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先月(2017年6月)

rindajonesさんのレビュー一覧

投稿者:rindajones

56 件中 1 件~ 15 件を表示

ユニコードの成功も世界平和のひとつのステップ:各国文化の尊重に先にある世界標準化に向けた奮闘記

7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「ユニコードって何?」という人も多いことでしょう。情報通信に携わっていない人は仕方がないとしても、携わっている人もユニコードについて正確に詳しく語れる人は多くはないでしょう。私は語れません(笑)

私がこの仕事を始めた頃、インターネットはまだ商業利用前、所謂「パソコン通信」の時代(私は仕事以外では「パソコン通信」はしていなかった)。そんな時代での開発経験、更にUnix機での開発を経てきた私は、半角カナ文字と「丸で囲まれた数字」を電子メールやWebに見つけると、未だに「ドキッ」とします。完全に職業病です。

そして文字化け(到底日本語とは思えな文字が表示されたり、「・」や「?」などが羅列された状態、作ったシステムでこれが出るとかなり泣けてきます...)。UnixとゲイツOSとの整合性が面倒なのは日常茶飯事で、コンピュータにおける「外字」という存在を意識できないユーザとのトラブル、まぁ普通に頻繁に起っておりました。同僚のエンジニアと「あぁ、英語圏(ASCIIキャラクターだけで完結できる)の開発者は楽だろうなぁ」とボヤイたものでした(実際は英語圏でも多少の問題は抱えていたでしょうが、日本のそれとは比べ物にならないと思います)。

Unicode (ユニコード) とは、世界中の多くのコンピュータ上の文字列を一貫した方法で符号化し、表現し、扱うためのコンピュータ業界の標準である。
Wikipedia より

Unicodeの存在を知った時は素直に喜びました。けれども、10年程前は今ほど楽ではなかった(今でもUnicodeで問題の全てが解決した訳ではない)。Unicodeの詳細な技術本を買って一週間懸命に読んだが、(深く理解できなかったためか)実務にそれほど役にはたたなかった(泣)。

その頃は、本書でもあるような「日本人によるUnicodeの日本語文字定義の批判」が囁かれた頃だったと思う。私は批判する程には、Unicodeのこともその批判の核心も理解できていなかったのですが...。

本書は技術的な意味でのUnicodeの解説書ではありません。タイトルのように、Unicodeに関するコンソーシアムなどに関わった著者の15年余りの記録で、「戦記」というタイトルは大げさではありません。本書のサブタイトルは「文字符号の国際標準化バトル」です。彼(ら)は本当に戦っていたのです。

文字コード。ここでのこの言葉の定義を「コンピュータ上で一意なビット列が示す文字、例えば、英語の"a"、日本語の「あ」など」とします。このコードを定義する仕組み(文字の集合)のことを「文字符号化方式」、あるいはこれも「文字コード」と呼ばれる(「文字コード」を個々の文字と見るか、集合的に見るかの違い)。この「文字コード」が世の中に一つではないのが、先ほどの「半角カナ文字病」の最大の原因です。

「何故に一つではないのか?」という非難は、後だしジャンケン的に卑怯な疑問で、過去の歴史から致し方が無かった事情があります(世の中、技術的な仕様が最初からたった一つで発展したものなど少ないことでしょう)。

本書を読んで、想像以上に文字コード定義の大変さが、よりリアルに捉えることができました。コード化する文字拾い上げる際、話す言葉をメインにして大抵の文字は網羅できそうですが、書かれた文字を考慮すると一気に複雑さが増します。過去の文学作品にある常用漢字ではない文字だけでなく、人名に用いられる同音同義異形(?)の多彩さは容易に想像可能(「高」と「はしごだか」など)。

特に人名など、言語学的というよりも感情論でその文字の存在意義を主張されることもあるでしょう。そして、言語の文化的価値からすれば、あらゆる文字をコード化すべしという主張も間違いではないでしょう。「そんな、大して使われない文字なんて無視してしまえ」という割り切った考えもあるでしょうが、なかなかそうはならないのが人の心理であり文化というものかもしれません。大げさには

一つの文字が無視されることは
小さな一つの文化が失われる

と言えなくもありません。

文字のコード化の重要性は、昨今のネット上の検索サービスからも分かるように、情報の検索にあります。テクニカル的には、検索サービス側で、未登録の同音同義異形語を別の文字に置換する方法も考えられますが、それでも「その文字は未登録、代用文字はこれ」とする定義が必要なのは明らかです。

日本のみならず、世界各国の言語を統一基準でコード化する世界の大変さは容易に想像がつきます。コンピュータの発展からパックス・アメリカーナの障壁も理解できます。そんな世界で戦って来た著者を初めとする日本人の奮闘には感動すら覚えます。

佐藤敬幸氏のラオスでのプレゼンテーションの言葉は心に沁みます。
「だから、大切なことは、自分たちで考えた実装方法をがむしゃらに提案するのではなく、どういうことを実現したいのかをていねいに説明することなのです。ぼくはいつでもその橋渡しをやります。」

システムエンジニアとして長年仕事をして、この大切さは骨身にしみています。大変な作業ではありますが、それを経ない結果は、往々にして大して価値のないシステムとなります。

「ヒデキは、情報通信技術を真の意味で世界化するために、パックス・アメリカーナやオリエンタリズムと戦っていたのではなかったか。それも、米国のベイエリアという情報通信技術戦争の最前線で。」

逝ってしまった著者のバディ(相棒)のヒデキ。私は本書から、自分の進みたい道へと行く勇気を貰いました。ご冥福をお祈り致します

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紙の本マネーロンダリング

2010/10/04 00:49

ハゲタカシリーズより面白いよ

7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「いやぁ~面白かったぁ~」と口に出すことは無いが、じわぁ~と腹の底から高い満足感を得られる本。面白い小説は、その世界が鮮明な映像となりながら、登場人物が活き活きと動き出す。それはTVや映画とは違う「映像」、自分だけの「映像」世界。

そんな面白い本には時々しかめぐり会えないが、本書はそんな貴重な作品。

これで約三週の間で、同じ著者の本を続けて三冊読んだことになった。そんなことは初めてだったが、手元にある数冊の本から、読みたい本をチョイスしたら自然にそうなっただけのこと。

そもそも著者との出会いは「臆病者のための株入門」だった訳だが、その本を選んだ理由は、著者が一般小説も書いているということ。その「株入門」の本の冒頭を読んですぐに、著者が単なる「金融のウンチク屋さん」ではないことは分かり、その思想や表現方法に共感した。

次に読んだのは「世界にひとつしかない黄金の人生設計」。普段から疑問に思っていたテーマを著者の表現で読んでみたかったから。この本を読んだおかげで、本書「マネーロンダリング」はフィクションでありながらも、そのリアルさを堪能できた。

本書は面白過ぎてその内容を表すことはできない。それを表すとすれば、かなり下世話で無意味な方法だと思うが、真山仁の「ハゲタカ」シリーズと比較してみる。「無人島に持って行くとしたらどちらを選ぶ?」という問いをたててみる。

(好き嫌いという次元ではなく、どちらを選択するかということ。「選べない、選ばない」のは何かの権利を放棄していると僕は考える。そこには何の主張も無いし、成長もありません...。)

