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  3. 四十空さんのレビュー一覧

レビューアーランキング
先月(2017年2月)

四十空さんのレビュー一覧

投稿者:四十空

19 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本ヘルタースケルター

2010/05/28 07:25

マッドエイジファイター

11人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

スタイリッシュで皮肉、極めて美しくいい加減。獲物を玩ぶ残酷な猫、いい女度満載の漫画である。嘘と偽善、保身と嫉妬で作られた現代の日本を余すところ無く描く。これは作者岡崎氏の本能の嗅覚の鋭さゆえと思われる。普通のクリエイターなどが太刀打ち出来ない、生まれ持つ斬新で心優しい哀しさとユーモアと、自らも放逐する潔さに溢れた感覚である。

すばらしい骨格をもつが、周りの肉と部品に問題のある「りりこ」が、肉を溶かして作りなおした整形美女として生まれ変る。爽快である。小憎らしくて、生意気で、魅力的で、りりこは全身を整形しながらも生きている。メンテナンスも地獄の沙汰で、そこらへんの守るだけで生きながら死んでいる人間たちとは違う。開き直りか、覚悟か、戦士じみている。

世の中は彼女にとって演技する場所に過ぎない。本音は無用のクズ。それゆえに芸能人として大成功する。献身的でうぶなマネージャーをゴミのように扱う。残酷ではあるが、下品で物欲しげな現在日本にのさばる実にケチな卑屈ゆえのいじめとは違う。堂々とした悪い女であり、その悪さを整形というツールでしか持ち得なかったという哀れさがまた、現在なのである。

作者岡崎京子氏はひどい交通事故に会われたという。残酷なことだ。才能のある、粋な人物の不幸な休息を私も多く見ているが、岡崎氏のそれも、実にもったいないことである。いつか復活していただきたいと思う。
それから、この作品から見える作者の美貌は衰えることなく、人間としての温かさは失せることがないだろう。作品に感謝したい。

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シュールでリアルな人類脳内変貌説

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

非常に興味深く、面白い本。著者は筋金入りのPC最初期からの使用者であり、ネット嫌いどころかむしろ偏愛者だからこそ、単なるネット批判ではなく、それゆえリアルかつ背筋が凍る感じで論理が伝わる。
まずはいつのまにか本を長く読めなくなってしまった自分に気づき、もしかしてこれは(ネット中毒ゆえ)さすがにまずいかもしれない、と思った著者が、あえて山にこもって携帯をほぼ遮断、メールの速度を遅くした。するとだんだんと脳が「回復」し、長い本も読め、長い文章も書けるようになって著した会心の著書なのである。

実際の科学調査がたくさん出てくる。例えば2007年「メディア心理学」より、プレゼンテーションをテキストのみと、マルチメディアの被験者グループに施し感想を聞くと、

・テキストのみの被験者グループは、プレゼンを興味深く、理解しやすく、楽しめるものだと思ったと回答した
・マルチメディアの被験者グループは、「このプレゼンから何も学習しませんでした」という選択肢を選んだ

というから驚く。要は「注意散漫な状態で事実や概念を学べば、結果は悪いものにしかならないことが、この実験から明らかになった」そうである。
ネットで栽培されるのは「マルチタスク能力」でしかなく、これは「おきまりのアイデア・解決策」しかもたらさない。すぐにイライラし、自己コントロールの制御が難しくなる。逆に独創性や創造性は、静かな環境(自然の中、自然の写真ですら有効だそうだ!)でじっくりと考え生きることでどんどん回復するという実験結果も出ている。

またイライザというロボットの(簡単なプログラミングで仕組まれた)回答を「心理カウンセラー」のように思って好きになってしまう人間のカラクリも言及されている。イライザを造ったワイゼンバウムは、うっとりとイライザと話す人々に幻滅したらしい。
ラリー・ペイジ氏によると、「人間のプログラミングはおよそ600メガバイトで、現代のOSより小さい」。人間はPC以下、というお目出度いのがネット支配者の観念なのだ。確かにネット中毒ならばその通りになるというカラクリがあるようである。

