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反形而上学者さんのレビュー一覧

投稿者:反形而上学者

93 件中 1 件~ 15 件を表示

本来は採点不能なのだが、巨悪事件のたびに出るこうした本について、多くの人に考えてみて欲しい。

72人中、57人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

こういう本が登場するようになったのはいつ頃からだろう。
著者が独自取材した、被告人の「生の声」も、確かに被告人から出た言葉なのかもしれないが、「これだけ時間が経てば、何とでも言える」というのが、私の正直な感想だ。

人間は、自分の命を守るためなら、どんな嘘もつくし、自分の命を脅かす目の前の状況に媚びることさえ簡単にする。
それは当然のことながら、「死にたくない」からだ。
殺された本村さんの奥様も、事件当時、自分の子供と自分自身を守るために精一杯の抵抗や回避の手段を模索したはずだ。しかし、二人の尊い命は簡単に失われ、死後に陵辱までされてしまった。

本書のタイトルと内容は容易変更することができる。

『本村さんの奥さんとお子さんを殺して何になる』

このようにタイトルの「主語」をかえて、このタイトルに対して著者である増田美智子氏に意見を求た時に、彼女はいったい何と答えるのであろうか?

私が著者の増田氏に言いたいことは、こういう逆の立場を真面目に考えた上で本書を書いたのかという疑問である。

世界の凶悪犯罪の90%以上は男性である。これは厳然たる事実なのだ。
先天的に男性存在がいかに危険な存在かということが、こうした事実から解ることであろう。
著者はこうしたデータす知らないかもしれない。

私も恥ずかしながら、「世界の危険な男性」の一人に入るが、被告人には同じ「世界の危険な男性」として、言いたい。
「あなたは、自己責任という言葉の意味を知っていますか?」と・・・。

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なぜ、 「嫌韓流」なのか?

15人中、14人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

『マンガ嫌韓流』も、ついに4巻目を迎えた。
漫画の形式で複雑な日韓関係を教える本としては、それなりの役目を果たしているのではないだろうか。ただ、漫画なので誇張や偏った表現もあるにはあるが、本書はちゃんと「問題意識」を与えてくれる本なので、こういう本が駄目であるとは、私には思えない。
本書では日本における永住外国人の参政権の問題などがタイムリーに描かれているが、これは非常に重要な問題だ。
どこの国でも永住外国人どころか、労働にきた外国人ですら大きな問題として認識されている。
とりわけ、日本における永住外国人は「韓国人」と「中国人」が圧倒的に多い。実はこれこそが大きな問題なのだ。
私は別に、韓国人も中国人も個人としては嫌いでは全くない。むしろ友人として何人かいるくらいである。しかし、韓国人や中国人は一人ではなく、多くの集団になった場合、反日感情があからさまに露呈する。これは彼らがそういう「困った人間」だということではなく、大元をたどっていけば、教育に問題があることがわかる。
韓国も中国も、未だに教科書や学校の授業で「反日教育」をしていのだ。それは日本の朝鮮学校や中国学校でもそういう「反日教育」が続けられているということを、どれほどの人が知っているであろうか。
こういう愚かな教育をやめない限り、彼らの「反日意識」は絶対に変わらない。
そもそも未だに続けられている「反日教育」の目的は、戦後において中国は50以上あると言われている民族を中国共産党が独裁的に国家としてまとめ上げていくための、共通した「反日意識」を与えることによって、反政府活動を抑えることが目的だった。
そして韓国では、同じように大統領制という独裁的政府がしばらくは国力を上げる為に「反日」を旗印にして、国民の意識を政府からそらし、やはり中国と同じように発展を遂げるためであった。
今や、中国も韓国も途上国ではない。むしろ、かなりの経済大国といっていいであろう。
そうした状況であるにも関わらず、今でも同じ反日教育が行われているということが問題なのだ。
今度はそうした反日教育の教科書などを大幅に改訂しようとすれば、国民が政府に対して牙をむくだろう。だから、政府は反日教育をやめることが出来ない。
それにもかかわらず、日本の「つくる会」などの教科書に対しては、内政干渉のごく抗議の声を必ず上げる。大元の問題である「反日教科書」を彼らは使っているのにである。
これで永住在日韓国人や中国人に地方参政権を与えれば、確実に過疎化しているような地方では、その地域が彼らの手に事実上落ちることになるであろう。
台湾を考えて欲しい。台湾は「反日教育」を行っていないから、同じ中国人でも実に「親日的」である。
要するに、参政権だろうが、何だろうが、彼らの「反日教育」をやめさせない限り、日本が中国人や韓国人に様々な権利を与えることは、この日本という国を完全に崩壊させることに他ならないということなのだ。
本書を読んで、「本書の先にある問題」をぜひ考えて欲しいと思う・・・。