答え   :「マネーロンダリング」
選考理由:より現実的だから

実際本書の発売の数年後に、日本の某暴力団がスイスの銀行を舞台に100億円のマネーロンダリング事件が発覚した。その「スキーム」(何故か金融関係ではこの言葉を使う...)は、本書で取り上げたものと同じだったという。著者は当時、その暴力団の「指南役でしょ」と言われたそうです。

スイス銀行と聞くと即座に思い出すのが「ゴルゴ13」の世界....。多分、現実世界が「ゴルゴの世界」よりもエキサイティングだったりすると思うな、僕は。

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紙の本臆病者のための株入門

2010/09/11 12:15

全ての金融のプロが株式投資で儲けられる訳ではない、という当たり前の現実

6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

この手の本は大半が胡散臭いのだが、この本は違った。理由はいくつかある。著者の金融のプロではなく、かといって投資のプロでもないし、経済アナリストでもない立場での見解は非常に好感が持てるし、且つ分かりやすい。専門家らの主張より、はるかに真実に近いと僕には思えた。

僕はギャンブルは苦手、というか単に興味がない。つまり、あのスリルを味わえる嗜好が無いということ。株式投資(語弊はあるが、ここでは先物取引、デリバティブ、外国為替、などなどを含めて「株式投資」とする、強引…?)はやはり「ギャンブル」だと思う。それも非常に勝率(=配当率)が低いギャンブルだと思う。勿論これは平均で見た場合、儲かっている人も確実に存在する。

でも、パチンコや競馬、更には宝くじまでも、結局のところ胴元が儲かるように出来ている。そうでなければ、そのビジネスは崩壊するし、そこで働く人(金融系ならば多数の高額所得者)は一気に奈落の底...。

ということで、僕は胴元、すなわちここでは金融商品を扱う証券会社や銀行が儲けている仕組みを理解するまでは、株式投資というギャンブルには参加したくないと思っていた。この本のおかげで、全てとはいえないが、その仕組みの根幹は十分に理解できたと思う。「大人のゲーム」としてならば株式投資に参加したい。

「さぁ、これで明日から僕も投資家」とならない僕は、やはり臆病者。もっと読んでおきたい本や、考えておきたいことが株式投資の世界にはある。しかし今はまだ、株式投資の世界よりも「自分自身という資産」の価値を高める方に時間と労力を注ぐのに忙しい。臆病者と言われようとも...。

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紙の本入門!論理学

2010/07/08 10:19

哲学する道具、そして「神の視点」

6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書からの抜粋。

・この本が紹介しようとしている標準的な論理体系は俳中律を認める「神の論理学」で、俳中律を認めない非標準的な論理体系は、俳中律を拒否する「人間の論理学」です。
・俳中律を論理法則として認めるような標準的な論理体系を考えますが、そのことは二つの意味をもちます。ひとつは、あいまいな概念を考えないということ。(略) そしてもうひとつは、(略) 神の視点を想定するような立場からものごとを捉えていくということです。

と、ここまでちゃんと読んでいただいた方、ありがとうございます。ご苦労様でした ^^;

何か分かりましたか?「何か堅そうな本やなぁ~」とお思いになられた方は多いかもしれません。そもそも 俳中律てなんや?
(お菓子の)ハイチュウ好きな人たちが100人中何人いるかてことか?
ハイ、ハ~イ、僕はいつだって中立ですよ~、という人たちのことか?

と思った方もおられるかもしれません(いるかそんな人?)。

実を言えば本書のノリはこの「(お菓子の)ハイチュウ」的ではあります(どんなんや?)。楽しい下世話?な表現が多々あります。

とかく記号の羅列や演繹的推論、述語論理など日常会話ではとうてい発せられることがない用語が飛び交うわけですが、本書は最低限の用語は出ますが記号の羅列はなく、日常の会話において「論理的」とされるされる考え方とを常に並べながら、学術的(?)に「論理的」なものを明らかにしようという姿勢が貫かれています。

その貫きが魅力的で興味深いのですが、その結果分かり難い点があるのが「論理学」の深さであり、且つ重要な点でもあるように思います。と、書きながら、この文章も何を言いたいのか分かり難くなっているような...。

本書の例から。「私はあなたのことが好き」の否定は「私はあなたのことが好きじゃない」だろうか?これには否定の意味以外にも、「私はあなたのことが嫌い」という意味合いも感じられてしまいませんか?これは「嫌い」の否定で「好き」としたところで同じような疑問が抱かれます、「好きというほどじゃないけどね...」という場合です。

ここでハイチュウ率、ちがった(スミマセン)俳中律の登場です。「中間を排する」つまり「A」か「Aじゃない」の中間にあるようなものを排する(入れない)という意味です。この本では俳中律を認める立場を取っています。つまり「神の視点」でものごとを捉えます。

例えば「僕の総資産は現在1,000億円です」は、1,000億円持っているかいないかのどちらかで中間はありません。本書の論理法則ではこのようなあいまいでない明確な概念やものごとを扱います。「Bob Marleyは神様だ」というのは、ある意味では(僕個人にとっては)正しいのですが、正しいと思わない人が少なからず一人はいるのでこれは駄目で、ここでの論理法則では取り扱わないものになります。

このように書いてしまうと、「なんや論理学って大したことないな」という主張があるでしょうが、それは正しいかもしれません。そのような曖昧な領域にも挑む論理法則もあるのですが、かなり難しいのは容易想像できると思います。こちらは「人間の論理学」であります。つまり、人間はもっともっと複雑で深い、そして豊かなのです、と私はここで強調したいのです。「好き」の否定は単に「好きでない」ということのように。

かといって、この本が採用する論理学が使えない「道具」ではありません。私の仕事柄、すぐに思いつく例としては、コンピュータの「0と1の世界」です。これは正に論理学の上に成立しています。コンピュータの分野以外のあらゆる学問の強力な「道具」となるのです。しかしながら、適切な例を挙げれない僕の学問の浅はかさが、ここで露呈してしまうわけです... (泣)。

本書を読んで感激した点を一つだけ挙げるとしたら、それは「哲学」するための重要な「道具」を見つけたこと。本書でも登場する「神の視点」を採用すること。この思いを上手く書いて伝えられる日には一冊本を書きたくなっているでしょうね ^^;

ここまでダラダラと本当に拙い文章になって我ながら呆れています。まったくもって「論理的でない」です。

本書は軽快なタッチで読み易くしようという配慮が随所にあります。実は、著者の論理学の本は10年以上も前に読んでいました。好きな著者です。にもかかわらず、本書を通読するのに、同様の分量を読む時間の2倍以上も要したのは難解な内容が原因ではありません。じっくり考えて読みたかったからに他なりません。それほど魅力的な本です。これからも二度三度と読み返す本になるでしょう。

著者の「論理学という泉の湧き出し口へ誘い、そこでひとすくいの水を口にしてほしかった」という願いは、私には届きました。そこの水は不思議に魅力的で、その泉の奥を覗きたくなりました。

最後に、本書に挙げた稚拙な文例と解説が誤っている可能性はゼロではありません。その場合は、本書の落ち度ではなく、僕自身の能力の無さです、ゴメンナサイ。

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名著です。株式投資とは一体なんだろう?と本書で振り返るのは正しい行為です。

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

読んだのは今月発売の第10版ではなくて、前の第9版です。是非とも10版も読んでみたい。とにかくに、株式投資(株に限らず他の投資物件に当てはまります)に興味、そして実際投資活動をされている方は必読でしょう。