著者はローマのセネカの言を引く。「どこにでもいるということは、どこにもいないということだ」。また旧約聖書より「彼らの偶像は金銀の、人の手になるものたちである。口はあるが、語らない。耳はあるが、聞こえない。鼻はあるが、匂わない。手はあるが、取らない。足はあるが、歩かない。のどから声を出すことも無い・・・」
原題はTHE SHALLOWS。確かにネット・バカとは至極名訳のようである。

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現代日本のソクラテス

8人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「寄らば斬るぞ!」と啖呵を切るや、「な~んてね」と破顔一笑するような愛嬌と毒のある西部氏の痛快極まる本である。政治家の仮面(ペルソナ)を剥がすには対象者のパーソナリティにも言説を及ぼさなくてはならないという重荷の代償として、対象者への考察と氏自身の生き様が隠されることなく、渾然一体となって描かれている。更に膨大な歴史、知識の集積が元にあるので軽率ではなく、とはいえべらんめえ調でユーモアに溢れてもいる。

昨今の学者に多くありがちな、社会経験がほぼ皆無で一方的机上の空論に嬉々とする子供じみた言論とは全く対極に位置する。現在保守派の論客として知られる西部氏は、60年安保の際は東大自治会委員長、全学連の執行委員というバリバリの左翼過激派。そこから、大学教授、素浪人的評論家へという人生はなんだか道場破りのようでもあり、直感的実際行動と深め極める学問が同時進行で思想を形作り熟成させる、学者として非常に珍しい。

・・・誰かに似ていると思っていたら、古代ギリシアのソクラテスに似ていることに気がついた。ありがたいのは、死刑になったソクラテスは美少年に尊敬され嫉妬を買った為ともされているが(「西洋古典学事典」)西部氏を尊敬することは現在の東大生には無理だろう。「ノートが書けません」と文句を言われ東大を辞されたのではと思うくらいだ。よって、西部氏が嫉妬を買って死刑にはなるまいし、また西部氏に対抗できる言論人も政治家も、もはや存在しないだろう。

西部氏にシンパシーを感じるのは現在の日本社会で辛酸を舐めた大人たちだろうと思うから、この民主党政治にまで行き着いてしまった日本を覆う薄っぺらいその場しのぎの偽善と小学校の学級会的から騒ぎ正義、ツルリと表面を撫でる頓珍漢な言説と弱虫対応の褒め合いコミュニケーション信仰、それら陰惨で空虚な現状に疲弊した民間人に乗じた鈍重な小役人のバカ騒ぎにゲンナリしていたら、この本はヒントに溢れている。なにしろただ政治家を批評しているのではなく、日本人に対する愛情が根本的に(過剰なほど)流れているので、爽快な啖呵とともにひしひしと人間の優しさを感じられるのである。

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年表の妙 スゴイ!

7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

どんなヘリクツ本より優れている。新聞やテレビのドラマ的・画一的な報道に対して違和感を覚える人にとって、「事実」の羅列はどんな解説本よりも優れている。ある人物の犯罪を、日記(他者から見た)形式で書けば、どんな犯罪の理由も詳らかになるのかもしれないと思わせる。
戦後
1945-69 連合赤軍前史 新左翼誕生
~64-71 革命左派と赤軍派の出現
~71-72 連合赤軍の成立と「総括」
~72   あさま山荘事件
~2002  その後まで、順を追って淡々と、年表形式ならではの構成・企画の妙で、見事に検証本として成立している。

全共闘・学生運動の参加者たちの中には、「連合赤軍と我々は関係ない」と言い切る人物も少なく無い。この厚顔無恥を憎憎しく感じる人にもこの本は有効である。全共闘・学生運動よりずっと後に生まれた私でさえ、連合赤軍の年表は「他人事ではない」。人間のある側面の膨張した形として、誰でも陥る(もしくは陥っている)心の動きが手に取るように伝わる。

