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エストラ言さんのレビュー一覧

投稿者:エストラ言

3 件中 1 件~ 3 件を表示

地球全体をフィールドとしてきた科学者が、ある日突然逮捕され、半年にわたって勾留されるという体験を、持ち前の好奇心を全開にして、新奇なフィールドに挑むように記録した異色の手記

16人中、14人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 今から3年前の2006年、メディアが騒ぎたてたホリエモン逮捕から9日後の2月1日、ひとりの学者が東京の自宅の家宅捜索を受けた。彼はそのまま拘束・逮捕されて札幌の拘置所に送られ、保釈を一切認められないまま、実に半年近く勾留されることになった。

 逮捕され、その後起訴されたのは島村英紀。国際的に知られる地球物理学者。日本では地震学者として一般向けの著作でもよく知られている。北海道大学を拠点に、地震・火山・極地の研究機関で活躍してきた逸材だ。

 起訴の理由は「詐欺罪」。北海道大学時代の島村教授が、みずから開発した海底地震計をノルウェーのベルゲン大学に売却し、その代価を教授個人の口座に振り込ませ、研究費にあてたというのである。

 これは世にも奇妙な言いがかりというものだった。
 そもそも北海道大学は研究費など出してくれず、研究者が外国から研究費を得ることになっても、大学には小切手を受け取る仕組みさえなかったのだ。
 それどころか、「詐欺」にあった当事者とされるベルゲン大学が、自分たちは詐欺にあったとは思っていない、島村教授には感謝している、と証言している。

 詐欺のかけらもない詐欺罪。一般常識から考えても、この件は、教授の側で煩わしい手続きを少しはしょっただけのささいな逸脱で、この機会に大学のほうで入金の仕組みを作ればよかっただけのことである。
 しかし、一審で「懲役3年、執行猶予4年」の判決が下った。
 これに対して被告が控訴すれば、あとに続く裁判で無限に時間をとられる。しかも、国を背負った検察の主張は上級審でくつがえされることなく、そのまま通ってしまう。
 研究者として現役の島村は、控訴しないという苦渋の選択をした。

 本書は、こういう体験を経てきた著者のいわばフィールド・ノートである。「事件」そのものについて順を追って語っているわけではないので、ドラマ性はない。初めて見聞きする事象に興味をかきたてられ、それを客観的に記録すべく、感傷を排して、事実を淡々と記していく。快活さすら感じられるその筆致はまぎれもなく科学者のものだ。

 「いままでしたことがない経験に踏み出す。これからなにが起きるのだろう、そういった意味では、初めて南極に立ったときのほうが、よほど興奮していたと思う」(p.26)
 独房は「(船の)キャビンだと思えば結構な広さがあるし、船と違って天井も高い。第一に、揺れないのがありがたい。・・・エンジンの音に煩わされることもない」(p.45)
 「壁は分厚いコンクリートに白いペンキを直接塗ってある。殺風景といえば殺風景だが、いっぽう、厚い壁に囲まれているということから、これほど地震に強い建物はあるまい」(p.46)
 「鉄格子だと思うと気が滅入る。障子の桟だと思うことにした」(p.51)
 独房の外のガラス戸に、かつて見た景色を呼び起こして映し出す。「白い砂浜と椰子の林が眩しい太陽の下に拡がっているラバウルの熱帯の海岸や、マグマが冷えて固まった峨々たるアイスランドの岩山や、南極の氷河や、北極海で見た何千頭というアザラシ・・・」(p.122)

 毎日、看守や雑役係の役割・行動を観察し、食事を楽しみ、その内容を丹念に記録する。もちろん取り調べ担当の検事もしっかり観察されている。
 「検事も気の毒な商売だ。あんな形相を繰り返すのでは、ストレスもたまるに違いない。そして、町で飲んで憂さ晴らしもできない職業だけに、たまったストレスのはけ口もあるまい」(P.103)

 そして、日本の司法慣習の理不尽さをあらためて知る。
 「調書が「私が・・しました」という形式で書かれていることだ。実際には検事の質問に被疑者が答える形式で尋問が進んでも、調書になったときには、「検事が調べたところ・・と言った」とか「こう聞いたら、こう答えた」という形式にはならないのである」(p.64)
 日常の些事に煩雑な手続きをとらせること。あるいは、長期勾留がまかりとおり、そのためには、どんなことにも拡大解釈できる例外規定をあてて、保釈を却下する現状。

