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先月(2017年8月)

風紋さんのレビュー一覧

投稿者:風紋

179 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本蔵書まるごと消失事件

2010/04/01 00:38

ミステリーにおける地域社会の研究

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 主人公イスラエル・アームストロングは、アイルランドの片田舎ラスケルテアル市に職を得て、ロンドンから遠路はるばるやってきた。が、職場になるはずの市立図書館の分館、タムドラム地区図書館の前に立ち、呆然とした。閉館する旨のはり紙が目に入ったからだ。
 ここから、主人公がこうむる数々の苦難・・・・というよりテンヤワンヤがはじまる。
 憤慨した主人公は、ただちにロンドンにとって返そうとしたが、同市の図書館主管課、娯楽・レジャー・地域サービス課のリンダ・ウェイ副課長に言いくるめられてしまう。「移動学習センター」という名の移動図書館の「出張サポート職員」に就くことになるのだ。
 と・こ・ろ・が、閉鎖された分館のなかに足を踏みいれたところ、蔵書1万5千冊の影も形もない。
 「蔵書まるごと消失事件」は、主人公が赴任する前の事件である。当然、主人公に責任はない。と・こ・ろ・が、またしてもウェイ副課長に言いくるめられてしまうのだ。司書は図書館のあらゆる本に対して責任を負う、ゆえに消失した蔵書の発見は主人公の責任である、うんぬん。
 かくして、にわか仕立ての図書館探偵によるジダバタ調査と迷推理がはじまるのだが、詳細は本書に委ねよう。

 それにしても、主人公の頼りないこと、はなはだしい。
 イスラエル君は、本の読みすぎで、「知的、内気、情熱的で繊細、夢と知識にみちあふれ、豊富な語彙をもつ大人に育ったが、あいにく世俗的なことではまったく誰の役にもたたなかった」のだ。
 そもそもまともにディベートできない。やり手のウェイ副課長には、まず「私たちの」と共同責任を負わされ、ついで「あなたの責任」に限定されてしまう。唯一の部下、運転手のテッド・カーソンには、ズケズケ言われるだけではなく、徹底的にからかわれる始末。「神に見捨てられた不毛の地」の「おんぼろ農家」に下宿するのだが、女主人ジョージ・ディヴァインには、ツンケンとやられっぱなし。
 ひとり車をころがして家を訪ねるに当たり、路傍の住民に道を尋ねても必要かつ十分な情報を引きだせず、うろうろする。
 もっとも、住民は癖のある男ばかりだ。カフェであいている席の隣人に座ってよいかと問えば、老人は疑わしげな目で見て「自由の国だからな」と答えたりする。ここに浮き彫りされるのは、アイルランドの片田舎に住まう男たちに独特の偏屈ぶりだ。もっとも、女だって油断ならない。あまり飲めない主人公がパブでテッドを待ち受けていると、女性バーテンは言葉たくみに主人公をさっさと酔っぱらわせてしまう。

 ここまで書けば、主人公が代々の名探偵のパロディであることが明らかだ。その迷推理たるや、いずれも針小棒大な論法で、ことごとく論破されるのは当然だ。ハリイ・ケメルマンが生んだ名探偵デイヴィッド・スモールによる快刀乱麻を断つタルムード的推理に慣れた人は、歯がゆく感じるだろう。
 足をつかって調べてまわればドジを踏んでばかりの主人公に、フレンチ警部とおなじ国民とは思えない、と定石知らずを慨嘆する向きもあるだろう。
 要するに、世間知に欠けたトンマが主人公イスラエル君だ。取り柄は本に対する情熱と知識しかない。
 しかし、愚行も徹底すれば偉大にいたるのである。主人公の猪突猛進は、意外な結果をうむ。
 キーワードは地域である。ラビ・シリーズのユダヤ人社会に対応するのがラスケルテアル市タムドラム地区である。
 偏屈にして生き馬の目をぬく面々に揉まれているうちに、イスラエル君はだんだんタムドラム地区とその住民に愛着を覚えるようになる。そして、ひとクセもななクセもある住民もまた、イスラエル君という異邦人を理解するにいたる。その結果、事件の真相は忽然と明らかになるのだ。それは、一個の異邦人と片田舎の住民の双方にとって、新たな出発の合図であった。

 ミステリーにおける人間関係はとかく閉鎖的になりがちなのだが、この点、本書は風とおしがよい。
 学校を出たての新人もフリーターも、酸いも甘いもかみ分けた苦労人も本書を楽しめる。切れ味のよさをオブラートに包んだテンポよい会話が、読者をして冒頭から結末まで一気に読みとおさせてしまう。

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紙の本アルジャーノンに花束を

2010/02/02 12:17

知性か感情か、それが問題だ、そして超高齢社会に係る問題提起の書

9人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 『アルジャーノンに花束を』は、まず中編小説(1959年)として世に送られ、ヒューゴー賞を受賞した。ついで、書きあらためられた長編小説(1966年)に、ネビュラ賞が与えられた。
 世界各国の老若男女多数から支持された、SFの傑作である。

 本書の主題は、日本語版文庫への序文に明らかである。
 すなわち、知識/教養は「人と人との間に楔を打ちこむ(障壁を築く)可能性がある」から、学校や家庭で「共感する心というものを教えるべきだ」
 愛情を欠いた知能は、精神的道徳的な崩壊をもたらし、神経症ないしは精神病すらひきおこす、と主人公は小説の中でいっている。人間関係を排除する心は、暴力と苦痛にしかつながらない、と。

 主人公、チャーリー・ゴードン(32歳)は、知的障害者【注】である(医学的に
いえば精神遅滞者)。全編の言動から推定するに、発達遅滞の程度は、「裸の大将」で知られる画家、山下清よりもやや重い。
 亡伯父の親友の保護下で、パン屋で働いていた。地域の子どもからからかわれ、同僚からあなどられつつも、その正直、暖かさ、率直、思いやりを愛する「ともだち」がいた。


 ビークマン大学がチャーリーを被験者として選び、かしこくなる手術をする。
 効果は驚異的だった。急速に知能が伸び、術後1か月で大学生と対等に会話をかわすにいたる。
 だが、よいことばかりではない。善悪の識別が可能になったため、あらたに葛藤が発生したのである。
 チャーリーは、同僚が店の金をくすねる現場を見つけた。不正を糺して「ともだち」を失うか、知らぬふりをしてよき保護者の損害を見過ごすか。ばかにしていた男のめざましい知的成長に、同僚たちはいらだち、敵意をつのらせる。
 チャーリーは馘首された。

 知能はどんどん高まり、天才の域に達する。多数の言語、数学、物理学、経済学、地質学、ありとあらゆる知識を吸収していく。
 術後3か月たった。自身の症例が報告される学会にチャーリーも参加した。ここで学者たちの無知、無能を知り、チャーリーは愕然とする。
 学者たちは、居心地が悪くなった。天才となったチャーリーの学者たちに対する関
係は、学者たちの知的障害者に対する関係と同じなのだから。

 学者たちは、チャーリーを単なる実験の対象としか見ていなかった。天才である今
の自分も知的障害者であった頃の自分も人間であることはかわりがないのに、学者たちが注目するのは今の自分だけである。
 不満を抱いたチャーリーは、学会から逃げ出す。
 彼の手術に先立って被験体となったねずみ、アルジャーノンとともに。

