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豆象屋さんのレビュー一覧

投稿者:豆象屋

1 件中 1 件~ 1 件を表示

真善美。

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

今年も又、桜の季節が巡って来た。やきもきして池田晶子の新刊を待つ4月5日、予想ではあまり良くないはずのこの地方の天気が、嬉しくも好転した日曜の朝、私は急遽花見を思い立ち、弁当を買いに車を走らせたのだった。横に新刊書店があった。”予定では4月7日となっていたが”と思いつつ、なにかの予感を感じたか、念のため店内へ。あった!!

そうしてようやっと手にした池田晶子の最後の新刊の2冊目。季節について鋭く考察を巡らせていた池田さんからの、それは桜色の贈り物、とでもいおうか。

今回の新刊3冊のタイトルを考えていて、思いついたことがある。
”魂””私””死”。
いうまでもなく、池田さんがその少なくはない貴重な著作群のなかで、繰り返し繰り返し追い求めてこられたテーマである。著作といったが、それは日々の思索、宇宙を眺め、虚空を第3の眼で見通しながら、の結実としての著作である。そうしてこうして結晶の如く我々に3冊の本のタイトルとして象徴的で示されるこの3つの言葉は一体なんであろうか。

”池田晶子の真善美である”という言葉が、突然私にやってきた。真は死、善は魂、美は私。
とりあえず敢えて自分で当てはめて見るとこんなところか。勿論”考えて”読まれる方それぞれでその対象が変わってくるのは当たり前であるが。

池田さんが、生涯をかけて考え続けた、それは理想(イデア)の端的なる表象の語である、とそんな気がしたのである。

感想が長くなった。書評とは本来、本を読んでの内容の説明である、という当たり前からすると、こんなことを書いてどうなのか、と思うが、素晴らしいものの素晴らしさを、素直に素晴らしいと詠嘆するのが、まずはこの稀有の本を前にしたときの今の私の状況であるからである。

NPO法人、”わたくし、あるいはNobody”さん(法人だし人格か?)により”死”をKey Wordに池田さんの"魂の言葉”を再編成した1冊である。どこかで読んだ文も、初見の文も、”死”というくくりで再び”整列!”とすると、又、格別の味わいがある。思考のあわいに陶然となる。

もう、はじめの「聖なるものの行方」からしてダメだ。この短い文章の中で、宇宙とこの世と科学と宗教(いろいろな”わっしょいわっしょい”も含めて)、いわばこの世の全ての秘密が語りおろされている文章なのである。四聖と呼ばれる人物を始めとする地上に現れた突出した精神的唱道者が説いたものは、彼らの死後、多くは教団が形成され、教義が神聖化され”宗教”となった。彼らは自覚して、生と死の謎の意味を説いただけであるのに。本人でないとやはり分からない、と深く絶望するところである。釈迦は言った。私の考えであろうと鵜呑みにするな、自ら納得せよ、と。たとえ”ありがたい”私の教えであっても盲信するな、と。後進が陥る誤解を、それは見通しての教えだったのであろう。しかし、今の姿を見れば、"宗教”になっている。

池田さんは、宗教については全て分かっている、仮に教祖に奉られるようなことがあったら筆を折る、とおっしゃっていたと記憶する。釈迦と同じ事を言っている。見通している。科学文明のそもそもの発生理由に気づいて科学を行っているものがどれほどいるのか。そんな視点は私は池田さんに言われるまでまったくもって、気づきもしていなかったのである。最初の文章でもって、このように深くノックアウトである。しかし、しあわせな豪沈でもあるような・・・。

池田さんの文章を読んで、楽しいのは、自らを当たり前のように、特に意識することなく、客観的に表現できるところであろう。本編に入っている”付録”(この位置づけも楽しいですね)「いいわけ」は、又、伝説の池田さんの筆跡に身近に接することが出来る素晴らしい企画である。

思考に手が追いつかない、本人でも時々判別不可能である、という文章を手書きで読みつつ、所々なんだか良く「読めない」、この重層的な面白さ!!

かつて睦田真志氏は、池田さんとの往復書簡で”字が良く判別できない”と思わずポロッと書いてしまっていたのがほほえましいというかなんというか、だったのだが、その彼の幸せな戸惑いを、追体験できるこれは好企画なのである。

そして圧巻は、酸素を吸入し、自宅で執筆し、輸血で(そんなそぶりをおくびにも見せず)笑顔でサイン会を乗り切り、あまつさえその翌週に医師たちへの講演を予定している。ギリギリで体調がどうしようもなくなり、文字通り語り下ろした講演内容である。まるで瀕死の巫女の宣託、のように。

それは死因はあっても死はそこにはない、と語っていた池田さんの全く自然な態度なのだ、と頭では理解していても・・・・。堪らないものがある。

池田さんはあまりしゃべるのが苦手、というふうにおっしゃっていた。しかし約束したことや原稿の入稿はきっちり守られたという。この語り下ろしにも、そんな思い、義務感ではなく、それを”私が”行わなければならない、という使命感と、何かに突き動かされる思いがあったように思う。

それは大きく”人類”、ソクラテスが意図せず行っていた”2000年後の人類”に向けての言葉を発している、という自覚であったかもしれない。

本書を購入された方は、まずカバーをめくって見ることもお勧めする。池田ファンにはおなじみの、ダンディ君(たぶん初代)と並んで微笑む池田さんがいる。

この本を4月5日に購入した日、本屋ではこの本は平積みされていたが、その中で最後の2冊のうちの1冊であった。解っている人はここにもいる、という思い、そして”出遅れた”という池田ファンとしては一抹のくやしさを記しつつ、レビューとさせて頂く。

長々と失礼しました。

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