 それにしても、高名な学者がなぜこんな目にあわなくてはならなかったのか?
 著者にはその理由がわかっている。だが、本書では科学者らしい態度を貫いて、第三者の発言として示唆するにとどめる。
 「私が著書や発言で、政府の地震予知計画を厳しく批判してきたしっぺ返しなのではないか、というのであった」(p.301)
 問題の著書は、逮捕の2年前、柏書房から出た『公認「地震予知」を疑う』。これが国の逆鱗に触れたのである。

 門外漢の私が島村英紀を知ったのは、岩波ジュニア新書の『火山と地震の島国――極北アイスランドで考えたこと』を読んでからで、視野の広い、魅力ある人物として記憶にとどめていた。その人が、鳴り物入りの「地震予知」を批判しているというので、問題の本には驚かされたが、堂々と「王様は裸だ」と言ってくれているのは痛快だった。

 この本はさいわい講談社から再刊されている。『「地震予知」はウソだらけ』という、より明快なタイトルに変えられて。     

 地震予知は国策だった。それを専門の立場から批判する人間は、国として放置しておくわけにいかなかった。――著者がそう言っているわけではない。しかし、それは重いメッセージとして本書からつたわってくる。


[付言]
 「地震予知」には国民的願望がこめられている。だからといって、メディアが「大本営」にすり寄った希望的観測を流すのは無責任ではないか。
 最近も、最相葉月が地震学者の石田瑞穂に取材した、「未来の地震予知へ道を拓く」というタイトルの記事を見かけた。
 一般の人の求める「いつ、どこで、どの程度の地震が起きるか」ということとは無縁の内容であるにもかかわらず、このような見出しをつけずにはいられない。――こんなところにも、地震研究が科学にとどまることを許されない現実がかいま見える。

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紙の本ホンノンボ ふしぎ盆栽

2009/03/31 21:49

ベトナムは ホーチミンよりも ホンノンボ

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「起伏の激しい磯だ。左下の船着場から中央の階段状の岩を伝って上陸すると、左手に東屋がある。道はおそらく、右手の岩山裏にも通じており、そのむこうは登山道なのかもしれず、あるいは集落があるのかもしれない。岩山には、波に浸食されてできたのだろう、船を隠したりするのに使われているのかもしれない洞窟があり・・・」(p.29)
 
 ここで、行く手に何が待ち受けているかわからない旅路が始まる・・・と思いきや、これは、ミニチュアの岩山に目を張りつかせて、「自分が小さくなったつもりで、ホンノンボを探検する」著者の脳内映像だ。

 ベトナムの「ホンノンボ」に惹かれ、わずかな手がかりをもとに探求の道へと踏み出した著者は、こうして〈ホンノンボをめぐる旅と考察〉ともいうべき写真満載の楽しい本を世に出してくれた。

 そもそもホンノンボとは何か?
 ひと言でいうなら盆栽である。ホン(島)・ノン(山)・ボ(シルエット / 景)という名称のとおり、水に囲まれている山の景観を模した盆栽。
 ベトナムの北部、ハノイ周辺で愛好されているものだが、もともと中国伝来で、道教の宇宙観に基づいて作られるという。
 水をはった鉢に岩石をそそり立たせて島を出現させ、そこに植物を根付かせ、ミニチュアを載せるのが基本らしい。
 ミニチュアは、といえば、三蔵法師に従う孫悟空たち一行、碁盤をはさんで対局する老人、水辺で釣り糸を垂れる太公望といった人形、布袋や観音の像、塔・東屋・楼閣・橋・船などの建造物、あるいは大小の動物や虫。基本的に中国の山水画に見られる素材だ。

 「ミニチュアをひとつ置くだけで、それが周囲の岩や草や苔の縮尺に変化を与え、なんでもない苔の茂みが鬱蒼としたジャングルに見えてくることもある」(p.32)

 趣味にするにしても、ホンノンボは手間がいらない。多孔質の岩に植物が根を伸ばすので、作ったあとはほったらかしてかまわない。それに、涼しい風情をともなっているので、家人にうるさがられない。

 もっと見たいと思って探し歩くにも限界があり、著者はハノイで日本語のできる通訳とおかかえの運転手を雇って、ホンノンボの奥義を究める旅に出る。
 旅は最初からズッコケの様相を呈していた。
 
 「通訳のタム氏は扇状地のような顔をした三十代の男性で、「タムはベトナム語で心のことですね」といい、「タマちゃんと呼んでください」と自己紹介した。「いやです」と即座に切り返しそうになったが、最初からそんなことでは険があるので、涙をのんで譲歩することにした」(p.93)

