筋に絡んでいく。

何より花ちゃんの友人テンコやコゲパン、そして不動産屋の社長をはじめとした登場人物がいい。
そして花ちゃんと深く関わることになる、不動産屋の社員、垣本順子。

はじめから最後まで、ほんわかと温かい気持ちのままで読了することが出来た。四話目での、普段は草食系(笑)の花ちゃんの啖呵には胸がすくような思いもした。
同時に思った。この本に関しては、きっと『今』が自分にとっての『読み頃』だったのかもしれないと。

時折感じる事があるのだ。本にも『読み頃』があるのかもしれないと。
昔読んだ本を読み返して、感想が変わる事がある。
前には読了できなく放り出した本なのに、何年も経ってから手に取って深く感動することになったという経験もある。その逆も然り、だが。

そして今回も。
きっと五月の頃には、こんな風に穏やかに温かく人を肯定的に見る作品は読めなかったかもしれない。

だからきっと『今』で良かったのだろう。


最後に。
この話にも関わってくるこの表紙の写真。この光景、ぜひぜひ見てみたいと感じている。

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紙の本ヒットラーのカナリヤ

2009/01/08 12:56

本当に大切な事は。

8人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

舞台は第二次世界大戦中のデンマーク。
ナチス・ドイツがデンマークを占領した日から物語は始まり、それからの三年間の様子を、特にクライマックスの数日間を中心に、主人公バムスの視線で描いている。

あとがきによると、この話はフィクションだが「基本は事実に基づいている」とのこと。同様にあとがきを読むと、作者とこの物語に出てくる登場人物たちの関係が判る。


実は自分は、デンマークも最初からナチス・ドイツに激しい抵抗をしたのかと思っていたが、そうでなかったと知って驚いた。もちろんレジスタンスに参加した人々もいたが、占領されたデンマーク人の殆どがとった行動は、表立った抵抗でなく、ドイツ兵を「相手にしない」事だったとか。
さらにバムスのような子供たちは「冷静に、そして目立たないようにおとなしくして、よきデンマーク人でいるようにいわれていた」という。

それには、ナチス・ドイツが様々な戦略上でデンマークを必要とした事情も関わっていた。
最初のうちは、占領こそしていたが、「デンマーク人がおとなしくしているかぎり」はドイツ兵が「立ち入ってくることもなかった」からこそ、余計に人々は目立たないよう、おとなしいよきデンマーク人でいたのだろう。

そんなデンマークの人々を、イギリス人は「ヒットラーのカナリヤ」と称した。
書名にもなっているこの言葉の意味は、ぜひ本文で……。


だが。
ナチス・ドイツの様子は次第に変わっていく。その一番が、ユダヤ系の人々の問題だろう。

その前から、彼らはさまざまな国の迫害から逃れてきていた。だからこそナチス・ドイツのデンマーク占領に震え上がるが、逆にユダヤ系でない人々は、それほど重用視してなかったようだ。
ユダヤ系であろうとなかろうと、「同じデンマークの国民」というのが、彼らの考え方だった。

主人公バスムにも、親友のアントンをはじめ、たくさんのユダヤ系の知人がいた。
そんな事情もあって、バムスは、レジスタンス運動を行う兄オーランドの影響をうけ、アントンと一緒にレジスタンスに関わるようになっていくことに。

そこへ辿り着くまでの人々の心の動きも丹念に描かれていて、読み応えがあった。

最初の頃、まるで「ヒットラーのカナリヤ」を象徴しているかのように、「抵抗をしなければ危害を加えられる事はない」と、レジスタンス運動に猛反対するバムスの父親。
その父親の態度に反発し運動に身を投じる兄オーランド。

その両極端な二人の態度が、まるで当時のデンマークの人々を代弁しているかのようにも思えた。
さらにナチス・ドイツの意見に賛同するデンマーク人の姿もきちんと描かれている。

その中でユニークなのが、バムスの母親、マリー。
デンマークで著名な舞台女優だった彼女の突飛ともいえる行動の数々は、恐らく事実だったのだろう。作者もあとがきで、ある重要なエピソードは本当の事であったと書いている。

物語はそこから、バムスたちが、ユダヤ系の人々をスウェーデンへ逃がすシーンへ向かっていく。


最後に。
本文から、ある二つの箇所を引用したい。

「すべてのドイツ人が悪人で、すべてのデンマーク人が善人だったわけではない。そういうことではなかった。いい人もいれば悪い人もいて、その境界線を引くのは簡単ではなかった」

作者は本文だけでなく、最後の著者紹介の頁でも再度同じ事を述べている。
事実この話では、重要な情報をレジスタンスやユダヤ人たちに伝えたり、ユダヤ人の逃亡を見逃すドイツ兵の姿も出てくる。
一方で、バムスたちを密告するデンマーク人も。

もう一つが、ある登場人物がバムスに語る言葉。

「世の中には自分とちがう物に対しては、それがなんであれ恐怖を抱く人がいるんだ。その対象は、ユダヤ人だったり、ジプシーだったり、魔女だったり、とにかく理解できないものすべてだ。でも、だれにでも、ありのままでいる権利がある(……略)」


今現在も、紛争が世界中で起きている。イスラエル・パレスチナ問題、アフガニスタン、イラク……。他にも枚挙にいとまがない。

だがもしかしたら、本当に大切なのは、この二つなのではないだろうか。

もちろん各地の紛争には、宗教や信仰という一面が絡み、血塗られた長年の歴史が絡み、他にもさまざまな思惑も蠢き、単純に片付く問題ではないことは十分に承知している。


でも最終的には。
一人一人、個人の「人間性」に行きつくのでは、と。

基本はきっと、一人一人の個人が、相手と自分との違いを「当たり前」の事として認め、お互いを尊重する姿勢こそが大切なのではないだろうか、と。

この本を読んだから今だからこそ、そう思えてならないのである。

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