アクティブな株式投資をしたことがない「臆病な投資家」の私は、アクティブな株式投資をやってみようと試みたが、どうしても株というものを買えない(もしくは空売り)出来なかった。その理由は「どういう理由で俺はこの株を買いたい(売りたい)のだろうか」ということを説明できなかったからに他なりません。

そんな折、以前読んだ橘玲氏の「臆病者のための株入門」を読み返して、その参考文献にあった本書を手にしました。17世紀オランダのチューリップ・バブルも含めて、投資(「投機」との違いを論ずることには意味がありません)という人類の営みの背景や結末を、2000年のインターネット・バブルの崩壊まで見事に網羅しています。勿論、1990年の日本の株価と地価によるバブルも含まれています。著者の結論に否定的な方や、本書を読んでもなおアクティブに株式を購入する個人投資家の意見をお聞きしてみたいものです(純粋に彼らの考えを伺いたいだけ、そこに興味深い思想があるかもしれないから)。

株式投資(株式以外の様々な投資対象が含まれます)の戦略、すなわち売買のタイミングの見極め方には、テクニカルとファンダメンタルという二つがあります(両方の良いところ取りの戦略もあるでしょう)。「タイミングを見極める」とはすなわち、将来の株の価値を予測することです。基本的に著者はこの両方の戦略を否定しています、「将来は予測不可能」ということ。「不可能」は言い過ぎだとしても、「概ね不可能」ということです。この「概ね」こそが「リスク」ということかもしれません。

本書を読んだ私の理解で、テクニカルとファンダメンタルの説明をしてみます(理解の誤りは全て私の責任で、本書には何の責任もありません)。テクニカルとは、過去の株価をグラフなどのチャートを用いて、将来の株価を予測して売買を行うこと。極端には、その会社の業績が良かろうが悪かろうか関係なく、チャートが指示する予測に従って売買すること。所謂「デイトレーダー」と呼ばれる個人投資家の多くが使用する戦略。片やファンダメンタル戦略は、企業業績や新製品情報などその会社の膨大な情報を分析することにより売買を決定するもの。主に機関投資家(証券会社に勤務する職業トレーダーの方たち等)が採用する戦略。

という風にこれらは一見すると片や博打的(テクニカル)、片や堅実的(ファンダメンタル)に映りますが、どちらも大量の情報から未来を予測しよう(予測できる)と考えていることに違いはありません。ちょっと荒っぽく言うと「占い師」と似ています。

デイトレーダーの方は良いとして、顧客のお金を運用するディーラーが実は占い師と同じで良いのでしょうか。その手数料(占い料)が安ければ問題ありませんが、そういう訳にはなりません、手数料こそが彼らの収益源だからです。「損した際の手数料は頂きません」という良心的な投資信託は(恐らく)無いでしょう。

本書の結論をザックリと書くと

株式市場の平均収益率に連動するインデックス・ファンドを
買って持ち続けないさい(Buy & Hold)

というものです。市場の平均収益率を超える利益を、長年に渡り達成し続けるのはプロのディーラーでさえ困難。仮に平均を超える投資信託があったとしても、手数料分でマイナスになる場合も少なくありません。有名な実験の数々(目隠しをした猿が投げたダーツが選んだ銘柄がプロのディーラーより優れていた実験結果、など)が証明しています。

「じゃ、だれもがその方法で儲けられる訳ね」と結論づけられないところが、「フリーランチ(ただ飯)はあり得ない」ところです。

その理由を二つほど挙げてみます(細かくはもっとあると思います)。

一つ目。インデックス・ファンドを持ち続けている期間に市場平均が上昇する必要がある。ただしこれは、インデックス・ファンドによる運用期間をより長くすることでこのリスクを減らせる、と信じるしかないでしょう。そもそも、市場平均が上昇しない厳しい状況の中、優良な個別株を選択することの方が更に難しいことでしょう。

二つ目、これが重要かもしれません。いかなる事態においても運用を続けること。例えば、リーマンショックのような事態で大暴落している状況においても買い続けられるか、株価が何十倍もなっている時に「地味?」なインデックス買いを「ショボショボ?」淡々と続けられるかどうか。

二つ目は「行動ファイナンス理論」にその解を求めることができかもしれません。つまり心理学です。一見クールそうなプロのディーラーも所詮人間です、機械のように一貫した売買を続けられるはずはありません。表には出さないまでも株価に一喜一憂しているはずです。

この心理面のコントロールは非常に大切です。「1万円の損と1万円の儲け」を全く同じに受け止めて行動できることが、このゲームに勝利できる大切な要素になるようです。加えて、「時間」も非常に大切です。短期よりも長期が勝ります。絶対的ではありませんが、長期の方が断然有利です("Time is Money")。

本書は1973年から5年毎に改訂されて、この第9版に続く第10版が近日発売されます(原書は発売済み)。第9版には間に合わなかったリーマンショックについての記述に興味があります。

もう一度言いますが、本書は名著です。分かり易い表現は原書もそうでしょうが、翻訳もうまいです。単なる株式投資の歴史として本書を読む姿勢でも十分楽しめます。「株式投資って一体なんだろう?」という疑問に余すところ無く答えてくれます。

そして投資家の方にも有益なことも間違いありません。本書を読んでから「なんとかセミナー」に参加しても遅くないと思います。その頃には「なんやこのセミナーは?」となることでしょう(特に証券会社の主催のセミナーだとしたら尚更かもしれません)。参加する時間を、他のことに使った方が有益だと、私は思います。そういう姿勢こそが「時間を味方につける」ことかもしれません。

銀行員(だと思う)に訳が分からない外国株を買わされた隣の雑貨屋さんのオバさんの様な方こそ、インデックス・ファンドを購入をすべきなのでしょう。そんなオバさんらが(失礼ながら)本書を読むとは考えられませんが、そんなオバさんにこういった商品を勧めない(勧めれない)銀行や投資会社の姿勢には疑念が募ります。従って、本書の内容は証券会社にとっては極めて印象が悪い内容でしょう。

本書を読んだ後でもアクティブに株式を売買しても良いと思います。それが抗えない魅力的なゲームであることは本書でも述べられています。その時の気持ちの持ちようは、本書を読んでいるかそうでないかで、違うかもしれません。

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雨降るお休みの日にたまには考えてみたいこと

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書の大半を読んだ翌日、隣の雑貨屋兼クリーニング屋さんへ宅配便をお願いに行った。今回の震災の日に「(日経平均)株価暴落してたもんね」という私の反応に驚いたお店の店主(オバサン)はやはり株をやっていた。というのも、宅配便の送り状を書いている最中その店主から

株は底やろうかね?