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紙の本精神病

2009/08/15 02:45

精神病についての、非常に手堅い本。まずはここから・・・。

13人中、13人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

最近は、うつ病やパニック障害だけでなく、精神病(統合失調症・旧分裂病など)についての新書や、一般向けの手に取りやすい本が非常に増えてきた。これは、実にいいことであると思うが、その半面、読者も良い本を手にしないと、必要以上の絶望感を味わったり、誤った知識をそうであると思ってしまうという困ったことにもつながっている。要するに、著作によって、出来不出来が激しいというのが実情なのである。特に家族に精神病を患っているような方は、こういう本の一言一句に大きく傷ついたり、絶望したりすることであろうから、書き手には、慎重さが要求される。
本書は、そういう一般書の中でも、解らないことは解らないとしっかり書いているので、好感が持てる。そして何よりも著者の笠原氏は、非常に有名な精神科医でもあるので、刊行から10年過ぎた現在でも、基本的なところは全く古くはなっていないというところも、書き方に工夫がされている点であろう。
精神病者は健常者とは違う「脳状態」で日常を生きている。もっと解りやすく言えば、我々が「睡眠中に夢を見ている」ような「意識状態」にいるから、我々にとっては当然と思えることも、精神病者には、そうは見えないし、自分の考えの「奇抜さ・異様さ」が自分では気づかないのだ。確かに我々が「夢を見ている」時は、どんなにありえあいような状況設定であっても、不思議と疑問を持たないのと、同じことであると言えよう。
昔よく、「寝ている人が寝言を言った時に、それに言葉を返して会話をしてはいけない」というような話を聞いたことは無いだろうか。これは多分、「夢見の脳状態」というものを、会話をすることによって固定してしまう可能性が多いからだろう。そう考えると、精神病者と会話をすることの危険性というものも、同様のアナロジーから推察できることになる・・・。
とにかく、まずはこの本から入って、あとは色々と選んでみるのが一番良い方法であろう。良い本との出会いは、その後の人生を確実に変えてくれるほどの力を持っていると、私は思っています。

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紙の本思想家河合隼雄

2009/10/25 18:47

河合隼雄を「思想家」として考える、ユニークな試みの本。冒頭の対談がとてもいい。

11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

スイスのユング研究所に留学して、日本人として最初のユング派分析家の資格を取得した河合隼雄。
惜しくも文化庁長官の在職中に倒れ亡くなってしまったが、彼の残した著作は厖大な数にのぼる。私も縁あって一時期、河合氏の教えを受けたことがあるのだが、気さくで偉ぶるようなところが全く無かったような人柄で、多くの人から慕われていた。
河合隼雄は自ら「ユング派」という看板はほとんど口にしなかった。実際、河合氏の著作を読んでも、「臨床心理学」としての仕事を口にすることが多く、基本的に流派には拘ってはいなかった。
河合隼雄の仕事の中でも特筆されるのは、やはり「箱庭療法」であろう。この療法を日本に広め定着させた功績は大きい。「箱庭療法」は子供から大人まで、実に幅広く実施できることから、患者の精神状態を知る手がかりとして、大きな意味を持っている。
ここで、中沢新一氏と河合俊雄氏が編者として、本書を構成しているが、序論の対談において、「河合隼雄はあまり自分については語らなかった」という趣旨のことを両者が話しているが、私もこれについてはいつも疑問を感じていた。河合隼雄は自伝的な本も書いているが、そこでもやはり、幼少当時からの出来事の表層を語るのみで、自身の胸中や、精神の変容過程のようなことは、全く書いてはいない。私としても実はそこが一番知りたかったところなのだが、ついにご本人の口からは語られることは無かった。
そういうことも含めて、身内である河合俊雄氏からもどういう人であったかたという話しが出て来るので、そういう箇所は見逃せないであろう。
そして、河合隼雄を語る時幾度となく、「あいまい」、「中空構造」という表現が出て来るのだが、私はどちらかというと、それは河合隼雄の表層的な捉え方に過ぎないように思えてならない。
河合氏による1967年の著作『ユング心理学入門』においては、「現存在分析」という現象学やハイデガーの哲学からヒント得たフロイトの精神分析からの流れの流派について、さかんに述べている。
ユングと「現存在分析」、全く異なるベクトルを持つこの二つを同時に「ユングの入門書」において論ずる河合隼雄は、内面的にはかなりラジカルな思考の流れを持っていた学者・分析家であると、私は勝手に思っている。
そういうことが本書で語られているかと言えば、中々そういう展開にはなっていないのだが、自らのスタイルは変幻自在に見えて、実は深い洞察と経験に裏打ちされた観点から、著書も書かれ、講演などもされたということであろう。
ちなみに、作家の村上春樹との対談本があるが、私はこの対談を機に村上ワールドが変貌したように感じている。その他沢山の対談をしているので、それらの人達の心にも、多くの「贈り物」をしてくれたかもしれない。
もちろん、私も河合氏から「贈り物」をされた一人である・・・。