「解説」に代えて、当事者である植垣康博氏へのインタビューが載っている。ユーモアと包容力のある受け答えからは、連合赤軍が(身近な)若者のグループだったであろうことを思わせる。植垣氏は話す。
「僕は最近、新入社員教育の例を含めた「会社」を例に挙げて説明することがあります。つまり、連合赤軍の「共産主義化のための総括要求」というのは、企業において「会社人間」をつくる教育と変わりないというか、それを極端にしたものであるということです。」
昨今「社員教育」と称しておかしな研修が出現し始めたことに日頃から疑念を持っていた私にとって、この言葉はある種の証明というべきか、心から納得させられる言葉だった。

現在の日本社会の精神状態は、連合赤軍の「総括=粛清」事件と近似している。いやむしろ、悪質な真似事・・・連合赤軍の戦士らは純粋だったのかもしれないが・・・それを形式だけ盗み、不純な形だけで他者に「総括」をさせて止まることをしらない横暴な上司や取引先に悩む多くの人が存在している。或いは大学生の「便所メシ」、子供が席替えを苦に刃物を振りかざす、といった追い詰められる社会の秘密を探る意味でも、この本は価値があると思う。

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紙の本二十歳の原点 改版

2010/05/21 08:34

小さい美少女と学生運動

8人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

Q かわいい女子学生が自己批判し続けたらどうなるでしょうか?
A 自殺します。

1960年代学生運動が盛んだった。後の世代は学生運動をしていた世代のなかの一部の種類の人たちを「理屈っぽく、批判精神ばかりあり、自分の責任は棚上げして、後輩を引きずり下ろす、困った人たち」と受け止める。
一方、その批判されている人たちは、いまだに「全共闘はすばらしい」と言ってはばからない場合も多く、私にとってこの時代の「手法」は謎なのである。どの位価値があるのか、或いは無かったのか。

あの時代の「自己批判せよ!」と教授たちの胸ぐらを掴み罵倒する学生たちの中、もし一学生として過ごしていたら一体どんな気持ちだったのだろうと考える。そのヒントとして、高野悦子さんの「二十歳の原点」はひとつの答えである。美しく、愛されて育ち、動物好きで、心優しく、スポーツ好きで活発、頭も程よくいい彼女が、なぜ自殺までするほどに追い詰められたのか。

「未熟である己を他者の前に出すことを恐れてはならない。
マルキシズムのマの字も知らないからといって、帝国主義の経済構造を知らないからといって、現在の支配階級に対する闘いができないという理屈にはならない。私の闘争は人間であること、人間を取り戻すと言う闘いである。(中略)己が己自身となるために、そして未熟であるが故に、私はその全存在をさらけ出さなければいけない」

・・・(失礼ながら)こんな面倒くさい、歯の浮いた台詞を日記に書き、彼女は自らを鼓舞しなければならなかったか。全くバカバカしい。また彼女はわざと露悪的に性の話も書く。彼女は男ではなく、かわいい弱い若い女性なのに。
恐らくこの時代はあらゆる「美徳」も自己批判の対象になっていたのだろう。彼女は自分の美貌をも「批判」されるから、伊達メガネをかける。なんという下らない時代だろう。まるで一風変った新興宗教の中の世界のようである。そして、この手の「批判」は現在の日本でもそこらじゅうで起きている。この時代の影響を考え直す時期であるかもしれない。

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西洋古典学事典

2010/08/24 19:59

歴史に残る大著

7人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

碧いエーゲ海を思わせるシックな装丁の本。心地いい知性の香りが漂ってきてワクワクします。ページをめくればギリシア・ローマの神から偉人、哲人、軍神、名だたる美女らの有職故実が淡々と浮かび上がります。・・・とはいえエゲツなくて思わず笑ってしまうような「濃い」人となりが満載で、かつて人間の勃興期にはヒトがこれほど生き生きしていたことに隔世の感を持ちます。

学者の文章ではありません。自由人の著した辞典で、臆することなく史実が綿々と、冷徹に書き連ねてあります。およそ退屈とは無縁。かつては男色が当然であったり、殺害や姦通、詐欺、拷問、嫉妬などおどろおどろしいヒト(神も人間も同じ土俵に乗っています)の有り様に、爽快にして愉快な気分にさせられます。