 チャーリーは孤独だった。
 恋人はいた。チャーリーに暖かな目をむける教師アリス・キニアンがそれだが、知能の高まりにつれて、アリスはついていけなくなった。
 チャーリーの知識を求める心が、アリスの愛情を排除してしまうのだ。
 知的な自由をもちながら人々と感情を分かちあえる方法を、チャーリーは見つけることができない・・・・。

 ところが、ある事態が生じて急転直下、チャーリーの悩みは解消される。
 それは、たしかに幸福な結末だが、別の側面からみると不幸な解決のされ方だった。
 チャーリーがのこした手記の末尾は、涙なくして読めない、と或る友人は漏らした。
 同感する人は少なくあるまい。

 このSFは、読者にさまざまの考察を強いる。
 たとえば、知性と感情との関係について。感情は客観的であり知性は主観的であ
る、と三木清は通念に逆らって独特の見解を示したが、本書を念頭におくとわかりやすい。三木のいう「客観的」とは、多数に分かりやすい、というほどの意味である。そして、「主観的」とは、多数に理解されにくく孤独な立場に身をおく、といった意味だ。
 あるいは、超高齢社会の今日的な疾患、軽度認知障害(MCI、Mild Cognitive Impairment)について。知的障害は発達期(おおむね18歳まで)に生じるのに対し、軽度認知障害は成人に生じる。また、知的障害は知的能力の獲得に遅れがあるのに対し、軽度認知障害はひとたび獲得した知的能力が減少する。こうした相違があるものの、両者の感情面は損なわれない。むしろ、敏感でさえある。この点に注目すれば、本書、チャーリーの一代記は、児童のキュアまたはケアに関わる人にも、高齢者のキュアまたはケアに関わる人にも(当事者にも)、多くの示唆をあたえてくれる。

【注】

 「知的障害」は、日本にしかない行政用語。従前の用語、「精神薄弱」は差別感を助長するという理由で、1999年施行の「精神薄弱の用語の整理のための関係法律の一部を改正する法律」に基づき、関係法令が一斉に改正された。

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紙の本ベルリン・コンスピラシー

2010/04/19 08:21

巨大な謀略の犠牲となった個人、その断固たる抵抗

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 A・J・クイネルはすでに亡い。ディック・フランシスも鬼籍にはいった。読書の楽しみが減るばかり。
 と慨嘆していたら、嬉しいことにマイケル・バー=ゾウハーの新作が手元にとどいた。本書である。バー=ゾウハー、1995年に邦訳された『影の兄弟』以来の小説だ。
 エスピオナージの巨匠健在なり。
 はたして、重厚にして緻密。期待を裏切らない作品だ。

 A・J・クイネル作品の特徴を二つの熟語であらわすならば、戦士と人情だ。ディック・フランシスは競馬と不屈。この伝でいけば、バー=ゾウハーは、ユダヤ人と謀略ということになるだろう。
 本書も、ユダヤ人と謀略で総括できる。
 ロンドンに投宿したアメリカ国籍のユダヤ人実業家、ルドルフ・ブレイヴァマンが目をさますと、そこはベルリンのホテルだった。そして、殺人罪の容疑で逮捕される。『審判』のカフカ的状況だが、謎はルドルフの息子、ギデオンの尽力によりだんだんと解明されていく。そこで明らかになったのは、複数の国々の高官がからむ大がかりな謀略だった。ホロコーストを生きのびた一人のユダヤ人を犠牲にして・・・・。

 敵とみえた人物が味方、味方とみえた人物が敵、陰謀の背後にまた別の陰謀、といった展開もあって、バー=ゾウハーのファンは堪能するのだが、不思議に思うのは、いま、なぜホロコーストか、という点だ。
 しかも、ルドルフが逮捕された容疑は、ホロコーストに関与したナチの残党狩りに係る。

 バー=ゾウハーは、職歴のさいしょが新聞社の特派員であったことからも察せられるように、事実への関心がふかい。『復讐者たち』『ダッハウから来たスパイ』のようなノンフィクションも残している。つまり、フレデリック・フォーサイスと同様、事実を可能なかぎり洗いだしたうえで、知られざる部分に想像力を注入するのだ。本書も著者がしらべた事実をふくらませている。そこに盛りこまれたフィクションも、いたるところで事実が裏打ちしている。
 ただ、フォーサイスと異なるのは、バー=ゾウハー作品の底には常にユダヤ人の運命というテーマが流れている点だ。実生活でも、バー=ゾウハーはイスラエルの行政マン(国防相の報道官)や国会議員をつとめた。
 してみれば、本書には、21世紀のイスラエル国民のアイデンティティを確認する意図があるのかもしれない。あるいは、昨今のイスラエル批判に対して国を擁護する意図が。もしかすると、本書で重要な要素を占めるネオ・ナチの台頭に係る警鐘かもしれない。

 いや、これはあまりにも図式的な解釈だ。
 ルドルフは使命に従事したことを悔いていないが、殺人という行為に嫌悪を覚え、後々まで悪夢に悩まされている。第三次および第四次中東戦争に従軍したバー=ゾウハーが到達したのは、生命を奪う行為そのものに対する根源的な疑問かもしれない。
 これに直接係ることばではないが、作中に印象的な一行がある。「ものごとに動じない屈強な男は、終わりのない地獄のなかに生きていたにちがいない」

 さいしょ敵対していた男女が、一転、深い関係になったりする甘さがあるのだが、この甘さがバー=ゾウハーのもうひとつの魅力ではある。
 人は、状況にクラゲのように翻弄される一方ではなく、また計算された行動ばかりではなく、主体的に、時としては衝動的にうごいたりもする。人が主体的にうごく契機のひとつは恋愛である。恋愛は、歴史となった過去においても謀略にみちた現在においても、本書において重要な役割をはたす。陳腐といえば陳腐だが、本書で語られる戦後まもなくの恋愛は、すこぶる切ない。

 ルドルフの主体性は、本書の末尾、恋愛とは別のかたちで発揮される。晩年の穏やかな幸福が約束されたはずだったが、個人を超えるなにものかのために自らを投げだす。
 困難な時代をしぶとく生きぬいてきた者には、余人にはないレーゾン・デートル(存在理由)があったのだ。

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紙の本あなたに似た人

2009/12/01 08:51

奇妙な人物たちのミステリアスな話

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 奇妙な人物の話ばかり15編集めた短編集である。
 奇妙とはいえ、こんな人物なら誰しも一度くらい出くわしたことがありそうだ。あなただって、奇妙な人物と思われているかもしれない。ということで、総タイトルは「あなたに似た人」。
 たとえば、『味』。

 男は、金持ちの友人マイク・スコウフィールド一家の晩餐に招かれた。株式仲買人のマイクは自宅に貯蔵するワインを鼻にかけている。同席した美食家プラットは、マイクの虚栄心に乗じて賭に誘いこんだ。マイクが自慢するワインの産地をあてたらマイクの娘をいただく、負けたら2軒の別荘を提供しよう、と。
 珍しいワインだから、あたりっこない、とマイク。
 万が一もある、と彼の妻と娘はやきもきする。
 マイクの倨傲、その家族の抵抗と欲。
 そして、一見紳士的なプラットのしたたかぶり。
 プラットはひと口ごとに正確に産地を特定していく。
 食卓だけを舞台にサスペンスがじょじょに高まっていく。