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中島義道にしては、異色な本。過去の「時間論」をメッタ斬り。

10人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書が出てからもう10年以上経つが、こういう「時間」をテーマにした著作というものは、やはり古びない。
「時間論」というと、一般的にはハイデガーの『存在と時間』や、ベルクソンの一連の著作が最も有名で影響力もあることだろう。
本書では、ハイデガーやベルクソンは勿論、カント、ヘーゲル、シェリング、ショーペンハウアー、フッサール、ハンス・ケルゼン、カミュ、トーマス・マン、ジャネーの法則、ゲーテ、アウグスティヌス、メルロ=ポンティ、フロイト、ユング、デモクリトス、ルクレチウス、プラトン、ジェームズ、ロック、ラッセル、マクタガート、デカルト、アリストテレス、レヴィナス、波多野精一、ブーバー、(以上、出て来る順)その他・仏教などについてどんどんと中島氏は斬っていく。
これらの批判に対して、いちいち説明していくと大変なことになってしまうので、それは諦めることにするが、中島氏が言っていることはおおよそこういうことであろう。「時間を論じる時、どんな学者も今までの議論や伝統に知らず知らずの内に引き込まれていて、中々新しいことを説明するにまでは至っていない。中でも、自分自身の思い込みを捨てきれていない学者が多いから、ある種のドグマへへと陥ってしまっている。そういう時間論は役に立たない。」とでもいったところであろうか。
個別の哲学者・思想家に対する批判は、本書を読んでもらって、楽しむ他ないが、昔からあって、しかも答えが出ていない「根源的な問い」であるだけに、本書を読むことの意義は大きいと言えよう。
当然ながら、中島氏の意見に全く賛成できない人もいるであろうし、そういう人は中島氏のどこがおかしいのかを考えてみることに価値がある。
私は、基本的には中島氏には賛成寄りの考え方であるので、ハイデガーに対する批判などは、大いに納得した。
「未来・現在・過去」というように時間を並べた時、一番掴めないのは実は「現在」ではないであろうか。過ぎ去った出来事はどれだけ新しくても、古くても「過去」であるし、まだ起こっていない将来を把握することはできないが、地球から打ち上げた火星探査機が惑星や太陽などの引力を受けて楕円軌道でいつ火星の軌道にのることができるかということは、正確に計算して時間を割りだすことができる。これは間違いなく「未来」の予測であろう。そういう例外はあるものの、「現在には」逐一の「いま」を捉えることは出来ない。「時間」について考える際には、この「掴めない今この時」を中心に据えなければ、本質的な議論の俎上には載らないのではないだろうか・・・。

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「言葉」と「無意識」の働きに徹底的にメスを入れた本。傑作です。

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書は以前、講談社現代新書から名著『言葉と無意識』の続編的性格の本として出ていたものを、講談社学術文庫から出版しなおしたものである。
丸山圭三郎は1993年に癌で亡くなっているので、本書はその3年前に出版された本ということになる。
丸山が凄いところは、『言葉と無意識』もそうなのだが、新書や文庫だからといって一切手も抜かなければ、レベルも落さない点にあるだろう。本書は何か他の本の要約的な内容では無く、内容的には独立した極めて大きな問題を扱った論考となっている。この時期になると丸山の書くものは、ソシュールがどうのというレベルのものではなくなっていて、完全に「丸山言語哲学」の披露という形になっている。
丸山が晩年に拘った、ソシュールのアナグラムとフロイト、ラカンの精神分析をぶつけて独自の解釈をしていくという独創性に満ちているが、そこに更に東洋思想をからめてくる展開は大変読み応えのあるものだ。
とはいえ、私は丸山の言うことに全賛成というわけでは無いのだが、いつ読んでも啓発されるものがあることには驚かされる。
たまに考えることがあるのだが、丸山圭三郎が現在もまだ存命していて、その独自の哲学を進展させていたら、どういうものになっていたかということだ。それほどに、物事の本質的なことを徹底してラジカルに考察していく学者であった。
自分で物事を考えるということの重要性を、自らの著作で示した偉大な学者であったと私は思う。
これからも、多くの人に読んでほしい本といえよう。