哲人ソクラテス、プラトンもマッチョな両刀遣いにして美少年狩の名手、賢人カエサル、アウグスティヌスも案外間抜けでもあり、美の女神アフロディーテのプシュケーに対する嫉妬の顛末など、驚くべき史実がサラリと並びます。本場のギリシア・イタリアの方も興味深く読むのではないかと想像します。
歴史に残る大著にして、感動的な仕事の書物の一つです。

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紙の本小沢一郎虚飾の支配者

2010/05/17 02:27

金と権力の亡者のドキュメント

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

かわいそうな「小沢一郎」という人物に関する迫真のルポである。
取材対象は身内から、後援者、離れていった元後援者、元同級生、真実を知る元秘書、過去を知る代議士、金の連なる建設関係者、岩手めんこいテレビ開局を巡る関係者、そして地元岩手水沢の人々等、多岐に渡る。

蓄財について詳細にまとめられている。10億超の税金を元手にした財産の多くを閣僚ではないので公開不要の妻名義にしていること、政治家の世襲で非課税で子息に譲ろうとしていること。建設利権、放送電波利権、郵政利権、また朝日との手打ちについても綿密な調査に基づいて詳らかにされる。

小沢氏は地元選挙区である岩手・水沢には、全く帰っていないそうである。父の佐重喜は立身出世で既に大臣になり、母みちは選挙民を束ねる能力があった。しかし幼い彼は「いつも決まって子分格。親分の後を・・・ベソをかきながらトボトボとついていくんですよ」 (姉・則子さん)

「小沢さんは究極のナルシストです。地元岩手の『小沢王国』を見ても分かるように、小沢さんは自分に従わない相手を敵に見立て、その相手を攻撃し、打ち負かすことしか念頭に無い政治家だ」 (全国紙元幹部)
「小沢は常に自分の地位とプライドを守ることに固執してた。地位を脅かす相手に対しては、気の小さい男だけに権力をカサに着て強圧的になる」 (改革クラブ渡辺秀央氏)
「小沢氏の政治手法は敵か下かで始まり、敵か下かで終っています。従う者だけをつくろうとすればするほど、自由闊達な議論は封殺されていくと思います」 (元大物秘書高橋嘉信氏)

岩手県は自らを「小沢チルドレン」とを呼ぶ達増知事の下、小沢王国として、また土建王国として成り立つが、下請けの方の悲惨な声が響く。
「この街でも、土建業者は経営が苦しくなって、この十年でオレの知っているだけでも8人が自殺した…小沢とその手下がやっていることは、『小沢教』とでもいうべき宗教と一緒だ。・・・系列の業者や秘書を使い、裏で支配することだ。文句を言ったら、それを根に持ち相手をとことん追い詰めてくるんだ」

小沢一郎氏について、常に哀れさが漂っているように感じるのは私だけではないだろう。小沢氏の来し方行く末は、日本のある部分の象徴のような気がしてならない。



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紙の本ポオ小説全集 4

2010/05/18 01:22

不条理の天使とお役人

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ポオは悪趣味の極致の、スカしたひねくれ者で好きである。夢で逢えたらさぞかし性格が悪くてスカッとする毒舌に包まれることが出来るだろう。ほめられたいと現代日本人が全員思っているかのような昨今だが、生ぬるい気色悪さより意地悪の孤独が私はいい。
「不条理の天使」という掌編がある。これがおかしくってたまらない。なぜか私は役人をしている、知人H氏を思う。H氏に会うと、不条理の天使と(同じ口調でもないのに)同じように喋っているような気がして、こっそり笑っている。
とても太っていて、小さい目を見開いて、自分が正当であることをまくしたてるH氏、彼と喋るといつもひどく滅入ってしまうのだ、不条理の天使のように。

「君は一体何者だ?」とぼくは毅然として尋ねたけれども、実はだいぶ動転していた。「どうやってこの家に入ったんだ?それに、一体何の話をしているんだ?」
「とうやって入ろうと」と怪物は言った。「お前の知ったことてはない。それに、何の話たろうと、俺は自分のしゃぺりたいことをしゃぺるのたよ。それから、俺か何者かということは、それをわからせてやるためにわさわさこうして姿を見せているてはないか」