 賭けに憑かれた人々の狂気めいた執念、賭けがもたらす緊張が、賭になじみのない読者にも伝わってくる。読者を軽く戦慄させる小さなどんでん返しがあって、最後にドカンと大きなどんでん返しが読者を待ち受けている。
 省略のきいた文章だ。その先を知るのは怖い、こわいけれども知りたい、知らなくても想像できる・・・・そんな場面はあっさりと読者の想像に委ねてしまうのだ。

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フランス在住の日本人言語学者、少数民族・少数言語を弾圧するトルコの国と闘う。

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 前書『トルコのもう一つの顔』(中公新書、1991)は好評で、続編を望む読者の声は多かったらしい。
 たしかに、おもしろい。イスタンブールやトプカプ宮殿ではないトルコ、奥地の少数民族の中へ単身、徒手空拳で潜りこむのだから。
 いや、面白いなどというと不謹慎だ。暗澹たる内幕・・・・少数民族、少数言語に対する国家の弾圧が容赦なく剔抉されているのだから。
 にもかかわらず、やはり面白い、とくり返さねばならない。読者をして巻頭から巻末まで一気読みさせる力が漲っているのだ。20年前に刊行された本だが、今読んでも同じことが言える。
 一つには、若さの力がある。著者は1946年生まれ。22歳からフランスに拠点をおき、24歳から十数年間にわたって1年間の半分をトルコで過ごした。表むきは観光だが、トルコ語ではない少数言語・・・・当時のトルコでは表向きは存在しないことになっていた言語と少数民族をひそかに調べてまわるのだ。それは、単なる調査で終わっていない。一方では官憲との綱引きがあり、最後は国外退去となる。他方では住民とのこまやかな交情があり、それは20年の歳月を飛び越えて、今も生き続けてくるほどの濃さだった。
 本書『漂流するトルコ』に印象的な場面がある。
 マルマラ海の近く、イズニク湖の西のほとりの町、オルハン・ガーズィで見覚えのある貌に出くわす。彼から話しかけてきた。20年前に泊まった宿屋の子どもだった。貌に見覚えがあったのも当然、宿の亭主そっくりに成長していたのだ。彼は当時のことを昨日のように記憶ししていて、著者がたわむれに折ってみせた折り紙を大事に保存している、という。お願いが一つある、この紙で何か折ってほしい、今度は私の息子のために。・・・・「お安い御用、引き受けてこれほど嬉しい頼まれごとは滅多にない」

 本書は、副題にあるように、『トルコのもう一つの顔』の後日譚を記す。
 その後の20年間の体験は、よいことばかりではなかった。
 たとえば、トルコで拷問を受けたクルド人の難民認定に尽力するのだが、結果として裏切られる。
 あるいは、トルコ外務省に提出した調査報告書が官僚によって改竄される。情報操作された文書が世に出て、悪評をこうむる。
 そして、トルコの少数民族ラズ人みずから編纂する文法書刊行に協力すると、ラズ人共著者の背信行為によって学者としての名を汚される。
 
 著者は、その経歴を詳らかにしないが、哲学から入って言語学、民族学に向かったらしい。ストラスブール大学で博士号をとり、大学の教員になった。
 一文にもならない(とラズ人自らいう)ラズ語を研究したのはなぜか。トルコの情報収集官の問いは、読者の疑問でもあるだろう。著者はつぎのように答える。
 「言語学を知らない人に言語の臨地調査の意義を説明するのに一番分かりやすい方法は、植物学に譬えることなんです。(中略)植物学では、すべての植物に関する知識が必要です。だからありとあらゆる植物を研究します。基礎研究の対象としては、すべての植物が等価です。一部の植物は食用、薬用、建築用、燃料用などの役に立ちますが、一見何の役にも立たないような植物であっても、研究しない理由にはなりません。それと同じで、言語学の基礎研究の対象としては、すべての言語が等価です。言語学者は、ありとあらゆる言語を研究します。一部の言語が話者数も少なく政治的にも弱小で経済的にも何の役に立たないように見えたとしても、その言語を研究しないで放置する理由にはなりません。すべての言語に関する知識が必要なのです」
 しかし、この回答は、ラズ語をも研究する理由は示していても、数ある少数言語のうちラズ語をあえて選んだ動機は述べていない。
 著者がここで述べていない動機は、本書の他の箇所及び前書から推察するしかない。それは、少なくとも有力な動機の一部は、前書の最初の章のタイトルになった「トルコ人の親切」だろう、と思う。

 全書にくらべて言語学に言及することの多い本書だが、そして政治や国民性に悩まされた体験を縷々とつづるが、本書が語るのは結局のところトルコの魅力である。
 そして、言語学者として政治的に中立の立場に立ちながら、少数民族の運命を気遣っている。そう、気遣っているのは言語ではなく・・・・いや、それもあるかもしれないが、それ以上に民族であり、かつて出会った個々の人々である。この気遣いを維持し守るために、著者は闘う。前書では抑制されていた忿怒の情が、本書ではもろに噴出する。闘いの飛沫である。この人間くささが、本書の魅力のひとつである。

 【読書余滴】
 世界の常識に反するトルコの政策
 官僚により改竄された報告書
 「何カ国語ぐらい話せますか」の無邪気な問いには困る

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紙の本戦場の掟

2010/05/26 00:16

民間軍事会社の実態。イラクにおけるその無法。

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 イラク戦争(第二次湾岸戦争)は、2003年3月20日にはじまり、戦闘は2003年中にいちおう終了した。しかし、その後もイラク国内の治安はおさまらず、戦闘はたびたび勃発した。
 駐留した軍隊の後方支援は、アウトソーシングされた。「外注」によって、公表される戦死者の数値も軍事費も減る。議会に対して説明しやすい。かくて、イラクで民間軍事会社(本書では「民間警備会社」)が雨後の筍のように出現し(百を超える)、急成長をとげる。イタリア軍ほか、正規軍さえ民間軍事会社に警備された。日本の自衛隊もまた、民間軍事会社に警備された。2007年末までに、「ブラックウォーター」社(訳者あとがきによれば2009年2月以降は「Xe]社)は、イラク戦争により10億ドルを得ていた。
 本書は、イラクで活動した民間軍事会社の業務のうち、コンボイ輸送を中心に取材したルポタージュである。

 すぐれたルポタージュはいずれもそうだが、ピュリッツァー賞を受賞した本書も人間を描く。
 戦争に惹きつけられるとしか言いようのない人がいるらしい。
 プロローグから一貫して著者の関心のまととなっているジョン・コーテもその一人である。陸軍を満期除隊後、フロリダ大学で会計学を学ぶのだが、うまく適応できない。人付き合いのよい好男子で、彼を慕う異性もいるのだが、アフガニスタンとイラクの従軍体験が脳裡から消えない。かつての戦友の勧誘にのって民間警備会社「クレセント・セキュリティ・グループ」の社員となり、イラクにもどって墓掘り人夫のように陽気にすごすのだ。
 コーテの相棒ジョシュア・マンズも、海兵隊退役後に就いた仕事に死にそうになるくらい退屈し、「全身全霊にショックをあたえて、まだ自分が生きているんだと実感する必要があった」から、この仕事に転職した。
 二人をふくむチームのリーダー、ジョン・ヤングは、ふつうの勤め人の生活をしたいのだが、できない。「人生のふつうのことを味わいたい。でも、おれはふつうじゃない」、イラクを離れることはできない、という。