 とはいえ、さすがに雇い主の追求するものに合点がいくようになると、通訳氏の情報収集能力は向上して、その道の達人のもとへ案内してくれる。最初無関心だった運転手トゥアン君までがホンノンボの魅力に開眼し、素材を買い求めるようになる。
 場所はハノイ近郊、水田地帯に山水画が出現したような岩山がそびえ、さながら巨大なホンノンボである。で、この3人組ときたら、まるでホンノンボにのっかっているミニチュア、西遊記の一行ではないか。

 そして、旅の終わりに著者は結論めいた境地に到達する。

 「・・・ルールを守り、普遍的な価値へと高めていくスタイルがある一方で・・・ルールに縛られないやりたい放題のスタイルもある。そこに海と山、すなわち地形が表現されてさえいれば、あとは何をつくったって構わないという寛容さ。ひとりひとりが独自のエキゾチズムを投影し、自分だけの桃源郷に思いを馳せる。
 もしホンノンボがそのようなものだとすれば、そこにこめられた気持ちは千差万別で、決してひとつの言葉で理解することなどできないにきまっている」(p.222)

 この言葉に甘えて、読者のホンノンボ体験をひとつ。
 じつを言えば、私は初めてベトナムを旅する前、参考書のつもりで本書を読んだのだ。(以前、ポプラ社のサイトに連載されていたときには、「キッチュなものに凝るやつがおるわ」くらいにしか見ていなかった)。
 肩こりというものは、「肩こり」という言葉を知って初めて実感されるというが、私にとっては「ホンノンボ」がまさにそうだった。
 南部と中部しか行っていないので、ホンノンボの本場とはほど遠かったが、それでも見えてくるのだ。寺院の前庭に、古い家屋の坪庭に、美術館の中庭に、なにげなく置かれているのが。町を歩いていて、2階、3階のベランダから鉢植えの緑がのぞいていると、かならずやそこにあるはずのホンノンボが。あるいは街路のバニヤン樹の、気根が幹と縒り合わさった隙間に、切り花や人形が置かれていたり、蘭の花が根付かせてあったりすると、そこにホンノンボを実感してしまう。ほかのだれも気にとめるようすがないので、言ってあげたくなった。
 「ほら、見なさい。ホーチミンもいいけど、なんたってホンノンボですよ」

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紙の本先生とわたし

2009/04/24 05:55

ワグナーはどこへ消えた?

8人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 著者が大学時代に教えを受けた英文学者、由良君美をめぐる回想記。自己申告によれば、「これまでのどの本よりも多くの、本数にして40以上の書評が出た」そうで、まちがいなく、幅広い読者に強い印象をもって受け止められている。
 じっさい、こんなにおもしろく読める学問世界ドラマはなかなかない。しかも威勢がいい。

 1990年の夏、新聞で師の訃報を知って、急遽、東京の由良邸に駆けつける場面で幕が上がり、ついで18年前の大学入学当時へフィルムが巻き戻される。そこで著者は由良君美のゼミに入り、「万巻の書物をすでに読み終わったファウストのよう」な師の講義や、内輪の談論で繰り広げられる華麗な知を吸収する。
 「書物という書物が、まるで読む片端から自分の腕力に化けていくような気持ち」にさせてくれる世界で自分を鍛え、さらに広い世界へと羽ばたいていく著者。その一方で、由良はアルコール依存をつのらせて、かつての輝きを失っていく。それどころか奇矯な行動に出るにいたって、著者は師と決別する。

 こういった回想を補強するように、由良君美の父親であるドイツ哲学者の由良哲次――「そうか、天狗の後ろに、さらに大天狗が控えていたのだな」とうなずかせる傑物と、その時代の人物群像とがスリリングに描かれ、さらに古今の師弟論を勉強した成果が盛られている。
 (由良の父親像と古今の師弟論にそそがれた著者の熱意は、残念ながら、由良の師だった西脇順三郎という重要人物については向けられていない)。

 これらが著者の自叙伝『ハイスクール1968』から続く自然な流れとなって、本書で描かれる、広い知の世界へと乗り出していく若き日の冒険は、波瀾万丈の一代記のうねりを作り上げ、かならずや長大な<ヨモタ・サーガ>の山場をなすことだろう。
 
 「先生とわたし」の物語は最終的に、「わたし」が「先生」を吟味の対象にして解け去る。

 だが、こうして描かれている由良君美にしてみるとどうだろう。
むろん故人には言い返しようがない。加えて、由良の未亡人が亡くなったことを見定めて本書は出されている。初出は雑誌『新潮』の2007年3月号、単行本の刊行は同年6月。
 そして、今年2月に出た『濃縮四方田』のなかで、著者はさらに追い打ちをかけるように、「由良さんの一人娘がまだ存命なので、彼の乱脈を極めた女性問題と家庭問題に関しては言及しない方針をとった」とコメントしている。