「ぼく」が追い出そうとするが、どうしても無理なのだ。

「それみろ」と彼は言った。「ちっと座ってるのが一番利口たよ。ところで俺が何者か教えてやろうか。俺の顔を見ろ。よく見ろ。俺は不条理の天使なんた」
(・・・中略・・・)
「ては俺のこと、不条理の天使のことも信しるのたな?」
ぼくはもう一度うなずいた。
「そしてお前は自分が酔っぱらいて馬鹿たということを認めるんたな?」
ぼくはもう一度うなずいた。
「ては不条理の天使にたいする完全な服従のしるしとして、右手を左手のポケットに入れろ」

わけがわからないのに自己主張をして微動だにしない自信に満ちたおかしな他人に困っている方には、ご一読をお薦めします。読んだからといってナンにもなりませんが・・・

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紙の本「空気」の研究

2010/04/25 18:39

和製ノストラダムスの予言書

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「全体空気拘束主義」

「一絶対者、オール3 現教師神」

「宿命論的盲従」 「黙示録的支配」

など、言葉のセンスが実にキャッチーで、うまい。

ユーモアと現実凝視が渾然となって日本人(及び人間)のクセを描ききっている、稀有な好著です。

「というのは、「空気」に基づく行動が、まわりまわっていつしか自分の首をしめていき、その判断で動き回っているとどうにもならなくなることを、人は、否応なく実感せざるを得なくなってくるからである。」

日本は、外交で失敗して滅びるであろうということが既に書かれています。普天間問題はなるべくしてなった「空気」に基づく行動の帰結のようです。

和製ノストラダムス的予言が(政治のみならず、企業に関しても、教育に関しても)随所にあることに驚かされます。時代背景として、山本七平氏が危機感をもって本著を書かれた1977年は三木内閣、美濃部都知事の社会主義的政治下にして、公害問題などで左翼の論調が激しかった時期ゆえに、現在の日本と重なる予言する予兆が色濃く存在していたのでしょう。

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紙の本歴史を精神分析する

2010/06/01 06:43

国を食べつくす官僚

4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「官僚病の起源」の文庫版改題。(原題のほうがいいと思うが)
どうもこの国は官僚、ならびにその手の勢力が網を張って権益を覆っているなあとは感じていたが、それを精神分析という手法で解析するというもの。筆者岸田秀氏は、「魂の殺害者」で正義の教育と称する(役人的教育者の)トンデモぶりを描いたドキュメンタリーの訳者でもある。キレがいい文章、秀逸な着眼点、現実から遊離せず、問題点をあぶりだすクローズアップ力に長けた、精神分析医の中では「稀有」な方だと思われる。

「・・・誠実な人なら、自分が国民の期待に沿えないとを恥じて支配者をやめるであろう。あるいは、はじめから支配者になろうとしないであろう。
結局、残るのは、現実感覚を失って自分は聖人君子であると思い込むことができる誇大妄想狂か、聖人君子と見せかけるのがうまい偽善者か、何もわかっていないと国民を馬鹿にし、そこにつけ込んで大儲けしようとするズルイ人か、国民のことなど気にせず、国民の期待を裏切っても平気な冷酷無情の人かのいずれかである。」

まごうことなく、わが国の総理大臣ならびに幹事長ならびに閣僚を指しており、その正確な「予言能力」(1997年初版)に拍手を送りたいが、総理大臣だけでなく、ここ20年くらいは「この手」の人間が闊歩しているように思うのは私だけだろうか。そう、「失われた20年」が始まってから、「官僚病」的なる人物の天下になり続けていると実感する。
心ある人たちは階段を降りる。一方、誰からも求められなかった「病的」な人々が、逆に階段を上り続け、国という果実の木を食べ続け、食べつくそうとしている・・・

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紙の本生の短さについて 他二篇

2011/11/17 13:22

イエスとブッダとセネカ

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

生きることを肯定する本もあれば、そうでない本もある。セネカは、イエス・キリストやお釈迦様と同様に、切羽詰ったことのあるひとであればあるほど、読むとその心が穏やかになるのではないかと思う。人間の極限を正直に見透した数少ない宗教人と同じ感覚なのである。