 民間軍事会社が提供する報酬は高額である。ことに優秀な軍歴保持者には。
 学費を稼ぐつもりのコーテは、退役時点で軍曹として月給1,967ドル70セントが支給されていた。しかるに、ふたたびイラクで銃を手にした報酬は7千ドルであった。米軍の准将の月給に相当する。それでも、この産業の水準からすると安いほうなのだ。
 「トリプル・キャノピー」社のチーム・リーダー、J-ダブことジェイク・ウォッシュバーンは日給6百ドル、月に2万ドルちかくを稼いだ。他の「エキスパート」の日給は5百ドルである。
 高額の報酬は、業務上の危険の対価である。のみならず、死傷後の保障がない代償である。
 それどころではない。社員には、ジュネーヴ条約やハーグ陸戦条約の定める捕虜の権利は適用されない。
 2006年11月15日、クレセントの車輌縦隊37台および護衛車5台が襲撃され、コーテ、マンズ、ヤングほか2名が拉致された。コーテの遺体がみつかり、その死をFBIが家族に公式に告げたのは、2008年4月24日である。他の4名も遺体となって発見された。拉致から死亡宣告までの間の家族の苦悩が本書のひとつの肝所である。「コーテは死んだわけでもなければ消滅したわけでもない。いまなおどこかにいる。それがもっともおぞましいことだった」
 著者は、取材中にガンで逝去した父親に対する思いをコーテたちの家族の思いと重ねている。

 民間軍事会社もまた、戦時国際法を無視する。いや、米国の法規のみならずイラクの法規も無視する。
 たとえば、前述のJ-ダブは、「きょうはだれかを殺したい」と遊び半分でイラク市民に発砲するのだ。J-ダブは、事件を報告した同僚ともども解雇され、同僚は起訴したため、事件が明るみにでた。
 闇から闇にまつられた事件は数知れないらしく、本書はそのいくつかを探しあて、報告する。イラク市民に対する賠償金をねぎる米軍当局のうごきも伝える。
 無辜の民を殺害しても、お咎めなしの法的根拠は、連合国暫定当局が最後に発行した CPA(連合国暫定当局)指令(Order)第17号である。民間軍事会社はイラクの法律に従う必要がない、とされた。あらゆる免責特権が認められ、完全に治外法権化された。そして、米国政府には民間軍事会社を規制する政府機関も法的根拠もなかった。
 「ビッグ・ボーイ・ルール」(本書の原題)すなわち「法の空白」が現地のルールとなった。民間軍事会社は、傍若無人にふるまい、イラク人の怨嗟の的となる。
 イラク在住の傭兵の正確な数は、ついに不明のままだ。国防省の推定によれば2万5千人、会計検査院の推定ではその倍の4万8千人、と本書は伝える。  

 2007年2月、デービッド・ペトレイアスがイラク駐留米軍の司令官に就任し、状況に変化が生じた。派兵兵員が増強され、治安維持が強化された。
 ペトレイアス司令官は、民間軍事会社をイラクから締め出す。
 しかし、国務省とつながの深い「ブラックウォーター」社は、依然として健在であった。
 ところが、2007年9月16日、「ブラックウォーター」社の輸送チームは、イラク民間人17人を殺害し、24人を負傷させる事件をおこした。
 本書に記されていないが、これを契機にイラク政府はついに厳しい措置をとる。2009年1月1日付けでCPA指令第17号の無効を宣言し、民間軍事会社から免責特権を剥奪したのだ。 この結果、民間軍事会社はイラクの国内法に従う義務が生じ、会社はイラクから撤収していく。

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紙の本主語を抹殺した男 評伝三上章

2010/04/27 17:26

三上文法にふかく共感した日本語教師による、ゆきとどいた評伝。

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 17世紀のフランスには文学上の一ジャンルに「ポルトレ」があった。文字をもってする肖像の意で、風貌、気質、行為まで描きだそうとするが、本格的な伝記でも人間研究でもない。そう桑原武夫は紹介し、「ポルトレ」を訳せば「人間素描」となる、という。
 桑原武夫『人間素描』(筑摩書房、1976)は、30有余人の「人間素描」をおさめる。素描された一人に、『象は鼻が長い』の三上章がいる。
 三上章に係るポルトレは、いまはなき雑誌「展望」1971年1月号に掲載された。追悼文である。「やがて現れるににちがいない彼の伝記作者のために」、「この独創的な学者の風貌を書きとめ」ている。
 ここで紹介される逸話はいずれも瞠目するべきものだが、一例は後ほど記す。
 ところで、桑原は三上章を土着主義の先駆者の一人と位置づけている。土着の進化論者、今西錦司は、「三上から深い影響を受けたと書いている」。三高で、今西と三上は同級、桑原は1級下であった。

 このポルトレ、ついに現れた伝記作者により、本書で再三引用されている。
 本書を通読すると、さほど多くの接触があったわけではない桑原が、じつによく三上の人となりを見ぬいてることに驚かされる。
 たとえば、反骨精神。三高時代、ズボンの前のボタンをかけるのを忘れて教師に注意されると、翌日ズボンのボタンを全部ちぎって登校した。西洋人の多くはマワシあるいはパンツをはいていないからボタンをかけねば陽物がみえるおそれがあるが、日本人はきっちり下帯をしているからそんな紳士づらをする必要はない、という理屈であった。三上はそれで押しとおしたらしい、と桑原は伝える。
 本書も、類似の逸話を掘り起こしている。中学校の数学の考査で、問題が容易すぎて解答する気がしない、と用紙に○を書いて早々と提出し、図書館で読書にふけった。無礼といえば無礼なふるまいだが、教師は三上少年を可愛がり、後々まで世話をやいたらしい。

 人は文化をうけ継ぎ、成長していく。反骨も独創も、型破りは、「型」を前提とする。「型」が身についていなければ、単なる放埒にすぎない。
 三上は広汎に読書し、先人の知識と知恵をうけ継いだ。本書によれば、進化論を今西錦司に伝えたのは三上である。
 三上の基本的な「型」は、数学にあったらしい。
 数学にすぐれていた、と桑原ポルトレは以下のような逸話を伝える。数学の試験を解く際、教師が教室で教えたのとはちがう解き口を見いだそうと努力して、おおむねそれに成功したらしい。また、既知数をabc、未知数をxyzとするのは日本人としておかしいのではないか、と疑問をていし、イセの3乗+ロスの自乗-ハン=0のごとき数式を組み立てて教師を怒らせた。
 本書でも、80人が受けた試験において、ある難問を正解したのは三上ひとりだった、と伝える。
 三上は、ポール・ヴァレリーを愛したが、ヴァレリーも数学に凝った人だった。

 三上は、文学評論家として立つ野心があったらしい。これを断念し、文法ひとすじに方向転換した契機はふたつある、と本書はいう。
 ひとつは、吉田健一が主宰する『批評』誌から連載を依頼されながら、一度掲載されたのみで、不明の理由により一方的に連載中止を宣告されたこと。もうひとつは、佐久間鼎『日本語の特質』との出会いである。いずれも1941年のことで、奇しくも日本が運命が大きく変転した年でもあった。太平洋戦争の勃発である。
 この1941年、三上は母フサと妹茂子を布施(現・東大阪市)の借家に呼び寄せ、同居をはじめた。以後、茂子は、家事の能力がまったくない三上を生涯ささえつづける。三上は、ついに妻を娶らず、研究に没頭した。