と尋ねられた。

「株価暴落してたもんね」「落ちたのぉ~?」という会話しかしていないのに、店主は私との会話を覚えていたようだ。

銀行から勧められて、訳も分からず株を買った(買わされた)事情を聞かされると、「株の底値は誰にも分かりません」とは、彼女にはあまりにも冷酷過ぎる回答だと思い、「それが個別株なら、その株の銘柄や業種によりますね。どんな株ですか?」と尋ねてみたが、分からないとのこと。更に悪いことにそれが外国企業株らしいとのこと。「外国企業株の購入事態は悪いことではないが、その企業やその国の事情を知らないとダメでしょう」とは、これまた説教っぽくなるので言えなかった...。

「そんな買い方はダメですよ」とはやはり答えられず、色々と買った経緯などを尋ねると、何と震災前からその株価は下落中、その銀行員に売却をお願いしても「今は底ですから大丈夫」という回答で、売却できずにいたようだ。株価や損失を見るのも嫌な日々が続いていたようです。

私は「売却して気分が晴れる/軽くなる場合もありますよ」と答えると、「そうよね、そうよね」と店主は嬉しそうな笑顔になりました。ついでに「株価なんて 1/100 にもなりますからね」と言うと、「よし、売ろう!」と勢いづく店主。これはちょっと余計なアドバイスだったかも...。

勢いついでに尋ねた、「生命保険入ってますか?これも株並みかそれ以上にリスクがありますからね」というと、店主の笑顔は再び曇りました。どうやら、最近満期になった保険を切り替えたところ、年齢のために高額になった支払いに悩んでいたようです。

色々と事情を聞いた後の私の回答は

「その月々の数万円はオバサンが生きている間に楽しいことに使った方が良い、娘さんと海外旅行に行くとかね、娘さんが生命保険を当てにしているなら別ですが...、これまで何十年も(保険料を)払い続けているから払うのが当たり前になっているかもしれませんが、お子さんが独立したりで状況は変わっていますから、それに合わせるべきですよ」

というものだったが、店主は「そうそう、払うのがクセになってる。そういう風に考えたことがなかった。おかげで気分が軽くなったわ。ところで、そんなこと知ってるあなたは何屋さん、弁護士さんか何か?」

あはは(笑)、単なるコンピュータエンジニアです。ちょっとここ1年、その辺の分野に興味があって本を読んで、少しばかり資産運用しているだけです。

という、長ったらしい実話を前置きにしてしまって恐縮ですが、店主に話したことの大半は本書に書かれていること。店主との会話の冒頭から、本書を思い出したので、著者の視点と私の解釈を交えてアドバイスしてみただけです。控えめに見ても、店主は色々納得して頂いたようで、少しはお役に立てたように思う。

橘玲の本はここ数ヶ月で何冊か読んで、彼の考えや知識に大いに感銘し、更に自分の知的好奇心をくすぐられるようで非常に楽しい。本書は彼の著書の初期?になるようですが、現在の著書からその主張は変わっていない。彼の主張のエッセンスが良くまとまっている本だと思う。

短い章でありながら、章ごとのつながりも良くて非常に読みやすい。速読はしない(苦手な)私でも、一気に読めました。

生命保険で愛情を証明できますか?
人生最後の数日で医療保険は破綻する
人はなぜ「お受験」に夢中になるのか

などなど、刺激的(中には身につまされる方もいるかも...)ではあるが素朴なテーマをタイトルにした章は、どれも素直に納得できる。ここまで考えるか?という難解な解釈では全くないと思う。

人生を金勘定で語るだけでいいの?

という著者に対する質問にも真摯に応えられている。著者は決して何も強制はしていなく、リバタリアンを評価する者らしく「個人の自由」を限りなく尊重しています。

私が読んだのは改題される前の「雨の降る日曜は幸福について考えよう」でした。僕はこちらのタイトル方が好きですが、一般には抽象的で分かりにくかったのでしょうか...。

「幸福」は個々人で違うでしょう、当たり前です。お金で買える「幸福のカタチ」も少なからずあるとは思います。そんなことを、雨の降る休みの日に考えるのも、たまには良いと思いますよ。「晴れた日」はそんなこと考えるよりも、外で遊びたいですからね。

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本当に分かっている人の分かりやすい本です、リファクタリングしたくなりますよ

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

僕のお仕事はコンピュータソフトウェアのエンジニアなのです。もうソフトウェアを作らない(「コードを書かない」)人もこの範疇に入りますが、僕は未だに書いています。誰かに任せてしまうには惜しい仕事、つまりムチャクチャ楽しいのです、これが。

多くの人がコンピュータのソースコード(英単語らしきもので書かれた「文章」)なんて読んだことがないでしょうし、なんとなく難しそうに思うでしょうが、意外とそうでもありません。「難しいことをやっている風に見せている方々」が思いのほか多いのがその理由かもしれません。残念なことです。

ソフトウェアを書くのに何の免許も要りません。例えばインターネットユーザが使うショッピングサイトのソフトウェアも、何百万、何千万円のお金を扱う金融機関のソフトウェアも特に何らかの免許を持っていると書けないというものではありません。誰でも書いて良いわけです。医師免許が無い人に盲腸の手術をしてもらっているようなものです(あはは、すっごい悪い例ですな ^^;)。

とは言え、素晴らしいソフトウェアを書く人も大勢いますし、それこそ天才的なアイデアや方法論を発明した方が多くいます。このことと、素人でも誰でも参入できるこのソフトウェア業界こそが今のインターネットの状況を生み出したと言えるかもしれません。手っ取り早く言えば「やったもん勝ち」ということです。いっとき良く言われた「デファクトスタンダードの獲得」がこの「やったもん勝ち」で、所謂「業界標準」にして多額の利益を得ようとすることです。

今もその本質は変わっていません。「規制のことはやってから考えよう」というものです。例えばGoogleのストリートビューもその一つです。恐らく日本の体質的には苦手な姿勢でしょう。日本が保有する技術でこんなサービスの実現は容易でした、要は「やったかやらなかったか」です。護送船団と「出る杭は打つ」の文化では取り難い戦略です。その結果、現在日本がデジタル商品やサービスの多くで出遅れている結果となりました。往年の電化製品やクルマは「アナログもの」であって日本の強みが生かせていたのですが、「デジタルもの」では色々な点での変化が大きくて日本の取り組み方では上手くいかなかったと僕は思っています(今後の巻き返しのことは良くわかりません)。

あれ?書評はどこいった?

ということで本書について。聞きなれない「リファクタリング」というのはですね

あるソフトウェアに何かを指示して得られる結果を変えることなく
そのソフトウェアの体質を改善する

ことです。

つまり、ソフトウェアをより良いものにするものです。ですが、そのソフトウェアを使っている人には直接的なメリットはありません。場合によっては、処理スピードが速くなるかもしれませんが、それを目的にはしていません。

では「より良い」とは「どう良いのか?」ということです。簡単には、ソフトウェアの変更が容易になることです。更には不具合(業界では「バグ」と呼びます)が発生したときにより迅速に不具合の修正が可能になります。その結果「修正費用が無料」になるかどうかは、ビジネスの問題でリファクタリグとは違います。

もっと良いことは、機能拡張が容易になることです。あっという間にサービスが飽きられてしまう世の中、それがインターネットサービスではもっと過激に起こっています。その流れに追随するには、機能拡張が容易であるのは必須なのです。この結果

超有名某大手米国ソフトウェア会社のように、バージョンアップの度に高価なソフトウェア費用が必要で、おまけに拡張された機能が使えない代物である

ような事態(これは悲劇だと考えます)を減らすことができます(無くすことは無理だと思います)。

この利点がソフトウェア利用者のメリットになりますし、この利点こそがリファクタリングの最大の効果だと思います。単に「ソースコードがすっきりした」で自己満足して終わるようなエンジニアもいるような気がしますが.... そんな人こそが先に書いた「難しそうに見せかけている人々」なのです。

実はこの手の書籍は久しぶりに読みました。良書が少ないのと、自分なりの製作スタイルを確立しているからかもしれません。「自分なりのリファクタリング」はやっていましたが、一度ちゃんと理解したと思っていました。本書を選んだのは著者のは良書が多いからです。期待通りの良書でした。難しい表現は極力避けて、ステップバイステップを繰り返して進める記述は好感を持てました。本当に分かっている人の記述です。