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紙の本存在と時間 1

2010/03/02 20:55

全3冊の訳も解説も非常に充実した「中公クラシックス」版。私はいいと思います。

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

20世紀最大の哲学者といわれる、ハイデガーのあまりにも有名な主著である。
本書は数種類の翻訳書があるが、たぶんこの中央公論新社の「中公クラシックス全3冊版」と筑摩書房からでている「筑摩学芸文庫の上・下巻版」が有名な翻訳書の代表であろう。
単純にどちらがいいかと言われると、もうこれは読む人の好き好きの問題になってしまうので、判断がつきかねるが、私は「中公版」の原・渡辺 訳を最初に読んでしまったので、こちらの方に愛着をを持っている。そしてこの「中公版」は脚注や解説が非常に充実しているので、そういう意味でも、「筑摩版」の細谷 訳に比べて全3間分の費用は少々かかるが、難解で有名な著作を攻略するためにには、こちらの方が好ましいように思われる(ちなみに私は両方とも所有しています・笑)。
少し基本的な話をすると、ハイデガーは現象学の創始者・フッサールの愛弟子であるが、フッサールとは結局決裂して絶縁してしまい、ハイデガーはフッサールの葬儀にすら行ってはいない。なぜハイデガーとフッサールは喧嘩別れしてしまったのか。もちろん、両者がお互いの哲学を気に入らなかったためであるが、多くの人はそいうことを聞くと、「ハイデガーとフッサールのどちらが正しいのだろうか?」と考えてしまうことであろう。私もそういうことを直ぐに考えた一人である。
これは、私ごときが答えを出せるような問題ではないし、どちらが正しいかという比較自体に困難がある。
そういう偉大な哲学者どうしの師弟関係が壊れるきっかけになったのが、実は『存在と時間』であった。
当然ながら、師匠のフッサールにはハイデガーの『存在と時間』が全く気に入らなかったのだが、私にはこの「現象学の巨人・フッサール」の気持ちが何となく察せられる。では、それはどういうことか。
あくまでも、『存在と時間』を読んできた「私」の意見として、『存在と時間』、そしてハイデガーを批判的に述べてみたい。
本書は名前のとおりに「存在」と「時間」というものについて、哲学的考察をしているわけであるが、その「方法論」は私からすると、「19世紀以降」の形而上学・ドイツ観念論に戻って思考してるように思えてならないのだ。
たとえば、非常に有名な用語だが「現存在」という中心概念が登場するが、ハイデガーはこの「現存在」という用語を単一の概念には帰属させない。むしろ論が進めば進むほどその意味が広がり、極めて「多義的な用語」になっていく、それも具体的な例というよりは、「観念的状態」における意味を複数被せてくるので、確かに『存在と時間』は意味が非常につかみにくい。
ハイデガーが本書で行うような論理展開は、本書以降むしろ加速していき、同じくフッサールの弟子であったデリダにも『精神について』で極めて辛辣に批判されている。
ハイデガーの論理展開というのは、数学でいう「積分」である。今の例えば「認知科学」や「分析哲学(心の哲学)」などの科学的成果を取り入れて論じていく哲学思想は、「微分」の行為であるといえる。どういうことか。
つまり、「微分」というのは、どんどん細分化させていき分割できなくなる地点を目指すくらいの思考法である。「もの」を分子、原子、素粒子…というようにその「もの」の根源をさぐる物理学の分野などはわかりやすい例かもしれない。
それに対して、「積分」は「もの」にどんどんと「付随条件」を被せていく。つまり要素をどんどんふくらませていいく中で、関係性の連なりをとらえようとするのである。非常にわかりにくい説明になってしまったが、雰囲気程度は伝わるであろうか?
つまり、ハイデガーの「積分」手法では、どんどん広がってしまい、収拾がつかなくなってしまうということだ。たぶんフッサールもそういうところをハイデガーの『存在と時間』に感じたのではないであろうか。フッサールも非常に難解ではあるが、自分の思想がどんどん変化してくことを拒ます、「微分」のベクトルを持った哲学者であったように、私は思っている。そこがハイデガー(積分)とフッサール(微分)の大きな違いではないであろうか。私はここが押さえられていれば、ハイデガーもフッサールも解説書ではなくて、彼らの実際の著作を読むことができると思っているのだが・・・。
けっきょくハイデガーは『存在と時間』を完成させることができず、未完のまま発表するのだが、今まで私が言ってきた「積分」という方法を使っていたと考えれば、当然のことながら膨らみすぎて何も書けなくなってしまう状態に陥るのは明らかであろう。
ともあれ、こういう難解な本は「批判的読解」なくして、読了することも難しいと思うので、「学ぶ」という立場から、「批判する」という立場でぜひ読んでみて欲しいと思うのですが、どうでしょうか?。