 三上文法の是非には立ち入らない。評者には、その素養がない。ただ、海外で日本語を教育するにあたって三上文法が有効である理由が本書第一章に整理されている、とだけ記しておく。オーストラリアほか、海外で三上文法の評価が高いことは、桑原ポルトレにも付記されている。
 ちなみに、この伝記作者は、本書刊行当時モントリオール大学東アジア研究所日本語科長で、三上章の学問的業績について別に論文、著作をあらわしている(『日本語に主語はいらない』、講談社選書メチエ、2002、ほか)。 
 「街の語学者」(第四章のタイトル)を支持する者はいたし、国語学者の金田一春彦は「保守的閉鎖的な国語学界でまったく例外的」に三上に早くから注目し、熱心に応援した。
 しかし、国内の学者の大多数は、三上とまともに議論を交わさなかった。
 伝記作者は、学者たちから「シカト」された、という。「さすがの強靱な精神も孤立感、無力感を強めていったのである」。そして、三上60歳の年の暮、異常なふるまいにより警察に保護され、入院した。躁鬱病と診断された。

 晩年の三上は傷ましい。
 若年時の三上は、快活、洒脱なユーモアにあふれた談話の名手だったらしい。自宅に客がひきもきらず、談笑の声が別室の妹の耳にもとどいた、と妹は証言する。
 しかし、晩年の三上は、大学へ教授として招聘するという吉報の使者を、「相手の心を見透かすような眼鏡越しの冷静な視線」で迎えた。
 1965年、新設の大谷女子大学の国語科教授に推されて就任したが、三上の心身はすでに病んでいた。肺をガンがおかしつつあった。精神は硬直し、ユーモアを忘れていた。たとえば、始業時刻ちょうどになるまで廊下に立って待ちうけ、終業のチャイムが鳴るなり、発言の途中でも打ち切って、さっさと教室をあとにした。学生たちは、鐘が鳴るとすぐでていく「消防自動車」とあだ名したという。
 ハーバード大学から招かれたが、なにも教えず、3週間で帰国した。桑原ポルトレは「大学側の用意した部屋があまり大きく立派すぎて落着かぬからというのがその理由と聞いた」と逸話ふうに記すが、本書によれば、そんな容易なものではなかった。不眠がつづき、生活面での不如意があり(妹は同行しなかった)、「精神が立った」状態になって入院。日本へ送り返された。
 帰国した三上には、1年間余の命しか残されていなかった。

 三上の生涯をたどってみると、たしかに才能のある人だったらしい。才人らしく、型にはまった行動をとらず、ある意味で自由気ままに生きた。金融恐慌の就職困難な時期にようやく得た台湾総督府の技官の「顕職」を、退屈を理由に2年で辞したのはその一例である。
 しかし、型破りは型にはまった世間から復讐される。「主語を抹殺した男」は、国語学者という世間から抹殺・・・・されかけた。
 三上文法が斯界の主流を占めなかった、というだけのことであれば、一掬の涙をながすことはあっても、それ以上の思いをいだく必要はない。学問上の正否は、学問の世界で決着をつけるしかない。
 しかし、まともな議論がおこなわれず、三上が「シカト」されたことには滂沱たる涙をながしてよい。特定の個人に対する組織的排除は、小学校のイジメに端的にみられるように、日本社会の陰湿な側面である。三上は、その犠牲者だった。

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民意を敏感に反映する小国、そして生活大国、スウェーデン

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 スウェーデンの面積は約45万平方キロメートルで、日本の1.2倍あるが、人口は900万人強にすぎず、大阪府ほどの数でしかない。この小国が生活大国と呼ばれるのはなぜか。
 本書によれば、三段階のライフサイクルに応じた生活保障が体系化されている。すなわち、家族に未成年者(18歳未満)がいる世代、勤労世代(64歳まで)、退職した世代(65歳から)・・・・である。

 第一段階では、豊かな育児支援が特徴的である。育児休暇(手当は賃金の80%)や看護休暇(子ども1人につき年間120日間まで)があり、児童手当(16歳未満)や教育手当(高校在籍者)がでる。住宅手当も給付されるから、二世代家族にふさわしい大型住宅へ転居できる。保育所は完備し、教育費はすべて公費でまかなわれる。

 第二段階では、手厚い労働条件が特徴的である。5週間の年次有給休暇があり、通常夏季に一括して取得する(休暇期間中の手当は賃金の115%)。南国へ旅して日光を満喫する人も少なくない。長期間の休暇は、64歳まで働きつづけるエネルギーの源となる。

 第三段階では、地域生活の持続が特徴的である。それのみで生活可能な公的年金、入手しやすい良質な住居、きめ細かな在宅サービス、身体機能が低下したらサービス・ハウス、衰弱したら看護型ナーシング・ホーム、認知症が重度化したらグループ・ホームがある。
 年金を含めて公的サービスの財源は、すべて租税である(保険方式ではない)。所得税は、平均して収入の34~36%。一見おそるべき重税だが、可処分所得はすべて生活費やレジャーに充当できるから、「かなり沢山払っている」という程度の感覚である。スウェーデン人の家計簿に、貯金・教育費・医療費・生命保険の項目はない。

 1930年代から、社会政策と経済政策のバランスを巧妙に保ってきた。雇用創出、居住環境の充実にはじまり、低所得層を中間所得層へ押し上げて福祉への依存を減少させ、国民のすべてが自活できる階層まで成熟させる、という努力が重ねられてきた。
 独自の社会民主主義、草の根民主主義の風土がある。今なお高い組織率をほこる労働組合と全世帯の半数が加入する消費者組合。透明で不正を排除した政治。憲法で権威と地位を定められた国会オンブツマンと情報公開によって、これまたガラス張りの行政。そして、プラグマティカルな改革につぐ改革。
 スウェーデンも世界的な不況とEU統合の波に洗われて一時失速したが、出生率の微増、失業率の漸減、1998年度から国家財政の収支が黒字へ転じるなど、健闘している・・・・。

 本書は、スウェーデンが生活大国たるゆえんを多面的、総合的に解明して、間然するところがない。
 が、本書に記されるのは日本人研究者がみた20世紀末のスウェーデンである。その後10年余のスウェーデンは、ことにスウェーデン人自身のみるスウェーデン像は、別に求めなければならない。
 とはいえ、福祉が充実した国、というよりは「貧困をなくした生活大国」から学ぶに値するものは少なくない、と思う。ことに民意が国策に反映されやすいしくみは、いまの日本にもっとも必要とされているのではないか。
 ちなみに、スウェーデンでは政治に対する国民の関心が高く、総選挙投票率は8割を超す。投票しやすいシステム(郵便局投票、在外公館投票といった事前投票、これとセットの後悔投票)、比例代表制などの制度もさりながら、「信頼できる政治」 「国民ための政治」が国民の共通認識となっているからであるらしい。

 著者は、1936年台北生まれ。ストックホルム大学大学院(国際法専攻)卒。外務省専門調査員(在スウェーデン日本大使館)、ストックホルム大学客員教授、鹿児島経済大学教授、埼玉大学教授などを歴任した。