この著者、変わったところでは「数学ガール」てな本も書いています。最近ずっと読んでいる橘玲もそうですが、一つの限られた分野の本だけを書いている作者より他の分野に派生した著作がある著者が僕は好きなようです。もっと言えば「理系文系」分野が相互に絡み合った、さらにどちらの造詣が深い内容が良いです(そもそも「理系文系」と分離する発想が変なのです)。

本書を読んで「リファクタリング」したくなった。つまり「さらに良い仕事」をしたくなりました。とはいっても職場で「リファクタリングしてます」といっても理解されないので、ひっそりとやるしかありません。「こんな機能拡張したよぉ」と言って成果の日の目を見させるのが目的なので、今のところ理解して頂く必要はないのです。顧客に「タダでこの機能拡張しますよぉ」と言えるかどうかは、やはりリファクタリングではないビジネス上の課題。もっと言えば、会社の問題、更に言わせて頂ければ「今の会社組織をリファクタリングした方が良いかもよ」(笑)。

PS
プラモデル製作を「リファクタリング」できなかとふと考えたが無理なようです。非効率的で拡張し難い一発勝負のモデル作成は、極めてアナログ作業なのです、そもそもデジタル的な効率性は必要ありません。「時間を有効に浪費している」のがプラモデル作りだったりするのかも ^^;

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紙の本趣味は読書。

2010/03/07 23:55

抱腹絶倒の何度でも読みたい書評

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

何気に手にした本書。表紙裏の紹介文によると「49冊のベストセラー書評」のようだ。この手の本はそれほど興味はない、特にベストセラーと呼ばれる本には更に興味がない。

しかしながら、著者近影を見てその「ふてぶてしい(失礼、これでも褒めてます...)」様子に何故か興味を抱いたので読んでみた。

前書きをざっと読んだだけで、紹介文にもあった「抱腹絶倒」した。面白いかも...。

はい、ムチャクチャ面白かったです、抱腹絶倒しました、確かに。この著者のことは全く知らなかったが、今まで読んだ書評と呼ばれるものの中で断然面白かった。彼女のベストセラーに対する考え方が私と同様だからではなく、その指摘が鋭いのです。

ベストセラーというものは本当に良い本なのか?
読むべき本なのか?

更に言えば、これはかなり穿った見方だが

本当に読んでるのか?

これらの疑問が完全にとはいかないまでも解決した。本書のおかげ。

ここまで書いて、多分こう誤解している方は多いかと思う

「単に天邪鬼で、ヒガミ批評じゃないの?」

それは全く違う。

著者の本に対する愛情、更には出版業界への愛は十分に感じた。そしてこの国を憂う気持ち...。だからこそこのような書評が書けるのかもしれない。そして、彼女が女性だから(変な日本語...)こそ書けた点もある。石原慎太郎、大橋巨泉、等の大物本への指摘は「あっぱれ」としか言いようがない。こんな指摘が一般化しないのはやはり日本は「オトコ社会」なのでしょうか?

1999年7月から2002年10月までのベストセラー本が対象だが、全く古さを感じさせない。巻末の解説で数人の読者の座談会で指摘されているように、その後の社会情勢(トレンド)を「予言」しているかのような、彼女の指摘には脱帽する。

私には「ベストセラーだから読んでみようか」という感覚は、「ヒット曲だから聴いてみようか」「大ヒットした映画だから観てみようか」という感覚が全くないのと同様に完全に無い。おかげさまで、私個人にとっては充実した読書の時間を持てていると思っている。それを確信させて頂いた点でも本書には感謝したい。

ちなみに、本書で取り上げられている本で、私が読んでいた本は3冊。彼女の書評は「その通りです」と頷くしかなかったし、新たな発見も多々あった。

これらベストセラー本を読んだ人で、彼女の書評に怒り狂う人もいるかもしれないが、そんな人はこれがある一つの読み方を指南しているに過ぎないということを分かっていない。彼女は「こんな本は読むな」とは主張していない。むしろ彼女の書評への反論を聞いてみたいものだ。それも新たな良い書評になるかもしれない。

ちなみに、「私の趣味は読書です。」とはいつの頃からか言えなくなっていた。「本を読むのが好きです」とは言うが、「趣味」というのは違和感を感じていた。同様に「沢山本を読んでますね。」と言われるのにも違和感を持つ。絶対に「はい、読んでますよ」なんて応えない。沢山は読んでないからです。そういや、「趣味は読書です。」と言う人はもう少ないのかもしれない。履歴書に書くぐらいですかね ^^;

抜粋したい書評は沢山あり、「抱腹絶倒」なものもテンコ盛りですが、この瞬間に思い出した奴を一つ。

【「世界がもし100人の村だったら」の書評から抜粋】
この本の読者を100人の村に縮めるとどうなるでしょう。8人が自らの豊かな生活を反省し、5人が悲惨な国の人々に胸を痛め、4人が反戦メッセージと受け取り、3人が反感を覚えました。残る80人は心を癒され、「私はまだまだ幸せだ」「日本人に生まれてよかった」「小さいことにくよくよせずに生きていこう」と思いました。

単純化されたメッセージから受け取れるのは、単純な感想だけだ。これがテロ後の米国から発信され、ネット上を巡り巡って、日本で本になって感動を呼ぶ。いまの地球の姿が暗示されているようである。

抜粋ここまで(強調文字にした箇所は僕の判断)

この書評をまねて本書「趣味は読書。」に対する読者の反応を勝手に想像してみる。

8人が本書の内容を不当だと訴えて怒り狂い
5人が「所詮オンナの戯言、オシャベリだ」と差別し
4人が「こういう意見もあるよね」という中庸な意見を述べ
3人が大絶賛して

残る80人が読まない...

あはは...、事実っぽくて、笑えないぞ...。

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紙の本羊をめぐる冒険

2011/03/27 01:29

私的村上春樹論

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

何年かぶりで洋書を読んだ。原書は大学生の頃に読んだが、ほとんど内容を覚えていなかった。それと、かなり久しぶりの村上春樹、「海辺のカフカ」以来かもしれない。

楽しく読みすすめたので、思いのほか英語能力も落ちていないのには喜んだ。それは、読みやすい英文というおかげもあります。

学生の頃に読んだ当時の感想はすっかり忘れたが、結構面白かった記憶はある。超有名な「ノルウェイの森」を読んだ後だったと思う。世間の評判をよそに、私は「ノルウェイの森」はそれほど好きではない、それよりも著者の中ではこの「羊をめぐる冒険」の方を選ぶ。とはいえ「ノルウェイの森」もずっと前に洋書で読んではいるのだが...。

私が好きな村上春樹小説は、ハードボイルド要素がある方が好きなようです。とはいえ、彼のハードボイルにはカッチョ良い私立探偵などは登場しなくて、どこか世間から距離を置いている読書好きの青年という設定が多いように思える(春樹ファンではないので間違っているかも...)。そういう意味では、「ノルウェイの森」の主人公も同じような青年だが、物語はハードボイルドではない(と思っている)。

結果、著書の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」は私の好きな本の上位に入っている。これは洋書で更に楽しめたので、また読もうと自宅を探したが紛失(泣)。買わなきゃ....。