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紙の本精神現象学

2009/12/24 02:36

ドイツ政府より「レッシング翻訳賞」を受賞した、画期的翻訳!

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ヘーゲルの著作の中でも、とりわけ難解で知られる『精神現象学』。
その難書が、長谷川宏氏によって歴史的名訳で出版されてから、多くの人々に賛意で迎えられたかと思えば、長谷川氏のこの訳を否定的に批判する人もわりと多くあらわれている。結果、賛否両論というところなのだが、なぜ長谷川訳が批判されるのか少し考えてみたい。
正直、この『精神現象学』は原書でも非常に読み取り難に書物である。しかし、この本以降のヘーゲルはどれも「ここまで」読みにくくはない。
ヘーゲルにとって最初の著作であるという気負いがあったことも確かだと思うが、本書の主題が「精神現象」であるだけに、ヘーゲルの時代ではまだ説明のための「手段」が少な過ぎたことが最大の原因であると、私には思われる。
ヘーゲル自身の書がそういう「説明に苦心している」ことの証拠であると考えるならば、『精神現象学』も当然ながら説明に苦慮したものになっているはずであろう。
しかし、世の中というのは不思議なもので、「難解なもの」ほど有難がられるのだ。
世界的建築家で、日本でも圧倒的知名度と人気を持つ、レム・コールハースは何年か前にインタビューでこういうことを語った。
「私は、出来るだけ〈難解〉で〈消費されにくい〉ものを作ろうと、いつも心がけている」と・・・。
このコールハースの話しは、『精神現象学』などの難解にして、時間の風雪にさらされながら残った「書物」や「芸術」の本質的理由をついてはいないだろうか。
長谷川宏は、この『精神現象学』の翻訳で、ドイツ政府よりレッシング翻訳賞を受賞しているが、これは凄いことである。しかし、多くのヘーゲル読みやヘーゲル研究者にとって、「読み易い『精神現象学』」は都合が悪いのだ(上記の理由から・・・)。
長谷川宏訳の本書を、とにかく読んでみてもらいたい。そして、物事を理解する楽しさと、物事を考える難しさの狭間で、哲学書を読むということの本当の意味をそれぞれの読者に問いかけたい思いである。
難解なものを有り難がるというのは、哲学の本質とは別のところに存在する「罠」なのだということを・・・。

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著者に対して、山積する疑問。

9人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書には興味はあったものの、どうしても読む気になれず、いわゆる「積読」状態で1年以上経ってしまい、その存在すら忘れていた頃になってたまたまダンボールの中から発見したので、読んでみた。
まず、私の読後の感想というのは、非常に複雑なものであった。故人である著者の言っていることが、何か「彼自身の言葉」でないような、奇妙な感覚が第一に生じたのだ。
果たしてこういう須原氏の行為は、須原氏が書いているように、ただ「死に時」がきたようだから、死んでしまおう。ついては死ぬまでの記録や思考でも残そうか。」というような、日常的な文章には、どうしても私には思えなかったのだ。
須原氏については、本書で書かれている以外のことも、独自に調べてみたが、そういう須原氏のプライバシーについては、やはりここに書くべきではないことなので、書くことはやめておく。
65歳という年齢は現代では決して「老い過ぎた」という年齢ではない。むしろ一般的な社会では、仕事も定年を迎えて、第二の人生にでも入ろう、という年齢だ。しかし、須原氏はごく普通に、「老人」であり、「人生をもう十分堪能した」ということを言っている。しかし、そういうことが、全体のトーンとは全く合っていないのをどうしても感じてしまう。
私が思うに、須原氏はやはり「絶望」していたのだと思う。そしてその「絶望感」は、彼の学者としての「探究心」も、「日常生活の楽しみ」もどんどん侵食して奪っていったに違いない。もちろん、そういうことを裏づけるようなことは、本書には一切書いてはいない。これはあくまでも私なりに感じ、調べた上での個人的な感想に過ぎない。
そして更に言えば、鬱病であっても、こうした緻密な記録を残して自殺した例というのは、実際問題としては、特に珍しいことではない。
私は須原氏が鬱病であったとまでは言わないが、やはり「人生に絶望していた」のだと考えている。
本書を読んだ読者は、ゆめゆめ「自殺という生き方」もあるのかとは、思って欲しくない。絶対にそれは違う。違うのだ・・・。