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被差別部落の青春

2009/12/05 11:48

ルポタージュの醍醐味、または差別されるマイノリティの世代交代のこと

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 秀逸なルポタージュである。
 いや、ルポと呼ぶには少々複雑だ。取材のテーマは書き手自身にも関係する、という構図なのだから。

 著者は、被差別部落の出身だ。
 祖父や親の世代の差別を聞いて育ち、脱出を図った。学生時代、部落問題とは縁のない生活を送るが、籍を置いていた研究会がつぶれそうになって、一転、活動に力を注ぐ。しかし、就職試験では部落問題にはそ知らぬ顔でとおした。
 1963年生まれの著者は、祖父母や親の世代の差別を体験していないが、自然に耳に入ってくる情報がある。公然たる差別を知ってはいるが、多くは体験していない。いわば過渡期の世代である。
 しかし、著者より後の世代はあっけからんたるもので、同和地区とは低家賃で住宅を借りられるところ、なじみの人が多い気やすい土地、そんな感覚らしい。姓名の公開を著者がくどく確認しても、どうぞ、なんで気にしなくちゃなんないの、という反応なのだ。
 けっこうなことだ。日常、「差別」を感じていない証なのだから。
 だが、過渡期の世代である著者は、こうしたあっけからんに必ずしもなじめないらしい。

 「ぶ、ぶ、部落の大爆笑」
 ドリフターズをもじって、こう書く著者は、爆笑してみせるだけの解放感はもっているが、他方、わざわざ爆笑してみせなければならない程度には問題にこだわっている。
 元新聞(神戸新聞)記者らしく、たんねんに調査し、在日朝鮮人にも視野を広げる。このあたり、プロの手際を拝見できて、興味深い。
 問いかけると、気さくに応えるけれどもこちらの聞きたいことを意図的にはずす微妙な呼吸を読みとったりもする。そこに、かえってその人の「非公開」を察するあたりに、余人にはなかなか伺いしれない、当事者だけがもつ苦みを感得されて、これもまた興味深い。

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紙の本おかしな男渥美清

2009/12/02 17:50

人間・渥美清の実像

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 「おかしな男」には、喜劇人という意味と畸人という意味とが含まれている。可笑しな男、変な男。役者・渥美清は可笑しな男として知られるが、本書ではその比重はごく軽い。
 本書の主眼は演じられた寅さんではなくて、人間・渥美清に置かれているからだ。渥美清こと田所康雄は畸人であった。

 経歴からして尋常ではない。的屋の経験があり、門前に立てば、その家の者は黙って金を包んだ。それほどの迫力があった。
 他方、中学生の時にグレて、卒業していない。だから、アルファベットを読めない。台本にabcがでてくると、田所康雄は底力のある小声でたずねた。そして、abcにふりがなをふった。
 歴然たる学力不足を自覚していた田所は、屈折した心の回路をへてインテリ好みに傾く。後年、羽仁進に登用されて田所は満足する。
 著者、小林信彦とのなれそめも、このあたりに理由がある。
 田所と著者との出会いは、1961年夏のこと。以後、亡くなるまで付きあいが続いた。まだ20代の会社員だった著者は、平日、田所のアパートで夜明けまで語り明かしたこともある。
 田所は、片肺を切除していたから、体力の維持にひと一倍気をつかった。こうした事情もあって、公人の顔と私人の立場とを厳しく区別した。この性向は晩年まで続き、没後の密葬を選択させる。私生活に招き入れられた点で、著者は例外的な存在となった。

 当然、豊富なエピソードにこと欠かないが、本書はエピソードの単なる羅列ではない。
 たとえば、田所には芸に天賦の才があったが、まめに芝居や映画をみて腕をみがいた。芝居や映画の批評は抜群に面白く、物まねは神技の域に達していた。酒が飲めないのに、えんえんと語り続けてひとを飽かせない。 

 ここで著者は、同じく飲めないのに話術がたくみな植木等と比較するのだが、このあたりに批評眼がひかる。
 小林信彦の作品のすべてについて通じるが、やわらかな、ほとんど話し言葉に近い、くだけた文章だ。書き手の自我はほとんど無と化し、透明になり、言葉だけが定着され・・・・それでいて、言うべきことはきちんと言う。
 本書は、伝記ではない。回想録である。たしかな記憶と克明な覚書をもとに、田所康雄という個性的な役者の実像が浮き彫りにされた。さらに、田所康雄/渥美清をとりまく映画界、テレビや芝居に関わる数奇な人間模様が描かれている。

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波瀾万丈な小説のモデルにふさわしい波瀾万丈な伝記

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 世界でもっとも有名なフランス人、といわれるのがダルタニャン。すくなくとも、日本ではフランスの現大統領よりも知名度が高い。
 本書は、史実に即して、『三銃士』の主人公のモデルの生涯を再現する。

 シャルル・ドゥ・バツ・カステルモールは、1615年頃ガスコーニュに生まれたらしい。デュマ描くところの名門貴族ではなく、新興貴族の出自だった。
 ガスコーニュは、ラテン語の「ヴァスコニア(バスク人の国)」に由来し、フランス人とは異なる伝統、文化、慣習をもつ。その住民、ガスコンも、独特の気性、狡猾なほど世間智があって、しかも血の気が多いことで知られる。地味が豊かでない土地柄ゆえに軍人を志す者が多く、じじつ勇名を馳せた武人が輩出した。
 われらがシャルルも、野望を胸に1630年頃パリへ上った。
 王都には、ガスコンの共同体が形成されていたから、貧乏な新興貴族では印象が薄い。そこで、母方の姓ダルタニャンを名乗った、と著者は推定する。ダルタニャン家は名門貴族で、ガスコーニュ有数の名族モンテスキュー家の分家である。
 15歳のシャルルは、後年磨きをかけた世間智を、さっそく発揮したわけだ。

 以下、シャルルの生涯を追って、読者をして血湧き肉踊らしめる。
 小説家の手にかかれば、歴史も小説的に脚色されるのだ。

 実在の人物も、世界一高名な小説の主人公のモデルとなるにふさわしい器量だった。
 当初は枢機卿マゼランに、彼亡きあとはルイ14世に忠実に仕えた。そして、出世のために、抜け目なくマゼランの権勢や絶対君主の信頼を活用する。
 実際、軍人としても実務家としても有能だったらしい。任務において豪胆、人情の機微を解して細心、たとえば麾下の銃士隊の人心掌握のためにきめ細かな手をうった。王命により逮捕した財務長官フーケに対しても配慮を忘れず、ためにフーケ支持者からも憎まれなかった。
 もっとも、細君の心をつかむには失敗した。富豪の名門出身の夫人アンヌは、かくも精力的に仕事に打ちこんで家庭を顧みない夫を捨てて、結婚2年後に自分の領地へ引きこもってしまった。現代日本の仕事人間は、おお同志よ、とつぶやくかもしれない。

 当時さかんに行われた官職売買や二つの銃士隊の確執、シャルルの二人の息子やその子孫の追跡も読者の関心をひくだろう。
 東に『大菩薩峠』あり、西に『ダルタニャン物語』あり。今日、結末のあってなきがごとき『大菩薩峠』を全編を読みとおす人は数すくないが、主人公の壮烈な戦死まで『ダルタニャン物語』につきあうファンは多い。
 ファンならば、本書をおおいに楽しむはずだ。