本書も普通の若者がひょんなことから(ハードボイル的?に)「羊をめぐる冒険」に巻き込まれることになり、ハードボイルド的?に物語が展海する。主人公は自分の意思でアクションを起こしているのだが、どこか周囲に流されているようにも思える主人公は、僕が思う春樹調の主人公の典型(誤解しているかも...?)。

日本だけではなく世界的に評価が高い春樹小説だが、何故なのか実のところ良く分からない。日本的な内容や表現方法、文体ではないのは読み始めた当初から感じていた。著者は洋書を好んで読んでいるらしく、自身による翻訳本も存在する。結果、著作にもそのことが反映しているのかもしれない。「翻訳しやすい日本語表現」だと、ずっと前に読んだ外国人によるとある英語教材にあったように思う。

ただ、そんな翻訳上の利点だけでこれだけ世界的には売れないでしょう。何かがあるのでしょうが、ここまでウダウダと考えておきながら、実はそんなことはどうでもよいと思っている。あ?こんなアンニュイ?なスタンスはどこか「春樹調の主人公」に似ているかもしれない。世間と距離を置くというか、「ふぅ~ん」という視点で世間を眺めながら自分のやるべきことをやるというスタンス。

主人公に共感できない小説なんて読み進められない、という当たり前の結論か?そうだとしたら、春樹本を読んでる多くもそんな風に世間を捉えている(捉えたいと思っている)のだろうか?

なんか、村上春樹論みたいになった。でも、そんなことはどうでも良いと、やっぱり考える私であった。面白い本、大歓迎、という感じかな。

次はやはり Hard-boild Wonderland and the End of the World を読みたい。

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紙の本永遠の旅行者 上

2010/12/29 00:03

同著者の「マネーロンダリング」に勝る面白さかもしれません

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「永遠の旅行者」て何? Perpetual Traveler の訳であるが、その訳からも判然としない。Permanent Traveler とも言われるが、それでも理解は進まない。

Wikipedia先生によれば
パーペチュアル・トラベラー(Perpetual Traveler)とは
「永遠の旅行者」を意味し、各国で、非居住者とみなされる滞在期間の間だけ滞在し、税金を国家へ合法的に払わない、もしくは納税する税金を最小にするライフスタイルのことである。Perpetual Travelerは、略してPTと呼ばれる。

要するに税金(消費税などの間接税は別)を払わない人たちで、そのスキーム(方法)は各国を「旅行」すること。原理的に最低でも年間3国を渡り歩けば良いようです。

何だ、脱税の指南書か?

全く違います。そんなものよりもっともっとエキサイティングです。ある意味、著者の「マネーロンダリング」に勝るとも劣らないほどに面白い小説でした。二日余りで一気に読ませていただいた内容は、どんな風に映像化されてもこの楽しさを超えることは出来ないでしょう(だから読書は止められない。映画も止められないけど...)。

税金(所得税、法人税、相続税、などなど)なんて「納めないで良いですよ」と言われれば多くの人が喜ぶに違いない。お国のことを真に憂える人であればこの限りではないでしょうが、それでも渋々という方が多いはずです。私としても、率先して納税したい国になって欲しいと真に願ってはいますが...。

こんな無味乾燥で嫌われ者の税金をテーマにしたフィクションは、脱税をテーマにした抱腹絶倒の現実的でない物語が大半のような気がします。それ以外は、「脱税万歳」「税効果会計のススメ」(いずれも仮称)などなどの指南本の類だと思う。

本書はそれとは全く一線を画している。壮大なヒューマンドラマとは言い過ぎだろうか。練りに練られたサスペンス、推理小説ともいえる。単なる税金の知識だけではここまでの小説は書けない。改めて著者の知識の広さと奥深さに感銘を受ける。

先のWikipedia先生によれば
PTの中には、リバタリアンである者も多く、個々の自由やプライバシー、財産を何人からも侵害されることを嫌うことが多い。

出ました「リバタリアン」、これは先日読んだ「不道徳教育」の背後にある思想です。これも著者による翻訳なので彼の思考や哲学の連なりを垣間見るようです。

法律違反はダメです(「不道徳」かどうかは別の議論)が、法律に抵触しない「脱税」は法律上では「脱税」にはならない。当たり前の言葉遊びです。本書では、PTである主人公が余りにも正義感があり過ぎるきらいは否定できないが、それは主人公の生い立ちや思想を考えると不自然ではない。味気ない法律という縦割りの糸を、確固たる信念を持って軽快に横糸でさばく主人公の行動にこそ人間らしさを感じてしまう。

余談だが本書には私の好きなミュージシャンや楽曲がいくつも登場する。Bob Marley も勿論だが、CCRの Have You Seen the Rain (邦題:雨を見たかい)の Rain がベトナム戦争で投下される「ナパーム弾」を指しているとは知らなかった。そして当時アメリカでこの曲は放送禁止になったそうです。供に国家というものに疑問を呈した出来事や人たちである。

「お国が国民を守るもの」という発言と、「国家の前にあるべきは人です」という言葉とはイコールではないと思った。「先ず己ありき」です。ニーチェをちゃんと読み返したくなりました。

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道徳って一体何だろう、未来の「希望」のために「今」の道徳を疑った方が良いかもしれない

4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書は1976年出版の "Defending The Undefendable" (擁護できないものを擁護する)の翻訳本です。より正確には「意訳本」。どう意訳かというと、原書は今から30年以上も前のアメリカの事情を背景にしたものなので、これを現代の日本人にとって自然な日本の事例や表現に置き換えられています。

とはいえ、原書の主張には手を加えられていません。つまり、30年後の現在の事例にも適応するということであり、その点でも大い熟考に値する主張です。更に、原書から除かれたいくつかの項目は、30年の時を経て不道徳と見なされなくなったものです。その点は後ほど書くことにします。

本書の各章を羅列してみます。

売春婦、ポン引き、女性差別主義者、麻薬密売人、シャブ中、恐喝者、2ちゃんねらー、学問の自由を否定する者、満員の映画館で「火事だ!」と叫ぶ奴、ダフ屋、悪徳警察官、ニセ札づくり、どケチ、親の遺産でクラス馬鹿息子、闇金融、慈善団体に寄付しない冷血漢、土地にしがみつく頑固ジジイ、飢饉で大儲けする悪徳商人、中国人、ホリエモン、ポイ捨て、環境を保護しない人たち、労働基準法を尊守しない経営者、幼い子どもをはたらかせる資本家

羅列や抜粋という行為は、自分が文章を書く上であまり好きではない行為なのですが、今回は本書の特徴を表す上で効果的です。本書のタイトルだけで何割か、そしてこの各省のタイトルで更に何割かの読者を遠ざけている可能性はあります。それは残念なことです。

大抵これらの行為をする人たちは、不道徳とみなされ悪人として非難されます。ところが本書ではこれら全てを容認して、おまけに彼らをヒーローとして高く評価しています。

こうなると所謂「トンデモ本」と扱われる可能性は大なのですが、「エセ化学」や「オカルト」の類ではありません。主に経済学や市場経済理論を冷静に駆使して、整然と理論展開して証明しています。「なるほど」と驚くという意味では「トンデモない本」かもしれません。