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UMEZZ HOUSE

2009/10/22 20:23

「楳図ハウス」の全貌が、蜷川実花のヴィヴィッドな色彩で本に!

12人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

いやはや、蜷川実花もやるものだ。漫画家の梅図かずお氏の「楳図ハウス」をなんと300枚もの写真で、しかもアートしている。

「梅図ハウス」は近隣住民から、「赤と白のストライプの外壁が著しく景観をを損ない、精神的にも大変ストレスとなっている」ということで訴訟をおこされた物件だが、その内部がどうなっているかは今までちゃんと公開はされてこなかった。

しかし、本書によって、しかも蜷川実花が独特のヴィヴィッドカラーで更に色彩を強調して写真集化されてしまったのだ。
非常に美しいし、面白い本だが、いかんせん本のサイズが小さ過ぎる。
こういう本はもう少し大きくないと、迫力が半減してしまう。
たぶん、出版社サイドの事情なのだろうが、蜷川実花も梅図画伯も残念だったに違いない。

私が個人的に気に入っているのは、梅図画伯がバスタブに赤い花を沢山浮かべた状態で、その中に裸で目をつぶって入浴している写真である。ご覧になれば分ると思うが、まさに「恐怖マンガの世界」である(笑)。
それから、最近の蜷川実花は、ピントを大きくずらして画像をボケさせる写真が多いが、本書もそういう写真が目につく。ひょっとすると、これは写真家・蜷川実花の通過点的な技法なのかもしれない。

かなり見応えがあるので、お勧めの写真集です!

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このたった110頁の本文で、デイヴィドソンの哲学のエッセンスをまとめているところが素晴らしい!

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

デイヴィドソンは英米系哲学者であり、分析哲学といわれる論理学の系譜の学者である。日本での一般的な知名度は低い存在であり、入門書というものも限られている。そんな中で、本書は群を抜いて全くの初心者であっても、安心して勧めることができる本だ。
本書は、NHK出版から「シリーズ・哲学のエッセンス」として、新書サイズよりやや大きい程度で、厚さは新書と変わらずに1cm程度なので、本当に気軽に手に取ることができる。そうした、シリーズの中でも、この『デイヴィドソン』は特によくまとめられている。本文は110頁ほどなのだが、デイヴィドソンの中心的な思想をしっかりと取り上げているのには感心させられる。
ところで、「デイヴィドソンってどういう思想を持っている人?」と問われれば、最終的には「言語」の範囲で考える「論理学」から一歩踏み出してしまい、「言語」そのものの存在にまで言及してしまった学者、ということになるであろう。
しかし、それは本来「分析哲学」の範疇における問題ではない。あえて言うならば、「言語学」の問題である。だから、本書を読んでいても、デイヴィドソンの考え方にまどろっこしさを感じるし、「そうではないだろう・・・」などという、「突っ込み」を入れたくなるなることが頻繁にある。
デイヴィドソンの有名な考え方に「T-文」というものがある。「T-文」とは、発話者が発した「言葉」を聴き手が「真理であると想定する文」のことと言ったら解りやすいであろうか。要するに、発話者は「~ということ」が言いたかったのだ、という「意味の想像」である。デイヴィドソンは「T―文」というものを想定して、そこに到達することがコミュニケーションの成立であるという。しかし、これはトートロジーに陥る危険性がある。「T-文のT-文の・・・」といういように、真面目に考えれば、これは永遠に特定できないからだ。こういう考え方を経て、デイヴィドソンの考え方はどんどん、幅が出てきて、より柔軟なものへと進化していく。
ここから先は、デイヴィドソンの著作に当たるか、より難度の高い『言語哲学大全4巻(飯田隆 著)』や、『デイヴィドソン(サイモン・エヴニン著)』などを読んでみるのもいいかもしれない。
デイヴィドソンの良いところは、完成度の低い、または、読んでいて疑わしいようなこともちゃんと頑張って書いていることであろう。彼は常に「正解者」でいようとはせず、〈チャレンジャー〉であったところに、大きな価値があったと、私には思えるのだ。

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紙の本論理哲学論考

2009/07/21 18:10

『論理哲学論考』とは何か?