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紙の本内田百間集成 1 阿房列車

2009/11/26 15:17

偏屈を愉しむ

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 阿房宮は、秦の始皇帝が渭水の南に築いた宮殿である。それが、宮の一字がとれたとたんに阿呆になる。
 阿房列車は、すなわち阿呆列車である。
 なんの用事もないのに、汽笛一声、揺られ揺られて列島のあちこちへ出かけ、車中でも宿でもしたたか飲んで、飲みつぶれて、名所見物もしないで帰ってくる。本書は、そんな話ばかり延々と書きつらねている。
 要するに、本書には見事になかみがない。徹頭徹尾、内容のない話を独特の語り口で読ませるのだ。

 偏屈を故意に前面に押しだして笑いをさそう点で、『阿房列車』は内田百間の師、夏目漱石の『吾輩は猫である』の末裔である。
 もっとも、『猫』は、奇矯な高等遊民たち複数が屁のような気炎をあげ、無用の知識を際限なく放電するが、かたや『阿房』は、畸人は独り百間先生のみ、教養はチラとかいま見せるていどだ。そのつつましさは俳諧的であり・・・・じじつ、百鬼園内田栄造は俳人でもあった。百間は、郷里岡山県の百間川にちなむ俳号である。

 それにしても、著者の偏屈は筋金いりだ。
 偏屈の人は、理屈の人である。
 「これから途中泊まりを重ねて鹿児島まで行き、八日か九日しなければ東京へ帰つて来ない。この景色とも一寸お別れだと考へて見ようとしたが、すぐに、さう云ふ感慨は成立しない事に気がついた。なぜと云ふに私は滅多にこんな所へ出て来た事がない。銀座のネオンサインを見るのは、一年に一二度あるかないかと云ふ始末である。暫しの別れも何もあつたものではないだらう」
 理屈の人は、一献、たちまち酔狂に至る。

  「そら、こんこん云つてゐる」
   酔つた機みで口から出まかせを云つたら、途端にどこかで、こんこんと云つた。
  「おや、何の音だらう」
  「音ぢやありませんよ。狐が鳴いたのです」
   山系が意地の悪い、狐の様な顔をした。

 ヒマラヤ山系こと平山三郎は、当時国鉄本社職員で、百間先生の気まぐれに毎回辛抱強くつきあった有徳の士。寡黙で動かざること山のごとく、「山系は行きたいのか、いやなのか、例に依つてその意向はわからない」茫洋たる人物だ。だが、どうしてどうして、平山三郎の回想録『実歴録阿房列車先生』ほかは、山系君と呼ばれる有能なサンチョ・パンサが付き添ってこそ『阿房列車』が無事に発着したことを示している。

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紙の本李陵・山月記 改版

2010/05/26 17:08

孤立を恐れず、信念に殉ず。

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 収録作品の一、『弟子』の子路は、まず遊侠の徒として登場する。孔丘を似非賢者と目して喧嘩を売る。ところが、問答をかわすうちにたちまち信服し、弟子入りする。
 これが発端である。
 孔丘は、子路の頑固さ、礼楽の形に対する無関心に手こずるが、その没利害的な一途さを愛した。
 師弟のこうした相互信頼が『弟子』の魅力のひとつである。

 晩年、子路は衛の孔家に仕えた。遠く魯にあって衛の政変を聞いた孔丘は、即座に預言した。
 「弟子の一人は帰ってくるだろう、子路は死ぬだろう」

 はたして、子路は、単身簒奪者のもとへ乗りこんだ。
 向背に迷う群衆に対して、火をかけて台を焼き我らが主人を救え、と教唆扇動した。
 簒奪者はおおいに恐れ、二人の剣士をさし向けた。子路は二人を相手に激しく斬りむすんだが、往年の勇者も齢には勝てない。
 子路の旗色が悪いのを見てとった群衆は、ついに旗幟を鮮明にした。罵声に加えて石や棒をぶつけた。
 かくて子路は、「全身膾の如くに切り刻まれて」死んだ。

 『弟子』は、稲妻の一閃のように昭和文学を駆け抜けた中島敦の代表作の一。
 漢文脈の即物的な簡潔さが、行動的な子路の特徴をきわだたせる。
 ことに、結末では、正邪ではなくて物理的に強い側に敏感になびく群衆心理をあざやかに浮き彫りにし、読む者を慄然とさせる。現代日本におけるいじめ、差別のグループ・ダイナミックスもかくのごときか。

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時代を共有する作家を読む楽しみ。加藤周一は、「苛酷な条件」のもとにある者を鼓舞する。

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 「自選集」全10巻は、主題別の『加藤周一著作集』全24巻(平凡社)と異なり、発表年代順に編集されている。
 時代(の一部)を共有する作家の作品を発表年代順を読む楽しみは、ことに加藤周一のように文学のみならず政治や社会の動きに敏感な作家のそれを読む楽しみは、単に自分が生きた時代を回顧する作業を超えて、自分が生きた時代に加える別の解釈・・・・自分よりも深く、より広い解釈に出会う点にある。それは、自分の過去を再構成する作業に等しい。この楽しみは、自分が出会った芸術作品についてもいえるだろう。
 たとえば、本書の冒頭におかれた「『中村稔詩集』の余白に」。

 これは、1944年から1987年までの詩業をおさめる『中村稔詩集』(私家版、1987)の読後感で、加藤は「一つの魂の戦後史である」と評する。かけ換えのない大切なものだけをうたってきた、と。そして詩の数行を引き、「これは私の同時代の歌である」と共感する。海辺の風景にはじまり、都会のビルの谷間に終わるこの詩集は、うたわれた素材も詩人の思いも、ほとんどを加藤が共有できるものだったらしい。
 ちなみに、評者は私家版『中村稔詩集』は入手していないが、ほぼ同じ内容の『中村稔詩集 1944-1986』(青土社、1988)は、刊行後しばらくの間枕頭の書となった。

 さて、『中村稔詩集』には「海」と「ビル」が交互にあらわれるが、一方は他方を呑みこまないし、一方は他方に還元されない、と加藤はいう。詩人はビルの谷間で、つまり歴史的時間と社会的空間のなかで生き、かつ詩人は歴史的社会的に条件づけられる。人は「世界」の中の存在であり、「世界」は意識を超越する。・・・・そう断じたうえで、しかし逆に、と加藤はいう。「意識もまた世界に超越する。一個の具体的な生命の、個別性と一回性、『人ひとりの心の奥に 一杯の湧き立つ海』は、いわば世界の時空間に対して垂直な次元に、展開し、決して世界に包みこまれない」

 つまり、一方に条件づけれらた人間という存在があり(弁護士という中村稔の職業は多々の「条件」を意識せざるを得なかっただろう)、他方に条件の特殊性を超えようとする意思がある(「人ひとりの心の奥に 一杯の湧き立つ海」)。
 この「意思」は、病弱なため旅する余力がなく、追分の村で野草の写生にいそしんだ晩年の福永武彦にも見いだされる。
 「苛酷な条件のもとで、最後に残るのは、デカルトの『自由』である。なぜなら目標の実現は自由でなくても、目標の形成は自由であり得るからだ。人は世界をその目標との関連において意味づける。したがって目標の形成において自由だということは、世界の意味づけにおいて自由だということであろう。環境を変えることはできないが、環境の意味を変えることはできる。世界を変えるよりも、自分自身を変えよ。しかし自分自身を変えるのは、当人の意志の問題である。/福永には目標と意志があった。あるいは実現し得ない目標があったから、抜き難い意志があったというべきだろう。追分村から出ることのできなかった彼は、その環境の意味を変えた」(「福永武彦の『百花譜』」、「自選集」第6巻所収)。