自殺する人は、いわゆる「かわいい人」がほとんどというのが私の持論であるが(こいつが死んでくれたら・・・という人は、絶対に自分を追い詰めない)、そうした悩んでしまった人が、まあイエスの新約聖書、ブッダ、セネカを読めば、死ぬ気は90%失せると希望する。

セネカはいまや経済破綻、EUの劣等生として毎日のようにニュースで取り沙汰されるギリシアの哲人である。しかし、ギリシアの人々を見ると、いまでも実に人間的な顔つき、美貌も多くて、果たして、このような人々がうまくやれない現在の経済活動自体が可笑しいのでは、と奇妙な気持になる。

セネカは2千年前に、現在2011年の世界の病理を、ギリシアの病理として論破している。この痛快さは同時に、「人間とは、2千年前から全く変わっていない」ということが痛感されるのである。人間の行き着く先は常に同じなのだろうか。数多くの珠玉の名言があるが、こんなものがある。

「最もよく踏みならされ、最も往来の激しい道こそ、最も人を欺く道なのである。だから、何よりも肝要とすべきは、羊同然に、前を行く群れに付き従い、事をなすに世評に頼ること、また、(中略)人と同じであることを旨として生きることほど、大きな害悪の渦中にわれわれを巻き込むものはないのである」

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思想骨董品店主の対談

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

60年代の全共闘時代から現代(03年第一版)までの日本思想界の変化を、当事者同士の生の声で聞ける、好著である。企画がいいのだろう。(この御両者の対談は09年朝日ジャーナル誌上で行われているが、この本の方がまったく比較にならない程優れていると感じた。)
往復書簡という形式によって、自由な寄り道をたくさんしているがゆえに、読者はいろいろなキーワード的取っ掛かりを得ることが出来る。

それは思想という骨董品を取り扱う店主同士の対談に仮定できそうだ。私が勝手に想像するには、東氏は「たまプラーザ駅近くの、若いのに珍しく骨董に造詣の深い、近隣の裕福な引退者やセレブの夫婦に人気の店主であり、いい品が揃っていて、ただ結構なお値段がする」という感じであり、一方の笠井氏は、「銀座の外れの、間口の小さい古めかしい店で、奥に妙に目付きの鋭い気難しい主人がいる。恐る恐る中に入ると、ガラクタもあれば、中には驚くような掘り出し物の名品があり、値段を聞くと、思いのほか良心的で、これまた驚く」という感じ。

笠井氏に対して東氏が始めに、キレるのであるが、それは「神は細部に宿る、ゆえにそこから考えるヒントを」と提案するが如くの笠井氏に対して「自己批判」と東氏が感じたようなズレ、それは経験の差に思われるが、その程度のズレにすぎないように思った。実際、9信から13信まで東氏は怒っている。しかし、最後の15信で「細部(東氏にとってはサブカルチャー)を大切に思っている」旨を話されるのである。これなら、笠井氏が「細部」をミステリーではなくサブカルチャーとして東氏に提案していたら、決裂どころかより面白くなっていたはずで、もったいない。ぜひ次回に期待したいものである。

笠井氏に関しては、(思想の好き嫌いは別にして)ある意味「宝庫」だと思う。それは色々なジャンルで身を削ってこられた経験ゆえの輝きである。しかしながら、ミステリーを格下に見るような発言をしたり、ドストエフスキイを知らない大学院生をフリーターと同一視するという、「雑」さが目立つのが残念だ。前者については、ミステリーは(松本清張にしてもクリスティにしても)格の高いジャンルに違いないし、後者にいたってはドストエフスキイを知らない院生が一流企業に入り、フリーターがドストエフスキイを読んでいるような現在の日本の現実とは異なっているからである。

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紙の本美と共同体と東大闘争

2010/05/23 12:27

近代ゴリラとトイレ騒動

6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

東大全共闘ってどういう人たちなの?と思ったらこの本はいい資料になる。三島由紀夫という歴史に残る作家に対して、(彼らが取った)些細な出来事のほうが手がかりになる。ここが対談のいいところだ。本人達が繕いきれない本性が表われるので。