 由良君美がこのような姿で人々に記憶されるのは悲しいことだ。

 私は本作品を『新潮』2007年3月号が出た時点で読んだ。そのあと単行本を読んですぐ、奇妙な改変に気づき、著者の作為がずっと心にひっかかっていた。その改変については、今にいたるまでだれも言及していない。だが、言っておくしおどきは来ている。

 単行本になった本書の末尾には、つぎのような言葉が付されている。
 「本作品は『新潮』二〇〇七年三月号に掲載された。その後、その内容および記述の一部について、由良氏の御遺族から事実誤認などの御指摘を頂いた。」
 そう言ったきり、著者は、どの部分が事実誤認なのか明かしていない。

 それはプロローグとエピローグに置かれた同一の場面――著者が喪中の由良邸に駆けつけて、未亡人と相対する場面にある。

〔プロローグ〕
 応接室の奥の部屋に仏壇が設けられ、肖像写真が飾られている。近年のものではない。わたしが先生と初めて会ったころの、まだ若々しい助教授時代のもののように見えた。葬式につきものの物々しい花輪はなく、ただワグナーの『ローエングリン』だけが、屋敷中に流れている。由良の遺言なのです、と夫人はいった。葬式めいたことはいっさい不要、ただしワグナーの音楽を三日の間流し続けること。後は書籍は出入りの古本屋にいっさい処分してもらうこと。それだけでした。」(『新潮』2007年3月号 p.137)

 応接室の隣の間に小さな壇が設けられ、肖像写真が飾られている。最近のものだろう。わたしが先生と初めて会ったころの、まだ若々しい助教授時代とはまったく違ったもののように見えた。葬式につきものの物々しい花輪はなく、ただグリークの曲だけが、屋敷中に流れている。由良の遺言で、葬式めいたことはいっさい不要、加えて夫人は、彼が食道癌を患っていたと告げた。後は書籍は出入りの古本屋にいっさい処分してもらうこと。それだけでした。(『先生とわたし』p.8)

〔エピローグ〕
 葬儀のいっさいは行わない。ただ三日にわたってワグナーの音楽を流し続けるように。これが由良の遺言でしたと、駆けつけてきたわたしにむかって夫人は静かにいった。(『新潮』2007年3月号 P.258)

 葬儀のいっさいは行わない。これが由良の遺言でしたと、駆けつけてきたわたしに夫人は静かにいった。(『先生とわたし』p.236)

 「仏壇」や肖像写真についてはさておき、喪中の由良邸でワグナーの音楽が流される(しかも遺言により3日にわたって)という、誤認というにはあまりにできすぎた演出は何なのか? いったいグリーグの音楽をワグナーと取り違えられるものだろうか? 著者は由良邸にいた短からぬあいだ音楽を聴いていたのだ。
 遺族から「事実誤認」の指摘を受けて、単行本では「ワグナー」が「グリーク」と訂正され、あるいはすっかり省かれている。

 遺族の指摘でひっこめることになったとはいえ、著者は明らかな作為のもとに、ワグナー音楽が流れる場面で師のことを語り始め、同じ場面で語り終えるつもりでいた。

 まさかそれは読者へのサービスではあるまい。著者が由良ゼミに入るさい選抜試験がおこなわれた大ホールで、「壁を震わすかのように、ワグナーの『ワルキューレ』が鳴り響いていた」(本書p.17)という武勇伝的エピソードが喜ばれているからといって。

 それは著者の守備範囲の筆頭である映画に求められるイメージだろうか。
 映画に使われたワグナー音楽といえば、ブニュエルの『アンダルシアの犬』、三島由紀夫の『憂国』、ヴィスコンティの『地獄に堕ちた勇者ども』『ルートヴィヒ――神々の黄昏』、そして一番有名なところで、コッポラ監督の『地獄の黙示録』などがある。どれもこれもまがまがしく、ある種の性向を示している。

 あるいは、かつての弟子が師、由良君美を葬り去る儀式には音楽があると映えるので、つい筆がすべってしまったのか。
 そういえば、本書は白地に薄墨色の古風な文様の地味な装幀で、それ自体、なんともいえずなじみ深い。そうだ、こんな風合いの紙に包まれているのだ、会葬御礼の品は。

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