10人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」、このあまりにも有名な『論考』の最後のフレーズは、ウィトゲンシュタインの代名詞にすらなっているほどだ。
『論考』を読み解いていく本はけっこう色々あるが、私にはどうしても違和感があうというのが本音である。そして、『論考』は「詩」であるというような解釈に基づく翻訳も出されている。この『論理哲学論考』とは、いったい何を言っている本なのか。
私と『論考』との出会いは比較的遅かった。存在は知っていたが、実際に読んでみたのは、ここ数年の話しである。非常に薄い本ではあるが、「大変難解」であるというのが、定説であり、序文を書いているラッセルすら、内容を全く把握できなかった。
本書の構成としては、最初のフレーズから、枝葉のように分岐し、それぞれに番号が振られており、それらのフレーズもさらに枝葉のフレーズへと発展していく・・・。
そして最後に辿りつくフレーズが有名な「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」という言葉である。
どうもここばかりが注目されていて、他のフレーズは隅に追いやられているようだが、こういう「ツリー状」の文章構成にした理由は何故なのだろうか。
クリストファー・アレグザンダーの『都市はツリーではない』という本をむかし読んで、なるほどと思ったことがあるが、その本は論理学とも、ウィトゲンシュタインとも全く関係はない。しかし、私には、「都市論」を語ったアレグザンダーの本がなぜか『論考』と似ているよう気がしたのだ。
ウィトゲンシュタインは『論考』によって、まず「ツリー状」の文章構成にすることで、「既成の論理学」を解体した。そして、それら「木の枝(ツリー)」のように分岐していく論理にはいずれも絶対的必然性はない。別のフレーズでもいいのだ。論理学に毒されている読者は優秀であればあるほど、そこに「意味」を見いだそうとする。しかし、ウィトゲンシュタインはあくまでも自分の「言葉」を連ねていった。どんどん拡がっていく枝葉の最後はまるで読者を煙にまくかのように、例の最後のフレーズで終る。そして、読者は、当然論理的に考えて、それが結論なのか、と思う。
それぞれのツリー状のフレーズは、確かに彼の「思考」であると思うが、「主張」では必ずしもないのではないか。
ウィトゲンシュタインはきっと、どんどん広がっていく枝葉のごときフレーズの中で遭難する読者を想定して、『論考』を書いたのであろう。そういう意味では、彼が『論考』で言っていることなど、彼にとってもどうでもいいようなことである気がしてならない。
理路整然とした、難解な書物。既成の論理学を破壊する書物。そして、そういうことが、論理学において可能なのだというパラドックスを彼は示したかったのだと、私は考えている・・・。

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ノーベル物理学賞が期待されていた、戸塚洋二先生の絶筆・・・。

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本書の存在はたまたまネットで知って、早速「bk1」で購入して見たのだが、実にいい本を買ったと満足している。
著者の戸塚洋二氏は、物理学者であり2004年に文化勲章を受賞している、ノーベル物理学賞候補と言われていた人であった。戸塚氏は1942年に生まれているから、62歳での文化勲章受賞というのは異例に早い年齢と言える。
内容は戸塚氏へのインタビューと、戸塚氏のブログの文章、それから癌で2008年に惜しくも亡くなられてから戸塚氏のPCファイルから出てきた原稿と、講演をまとめたものである。
いずれも、初心者向けの物理学講義で、非常に解りやすく、かつ一気に読めてしまうほど面白い。
非常に抽象的な「素粒子」の話しも、戸塚先生の手にかかると、見事に「なるほど」とうなずくことができるような語り口になってしまう。
最近は「素粒子」や「量子力学」についての解りやすい本が沢山出てきたが、本書はその中でも最も手に取りやすく、読みやすい本と言えるのではないだろうか。
それにしても、これだけの人物が若くして亡くなってしうというのは、何とも残念なことである。
この本がきっかけとなって、多くの人が物理学に興味を持つようになってくれれば、戸塚先生もさぞ草葉の陰から喜んで下さることでしょう・・・。