本書の理論展開の「エンジン」は「リバタリアニズム(自由原理主義)」にあります。私はこの言葉を本書で初めて知りました。

国家の機能を小さくして市場原理によって社会を運営する思想

とのことです。世界標準(グローバルスタンダード)の理解では「市場原理主義」や「小さな政府」がリバタリアンの思想を指すようです。

本書を適切に理解するには、本来はこのリバタリアニズムへの理解が必要ですが、無い場合でも上記に羅列した数々を「不道徳ではない」と証明する本文には納得はいくはずです。少なくとも私はそうでした、納得しました。理論の展開に違和感を多少感じた点もあったが、それはリバタリアニズムへの理解不足のためのと認識しています。

ここで、上記の「不道徳」(と世間では見なされる)な人々を「ヒーロー」とする例を挙げたいところですが、それは割愛します。

私はいつの頃か、ほぼ自活し始めた大学生の頃からでしょうか、「世間とは何だろう」という漠然とした疑問を持っていました。本書でその漠然とした思いが晴れたかもしれません。それ、すなわち「世間」が「道徳」とほぼイコールということに気づいたのです。

「法律破り」ならば「悪人」でありその行為は「不道徳」

という理論は矛盾であることが多いのです。面白いのは逆は常に真ではないこと。つまり

「不道徳」な行為をする人は「悪人」でありそれは「法律を破っている」

にはならないこと。つまり矛盾しているのです。

ポイントは「法律」です。そして大抵それらは国家が作るという点もポイントです。ここで「法律論」を展開するのは間違いです。法律の解釈や法律同士の関連性を考えたところで、その「狭い」法律の世界から抜け出ていないからです。別の視点が必要なのです。それが「市場原理主義」の視点です。

例は割愛するとしながらも、一つだけ分かりやすい例を挙げると

治安の悪いことは公共の場で起こり
多くの人を集客する百貨店内では大抵起きない

百貨店が治安が悪いと客は来ません。経済合理主義の上で「発生させない」インセンティブが働くからです。

こういうと、「多くの公共サービスの全てを民間に」という主張に解釈されそうですが、誤解を恐れなければ「その通り」ということになります。但し、我が国の政治家の主張する「小さな政府」とはスケール面では全く違います。リバタリアニズムのいう「小さな政府」と比べて、我が国のは大いに中途半端なのです。

みんながみんな市場主義だと
少数の勝ち組だけになり世知辛い世の中になってしまう

のような反論こそが「不道徳」という言葉に寄り添った誤った主張で、その感覚が第一にある人たちには本書の主張は受け入れられないでしょう。

そのような人たちが求めている姿こそが、私には良く分からないことが多い。「みんなが平和に暮らす社会」と主張するのは良いのですが、それがどんな「ユートピア(理想郷)」を描いているのか不明です。声高に曖昧な主張をする方々の目的は、往々にして自らの「既得権益保護」のように映るのは、意地悪過ぎでしょうか?

「人っていうのは所詮自分自身が一番可愛いのです」という乱暴な発言で話を終わらせる人は最初から論外です。思考停止している人たちです。彼らは、自分一人ぼっちのユートピアでエンジョイすれば良いと思います。

市場主義やグローバルスタンダードは一時の流行ではなく、わが国はどっぷりとそれに浸っているのです。その事実を抜きに、古臭くて不適切な法律や、哲学や思想とも相容れないような「道徳」を振りかざすのは論理的ではありません。

私は人間の行為の全てを理論的に解釈しようとは思いません。時には「感情」で動いて、思わず笑ってしまうことがあるのが人間で、だからこそを私は「人が好き」なのです。とはいえ、誤った「道徳」で「恣意的な正義」を振りかざす人は受け入れ難いのです。そんな人たちは、可能な限り無視するしかないのですが、それも避けられないのが「世間」であり「社会」なのです...。やはり「笑って静かに無視」することにします... ^^;

原書から外された今では「不道徳」とはみなされない仕事があります。例えば、「宣伝屋」は今の「広告代理店」、「ブローカー」は今の「卸売業者」です。どれも今では「不道徳」とは言われることはありません。そして、今でも多くの人が不道徳とする「売春婦」「麻薬密売人」は、ある国(れっきとした先進諸国)では既に合法です。本書のいくつかの項目が「不道徳」でなくなる日は、そう遠い日ではないと思います。

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紙の本亜玖夢博士の経済入門

2010/10/16 16:51

橘玲の(月刊)おとなニュース

5人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ものごとを分かりやすく伝えられる人は、そのものごとを理解している人。けれども、単純にし過ぎて誤解を生む表現の場合もあるし、そもそも正しい解説ではない場合もある。更には、「分かりやすく」は「興味を持てる様に」とほぼ同じでなければならない。

行動経済学、囚人のジレンマ、ネットワーク経済学、社会心理学、ゲーデルの不完全性定理

という言葉で何をイメージするでしょうか。私は本書を読んでから、すっかり亜玖夢博士の物語を真っ先に思い浮かべるようになりました。

このような言葉の厳格な意味を知っている必要はないと思う、あたかも受験勉強の如く覚える必要もない。その概念や主張していることを漠然と理解すれば良いのではないのでしょうか。正に、この物語で思い出す程度の理解で良いと思います。そして生活に、人生に役立てればよいのです。

人間というものを一概に分別することは危険ですが、人類の叡智である程度は人間というもの、厳密にはその行動や心理は解説できるものなんだと、本書を読んで少しだけ確信できた。何よりも、このようにアカデミックに人間の行動を分析すると、次の自分の一手を決める際に非常に冷静になれる。

「子どもニュース」など、子どもを介して難しいことを解説する企画が目に付く。悪いことではないが、所詮子ども目線の表現に留まるし、本当に深いところ(そこにしか真実はないのだが...)には触れることが出来ない。

本書は「子どもニュース」の「大人版」という、裏の裏は表みたいな...。本書の面白さは「ガキども」には絶対に分からない、それは大人の特権なのです。つまり、知識や経験の積み重ねでしか楽しめないものです。それは人生を楽しむことと、ちょっぴり似ていると思いませんか?

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紙の本愛と幻想のファシズム 上

2009/12/23 12:16

サバイバル読本

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

学生の頃はこの本をバイブルとしていた私。当時何故それほどまでに惹かれていたのかは忘れてしまった。

経済や世界のことなど全く知らなかった当時でも、「これが現実じゃないのか」と信じたくなるほどのリアル感、あのヒリヒリとする緊張感、そしてこんな世界への少なからずの憧れ...。こんな思いでこの本を読んだと思う。

私にとって「カリスマ」という言葉のイメージは、完全にこの本から形成された。巷で安易に使われているのとは完全に違う。もっともっと深い。

あれから何年が経過しただろうか。

この本が書かれたのは天安門事件の前であり、ベルリンの壁はあり、ソ連のペレストロイカの前である。20世紀末。

21世紀も10年が経過しようとしている今、再びこの本を読んでもそのリアルさは変わらない。さすがに「バイブル」と豪語するほどではなくなったが、共感の度合いは深まったかもしれない。

とある政治家さんたちが、自らの既得権益が脅かされそうになると「ファシズム」「ナチスの再来」「世界大戦の頃の日本を彷彿」「民主主義の崩壊」と反論されるのを耳にするが、その度に違和感を覚える。何故だろうか?