三島が討論を終えて書いた「砂漠の住民への論理的弔辞」より。

「ふと見ると、会場入口にゴリラの漫画に仕立てられた私の肖像画が描かれ、「近代ゴリラ」と大きな字が書かれて、その飼育料が百円以上と謳ってあり・・・

会なかばでガラス窓が割れるすさまじい響きがした。これも何ら暴力的行為ではなくて、あまりに満員の会場から手洗ひへ行く道が見つからないために、耐へかねて窓ガラスを割って脱出した学生の行為とわかった。

閉話休題・・・(中略)了解不可能な質問と砂漠のやうな観念語の羅列の中でだんだんに募ってくる神経的な疲労は、神経も肉体の一部であるとするならば、その精神の疲労と肉体の疲労との・・・」

三島大先生を疲労困憊まで困らせまくった東大全共闘の奮闘振りと嘲笑があますところなく伺える。しかし、非常に読後が悪い。三島を切腹させたのは、直接の原因ではなくとも、間接的にはこの学生たちではないかという気すらしてくる。

実際、三島は「(女のように)責任を取らない」と東大全共闘の学生達に対して怒り、自分は「死で責任を取る」と言ってしまう。要するに、三島は非常に生真面目で、善人すぎたのだ。三島の懸命な人間性が、この本から伝わる。
貴重な文化財を失った時代背景としてこの本の価値はあるだろう。不幸な意味において。

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紙の本白い服の男 改版

2010/04/28 00:44

正義の狂気、傍観の転倒

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

星新一の作品は1000を超えるので、2010年現在にフィットする作品と、時代錯誤な作品に別れるようですが、本作品はきわめて前者に思われます。

戦争の「せ」の字を言わせないために、歴史の書換えや焚書坑儒、盗聴やら拷問を子供に対してまで嬉々として行う「白い服の男」の正義の狂気っぷりは、トンチンカンな現在の政治や、役人、企業、教育者とあまりに重なり、ブラックジョークというよりも、ひどく身近に感じられ、

またテレビを見続けて外界と接触せず、物も食べないで、「やられるものは悪」と幼児的結論で傍観者を楽しむ「老人と孫」、人気処刑番組のファンである一女性が一転、殺人者として死刑囚になる「悪への挑戦」は、傍観者の残酷と落とし穴が心地よく気持ち悪くて、うまいのです。


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子供の心を殺す者

4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

なぜ最近の子供は無表情で無気力か。私は学校教育に問題があると思っている。教師の過干渉。「少人数クラス」にしろと教師は言う。カウンセラーを増やすと教育委員会が言う。しかし、果たしてそれは正しいだろうか?ただでさえこうるさい教師の干渉は度を越している。子供は子供同士で遊び、喧嘩をし、生きるものだ。しかしある学校では喧嘩のたびに校長から副校長、他の学年の教師、用務員や事務員まで飛んできて、保健の教師がタクシーで殴られたほうの子供を病院に運ぶ。殴ったほうは3時間説教だ。

私の知る少年は教師の過干渉で登校拒否になった。少女は転校した。可哀相に、二人とも生意気でとてもかわいい子だ。しかし、ちょっとでも目立つと、今の教師は目をつけるらしい。私の子供時代はもっと闊達だった。反抗はアリだった。先生のことを結構バカにした。それでも教師は笑って受け止めた。考えてみれば、昔の教師は「大人」であり、「余裕」があったのだ。だから子供を子供として扱えた。比べて現在は子供をライバル視する教師すらいる。セクハラ行為も、子供を子供として見れない教師のあらわれかもしれない。

監視。管理。これを得意になってやる教師が実は増えていないか。奇妙なのだ。保健室もカウンセラーも校長のスパイになる。子供の逃げ場は無い。気に食わない子供にはトイレまで付いて行き、監視する。休み時間は歩哨が多数立つ。ストーカー行為を大人は拒否することが出来るが、子供はそれが言えない。子供はどこまでが愛情で、どこまでが過干渉で、どこまでが犯罪行為すれすれのストーカーかわからない。そこにつけこむ教師。或いは親。その「正義」に基づく得意然とした犯罪が被害者の立場からよく描かれている。教育の問題は古今東西を問わない。秀作である。

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