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紙の本ソラリス

2010/02/15 22:19

ラブストーリーの裏にある「完全なる虚無」・・・。

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ある日の朝、睡眠から起きてみると、かつて「悪夢」でみた「怪物」が目の前にいた・・・としたら、あなたはどうするだろうか。本書を一言でいうとすると、まさにそういうことを書いているのだ。
舞台は地球から遠く離れた「ソラリス」という惑星での出来事であるが、この惑星の軌道上に宇宙ステーションを作り、不可解な惑星「ソラリス」の研究が続けられていた。しかしこの惑星の宇宙ステーションでは実に奇妙なことが起きる。ステーションに滞在して研究している人間の深層意識から、実に「恣意的」に選択し、「それ」を物象化してしまうのだ。
中には、最初に書いたように「悪夢の怪物」が突然出現してしまった者もいた。そして、主人公である新任研究者のクリス・ケルビンも最初の睡眠から目覚めたときに、この「ソラリスの洗礼」を受けることになる。クリスがソラリスの海から贈られた「もの」は、かつて些細なことで自殺してしまった、奥さんのハリーであった。
2度の映画化をされている小説であるし、本書に関してはこの程度の導入を話しても読書の楽しみは全く奪われはしないであろう。
映画では、このクリスとハリー(もどき?)にばかり焦点が当てられて、非常に感傷的な映画となっているが、本書をよく読んでいくと、そういうことはストーリーの一部に過ぎないことが理解出来るであろう。
この非常に高度な知性を持つとみられる、「ソラリスの海」による「贈りもの」は、研究者たちからは「客」という隠語で呼ばれている。困ったことにこの「客」であるハリーは意識を持っているし、意思も持っている。まるでかつて存在していたハリーそのものなのである。
クリスも含めた研究者たちは、その「客」たちに翻弄されながら、人間の持つ「倫理観」や「存在意義」自体も大きく揺り動かされてしまう。
ソラリスの海は、何の意図でこういう「客」を送り込んでくるのか?
我々読者は、『ソラリス』を読んでいると、大きく「情動」を動かされるし、それが「架空の架空」を描いた小説であることに気づくであろう。
著者のレムはこうした「多層構造の無」を描くことによって、我々が日常的に当たり前だと思っている物事を、根底からひっくり返し、不安にさせる。
これが多分、スタニスワフ・レムという稀代の大作家による、目的の中心なのであろう。

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紙の本クワイン ホーリズムの哲学

2009/10/13 10:59

待望の復刊!本書は最良の「クワイン」入門書であり、「分析哲学」の入門書でもある。

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本書は「現代思想の冒険者たち(講談社)」シリーズの中でも多くの読者から復刊が待たれて本であり、こうして平凡社から復刊されることは、非常に意義のあることであると言えよう。
それほど本書は、クワインという英米哲学の巨匠をうまく紹介してくれている本だからこそ、こういうかたちで出版社を変えてでも復刊されたのだろう。
哲学というと、どしてもヨーロッパの大陸系哲学ばかりが有名で、とりわけアメリカの哲学といっても、中々イメージしにくいというのが実情ではないだろうか。
クワインは「分析哲学」という分野に分類されると思うが、その源流を辿っていくと古くはアリストテレスまで遡る。哲学の方法としては長年「論理学」をその中心に据えて、「論証」というかたちで、哲学思考の正否を追及してきた学問分野であり、そうした「分析哲学」の最新の成果が、「心の哲学」と呼ばれる「科学的成果」を大いに取り入れたものである。
クワインはその学生時代を決して恵まれた学内環境で過ごしてはいなかった。クワインが学んでいたハーバード大学では、当時あのホワイトヘッドやC・I・ルイスといった大御所がいたが、非常に残念なことにクワインが最も望んでいた「論理学教育・研究」はほとんど行われておらず、独学に近い形で、大学院の博士課程をたったの2年間で終えている。しかし、この時の孤独な努力が、「自らの哲学思考」の礎を築いた可能性が高い。
クワインの業績を一言で説明するのは、至難の技であろう。現代の「心の哲学」に至るまでの基礎を築いた張本人であると同時に、「論理学」における非常に重要な業績をいくつも残している。
本書はそんな分析哲学の巨匠「クワイン」についての最良の入門書であるばかりか、「分析哲学」の入門書にもなっているところが有り難い。
読者は本書を読む際に、特に「論理学」の基本知識もいらないであろう。それほど、著者である丹治信春氏によって、実に解りやすく書かれている。
多くの人に読んで欲しい、実に素晴らしい本と言えよう。

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