 人間の歴史的社会的条件を説く者は数多くいるが、条件の特殊性を超えようとする意思を説く者はそう多くない。多くない一人が加藤周一である。
 そして、死せる孔明は生ける仲達を走らせ、死せる加藤周一は「苛酷な条件」のもとにある者すべてを鼓舞する。

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イスラエル建国前からえんえんと続く実験、キブツ。この共同体の心理学的研究、その光と影。

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 キブツとはなにか。本書によれば、ほぼつぎのとおりである。
 ヘブライ語で「集団・集合」を意味するキブツは、1910年、ガリラヤ湖の湖畔に建設されたデガニア・キブツを嚆矢とする。「人類史上唯一失敗しなかった実験」(マルティン・ブーバー)は、本書刊行当時約280箇所で実施されていた。その住民は合計13万人前後。イスラエル人口の3%を占めるにすぎないが、イスラエルの農業生産の40%、輸出向け工場製品の約8%を生産した。
 キブツは、集団による生産、労働、所有、サービス、消費を原則とし、共同保育、直接民主制を採用する。労働価値、男女平等、終身社会保障を旨とし、貧富の差はない。
 設備は、一般的には中央に食堂、集会場、事務所、図書館など共同の施設や居住区、庭があり、その周囲に教育施設やスポーツ施設が設置され、これらの外側を農場や工場がとりまく。
 キブツ人口はさまざまで、小は50人から大は2千人まで。平均して数百人というところ。
 各キブツは独立した自治体だが、全国的な連合を組織して、事業や活動を調整しあう。最大の連合は、キブツの約6割が属するユナイティッド・キブツ・ムーヴメント(タカム、TAKAM)であり、3割強が属するキブツ・アルツィ連合がこれにつぐ。

 本書は、心理学者である著者がキブツ・マコムの住民40人にインタビューした聞き書きである。初期、分裂期、50年後のそれぞれについて証言があり、原著刊行の1981年現在を著者が総括的する。
 本書は心理学的アプローチによる事例研究である。キブツという共同体ではなく、個々のユダヤ人を対象とする。ただし、いずれもキブツを共通の土俵とする発言だから、自ずからさまざまなキブツ観が披露される。
 ちなみに、キブツ・マコムは、エズレル平原の東部、ガリラヤ湖の南西に位置する。人口約1,200人の比較的大きなキブツで、独立前に開設された。

 共同体は、人格を画一化しない。
 個性的な人々が第12章に集中して紹介される。たとえば、モザイク絵に自己表現の手段を見出した農民アシェル、フルタイムの物書きイラン、電気装置研究家オフェルがそれだ。
 さほど個性的でなく、一見平々凡々たる生活に徹する者にも個性が見られる。たとえば、マコム創設期の17人のうち今もマコムに住む唯一の人ユダ。彼は、創設期を回想していう。・・・・親や親族からの援助を受けることなく、最初は農場などに仕事を見つけて労働に従事した。後に、古いキブツの移転にともない、テントや木造の食堂のある跡地に移った。激しい肉体労働、厳しい冬、全員がマラリアに罹患した時もある。だが、みな充実していて陽気で、「生き生きとしていた」。
 そして、50年間キブツで働いた体験(70歳に近い今も資料室で日に5時間労働する)からする哲学を披露する。・・・・キブツ外部から労働者を雇うべきではない。「キブツの根本理念の一つは、農業でも工業でも肉体を動かして初めて労働と言えるものだった。これはかつての流浪時代のユダヤ人の抱えていた問題に対する解決法じゃないですか。(中略)キブツが雇用主になるなんて、思っただけでぞっとしないかい?」
 要するに、キブツは人生哲学であって、一つの生き方だ、とユダはいう。

 キブツ的人生哲学の背後に、確固たるキブツ観がある。
 たとえば、1940年代から1950年代、キブツ連合で大分裂が起きたときにマコムへ移動してきたオーラのそれ。・・・・マコムでは仕事や経済的な目標より、労働者でいることや地に足をつけることを踏まえた人間観を育ててきた、とオーラはいう。「“個人に対して最大限の思いやりをする”--これがマコムの生き方の基本なんです」
 道で行き交うたびに挨拶をかわわすのがその一例だ。オーラの出身地モラッドでは、すれちがっても無言でとおりすぎるのが常なのであった。

 共同体なるがゆえに可能な実験がある。
 たとえば、母子分離の集団保育がそれだ。おそらくロシアから直輸入した保育理論を採用したのだろう、と思う。集団保育は、初期において厳格なほど徹底していた。しかし、親子同衾を主張する人もいて、少なくとも幾組かの家族には是認されたらしい。

 肯定的なキブツ観ばかりではない。共同生活の負の側面を指摘する人もいる。
 たとえば、マコムのゼネラル・セクレタリー(村長)のノアムはいう。キブツではメンバー同士の深い心の交流に欠ける、と。多忙なせいもあるが、キブツの外には親友がいるのだから、真の理由は時間不足ではない。
 マコムは各種委員会や生産部等が有効に機能しているが、運営にあたる「有能な人」は微々たるもので、「ほとんどの人がただの人」だ、とノアムは嘆く。必然的に少数の人に多くの役職が集中し、しかもなかなか交替させてもらえない。そして、メンバーは受け身の傾向を強め、自発的リーダーシップをとる人がいなくなってしまうのだ。
 このあたり、わが日本でも自治会やPTAなどの集団活動において、対岸の火事ではない。

 共同体は一枚岩ではない。葛藤も生じる。
 多くのキブツで、そしてマコムでも、独立前後に厳しい論争、感情的なもつれが発生した。
 第二次世界大戦中にユダヤ人に武器と弾薬を支給した最初の国ロシアへ親近感をもつ一派があり(マパム党ほか)、独立前には「広い国境」をめざしていた。これに対して、だんだんと米国寄りに政治的立場を移したベングリオンは、「狭い国境」で独立を宣言した。マコムの当時の指導者はこれを喜ばず、独立を祝おうとするグループと軋轢が生じた。加えて、ベングリオンは国防軍の一元化をはじめ、中央集権化に努めたが、これをボランタリー精神を否定するものと見なして危機感を抱いたキブツが少なくなかった。キブツ連合とベングリオンとの対立があり、キブツ内部でも政治的意見を異にするグループが対立した。これが深刻化して、大分裂となった。

 キブツは、ひとくちでいえば集産主義的共同体である。光には影があるように、キブツにも光の面と影の面がある。
 格差社会のなかで生存権が問われている今日の日本を顧みると、キブツの光の面に注意が向く。しかし、キブツはイスラエルのものであり、日本のものではない。「二人寄れば三つの政党ができる」と揶揄されるほど議論好きなのはユダヤ人であり、日本人ではないのと同様に。
 日本では、日本人に合ったコミュニティを築くしかない。ただ、あるべきコミュニティを築くにあたって、キブツの光の面から摂取できるものは摂取してさしつかえはないはずだ、と思う。

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