私は特に「ファシズム」を望んでる訳でもない。民主主義は嫌いでもない。

考えられる理由としては

・反論先の主張は「ファシズム」と言えるものか?
・単に「出る杭」を打ってるだけじゃないのか?
・反論者にとっての「ファシズム」とは何かが分からない
・反論者は暗に自らの指導力不足を認めている

要するに反論の際に便利に使える言葉が「ファシズム」のようでもある。

「愛国心を持ってます」と言えば微笑ましく受け取られるが、「愛国心が強い」ともなると徐々に雲行きがあやしくなり、そして「民族主義」ともなると、もう別世界になってしまう方が多いのではないだろうか。ましてや「ファシズム」、完全にイメージは対戦中のドイツ、イタリア、そして日本である。

言葉の定義や遊びはどうでも良いですね。

今は、100年にあるかないか(と言われている)の未曾有の不況。
「飢餓」の恐怖が現実に訪れたとき我々はどんな行動に出るだろうか?どんな指導者を選ぶのだろうか?

個人の前に国があるのか、個人があってこその国なのか?

勿論、後者と思ってます。

個人個人はやはり「サバイバル」しなければならないのでしょう。個人と個人が触れ合いながら。

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既に名著

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

1999年5月から某バイク雑誌の連載とのことで有名みたいだが、知らなかった。

バイク雑誌も漫画も買う方ではないし、ましてやこの表紙ならほぼ買うことはない。それでも買ってしまったのは、手に取って適当に開いた1,2ページを読んで「ほぉ~」と思わせるその内容にあった。

絵のタッチや表現の仕方は全くもって軟派なのだが、主張していることはこの上なく硬派なのである。そのバランスが、虎のセリフ「バイクはバランスの妙ぞ!」と同じように、本書の「妙」となっている。

トマト:カッコよくて、中身もちゃんとしてるモンだってあるだろ。
虎 :逆だ。
トマト:?
虎 :中身がちゃんとしとるから結果として格好良いのだ!

冒頭のこの箇所を読んだ時点でこの本は良いと思った。内容の多くが科学的、物理的、論理的な説明の中、このような精神的な主張が骨身に沁みる。

ライディングポジション編で、虎のセリフには思わず唸った。

バイクの機能から考えた場合...スポーツバイクのポジションってのは、ライダーが求めるモノではない。バイクが求めるモノぞ!

著者のオートバイへの知識というより、深い愛情が伝わる良書である。というより、既に名著であると、バイク経験がそれほど長くない私だが、思うのであった。

更に本書で最高のスパイスになっているのが、科学的な説明の合間でさえも登場する、かなりゆるゆるのダジャレ。本筋とは外れて、その部分だけで大笑いすることが多々あった。こんな笑いは大好きな俺...。

先日、続編が発売された。買おう。

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紙の本アルジャーノンに花束を

2011/06/28 17:26

読み継がれるべき傑作、チャーリーから多くを学びました

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

生まれながらの知的障害である32歳のチャーリーが、「頭が良くなること」を自らが望み、人間では最初の被験者となる手術を受ける。アルジャーノンは既に同実験を施されて天才となった白ネズミ。術後、チャーリーの学ぶスピードは加速度的に増し、ついには実験を施した博士をも遥かに超す知識を獲得する。

本書は1959年に中編SF小説として発表され、1966年に長編小説として改作されました。読後、今から50年も前に書かれたと知って驚きました。英語版の原書で読んだので、私の英語能力では分からない文体の古めかしさはあるのかもしれませんが、私には古さは全く感じなかった。むしろ現代過ぎるぐらいで、中心となるアイデアやストーリーの展開は、最近のハリウッド版ファンタジー映画を想像さえしました。実際、本原作で映画が二本作られたようですが、どちらも観たことはありません。

本書は傑作です、読み継がれて行く本だと思います。今では、ある分野の傑出した頭脳を持つ人の遺伝子が売買されていると聞きます、その成果も出ているようです。本書が執筆された当時、そんな技術が想像できたのかは分かりませんが、「頭を良くする」がテーマということには変わりありません。本書はチャーリーの Progress Report (経過報告書)という形式で、手術前から「最期」までが綴られています。チャーリーが直面する現実は、どんなに技術が進歩しても変わることはないでしょう。

そして、そのチャーリーの報告書は、頭が良くなる手術を受けていない人、頭が良い人の遺伝子を頂いていない人、つまり多くの我々にとっても有益です。チャーリーは知的障害者の未来の為に、実験の進歩へ役立てる為に、或いは実験そのものの否定の為に、そして普通の人々の為に、彼の思いや出来事を赤裸々に綴っています。

退化していく頭脳で、チャーリーの叫びは「本を読みたい、書き続けたい」という希望。それは体験した出来事を「忘れさせない」方法だから。私はそこに「考える」こともあると思います。退化する頭脳でチャーリーはだらだらと長時間TVを観始めます。TVを全否定する訳ではありませんが、TVを観る行為は多分に「受け身」的で「本を読む、文章を書く」ことはその反対。「受け身」な頭は「考えなくてよい」、それは楽で幸せなことかもしれませんが、そこに進歩は期待できません。チャーリーもそのことに気づいたのか、懸命に本を読み、報告書を書き続ける、手術前のチャーリーに戻ったような誤字、脱字だらけの文章だっとしても...。

チャーリーの頭脳は、それが知識を吸収する速さと同じように退化します。知識の吸収の速さと同じようにチャーリーは友達を無くします。頭が良くなるにしたがって、過去の記憶が鮮明になり、手術前の自分自身と向き合うことになるチャーリー。良い頭だけでは解決できないことだらけ...。

「頭が良い」てどういうことだろう?それは人によって様々な解釈があるでしょう。難関校の大学を卒業した人、研究職の人、お医者さん、弁護士さん... などなど。では、そんな「頭が良い人は幸せ」なのだろうか?「頭が良くない人よりは、幸せなのでは?」という反応がありそうですが、果たしてそうでしょうか?「幸せになるには頭が良くならなければならないのか?」こうすると少し怪しくなります(「頭が良い」の定義が無いので本考察は不完全です)。

今回読んだのは原書ですが「ルビ訳」という、一部日本語訳が英文の真下に付いたもの。正直「ルビ訳」が良いとは思えません。というのは、ルビを意識すると読むリズムが狂うからです。ルビを意識しなければ良いのでしょうが、どうしても目がいってしまう時があります。英文より先にルビを読んだ時は、もっとそのリズムは狂います。これは完全に好みの問題で、英文をどういう目的で読んでいるかによっても異なるでしょう。ルビ訳の善し悪しは一概には言うことはできませんが、私は選択しません。

そんな私ですが、本書を買ったのは5, 6年前(1999年第3刷、今と表紙は違ってる)、福岡にいた頃。職と住む場所が変わったのと同時に、英文からすっかり離れていました。なので、英語頭のリハビリということで、このルビ訳を選んだのでしょう。しかし結果、10数ページで読むのを諦めたようです。今回読んで覚えていたのは、若干の冒頭シーンだけ。当時もルビ訳は私には役に立たなかったようです。そもそも当時は、小説、ましてや英文に没頭できる気分でも状況でも無かったのですが...。頭脳が考えることを拒絶、正確には考えることから逃げていました。

ここまでダラダラと書いておきながらも、本書の魅力を書き切れた自信はありません。読んでいる時はもっと深く感銘して、別の考えや気づきもあったように思いますが、それらを上手く表現することができません。これが私の今の能力です、決して満足していませんが、5年前の自分よりは「頭が良くなって」いるのかもしれません。そして、この気分を「幸せ」と表現したいです。

そして、アルジャーノンのお墓に花束を添えて、チャーリーの偉業(著者の作品)を賞賛したい。

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